2006年 11月 25日
氷山の下に隠れているもの
みなみさんのブログを読んで、色々考えたことを。
「ゆっくり弾こう:何を聴きに行くんだろう」
この話はとある音楽コンクールを聴きに行こうとしているある人の会話に始まる。その人たちの会話の部分で私もみなみさんと同じ疑問を抱いた。
この引用した部分だ。勿論、3次には選ばれた人しか出られない。みなみさんによれば、1次ではミスだらけの演奏をした人もいたようだ。確かに、「上手い」演奏は聴きたい。卓越した技巧や表現をこの目で見、この耳で聴きたい。でも、ミスだらけの演奏は聴く価値がないと言い切ってしまっていいのだろうか。
ちょっと話は変わるが、先日感想を書いた重松清「小さき者へ」に収められている「三月行進曲」にこんな部分がある。少年野球の監督をしている主人公が、チームの少年3人を春の選抜が行われる甲子園につれて来た。開会式が始まり、選手たちが入場してくる。そのシーンを主人公は子どもの頃から何度もテレビで見た。甲子園で見るのは初めてだ。その入場行進を見ながら、主人公は子どもの頃に思ったことと今考えることが違うことに気がつく。
子どもの頃は行進する選手しか見ていなかったが、大人になった今は甲子園に来ることが出来なかった選手たちのことを思う。行進する選手一人一人を食い入るように見ながら、この場にはいない何万人もの選手の姿を思い浮かべる。
その時、主人公たちの後ろの席にいた応援団に気がついた。出場している代表校の応援団だ。行進している選手と同じユニフォームを着た、ベンチ入り出来なかった選手たちもいる。彼らを主人公が連れてきた少年の一人・ジュンは見つめていた。ジュンは力のあるピッチャーだが意地っ張りで人の失敗を許すことが出来ない。いつもの彼ならばベンチ入りも出来ないくせに盛り上がるな、と言うのだろうが今日は何も言わなかった。
甲子園に来ることが出来るのは、ほんの一握りの選手たちだけ。その中からさらに、ベンチ入りできる選手が選ばれる。野球だけじゃない。スポーツであれ、音楽であれ、ブログであれ…、何であれひのき舞台に上がることができるのはほんの少しの人間だけ。負け、苦汁をなめる人々の方が明らかに多い。水面上に見えている部分の下には、とても大きな部分が隠れている。では、その氷山の下に隠れている人々の持つものは大したことがないのだろうか。彼らの努力は水の泡なのだろうか。
私はそんなことはないと思う。技術は劣っていると言われても、至らない部分ばかりでも、時にハッとさせるプレーや演奏をする人、文章を書く人だっている。苦しみもがきながらも、心を打つメッセージをこめて試合や音楽、文章などに打ち込む人もいる。そういう人が、氷山の下に隠れている。一つのものさしだけでは判断できないものが、氷山の下に埋まっている。私も知ることのない何かが。それを発見する機会があるのに、無視し見過ごすのはもったいないと思うし、残念に思う。
先日「クインテット」に見る演奏者の苦悩についての記事で「私は人間の感情がこもった演奏が聴きたい」と書いた。勿論、3次・本選に残るような演奏者の演奏に感情がこもっていないわけではない。きっと表現力豊かな演奏から、満ち足りた演奏者の感情を感じることが出来るのだろう。でも、1次で落ちた人、もしくはこのコンクールに出ることが出来なかった演奏者たちが感情のこもった演奏が出来ないとは思わない。ミスだらけの演奏からだって、その演奏者が今感じているであろう不安と焦りが強く伝わってくるはず。演奏者としては未熟かも知れないが(それは私が判断することじゃないが。そんな判断を私が下せるとは思わないし、言い切りたくない)、一人の人間として音楽を通じて何かを伝えたいと強く願っている想いを私は受け取りたい。
氷山の下に隠れているものを全て見るのはとても難しい。でも、出来る限り触れていきたい。そしてその見えないものを見るために、感覚を研ぎ澄ませたい。
そのためには、知ったかぶりとか、知識だけを振りかざして考えたことは何にもないとか、そういう見栄をはるようなことはしたくないなぁ。大多数の意見に流されたり、誰かが貶していることに同調して見下し自分を偉そうに見せることとか。評論家ぶることも。時々、そういうことをしようとしている自分もいることがあると認める。そんな時に、この記事のことを思い出したい。
<関連記事>
・「小さき者へ」
消化しきれていないが、その先日書いた感想。
・「クインテット的、演奏者の苦悩」
NHK教育テレビ「クインテット」のヴァイオリニスト・アリアさんに見る、演奏者が感じるであろう苦悩と、それを反映させた演奏について考えたこと。ただし、深読み気味。
「ゆっくり弾こう:何を聴きに行くんだろう」
この話はとある音楽コンクールを聴きに行こうとしているある人の会話に始まる。その人たちの会話の部分で私もみなみさんと同じ疑問を抱いた。
「え? なんで1次から行ってるの?すごいねー! なかむらともこさんだっけ?だれだっけ?も来てるんだよね?」
(中略)
会場につくと満員。 座る席もほとんどなし。2次1次はガラガラだったのに、3次になると満員になるの?
