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音楽を共有すること

 このカテゴリで書くのは1年以上ぶりです。しかも、カテゴリ名が変わりました。変えました。その経緯などを、これから書こうと思います。

 まず、ピアノを弾くことから、ずっと離れています。たまに、ブルクミュラー25やシューマン「見知らぬ国々」などを軽くさらう程度。後述するソナチネアルバムや、シューマン、シベリウスの他に、弾いてみたいと思う曲が何曲か合って、黙々と練習していたこともありました。が、続かず、未完成のままです。練習がだんだん退屈に思えてくる…。かつての、楽譜と鍵盤に食い入るように練習して演奏いていたあの熱心さ、情熱はどこへ行ってしまったのだろう…。

 思えば、転機となったのが、腕の手術と、ブルクミュラー25を終えてソナチネに入ったこと。腕の手術を受け、しばらくピアノを弾けず、練習から離れたこと。ブルクミュラーとは性格も形式も異なるソナチネアルバムを始めたはいいが、最初のクレメンティ7番から壁にぶち当たってしまった。簡単そうに見えるのに弾けない。どう弾いたらいいのかわからない。次にクーラウ4番に進み、クレメンティ7番よりは親しみやすいなと感じたのですが、やはりソナチネは何か違う。ならば大好きなシューマン「ユーゲントアルバム」…シューマン先生、難しいです。指遣いや響かせ方が単純じゃない。ずっと弾きたい憧れの曲である、シベリウス「樅の木」…まだ手が届きません。こうして、どんどんピアノから遠ざかっていきました。

 でも、ピアノからこのまま遠ざかる、離れる、さよならするのもかなしい。部屋には子どもの頃から弾いてきたピアノがある。弾かないままなのも勿体無い、かわいそう。そう思って、ピアノに向かうのですが、演奏しようと思って楽譜を開いても、何も出て来ず、そのまま蓋を閉めてしまうことばかりでした。

 でも、音楽は好きだ。クラシックからポップスまで。それは変わりませんでした。昨年あたりから、これまで長い、何を歌っているのかわからない、物語に馴染めない…と敬遠してきたオペラも聴き始め、今年は声楽全般強化年になりました(続行中)。さらに、以前は苦手意識のあったフランス近代ものも、フォーレをはじめとして聴いています。フォーレでも、「レクイエム」や宗教曲、歌曲と声楽曲を中心に聴いています。

 去年あたりから、ピアノのレッスンを受けてみようかと考えていました。子どもの頃は大手の教室に通っていた。教室・先生選びや体験レッスンを受ける時のことを、ピアノレッスンを受けているネットで知り合った方々に質問し、アドバイスをいただきました。しかし、ピアノ教室は大手から個人まで結構ある。体験レッスンを申し込むのもなかなか勇気が出ず…結局受けずにそのまま昨年が過ぎてしまいました(アドバイスしてくださった皆様、ありがとうございます。そして、ごめんなさい)

 そして今年に入ってから、ピアノが難しいなら、今まで興味はあったけどやったことのないものを一からやってみたらどうだろう。逆に、ピアノをやっている人は多いから、ピアノよりも別なものをやりたい(天邪鬼)。そう思って、何をやりたいか…と出てきたのが、うたうこと。オペラや声楽曲を聴いて、同じ人間なのに、どうやったらあんな声を響かせられるのだろう?自分の身体そのものが楽器になるって、どういうことだろう。歌うのは元々好きです。運転中に好きな音楽を聴いて、合わせて歌うことも多いですし(でも安全運転で)、カラオケも好きです(ただしひとりカラオケ・ヒトカラ。なかなか友達と都合が合わない、そして歌う歌がマイナーな曲が多い…)。ポップスもいいけど、マイクなしで大きなホールに声を響かせる声楽に興味がありました。合唱も興味があったのですが、一からボイストレーニングも受けてみたい。音楽の基礎となるソルフェージュにもなるだろう。声楽の教室は少なく選択肢がほとんど無かったので、すぐに決まりました。体験レッスンでも、この先生の元でレッスンを受けてみたい、と思えました。

 というわけで、今は声楽をやっています。練習曲のコンコーネ50番と、イタリア歌曲集をメインに歌っています。声の大きさには自信がありましたが、「大きな声」と「響く声」は全く違うことに、発声を一からやってみて気付きました。息の吸い方、吐き方、響かせ方、姿勢、使う筋肉、口の開け方、発声する際のイメージ。声のトーン、ピッチ、表情。まだはじめて1年経っておらず、うまくいかず戸惑うことも少なくありません。最初の頃は、高音はよくひっくり返るし、かすれる、安定しない。ピアノはその鍵盤を押せばその音が出る。声楽は、弦楽器と同じでその音は出せていても、ピッチという触れ幅がある。ピッチが少し違うだけで、全くその歌の表情が変わってしまう。ずっとピアノだけやって来たので、難しいけれどもとても新鮮でした。今は、イタリア歌曲集(全音の第1巻)を歌っています。ヘンデルの「Ombra mai fu(オンブラ・マイ・フ/なつかしい木陰)」など。イタリア語の発音もまだまだこれからです。イタリアものはこれまでほとんど聴いてこなかったので、最初はその明るさが眩し過ぎて慣れませんでしたが、探すとイタリア歌曲やオペラアリア、イタリア民謡にも様々な曲があることを知って、面白いなと思っています。
 でも、いつかはやりたいドイツリート。そして北欧もの。やっぱり北の音楽に惹かれますw

 発表会もあり、1曲歌う機会がありました。ピアノ演奏ではないけれど、人前で演奏するのは何年ぶりだろう…。発表会まで、細かい修正が続きました。そして、声楽はピアノ以上に体調に気をつけなければならない。風邪を引くなんて言語道断。自分の身体が楽器になるということは、体調そのものが演奏にあらわれてしまうことなんだと実感しました。
 発表会は、高音が少々かすれたところがありつつも、無事に歌いきることができました。曲に合わせた歌い方も出来たと思っています。そして、他の方々の演奏を聴くのも楽しかった。普段は個人レッスンなので、会ったことのない方ばかり。曲も違えば、声域も違う。声質も違う。同じピアノでも、弾く人によって音色は変わりますが、声楽はその人の声が楽器になる。人それぞれ声域も声質も異なる。その幅広さと深さが楽しかった。クラシックだけで無く、ポップスを歌う人、合唱もあり、また、ピアノや他の楽器もあり、自分が歌う以上に、聴くのが楽しかった発表会でした。

