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ピアニストという蛮族がいる

 ruvhanaさんのブログで見つけた本。ピアニスト・中村紘子さんによる、ピアニストノンフィクション。ピアニストから見たピアニストって、どう見えるんだろう?

ピアニストという蛮族がいる
中村 紘子/文春文庫・文藝春秋社/1995(単行本は1992)

 この本を読んでまず感じたこと。ピアニストとはなんて哀しく辛く、ひたむきでけなげで、かつ滑稽で大真面目な生き物なんだろう(ピアニストに限らず、音楽家全般に言えることかもしれない)。この本で紹介されている古今東西のピアニスト…ホロヴィッツにラフマニノフ、パデレフスキー、ミケランジェリ…、そして2人の日本人ピアニスト・幸田延と久野久。彼らの生き様を読んでいて、複雑な気持ちに襲われた。私たちは素晴らしい演奏を求めてピアニストたちの演奏を聴く。プロであれアマであれ"音楽評論家"たちはその演奏をああだこうだと論評し、人気ピアニストにはファンが群がる。しかし、その内面でピアニストたちは何を考え、どう生きてきたのだろう。この本を読んで、ピアニストも一人の人間であったと感じずにはいられない。当然のことで、世界中のピアニストの方々には失礼な言葉になってしまうが、ピアニストにも音楽・演奏以外の生活の時間があり、家族関係があり、人間関係があったことを、私は忘れてしまっていた。

 CDに収められた演奏も、コンサートでの演奏も、そのピアニストにとっては"ピアニスト人生"の一場面でしかない。いくら上手いピアニストでも、全く同じ演奏は二度と出来ない。その二度とない、人生の一場面でしかない演奏を聴いて私たちは一喜一憂している。ただ、その一瞬の演奏がどんなに重いものか、彼らは知っている。コンサートであれ、録音であれ、自分の前に聴衆がいて、自分の演奏を待っていることをよく知っている。だからこそ大真面目に、一般人から見れば滑稽で変な行動をとりつつ、時に神経をすり減らしてまでピアノに向かい、一度きりの演奏に臨む。その姿があまりにも哀しく、あまりにもけなげに感じられる。


 不安定な精神と、大指揮者トスカニーニの娘である妻・ワンダに振り回され続けたホロヴィッツ。今、ホロヴィッツのベートーヴェンを聴きながらこの記事を書いているのだが、演奏からはこの本に書いてあるようなことは感じられない。滑らかで優しく、でも力強く雄弁な演奏にため息が出る。この演奏を録音した時、ホロヴィッツは何を考えていたのだろう?辛くは無かったのだろうか。そんなことを考えてしまう。以前「演奏を聴いてその人間のことがわかる」という意見に納得できなかったことがあったが、やはり私は納得できないと、ホロヴィッツの演奏を聴いて感じる。

 この本の中で最も衝撃的だったのが、明治・大正時代の日本人女性ピアニスト・幸田延と久野久のことだ。明治の文明開化と共に日本人最初のピアニストとなった幸田延。最初の"純国産ピアニスト"となった久野久。彼女たちが開拓した日本のピアノの歴史。その開拓は悲劇の連続だった。西洋クラシック音楽なんて一度も聴いたことが無いのに(コンサートもレコードも無い。この本の中でも触れているが、伊藤博文がリストを一回でいいから日本に連れてきて欲しかったと私も思う)、西洋音楽に圧倒され、のめりこみ、大海原に飛び込んだ2人。日本の西洋音楽の先駆者となったはいいが、彼女たちの生き様は満ち足りたものではなかった。ウィーン留学で身につけた自立精神が、男尊女卑の残る明治時代の日本で攻撃の標的となった延。幼い頃に持った足の障害に加え、ヨーロッパ留学で文化的にもピアノの技巧・表現的にも徹底的に打ちのめさせられた久。現在、日本で一番ポピュラーな楽器となったピアノ。その原点となった2人の重すぎる苦労があったからこそ、今こんな私でものんびりとピアノを弾いていられるのだろう。延と久に対して、申し訳ない気持ちと感謝の気持ちで一杯だ。


 中村さんはこの本の中で、
「社会との健康的なつき合いが才能ある人間ほど少なくなってしまうため、一般の常識からみれば、どこかピントの狂った頓珍漢が多いのである。ゆめゆめピアニストなんぞを女房にするものではない」(286ページ)
と言っている。とは言え、そんなトンチンカンな部分も含めて、ピアニストは人間として魅力的だと思う。血のにじむような努力を続けるピアニストたちに比べたら、私は「お気楽ゆとりヘボピアノ弾き」("ピアノ弾き"であって"ピアニスト"ではない)とでも言おうか。これからも、そんな哀れで滑稽でけなげな部分も全部ひっくるめて、ピアニストたちの演奏を楽しみ、学んでいけたらと思う。ピアノを弾く方、ピアノじゃなくても楽器を演奏される方、音楽を愛する方全てにお薦めいたします。

 ruvhanaさんの記事はこちら。
「ソナチネに毛が生えた:『ピアニストという蛮族がいる』」
by halca-kaukana057 | 2007-10-17 22:31 | 本・読書

好奇心のまま「面白い!」と思ったことに突っ込むブログ。興味の対象が無駄に広いのは仕様です。


by 遼 (はるか)
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