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音楽の旅・絵の旅

 涼しくなってきたので、読書にも集中できるようになってきました。読むのにかなりの時間がかかった本です。


音楽の旅・絵の旅 吉田秀和コレクション
吉田秀和/筑摩書房・ちくま文庫/2010

 音楽評論家の吉田秀和さんが、1976年にバイロイト音楽祭を聴きにドイツをはじめヨーロッパ各地を旅行した日記と、「音楽の光と翳」という短いエッセイ集の2部に分かれている本です。

 前半のバイロイト音楽祭。ワーグナー「ニーベルングの指輪」四部作の完全上演100年にあたる1976年。演出はシェロー、指揮はブーレーズ。このバイロイトでの演奏会の記録・日記は、私にとっては読むのは大変なことでした。ワーグナーのオペラ(楽劇)はあまり馴染みがない。序曲やアリアの抜粋ならいくつかは聴いているけれども、オペラを通して聴いたことはなく(長い、物語が難しそう、壮大過ぎる、という先入観で…すみませんワーグナーファンの皆様…)、バイロイト音楽祭も馴染みがない。NHKFMで年末に放送されていますが、聴いたことがない。
 それでも、吉田さんがどれだけワーグナーのオペラに惹かれていて、魅力的な部分をスコアつきで語るのは、半分よくわからないけど、ひきつけられるものがありました。吉田さんはプロの音楽評論家。スコア(ワーグナーのオペラはポケットスコアでも分厚いのでピアノ版のスコア)を確認しながら聴いている。音楽理論・楽典の裏づけから、あるシーンの曲の魅力を語っているのを読んでいると凄いな、と思う。そんな吉田さんですら、こんなことを書いているので驚いた。
だが、そうしてみると、今度は私の和声学の知識が不十分であり、穴があることに気づく。若い時、もっと勉強しておくのだった。だが、そういってもいられない。手もとにある武器や弾薬が不足とわかっていても、私はまだまだ、前進したい。たとえ一歩でも半歩でも。
 こう書いたら、いつか新聞でよんだ貴ノ花の言葉というのを思い出した。「もっと立合いを鋭くして、一歩踏みこまなければいけない」という解説者の註文をきいた時、この軽量の大関は「そんなことをいっても、相撲では一歩はおろか、半歩前に進むんだって、本当に大変なんだ。相手だって前に出てくるんだから」といったというのである。私の相手は音楽。それがだんだんやさしくなるどころか、これまでそう思わなかったことまで、むずかしくなるのだ。
(109ページより)

 今、私はバイロイト音楽祭ではなく、ロンドンの夏の風物詩、プロムスの各公演を手当たり次第ネットのオンデマンドで聴いている。様々な作品がある。現代作品も多い。初めて聴く作品も、今まで全く知らなかった作品、苦手だと思っている作品もある。好きな作品もあるが、指揮者やオーケストラも様々。聴いていてそれまで気がつかなかったことに気づいたり、疑問も出てきたり、余計わからなくなることもある。プロムスに限らず、普段聴く音楽でもそうだ。なので、吉田さんの仰っていることがよくわかるとも思う。それでも、音楽にもっと近づきたい。プロムスを聴き、この本を読んで、もっと音楽を楽しく聴くにはどうしたらいいのだろう?と思うようになった。知識や聴く作品を増やせばいいのだろうか。それもひとつのやり方だ。でもそれだけじゃ足りない、全てではない気がする。私の音楽の旅も、まだまだこれからだ。

 バイロイト音楽祭だけではなく、カラヤン指揮ベルリンフィルの演奏会や、黛敏郎のオペラ「金閣寺」、ポリーニのシューマン、若き日のサー・エリオット・ガーディナーの合唱つき作品の演奏会も出てくる。現代作品も出てくる。現代作品に対しての視点が興味深い。音楽だけではない。タイトルの「絵の旅」とあるとおり、美術館で絵画作品を分析しながら鑑賞している。その分析方法が本格的で、吉田秀和さんは絵画にも造詣が深かったのか!と驚かされた。音楽は総合芸術。他の分野とも繋がりが深い。美術にも通じるものがあるのだろう。

 旅はイギリス経由で、ロンドンでも美術館などをめぐる。そこでこう書かれている。
いかにイギリスという国が、イギリス人のものであると同時に、世界中の人たちの前に開放されたものであるかということが、もう一度、頭に浮かぶ。この美術館だって、いつかかよった大英博物館だって、世界中の人に無料で解放されているのだ。どんなに貧乏しようと、金をとろうとしない。それもイギリス人に対してだけでなく、世界中のどんな人に対しても同じなのだ。こういうのを見ていると、将来、もしイギリスの没落という事態が起こったとすれば、それはイギリス人にとってというだけでなく、世界中にとっての損失を意味するだろうという気がしてくる。
(197ページ)

 ここを読んで、イギリスのEU離脱への顛末を思い浮かべずにいられなかった。EUから離脱したからといって、大英博物館などが有料になるわけではないだろうが、イギリスという国の大きさを思い知る。やはり世界の「大英帝国」なんだなぁ、と。吉田さんが想像した没落、損失がないことを祈るばかりである。

 後半のエッセイ集、「音楽の光と翳」は短く、吉田さんの身近なところにある音楽から思ったことが書かれていて、読みやすかった。前半が難しいなと思ったら後半から入るのも手かも知れない。どちらにしても、吉田さんの優しく、音楽への愛情の深い文章は素敵だ。私の知らない音楽の世界を、この本で垣間見れた。音楽の世界は広いなぁ。
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by halca-kaukana057 | 2016-09-02 23:32 | 本・読書