 その発表会の後、私が発表会で歌った歌を、他の生徒さんが歌いたい!と歌っている、と先生から聞きました。私も、他の生徒さんの歌もいいな、いつか歌いたいな、と思っていました。また、先生と先生の音楽仲間さんたちのコンサートを聴く機会もあり、憧れの歌も聴け、モチベーションが上がりました。

 以前、ピアノを一人で弾いていた頃。とにかく弾きたい一心で、レッスンに通えなくてもいい、誰も聴いてなくてもいい。そうして一言で言うと「独学」を選び、自分と楽曲・楽譜・作曲家の一対一で向き合いながら演奏するので十分だと思っていました。その分、自分の演奏には極限まで客観的に向き合う。わからないことがあったら「適当」で終わらせない。それで、ひとりで練習・演奏しても、カバーできると思っていました。

 その一方で、レッスンや練習オフ会などを心の奥で本当に羨ましいと思っていました。今でも、羨ましいと思っています。そんな環境が、直々に会って演奏し合える仲間が近くにいるのが羨ましい。演奏する曲も皆レベルが高くて、よく自分を見失っていました。過去の記事に、そんな自分を見失い、立ち上がり、また迷い…の過程が記されています。そんな過去の自分は、随分と意地を張っていました。置かれている環境…ひとりで演奏するしかない状態だったから、それでもやるんだ!、と強く思わないとすぐ折れてしまうから。熱心だったけど、腕の手術で少し離れた時期もあり、ソナチネに入って勝手が変わり、壁にぶち当たったところで折れた。

 今、ようやく、意地張っていた、頑なになっていた自分に気付きました。確かに、確固たる意志を持っていないと保てない状況だったけど…。他者を羨ましいと思いつつも、拒否している部分もありました。レッスンを受けている人には、仲間にいつも囲まれている人には、この私の置かれている状況、孤独なんてわからない。理解されてたまるか。私はひとりでも、ひとりだからこそ、自分に向き合って演奏するんだ。でもその演奏は、行き場がありませんでした。ブログに練習記録や録音をアップしても、そこが着地点ではありませんでした。

 今は、誰かと共有する音楽もいいなと思っています。一人で演奏したり、演奏会やCDを聴くのも、もちろんいい。ソロで演奏する時も、誰かと合わせる時も、聴く人がいる時も、音楽は特定の人がいるいないに関わらず、誰かに向けて演奏している。声楽は、基本的に伴奏がいないと歌えない。伴奏も共有。共有して、先生や聴いている人たちの反応を受け取って、音楽はまた深く広くなるのかな、と声楽レッスンや発表会などを通じて、思えるようになって来ました。特に、歌は、外国語であっても、雰囲気で伝わるものがある。発表会前、どうしたら、どう歌ったら、聴く人にこの歌に込められているものを伝えられるだろう。勿論、基礎基本の発声も大事。でも、歌の意味を頭に入れて表現を考えることで、発声も変わってくる。おのずとついて来る。先生にそうアドバイスされ、考えながら練習していました。

 先日感想を書いた「BBCプロムス ラスト・ナイト・コンサート2014」。指揮のサカリ・オラモのスピーチに、こんな内容のものがありました。
音楽は(中略)聴く者にとっては世界共通の言語です。
(中略)
物事を見る目を養い、人の心を癒します。
音楽は驚くほどの速さで人に伝わり、心の奥底にある感情に訴えかけます。
だから私たちは、こうして集まるのです。

 音楽は、共有してもっと楽しくなる。その時しか奏でられない、聴けない(録音録画しても、その時の空気感や熱気、雰囲気までは完全に伝えきれない)音楽を、共有したい。自分が演奏して聴いた人は違うことを思うかもしれない。その逆もある。それでもいい。その異なる想いも共有したい。

 ピアノは、今は声楽の練習の際に音を取る時に使っています。「演奏する」というものではありません(ごめんよ)。今は、声楽だけで精一杯なので、とにかく歌います。でも、発表会でピアノも聴いていいなと思ったので、またピアノを弾くこともあると思います。今度ピアノを弾く時は、意地を張らないように。

 声楽のレッスン記録は基本的に書きません。練習中の曲についても書きません。後でさらりと書くかもしれません。ただ、レッスンで学んだ面白いことや、何か気がついたら書きます。

 これが、今の私の奏でている音楽です。こうやって書くこともまた、共有ですね。
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by halca-kaukana057 | 2014-12-22 23:41 | 奏でること・うたうこと

基礎練習と理論勉強の大切さと習うこと

 久々にピアノカテゴリ。と言っても、練習記録ではありません…(かなしいことに)
 twitter経由で、興味深いツイートを読みました。

Togetter:モビゾウさんの基礎についての一連のツイート
 娘さんのピアノレッスンで、基礎を学ぶ大切さについて書かれています。特に印象に残った部分を引用します。

 最初はあまりにリジッドに理論勉強をするので、もう少ししたら辞めさせようかなあと思っていたのだけれど、なるほど、基礎理論の勉強というのをしないと、ピアノはいつか必ず行き詰まるということが分かった。そして、私が弾けなくなった時点で娘のピアノも頭打ちである。
 ・モビゾウさん(2013年5月14日 10:19

 勉強も、研究も、音楽も、全て基礎。基礎理論だ。話はそれから。毒にも薬にもならない「基礎部分」というのは本当に面白くない。その面白くない部分をいかに楽しく教えるか。ここが先生の力量なのだとやっとわかった。
2013年5月14日 10:22

 英語もピアノも同じ。つまらない基礎の部分を、いろいろな工夫をしながらひたすら繰り返し、定着させていく。その定着が済んだときに突然飛躍した難易度のものを渡されても、解ける自分に驚く。あとはどんどん自分で創り上げるだけだ。創造はそこから始まる。
 2013年5月14日 10:24


 まさしくそうだなと感じました。基礎練習…例えばハノンで指・手・腕…身体全体の動きを確かめながら練習し、曲の練習でも片手ずつ楽譜に書いてある指示を理解してその通りに何度も弾いてみる。楽譜に書いてあることを理解してその通りに弾いてみる…これは結構難しい。「書いてある通り」と言っても、解釈で異なってくる。
 それから、よくあるのが音符の読み間違い。音そのものを読み間違えることも私はよくあるのですが(悪い例です)、音の長さ・付点も大事。この辺も、おろそかにしていなかったか自分よ…(完全に悪い例)

 基礎練習・理論の勉強は大事だと、今痛感しています。ピアノに最近触っていません…。全く触っていません…。弾きたいと思う時があるけど、この先どう練習したらいいか分からないと壁にぶつかって、そのまま壁の下に座り込んでいる状態です。「弾けない」自分に向き合うのも不安、怖い。ここから先にどう進んだらいいかわからない…これはずっと悩んでいる。

