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「原作」の憂鬱

 「かもめ食堂」映画版と原作を読み比べてふと思った。


映像化する上で「原作」はどんな位置づけにあるものなんだろう。
そもそも、映像化にとって「原作」って何?


 小説や漫画をもとにした映画・テレビドラマ・アニメなどの映像化したものは、どこかしら元と違っている。少し違うものから、もう別物としか思えない程大部分が変えられているものまで様々だ。そして、原作と異なることで映像化された作品の評判が悪くなることも少なくない。特にベストセラーや人気の作品を映像化するのはただ単に儲けたいだけなんじゃないのかとか、その原作の世界・魅力・面白さを出し切れていないのなら映像化なんてやめればいいのにとか極端なことも考えてみる。しかし、映像化でその作品を知り、興味を持ってくれる人もいるのだから一概に否定は出来ない。また、映像化によって原作にはない面白さを表現できることもある。

 感じ方は個々人によって様々。ある人が面白くないと言う一方で、ある人は面白いと言う。これじゃあ映像化の出来で一喜一憂するなんて実にくだらないことじゃないか?個人がそれぞれの感性・好き好みで言っているだけのものなのだから。でも、それまでに読んだ作品が映像化される度に「面白いのかな?どうなのかな?」と期待と不安を抱いてしまう。



 ここで私なりの一応の答えを出すと、原作は楽譜みたいなものじゃないかと考えてみた。楽譜には作曲者が書き込んだ速度・強弱・その他表現の指定が書き込まれている。演奏者はその楽譜を見て、読み込み、演奏する。しかし、その演奏は皆どこかしら違う。100人同じ曲を演奏したとすれば、100人皆違う。編曲されることだってある。その違いは演奏者・編曲者の技術によるもの、解釈によるものがある。演奏上の指定と言っても厳密なものではないから、個々人によって微妙な違いが出てくる。でも、私たちはその違いを聞き比べて楽しんでいる。映像化する上でも、忠実に表現できない部分や放送時間の制約によって削らなければならない部分が出てくる。それを許すかどうかは原作者の判断。許されるならば、演奏する時は作曲者と話し合いながら打ち合わせることはなかなか出来ないのに対して、映像化なら出来る限り原作者の意図を理解しようと努力し、話し合うことが出来る(だろう)。原作者の意図を汲みつつ、映像化する監督や演出家、脚本家や俳優たちが解釈と試行錯誤を重ねて作品を作る。楽譜を演奏することと似ている気がする。

 そう考えると既に作曲されているものを演奏することも、元の作品から映像化することもとても難しい作業だ。原作者・作曲者の意図の中に自分の表現を加える。それによってその作品を台無しにしてしまうことだってあるし、反対により面白くすることもある。聴衆・観衆はその結果にああだこうだと言い続ける。だが、観衆・聴衆の意見に媚びた作品を作ったとしてもそれは面白いとは思えない。かといって原作を台無しにして新たなものを作っても、それは満足できるものと言えるだろうか。原作者・作曲者がその作品にこめる思いや元々の良さ・魅力を大切にし、自分の求めるものをバランスよく織り交ぜ、なおかつ損なうことなく表現している作品に出会うととても嬉しくなる。そういうことが出来るプロを改めて凄いと思う。


 原作と異なる映像化が是か非か。その答えは出ない。原作者に委ねられるということも出来る。こんなことを書いても、やっぱり映像化された作品によっては「原作とここが違う」「原作の方が面白かった」と思わずにはいられないだろう。ただ、この文章を書きながら思ったのは「原作との違いを挙げるだけじゃなく、その映像化されたものそのものの良さを味わうことが出来るように感覚を磨いていきたい」ということ。観る・聴く私自身もうわべだけで判断するようなことはしたくない。作っている側が真剣なら、見る・聴く側も真剣で誠意ある態度でその作品に臨みたい。もっと多くの作品を純粋に楽しむためにも。
by halca-kaukana057 | 2006-10-09 15:44 | 日常/考えたこと

好奇心のまま「面白い!」と思ったことに突っ込むブログ。興味の対象が無駄に広いのは仕様です。


by 遼 (はるか)
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