トリエステの坂道

 積読消化中。久々に須賀敦子さんの本を。


トリエステの坂道
須賀敦子/新潮社・新潮文庫/1995

 イタリアの北東、アドリア海に面した国境の町・トリエステ。著者は詩人・ウンベルト・サバの暮らした街を歩く。中世以来オーストリア領となり、ドイツ語文化圏に属している。が、使われている言語はイタリア語の方言。第一次大戦後、1919年にイタリアの領土になった。ウィーンなどの北の国々と、イタリアと…トリエステの人々は複雑な二重性を持ち、イタリアにありながら異国を生き続けていた。そんな街は、イタリア人の夫・ペッピーノやその兄弟、家族、親戚、ミラノの人々を思い出させた。


 須賀さんが語るイタリアは、私が以前まで抱いていたような、地中海の明るい、陽気な、賑やかな地だけではないことを、著作を読む度に実感する。この「トリエステの坂道」は特にそうだ。

 トリエステは、二重性を持った町。イタリアとスロベニアの国境にあり、かつてはオーストリア領。でも、トリエステの人々はイタリアに属することを望み、言語もトリエステの方言。その後解放運動を経て、イタリアの領土になったが、それまでのオーストリアの文化は街から消えなかった。「一枚岩的な文化」ではない街。それは須賀さんにとってはトリエステだけではなかった。かつて、亡き夫のペッピーノと暮らしたミラノの街もまた、「一枚岩な文化」ではない人々が暮らしていた。ミラノも分かれている街だった。イタリア人ではない人。鉄道員住宅の人々。夫の兄弟や母親、彼らの家族、親戚たち。貧困、病気…様々な生き方の、境遇の人々がいた。

 世の中、世界、世間は「一枚岩な文化」ではない。ひとつの国、ひとつの街・地域でもそうだし、ひとつの家族でもそう感じる。家族でも、生き方が全然異なることがある。ペッピーノの兄弟もそうだった。弟のアルドは、ペッピーノとは違う性格だった。そのひとり息子のカルロも。この「トリエステの坂道」には、アルド一家について書かれているところがいくつかある。アルドの妻シルヴァーナは国境の「山の村」出身。ここにもまた「一枚岩の文化」ではない、二重性がある。アルドがシルヴァーナと結婚し、カルロが生まれ、カルロの成長が語られ…それは一筋縄でうまくいくものではなかった。ある家族におちる陰影。この深い陰影を、須賀さんの冷静かつあたたかな文章で読んでいると、生きるということの深さを思い知る。

 「ふるえる手」では、カラヴァッジョの絵「マッテオの召出し」についても語られる。影で絵を描いたカラヴァッジョ。この「トリエステの坂道」も、影で描かれているように感じる。
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by halca-kaukana057 | 2016-07-12 22:51 | 本・読書

大人になるっておもしろい?

 図書館の本棚を何気なく見ていると、時々ふと気になる本に出会います。この本は以前感想を読んで、それが頭の片隅にあった本。気になったので読んでみました。


大人になるっておもしろい?
清水真砂子/岩波ジュニア新書・岩波書店/2015

 10代の若い人たちに向けた「どう生きるか」を問う本です。でも、大人が読んでも面白い。寧ろ、大人が読むと忘れていたことや、かつて思ったことがあったけど心の奥底に押し込めていたことを思い出して、ドキリとするところが少なからずあると思いました。10代に限らない、10代特有のものでもないと思います。

 「「かわいい」を疑ってみない?」、「怒れ!怒れ!怒れ!」、「ひとりでいるっていけないこと?」など、10代でぶつかるであろう様々な心の動きを、時には挑発的にぶった切るように、時には古今東西の児童文学や様々なジャンルの本からヒントを引用してわかりやすく語ったり、意外な問題提起をしてみたり…読んでいて飽きません。著者の清水さんは「ゲド戦記」シリーズ他、児童文学を中心に翻訳をされてきた方。また、短大・大学で教鞭もとってらっしゃいます。20代の大学生との授業でのやり取りや、学生達とのふとした会話も取り上げているので、大人が読んでも面白いものになっているのだと思います。

 私は10代、20代のはじめの頃は、そんなに社会や大人に疑問を抱いたり、反抗したりすることはありませんでした。大人の社会に接する機会がほとんど無かったためだと思います。寧ろ、同年代や先輩・後輩と自分自身を比べて、自分の弱さ、不器用さ、頭の悪さ、リーダーシップや行動力のなさなどに落ち込むことが多かった。大学を卒業し社会人となり、この本で語られるような大人や社会に対する疑問や反論が出てきた。今も、あらゆる場面で、自分自身はどう生きるのか、この社会でどう生きるのか…疑問ややるせなさ、憤りを抱き、それらのやり場がなく心の中に溜め込んで苦しんでいることがよくあります。

 そんな私が苦しんでいたことに、この本がそっと、時にはガツンと答えてくれました。時には、反論したくなる箇所もあります。それも若者の新しい文化なんだ、など。「生意気」に。それも、この本に対してだったらいいのかな、と思います。この本はそんな感情を許してくれる気がします。

