書店で目に入ってきて、気になった本。図書館にあったので借りて読んだけど、この本は欲しいと思った。手元に置いて何度でも読みたいと思う本でした。
ダリウスは今日も生きづらい
アディーブ・コラーム:著、三辺(さんべ)律子:訳/集英社/2020
ダリウスはアメリカ・ポートランドに住む高校生。お茶マニアで紅茶店でバイトをしている。「指輪物語」と「スター・トレック」オタクでもある。父のスティーヴン・ケルナーはドイツ系アメリカ人、母のシーリーンはイランのヤスドの生まれ。8歳の妹のラレーと4人で暮らしているが、ダリウスは家でも学校でも疎外感を覚えていた。学校ではイラン系であることからいじめられ、家では自分と違って完璧な父との距離で悩んでいた。そして、ダリウスはうつ病で薬を飲み続けている。
母のシーリーンの両親、祖父母とはスカイプでしか会話したことがない。ある日、その祖父の"バブー"が検査で重い病気であることがわかる。ダリウスたち家族は、祖父母に会いにイランへ向かう。ダリウスにとって初めてのイラン。でも、そこでもダリウスはイランに溶け込めずにいた。そんな時、ダリウスは祖父母の家の近所に住んでいる少年・ソフラーブに出会う。
原題は「DARIUS THE GREAT is not OKAY」.これを「ダリウスは今日も生きづらい」と訳したのはうまいと思った。日本語の「生きづらい」感覚は海外、アメリカにもあるんだなと思う。
本当にダリウスは「生きづらい」。イラン系である人種の問題。でも、ダリウスはアメリカ生まれで、この本でイランに行くまでは行ったことがない。ペルシア語も話せない。学校ではいじめられているが、周囲のクラスメイトや学校側が「いじめていない」と言えば「いじめはない」となってしまう。読んでいて辛かった。そして父のスティーヴン・ケルナーのこと。あることをきっかけに、父との距離を感じるようになった。ゲルマン系の完璧な人間「超人(ユーバーメンシュ)」、またはスティーヴン・ケルナーとフルネームで呼ぶ。「父さん」と呼べるのは、共通の趣味である「スター・トレック」を一緒に観ている時と、少し父に共感した時。妹のラレーはダリウスと全く違う性格。そしてダリウスはうつ病である。いじめが原因ではなく、脳の化学物質の分泌による先天的なもの。なぜ落ち込むのか説明できない。ただ薬を飲むしかなく、落ち込みに耐える毎日。著者もうつ病と診断されているため、うつ病の描写はかなりリアルだと思う。「心の病気」ではない。ダリウスも脳内物質のアンバランスで…と説明している。落ち込むきっかけはあるけれども、落ち込み方が尋常じゃない。加えてお茶へのこだわりなどダリウスの繊細な性格も考えると、本当に生きづらいだろうなと思う。
生きづらいのは、イランに行っても変わらない。ペルシア語が話せないので、周囲の人々とコミュニケーションを取りづらい。祖父母も今まではPC画面の向こうの存在だった。生の祖父母を目の前にして、戸惑うダリウス。また、イランの人々はうつ病に対してよく知らない(悪意は勿論ないのですが)。薬を飲んでいることを後ろめたく思う。妹のラレーはどんどんペルシア語を覚えてイランでの生活に馴染んでいくのに、ダリウスは馴染めない。ルーツのイランにも居場所がなかったと感じるダリウスの疎外感が辛い。
そのダリウス(イランではペルシア語発音の「ダーリーウーシュ」と呼ばれる)が出会った少年、ソフラーブ。祖父母と元々交流のあったソフラーブと友達になるダリウス。まっすぐ、順調にはいかないけれど。ひとつずつ、壁を越えていく。ソフラーブはダリウスがうつ病であること知っても、その薬を飲んでいても非難しない。ダリウスが落ち込んでいても優しく認めてくれる。ソフラーブはなぜこんなにダリウスのことに寛容で優しいのだろう。ソフラーブもまた、「生きづらい」のだった。ソフラーブの「生きづらさ」はダリウスのものとは違う。違うけど似ているところもある。2人はお互いの「生きづらさ」を共有する。こんなの傷の舐め合いだと思う人もいるかもしれない。でも、「生きづらさ」を共有し、理解し合うことが、2人にとってどれだけ重要か。この物語は「傷の舐め合い」ではない。心から信頼し合っている友情だ。
ソフラーブとの友情だけではない。父のスティーヴンも実は「生きづらさ」を抱えている。その一部分はダリウスも知っているが、それでもスティーヴン・ケルナーは「超人(ユーバーメンシュ)」のイメージは覆されない。ダリウスとスティーヴンの「生きづらさ」の共有のシーンもとても深く、惹きつけられた。