 悩んで、基礎練習や理論の勉強は自分でコツコツ積み重ねるものだけど、自分だけでは出来ない。やり方や方向を教えてくれるプロの存在が必要なんだとようやくわかった。ここから先に進むのは、自分ひとりではできないことだと、少し前から感じ、教えを請おうを考えているところです。

 こう書くと、もう決まってしまったようになりますが…、まだ動き出していません。教えを請うこと=ピアノを本格的に再開するということ。そこまでして再開したいのか…という迷いもあります。別にピアノ弾けなくてもいいじゃない?とささやく自分がいます…。でも、CDを聴いたり楽譜を読んだり、以前のピアノ練習記録・演奏録音を聴いていると、もう一度ピアノを演奏するという形でも音楽を楽しみたい、自分で演奏して音楽に触れたいと思います。途中でやめたままにしておきたくない。以前「演奏したい」と思った数々の作品を演奏したいか、と問われれば、「演奏できるようになりたい」と思います。

 具体的な曲を挙げれば、シベリウスの「樅の木」(「5つの小品(樹の組曲)」op.75-5)はやはり演奏したい。憧れの曲です。シューマンの「美しい5月よ、お前はもうすぐやってくる」(ユーゲントアルバムop.68-13)や以前練習していた「春の歌」op.68-15、「思い出」op.68-28といった「ユーゲントアルバム」に収められている作品も弾きたい。J.S.バッハにモーツァルトやベートーヴェン。シューベルトやブラームス、グリーグでも弾きたい曲は沢山ある。ちょっと苦手意識のあるショパンも、これはいいなと思う曲が少しずつですが出会えました。近現代なら、バルトークやヤナーチェクなどなど。現代邦人作品なら、吉松隆も好きだ。
(詳しくは「ピアノ・弾きたい曲」リストを。下にリンクを貼っておきます)

 こんなに好きだ、演奏してみたいと思う作品は沢山あるのに、手を伸ばそうとしない自分は一体何なのだ。憧れているだけか?それだけか?それだけでいいのか?

 その前に、基礎練習、理論の勉強という長い途があるけれど、それは苦だけじゃないと以前弾いていて分かっている。今は忘れている、失っている。先に進むための心の準備が出来れば、動きます。
 …もっと思い切って「やります!」とはっきり言えたらなぁ…弱気な自分どうにかしたい。

タグ:ピアノ・弾きたい曲
 過去の「弾きたい曲リスト」があります。
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by halca-kaukana057 | 2013-05-14 22:36 | 奏でること・うたうこと

パリ左岸のピアノ工房

 以前から、タイトルとあらすじで気になっていた本。


パリ左岸のピアノ工房
T.E. カーハート:著/村松 潔:訳/新潮社・新潮クレスト・ブックス/2001

 アメリカ人でパリで暮らしている「わたし」は、子どもの送り迎えの途中の狭い静かな通りにある「デフォルジュ・ピアノ店」の前を通りかかり、いつも気になっていた。ウィンドウの小さな棚にはピアノの部品や工具が並んでいる。子どもの頃ピアノを弾いていてしばらく遠ざかっていたが、最近またピアノを弾きたいと思っていた「わたし」は、この店に中古のピアノがあるのではないかと店に入ってみる。店の主人と話をしたが、そういうのは扱っていない、と。しかし、別の日に店に来てみると、若い店員らしき男・リュックは、この店のお客の誰かの紹介があれば探しているピアノを見つけやすくなるかもしれない、と。その後、偶然にも娘のクラスメイトの家に行った時、その母親がピアノを弾いていること、そして「デフォルジュ・ピアノ店」のお客であることがわかる。早速店に行き、そのことを話すと、店の主人とリュックの間でしばし激しいやり取りがあった後、リュックは「わたし」を店の奥へと案内してくれた。そこには、たくさんのピアノが並んでいた。この店は、古いピアノを修理し、ピアノを探している人に売ることもしている。そして「わたし」は自分のピアノ探し、そしてピアノとの新しい暮らし、「デフォルジュ・ピアノ店」での様々なピアノとの出会い、ピアノ職人・リュックをはじめとするピアノを愛する人々に出会う。


 著者のカーハート氏自身のノンフィクション。読んでいて、ピアノという楽器の魅力をあらためて感じました。私も、子どもの頃からピアノがある場所が好きで、そのピアノに触れてみたい、演奏してみたいと思うことがよくあった。学校の音楽室、体育館、友達の家、公民館、楽器店(売り物なので勝手に触るのは不可)、レストランやカフェ、結婚式場…。思えば、ピアノはあちらこちらにある。後でまた出てくるが、ピアノは持ち運びできないので、プロであれアマチュアであれ演奏家はそこにあるピアノを演奏する。ひとつとして同じものがないピアノ。同じメーカーの同じ型のピアノでも、調律のちょっとした違いで音が変わる。演奏者の演奏によっても変わる。ヴァイオリンやチェロ、フルートやクラリネットなどの持ち運びできる楽器なら、自分の楽器をいつも持ち歩いて、演奏することができる。コントラバスやチューバなどの大きな楽器になると持ち運びは大変だが、演奏者は自分の楽器でいつも演奏している。ティンパニやシロフォンなどの打楽器となると、いつも自分の楽器…とはいかないが、打楽器にお目にかかれるのは音楽室やコンサートホールの練習室ぐらい。ピアノは街の至るところにある。ここまで普及している楽器も、珍しいのではないかと思う。ただ、そのピアノが、全て楽器として演奏されているかどうかは別として…。

 「わたし」が出会ったピアノ職人・リュックは、「デフォルジュ・ピアノ店」で故障したピアノや、古いピアノの修理をして、中古ピアノとして売ったり、博物館に引き渡したりしている。こう書くと、あっさりとしてしまうが、リュックのピアノへの愛情は相当のものだ。裕福な人がその裕福さの誇示のため、高級なピアノをリビングに置いて、眺めるだけにしていることに怒り、ずっと弾かれずに悪くなってしまったピアノに出会うと嘆き悲しむ。リュックは、ピアノは持ち主と生活を共にする「生き物」である。持ち主の生活の中にあって、そのピアノを演奏し、生活の中に音楽が溢れる。ピアノはメンテナンスを怠らなければ、ずっと「生き」続ける。ピアノ店の奥・アトリエには修理途中の何十台ものピアノがある。リュックは再生可能なピアノは「生きている」と、演奏できない博物館で展示するしかないピアノは「死んでいる」と呼んでいる。そして、自分だけの夢のピアノに出会うことを願っている。リュックが語るピアノは、見たこともないピアノでも魅力的に感じてしまう。

