今の積み重ねの先に「見える」もの ラジオ・ミュージカル「あしたの瞳」全体感想

 感想記事がシリーズになってしまっています…。
ラジオ・ミュージカル「あしたの瞳」(作曲:宮川彬良、脚本:響敏也、演出:佐久間広一郎、演奏:セントラル愛知交響楽団)。
 後編の放送からも1週間過ぎました。そろそろ全体の感想を書きたいと思います。
◇番組公式&全編丸ごと聴けます:FM AICHI:ラジオミュージカル「あしたの瞳」
 以下思い切りネタバレしますので、ネタバレしたくない人はまず公式で全編聴いてね~

【これまでのシリーズ記事】
・前編・作品概要の感想:「見える」とは何だ? ラジオミュージカル「あしたの瞳」前編
 ↑前編で流れた歌リストあり。
・前編の覚え書き: ラジオ・ミュージカル「あしたの瞳」前編 覚え書き
・後編の覚え書き:ラジオ・ミュージカル「あしたの瞳」 後編 覚え書き
 ↑後編で流れた歌リストあり。

 前置きとして、他の本や音楽などの作品の感想記事でも、「自分はどう読んだか」について書いてきたのですが、今回はその色を濃くしようと思います。というのは、この作品のテーマは”「見る」「見える」とは何か?”前編の感想記事でも書いたのですが、前編の冒頭での語りにこうあります。
見るものは同じであっても、
見る人間によって、見る環境によって、その見方によって
それは様々に変化してしまう
ならば、人はたとえそれが歓喜の時であったとしても、苦渋の時であったとしても
その見方次第で違った光景を、自らにもたらすことになるだろう

 この「あしたの瞳」というひとつの作品も、「見る人間によって、見る環境によって、その見方によって それは様々に変化してしまう」。
 元々はオペラの作品で、ラジオでは「見えない」けれども、私がこの作品をどう「見た(聴いた・読んだ・感じた・考えた)」のか、この作品から何を思ったのか。私の「見る」「見える」こととは何か?そんな”私の視点”で書きたいと思います。

 まず、この作品には3つ、テーマがあると読みました。
○「見る」「見える」とは何か
○つくること。何かをつくることへの情熱・よろこび

 この2つを元に、もうひとつ
○時間の中で、人間が生きるということ

 ひとつずつ、いきましょう。

○「見る」「見える」ということ…何を「見る」?どう「見る」?…「見方」
 いきなりメインの、結論となるテーマに入り…ませんw結論までの過程にある「見る」ことについて。冒頭で書いた見方について。

 主人公・常一にとって、大きな意味を持つ「見た」もの…戦中・終戦直後のこと。常一は戦中・終戦直後にあったことを、前編で忘れようにも忘れられない辛い思い出と振り返る。
 戦時中、学徒動員で兵器の部品を作っていた常一と、先輩の坂本。作っているものが、兵器になり、人を殺す、命を奪うものとなる。そんな現実に向き合い、ショックを受ける常一に、坂本はこう言う。
心ない技は、世の中を住みづらくする。
心ある技は、世の中に笑顔を運ぶ。
技術のよしあしを見分ける方法は、それに尽きるだろう。
その技術が人によりよい未来を運ぶかどうかだ。

 この坂本の言葉が、後の常一に影響を与える。坂本のこの言葉と考えは、当時の日本の社会情勢では公には言えないこと。元々手先が器用で、旋盤の技術もすぐ習得してしまった常一にだけは話せたことだと思う。常一のその高い技術を認めていたから、その技術が世の中に、人に笑顔を運ぶ未来がいつか来ることを信じていたのだろう。だから常一には伝えたかった。常一もその坂本の「見ていた」であろうものを、その言葉で受け取った。そして、その技術・腕を磨き、その後の常一に繋がってゆく。

 終戦後の混乱期、飢えた人々が食料を奪い合っている。その様を「見て」、その奪い合っている人々は自らの姿を見失っている、と。これも、後に関わってくる「見方」。
 そして、コンタクトレンズという”眼に入れるレンズ”の存在を知り、でも実物を見られなかったので自分で作ろうと決意し、作り始めた常一。このコンタクトレンズを作るために手に入れたアクリル板。これは、戦闘機の部品・窓の部分だった。
 戦争の部品を作ることで更に磨いた技術。そして、戦争のために使われた兵器の部品。それを使って、平和な時代、平和な世界を「見る」ためのもの…コンタクトレンズを作る。

 先日聴いた、NHKオーディオドラマ「天空の道標」でも、戦時中、戦場に向かうために星を使って現在位置を調べていた。星も戦争の道具だった…と振り返る老いた男に対して、その男の無事を祈り続けていた少女にとって星は希望の象徴だった。戦時中、ある場所・ある人にとっては戦争の道具だったとしても、同じ時代の同じ状況に置かれていたとしても他の場所・他の人にとっては全く異なるものとなる。