 どの章も印象深くて、書こうと思うと全部書くことになってしまうのでやめておきます。特に、「怒れ!怒れ!怒れ!」、「明るすぎる渋谷の街で考えたこと」、「心の明け渡しをしていませんか?」、「世界は広く、そして人はなんてゆたかなのだろう」、「動かないでいるって、そんなにダメなこと?」の章は心に強く残りました。「心の明け渡しをしていませんか?」では、何でも話さなくてもいいんだ、と安心しました。最近悩んでいたことにつながりました。「世界は広く~」で、何もかも嫌になり「どうせ」と思った時どうするかの答えはガン!ときました。私ならふて寝してしまうのですが、清水さんの考え方とエネルギーには感服しました。私の考え方・行動のパターンから、真似するのはちょっと難しいかもしれませんが、頭の中に入れておいて思い出すことはしたいです。自分の弱さや傲慢さを自覚するために。

 取り上げた本や映画のまとめもあって、読んでみたい、観てみたい作品も増えました。
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by halca-kaukana057 | 2016-07-03 23:06 | 本・読書

耳の渚

 読むクラシック音楽もいいものです。クラシック音楽エッセイを読みました。

耳の渚
池辺晋一郎/中央公論新社/2015

 かつての「N響アワー」、クラシック音楽ダジャレでお馴染みの作曲家・池辺晋一郎先生によるエッセイです。読売新聞夕刊に月一で掲載していたものをまとめた本です。2000年に始めて、2015年の分まで収録。15年。15年でクラシック音楽界も随分と変わりました。その変化も思い出しながら読みました。

 聴いた音楽のこと、知り合った音楽家とのこと、作曲・作曲作品の演奏会でのこと、日本国内や海外のクラシック音楽事情、観た舞台や映画のこと…話題は多岐にわたります。でも、どれも音楽と繋がっている。音楽は様々なもの、この世にあるあらゆるものと繋がっている。それを実感します。

 また、音楽の懐の広さも実感します。朝比奈隆先生が「楽譜に忠実に」指揮することを信条としておられたのに、実際の演奏では楽譜と違う演奏をしていたことに関して、楽譜というものがどんなものか、そして音楽は生もの(なまもの・いきもの)なんだなと思う。「楽譜は絶対の答えではない」。浜松国際ピアノコンクールを聴いた話でも、そんな楽譜をどれだけ読み込んで演奏に反映できるか。
楽譜という不完全なものを超えて、そこに自分の音楽を確立させ、説得力ある主張を貫徹させる(233ページ)

クラシック音楽というと、何かと堅苦しいイメージがあるが、このあたりを読むと、やわらかく懐の広く深いものなのだなと思う。「音楽の父」と呼ばれるJ.S.バッハも、"神格化"されて迷惑だったのではないか、とも。オペラも大きなものだけでなく、小さな「人民のオペラ=フォルクスオパー」をやりたい、と。池辺先生の代名詞「N響アワー」についても語られていて、クラシック音楽はこうあるべき、コンサートには音楽だけがあるべき、という概念を捨て、アットホームな雰囲気を目指した。
棚の上に鎮座している「音楽」をこたつに持ち込んでしまえ。(173ページ)
現役の作曲家の先生がおっしゃるのだから心強い。

 海外のクラシック音楽事情では、ベネズエラのエル・システマとグスターボ・ドゥダメル、フィンランドの指揮者・作曲家、シベリウス音楽院やフィンランドのオーケストラの取り組みも紹介されている。フィンランドクラシック好きとして嬉しい(シベリウスがフィンランドから年金を貰って、晩年作曲をしなかった…と書かれていたのは残念。自己批判が強くなり過ぎて書けなくなってしまった)。そのフィンランドで演奏会を聴きに行った時のエピソードも興味深い。客席には様々な人がいるが、皆聴くことに集中している。「集中の相乗」「芸術の享受」「同じ時、同じ場所に居る者の連帯」(151ページ)…フィンランドの聴衆の音楽の受け止め方が、フィンランドのクラシック界の盛況に繋がっているのかもしれない。

 池辺先生の作曲の話も面白い。同時進行で作品を仕上げるのがいいのかどうなのか。エジプトのオーケストラのために作曲した話。オペラ「鹿鳴館」の作曲。「鹿鳴館」は作曲者の手を離れ、意図を超えて成長しているというのも面白い。作曲家ならではの視点。大河ドラマでも音楽を手がけていた池辺先生。ドラマの音楽の話、そして「音楽にも注目して欲しい」と。大河ドラマの音楽は私もとても重要だと思っています。また池辺先生が音楽担当にならないだろうか。なって欲しい。

 音楽を様々な方向から楽しめるエッセイです。最後に、エッセイではダジャレはあまり出さないのかな…(寂しい)。
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by halca-kaukana057 | 2016-03-25 22:23 | 本・読書

フィンランド 白夜の国に光の夢

 図書館で見つけて、面白そうだと借りてきた本。タイトルだけで気になりました。


フィンランド 白夜の国に光の夢 (世界・わが心の旅)
石井幹子/日本放送出版協会/1996

 NHKBS2で放送された「世界・わが心の旅」シリーズのフィンランド編の書籍化です。番組は見たことはありません。照明デザイナーの石井幹子さんが大学卒業後の1965年、北欧デザインを紹介した本を読んだことがきっかけで、フィンランドで働きながら留学したいと考える。特に気になった女性デザイナー・リーサ・ヨハンソン・パッペさんの下で照明デザインの勉強をしたいとフィンランドへ。ヘルシンキにある、ストックスマン・オルノ社で働きながら、フィンランドの自然や人々、そして光に対するフィンランド人の感性に触れ暮らす毎日。


