カテゴリ:奏でること・うたうこと( 148 )

続・伴奏じゃない、ともに奏でること

 久しぶりに声楽レッスンで思ったこと、気づいたこと、感じたことを。

 以前書いたこの記事:伴奏じゃない、ともに奏でること
 この記事ではチェロとピアノ、「チェロソナタ」だけど、ピアノが伴奏だけになっていないことについて書きました。

 コンコーネ50番練習曲も、イタリア歌曲集でも、最近のレッスンでピアノと「一緒に歌う」ことを意識させられています。コンコーネ50番練習曲は全部で50曲あるのですが(ピアノのツェルニー100番・30番練習曲でも、ブルクミュラー25の練習曲でも、タイトルに曲数が出ていますね)、中盤に差し掛かってきました。だんだん難しくなってきています。音の跳躍やリズムも複雑。シンコペーションが苦手だったことを思い知った曲もありました。コンコーネは何が苦手なのかをあぶりだしてくれるいい曲集です(コンコーネ好きですよ~)。

 今取り組んでいる曲に共通していることは、ピアノ伴奏がない箇所が課題だということ。イタリア歌曲集の中でも、他のシューベルトやシューマンなどのドイツリート(先生の許可が下りません…)、様々な歌曲では、伴奏のメロディーと歌のメロディーが一致しない曲が多い。ピアノは休符・お休みしていたり、和音は一応歌のメロディーに合っているのだけどピアノも複雑な演奏をしていたり…。歌曲もオーケストラの協奏曲のような部分があるのだなと感じます。
 ピアノ伴奏がない箇所では、音が取りにくい。音は合っている(ドならド)けど、微妙なピッチが合っていない・揺らいでいることがよくあり、指摘されます。これまで音楽の演奏はピアノだけやってきて、ピアノはドの鍵盤を押せばドの音が出る。ひとつのピッチのドしか出ない。でも、ヴァイオリンなどの弦楽器なら、同じドでもピッチを微妙に変えられる。ドにも範囲がある。声楽も同じように、ドにも範囲があり、微妙に揺らいでいる。この揺らぎは音が不安定になるので、安定したピッチの音を出すことが求められる。ピアノ伴奏がドを出していれば、歌うほうもドの声を出しやすい。でも、苦手な音域…私の場合高い音域や跳躍する音になると、ピッチが揺らいでしまいがち。そこに伴奏がないと思い切り外してしまうこともある。自分では準備をして、「いくぞ」と心の中で思いながら臨むのですが…外してしまうと「ああ、うまく出なかった…」残念です…。

 ピアノ伴奏がない、つまり、歌手の歌のみせどころ。聴かせどころ。強調するところ。自分の声だけで、どう演出するか。どう響かせるか。課題です。
 反対に、前奏や間奏、メロディーの合間などのピアノだけの箇所も、歌っている側はお休みしているだけでない。そこもその音楽、作品。特にメロディーのちょっとした合間は大事にしたいと思っています。
 また、前の記事でも書いた通り、ピアノ伴奏も弾けなくても読めないとダメだなと実感しています。歌のリズムが難しい場合、ピアノ伴奏にヒントがあることが多い。ピアノ伴奏と歌がどう絡んでいるのかも、その曲を読み込み、どう歌うかを決めるポイントになる。ピアノをひとりで弾いてきたのとは違う感覚です。似ているけど、ちょっと違う。

 ピアノはただの伴奏じゃない。歌も伴奏に頼ってばかりでもダメ。そんな課題に今ぶち当たっています。

 あと、声楽に関して思ったことを箇条書きで。
・歌っている時、歌いながら指揮のようなことをしたくなりますwリズムが難しい曲は手で脚を軽く叩きながらリズムを取っていることも多いのですが、声の強弱や質感、雰囲気など、オーケストラの指揮者のように指揮を自分自身にしたくなります。楽譜にも書いているのですが、指揮のようなことをしたほうがわかりやすいかな、と。実際やってみるとハマる。ピアノだと両手がふさがっていたのでそんなことは出来ませんでしたが、声楽なら手は空いています。声楽をはじめて、ピアノだけではわからないことが色々と見えてきました。勿論、家での練習だけで、レッスンではやりませんw無意識に小さく振ってしまうことはあります。あと、オペラのように簡単な振り…手の動き程度のことも入れてしまうこともあります。声楽はより身体でも表現する音楽ですね。

・最近、声楽付きの交響曲や管弦楽曲を聴くことが多いです。声楽付きの交響曲…シベリウスの「クレルヴォ」交響曲(交響曲に入るのか、入らないのか、と論議はありますが)、「ルオンノタール」、マーラーの交響曲第2番や第3番(今まで敬遠してきたのですが、聴くといつの間にか楽しんでいて、聴けるようになってきました!)、グリーグの「ペール・ギュント」の「ソルヴェイグの歌」などなど。声楽付きの古楽、モーツァルトやフォーレ他の「レクイエム」のような宗教曲も。オペラ、オペラアリア抜粋とはまた違う、歌の可能性を感じます。
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by halca-kaukana057 | 2015-10-15 23:26 | 奏でること・うたうこと