 常一にとっての、自分自身の手先の器用さ・技術も、戦時中に戦闘機の部品だったアクリル板も、戦後、コンタクトレンズを作ることで全く違うものになってしまった。「見方」が変わった。坂本の言葉の通りに。

○つくること。何かをつくることへの情熱・よろこびと”今・この時”
 次、つくること。先にも述べたように、常一はとにかく手先が器用。つくることが好きで、老いて現場を離れても、何かをつくっていないと気が済まない。
 戦後、働いていた眼鏡店で知り合ったアメリカ人から、コンタクトレンズの存在を知る。しかし、見せてはもらえない。見たい、でも見られない…ならば、自分で作ればいい!と、コンタクトレンズの資料も何もないのに、作り始めてしまう。手探り、試行錯誤の先の「見えない」作業のはずなのに、連日徹夜してでもただ作りたい。作ることの疲れなら、苦労だと感じない。つくることはよろこびだ。歌「光と歓びを作る歌」で、そう穏やかに歌われている(この歌が好きだ)。レンズ作りに没頭する毎日…常一は”今・この時”に集中していた。
 なにかを「作ること」は、”今”に集中することだと思う。目の前にあるもの・レンズに向かう。作っている”今”は、”今”でしかない。”今”以外の何物でもない。どうやっても、二度と同じものは作れない。だから、たのしいのだろう、きっと。常一にとってはそれはレンズでもあるし、ヒロイン・君代に語る言葉
今日、いまこの瞬間が明日に繋がる。明日を作るのは僕自身だ。
僕は、僕を信じてくれるきみのためにも、きみが信じてくれる僕を、僕自身を作り続けるよ

 常一自身をもつくり続けていた。その作り続けていた自分自身は、どこへ向かうのか。次に続きます。

○過去・現在・未来を「見る」
 3つ目のテーマに行く前に、ここまでの2つのものを組み合わせてみます。
 まず、過去を「見る」こと。常一は常一自身の視覚的記憶の化身「眼球の記憶」とともに、自身の過去を遡る。そこで見た過去は、先にも書いたとおり辛い、残酷なものだった。しかし、常一はその過去から目をそらしていない。それを表しているのが、「過去を見続けるために」の歌詞のここ。
過去の記憶を消そうとするから 過ちをまた繰り返す
過去を見続けるために これでレンズを作ろう

 よく、「~があったから今の自分がある」と言うことがある。よく使われる言葉・表現だ。常一も、戦時中の学徒動員が無かったら、戦争を「見て」いなかったら、コンタクトレンズ開発に繋がらなかったかもしれない。

 次、現在を「見る」こと。レンズ作りの過程で、出来たレンズを自分の眼に入れて確かめてみようとする常一。しかし、常一に恋する君代は、心配して止めてしまう。そんな君代に、常一はこう言う。
眼に入れて確かめてみなくちゃ、一体どんな風に見えるのか、それとも見えないのか
何もわからないじゃないか。
自分のこの眼で確かめてみなくちゃ何もわからない。
痛いとしたらどれほど痛いのか、そういう痛さなのか知っておきたい。いいや、知らなきゃいけないんだ。

 レンズを作っている”今”を、自分自身の眼で「見よう」としている。見えないかもしれないことも、痛みも。

 そして未来。続けて、常一は君代にこう語る。
僕は、人が見たいものを見る時に、役立つものを作りたい。
これまで自分の目で見ることができなかった人も、
不自由なく見たいものが見えるようになる。
そんな新しい世界が見たいんだ。

 コンタクトレンズ開発の先にある未来の世界。自分が今何を作っていて、それがどうなるのか。それが「見えて」いた。そのために、自分自身を作り続けていた。

 これを踏まえて、最後
○時間の中で、人間が生きるということ…過去の積み重ねの先の今と未来
 後編の最初、眼球の記憶の語り
人に何かが見えているとしたら、一体何が見えているのだろうか。
人が見る記憶の積み重ねは、人生をつくり、時に進む道を左右してしまう。


 そして、過去を遡る旅の終わり、「見る」ことの真実をいつ見せてくれるのか?と問う常一にこうも語る。コンタクトレンズを開発した常一に。
新しい見え方、新しい光を世の中に与えたのだ。
見るとは何だ。見えているとはどういうことなのか。
見ることの真実。それはお前自身の中に存在するものだ。
自らの明日の希望を見ることができるのは己のみ。
人は自らの道を切り拓く力を持っている。
それこそが、お前が生み出した、本当の”あしたの瞳”

