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私の、続きの物語を

 今日の「ほぼ日刊イトイ新聞」の「今日のダーリン」より。いつものように、「今日のダーリン」にはログが無いので、読めるのは今日だけ。引用します。
ほぼ日刊イトイ新聞
なんでも、終るものだよなぁ。
なつかしみ過ぎたり、未練たらたらってのは、
あんまりよろしいことじゃないと思います。
じぶんという主語で考えたら、
去り行くものの後ろ姿をいつまでも見てるより、
じぶんの足をたがいちがいに前に出せっちゅうことやね。

終りとか、別れとかのなかには、
もれなく、ハードボイルドなメッセージが
込められているのです。
「さらば‥‥」そこまでは、わかるね?
そして、「おまえは、これからどうする?」です。
いつまでも、たのしませてもらうことじゃなく、
「おまえ=つまり、おれ=それぞれの人」が、
続きの物語を歩き出せ、です。


 今日のは読んでいて、自分にとってとても痛い、つらい…と感じてしまいました。

 始まれば終わりがある。当然のこと。
 でも、その最中には、「終わる」ことなんて、あまり意識しない。好きなものであればあるほど、終わりを考え、それに備えるよりも、その最中を楽しむ。だからこそ、終わると知った・気づいた時、終わった時のショックやダメージは大きく来ます。終わった時は、感謝や高揚した気持ちを味わうけれども、時間が経つにつれて、ショックやダメージ、喪失感が増してゆく。未練も募る。「戻ってこないかな…」なんて思ってしまうこともある。

 でも、そうじゃない、とも思う。
 そんなに大好きなら、終わった後を自分は引き継いでいかなければならない。続きをつくるのは自分だ。自分の中にある、終わるまでの日々で感じたこと、考えたこと、学んだこと…受け取った全てのことを、これからの自分の生きる中で、生かしてゆくのが大事なのではないか。
 「おまえは、これからどうする?」何かが終わる度に、まさにこの言葉が心の中にありました。

 これからどうするか。これからの自分の生きる中でどのように生かしてゆくのか。

 これには様々な答えがある。様々な方法がある。ストレートなものから、ちょっとひねったものまで。
 色々と考えてきたが、答えを出せたものもあるし、未だに出せずに未練タラタラに引きずっているものもある。未だに出せないものは、ひねりの工夫が足りないのかもしれない。ストレートにやろうとして、うまくいかなくて壁にぶつかってしまっているのかもしれない。
 方法はひとつじゃない。続きの物語はひとつじゃない。幾通りの物語がつくれるはずだ。

 「終わり」に接し、通過する度に、自分の新しい何かがスタートしている。これは、終わることがないのだなと思う。


 ※独り言に近い形で書きました。きわめて個人的なことです。個人的なことだけど、書かずにいられなくなって書きました。
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by halca-kaukana057 | 2013-10-01 22:04 | 日常/考えたこと

ライアの祈り

 「津軽百年食堂」「青森ドロップキッカーズ」と、森沢明夫さんによる青森が舞台の小説シリーズの第3作、完結編です。



ライアの祈り
森沢明夫/小学館/2012

 弘前で百年続く老舗の大衆食堂「大森食堂」の長女で、今は八戸のメガネ店に店長として勤めている桃子。35歳、離婚歴あり。従業員の桜に誘われ、合コンに参加することに。参加者は20代、桃子は”人数合わせ要員”として行ったつもりだった。しかし、そこには同じく20代ではない男性がいた。佐久間五朗・通称「クマゴロウ」さん。40代の彼は、八戸の縄文遺跡を発掘している考古学者で、大人しく温厚な一方、縄文の話になると楽しそうに話していた。桃子は五朗の縄文時代の話に徐々に聞きいっていく。その合コンの日に観た、縄文時代と思われる夢のことを思い出しながら…。


 ”青森3部作”の完結編は、「津軽百年食堂」では主人公・陽平の姉、「青森ドロップキッカーズ」ではメガネ店の仕事をしながら、カーリングのリンクの製氷を学び、カーリングもやっていた、あの桃子さんが主人公です。桃子さんが主人公と聞いておおう!と反応してしまいました。今までは主人公たちを支え、笑わせ、和ませる陽気な名わき役。でも、30代にして離婚歴あり。それを自虐ネタで語り笑い話にしてしまう。今作でも、姉御的存在ではあるのですが、これまで語られなかった桃子さんの一面が語られます。自虐ネタにしないと、耐えられなかったんだ、と…。