母国語の歌ほど難しい

 最近の声楽レッスンから。これまで、「イタリア歌曲集」1巻(全音の)からイタリア語の歌曲を歌ってきましたが、現在は日本語の歌…誰もが知っている唱歌を歌っています。声楽を選んだ理由のひとつが、NHK教育(Eテレ)「クインテット」で絶妙なアレンジと抒情的・楽しそうな歌声の童謡・唱歌を聴いて、アリアさんやシャープ君のように歌えたらな、という動機でした(とは言え、私の声域はアリアさんのような高さはない。シャープ君より少し高めか?)。今、私が歌っている歌は、「クインテット」では歌われたものではなかったのですが…(ドラマパートの冒頭でさらっと演奏はされました。それで惹かれたという…一体どういう動機だw)

 レッスン前に一人で練習して、レッスンに臨んだら…直されまくりでした。
 まず、発音。母国語だから簡単と思いきや、普通に話す発音と声楽的歌い方の発音は微妙に違う。しかも、これまでイタリア語の歌を歌ってきて、レッスンでも毎回コンコーネ50番練習曲をイタリア語発音の音名(ドレミ)で歌っているので、発音がイタリア語とごっちゃになっているところもあります(滝汗)。歌になると日本語なのに聞き取れない、ということがありますが、明瞭に、でも曲の流れや雰囲気を壊さない歌い方で日本語の歌詞を歌う。出来ているはずのことをまず直されて、驚きました。

 次に、歌詞と曲の流れ。歌詞の言葉の意味、単語のつながり、詩として強調するところ、つなげるところはどこか…。これも当たり前のようですが、何箇所も指摘されてしまいました。
 歌として歌う前に、詩として読み解く。どこがひとまとまりで、強調すべきところはどこか。込められた情景や想いをイメージする、「深読み」する。

 そして、曲が付いて、その曲のメロディーや和音、音のつながりが、詩とどう呼応しているのか。楽譜にブレス(息継ぎ)が合っても、全てのブレスをただ切ればよいのではなく、詩の流れから響かせたまま繋げるところもある。詩の流れがひとまとまりのところはブレスも無く一息で。なかなか苦しい…やったことは無いのですが肺活量勝負の管楽器と同じだなぁ、と感じました。

 ただ美しく歌うだけではだめ、というのも実感しました。
 思えば「クインテット」でも、そんなところに惹かれたのだった。美しく歌うことよりも、詩と曲から何を伝えようとしているのか、歌に込められたものが音楽だけでなくイメージや雰囲気、絵として伝わってくる、そんな歌に惹かれたのでした。
 「クインテット」ではしゃべらなかったアキラさん・宮川彬良さんが、他の番組やコンサートで、詩から情景を読み解き、曲がその詩の魅力や伝えたいことをどう表現しているのか解説「深読み」していましたが、レッスン後、まさにそれだと思いました。

 イタリア歌曲では発音と、激しい感情をたっぷりと表現する歌詞、歌詞は激しくても曲は穏やかだったりする不思議な美しさに難しさを感じていました。が、歌い続けていると慣れてきて、普段なら絶対言わない(言えない)ようなことも外国語だし、情感たっぷりに歌っています。
 一方の日本語、母国語の歌。古語もあるので、勉強する必要はある。だが、何を歌っているのかはわかる。わかるからこそ、ではそれを伝える歌い方とはどんな歌い方だろうか?と考える。より繊細な技術(発声、ブレスなど)も表現も要求される。最初は自分から、「次はこれを歌いたいです」と持って行った曲だったのが、まさかこんなに難しいとは!でも、やはり母国語の歌は歌いたかったので、練習します。



*****
 最後に、声楽関係で最近思ったこと。私は、まだまだオペラという芸術、表現をわかっていない。慣れていない、親しめていない。歌曲や、オペラアリアを単独で歌う・聴くことで精一杯だと感じています。本当に難しい。交響曲(年代・時代や作曲家、作品にもよりますが)よりもずっと難しい。あと、オペラの物語に親しめないのもあるのだろうな…。
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by halca-kaukana057 | 2015-02-09 21:19 | 奏でること・うたうこと

伴奏じゃない、ともに奏でること

 先日、チェロとピアノの小規模なリサイタルに行ってきました。その時思ったことを。

 プログラムはチェロソナタが3作品。「チェロソナタ」というからには、主役はチェロでピアノは伴奏。でも、この時の演奏では、「ピアノは伴奏」なんて言えない、と感じました。ピアノもソロの部分もあり、主張し、チェロを引っ張り、会話し、競い合う。ピアノにも魅せられました。普通、このような演奏会ではピアノのふたは閉じているのですが、ピアノソロのリサイタルと同じようにふたは開いていました。チェロの演奏がピアノに負けていない、とても力強いのにやわらかく、奥深い音色でした。

 特に素晴らしいなと思ったのが、ベートーヴェンのチェロソナタニ長調Op.102-2。協奏、競演、共奏…そんな言葉が浮かびました。3楽章のピアノのメロディーをチェロが追うのが面白い。引き立て合い、競い合っている。ピアニストさんがチェリストさんの動きをよく見ていて、呼吸もぴったり。いい演奏を聴けました。