 この本では、たくさんのピアノメーカーのピアノが登場する。私の知っている・演奏したことのあるピアノは、ヤマハ、カワイ、スタインウェイ、ベーゼンドルファー。名前だけならベヒシュタインとか、ペトロフぐらい(名前だけで、詳しいことはあまり知らない)。しかし、ピアノはもっと沢山ある。フランスが舞台なので、プレイエルやエラールといったフランス製のピアノが多く登場する。そして、「わたし」が買ったのは、オーストリア製の今はもうないシュティングルのベビー・グランド。世界にはこんなにたくさんのピアノメーカーが存在していることだけでも驚きだった。それらの、私の見知らぬピアノたちはどんな音色で歌うのだろう?私も、出会ってみたくなった。

 「わたし」の娘もピアノを習い始めるのだが、そのスコラ・カントルムの校長の話が印象的だ。ヤマハやスタインウェイは素晴らしい音質だ。だが、ピアノはヤマハやスタインウェイだけではない。今の形のピアノになってからの歴史はまだ浅い。ハイドンやベートーヴェン、ショパンの頃のピアノは今のピアノとは全然違うものだった。だから、現在の色々な種類のピアノの独特の音を聴き、特別なタッチを経験する必要がある、と。ピアノは持ち運びできないからピアニスト・演奏者はそこにあるピアノを演奏することになる。家のピアノ、ピアノ教室のピアノと違う…とは言っていられない(でも勿論、一番は家のピアノでありたい)。色々なピアノと出会い、歌わせる。とてもいいなと感じた。

 「わたし」は「自分のピアノ」シュティングルを手に入れ、やがてレッスンを受け始める。この「わたし」のレッスンや練習、ピアノ演奏に対する考え方が、自分と似ていて驚き、嬉しくなった。自分自身のたのしみのために演奏する。作曲家の意図したものを理解して、それに沿った演奏しつつ、自分自身の演奏を付け加える。子どもの頃、「わたし」はレッスンや合唱の伴奏で酷い目にあったことも関連している。これは酷い話だよなぁ、よく著者はピアノ嫌いにならなかったなぁ、と思う。先生には酷い思い出はあるけど、ピアノそのもの、音楽そのものを好きな気持ちは変わらなかった。レッスンや、マスタークラスでの話も興味深い。

 この本だけで、ピアノの歴史やピアノの仕組み、調律と平均律などについても学べてしまう。ピアノの魅力が詰まっていて、でも専門書のような堅苦しさはない。とにかく、ピアノへの愛情で溢れている。



 この本を読みながら、私自身の部屋にあるピアノのことを考えた。読みつつ、ピアノを見た。ヤマハのアップライト、日本の家庭や学校ではポピュラーなピアノ。でも、私が子どもの頃ピアノを習い始め、その時からここにあるピアノだ。今はあまり弾いていない。また弾きたいけど、付き合い方がわからなくなってしまった。どうやったら、たのしく付き合えるのか、わからなくなってしまった。でも、このままにして、この本で出てくる「死んでしまった」ピアノにはしたくない。かつて、私の日常の中にこのピアノで演奏した音楽があったように、またそうなりたい。リュックが願っているように。きっと、ピアノを「生かす」のは私自身なのだろう。
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by halca-kaukana057 | 2012-12-04 23:20 | 本・読書

ピアノでこれから先に進むために

 久しぶりにピアノのことを。箇条書きで。

・これまでピアノから遠ざかっていたのですが、少しずつ練習を増やしています。ただ、酷寒の毎日。ピアノのある部屋(自室)のストーブをつけて、部屋が暖まらないと練習できません…(暖房が無いと5℃以下)。ピアノ練習には辛い季節です。

・ソナチネ7番、4番、シューマン「春の歌」op.68-15(「ユーゲントアルバム」より)を練習していますが、”何となく弾いている”状態。楽しくない。

・楽しくない理由は、”何となく”な状態だから。楽曲に、作品に、楽譜に向き合っていない。楽譜を読み込もうとしていない。ここで思った。和声法など、楽典・音楽理論をみっちりと勉強したい。それを土台にして、楽譜を徹底的に”読めるように”なりたい。楽譜を、楽譜からその作品の”音楽”を読み解きたい。読み込みたい。

・音楽理論を土台に、楽譜を読み込む。これが、その作品に向き合うということだと思う。さらに、作曲者に敬意を持って接することにも繋がると思う。今は、向き合っていない。何となく隣にいるだけ。だからつまらない。楽譜には私が読めていないたくさんの面白いことが書いてあるのに。

・”いい音楽”である理由も、つかめるかもしれない。何故、300年、200年と演奏され、聴き続けてられている音楽作品があるのか。その理由をつかみたい。

・昨年、楽典・音楽理論を復習、飛ばして勉強していた和声法を少しかじりました。が、それでは足りない。足りるわけが無い。今までのやり方、取り組み方では、先に進めない。ソナチネで停滞・苦戦している理由は、これかもしれない。ただ古典派の音楽作品に触れるだけの作品集ではない。




・少し前から、音楽を聴いて、それで満足してしまっています。音楽に限らず、観ること、読むことでも。

・と言うのは、様々な作品・演奏を聴けば聴くほど、”遠い”と感じます。自分の手には届かない。触れることは出来ない、と。

・以前は、聴いていいなと思うとすぐに、「自分も演奏してみたい」「自分もこんな演奏をしたい」と思っていました。でも、今はあまり思わない。「自分でつくること」の楽しみを失っていると、自分で感じる。「誰かのつくったもの」で満足している。「自分でつくること」を面倒だと感じている。

・「飽きた」「つまらなくなった」ではないのだけれども。いい音楽を聴けばワクワクする。でも、自分で、という次元に来ない。

・音楽というものを、身近に感じていないのかも…。以前は、ピアノ練習も、音楽を聴くことも毎日の生活、日常の中にあった。今はその頃とはちょっと違う位置にある感じがする。しばらくピアノ練習から遠ざかっていたせいかもしれない。日常に、戻したいな。

・今日、本を読んでいて、「日常で挑戦する」ということを考えました。私にとって、それはピアノかもしれない。(ピアノだろう!!と言い切りたい。)

 以上、ピアノ演奏と音楽に関する独り言、呟きでした。
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by halca-kaukana057 | 2012-01-31 20:50 | 奏でること・うたうこと