 そんな桃子さんが出会った、縄文が専門の考古学者・クマゴロウさん。大人しく、照れ屋で、温厚温和。控えめだけれども、縄文のことになるとその魅力について熱っぽく楽しく、初心者にもわかりやすく話す。クマゴロウさんの縄文のお話の部分を読んでいて、私も一緒に惹かれてしまった。

 青森の縄文遺跡と言えば、三内丸山遺跡。青森県立美術館の隣にあるので、美術館に行くと行くことも少なくありません。現代の技術でも建てるのが大変な大型掘立柱。これを縄文の人々はどうやって建てたのだろう?大きな竪穴住居も、中の広さに驚きます。そして、土器や石器、クリを栽培した跡…。今の三内丸山から海は離れていますが、当時は温暖な気候で、海が近くにあったという。そんなこのムラで、人々がどんな暮らしをしていたのか…遺跡を歩きながら、いつも思います。青森には三内丸山だけでなく、八戸の是川遺跡や長七谷地貝塚など縄文時代の遺跡が数多くあります。三内丸山しか行ったことが無かったので、今度は他の遺跡にも行ってみたいな。三内丸山もまた行きたい。見方が変わるかも。この物語では八戸が舞台なので、八戸の縄文遺跡が主に登場します。でも、三内丸山も関係してきます。

 今作のテーマは、「祈りと信じること」、そして「幸せとは何か」だと読みました。物語は桃子さんとクマゴロウさんを中心にした現代も語られるのですが、桃子さんが夢で見たという縄文の話も同時に語られます。足が速く男たちに混じって狩りをする男勝りな少女・ライア。父は天才的なシャーマンだったが、ライアが幼い時に死去。父の才能を受け継いだのか、森などの自然の”息吹”を感じるのも得意だった。しかし、狩りで巨大なイノシシに遭遇し、大怪我を負ってしまう。走ることはおろか、歩くことも不自由になってしまったライア。そんなライアを見守る、族長やきょうだい同然に一緒に暮らしてきた少年・マウルや親友の少女・サラ。これからは狩りは出来ないが、ライアには新しい”使命”が与えられる。そこから、ライアの”祈り”の日々が始まる。ただ、ライアは足の他にも、あるものを失う不安があった…。

 縄文のライアの「祈り」と、現代の桃子さんの「祈り」。何か辛いことがあったり、自分の力だけではどうしようもないことが合った時、普段何気ない時でも、私は「祈る」。でも、「祈る」だけじゃ何も変わらない、行動しなきゃ変わらない…とも思う。実際そうだと感じてきた。でも、「信じる」ことも出来る。シャーマンは自分のことを「祈る」ことは出来ない、他者のことだけを「祈る」ことが出来る。だから、自分のことは「信じる」。行動して、変えることが出来ると「信じる」。その違いに、ああ、と胸にすとんと落ちるものを感じました。

 そして、「幸せとは何か」。これまで、陽気でバツイチの過去も笑って話せる桃子さんの心の奥底にある、ある不安・苦しみ。その過去は誰にも、家族にも話せずにいた。ところが、クマゴロウさんや桜ちゃんと「幸せ」について話してから、その過去にも向き合い始める。「幸せ」と「不幸」は、紙一重のようなもの。クマゴロウさんが言うように、何かが起こって、それを幸か不幸かと決めるのは、人間。その人次第。離婚をして、辛い思いをした桃子さんも、その時は不幸だったけれども、後でそうでもないと思えるかもしれない。よくある話なのですが、この「幸せとは何か」についても、胸にすとんと落ちました。

 読んでいて、とても「幸せ」な、希望を持てる、あたたかい気持ちになれました。クマゴロウさんの人柄のような。桃子さんも、桜ちゃんも、優しい。桃子さんが実家でお母さんと話すシーンも。
 私も、辛いことや先が見えないことばかり、過去にもしこりを持ち未だに赦せないけれども…いつか、何もかも全部丸ごと受け止められるようになるだろうか。なりたい。桃子さんやクマゴロウさん、ライアやマウル、サラたちのように。幸せを、「幸せだ」と、祈って、信じて。