 ピアノを演奏していた頃は、伴奏もメロディーも全てひとりで演奏していました。楽譜を読み込み、ここがメロディーパートで伴奏も内声と低音に分かれて…。きっとメロディーはこの楽器、伴奏はこの楽器なのかなと想像したり。でも、それを実際にピアノで、ひとりで演奏で表現するのはとても難しいことでした。

 今は声楽で、歌と伴奏ではっきり分かれています。そのピアノ伴奏を、私はどの程度と思ってきただろう?リサイタルの後、レッスンや練習のことを考えました。ただ歌を支えるものとしか思っていなかっただろうか。ピアノ伴奏もひとつのパート。合唱のピアノ伴奏は、歌の声部の他に存在するもうひとつのパートと捉えてきました。声楽、ソロだって同じ。歌だけが主役じゃない。ピアノ伴奏を聴いていて、純粋にいいピアノだなと感じます。この低音があるから歌が引き立つ、歌と競うような魅せ場がある、前奏や間奏はピアノの独壇場。これまで、自分が歌うことで必死でしたが、自分が歌うためにはもっとピアノをよく聴いて、ピアノの楽譜も弾けなくても読むぐらいはして、ピアノと一緒に奏でるように歌いたいと、このリサイタルを聴いて思いました。

 ひとりで演奏していたのではわからないことに出会えました。

・関連過去記事:音楽を共有すること
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by halca-kaukana057 | 2015-01-27 22:10 | 奏でること・うたうこと

音楽を共有すること

 このカテゴリで書くのは1年以上ぶりです。しかも、カテゴリ名が変わりました。変えました。その経緯などを、これから書こうと思います。

 まず、ピアノを弾くことから、ずっと離れています。たまに、ブルクミュラー25やシューマン「見知らぬ国々」などを軽くさらう程度。後述するソナチネアルバムや、シューマン、シベリウスの他に、弾いてみたいと思う曲が何曲か合って、黙々と練習していたこともありました。が、続かず、未完成のままです。練習がだんだん退屈に思えてくる…。かつての、楽譜と鍵盤に食い入るように練習して演奏いていたあの熱心さ、情熱はどこへ行ってしまったのだろう…。

 思えば、転機となったのが、腕の手術と、ブルクミュラー25を終えてソナチネに入ったこと。腕の手術を受け、しばらくピアノを弾けず、練習から離れたこと。ブルクミュラーとは性格も形式も異なるソナチネアルバムを始めたはいいが、最初のクレメンティ7番から壁にぶち当たってしまった。簡単そうに見えるのに弾けない。どう弾いたらいいのかわからない。次にクーラウ4番に進み、クレメンティ7番よりは親しみやすいなと感じたのですが、やはりソナチネは何か違う。ならば大好きなシューマン「ユーゲントアルバム」…シューマン先生、難しいです。指遣いや響かせ方が単純じゃない。ずっと弾きたい憧れの曲である、シベリウス「樅の木」…まだ手が届きません。こうして、どんどんピアノから遠ざかっていきました。

 でも、ピアノからこのまま遠ざかる、離れる、さよならするのもかなしい。部屋には子どもの頃から弾いてきたピアノがある。弾かないままなのも勿体無い、かわいそう。そう思って、ピアノに向かうのですが、演奏しようと思って楽譜を開いても、何も出て来ず、そのまま蓋を閉めてしまうことばかりでした。

 でも、音楽は好きだ。クラシックからポップスまで。それは変わりませんでした。昨年あたりから、これまで長い、何を歌っているのかわからない、物語に馴染めない…と敬遠してきたオペラも聴き始め、今年は声楽全般強化年になりました(続行中)。さらに、以前は苦手意識のあったフランス近代ものも、フォーレをはじめとして聴いています。フォーレでも、「レクイエム」や宗教曲、歌曲と声楽曲を中心に聴いています。

 去年あたりから、ピアノのレッスンを受けてみようかと考えていました。子どもの頃は大手の教室に通っていた。教室・先生選びや体験レッスンを受ける時のことを、ピアノレッスンを受けているネットで知り合った方々に質問し、アドバイスをいただきました。しかし、ピアノ教室は大手から個人まで結構ある。体験レッスンを申し込むのもなかなか勇気が出ず…結局受けずにそのまま昨年が過ぎてしまいました(アドバイスしてくださった皆様、ありがとうございます。そして、ごめんなさい)

 そして今年に入ってから、ピアノが難しいなら、今まで興味はあったけどやったことのないものを一からやってみたらどうだろう。逆に、ピアノをやっている人は多いから、ピアノよりも別なものをやりたい(天邪鬼)。そう思って、何をやりたいか…と出てきたのが、うたうこと。オペラや声楽曲を聴いて、同じ人間なのに、どうやったらあんな声を響かせられるのだろう?自分の身体そのものが楽器になるって、どういうことだろう。歌うのは元々好きです。運転中に好きな音楽を聴いて、合わせて歌うことも多いですし(でも安全運転で)、カラオケも好きです(ただしひとりカラオケ・ヒトカラ。なかなか友達と都合が合わない、そして歌う歌がマイナーな曲が多い…)。ポップスもいいけど、マイクなしで大きなホールに声を響かせる声楽に興味がありました。合唱も興味があったのですが、一からボイストレーニングも受けてみたい。音楽の基礎となるソルフェージュにもなるだろう。声楽の教室は少なく選択肢がほとんど無かったので、すぐに決まりました。体験レッスンでも、この先生の元でレッスンを受けてみたい、と思えました。