 本を読んで、これは番組を観たかったなぁ。本にも写真はいくつが掲載されているのですが、季節や時間で変化する光とヘルシンキの町並み、石井さんがどのようにデザインの仕事を手がけていったのか、作られた照明器具などは映像で観たかった。書籍では、石井さんがフィンランドに仕事をしながら留学した時のこと、フィンランド人の光に対する捉え方や暮らし、番組で30年ぶりにフィンランドを訪れたエッセイになっています。

 北欧デザインというと、フィンランドだとマリメッコのようなカラフルなテキスタイル、アルテックのような木のぬくもりを感じられるシンプルな椅子、イッタラやアラビアのような生活に溶け込む食器を思い浮かべますが、照明も忘れてはいけません。石井さんがフィンランドに留学した後の作品ですが、ハッリ・コスキネンの「ブロックランプ」…氷のようなガラスに電球を閉じ込めたようなライトなど、やわらかくあたたかい光を演出するデザインの照明機器が多いです。シンプルで、木やすりガラスを使っているあたりは日本と似ているような感じもします。そんな照明デザインがどのように生まれたのか。フィンランドの人々の暮らし、フィンランドの気候にヒントがありました。

 春分を過ぎ、昼の時間が長くなってきましたが、夜の時間が長く、さらに雪雲で日照時間も少ない冬場は暗く、冬季うつ病になりやすい…わかります。雪明りでまだ明るいとも思えますが、吹雪の日は本当に暗い。さらに寒い。これだけでもう気分は落ち込み、憂鬱になります。北日本でもこの有様なので、フィンランド・北欧諸国ではもっと厳しいのだろうなと思います。冬をなるべく明るく暖かく過ごそうと、照明やキャンドルで光を演出し、大事にするフィンランドの人々。一方、夏になり、白夜の季節でも、その明るさの中で思う存分楽しむ。自然の中の光と闇の狭間で、フィンランドの人々の光への感性が磨かれていくのだなと感じました。

 その照明も、ただ明るくすればいいというものではない。日本のような蛍光灯の白い明るさの強い照明で部屋を均一に明るく、というのはない。間接照明でやわらかく、本を読む時など明るい照明が必要な時はライトでそこだけを明るくする。闇を全否定しない。暗い冬の長い夜、光で闇を一切なくすのではなく、共存している感じがある。グラデーションを大事にしている。

 フィンランドの人々との出会いや彼らの暮らしにも書かれています。サウナや、家で食事に頻繁に友人たちを招く。現在と同じように、1960年代から既にフィンランドは女性の社会進出が盛んな国だった。また、スウェーデン語系フィンランド人についても触れています。あと、旧ソ連との関係も。1960年代、冷戦真っ只中です。

 30年後に石井さんがフィンランドを訪れて向かったのは、フィンランディアホール。アルヴァ・アアルト設計のヘルシンキの名所です。かつてはフィンランド放送響、ヘルシンキフィルの拠点となっていましたが、音響が悪いとずっと言われてきました…。そこで現在は、サントリーホールの音響も手がけた永田音響設計による、ヘルシンキ・ミュージック・センターが出来、2つのオーケストラの拠点であり、シベリウス音楽院でも利用し、ヘルシンキの演奏会・音楽界の拠点になっています。とはいえ、やはりアアルト設計のあの白い内壁のデザインは美しいなと思います。照明の関係で譜面台にひとつずつライトが付いているのも、演奏する側からはどうかわからないのですが素敵。まさに光と暗さを共存させている。この2つのホールの証明の使い方を見ると、とても対照的だなと感じます。

 石井さんは旅の締めくくりにロヴァニエミ、ラップランドへ。オーロラを見て、「光のシンフォニー」と。フィンランドはやわらかな光と共に暮らしている。そんなフィンランドに、またさらに惹かれました。
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by halca-kaukana057 | 2016-03-23 22:27 | 本・読書

目に見えないもの

 ノーベル賞受賞式あたりにこの記事を書きたかったのだが、大幅に遅れてしまった。


目に見えないもの
湯川秀樹/講談社・講談社学術文庫/1976

 今年のノーベル物理学賞を受賞された梶田隆章先生。ニュートリノ振動、ニュートリノに質量がある、という研究。素粒子物理学は日本のお家芸とも言われる分野。それを切り拓き、日本人初のノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹博士。湯川博士の本を読むのは「旅人 ある物理学者の回想」以来です。

 前半は、湯川博士の物理学講座のような、物質とは何か、原子、分子、そして中間子とは何かという話。今読むと、ここから更に素粒子物理学に繋がっていって…と思えるのですが、書かれたのは昭和18年、20年…まだ戦時中。そんな時代に、湯川博士は「目に見えない」物質の根源の理論を考え、研究していた。もし、現代の理論物理学、素粒子物理学の最先端の話を湯川博士が聞いたら、どんな反応をするだろう…。今回の梶田先生のノーベル物理学賞の受賞に何を思うだろう。喜ぶだろうか。そんなことを思いながら読みました。

 後半は、湯川博士の生い立ちや、科学や自然などに関するエッセイ。エッセイというより、「随筆」「随想」と言った方がぴったりくる。二人の父、研究生活。中間子理論の研究については、日本の素粒子物理学黎明期をリードした坂田昌一博士の名前も出てくる。2008年にノーベル物理学賞を受賞した小林誠先生、益川敏英先生も坂田博士の弟子であることを真っ先に思い出した。湯川博士や坂田博士がいたからこそ、今の素粒子物理学があるのだな、と実感する。