 ちなみに、この前書いたこの記事は、この「ライアの祈り」を読んでのものでした。
「感動する」物語と自分

 あと、この本ですが、お腹がすいている時に読むのは危険です。八戸の美味しいものが次々と…wお酒が好きな方は、美味しいお酒も次々と…w とりあえず、「サンダー・バー」のダイキリが飲みたいです。

 私は2作目の「ドロップ~」から読んでしまいましたが、読むなら1作目の「津軽~」から読むことをオススメします。この「ライア~」だけでも読めないことは無いですが、物語のつながりの面白さが増します。
・第1作:津軽百年食堂
 そういえば、映画版をまだ観てなかった…。
・第2作:青森ドロップキッカーズ

 青森3部作はこれで完結ですが、「津軽~」の美月や正宗、「ドロップ~」の宏海や雄大、柚香・陽香姉妹のその後も読みたかったなぁ。
 あと、ひとつ注文があるとすると、方言の雰囲気があまり感じられなかったのが残念。青森に行くと、ばりばりの津軽弁・南部弁を話す若い人は多くは無いですが、それなりに方言を使ったり、イントネーションは訛っている人は多い。”訛っている感覚・雰囲気”が欲しかったなぁ…標準語のイントネーションで読めてしまった。訛りも、今じゃ大河ドラマも朝の連ドラも訛っている、方言全開だし…。
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by halca-kaukana057 | 2013-08-13 23:01 | 本・読書

ルチアさん

 気になっていた本です。児童文学、ですが、読んでみると…

ルチアさん
高楼 方子:作/出久根 育:絵/フレーベル館/2003

 「たそがれ屋敷」と呼ばれる家に、奥さまと2人の娘、2人のお手伝いさんが暮らしていた。屋敷は鬱蒼と茂った木で暗く、奥さまも痩せてうつむき憂鬱そうに見える。旦那様は外国航路の船乗りで、滅多に家には帰ってこなかった。2人の娘は上の子がスゥ、下の子がルゥルゥ。そんな「たそがれ屋敷」に、もうひとりお手伝いさんがやってきた。名前はルチアさん。スゥとルゥルゥは、ルチアさんを見て、ルチアさんが水色に光っているように見えるのが不思議だった。それは、お父様が海の向こうから帰ってきた時にお土産にくれた、きらきら輝く水色の玉の「宝石」に良く似ていた。そして、ルチアさんは特別おしゃべりと言うわけでは無いのに、周囲の雰囲気が明るくなるようで、またルチアさん自身も、事件に巻き込まれても動じず朗らかに仕事を続けた。そんなルチアさんの秘密を探ろうと、スゥとルゥルゥはこっそり夜道を帰るルチアさんの後を追う。隣町の、ルチアさんの家と思われる家の前で、ルチアさんの娘のボビーと出会い、ルチアさんが何故水色の「宝石」のように光っているのか尋ねるが…

 不思議なお手伝いさん・ルチアさん。
 鍵となるのが、スゥとルゥルゥの「宝物」の水色の玉。その「宝物」と、ルチアさんの秘密と、ルチアさんのおじさんが大切にしていたあるものの関係。それを知ったボビーは、これまで何とも思わなかった母・ルチアさんや、その他関係のありそうなことについて考え始める…。

 ここまであらすじばかり書いてしまった。ルチアさんが本当に不思議で、私も惹かれていった。私なら「今日こんなことがあった、最悪だ…」と何日も愚痴を言いそうなことにも、穏やかに動じない。その一方で、「今日こんなラッキーなことがあった。すごい、嬉しい!!」と満面の笑みで喜びそうなことでも、やっぱりいつも通り。いつも朗らかで、噂(多分ゴシップネタも好きかもしれない)お手伝いさんのエルダさんとヤンガさんも、ルチアさんがやってきてから変わりだす。憂鬱そうな奥さまも。心の中にある、憧れやきらきらした思いを打ち明けたくなる。


 「心の中にしまったなにかしら輝くような思い」。その一方で、日々の暮らしの細々としたこと。水色の「宝石」、ルチアさん自身が表しているもの…「どこか遠くのきらきらしたところ」を思い、満たされながら、「ここ」にいるけど、同時に「どこか」にもいる。