 というわけで、今は声楽をやっています。練習曲のコンコーネ50番と、イタリア歌曲集をメインに歌っています。声の大きさには自信がありましたが、「大きな声」と「響く声」は全く違うことに、発声を一からやってみて気付きました。息の吸い方、吐き方、響かせ方、姿勢、使う筋肉、口の開け方、発声する際のイメージ。声のトーン、ピッチ、表情。まだはじめて1年経っておらず、うまくいかず戸惑うことも少なくありません。最初の頃は、高音はよくひっくり返るし、かすれる、安定しない。ピアノはその鍵盤を押せばその音が出る。声楽は、弦楽器と同じでその音は出せていても、ピッチという触れ幅がある。ピッチが少し違うだけで、全くその歌の表情が変わってしまう。ずっとピアノだけやって来たので、難しいけれどもとても新鮮でした。今は、イタリア歌曲集(全音の第1巻)を歌っています。ヘンデルの「Ombra mai fu(オンブラ・マイ・フ/なつかしい木陰)」など。イタリア語の発音もまだまだこれからです。イタリアものはこれまでほとんど聴いてこなかったので、最初はその明るさが眩し過ぎて慣れませんでしたが、探すとイタリア歌曲やオペラアリア、イタリア民謡にも様々な曲があることを知って、面白いなと思っています。
 でも、いつかはやりたいドイツリート。そして北欧もの。やっぱり北の音楽に惹かれますw

 発表会もあり、1曲歌う機会がありました。ピアノ演奏ではないけれど、人前で演奏するのは何年ぶりだろう…。発表会まで、細かい修正が続きました。そして、声楽はピアノ以上に体調に気をつけなければならない。風邪を引くなんて言語道断。自分の身体が楽器になるということは、体調そのものが演奏にあらわれてしまうことなんだと実感しました。
 発表会は、高音が少々かすれたところがありつつも、無事に歌いきることができました。曲に合わせた歌い方も出来たと思っています。そして、他の方々の演奏を聴くのも楽しかった。普段は個人レッスンなので、会ったことのない方ばかり。曲も違えば、声域も違う。声質も違う。同じピアノでも、弾く人によって音色は変わりますが、声楽はその人の声が楽器になる。人それぞれ声域も声質も異なる。その幅広さと深さが楽しかった。クラシックだけで無く、ポップスを歌う人、合唱もあり、また、ピアノや他の楽器もあり、自分が歌う以上に、聴くのが楽しかった発表会でした。

 その発表会の後、私が発表会で歌った歌を、他の生徒さんが歌いたい!と歌っている、と先生から聞きました。私も、他の生徒さんの歌もいいな、いつか歌いたいな、と思っていました。また、先生と先生の音楽仲間さんたちのコンサートを聴く機会もあり、憧れの歌も聴け、モチベーションが上がりました。

 以前、ピアノを一人で弾いていた頃。とにかく弾きたい一心で、レッスンに通えなくてもいい、誰も聴いてなくてもいい。そうして一言で言うと「独学」を選び、自分と楽曲・楽譜・作曲家の一対一で向き合いながら演奏するので十分だと思っていました。その分、自分の演奏には極限まで客観的に向き合う。わからないことがあったら「適当」で終わらせない。それで、ひとりで練習・演奏しても、カバーできると思っていました。

 その一方で、レッスンや練習オフ会などを心の奥で本当に羨ましいと思っていました。今でも、羨ましいと思っています。そんな環境が、直々に会って演奏し合える仲間が近くにいるのが羨ましい。演奏する曲も皆レベルが高くて、よく自分を見失っていました。過去の記事に、そんな自分を見失い、立ち上がり、また迷い…の過程が記されています。そんな過去の自分は、随分と意地を張っていました。置かれている環境…ひとりで演奏するしかない状態だったから、それでもやるんだ!、と強く思わないとすぐ折れてしまうから。熱心だったけど、腕の手術で少し離れた時期もあり、ソナチネに入って勝手が変わり、壁にぶち当たったところで折れた。

 今、ようやく、意地張っていた、頑なになっていた自分に気付きました。確かに、確固たる意志を持っていないと保てない状況だったけど…。他者を羨ましいと思いつつも、拒否している部分もありました。レッスンを受けている人には、仲間にいつも囲まれている人には、この私の置かれている状況、孤独なんてわからない。理解されてたまるか。私はひとりでも、ひとりだからこそ、自分に向き合って演奏するんだ。でもその演奏は、行き場がありませんでした。ブログに練習記録や録音をアップしても、そこが着地点ではありませんでした。