 「目には見えない。しかし、そこに確かに存在するものが、ある。」
 コンタクトレンズの存在を知ったが、見たいのに見られない若き日の常一の姿に対する、眼球の記憶の語りですが、見えないけれども存在するもの…未来、未来の希望もそのひとつだと思う。はっきりとした未来の希望・夢を持っている人は別だが、未来は「見よう」としてもよく「見えない」もの。何となく「見えている」ような気もする。私はずっとそう感じてきた。この先、近い将来、自分が何をしているのか、何をしたいのか、あまりよく「見えない」。「見えない」ことにずっと不安を感じてきた。ここ数日、未明の空に「見たい」と探した淡い彗星のような、先日読んだ「夜明けのカノープス」(穂高明:著)で出てくる、空低くある星・カノープスのような。コンタクトレンズも、眼鏡も、彗星を観るための双眼鏡・天体望遠鏡も、ピントが合わなければ「見えない」。でも、ピントが合えば、暗い天体も観やすい暗い条件のよい空、カノープスがもっと高い空に見える位置に移動すれば、はっきり見えてくる。人間は、自らピントを合わせられる、移動することが出来る。積み重なった過去…たとえ辛くても肯定する見方を持ち、”今”に集中して、自分をつくり続ける。その中で見えてくる希望…その希望を見い出すことこそが、”あしたの瞳”だと。

 最後に歌われる「フィナーレ」を聴いていると、この物語は閉じて終わっていない、開かれた物語なんだと思う。眼球の記憶が「見ることの真実。それはお前自身の中に存在するものだ。自らの明日の希望を見ることができるのは己のみ。」と語るように、明確な答えは出していない。”あしたの瞳”という表現も、(いい意味で)曖昧で開かれている(それゆえ、わかったと思ったら、しばらくするとわからない…と揺れ動いていますw)。それを表現しているのが、「フィナーレ」で坂本→常一→君代の順にそれぞれの見い出した希望を歌っている。そして、その希望は、各々一人だけで見い出したものではない。後編で常一と君代の恋物語も描かれるが、ラブロマンスで流して…流せなかった。ああ、関係あったんだ!また、前編覚え書きの、冒頭の部分で老いた常一と坂本が対照的だと書いた。対照的なようではあるけれども、それは、坂本と常一が「見ている」ものが、置かれている状況が異なるから。坂本は、家族との中で希望を見い出したから。これに対になるのが、終戦直後の混乱期、食料を奪い合う人々が自分自身を見失っていた…他の人はどうでもいい、と思っていたからだろう。
 「フィナーレ」を何度も何度も聴いていると、開かれた物語の先に向かおうという気持ちになってきます。この物語の先に、自分自身の物語もある。最近自分の周りで「見た」こと、体験したこと、思ったことも、この物語に繋がってきて、それも交えて書きました。壮大になったな…(したのは私かw)

 あと、この物語は戦争も描いているし、常一のコンタクトレンズ開発の過程も想像以上に大変なものだったかもしれない。でも、物語全体には”光”があって明るい。前編の戦中・終戦後の混乱期のあたりは影がありますが、それを後編でそれらを”光”に変えるような力強さ、まっすぐさ、熱さがある(「過去を見続けるために」のあたりではっきりとする)。きっと、物語のどこに光を当てて、どう「見せる」か、どう見せようとしたかったのか。そんな「見方」もこの物語は含んでいると思います。

 物語の面の感想ばかり書いてしまいましたが、宮川彬良さんの音楽もどれもツボです。ハマってます。常一のテーマともいえる「もう一つの瞳」が様々な形に変奏されて、音楽も紡ぎだされているのもいい。それが、最後にはあの「フィナーレ」になる…胸が熱くなる。歌ももう暗記して歌えそうです…(実際、部屋にひとりでいると口ずさんでますwただ、歌詞がわからないところが少なくないので、そこらへんは曖昧。)
 あと、キャストの皆さんの声がハマっていて、特に安冨さんの若い常一。爽やかな好青年っぽさがよく出ているなぁと感じました。眼球の記憶の塚本さんも、惹かれる声です。…声フェチか私は?w

 先述しましたが、このラジオ版の元はオペラ。
◇オペラ公式:メニコンスーパーコンサート2013:歌劇「あしたの瞳」
 演奏は新日本フィルハーモニー交響楽団。オペラとは変えてある部分がかなりあるようです。特に「フィナーレ」を聴いていて、オペラを観たいと思いました。再演希望です!