 私は、よく「こんな毎日から抜け出したい」と思っている。日々の暮らしや仕事の細々としたことに悩み、苦痛に思い、そんな毎日が続いてゆくことも苦痛に思う。退屈に思え、嫌なことも多い毎日にも、小さな幸せはある、見つけようと思えば見つけられる…同感、そう思うこともあるけど、その「幸せ」で心が満たされる時間は短い。またすぐ現実に引き戻され、ため息をつく。だから、こんな毎日を抜け出したい、と思う。そして、ここじゃない遠くには、憧れるものや強い幸せを感じるものがある。憧れのフィンランドに行ってみたい、シベリウスの家”アイノラ”に行きたいとか、星がきれいに見えるところで思う存分星見・天体観測したいとか、大好きな演奏家のコンサートに行きまくりたいとか、読みたい本を思う存分読みふけりたいとか…。お金に困らない暮らしがしたい。もっとやりがいのある仕事がしたい。行動力と体力が欲しい。抱えている体調不良が治り消えれば、どこへだって行けるのに…。いつも何かに縛られている気がして、自由になれない。その縛っているものがなくなればいいのに…。こんな風に、「どこか」に憧れる、が、手は届かず、「ここ」には不満ばかり持っている。

 だから、「どこか遠くのきらきらしたところ」が心を満たし、「ここ」で毎日勤勉に働き暮らしながらも、同時に「どこか」にもいる。「どこか」と「ここ」がひとつになる。そんな幸せがあるのなら…そうなりたいと思った。そうなるにはどうしたらいいだろう?でも、それが本当に幸せなのだろうか?読みながら考えていました。

 「どこか」と「ここ」がひとつになる。それはとても難しいことだ。毎日の「ここ」での暮らし・仕事が精一杯、「ここ」が全ての人。「どこか」を捜し求める人。どちらの暮らしがいい・悪いとは言えない。「どこか」と「ここ」がひとつになる暮らしも。理想と思うけれど、完全によいとも言えない。ネガティヴなことをネガティヴと思えないのもどうなのだろう…と。
 私はどちらでもない。「どこか」を捜し求めたくても、「ここ」に”縛られている”と感じている。これもまた、自分は悪い・辛いと思うけれども、そうとは限らないかもしれない。”縛られている”という意識が消えれば、心は楽になれるんじゃないか。

 とても不思議で、深く、心の奥底に後からじんじんと響いてくる物語。高楼方子(たかどの・ほうこ)さんの作品は初めて読んだのですが、他の作品も読みたくなりました。絵の出久根育さんは、梨木香歩さんの絵本「ペンキや」の絵も描かれた方。表紙にちょっと不気味なものを感じたのですが、中のイラストはきれいで幻想的です。

ペンキや

ペンキや

梨木 香歩:作/出久根 育:絵/理論社/2002


 この本ももう一度読みたい。この「ルチアさん」と共通する部分もある。
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by halca-kaukana057 | 2013-07-17 22:54 | 本・読書

もし自分が傷つけたら 続・「痛い」と表現すること

 以前から考えている「人から妨害を受けたり、傷つけられたり」すること、その時「痛い」と表現すること。その続きです。

「痛い」と表現すること
何が「痛い」のか・作り手と受け手のすれ違い 最近思ったこといろいろ
 ↑この記事の真ん中あたりの部分です。

僕は、そして僕たちはどう生きるか

梨木香歩/理論社/2011


僕は、そして僕たちはどう生きるか
 梨木香歩さんのこの本を読んで、この思考は始まりました。


 これまで考えてきたのは、自分が「人から妨害を受けたり、傷つけられたり」され、「痛い」と表現するかどうか。なら、立場が逆転したら?
 「痛い」と表現することの記事で、大学時代に出会った友人とのことを書いた。これも私が言ったことが友人には「傷つけられ」「痛い」ものだった。ただ、この時友人は「人の好きなものに対して、面と向かって嫌いって言うのはどうかと思う」と、「痛い」と表現した。
 私は言われて「痛い」と表現しない、できないことが圧倒的に多い。痛くても、黙って踏ませておく。このぐらい我慢できる、傷ついてなんかいない、と。でも、「痛い」と表現することの記事で書いたとおり、自分の好きなものを否定されたら、自分そのものを否定されたような気持ちになる。だからかなしくなる。痛みを我慢したり、痛くないと無視することが、余計自分の辛さを増幅させるように思う。

 では、私の発言が誰かの痛みとなり、その人が私と同じように痛みを我慢している、表現しないとしたら?