この人たち何を聴きに来てるんだろう。選抜された卓越した演奏だけ聴きたいの?
(中略)
お上手な演奏だけを聴く人たち。 何を求めているのか私には分からない。
この引用した部分だ。勿論、3次には選ばれた人しか出られない。みなみさんによれば、1次ではミスだらけの演奏をした人もいたようだ。確かに、「上手い」演奏は聴きたい。卓越した技巧や表現をこの目で見、この耳で聴きたい。でも、ミスだらけの演奏は聴く価値がないと言い切ってしまっていいのだろうか。
ちょっと話は変わるが、先日感想を書いた重松清「小さき者へ」に収められている「三月行進曲」にこんな部分がある。少年野球の監督をしている主人公が、チームの少年3人を春の選抜が行われる甲子園につれて来た。開会式が始まり、選手たちが入場してくる。そのシーンを主人公は子どもの頃から何度もテレビで見た。甲子園で見るのは初めてだ。その入場行進を見ながら、主人公は子どもの頃に思ったことと今考えることが違うことに気がつく。
子どもの頃は行進する選手しか見ていなかったが、大人になった今は甲子園に来ることが出来なかった選手たちのことを思う。行進する選手一人一人を食い入るように見ながら、この場にはいない何万人もの選手の姿を思い浮かべる。
その時、主人公たちの後ろの席にいた応援団に気がついた。出場している代表校の応援団だ。行進している選手と同じユニフォームを着た、ベンチ入り出来なかった選手たちもいる。彼らを主人公が連れてきた少年の一人・ジュンは見つめていた。ジュンは力のあるピッチャーだが意地っ張りで人の失敗を許すことが出来ない。いつもの彼ならばベンチ入りも出来ないくせに盛り上がるな、と言うのだろうが今日は何も言わなかった。
甲子園に来ることが出来るのは、ほんの一握りの選手たちだけ。その中からさらに、ベンチ入りできる選手が選ばれる。野球だけじゃない。スポーツであれ、音楽であれ、ブログであれ…、何であれひのき舞台に上がることができるのはほんの少しの人間だけ。負け、苦汁をなめる人々の方が明らかに多い。水面上に見えている部分の下には、とても大きな部分が隠れている。では、その氷山の下に隠れている人々の持つものは大したことがないのだろうか。彼らの努力は水の泡なのだろうか。
私はそんなことはないと思う。技術は劣っていると言われても、至らない部分ばかりでも、時にハッとさせるプレーや演奏をする人、文章を書く人だっている。苦しみもがきながらも、心を打つメッセージをこめて試合や音楽、文章などに打ち込む人もいる。そういう人が、氷山の下に隠れている。一つのものさしだけでは判断できないものが、氷山の下に埋まっている。私も知ることのない何かが。それを発見する機会があるのに、無視し見過ごすのはもったいないと思うし、残念に思う。
先日「クインテット」に見る演奏者の苦悩についての記事で「私は人間の感情がこもった演奏が聴きたい」と書いた。勿論、3次・本選に残るような演奏者の演奏に感情がこもっていないわけではない。きっと表現力豊かな演奏から、満ち足りた演奏者の感情を感じることが出来るのだろう。でも、1次で落ちた人、もしくはこのコンクールに出ることが出来なかった演奏者たちが感情のこもった演奏が出来ないとは思わない。ミスだらけの演奏からだって、その演奏者が今感じているであろう不安と焦りが強く伝わってくるはず。演奏者としては未熟かも知れないが(それは私が判断することじゃないが。そんな判断を私が下せるとは思わないし、言い切りたくない)、一人の人間として音楽を通じて何かを伝えたいと強く願っている想いを私は受け取りたい。
氷山の下に隠れているものを全て見るのはとても難しい。でも、出来る限り触れていきたい。そしてその見えないものを見るために、感覚を研ぎ澄ませたい。
そのためには、知ったかぶりとか、知識だけを振りかざして考えたことは何にもないとか、そういう見栄をはるようなことはしたくないなぁ。大多数の意見に流されたり、誰かが貶していることに同調して見下し自分を偉そうに見せることとか。評論家ぶることも。時々、そういうことをしようとしている自分もいることがあると認める。そんな時に、この記事のことを思い出したい。
<関連記事>
・「小さき者へ」
消化しきれていないが、その先日書いた感想。
・「クインテット的、演奏者の苦悩」
NHK教育テレビ「クインテット」のヴァイオリニスト・アリアさんに見る、演奏者が感じるであろう苦悩と、それを反映させた演奏について考えたこと。ただし、深読み気味。
by halca-kaukana057
| 2006-11-25 16:44
| 日常/考えたこと