 オペラの再演もですが、その前に、劇中の楽曲を生で聴けるコンサートもあります!
新日本フィルハーモニー交響楽団:特別演奏会コンチェルタンテ・スーパー宮川彬良vs新日本フィル☆チョー年越しコンサート2013→2014
 毎年恒例の彬良さん&新日本フィルの年越しコンサート。ここで、劇中の曲も演奏、オペラのソリストも登場とのこと。どの曲なのか、出演者は不明。気になる…。

 以上、長くなりました。どうしてこんなに長くなる…。

【2013.12.20 追記】
 上記オペラ公式サイトに、公演の模様がアップされていました!
メニコンスーパーコンサート2013:歌劇「あしたの瞳」:当日の風景

 公演のダイジェストムービーを観て、驚きました。ラジオ版と全然違う…全くの別物じゃないか!!!
オケも違うし編曲も違う、演奏もたっぷりと抑揚・強弱をつけていて、熱い。彬良さんの指揮が熱い。これがライヴ、初演の熱さか。これに、物語そのものも熱さ・情熱がこもっているのだから、これは劇場で観たら自分どうなるかわからない…。ラジオ版は随分とすっきりさせていますね。舞台での生の演奏・演技と、ラジオ放送が目的の録音では鳴らし方、響かせ方、歌い方、語り方も異なりますね。
 公演の画像がほとんどなかったので、キャストのビジュアルもはっきりとわかりました。ラジオ版で映像・画像無しでずっと楽しんできたので、オペラはオペラ、ラジオ版で想像した自分のイメージは自分のイメージでたのしむことにします。
 ダイジェストムービーだけでなく、作品紹介、登場人物紹介、物語についても詳しく書かれています。しかし…、「作品紹介」で、この記事も含むこれまでの関連記事で、考えて書いてきたことがあっさりと数行で書かれてしまった…ちょっとしょんぼりです。まぁ、答えあわせという訳ではないし、自分なりの読解はこれなので、これはこれ、公式の作品紹介は作品紹介で割り切ります。
 「ストーリー」も、ラジオでは断片的にしかわからなかった情報が書いてあるなぁ。オペラでは語られた(ラジオでは省略された)のかなぁ。やっぱりオペラとラジオ版は別物な作品であると感じます。ほぼ同じなんだけど、また違う。まず、オペラとラジオ版で編曲が違う、編曲を2種類用意していたことに驚きです。とても手が込んでる。脚本も書き直したところがあるだろう。
 最後に、ダイジェストムービーで、”舞台音楽家”の彬良さんを初めて観たと感じました。テレビとも、コンサートとも違う、舞台作品の指揮をしている彬良さん。当然あの軽快でユーモアたっぷりのトークは無し。彬良さんの音楽で、その舞台の作品の世界がつくられる。その様を少し垣間見た気がしました。

 ということで、再演お願いします!馳せ参じます!
以上、長い追記ここまで。
[PR]
by halca-kaukana057 | 2013-11-19 23:33 | 音楽


好奇心のまま「面白い!」と思ったことに突っ込むブログ。興味の対象が無駄に広いのは仕様です。


by 遼 (はるか)

プロフィールを見る

S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

お知らせ・別サイト

管理人HN:(はるか)
 熱しやすく冷めにくい、何が好きになるかわからない好奇心のかたまり。このブログでは好きなものを、好き放題に語ってます。

プロフィール
*2014.9.5:更新
はてなプロフィール:遼(halca-kaukana)



web拍手を送る






日々のログ:今、ここ、想うこと
または:Twilog

はてなブックマーク
Mielenkiintoinen!

気になること、関心のある記事や参考にしたサイトなどのブックマーク集。コメント多め。

◆ピアノ録音置きブログ:Satellite HALCA

☆「はやぶさ2」、小惑星リュウグウ目指して順調に飛行中!☆
管理人・遼も小惑星探査機「はやぶさ2」を応援しています。



あかつき特設サイト
JAXA:金星探査機「あかつき」特設サイト

☆祝!「あかつき」は金星の衛星になりました☆
金星軌道上で観測準備中!

最新の記事

「しきさい」(GCOM-C)..
at 2017-09-30 23:07
超巨大ブラックホールに迫る ..
at 2017-09-18 23:48
西洋文化に触れた驚き 「遥か..
at 2017-09-03 23:01
BBC Proms(プロムス..
at 2017-09-02 17:07
土星堪能星見 + 今日は伝統..
at 2017-08-28 21:58
BBC Proms(プロムス..
at 2017-08-18 23:48
惨敗。 ペルセウス座流星群2..
at 2017-08-14 21:43
BBC Proms(プロムス..
at 2017-07-31 22:32
BBC Proms(プロムス..
at 2017-07-14 23:08
青い海の宇宙港 春夏篇 秋冬篇
at 2017-07-10 22:58

カテゴリ

はじめにお読みください
プロフィール
本・読書
宇宙・天文
音楽
奏でること・うたうこと
Eテレ・NHK教育テレビ
フィンランド・Suomi/北欧
イラスト・落描き
日常/考えたこと
興味を持ったものいろいろ
旅・お出かけ
information

タグ

以前の記事

2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
more...

検索