 人に優しく、人を思いやる発言をしよう、と思うけれども、何が誰かにとって痛みとなる発言なのか、わからないことは多い。ポジティヴな発言でも、相手にとってはプレッシャーとして、ネガティヴなものに、痛みになるかもしれない。何かを「好き」という発言も、誰かにとっては「嫌い」なものであり、痛み(怒り、恨みに近い)となるかもしれない。

 また、前の記事では、面と向って「嫌い」と言うことに対して書いていたが、直接ではなく間接の場合もある。他の人と話しているのを偶然聞いてしまった(小説や映画、ドラマなどでよくありそうなシーンだな…)など。この場合は、「痛い」と表現するのはかなり難しい。その人に対する見方が大きく変わり、付き合いも変わる可能性が高い。

 これらの時は、どうしたらいいのだろう。その時その場で、は難しい。後で、時間をかけて話す。
 「傷つけたかもしれない」と自分から謝ろうか迷うことはよくある。「かもしれない」だから迷う。謝ったけど、実際は違ったらしく「何のこと?」と言われ、逆に関係が悪くなってしまった…ということもあるからだ。

 自分の発言で、誰かが苦しい、辛い、悲しい思いをするのは、私自身も辛い。でも、その誰かの思いは、必ず表に出てくるものとは限らない。そのうち、相手は我慢できなくなって、自分から離れていってしまうかもしれない。それはそれで仕方ないけれど…。ショックである。辛い。



 とは言うものの、時には、「嫌いなんだ」と表現してしまいたくなる時もある。我慢できない、本当に受け付けないぐらい嫌い・苦手でどうしようも無くて、それを表現しないと自分や相手との関係を守り保てないようなこともある。

 「痛い」と表現するのも、されるのも、我慢するのも、我慢されてしまうのも…本当に難しい。一筋縄ではいかない。今はこんなまとめしか出来ないのが悔しい。
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by halca-kaukana057 | 2013-07-02 23:14 | 日常/考えたこと

つくること、あじわうこと 対立ではなく多層

 「ほぼ日」こと、「ほぼ日刊イトイ新聞」のトップにある、糸井重里さんによる日替わりエッセイ「今日のダーリン」を読むのが日課になっています。毎日、糸井さんの目の付け所、考え方が面白くて読んでいます。
ほぼ日刊イトイ新聞

 今日6月23日の分を読んだのですが、頷くところ、考えるところが沢山ありました。明日には消えてしまう(ログも無い)ので、以下引用します。
ジャムをつくりはじめたときも、砂糖を少なくしました。
「甘すぎない」のをつくってやれ、と思ったのです。
そっちも、うまくいきませんでした。
いまは、ジャムには材料の50%の砂糖が必要だと思います。
梅干しにしても、ジャムにしても、
食べる立場だけでいたら、いまでも、
減塩だの低糖だのとえらそうに語ってたかもしれません。

「つくる」と「あじわう」は、
わかることがちがうんですよね。
「つくる」だけの人がわからないこともあるし、
「あじわう」だけの人にわからないこともある。
そして、実際に「つくる」人の数のほうが、
圧倒的に少ないというのが、現実の地図ですよねー。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
実際の「やる」「つくる」は、ほんとうに学ばせてくれる。


 ジャムに入れる砂糖の量のところで、梨木香歩「西の魔女が死んだ」を思い出しました。まいとおばあちゃんが野イチゴのジャムを作っている時、おばあちゃんは沢山の砂糖を用意する。それを見たまいは、こんなに砂糖を入れたのを食べたら病気になっちゃうよ、と。おばあちゃんは何故ジャムに砂糖を沢山入れるのかを話し、また、ジャムは一気に沢山食べないから大丈夫、とも。この部分に、ジャムをつくったことのない自分はなるほどそうなのか、と思いました。私もつくるなら、砂糖は控えめにするなと考えたに違いない。