 今は、誰かと共有する音楽もいいなと思っています。一人で演奏したり、演奏会やCDを聴くのも、もちろんいい。ソロで演奏する時も、誰かと合わせる時も、聴く人がいる時も、音楽は特定の人がいるいないに関わらず、誰かに向けて演奏している。声楽は、基本的に伴奏がいないと歌えない。伴奏も共有。共有して、先生や聴いている人たちの反応を受け取って、音楽はまた深く広くなるのかな、と声楽レッスンや発表会などを通じて、思えるようになって来ました。特に、歌は、外国語であっても、雰囲気で伝わるものがある。発表会前、どうしたら、どう歌ったら、聴く人にこの歌に込められているものを伝えられるだろう。勿論、基礎基本の発声も大事。でも、歌の意味を頭に入れて表現を考えることで、発声も変わってくる。おのずとついて来る。先生にそうアドバイスされ、考えながら練習していました。

 先日感想を書いた「BBCプロムス ラスト・ナイト・コンサート2014」。指揮のサカリ・オラモのスピーチに、こんな内容のものがありました。
音楽は(中略)聴く者にとっては世界共通の言語です。
(中略)
物事を見る目を養い、人の心を癒します。
音楽は驚くほどの速さで人に伝わり、心の奥底にある感情に訴えかけます。
だから私たちは、こうして集まるのです。

 音楽は、共有してもっと楽しくなる。その時しか奏でられない、聴けない(録音録画しても、その時の空気感や熱気、雰囲気までは完全に伝えきれない)音楽を、共有したい。自分が演奏して聴いた人は違うことを思うかもしれない。その逆もある。それでもいい。その異なる想いも共有したい。

 ピアノは、今は声楽の練習の際に音を取る時に使っています。「演奏する」というものではありません(ごめんよ)。今は、声楽だけで精一杯なので、とにかく歌います。でも、発表会でピアノも聴いていいなと思ったので、またピアノを弾くこともあると思います。今度ピアノを弾く時は、意地を張らないように。

 声楽のレッスン記録は基本的に書きません。練習中の曲についても書きません。後でさらりと書くかもしれません。ただ、レッスンで学んだ面白いことや、何か気がついたら書きます。

 これが、今の私の奏でている音楽です。こうやって書くこともまた、共有ですね。
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by halca-kaukana057 | 2014-12-22 23:41 | 奏でること・うたうこと

基礎練習と理論勉強の大切さと習うこと

 久々にピアノカテゴリ。と言っても、練習記録ではありません…(かなしいことに)
 twitter経由で、興味深いツイートを読みました。

Togetter:モビゾウさんの基礎についての一連のツイート
 娘さんのピアノレッスンで、基礎を学ぶ大切さについて書かれています。特に印象に残った部分を引用します。

 最初はあまりにリジッドに理論勉強をするので、もう少ししたら辞めさせようかなあと思っていたのだけれど、なるほど、基礎理論の勉強というのをしないと、ピアノはいつか必ず行き詰まるということが分かった。そして、私が弾けなくなった時点で娘のピアノも頭打ちである。
 ・モビゾウさん(2013年5月14日 10:19

 勉強も、研究も、音楽も、全て基礎。基礎理論だ。話はそれから。毒にも薬にもならない「基礎部分」というのは本当に面白くない。その面白くない部分をいかに楽しく教えるか。ここが先生の力量なのだとやっとわかった。
2013年5月14日 10:22

 英語もピアノも同じ。つまらない基礎の部分を、いろいろな工夫をしながらひたすら繰り返し、定着させていく。その定着が済んだときに突然飛躍した難易度のものを渡されても、解ける自分に驚く。あとはどんどん自分で創り上げるだけだ。創造はそこから始まる。
 2013年5月14日 10:24


 まさしくそうだなと感じました。基礎練習…例えばハノンで指・手・腕…身体全体の動きを確かめながら練習し、曲の練習でも片手ずつ楽譜に書いてある指示を理解してその通りに何度も弾いてみる。楽譜に書いてあることを理解してその通りに弾いてみる…これは結構難しい。「書いてある通り」と言っても、解釈で異なってくる。
 それから、よくあるのが音符の読み間違い。音そのものを読み間違えることも私はよくあるのですが(悪い例です)、音の長さ・付点も大事。この辺も、おろそかにしていなかったか自分よ…(完全に悪い例)

 基礎練習・理論の勉強は大事だと、今痛感しています。ピアノに最近触っていません…。全く触っていません…。弾きたいと思う時があるけど、この先どう練習したらいいか分からないと壁にぶつかって、そのまま壁の下に座り込んでいる状態です。「弾けない」自分に向き合うのも不安、怖い。ここから先にどう進んだらいいかわからない…これはずっと悩んでいる。

 悩んで、基礎練習や理論の勉強は自分でコツコツ積み重ねるものだけど、自分だけでは出来ない。やり方や方向を教えてくれるプロの存在が必要なんだとようやくわかった。ここから先に進むのは、自分ひとりではできないことだと、少し前から感じ、教えを請おうを考えているところです。

