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月のえくぼ(クレーター)を見た男 麻田剛立

 先日の「天地明察」で江戸時代の天文学・暦法研究に触れ興味を持ったので、もっと読む。出てきたのがこの本。

・前の記事:天地明察

月のえくぼ(クレーター)を見た男 麻田剛立
鹿毛 敏夫/関屋 敏隆:画/くもん出版・くもんの児童文学/2008

 「天地明察」の渋川春海は1639年生まれ、1715年没。渋川春海が生まれた約100年後の1734年、現在の大分県に生まれた、後の天文学者・麻田剛立(あさだ・ごうりゅう)の物語です。まず、月にある「アサダ」という名のクレーターから物語は始まります。そのクレーターの名前の由来となった麻田剛立は、医師であり天文学者でした。

 元の名は綾部妥彰(あやべ・やすあき)。少年の頃から自然や生き物に興味を持ち、ひとつのものが気になるとずっと観て、観察していた。のちに太陽の動きに興味を持ち、庭にしるしの棒を立てたりして観測を始める。同じように星の動きにも興味を持ち、昼間は太陽の観測、夜は星や月などの天体の観測。遊ぶことも忘れ、観測に没頭していた。また、医学書も読み、医学にも興味を持つ。16歳の時には、独自の観測と計算から当時の暦である「宝暦暦(この前の暦が、春海が作った「貞享暦」)」にない日食を予測し、実際に日食が起こる。28歳の時にも暦にはない日食を予報し、見事的中。その功績と独学で学んでいた医学・医術が認められ、杵築藩主・松平親貞の侍医として働くようになる。親貞は大坂(当時はこの字だった)での勤務を命じられたため、剛立も共に大坂へ。そこで、剛立は特殊な観測機器を特注することが出来、さらに詳細な観測をはじめる。その一方で、侍医仲間との人間関係に悩む。「出る杭は打たれる」剛立。そして、大坂で天文を学ぶために、侍医を辞めようとするが認められず。最終手段として脱藩。この時正式に「麻田剛立」を名乗り、大坂で解剖学を学び、のちに町医者として開業。診察の傍ら、本格的な天体観測も再開。日食・月食の詳細な観測をし、また日本で初めて反射望遠鏡で月面を観測。クレーターの様子を詳しく記録しました。さらに、少年時代から観測結果から、太陽や月の動きが毎年一定でない、変化し続けていることも発見。「惑星の公転周期の2乗は、太陽からの平均距離の3乗に比例する」という「ケプラーの第3法則」も独学で発見。天文塾「先事館」には多くの弟子が学び、そして1798年、剛立の弟子である高橋至時と間重富が剛立の暦算を導入して「寛政暦」をつくる。長くなりましたが、これが大まかな剛立の経歴です。

 詳細な観測に基づいた剛立の暦算天文学は、「ケプラーの第3法則」を独自に発見してしまう程のものだった。江戸時代に反射望遠鏡が使われていたのも興味深い。初めは屈折望遠鏡で観測をしていたが、精度はあまりよくなかった。一方、剛立が手に入れた反射望遠鏡はクレーターもよく観え、「池のようだ」と表現していたという。とにかく自分の眼で観測をする。じっと対象を観る。そこで得られた観察力の鋭さ。そして、そのデータから法則を導き出す。日本の観測天文学者の先駆けといえます。

 また、天体の動きが一定ではない、変化し続けていて後にそれが誤差となることも理解していた。宇宙は不変ではない。自分の暦算も、後に間違いが出てくるだろう、と…。その見方にも唸った。江戸時代にも凄い天文学者がいたのだな、と。

 児童書ではありますが、大人が読んでも興味深い本です。しっかりとした伝記になっており、巻末の年譜には観測した日食・月食記録も。こんな天文学に関する児童書・伝記がもっと増えたらいいなと感じました。

 ちなみに、アストロアーツに書評があったのでリンクを貼っておきます。
アストロアーツ:星ナビ.com:金井三男のこだわり天文書評:月のえくぼ(クレーター)を見た男 麻田剛立
by halca-kaukana057 | 2010-12-29 23:27 | 本・読書

好奇心のまま「面白い!」と思ったことに突っ込むブログ。興味の対象が無駄に広いのは仕様です。


by 遼 (はるか)
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