ソフラーブは、ペルシアのある言葉を教えてくれる。「あなたの場所が空っぽ」、あなたがいなくてさみしい、という意味。ダリウス、ソフラーブ、そして父のスティーヴン。それぞれの「場所が空っぽ」な時、その気持ちも共有する。とても素敵な表現だなと思った。
彼らの愛情の背景にあるのが、イラン、ヤスドの風景。ダリウスとソフラーブにとって大事な場所から見えるヤスドの風景や、町に響くアザーンを想像すると、イランも美しい国なんだなと思う。イランの料理についての描写も興味深い。どんな味がするんだろう。また、ダリウスたちはペルシアの遺跡や、家族のルーツが刻まれた場所へ行く。家族のルーツの刻まれた場所の描写には切なくなった。
「スター・トレック」と「指輪物語」のネタが散りばめられていて面白い。それらが自虐ジョーク的に用いられることもある。「スター・トレック」は観たことはないが、宇宙SFや宇宙工学の知識はあるので何とか追いつけた。気分の大きな振れ幅のことを「スイングバイ」と表現しているのにはすごいと思った。一般的な宇宙工学での「スイングバイ」のニュアンスと異なり、ダリウスにとってこの「スイングバイ」はネガティヴな意味なので注意が必要ですが…。その他にも宇宙天文好きなら「その言葉をそういう風に使うか!」と思う表現がいくつもあって、ダリウスの"世界"って素敵じゃん!と私は思った。もしダリウスに会えたら、そんな表現ができるダリウスはかっこいいよと伝えたいぐらい。
「生きづらい」気持ちを誰か信頼できる人と共有できたら、目の前の現実は変わらなくても、心強いものを得て少しは変われるのではないかと思う。私の場合、私の「生きづらさ」は弱みや恥だと思って隠してしまう。この物語を読んだからといって、ここに打ち明ける気は無い。ここに書くにはデリケート過ぎる。私の「あなたの場所が空っぽ」と思ってくれる、また私も相手の「あなたの場所が空っぽ」と思い合える人と、共有でできたなら…と思う。
ダリウスの続編も出ているらしい。ぜひ日本語訳を待っています。
ダリウスは今日も生きづらい
アディーブ・コラーム:著、三辺(さんべ)律子:訳/集英社/2020
ダリウスはアメリカ・ポートランドに住む高校生。お茶マニアで紅茶店でバイトをしている。「指輪物語」と「スター・トレック」オタクでもある。父のスティーヴン・ケルナーはドイツ系アメリカ人、母のシーリーンはイランのヤスドの生まれ。8歳の妹のラレーと4人で暮らしているが、ダリウスは家でも学校でも疎外感を覚えていた。学校ではイラン系であることからいじめられ、家では自分と違って完璧な父との距離で悩んでいた。そして、ダリウスはうつ病で薬を飲み続けている。
母のシーリーンの両親、祖父母とはスカイプでしか会話したことがない。ある日、その祖父の"バブー"が検査で重い病気であることがわかる。ダリウスたち家族は、祖父母に会いにイランへ向かう。ダリウスにとって初めてのイラン。でも、そこでもダリウスはイランに溶け込めずにいた。そんな時、ダリウスは祖父母の家の近所に住んでいる少年・ソフラーブに出会う。
原題は「DARIUS THE GREAT is not OKAY」.これを「ダリウスは今日も生きづらい」と訳したのはうまいと思った。日本語の「生きづらい」感覚は海外、アメリカにもあるんだなと思う。
本当にダリウスは「生きづらい」。イラン系である人種の問題。でも、ダリウスはアメリカ生まれで、この本でイランに行くまでは行ったことがない。ペルシア語も話せない。学校ではいじめられているが、周囲のクラスメイトや学校側が「いじめていない」と言えば「いじめはない」となってしまう。読んでいて辛かった。そして父のスティーヴン・ケルナーのこと。あることをきっかけに、父との距離を感じるようになった。ゲルマン系の完璧な人間「超人(ユーバーメンシュ)」、またはスティーヴン・ケルナーとフルネームで呼ぶ。「父さん」と呼べるのは、共通の趣味である「スター・トレック」を一緒に観ている時と、少し父に共感した時。妹のラレーはダリウスと全く違う性格。そしてダリウスはうつ病である。いじめが原因ではなく、脳の化学物質の分泌による先天的なもの。なぜ落ち込むのか説明できない。ただ薬を飲むしかなく、落ち込みに耐える毎日。著者もうつ病と診断されているため、うつ病の描写はかなりリアルだと思う。「心の病気」ではない。ダリウスも脳内物質のアンバランスで…と説明している。落ち込むきっかけはあるけれども、落ち込み方が尋常じゃない。加えてお茶へのこだわりなどダリウスの繊細な性格も考えると、本当に生きづらいだろうなと思う。