 以前「旅人~」を読んだ時、静かで物寂しいと感じ、そう書いた。第3部の随筆・随想の部分は、詩人のような趣もある。ひとつの事柄に対して、静かに、深く、考えをめぐらせる。静謐な言葉に、湯川博士だけでなく、寺田寅彦や中谷宇吉郎など優れた科学者は文章も美しいと感じる。特に、「未来」と「日食」という短い文章が気に入った。感情という科学では捉えきれないもの、記憶、そして未来という不確かなものを、じっと見つめている。その中で、「科学」は何ができるか。可能性であり、希望である、と。科学に対して、研究することに対して、そして人間に対してとても真摯な方だったのだなと思う。

 時々、今の科学の礎を築いてきた科学者たちの言葉に触れたくなる。そんな本のひとつに、この「目に見えないもの」も入れたい。

・過去関連記事:旅人 ある物理学者の回想
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by halca-kaukana057 | 2015-12-27 22:16 | 本・読書

世界を、こんなふうに見てごらん

 夏に読んだ本の感想が溜まっています…漫画も、文庫や新書、単行本も。連休に消化できるかなぁ…。


世界を、こんなふうに見てごらん
日高敏隆/集英社・集英社文庫/2013(単行本は2010年)

 動物行動学者の日高敏隆先生の最後の本(2009年歿)です。昆虫やいきものに興味を持ち始めた子どもの頃から、生物学の研究の道に進み、その中で「なぜ」その動物はそんな行動をするのかを研究する動物研究学会を立ち上げる。いきものの面白さ、いきものや人間は何を見ているのか、科学の考え方などを若い人向けに書き綴った本です。

 夏休みの間にNHKラジオ第一で放送していた「夏休み子ども科学電話相談」では、こどもたちが身の回りにいるいきものや飼っているいきもの、動物園・水族館で見たいきもの、テレビや図鑑で見たいきものなどが、なぜこんなことをするの?という質問がよく寄せられる。こどもたちはよくいきものを見ているなと思う。答える先生方も、こどもたちがわかるように、丁寧にやさしく答える。素朴な質問だけれども、そう言えばそうだよな…と思うことがたくさんある。

 日高先生も、こどもの頃から身の回りのいきものに対して、なぜこんなことをしているの?どこに行くの?何を探しているの?と問い続けてきた。一体何が目的なのか。そこから始まった動物行動学会。今思うと当たり前にあるような学問だけど、日高先生が立ち上げた当時は、立ち上げることがわからないと思う研究者もいたそうだ。

 この本では、いきものは皆「イリュージョン」を持っている、とある。そのいきものがどのように世界をとらえているのか。人間は真実を追究しているようで、ある種のまぼろしを真実と思い込んでしまっている…つまり「イリュージョン」を持ってしまっている。人間には人間の見方、見え方があり、チョウにはチョウの見え方がある。人間が見える世界だけが世界ではない。人間の認識している世界は、その範囲でしかない。科学もひとつのものの見方に過ぎない。それは限界を意味しているようにも思えるが、私にはとても面白いと感じた。わからない、曖昧な領域があることが面白い。「いろんな生き方があっていい」の章でそれを実感した。

 そして「イリュージョン」を否定するのではなく、それを楽しもうとしているところがまた面白い。人間が「そうなんだろう」と思うことが、どんどん変わっていく。「イリュージョン」がどんどん出てきて、そこから大発見に繋がる可能性がある。日高先生のおおらかでやわらかな考え方に、可能性を感じます。

 「行ってごらん、会ってごらん」を読んでいると、これは科学に限らないなと思う。よく、好きなミュージシャン、バンド、音楽家のライヴやコンサートには行けるなら行ったほうがいいという話を聞く。生の音楽はその時だけのもの、もしかしたらそのミュージシャンや音楽家の音楽をもう生で聴く機会がなくなるかもしれない、そのバンドは解散してしまうかもしれない…。美術もそうだと思う。なかなか展示しない作品なら尚更。相手が人なら、会いに行けるなら、会いに行ってみると歓迎してくれるかもしれない。

 いきものの行動を観察し、人間がどういういきものなのかも見えてくる。日高先生の最後の本にふさわしい内容だと感じました。
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by halca-kaukana057 | 2015-09-18 22:27 | 本・読書

ヴェネツィアの宿

 久々に須賀敦子さんの本を読みました。


ヴェネツィアの宿
須賀敦子/文藝春秋・文春文庫/1998(単行本は1993)

 戦争末期・終戦後の頃、イタリアに留学した頃、父と母と、父の愛人のこと、ミラノで結婚した頃のこと…須賀さんの様々な年代の思い出を語る12編のエッセイ。

 立秋も過ぎ、当地は一気に秋めいてきた。まだ夏だけれども、陽の照り方、空の色や雲、風の温度や触感、日の短さ、暮れゆく空…秋の気配を感じる。真夏のギラギラした太陽の下、強烈に明るい雰囲気から、陰りを感じる季節へ。読んでいたら、そんな夏から秋へ移り変わる頃の陰りを思い浮かべた。

 須賀さんが留学し、住んだイタリアやフランスは、南の国のイメージがある。日本のような酷暑ではないけれども、カラッと暑くて、太陽の光が降り注ぎ、明るく、人々も陽気で、街も賑やか。でも、須賀さんが描くイタリアやフランスの情景は、そんなカラッとした陽気なものではない。その光の陰にある、人々の憂鬱や心の奥底が際立っている。周りが明るくポジティヴな印象が強いから、暗いネガティヴな様が浮かび上がりやすいのだろうか。