多方向からの、音楽のたのしみ 「ウィーン・フィル ニューイヤーコンサート2012」に想う

 元日に生中継された「ウィーン・フィル ニューイヤーコンサート2012」。この生中継の後にも、NHK総合、BSプレミアムで再放送されていた。用事のため途中からだったり、途中までだったりしたが、再放送も観てしまった。更に、録画も何回か観ている。何回観ても飽きない。観れば観るほど、聴けば聴くほど更に楽しみが増える。ここまで楽しんだのは久しぶりだなぁと感じています。

 今年の指揮は以前も書いたとおり、マリス・ヤンソンス。バルト三国のラトビア出身。ヤンソンスといえばショスタコーヴィチの交響曲だが、私が初めてヤンソンスの指揮・演奏を聴いたのは、2006年のウィーンフィルニューイヤー。「電話のポルカ」の携帯電話ネタに爆笑し、それで覚えた(それもどうかとw)。でも、そんな一発芸(?)だけでなく、演奏もきびきび、メリハリがあって好印象。それから2度目の登場とあって、楽しみにしていた。勿論、今度はどんな一発芸をやってくれるのかも。

 今年のVPOニューイヤーの聴きどころは、まず選曲。VPOニューイヤーでは初登場の作品を第1部の最初のほうに持ってきた。VPOニューイヤーで演奏される作品は、シュトラウス親子・一族のポルカやオペラ作品内の曲といった定番レパートリー以外は、知らない曲が多い。でも、そんなことは関係なく、楽しめるのがいいところ。その今年初登場の3曲を聴いて、驚いた。「祖国行進曲」はアンコールの締めの「ラデツキー行進曲」のモチーフを、「ワルツ“市庁舎舞踏会でのダンス”」は同じくアンコールの「美しき青きドナウ」のモチーフを使っている。最初からアンコール!?初登場で、アンコールを思わせる選曲に、巧いなぁと。毎年聴いているファンはもちろんのこと、今年初めて観てみた人でも気軽に入りやすいはじまりになったところが。他にも、「シュペール・ギャロップ」は「ウィリアム・テル」序曲(ロッシーニ)、「カドリーユ“カルメン”」はその名の通りビゼーの「カルメン」のメロディーが出てくる。「カドリーユ”カルメン”」は一体何事かと驚いた。当時、流行していたこれらの作品のモチーフを使って作曲したのだそう。シュトラウスが活躍した時代と当時のウィーンでどんな音楽が流行っていたのか、想像しながら聞けて楽しい。

 聴きどころ2つ目は、ウィーン少年合唱団との共演。「トリッチ・トラッチ・ポルカ」と「鍛冶屋のポルカ」で登場。「トリッチ~」は、いつもは管弦楽のみなのに、98年にも合唱を入れたのだそう。合唱・歌が入ると、また違う。ところで、何と歌っているんだろう?
 そして、その「鍛冶屋のポルカ」とその前の「コペンハーゲン蒸気機関車のギャロップ」、「チック・タック・ポルカ」でお待ちかねの一発芸が!「鍛冶屋のポルカ」は、金床を打楽器に用いる愉快な曲ですが、その金床をヤンソンスが自ら演奏。あの…指揮は…?指揮を放棄(!?)して、楽しそうに演奏していたヤンソンスにすっかり和みました。「コペンハーゲン~」はタイトルどおり、鉄道ネタ。打楽器メンバーが鉄道員に扮し、ノリノリ。「チック・タック~」は最後に目覚まし時計が登場。携帯電話の次は目覚まし時計か!!wウィーンフィルのメンバーも「チックタック!チックタック!」とコール。楽しそうだ~。

 ヤンソンスは旧ソ連(ロシア)出身とあって、チャイコフスキー「眠りの森の美女」から「パノラマ」と「ワルツ」も登場。バレエコーナーも、優雅で、物語が見えてきて面白い。「ポルカ”燃える恋”」はクリムトの絵画が元となった。「美しき青きドナウ」では、宮殿を見学(?)に来たカップルの彼女が、見惚れてくるくると回っている間に、バレリーナになってしまって華麗に踊るという…。振付師の方は、現代的な要素も取り入れる方だそうで、バレエに疎い私にもとっつやすい、素直に「きれいだな」「素敵だな」と思えました。衣装も素敵でした。

 そして、締めくくりの「ラデツキー行進曲」。「雷鳴と電光」でもそうだったのですが、とてもきびきびとしていて、溌剌。全曲通してメリハリのきいた、楽しい演奏。ヤンソンス、ブラボーです!!

 このウィーン・フィル・ニューイヤーを観て聴いて、音楽のたのしみは沢山の異なる方向からあっていいのだと感じました。スコアや解説本を片手に”深読み”…楽曲を紐解いてみるのもいいし、異なる指揮者・オーケストラ・演奏者で聴き比べるのもいい。同じ作曲家の作品を徹底的に聴いてみたり、その作曲家と親しい・師匠にあたる作曲家の作品に何かを探そうと耳を澄ましてみたりも出来る。自分で演奏出来るなら、演奏してみるのもいい。

 この”自分で演奏出来るなら、演奏してみる”…。自分のピアノを省みずにはいられません。練習時間も減少している。他のことで忙しくて…と言い訳しそうになるけど、したくない。しちゃいけないと思う。仕事に家事に忙しい人で、もっとみっちり練習している人は沢山いるのだし。未だにソナチネの壁は高く、全然先に進めない。ハッキリ言って辛い。ならば、好きな曲だけ取り組めばいいか…いやいや、練習曲や古典の基礎となるソナチネにも取り組まなくちゃ…。私は、まず”型”を作らないと気が済まないのだなぁと、今更になって実感しています。ブルクミュラー25の頃なら、ブルク25が練習曲で、好きな曲だったから。しかもあまり長くない。”型”として最適だった。

 音楽を多方向からたのしみたい。そう思ってはいても、いつの間にか自分の”型”に入ってしまう。戻ってしまう。それが心地いいからか、やりやすいからか、”ラク”だからか。この自分の”型”(癖とも言える。その中には「怠け癖」や「言い訳癖」も含まれます。)を自覚して、時にはそれを外して、外に出てみて、新鮮な空気を取り入れる。ピアノと、音楽と、そんな感じで向き合ってみようかと思う。

 忙しい、では”義務”になる。時間を作って、”練習したくなる”ようになりたい。楽しそうに、でも巧みに演奏するウィーン・フィルのメンバーを観て、そんなことを思いました。

 来年2013年の指揮者は、昨年初登場だったウェルザー=メスト。今から楽しみです。


 …しかし、ピアノ関連の記事を読み返すと、ここ数年堂々巡りばっかりしている。ここから突破したいなぁ。
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by halca-kaukana057 | 2012-01-11 22:28 | 音楽