 こう書くと、もう決まってしまったようになりますが…、まだ動き出していません。教えを請うこと=ピアノを本格的に再開するということ。そこまでして再開したいのか…という迷いもあります。別にピアノ弾けなくてもいいじゃない?とささやく自分がいます…。でも、CDを聴いたり楽譜を読んだり、以前のピアノ練習記録・演奏録音を聴いていると、もう一度ピアノを演奏するという形でも音楽を楽しみたい、自分で演奏して音楽に触れたいと思います。途中でやめたままにしておきたくない。以前「演奏したい」と思った数々の作品を演奏したいか、と問われれば、「演奏できるようになりたい」と思います。

 具体的な曲を挙げれば、シベリウスの「樅の木」(「5つの小品(樹の組曲)」op.75-5)はやはり演奏したい。憧れの曲です。シューマンの「美しい5月よ、お前はもうすぐやってくる」(ユーゲントアルバムop.68-13)や以前練習していた「春の歌」op.68-15、「思い出」op.68-28といった「ユーゲントアルバム」に収められている作品も弾きたい。J.S.バッハにモーツァルトやベートーヴェン。シューベルトやブラームス、グリーグでも弾きたい曲は沢山ある。ちょっと苦手意識のあるショパンも、これはいいなと思う曲が少しずつですが出会えました。近現代なら、バルトークやヤナーチェクなどなど。現代邦人作品なら、吉松隆も好きだ。
(詳しくは「ピアノ・弾きたい曲」リストを。下にリンクを貼っておきます)

 こんなに好きだ、演奏してみたいと思う作品は沢山あるのに、手を伸ばそうとしない自分は一体何なのだ。憧れているだけか?それだけか?それだけでいいのか?

 その前に、基礎練習、理論の勉強という長い途があるけれど、それは苦だけじゃないと以前弾いていて分かっている。今は忘れている、失っている。先に進むための心の準備が出来れば、動きます。
 …もっと思い切って「やります!」とはっきり言えたらなぁ…弱気な自分どうにかしたい。

タグ:ピアノ・弾きたい曲
 過去の「弾きたい曲リスト」があります。
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by halca-kaukana057 | 2013-05-14 22:36 | 奏でること・うたうこと

ピアノ録音置き場ブログ引越し完了しました +過去の演奏を聴いて

 ピアノの練習記録の演奏録音をアップしているホームページの容量などの問題で、HPの中身をSeesaaブログに引越しする作業を少しずつ、ゆっくりと続けていました。ようやく全て引越しが完了しました。

・引越し先:Satellite HALCA
 サイトタイトルは旧HPと一緒です。このブログのサブサイト=衛星=Satellite.元々人工衛星の名前が由来のHNだから、という理由もあります。

 引越しをしながら、かつての録音を聴いていました。聴きながら、苦戦してたんだよね…とか、自分結構演奏できるじゃないか(今は無理…)と思ったり。

 それ以上に思ったのが、「自分、とても楽しそうに演奏しているじゃないか!」ということ。特にブルクミュラー25の練習曲。苦戦した、練習が辛かった曲(「せきれい」や「帰途(再会)」)もありましたが、それでも楽しい気持ちはあった。楽しかった曲(「貴婦人の乗馬」など)は、楽しいという感情が伝わってきた。自分、ピアノを演奏するのが、音楽するのが好きだったんだな、楽しくてたまらなかったんだな、と。

 一体、どこでピアノから遠ざかってしまったのだろう。ソナチネアルバムか…?うん、ソナチネは簡単そうに見えて聴こえて、実際演奏するととても難しい。自分でもよくわかっていない。クレメンティのソナチネ7番op.36-1でさえ、音楽がつかめていない。あと、腕の手術をしたり、家のことで色々あったり…という間にピアノから遠ざかってしまった。

 あのブルグ25を演奏していた時のように、たとえ難しくて練習が辛いと思っても、最終的には楽しいと、音楽する喜びをかみ締めながら演奏したい。またピアノを弾きたい。演奏したい曲は色々ある。でも、がむしゃらに練習しても、また途を、音楽を見失ってしまうだろうなぁ、とも思う。ブルグ25を練習していた頃は、ブルグ25を全部弾くぞ、演奏するぞ!大好きなブルグ25にどっぷり浸かりたい、という気持ちがあった。では、ソナチネは…残念ながら、ない。嫌いではない。苦手ではある。どう付き合ったらいいかわからすにいるだけだ。ブルグ25の次はソナチネ、というコースを外れてもいいのかな。でも、そのうちソナタを演奏するようになったらソナチネは大事だろうし、古典派作品にとってソナチネは通る途だろうし、ソナチネの構成そのものから学べることもたくさんあるし…。困った。

 困ってはいますが、解決する方法を考え、どう実行に移したらいいかも考え中です。

 久々にピアノカテゴリの記事を書きました。カテゴリ倒れ、するもんか。
・過去関連記事:パリ左岸のピアノ工房
 この本を読んで、またピアノを弾けたらなと思ったのです。積読の本に、ピアノや音楽関係の本が。読むピアノ、読む音楽も面白い。
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by halca-kaukana057 | 2012-12-11 23:36 | 奏でること・うたうこと

さよならキーボード / ピアノと私の今現在

 ずっと使っていないキーボードを売った。66鍵じゃ少なくて弾けない曲も多いし、夜の練習に使おうと思って買ったが、結局使いづらくて殆ど使っていなかった。あってもどうしようも無い。
posted at 2012.7.2 22:21:27

