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もし自分が傷つけたら 続・「痛い」と表現すること

 以前から考えている「人から妨害を受けたり、傷つけられたり」すること、その時「痛い」と表現すること。その続きです。

「痛い」と表現すること
何が「痛い」のか・作り手と受け手のすれ違い 最近思ったこといろいろ
 ↑この記事の真ん中あたりの部分です。

僕は、そして僕たちはどう生きるか

梨木香歩/理論社/2011


僕は、そして僕たちはどう生きるか
 梨木香歩さんのこの本を読んで、この思考は始まりました。


 これまで考えてきたのは、自分が「人から妨害を受けたり、傷つけられたり」され、「痛い」と表現するかどうか。なら、立場が逆転したら?
 「痛い」と表現することの記事で、大学時代に出会った友人とのことを書いた。これも私が言ったことが友人には「傷つけられ」「痛い」ものだった。ただ、この時友人は「人の好きなものに対して、面と向かって嫌いって言うのはどうかと思う」と、「痛い」と表現した。
 私は言われて「痛い」と表現しない、できないことが圧倒的に多い。痛くても、黙って踏ませておく。このぐらい我慢できる、傷ついてなんかいない、と。でも、「痛い」と表現することの記事で書いたとおり、自分の好きなものを否定されたら、自分そのものを否定されたような気持ちになる。だからかなしくなる。痛みを我慢したり、痛くないと無視することが、余計自分の辛さを増幅させるように思う。

 では、私の発言が誰かの痛みとなり、その人が私と同じように痛みを我慢している、表現しないとしたら?

 人に優しく、人を思いやる発言をしよう、と思うけれども、何が誰かにとって痛みとなる発言なのか、わからないことは多い。ポジティヴな発言でも、相手にとってはプレッシャーとして、ネガティヴなものに、痛みになるかもしれない。何かを「好き」という発言も、誰かにとっては「嫌い」なものであり、痛み(怒り、恨みに近い)となるかもしれない。

 また、前の記事では、面と向って「嫌い」と言うことに対して書いていたが、直接ではなく間接の場合もある。他の人と話しているのを偶然聞いてしまった(小説や映画、ドラマなどでよくありそうなシーンだな…)など。この場合は、「痛い」と表現するのはかなり難しい。その人に対する見方が大きく変わり、付き合いも変わる可能性が高い。

 これらの時は、どうしたらいいのだろう。その時その場で、は難しい。後で、時間をかけて話す。
 「傷つけたかもしれない」と自分から謝ろうか迷うことはよくある。「かもしれない」だから迷う。謝ったけど、実際は違ったらしく「何のこと?」と言われ、逆に関係が悪くなってしまった…ということもあるからだ。

 自分の発言で、誰かが苦しい、辛い、悲しい思いをするのは、私自身も辛い。でも、その誰かの思いは、必ず表に出てくるものとは限らない。そのうち、相手は我慢できなくなって、自分から離れていってしまうかもしれない。それはそれで仕方ないけれど…。ショックである。辛い。



 とは言うものの、時には、「嫌いなんだ」と表現してしまいたくなる時もある。我慢できない、本当に受け付けないぐらい嫌い・苦手でどうしようも無くて、それを表現しないと自分や相手との関係を守り保てないようなこともある。

 「痛い」と表現するのも、されるのも、我慢するのも、我慢されてしまうのも…本当に難しい。一筋縄ではいかない。今はこんなまとめしか出来ないのが悔しい。
by halca-kaukana057 | 2013-07-02 23:14 | 日常/考えたこと

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