心の中にあるものという”引き出し”から

 昨日、twitterでぼそりぼそりと書いていたことを、深めてみようと思います。このまま、日付やタイムラインに”流して”しまいたくない想いも込めているものなので。まずは引用します。きっかけは、ピアノの練習を久しぶりにしたら、全く弾けない状態になっていてショックだったことでした。


久しぶりにピアノの練習を。しかし、全く弾けない状態になっていた。12月は練習時間を作るのが厳しいなぁ。(このまま、遠ざかってゆくのだろうか…)
posted at 2011.12.14 17:12:18



(自分の心の中にあるものを、取捨選択、仕分けなんて出来ないよ。どれも大事だ。どれも大好きだ。)
posted at 17:16:04

(その時によって、特に集中して取り組むものはある。それで、他のものには興味がなくなったように外から…客観的に見た自分からは見えると思う。でも、心の中にはあるんだと、実感する時が必ずある)
posted at 17:18:36

(ツイート続き。自分の心の中にあるものを、簡単に取捨選択、仕分けできない理由。どれも大事でどれも大好きであると同時に、それらをきっかけに知り合えた・出会えた・親しくなれた方々がいて、その方々もかけがえのない存在・繋がりだから。もし自分から切り離したら、その縁も途切れてしまう)
posted at 21:17:52

(全てがいい出会いだったとは限らない。苦い、思い出すとモヤモヤする、あまり思い出したくないものもある。でも…好きなものをきっかけに会話して楽しかった思い出もある。ただ、この点については、思い出の中では生きてはいけないので、複雑ではある。)
posted at 21:21:23

(それから、そうだとは断定したくないけれども、かつては楽しく対話していたけど、今現在疎遠になりつつある方もいる。悲しいことに、既に疎遠になってしまった方もいる。非常にかなしい。その方々の都合なら、仕方ないけど…)
posted at 21:24:56

(辛いこと、苦い思い出、かなしい縁の途切れ…。そんなこともあるけれど、自分の心の中にある沢山の大事な、大好きなものを持ち続けること、そしてそれに付いて誰かと語り合えることは、本当に有難いことだと思っています。完全に独立して存在しているものなんてないと思う、きっと。以上失礼)
posted at 21:28:57


 以上が、該当する昨日のツイート。私は、本当に何にでも興味を持ち過ぎる。それは、ボジティヴに考えれば好奇心旺盛。ネガティヴに捉えると、気が散りやすい。興味を持って、実際に取り組んでみるのはいいけれども、自分という器から溢れ出してしまっているような状態になることも。自分が出来ることには限界がある。やりたいこと・趣味も新しいものを取り入れるためには、今までのものを捨てなければならない…という文章を時々見かける。その通りだとは思う。でも、私は捨てられない。大掃除の時に要るものと要らないものを仕分けて、要らないものはゴミ袋にポイポイ入れるようなことは出来ないよ!と感じている。

 時間は限られている。自分の出来ることもそんなに多くない(と限定・断定してしまうことはあまりしたくない。「可能性」というものがあるから)。また、その時、重点的に取り組みたいものはある。例えば、先日の皆既月食なら、久しぶりの皆既月食の観望チャンスを逃すわけにはいかない。他のやりたいこと・好きなこともあるけれど、皆既月食は先日12月10日に観られる日が限られている。だから、月食の観測・観望に集中する。自分の中の、宇宙天文の部分の引き出しを開ける。音楽を聴く時は、音楽の部分の引き出しを。引き出しと言っても、それぞれが独立しているわけではない。例えば、読書の引き出しを開ける時、その本は何の本か。他の引き出しも一緒に開ける。また、ある音楽作品を聴いて、その作品が何かの映画に使われているとか、何かの影響があって作曲されたものだとかいう場合も、他の引き出しも一緒に開ける。そして、それぞれの引き出しは奥のほうで、他の引き出しと繋がっていることもある。他のものが混ざったら引き出し…仕切る箱じゃないだろうと思われるかも知れない。でも、きちっと仕切り、仕分けたいわけではないので、それでいい。寧ろ、ひとつの引き出しを開けたら関連するものが一緒に出てくる方が楽しいし、便利でもあると思う。

 最近は、ピアノの引き出しをあまり開けていない。そのため、久々に開けて練習してみたらひどいことになった。この忙しい12月は、ピアノの引き出しを開けることは難しいだろう。外から自分を見ると、その引き出しがなくなったように感じるかもしれない。でも、私の中には、ピアノの引き出しは確実に存在している。「ピアノを演奏する」引き出しを開けることは無くても、「ピアノ曲を聴く」引き出しを開けることで、「ピアノを演奏する」引き出しの中にあるものが一緒に出てくる。完全ではないけれど…。落ち着いて、心に余裕を持って鍵盤に向かえるようになったら、「ピアノを演奏する」引き出しを開けよう。その日を楽しみにしていよう、と思っている。


 そして、その引き出しは自分のものだけではない。それらの引き出しを持っていることで、同じ引き出しを持っている人と知り合い、親しくなる。引き出しを共有することも出来る。そうなると、その引き出しそのものも大事なのだが、一緒に共有できる人・存在がいることも、とても大事な、かけがえのないものになる。その引き出しをなくしたら、その繋がりも一緒に途切れてしまうと不安になることもある。だが、引き出しを共有し続けてゆくことで、人間関係も広がり、深まる。”引き出しだけ”の繋がりの存在ではなくなる。これは、本当に有難いことだと思っている。

 その中で、時に辛いことや、苦い思い出もある。一番辛い、かなしいと思うのは、疎遠になってしまうこと。これは本当にかなしい。自分や相手の都合・生活の変化など、仕方のない場合もある。だが、疎遠になりたくないからコンタクトを取ろうとする。その時どうコンタクトを送ったら、取ったらいいか、わからない。ちょっとしたメールや手紙で近況報告をしたら、押し付けがましいと思われないだろうか、嫌だと思われないだろうか、などと考えてしまい、手が止まってしまうことも少なくない。もう途切れてしまった繋がりもある。これが自然の流れで仕方がないと思うけど…いつかまた、何らかの形で、語り合えたら、引き出しを共有できたらいいなと希望は持っている。持っていたい(”しがみつくような希望”ではなく)。