 今年は戦後70年。戦時中、終戦後に関するエッセイもある。「寄宿学校」は終戦後のカトリック学校の学校生活や寄宿舎でのことが書かれている。戦後の混乱の中、外国人のシスターたちはどんな想いでいたのだろう、と思う。学校での学業や生活は楽ではなかった。その「寄宿学校」の最後が印象的だった。

 以前読んだ「コルシア書店の仲間たち」に関するエッセイもあります。夫のぺッピーノとの話は、何度読んでもつらい。

 様々な人と出会い、別れ。その時、様々なことを思うけれども、はかなく過ぎ去ってしまう。短い夏のような、切なくなる本です。

 ところで、須賀敦子さんの本を読もうと思ったら、河出文庫から全集が出ているじゃないですか。全集でそろえるか、それぞれのを買うか…迷います。全集だと分厚くて持ち歩きにくいのが難点…。
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by halca-kaukana057 | 2015-08-09 23:17 | 本・読書

青い光が見えたから 16歳のフィンランド留学記

 かなり前に出て、フィンランド関係で読みたいと思っていたが読めずにいた本。ようやく読めました。


青い光が見えたから 16歳のフィンランド留学記
高橋絵里香/講談社/2007


 小学生の時に読んだ「ムーミン」シリーズがきっかけでフィンランドに興味を持った筆者。いつしか「フィンランドに行きたい。フィンランドで暮らしてみたい。フィンランドの学校に通いたい」と思うようになった。高校生になったらフィンランドの学校に留学する、と目標を立てた。しかし、中学生になり、上級生下級生の上下関係が厳しく、先生は絶対であり、体罰や脅しもあることに疑問を持つようになった。親しくなった先生にも裏切られ、いつしか皆と同じ、自分を押し殺し、他者の顔色を伺いビクビクしながら暮らすようになった。フィンランドへ留学することも諦めていたが、中学2年の時に下見とフィンランドへ家族で旅行し、受け入れてくれそうな学校を探す。見つかったのはロヴァニエミのリュセオンプイスト高校。留学といっても、1年間ではなく3年間。入学して、卒業するまで。留学への壁は厚い。フィンランドの滞在許可が下りるか。フィンランド語も満足にできないのに留学できるのか。フィンランドの高校の卒業試験はとても難しく、突破できるのか…。精神的に不安定になりながらも、やっぱりフィンランドの高校に行きたい。ホストファミリーも無事に見つかり、滞在許可が下り、中学を卒業した筆者は、フィンランドへ旅立った…。


 この本が出た頃、フィンランドの教育が注目されていたのだったっけ?よく覚えていない。フィンランドの教育はいい、日本の学校との比較はあまりしないように書きます。日本の学校でも、フィンランドほどではないが自由でおおらかな校則・校風の学校はある。あくまで、高橋さんが体験したフィンランドでの高校生活について書きます。

 きっかけなどは異なるが、フィンランドに興味を持っていて、フィンランドに行ってみたいと思っている…私も同じだ。フィンランドに行くなら、できるだけゆっくり滞在して、フィンランドの人々と触れ合ったり、森と湖の自然を満喫しながら、私がフィンランドに興味をもつきっかけになったシベリウスの作品を聴きたい、と思っている。だが、私がそんなことを思うようになったのは社会人になってから。仕事もある、生活費から旅行資金を繰り出すのはなかなか難しい。体調面でも不安がある。ゆっくりとフィンランドに滞在する…少なくとも2週間…時間も取れない。もしかしたら、行けないままかもしれない。届かないまま、憧れのままで終わるかもしれない。そう思いながら、シベリウスやフィンランドの音楽を聴いたり、「ムーミン」シリーズを読んだり、フィンランドの写真をネットで探してみたり…。

 この本を読んで、若いっていいなとまず思った。エネルギーがある。窮屈な中学校、日本から飛び出したい。1年間の交換留学じゃ短い、とフィンランドの高校に留学というよりは入学することを目指す。精神的に不安定になりながらも、それでもフィンランドに行きたい!!とひとつひとつ厚い壁を乗り越えていく。若さもあるし、両親の理解と支援が何よりも心強い。恵まれている。学校で先生に反対されても、両親は理解して背中を押してくれる。いいなぁと、正直羨ましく思った。

 そして入学。フィンランドの高校は単位制。移民や留学生のための外国人のためのフィンランド語の授業もある。本ではさらっと書いてあるが、実際、筆者がフィンランド語をマスターするのはとても大変だったのだろう。フィンランド語は名詞も動詞も格変化が多くとても難しい。しかも、日本語で書かれたフィンランド語の本は今は少しは増えてきたが、筆者がフィンランドに渡った2000年ごろはほんの少ししかなかったはず。フィンランドで筆者が買ったのは、フィン英・英フィン辞書。ストレートに母国語でマスターできない難しさは相当のものだったろう。だが、間違えてもいいからフィンランド語をマスターして、国語の読書感想文を発表したり、試験も受ける。試験はレポート記述式のような形で、最初はほとんど何も書けなかった。その試験は0点でも、成績は…試験の結果だけじゃない。高校の先生も、友達も、高橋さんの努力する姿、前向きに学ぼうとする姿勢を評価し、ほんの少しのことでも誉めてくれる。間違っていることや足りないことははっきり言うが、いいところもちゃんと見る。子どもも大人もそんな考え方が出来ていて、それで学校が成り立っていていいなと思う。