生きづらいのは、イランに行っても変わらない。ペルシア語が話せないので、周囲の人々とコミュニケーションを取りづらい。祖父母も今まではPC画面の向こうの存在だった。生の祖父母を目の前にして、戸惑うダリウス。また、イランの人々はうつ病に対してよく知らない(悪意は勿論ないのですが)。薬を飲んでいることを後ろめたく思う。妹のラレーはどんどんペルシア語を覚えてイランでの生活に馴染んでいくのに、ダリウスは馴染めない。ルーツのイランにも居場所がなかったと感じるダリウスの疎外感が辛い。
そのダリウス(イランではペルシア語発音の「ダーリーウーシュ」と呼ばれる)が出会った少年、ソフラーブ。祖父母と元々交流のあったソフラーブと友達になるダリウス。まっすぐ、順調にはいかないけれど。ひとつずつ、壁を越えていく。ソフラーブはダリウスがうつ病であること知っても、その薬を飲んでいても非難しない。ダリウスが落ち込んでいても優しく認めてくれる。ソフラーブはなぜこんなにダリウスのことに寛容で優しいのだろう。ソフラーブもまた、「生きづらい」のだった。ソフラーブの「生きづらさ」はダリウスのものとは違う。違うけど似ているところもある。2人はお互いの「生きづらさ」を共有する。こんなの傷の舐め合いだと思う人もいるかもしれない。でも、「生きづらさ」を共有し、理解し合うことが、2人にとってどれだけ重要か。この物語は「傷の舐め合い」ではない。心から信頼し合っている友情だ。
ソフラーブとの友情だけではない。父のスティーヴンも実は「生きづらさ」を抱えている。その一部分はダリウスも知っているが、それでもスティーヴン・ケルナーは「超人(ユーバーメンシュ)」のイメージは覆されない。ダリウスとスティーヴンの「生きづらさ」の共有のシーンもとても深く、惹きつけられた。
ソフラーブは、ペルシアのある言葉を教えてくれる。「あなたの場所が空っぽ」、あなたがいなくてさみしい、という意味。ダリウス、ソフラーブ、そして父のスティーヴン。それぞれの「場所が空っぽ」な時、その気持ちも共有する。とても素敵な表現だなと思った。
彼らの愛情の背景にあるのが、イラン、ヤスドの風景。ダリウスとソフラーブにとって大事な場所から見えるヤスドの風景や、町に響くアザーンを想像すると、イランも美しい国なんだなと思う。イランの料理についての描写も興味深い。どんな味がするんだろう。また、ダリウスたちはペルシアの遺跡や、家族のルーツが刻まれた場所へ行く。家族のルーツの刻まれた場所の描写には切なくなった。
「スター・トレック」と「指輪物語」のネタが散りばめられていて面白い。それらが自虐ジョーク的に用いられることもある。「スター・トレック」は観たことはないが、宇宙SFや宇宙工学の知識はあるので何とか追いつけた。気分の大きな振れ幅のことを「スイングバイ」と表現しているのにはすごいと思った。一般的な宇宙工学での「スイングバイ」のニュアンスと異なり、ダリウスにとってこの「スイングバイ」はネガティヴな意味なので注意が必要ですが…。その他にも宇宙天文好きなら「その言葉をそういう風に使うか!」と思う表現がいくつもあって、ダリウスの"世界"って素敵じゃん!と私は思った。もしダリウスに会えたら、そんな表現ができるダリウスはかっこいいよと伝えたいぐらい。
「生きづらい」気持ちを誰か信頼できる人と共有できたら、目の前の現実は変わらなくても、心強いものを得て少しは変われるのではないかと思う。私の場合、私の「生きづらさ」は弱みや恥だと思って隠してしまう。この物語を読んだからといって、ここに打ち明ける気は無い。ここに書くにはデリケート過ぎる。私の「あなたの場所が空っぽ」と思ってくれる、また私も相手の「あなたの場所が空っぽ」と思い合える人と、共有でできたなら…と思う。
ダリウスの続編も出ているらしい。ぜひ日本語訳を待っています。
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by halca-kaukana057
| 2021-11-28 23:19
| 本・読書