 自分の心の中にあるたくさんのものは、自分の中の様々なものと繋がり、他の誰かとも繋がっている。完全に独立して存在しているものなんてないんじゃないかな、と思います。それらを心の中に持ち続けること。少しずつでも温め続け、磨き続けること。そして、それらについて誰かと”語り合うこと”(会話・対話であり、”一方通行な話”とは違う)・”共有すること”、”共感すること”が出来たら、とても嬉しい。有難い。

 そう思うので、やっぱりポイポイと仕分けは出来ません。こうなったら、自分のこの性格・習性を思いっきり楽しんで、追求してみようか。

・関連記事のようなもの:温め続けて、諦めないで
 ↑ピアノ練習について、こんなことを考えた記事がありました。忘れていた…。読み返して、元気が出てきました。失ったわけじゃない。今は見えにくくなっているだけなんだ。
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by halca-kaukana057 | 2011-12-15 22:28 | 日常/考えたこと

久々のピアノ練習

 今日は久しぶりに本格的にピアノの練習をしました。これまでは10分程度、ちょっとさらうだけ。ちょっと”弾いて”おしまい。今日はようやくまとまった時間が取れたので、鍵盤と楽譜にじっくりと向かいました。

 メインで練習したのはシューマン「春の歌」op.68-15.徐々に”たどたどしい歌”から、”滑らかな伸びやかな歌”に変わってきた、かな…。指遣いを直し、難しい・弾き難いと感じている箇所を反復練習。あと、ペダルも。この作品はペダル無しで演奏するのはきつい。ペダルを有効活用して、春を謳歌する喜びをのびのびと”歌いたい”。ペ
ダルの踏み具合、踏みかえるタイミングを微調整しないと、きれいな歌にならない。更に、13小節目~16小節目まで弱音ペダル、左のペダルも使うと指示がある。弱音ペダルを使うのは初めて。両足でペダルも勿論初めて。弱音ペダルは踏みっぱなしでいいけれども、16小節目で離す時、右足まで離してしまう…。難しいよ!

 表現は、どうしようか。情感たっぷりにするか、のびのびとはしているけれどもささやかな控えめな喜びにするか。強弱記号はフォルテからピアニッシモまで広いので、情感たっぷりめ、かなぁ。

 完成はまだまだだけど、音のひとつひとつを優しく、丁寧にぶつぶつ切らないで、ふんわりとした感触で演奏したい。

 クーラウのソナチネ4番、クレメンティのソナチネ7番も練習。ソナチネをどう練習していっていいか、見通しが未だに立てられません。ブルクミュラー25と同じ感覚では練習できないことに、未だに戸惑っています。これは乗り越えるべき壁。この壁を乗り越えれば、またピアノ・音楽の世界の視野が広がる。辛抱して練習しよう。

 最後に、昨日のツイートから。
ピアノと自分、楽曲・楽譜と自分、一対一のガチンコ練習。聴く人はいない。でも、もうひとりの自分がどこかで聴いている、と思って鍵盤に向かう。
posted at 2011.11.6 21:10:21

 時々、またひとりでピアノを弾くこと(あえて「独学」という言葉は使わない、言わない)に、迷いや焦り、不安を感じます。ソナチネがなかなか進まず、停滞しているのをどうにかしたい、誰か第三者の指導を得たい。自分ひとりでこれから様々な作品に取り組むのに、自信が無い。ただ単に、一緒にピアノを弾く仲間が欲しい(ひとりはさみしい)。そんな気持ちがあるからだと思います。機会があれば、レッスンを受けたい。でも、今自分の置かれている状況があまりにも不安定で、レッスンどころか、ピアノどころでもない…。
 落ち着いてピアノに、鍵盤に、楽譜に向き合える環境が欲しいです…。

 あと、練習の途中ひと休みで、NHK-FMのクラシック音楽番組を聴いていました。ピアノ曲は無かったですが、私の演奏とは異なる、心惹かれる演奏ばかり。音楽家・演奏家は、演奏する時どんな気持ちで演奏しているんだろう?楽しい?緊張する?無心?私は、不安ばかり。聴く時は音楽を楽しめるのに、自分で演奏するとなると不安で、心細くて仕方ない。楽しいと思える時もあるけど、ほとんどは自己満足でしかない演奏。
 そんな面でも、ピアノから離れていても、音楽そのものからは離れたくないなと感じました。音楽を聴くことそのものが楽しくて、心揺さぶられてばかりで、やめられない。作曲家のこと、作品のことを考えながら演奏を聴くことがこれまで多かったのですが、これからは音楽家・演奏家のことも考えてみよう。
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by halca-kaukana057 | 2011-11-07 21:54 | 奏でること・うたうこと

何度でも、何度でも、ひとつずつ

 ぽつりぽつりと書いていた、やるべきことがひと段落しました。昨日今日がヤマ場だったのですが、昨日今日に至るまでのtwitterの最近の私のツイートから、ぐったり感が感じられるかと思います…。明日以降も、越えなければいけないことや心配の種がまだまだあります。嫌になって逃げ出したいと思うこともあります。でもひとつひとつ乗り越えていかなければならない。ひとつひとつ。

 ひと段落したので、久々に(比較的)集中してピアノの練習をしました。ハノンで指を慣らした後、シューマン「春の歌」op.68-15.久々なので、まずは右手だけ、左手だけで。その後合わせてみましたが…案の定ボロボロでした。ブツブツ途切れた、たどたどしい”歌”。前はもう少し滑らかに”歌えた”のにな…。でも、全然弾けなくなったわけではないし、これからまた練習しなおせばいい。練習しなおしたことで、以前は気が付かなかった違う何かを見つけられるかもしれない。演奏にゴールはない。”弾ける”ようになった時、その作品をレパートリーとして演奏し続けることのスタートラインに立つんだ…以前思ったことを思い出しました。また、”歌おう”。演奏しよう。心から演奏したいと思いました。
 練習が滞っているシベリウス「樅の木」op.75-5も、また譜読みしなおして何度でも取り組めばいいんだ。大好きな、大切に思っている作品だからこそ、何度でも。

 シューマンの後、「ゆうがたクインテット」テーマも。後半の左手伴奏がややこしいのですが、怪しいまま中断したので、また譜読みしなおしです。でも、いつも聴いている大好きな曲・歌を自分の手で奏でることが楽しい。今度は怪しい部分も、軽快に演奏したいな。練習、練習。