 話を本題に戻して、「つくる」ことと「あじわう」こと。
 両方体験してわかることがある、頷きました。先ほどのジャムの話もそうですし、例えば、ピアノでもある。聴いている分にはそんな難しそうに聞こえないのに、楽譜を見て愕然とする曲は沢山ある(シューマン「ユーゲントアルバム」とか。モーツァルトのピアノソナタも、聴いていると難しくないように思えるけど、弾いてみるととても難しいとよく聞きます。)実際難しくないはずなのに自分にとっては何故か難しいものもある(ソナチネ7番第1楽章…何故だ、何故難しいんだこれは…)。そして、自分で弾いてみて、はじめて表現についてじっくり考える。自分の楽器がピアノなので、他の器楽曲や管弦楽曲・交響曲などでは聴く側=「あじわう」側にしか立てないことが残念なのですが、それでも、ピアノだけでも一応「自分の楽器」があるのはいい。それに、弾く・弾けないのどちらかで、「つくる」「あじわう」に分けられてしまうのも残念に思える。「自分の楽器」は無いけど、「つくる」ように音楽を聴くことが出来る人だっているはず。深く読解しながら。

 つくってみて失敗するのも大事だと思う。ジャムの話のように。失敗して、その理由に気づくのは大事だ。

 それから、よく思うのが、「つくってみたい」けど自分の技術やつくるために必要なものが無くて、つくれないものも沢山ある。精巧できれいな絵・イラストとか、手描きのアニメ、きれいな写真、難しい料理、面白い文章、やってみたい仕事…。頭の中ではイメージはどんどん膨らんでいるのに、形に出来ないこのもどかしさ。頭の中のイメージを、形に出来る機械とかあればいいのにと何度思ったことか。

 でも、それでいいのかも、とも思う。何でも簡単にはつくれない。つくるための基礎知識を学んだり、道具の使い方・扱いを練習したり、つくっては壊して…案を出してはボツにしての繰り返し。難しいけど夢中で作業したり…そんな”生みの苦しみ”があるからおもしろいのだと思う。苦労して努力する、なかなか思ったものが出来上がらない辛さも、「つくる」ための過程。

 ここまで書いて、今の自分のことを省みた。今の自分は「あじわう」方が圧倒的に多い。糸井さんが仰るように、「実際に「つくる」人の数のほうが、圧倒的に少ない」…まさに。ただ、「つくる」ものは、プロの仕事だけとは限らないし、大きなものだけとも限らない。日常の些細なことでも、いつの間にかつくっていると思う。

 いつの間にかつくっているもの。つくりたくて、つくっているもの。意識してみるとおもしろいかも。

 あと、つくりたいものの中から、実際につくるものを選ぶことも必要になってくる。つくりたいもの全部はつくれない。よほどの才能が無いと難しい。何をつくりたいか。それを選ぶのは、自然にいつの間にかこうなったことが多いのでは無いかと思う。

 「つくる」にも色々ある。「あじわう」だけだったはずがいつの間にか「つくる」側にもなっていた。そんな多層的な考え方も出来るんじゃないかなと思いました。
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by halca-kaukana057 | 2013-06-23 23:44 | 日常/考えたこと

ぼくらの中の発達障害

 先日、NHK「クローズアップ現代」でも取り上げられた発達障害。よく聞くけれども、よく知らない。話を聞くと、「これは自分にも当てはまる?」と思ってしまうこともある。そんな中で、この本を読みました。

NHK:クローズアップ現代:“大人の発達障害” 個性を生かせる職場とは?
 ↑番組の全文を掲載しています。


ぼくらの中の発達障害
青木省三/筑摩書房・ちくまプリマー新書/2012

 まず、この本で主に扱っている「発達障害」は、自閉症、高機能自閉症、アスペルガー症候群といった「広汎性発達障害」「自閉症スペクトラム障害」と呼ばれているもの。注意欠如・多動性障害(ADHD)や学習障害(LD)も少し紹介されています。

 先述した「クローズアップ現代」や、そのほかの場面で、発達障害と定型発達(障害が無い人のことを、この本では「定型発達」と表記しています)はどう違うのだろう?どこが境界なのだろう、何が障害で何が障害ではないのだろう…?と疑問に思ったことがある。

