パリ左岸のピアノ工房

 以前から、タイトルとあらすじで気になっていた本。


パリ左岸のピアノ工房
T.E. カーハート:著/村松 潔:訳/新潮社・新潮クレスト・ブックス/2001

 アメリカ人でパリで暮らしている「わたし」は、子どもの送り迎えの途中の狭い静かな通りにある「デフォルジュ・ピアノ店」の前を通りかかり、いつも気になっていた。ウィンドウの小さな棚にはピアノの部品や工具が並んでいる。子どもの頃ピアノを弾いていてしばらく遠ざかっていたが、最近またピアノを弾きたいと思っていた「わたし」は、この店に中古のピアノがあるのではないかと店に入ってみる。店の主人と話をしたが、そういうのは扱っていない、と。しかし、別の日に店に来てみると、若い店員らしき男・リュックは、この店のお客の誰かの紹介があれば探しているピアノを見つけやすくなるかもしれない、と。その後、偶然にも娘のクラスメイトの家に行った時、その母親がピアノを弾いていること、そして「デフォルジュ・ピアノ店」のお客であることがわかる。早速店に行き、そのことを話すと、店の主人とリュックの間でしばし激しいやり取りがあった後、リュックは「わたし」を店の奥へと案内してくれた。そこには、たくさんのピアノが並んでいた。この店は、古いピアノを修理し、ピアノを探している人に売ることもしている。そして「わたし」は自分のピアノ探し、そしてピアノとの新しい暮らし、「デフォルジュ・ピアノ店」での様々なピアノとの出会い、ピアノ職人・リュックをはじめとするピアノを愛する人々に出会う。


 著者のカーハート氏自身のノンフィクション。読んでいて、ピアノという楽器の魅力をあらためて感じました。私も、子どもの頃からピアノがある場所が好きで、そのピアノに触れてみたい、演奏してみたいと思うことがよくあった。学校の音楽室、体育館、友達の家、公民館、楽器店(売り物なので勝手に触るのは不可)、レストランやカフェ、結婚式場…。思えば、ピアノはあちらこちらにある。後でまた出てくるが、ピアノは持ち運びできないので、プロであれアマチュアであれ演奏家はそこにあるピアノを演奏する。ひとつとして同じものがないピアノ。同じメーカーの同じ型のピアノでも、調律のちょっとした違いで音が変わる。演奏者の演奏によっても変わる。ヴァイオリンやチェロ、フルートやクラリネットなどの持ち運びできる楽器なら、自分の楽器をいつも持ち歩いて、演奏することができる。コントラバスやチューバなどの大きな楽器になると持ち運びは大変だが、演奏者は自分の楽器でいつも演奏している。ティンパニやシロフォンなどの打楽器となると、いつも自分の楽器…とはいかないが、打楽器にお目にかかれるのは音楽室やコンサートホールの練習室ぐらい。ピアノは街の至るところにある。ここまで普及している楽器も、珍しいのではないかと思う。ただ、そのピアノが、全て楽器として演奏されているかどうかは別として…。

 「わたし」が出会ったピアノ職人・リュックは、「デフォルジュ・ピアノ店」で故障したピアノや、古いピアノの修理をして、中古ピアノとして売ったり、博物館に引き渡したりしている。こう書くと、あっさりとしてしまうが、リュックのピアノへの愛情は相当のものだ。裕福な人がその裕福さの誇示のため、高級なピアノをリビングに置いて、眺めるだけにしていることに怒り、ずっと弾かれずに悪くなってしまったピアノに出会うと嘆き悲しむ。リュックは、ピアノは持ち主と生活を共にする「生き物」である。持ち主の生活の中にあって、そのピアノを演奏し、生活の中に音楽が溢れる。ピアノはメンテナンスを怠らなければ、ずっと「生き」続ける。ピアノ店の奥・アトリエには修理途中の何十台ものピアノがある。リュックは再生可能なピアノは「生きている」と、演奏できない博物館で展示するしかないピアノは「死んでいる」と呼んでいる。そして、自分だけの夢のピアノに出会うことを願っている。リュックが語るピアノは、見たこともないピアノでも魅力的に感じてしまう。

 この本では、たくさんのピアノメーカーのピアノが登場する。私の知っている・演奏したことのあるピアノは、ヤマハ、カワイ、スタインウェイ、ベーゼンドルファー。名前だけならベヒシュタインとか、ペトロフぐらい(名前だけで、詳しいことはあまり知らない)。しかし、ピアノはもっと沢山ある。フランスが舞台なので、プレイエルやエラールといったフランス製のピアノが多く登場する。そして、「わたし」が買ったのは、オーストリア製の今はもうないシュティングルのベビー・グランド。世界にはこんなにたくさんのピアノメーカーが存在していることだけでも驚きだった。それらの、私の見知らぬピアノたちはどんな音色で歌うのだろう?私も、出会ってみたくなった。

 「わたし」の娘もピアノを習い始めるのだが、そのスコラ・カントルムの校長の話が印象的だ。ヤマハやスタインウェイは素晴らしい音質だ。だが、ピアノはヤマハやスタインウェイだけではない。今の形のピアノになってからの歴史はまだ浅い。ハイドンやベートーヴェン、ショパンの頃のピアノは今のピアノとは全然違うものだった。だから、現在の色々な種類のピアノの独特の音を聴き、特別なタッチを経験する必要がある、と。ピアノは持ち運びできないからピアニスト・演奏者はそこにあるピアノを演奏することになる。家のピアノ、ピアノ教室のピアノと違う…とは言っていられない(でも勿論、一番は家のピアノでありたい)。色々なピアノと出会い、歌わせる。とてもいいなと感じた。

 「わたし」は「自分のピアノ」シュティングルを手に入れ、やがてレッスンを受け始める。この「わたし」のレッスンや練習、ピアノ演奏に対する考え方が、自分と似ていて驚き、嬉しくなった。自分自身のたのしみのために演奏する。作曲家の意図したものを理解して、それに沿った演奏しつつ、自分自身の演奏を付け加える。子どもの頃、「わたし」はレッスンや合唱の伴奏で酷い目にあったことも関連している。これは酷い話だよなぁ、よく著者はピアノ嫌いにならなかったなぁ、と思う。先生には酷い思い出はあるけど、ピアノそのもの、音楽そのものを好きな気持ちは変わらなかった。レッスンや、マスタークラスでの話も興味深い。

 この本だけで、ピアノの歴史やピアノの仕組み、調律と平均律などについても学べてしまう。ピアノの魅力が詰まっていて、でも専門書のような堅苦しさはない。とにかく、ピアノへの愛情で溢れている。



 この本を読みながら、私自身の部屋にあるピアノのことを考えた。読みつつ、ピアノを見た。ヤマハのアップライト、日本の家庭や学校ではポピュラーなピアノ。でも、私が子どもの頃ピアノを習い始め、その時からここにあるピアノだ。今はあまり弾いていない。また弾きたいけど、付き合い方がわからなくなってしまった。どうやったら、たのしく付き合えるのか、わからなくなってしまった。でも、このままにして、この本で出てくる「死んでしまった」ピアノにはしたくない。かつて、私の日常の中にこのピアノで演奏した音楽があったように、またそうなりたい。リュックが願っているように。きっと、ピアノを「生かす」のは私自身なのだろう。
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by halca-kaukana057 | 2012-12-04 23:20 | 本・読書


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