 ピアノって、いいな。演奏することって、いいな。いいなと思うから、もっと演奏したい。楽曲を読み込んで、私の表現のひとつとして演奏したい。そう感じました。


 今日、ふと演奏したい曲を見つけました。
ぷりんと楽譜:たいせつな光 / fumika
 映画「はやぶさ/HAYABUSA」(20世紀フォックス版)のテーマ曲です(またしても「はやぶさ」です)。聴くとあのエンドロールを思い出します…思い出すだけでも感激の気持ちでいっぱいです。
 映画そのものもいいなと思うのですが、この主題歌「たいせつな光」もいいなと思います。歌詞がまさに「はやぶさ」。fumikaさんの歌声も惹かれます。いいなぁ、弾けたらいいなぁ。ポップスを弾いたことはないけど、弾けたらいいなぁ。

 もう少し落ち着いたら、久々に「いつか弾きたい曲リスト」最新版を書こうかな。(前にも書いた気がするw)
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by halca-kaukana057 | 2011-10-16 22:54 | 奏でること・うたうこと

寧ろ一緒に進もう、ピアノと一緒に

 前に書いたとおり、9・10月以降、やるべきことがあって数年ぶりに参考書を片手に問題集を解きつつ勉強しています。が…、わからないことだらけで、現実逃避してばかりいます…。今後、自分がどう生きていくか、どう生きたいかという大きな問題にも関わってくるので、現実逃避している場合ではない!でも、今向かっている方向の他にも道はある(今向かっている方向でダメなら、別の道を探して進むつもり)。自分がどう生きていくか、どう生きたいかという大きな問題だからこそ、色々な道・可能性・方向を考えてもいいんじゃないかなとも思っています。でも、今は、今向かっている方向に力を注ぎます。(直面している問題は、それだけではないのですが…。何故一気に押し寄せて来るんだ…、全く…!)

 そんな中、久しぶりにピアノに向かいました。ソナチネ4番と、シューマン「春の歌」op.68-15を練習。シューマンは、あとは細かいところを形作っていくところまできています。クーラウ・ソナチネ4番は、第2楽章はなかなか進まず。

 それでも、ピアノに向かうと、それまでモヤモヤとしていたことがスーっと消えていく。ピアノを演奏すること・練習することは、ひとつの音楽作品を解釈し、自分の手で演奏し表現することが目的だ。要するに、「弾きたい曲を弾く、演奏する」。でも、その過程で、今の自分の置かれている状況、今の自分の心境・思っていることと向き合うこともあるのではないか。ピアノを演奏していると、その時の心理状態が表れる。落ち着いている時は落ち着いた音が出るし、イライラしている時はどこか荒っぽい音が出る。ピアノが、その時の自分映す鏡になる。ピアノに向かい、音を出すことで今の自分がわかる。把握できる。そして、意識してもしなくても、演奏に集中することで、欲しい音色を出そうとすることで、イライラも焦りも不安も、かなしみも怒りも減ってくる。それらのモヤモヤはどこかへ消えてしまう。

 久しぶりにピアノに向かい、練習して、この感覚を久しぶりに味わいました。やらなきゃいけないことがあるから、ピアノからも離れるべき…と思ってきたのですが、逆効果かもしれない。寧ろ、ピアノとともに、山を登り乗り越えようとするほうが心の支えにもなっていいのかもしれない。練習時間は減るけれども、1日10分程度の時間の余裕を見つけて練習しているほうがいいのかもしれない。

 これまで私は「~があるから、~できない」というように逃げ道を探していたように思います。ピアノでも、仕事や日常のことでも。今、自分自身が試される時に来ているのかなと感じています。ならば、乗り越えよう。乗り越えるならピアノ・音楽と一緒に乗り越えたいです。
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by halca-kaukana057 | 2011-09-22 22:57 | 奏でること・うたうこと

自分のこれからと、ピアノと、趣味と、不安

 先日、熱を出した後、風邪の症状は大分治まったものの、だるさが続いていました。いつもなら平気なはずのことが、だるくて集中力も体力も無い。先日、2本目の点滴を打ってもらいました。それが効いたのか、今日になって元気が戻ってきました。

 その体調不良の間、ピアノの練習がほとんど…いや、全く出来ませんでした。思えば、旅行に行く前も準備などでバタバタして練習時間も削られ、この数週間ろくにピアノに触っていません。もう少し元気になれば、またピアノに向かえる、練習できると思うのですが、不安です。何が不安なのか。集中して練習していないことで、それまで形になりかけていたものが、また崩れてしまっているのでないか、積み上げたものが、またゼロからのやり直しになっているのではないか、という恐怖にも似た不安を感じます。

 今回の体調不良に限らず、これまで、例えば、昨年の腕の手術の時はもっと時間がかかりました。また、長期の体調不良で、しばらくブランクがあったこともありました(体力が無い…情けないほどに…)。それでも、細々と、自分なりにピアノ・音楽に向き合ってこれたのは、有り難いことでした。

 今の体調不良から抜け出せたとしても…これから、9・10月以降、私の個人的なことで、ピアノに向かえないことが多くなると思います。ピアノだけでなく、ブログやネットそのものにかける時間も減る可能性が高いです。

 一生、安定して趣味を続けられる環境にはいたいと思っています。でも、そんな環境が続くとは限らない。これから、自分が生きてゆくうえで、必要なことをする。そっちのほうが生きてゆく上で大事なのだから趣味は後回しになってしまうのは、仕方が無い。集中します!
 でも、その間、ピアノはまたゼロにもどってしまうのではないか…。そんな不安も抱いています。

 人生、長いのだから、長い目で見たいとは思いますが…。ここまで進めた歩みが止まってしまうと考えると、不安です。

【追記】
 ちょっと考えたのですが、他にやるべきことがあるからといって、趣味は断絶することはない、と断言できる気がします。天文部漫画「宙のまにまに」(柏原麻実)で、天文ファン・星バカの主人公・美星を思い出しました。美星にとって天文は、趣味以上の存在ではある。しかし、大学受験…大学で天文の道へ進むために、星見・観望会を我慢して勉強に打ち込む。大の苦手である文系科目も。それでも、後輩で幼馴染の朔や、天文部の仲間たちが軽く観望会に誘ってあげ、美星は更にやる気になる。
 何かのために、趣味・好きなことを我慢しなければならない、一旦お休みする時はある。でも、だからといって完全に断ち切ったわけではない。時々気分転換してみたり、無事に終わればそれまで以上に趣味を楽しめるだろう。その日が来ることを願って、がんばる。そんなことを考えていたら、私も今はすべきことをがんばって、時々気分転換にピアノに向かって…これまでの練習と同じようにとはいきませんが、終わったら思い切り練習しようと思います。

 そして、そんな気持ちを思い起こしてくれたのは、twitterで励ましてくださった方々のおかげです。ありがとうございます。
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by halca-kaukana057 | 2011-09-04 21:20 | 奏でること・うたうこと


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