 そのことに関しての記述がとても興味深く、またわかりやすかった。人と交わることや集団に入ることがうまくできない対人関係・社会性の障害。言葉を中心としたコミュニケーションや、いわゆる「空気を読む」といったことがうまくできないコミュニケーションの障害。こだわりが強く新しいことや状況の変化に強い不安や恐怖を抱くこだわり、想像力の障害。これらを主とする障害が、強めに出ているか。発達障害と定型発達は連続しているもの、と書いているところになるほどと思った。発達障害かと思う場合でも、グレーゾーンのような場合も多いそうだ。程度の軽い人、はっきりしない人、発達障害の特徴を持っていても普通に社会生活を送っている人もいる。境目はなく連続していると著者は考えていて、「これは自分にも当てはまる?」と思ったこともこれで納得。

 しかし一方で、発達障害の人々のものの見方や考え方は、定型発達の人のものとは全く異なるということも忘れてはならない、と。「自分とは異なった思考・行動・生活の様式を持っている」という意味での「文化」という表現を使っているのにもなるほどと思えた。

 更に中身を読んでいくと、広汎性発達障害を持つ人は他者との交流を避けがち、ひとりでいるほうがいいと思っていたのだが、そうとも限らないそうだ。著者が出会った発達障害をもつ人々の例を読んでいて、痛切な気持ちになった。「いつもひとりでいるのが好き」というわけでもなく、「友達とうまく話せない、友達の中にうまく入っていけない」、ひとりでいるほうが楽という意味でひとりがいいと思う。でも実際は、学校でできた友達と音楽など好きなものを共有し楽しんだり、同級生が話している冗談が分からず苦しかったが、先生や友達のサポートで楽になり学校が楽しくなったといったように、友達との交流を発達障害を持つ人も求めていて、その交流で穏やかに生活できるようになったということもある。ただ、定型発達の人とは異なる「文化」を持っていて、友達を作りたい、友達の輪に入りたいけど、うまく出来ずに悩む。これは定型発達の人でも思い悩むこと。やはり発達障害と定型発達は連続していて、でも異なる「文化」を持っているのだなと思う。

 第6章「発達障害を持つ人たちへのアドバイス」は、発達障害を持っている人にも、定型発達の人にも読みやすくわかりやすい内容になっていて、急いでいる時はここから読むことも出来る。本当にわかりやすい。筆者がイギリスに留学した時、英語でのコミュニケーションがうまく取れなかったこと、イギリス独特の文化になかなか馴染めなかったことと発達障害を関連付けて話しているのが、身近に感じられて分かりやすい。

 読んでいて、「クローズアップ現代」でも論じられていたように、異なる「文化」として、受け入れる、そこから学ぶ、共生する姿勢が必要なのだなと感じました。異なる「文化」として捉えることは、これまでにない新しいものと考えることにもなる。実際、発達障害の人に出会ったら、最初は驚くと思う。その言動に、イライラするかもしれない。そんな時、またこの本を読んで、少しずつ異なる「文化」と共生できたらと思う。


 そういえば、Eテレ・NHK教育でも、発達障害の子どもや先生・家庭向けの番組があります。
NHK:NHK for school:スマイル!
 この番組は小学校低学年向け。中学年~中学生向けだった「みてハッスル☆きいてハッスル」、「コミ☆トレ」が終わってしまったのが残念。「コミトレ」は時々観ていたのですが、やはり「これは発達障害じゃなくても悩むことだよなぁ…」と思ったことが何度も。
 
 ちくまプリマー新書は、中学生高校生向けの新書なので読みやすいです。大人の方も是非。
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by halca-kaukana057 | 2013-04-19 22:50 | 本・読書

終わらない歌

 先日読んだ小説、宮下奈都「よろこびの歌」。その続編です。早速読みました。
よろこびの歌


終わらない歌
宮下奈都/実業之日本社/2012

 あの「麗しのマドンナ」を合唱してから3年後。20歳になった彼女たちはそれぞれの道を歩んでいた。再び声楽を志し、音楽大学に入学した玲。しかし、クラスのトップとクラスの上位にもなれない自分を比べ、自信を無くしていた。千夏はアルバイトをしながら、劇団に所属しミュージカルの役者を目指して奮闘していた。早希はスポーツ科学を専攻しトレーナーを目指していた。…


