雪と珊瑚と

 久々に梨木香歩さんの小説を。今年春に出た新刊です(今年中なら新刊扱いの私)。


雪と珊瑚と
梨木香歩/ 角川書店(角川グループパブリッシング)/2012

 珊瑚は21歳、8ヶ月になる子どもの雪の母。シングルマザー。生活するために働こうとしているが、雪を預ける先に困っていた。雪との散歩中、珊瑚は住宅街の古びた家に「赤ちゃん、お預かりします」という張り紙が張ってあるのを見つける。その家に住む老婦人・くららと会い、珊瑚はくららと話すうちにここに預けようという気になる。珊瑚と雪はくららの家へ通い、また、くららに様々な料理、食べることについて教わる。一方で、以前勤めていたパン屋に再就職した珊瑚だったが、そのパン屋はもうじき店をたたむとのこと。その後どうするか。パン屋で出会ったアトピー持ちの子どもとその母親との会話、珊瑚と同じアパートに住む助産師の那美との会話、そしてくららの料理…そこから、珊瑚は惣菜カフェを開きたいと思い、動き出す…。

 物語は珊瑚がくららと出会い、くららから教わった料理のことや、自分自身の食の思い出・経験から惣菜カフェを開きたいと動き出し、様々な人々の協力でカフェを開業。自分で店を切り盛りし、雪も成長して行く。カフェも珊瑚も予想もしなかった方向へ動き出す…。という珊瑚と、雪と、珊瑚の店の物語。なのですが、それはあくまでテーマを語るための材料で、本題は物語の中に散りばめられていると思った。
 食べること、母親として生きるということ、育児、シングルマザーの置かれている状況、たくさんの人の中で生きるということ、それに対するひとりで生きるということ、誰かに頼るということ、相性が合わない・嫌い・苦手な人と接すること、自分がどんな立ち位置で生きているかということ…。
 色々な読み方が出来る作品だと思う。どれが一番のテーマなのか。何回も読んでみないとわからない…私はまだそこまで読み込めてない。いや、あえて決めていないのかもしれない。

 ただ、珊瑚の生い立ちは、この作品の幹にあたるものだと思う。母は多くの男性と付き合い父親が誰なのかわからない環境で育ち、母が家にいないことが多かった。食べるものが家に無い。命の危険を感じた珊瑚は、学校のスクールカウンセラーの元へ行く、「家に食べるものが無いんです」と。カウンセラーは、給食の余りなどを分けてくれた。しかし、その後高校に進学したが授業料が払えなくなり、退学。同時に家を出て、パン屋で働き始める。

 珊瑚は母がほとんどいない家で育ち、ひとりでも生きていかなくてはと常に思っている。しかし、完全にひとりでは生きてゆけない。カウンセラーやパン屋の主人と妻、くららや那美。カフェを開く時にも、様々な人の協力が合った。合ったが、自分では納得できないこともある…。私もそんなことを思うことがある。ひとりで生きなくては。親はいつかは死んでしまう。結婚しても、配偶者に頼るというのはどこか納得がいかない。でも、ひとりで生きているということはなく、職場の上司や後輩、友人、様々な人がいて、自分がいる。この矛盾をどう納得のいく形に持ってゆけはいいのか。この物語を読みながら考えたが、まだ答えは出ていない。
 また、この物語では、珊瑚に対して好感を持つ人が多いが、ひとりだけ嫌悪を抱く人が登場する。そんな、嫌悪を抱く人も、自分に何らかの影響を与えているのだろうか。自分のどんなところが嫌いで、それを相手を傷つけたいと思ってストレートに表現してくる。その感情には偽りがない。ある意味、ありがたい存在なのかもしれない。
 そして、珊瑚にとっての母の存在。珊瑚は、離れていた母に向き合い始める。

 震災後、家族はかけがえの無いもの、絆、という言葉や意識が広まった。でも、それがいつも好感の持てるものとは限らない。絆を切りたい、絆じゃなくてしがらみだという関係もある。人とのつながりは複雑だ。その複雑さの中で、どう生きるか。

 終盤、珊瑚が夜の店でひとり料理の下ごしらえをするシーンがある。雪は寝ている。下ごしらえがひと段落して、自分のためにコーヒーを淹れる。そこで、珊瑚はこう思う。
誰かのための、居場所をつくりたい、なんて驕った考えだ。自分がそもそも、そういう場所が欲しかったのだ。
 母でも娘でもない、自分が今、ここにいる。
(314~315ページより)

 自分の居場所…慎重に扱わねばならない表現だと思う。下手に使うと安っぽい、便利に使える表現になる。でも、それを本気で欲している人もいる。ここの、「母でも娘でもない」に、うんうんと頷いた。人の中で暮らしていると、自分には何かしらの「肩書き」が付く。上司に対しては部下、後輩に対しては先輩、友達と会えば友達、家族といれば家族。話はそれるが、NHK教育「ピタゴラスイッチ」で「ぼくのおとうさん」という歌があるのだが、「お父さん」も場所によって違ってくる。会社にいれば課長さん、お店に入ればお客さん、歩いていると通行人、電車に乗ると通勤客、病院に行けば患者さん、そして家に帰ってくるとぼくのお父さん。というように。そして、自分には名前がある。本名もあるし、このブログにいれば「遼」というハンドルネームがある。時々、その名前すらも必要としない、ただ人間としての自分でいたい…と思うことがある。この時、本当にひとりになれるのだろうかなどと考えつつ。


 もうひとつ、この物語の幹は、食べること。くららの料理、その料理に使われる食材はとても豊かだ。私は料理が苦手、今日の夕飯をどうしよう…それを考えるのも嫌になるほど、料理が苦手だ。でも、食べないといけない。こう思うと、食べることが強制的なもの、辛いものに思えてしまう。くららや、くららから料理を教わってカフェで様々な料理を作る珊瑚のように、黙々と、でも楽しく料理して、食べることを大事にできたらいいなと思う。食べることは大事にしたい。活動するエネルギーであり、生きることそのものだから。家に食べるものが無くて困り果てていた子ども時代の珊瑚も、くららに料理を教わった大人になった珊瑚も、食べることで強く生きようとしている。ここで、悩んでいる人を招き悩みを聞き、手作りの料理を食べてその人が生きるのを支えようとしている「森のイスキア」の佐藤初女さんを思い浮かべた。くららは元修道女。キリスト教の信仰の話も出てくる。佐藤さんもクリスチャン。どこか似ている気がする。

・佐藤初女さんのことに関する記事
食べること、料理すること、生きること
おむすびの祈り 「森のイスキア」こころの歳時記


 そういえば、この作品、梨木さんの小説で一切ファンタジー要素が出てこなかった作品かな?前作「僕は、そして僕たちはどう生きるか」もファンタジー要素は少なめだったが、ファンタジーのような謎の存在や、ユージンの家はファンタジーのようだった。今回は、珊瑚がカフェを作った場所はちょっとファンタジーっぽいが、ファンタジーではない。ひとりの作家の作風がこんな風に変わってゆくのは面白い。

・前作:僕は、そして僕たちはどう生きるか
・この作品に関連して体験したこと、思ったこと:「痛い」と表現すること

 最後に、梨木さんの最新刊。エストニア紀行エッセイ。エストニアとはまた惹かれる。読む。読みたい。

エストニア紀行: ――森の苔・庭の木漏れ日・海の葦

梨木 香歩 / 新潮社


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by halca-kaukana057 | 2012-11-09 23:23 | 本・読書


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