f植物園の巣穴

 梨木香歩さんの作品です。雑誌に連載されたのが2006年~2008年。単行本として出版されたのが2009年。少し前の小説です。


f植物園の巣穴
梨木香歩/朝日新聞出版/2009

 植物園の園丁である”私”(佐田豊彦)は、f郷にある”f植物園”に転任してきた。”私”は結婚していたが妻・千代を若くして亡くし、f郷では下宿で暮らしている。”私”は以前から歯痛に悩まされていたが放置したままで、とうとう歯医者に行くことを決めた。そして歯医者へ行く日から、"私"の周囲、f郷で不思議なことが起こっていることに気づく…。

 先日読んだ「ピスタチオ」と同じく、あらすじを書くのに苦労します。この後、物語はまったく不思議としか言いようが無い、どう説明したらいいかわからない展開になります。この作品を、以前何度か読んでいたのですが、奇妙な世界で起こる不思議な物語を読むのに時間がかかり、図書館の返却期限が来てしまい返却。そんなことを繰り返し、ようやく読了、この物語の世界をじっくりと味わうことが出来ました。読み終えて、難解だけれども、深いものを包んでいる物語だなぁと嬉しくなりました。

 この世界には、様々な”境界”というものが存在する。しかし、その”境界”が曖昧になったら、どうなるだろうか。土地と土地。始まりと終わり。過去と現在。他者と自分、誰かと誰か。現実と夢。この世とあの世。現世と前世。普段、私たちはこれらに”境界”を作って暮らし、生きている。でも、例えば、過去と現在の場合、どこからどこまでが過去で、どこからが現在なのだろうか。今、この記事を書いているのが現在?数秒前、「今」と入力した時点がもう過去である。時間は連続していて、どこからどこまでが過去なのか現在なのか、はっきりとは断定できなくもある。植物も、この植物はこんな場所・地形・気候のところに生息する、と事典などに書いてあっても、実際は当てはまらないこともある。意外なところに、意外な植物が根を下ろしていることもある。

 そんな、あるはずの”境界”をなくしてしまったのが、この作品だと思います。”境界”は誰が作ったのか、何のためにあるのか。どことどこの間に”境界”線を引けばいいのか…。そんなことを考えていると、もうそんな”境界”なんて取っ払ってしまいたい気持ちになります。物事を分離、区別している”境界”。そんな”境界”なんてない、と思えば、もっと広々とこの世界を眺め、人や物事に対して柔軟に向き合えるはず。混沌とした物語の中で、そんなことを思いました。

 ”私”は、f郷の不思議な世界に戸惑い、翻弄されながらも、徐々に形が見えてくることに向き合い始めます。”私”が子どもだった頃の思い出。亡き妻・千代との思い出。しかも、千代は身ごもって命を落とした。会うことの出来なかった新しい命・自分の子どものこと。それらを象徴するかのような、病んだ歯の穴と、植物園内にある樹のうろ。2つの”穴”から、曖昧だったものが少しずつ輪郭を帯びてきます。

 ”私”が物語の随所で、子どもの頃のねえやだった千代とのことと、妻の千代(名前は同じだが別人)のことを思い出します。どちらにも、”私”にとってはあまり触れたくないこともある。”私”は、思い出に”境界”線を引いて、”過去”として扱っていたのではないかと思います。”過去”としてしまえば、現在の自分から切り離すことが出来る。しかし、先述した通り、時間は連続していて、過去と現在、と簡単に分けることができない。確かに過去ではあるけれども、現在の自分に全く関係がない、とは言えない。”過去”というこれまで生きてきた時間とそこでの経験があるからこそ、現在の自分に繋がっている。それを無理に分離しようとしても、後で心には痛みやしこり、”穴”が残るだろう。この物語では”穴”として、”私”が”坊”と呼ぶことにした存在と、過去に向き合う旅に出ます。これまで見て見ぬ振りをしてきた病んだ歯の”穴”=”過去”。旅路の終わりは、まさかの展開でした。

 私自身、どう向き合ったらいいのかわからない”過去”があります。多分、誰にでもあると思う。この物語を読みながら、私も”境界”を作って”あの過去”を自分から切り離そうとしていたんだな…と気づかされました。”境界”は、物事を仕切り物事をはっきり区別するものでもあると思うけど、逆にはっきりさせる一方で見えなくなってしまったもの・ぼやけてしまったものもあるのではないかと思う。私自身の過去への”境界”を取り払う日も、いつか来るはず。この物語のように劇的ではなくても、現在も徐々に向き合っているかもしれない。その時は、無理にあがかず、流れに任せてみようと思う。”私(佐田)”が、この物語でそうしたように。

 ”私”が”坊”と旅を続けている途中、”坊”に言ったことが印象に残ったので、引用しておきます。
迂回というのは前方に進むに困難なものがある場合、それを避けて回り道をすることだ。遠回りのようにも思えるが、自分の力相応の道を選んで結局は目的の場所へ到達することを思えば、この方が理にかなった進み方なのだ。
(149ページより)

 後に、”私”は迂回しない道を進む。その時が来れば、正面から向き合う。このあたりを読んでいて、凛とした気持ちになりました。

・先日読んだ梨木作品:ピスタチオ
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by halca-kaukana057 | 2011-07-12 17:07 | 本・読書


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