 ピアノもずっと弾いてない。蓋すら開けてない。
posted at 2012.7.2 22:22:31

 ピアノ弾いてる、練習頑張ってる、レッスン充実してる、オフ会・サークル楽しい…悔しさと虚しさと羨ましい気持ちで苦しくなる。
posted at 2012.7.2 22:24:17

 本当は、また弾きたいのかな。今は、そんな気持ちにはなれない。
posted at 2012.7.2 22:25:23



手を伸ばしても、届かない
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by halca-kaukana057 | 2012-07-02 22:36 | 奏でること・うたうこと

ピアノでこれから先に進むために

 久しぶりにピアノのことを。箇条書きで。

・これまでピアノから遠ざかっていたのですが、少しずつ練習を増やしています。ただ、酷寒の毎日。ピアノのある部屋(自室)のストーブをつけて、部屋が暖まらないと練習できません…(暖房が無いと5℃以下)。ピアノ練習には辛い季節です。

・ソナチネ7番、4番、シューマン「春の歌」op.68-15(「ユーゲントアルバム」より)を練習していますが、”何となく弾いている”状態。楽しくない。

・楽しくない理由は、”何となく”な状態だから。楽曲に、作品に、楽譜に向き合っていない。楽譜を読み込もうとしていない。ここで思った。和声法など、楽典・音楽理論をみっちりと勉強したい。それを土台にして、楽譜を徹底的に”読めるように”なりたい。楽譜を、楽譜からその作品の”音楽”を読み解きたい。読み込みたい。

・音楽理論を土台に、楽譜を読み込む。これが、その作品に向き合うということだと思う。さらに、作曲者に敬意を持って接することにも繋がると思う。今は、向き合っていない。何となく隣にいるだけ。だからつまらない。楽譜には私が読めていないたくさんの面白いことが書いてあるのに。

・”いい音楽”である理由も、つかめるかもしれない。何故、300年、200年と演奏され、聴き続けてられている音楽作品があるのか。その理由をつかみたい。

・昨年、楽典・音楽理論を復習、飛ばして勉強していた和声法を少しかじりました。が、それでは足りない。足りるわけが無い。今までのやり方、取り組み方では、先に進めない。ソナチネで停滞・苦戦している理由は、これかもしれない。ただ古典派の音楽作品に触れるだけの作品集ではない。




・少し前から、音楽を聴いて、それで満足してしまっています。音楽に限らず、観ること、読むことでも。

・と言うのは、様々な作品・演奏を聴けば聴くほど、”遠い”と感じます。自分の手には届かない。触れることは出来ない、と。

・以前は、聴いていいなと思うとすぐに、「自分も演奏してみたい」「自分もこんな演奏をしたい」と思っていました。でも、今はあまり思わない。「自分でつくること」の楽しみを失っていると、自分で感じる。「誰かのつくったもの」で満足している。「自分でつくること」を面倒だと感じている。

・「飽きた」「つまらなくなった」ではないのだけれども。いい音楽を聴けばワクワクする。でも、自分で、という次元に来ない。

・音楽というものを、身近に感じていないのかも…。以前は、ピアノ練習も、音楽を聴くことも毎日の生活、日常の中にあった。今はその頃とはちょっと違う位置にある感じがする。しばらくピアノ練習から遠ざかっていたせいかもしれない。日常に、戻したいな。

・今日、本を読んでいて、「日常で挑戦する」ということを考えました。私にとって、それはピアノかもしれない。(ピアノだろう!!と言い切りたい。)

 以上、ピアノ演奏と音楽に関する独り言、呟きでした。
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by halca-kaukana057 | 2012-01-31 20:50 | 奏でること・うたうこと

久々のピアノ練習

 今日は久しぶりに本格的にピアノの練習をしました。これまでは10分程度、ちょっとさらうだけ。ちょっと”弾いて”おしまい。今日はようやくまとまった時間が取れたので、鍵盤と楽譜にじっくりと向かいました。

 メインで練習したのはシューマン「春の歌」op.68-15.徐々に”たどたどしい歌”から、”滑らかな伸びやかな歌”に変わってきた、かな…。指遣いを直し、難しい・弾き難いと感じている箇所を反復練習。あと、ペダルも。この作品はペダル無しで演奏するのはきつい。ペダルを有効活用して、春を謳歌する喜びをのびのびと”歌いたい”。ペ
ダルの踏み具合、踏みかえるタイミングを微調整しないと、きれいな歌にならない。更に、13小節目~16小節目まで弱音ペダル、左のペダルも使うと指示がある。弱音ペダルを使うのは初めて。両足でペダルも勿論初めて。弱音ペダルは踏みっぱなしでいいけれども、16小節目で離す時、右足まで離してしまう…。難しいよ!