 フィンランドの人たちに日本のことを紹介することも何度かあった。日本語、食べ物、文化…。普段でも、外国にいく時には特に、日本のことをちゃんと紹介出来るようにしておきたい。
 高橋さんがフィンランドで迎えたクリスマスも印象的。ロヴァニエミはサンタクロースが住んでいる村がある町としても有名。クリスマス前には、世界中にプレゼントを配りに出発するサンタさんのニュースを観たことがある。フィンランド人にとってクリスマスは、家族で過ごす大事な日。日本のようなわいわい賑やかなパーティーは1ヶ月前に済ませておくそうだ。フィンランドにも一応ワイワイ騒ぐクリスマスパーティーもあることは初めて知った。そして、この頃はフィンランドは暗く寒さの厳しい季節。ロヴァニエミは北の方の町なので、日中はほとんど真っ暗。気温もマイナス30度を下回る。厳しい自然の中だからこそ、よりクリスマスの暖かさが際立つのだろう。

 勉強は難しいが、高橋さんはフィンランドで閉ざした心を徐々に開いてゆく。厳しい上下関係も、体罰や脅しをする先生もいない。先生は親しみを込めてファーストネームで呼び(寧ろ呼ばれないと親しみをもたれていない証拠なのだそうだ)、髪を染めたりピアスも開けていい。高橋さんも髪を染め、ピアスも開けた。日本では先生は絶対だし、校則も厳しく、ピアスは禁止されていると言うと、理解できない、と。私がもし何故禁止されているのかと聞かれたら「風紀を乱すから。日本ではピアスは好ましくないもの、学校や大人、社会への反抗とみなされるから」と説明するだろうが、これで理解されるだろうか。
 そして、フィンランドに来た頃はフィンランドの人々から見れば、高橋さんはとても暗い表情をしていたという。シャイな日本人、では説明しきれないほどの。1年も経たないうちに、表情も、服装も明るくなった、と。3年では元々得意なドラムを生かして友達とバンドを組み、学校で演奏もした。「自分の居場所」と言えばいいのだろうか。自分を素直に表現できる環境。人も場も受け入れてくれる。高橋さんにとってフィンランドはそんな場だった。自分を押し殺し、苦しんだ中学とは全く異なる世界。そんな環境に出会えた…というよりも、自分で切り拓いて見つけたことに、いいなぁと思いながら読んでいた。

 フィンランドの高校は、3年と決まっていない。学びたいことの進度・深度や自分のペースによって、3年半や4年の人も少なくない。高橋さんも4年で卒業することを目指す。卒業するための最大の難関…卒業試験。これは学校ごとではなく、フィンランドの国全体で行われるもの。卒業できるかどうかは国が決める。試験も長文の記述式のものがほとんどで、試験時間は1教科最大で6時間。厳しく徹底しているというか、丁寧だなと思った。高校生ひとりひとりの答案を読んで、採点して、相対評価で成績・合否を出す。フィンランドは日本よりも人口が少ないけれど、それでも大変なことだろう。高校で何を学んだか、どれだけ学んだか、国が見守っているという印象を受けた。

 その卒業試験前の最後の登校日の「アビの日」が凄い。ここで鬱憤を晴らして、厳しい試験に臨むのか…。

 フィンランド語が満足にできなかった高橋さんは、フィンランドに来る前に卒業試験に合格するのは無理だと学校では思われていた。しかし、信じて挑戦し努力していれば、道は拓ける。味方してくれる。試験の成績発表の最後あたりは胸が熱くなった。
 最初から最後まで、「いいなぁ」という思いで読んでいた。実際はもっともっと大変だったはず。この本には書ききれないことが沢山あったはず。それでも、フィンランドという環境は高橋さんに合っていたからこそ、苦労も乗り越えて、挑戦し努力し続けて、ここまで来ることができた。そして挑戦することから遠ざかっていた私は、読んだ後、「私はどうしたい?」「何がやりたい?」「難しそう?でもやってみたい?」と自分自身に問いかけている。

 この本、文庫化しないのが不思議である。出版社も講談社だし、様々な選定図書にも選ばれているし、文庫化して、中学生や高校生、若い人にもっと読んでほしいと思うのだが…。
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by halca-kaukana057 | 2015-07-02 23:10 | 本・読書

シャーロック・ホームズへの旅 2

 先日読んだ本の続編です。
・前作:シャーロック・ホームズへの旅

シャーロック・ホームズへの旅 2
小林司・東山あかね/東京書籍/1993

 河出文庫版正典の訳者のシャーロキアンのお二人の「シャーロック・ホームズ」シリーズゆかりの地を訪ねる旅行記続編。前作の翌年の1988年、再びイギリスへ。1991年は、「最後の事件」のホームズとモリアーティがライヘンバッハの滝で決闘してから100年。ちょうど建国700年記念のスイスで、ロンドンのシャーロック・ホームズ会によるスイス・ツアーに、お二人のお嬢さんも一緒に参加。更に、この続編ではアメリカへも。世界で一番古いシャーロキアン団体「ベイカー・ストリート・イレギュラーズ(BSI)」に招かれディナーに参加し、「緋色の研究」の悲劇の舞台となったソルトレイク・シティにも。「ホームズ」はイギリスの作品ではあるけれども、スイスや直接行ったわけではないがアメリカ、この本には出てこないがインドなど、国際色豊かな物語だったのだなぁと実感する。