 表現は、どうしようか。情感たっぷりにするか、のびのびとはしているけれどもささやかな控えめな喜びにするか。強弱記号はフォルテからピアニッシモまで広いので、情感たっぷりめ、かなぁ。

 完成はまだまだだけど、音のひとつひとつを優しく、丁寧にぶつぶつ切らないで、ふんわりとした感触で演奏したい。

 クーラウのソナチネ4番、クレメンティのソナチネ7番も練習。ソナチネをどう練習していっていいか、見通しが未だに立てられません。ブルクミュラー25と同じ感覚では練習できないことに、未だに戸惑っています。これは乗り越えるべき壁。この壁を乗り越えれば、またピアノ・音楽の世界の視野が広がる。辛抱して練習しよう。

 最後に、昨日のツイートから。
ピアノと自分、楽曲・楽譜と自分、一対一のガチンコ練習。聴く人はいない。でも、もうひとりの自分がどこかで聴いている、と思って鍵盤に向かう。
posted at 2011.11.6 21:10:21

 時々、またひとりでピアノを弾くこと(あえて「独学」という言葉は使わない、言わない)に、迷いや焦り、不安を感じます。ソナチネがなかなか進まず、停滞しているのをどうにかしたい、誰か第三者の指導を得たい。自分ひとりでこれから様々な作品に取り組むのに、自信が無い。ただ単に、一緒にピアノを弾く仲間が欲しい(ひとりはさみしい)。そんな気持ちがあるからだと思います。機会があれば、レッスンを受けたい。でも、今自分の置かれている状況があまりにも不安定で、レッスンどころか、ピアノどころでもない…。
 落ち着いてピアノに、鍵盤に、楽譜に向き合える環境が欲しいです…。

 あと、練習の途中ひと休みで、NHK-FMのクラシック音楽番組を聴いていました。ピアノ曲は無かったですが、私の演奏とは異なる、心惹かれる演奏ばかり。音楽家・演奏家は、演奏する時どんな気持ちで演奏しているんだろう?楽しい?緊張する?無心?私は、不安ばかり。聴く時は音楽を楽しめるのに、自分で演奏するとなると不安で、心細くて仕方ない。楽しいと思える時もあるけど、ほとんどは自己満足でしかない演奏。
 そんな面でも、ピアノから離れていても、音楽そのものからは離れたくないなと感じました。音楽を聴くことそのものが楽しくて、心揺さぶられてばかりで、やめられない。作曲家のこと、作品のことを考えながら演奏を聴くことがこれまで多かったのですが、これからは音楽家・演奏家のことも考えてみよう。
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by halca-kaukana057 | 2011-11-07 21:54 | 奏でること・うたうこと

何度でも、何度でも、ひとつずつ

 ぽつりぽつりと書いていた、やるべきことがひと段落しました。昨日今日がヤマ場だったのですが、昨日今日に至るまでのtwitterの最近の私のツイートから、ぐったり感が感じられるかと思います…。明日以降も、越えなければいけないことや心配の種がまだまだあります。嫌になって逃げ出したいと思うこともあります。でもひとつひとつ乗り越えていかなければならない。ひとつひとつ。

 ひと段落したので、久々に(比較的)集中してピアノの練習をしました。ハノンで指を慣らした後、シューマン「春の歌」op.68-15.久々なので、まずは右手だけ、左手だけで。その後合わせてみましたが…案の定ボロボロでした。ブツブツ途切れた、たどたどしい”歌”。前はもう少し滑らかに”歌えた”のにな…。でも、全然弾けなくなったわけではないし、これからまた練習しなおせばいい。練習しなおしたことで、以前は気が付かなかった違う何かを見つけられるかもしれない。演奏にゴールはない。”弾ける”ようになった時、その作品をレパートリーとして演奏し続けることのスタートラインに立つんだ…以前思ったことを思い出しました。また、”歌おう”。演奏しよう。心から演奏したいと思いました。
 練習が滞っているシベリウス「樅の木」op.75-5も、また譜読みしなおして何度でも取り組めばいいんだ。大好きな、大切に思っている作品だからこそ、何度でも。

 シューマンの後、「ゆうがたクインテット」テーマも。後半の左手伴奏がややこしいのですが、怪しいまま中断したので、また譜読みしなおしです。でも、いつも聴いている大好きな曲・歌を自分の手で奏でることが楽しい。今度は怪しい部分も、軽快に演奏したいな。練習、練習。

 ピアノって、いいな。演奏することって、いいな。いいなと思うから、もっと演奏したい。楽曲を読み込んで、私の表現のひとつとして演奏したい。そう感じました。


 今日、ふと演奏したい曲を見つけました。
ぷりんと楽譜:たいせつな光 / fumika
 映画「はやぶさ/HAYABUSA」(20世紀フォックス版)のテーマ曲です(またしても「はやぶさ」です)。聴くとあのエンドロールを思い出します…思い出すだけでも感激の気持ちでいっぱいです。
 映画そのものもいいなと思うのですが、この主題歌「たいせつな光」もいいなと思います。歌詞がまさに「はやぶさ」。fumikaさんの歌声も惹かれます。いいなぁ、弾けたらいいなぁ。ポップスを弾いたことはないけど、弾けたらいいなぁ。

 もう少し落ち着いたら、久々に「いつか弾きたい曲リスト」最新版を書こうかな。(前にも書いた気がするw)
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by halca-kaukana057 | 2011-10-16 22:54 | 奏でること・うたうこと


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