 イギリス編では、ロンドンに行ったらまずはパブ「ザ・シャーロック・ホームズ」。観光地としても有名なので、世界各地からホームズ好き、シャーロキアンたちがやって来る。ベイカー街には「シャーロック・ホームズ・ホテル」があるが、名前だけになってしまい内装やアメニティは普通のホテル。更に、ホームズの格好をしたホテルマンが掃除している…シャーロキアンから見れば「ホームズに掃除させるとは何事か!」と遺憾、と…。
 ベイカー街221Bはどこか、という問題も。現在の221番には「アビ・ナショナル・ビルディング・ソサエティ」がある。ホームズ専用の秘書も置いてサービスしてきた。だが、1990年にそばに「シャーロック・ホームズ博物館」ができ、"本家"を名乗りだしている、と。この本によると、「ベイカー街は行くたびに様子が変わってしまうので、油断ができない」(22ページ)とのこと。今は更に変わってしまっているのだろうな。前作の感想の最後に、私はこう書いた。
今はかなり変わっているのだろうな…。変わってしまっていても、イギリスにはたくさんのホームジアンがいるだろうから、「ホームズ」を愛する人たちの力で守られているものもきっとあると思う。

 こうとは限らないようで…残念。

 この時、イギリスでは、グラナダテレビのドラマ「シャーロック・ホームズの冒険」のジェレミー・ブレットとエドワード・ハードウィックによるホームズとワトソンの2人芝居が上演されていたとのこと。その舞台を観に行った2人。英語で、渋い会話の2人芝居。お二人でも内容はよくわからなかったそうだが、ジェレミー・ブレットのホームズとエドワード・ハードウィックのワトソン、グラナダコンビの2人の舞台…観てみたかった!!生で、目の前で、かっこよくお茶目なジェレミー・ブレットのホームズと、温厚で頼りがいのあるエドワード・ハードウィックのワトソンの会話劇があっただなんて!!夢のようだ…。今回の旅でも、マンチェスターにあるグラナダテレビを訪問。グラナダ版のスタジオセット見学ツアーもあった。読んで、いいなぁいいなぁ!と連呼していました。

 アーサー・コナン・ドイルの墓や隠れ家、病気だった最初の妻を静養させるために建てた豪邸のホテルへも。コナン・ドイルがどんな作家・人間だったのか、ドイルにとって「ホームズ」は何だったのか。「ホームズ」好き、シャーロキアン以外の人々は、「ホームズ」やドイルについてどう思っているのか。後のスイス、アメリカでも、そんなことにも触れた旅でした。小林さんは医師でもありますが、その医師であることが役に立った場面も。

 「ホームズ」だけでなく、チャールズ・ディケンズに関しても出てきて、これまた面白い。「アベ農園」の舞台のひとつと考えられている町・ロチェスター。ディケンズにちなんだ名前のパブが多く、ディケンズ博物館もある。人形劇では、4話でワトソンがディケンズの「二都物語」を読んでいて、物語の鍵となっている。人形劇で「二都物語」を出したのは、4話の物語に関連するだけではないかもしれない…。

 スイスでは、前作と同じようにツアーの参加者は「ホームズ」シリーズに出てくる人物に扮装(今風に言えばコスプレ)している。偶然出会った他の日本人観光客たちからは、冷たい視線が。それ対して、日本人は遊び心がない、と。今なら、それほど冷たい視線で見られることはないと思う。一方の、本職がスコットランド・ヤードの警官さんは、警視庁から「ツアー一行を護衛せよ」と公務出張命令を貰って参加したとかw役は巡査役。楽しそうでいいなぁ。
 スイス建国700年にも当たっているので、スイス観光も。ウィリアム・テル、永世中立国…。永世中立国の厳しさには色々と考えてしまった。ホームズも、ウィリアム・テルも架空の人物?それとも?これも興味深い繋がり。
 マイリンゲンにあるホームズ像には、60の事件名が暗号で記されているという。筋金入りのシャーロキアンの小林さん・東山さんでも一つしかわからなかったというのは驚き。相当難しいに違いない…。

 アメリカ編では、ニューヨークでの「ベイカー・ストリート・イレギュラーズ(BSI)」に招かれた小林さん。なんと、SF作家のアイザック・アシモフも筋金入りのシャーロキアンだったそう。世界のシャーロキアンの輪は凄い。このアメリカ編で、ホームズの誕生日が1月6日の理由が判明。驚きの理由だったwちなみに、ワトスンの誕生日は様々説があって、決まっていないようなのですが…。7月7日説と8月7日説が有力らしいが、どちらを祝えばいいのでしょう…?もうすぐ7月7日なので…。
 「緋色の研究」の舞台となったソルトレイク・シティ。だが、実在の人物も登場しモルモン教への偏見を含む内容は、モルモン教の信者たちにとっては残念でならないもの。シャーロキアンとばれると憎まれるかもしれないので、隠して取材。世界的な名作の「ホームズ」シリーズも、別の視点から見ると…と思うとまた複雑。

 旅にはトラブルがつきもので、イギリスでは郵便局のストに巻き込まれたり、スイスでも持ち物を盗まれたり…。でも旅先での出会いは今回も楽しい。
 何より、「シャーロック・ホームズ」で世界中に友達ができて、「ホームズ」で扮装して、今で言う「聖地巡礼」的なツアーや、パーティーなどで盛り上がれる。いいなぁ、楽しそうだなぁ、と「ホームズ」入門者の私も思います。
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by halca-kaukana057 | 2015-06-28 23:16 | 本・読書


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