 高校を卒業し、20歳になった玲たち。彼女たちの進んだ道は、予想通りのものもあれば意外なものもあり。性格や考え方も、変わっていないところもあれば変わったところもある。成長を読めるのが嬉しかった。

 「よろこびの歌」を読んで、私は彼女たちが「諦め」の気持ちを持っていたと書いた。失敗し、挫折し、行き詰まり、様々なことを「諦め」た彼女たち。そんな彼女たちは「麗しのマドンナ」の合唱を通して、歌うこと一筋で生きてきたのを「諦め」た玲が、歌う気持ちを新たにして立ち上がる姿を見て、その歌声に魅了されていた。そして千夏や早希たちも玲の歌と歌う気持ちに動かされ、「諦め」たことに向き合い、それぞれの答えを出した。

 続編の「終わらない歌」では、「諦め」を通過、もしくは乗り越えたけれども、また新たな壁にぶち当たったり、新しい何かと出会ったり、変わりゆく自分自身に出会ったり…とそれぞれの道で様々です。

 玲はクールそうに見えて、情熱を秘めている。千夏は壁にぶつかってもぶつかっても、やっぱり歌が、音楽が、舞台に立つのが好きだと素直に立ち上がる。早希のまっすぐな熱意は、剛速球のよう。「よろこびの歌」でも惹かれた佳子には、今作でも惹かれてしまった。「よろこびの歌」の感想で、「それぞれの登場人物の要素が、私自身に合致する」と書いた。今作「終わらない歌」でもそうなのだが、佳子には特に自分と似ているところがあるなと思う。私もダラダラと目標も無く歩いている。ただ、佳子と自分の違いは、年齢だと思った。
 「よろこびの歌」ではあまり出てこなかった登場人物も、この「終わらない歌」でメイン登場します。でも、視点はその彼女自身ではなく、会社の先輩というのがうまい。

 自分のやりたいことに、「今」「この時」に、叶えたい未来のために、情熱を傾ける。「諦め」という醒めた姿勢をやめて、今に精一杯ぶつかっていく。20歳の頃は、そんな時期だなと自分の20歳の頃を思い出して読みました。千夏のように精力的に動いていた。玲のように才能や技術を持っている人と自分を比べて落ち込むこともあった。早希やひかりのように目標があっても、その目標の先で思い悩む時も合った。でも、一生懸命で、精一杯。それが20歳の頃。「若いってすばらしい」の歌ではないが、若いっていいな、20歳の頃に戻りたいなと、自分の今の年齢を思うと羨ましくなる。

 いや、玲の母・御木元響のヴァイオリンのように、歳を重ねても深くなってゆければと思いなおした。
 20歳だからできること。歳を重ねたからできること。れぞれ違う「できること」があると思う。

 素直で明るい、輝かしいだけではない希望。希望や夢は儚い。でも、夢や希望を持たずにはいられない。玲が出したこの答えのような気持ちになった。

 続編があって、よかったと思いました。
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by halca-kaukana057 | 2013-03-25 23:17 | 本・読書

よろこびの歌

 以前、宮下奈都さんの小説を読んだのですが、文体や雰囲気が気に入ったので他の小説も読んでみた。2作目がこれ。
・以前読んだ本:遠くの声に耳を澄ませて

よろこびの歌
宮下奈都/実業之日本社・実業之日本社文庫/2012(単行本は2009年)

 著名なヴァイオリニストの娘で、声楽を志す御木元(みきもと)玲は、まさかの音大付属高校の受験に失敗。失意の中、玲は新設されて間もない普通科しかない女子高に進学する。音楽からも遠ざかり、高校での毎日もただ何となく、諦めて過ごしていた。2年の秋、クラス対抗の校内合唱コンクールにも興味を持たずうんざりとしていたが、突然指揮に指名されてしまう。ためらい、自信はないが引き受けることにした玲。そして、玲は以前音楽室でうれしそうにピアノを弾いていたのを見たことがある、玲を指揮に指名した原千夏をピアノ伴奏に指名。しかし、練習にも人は集まらず、練習でも玲の厳しい指導にクラスメイトはついて行けず、結果は散々なものに。しかし、その後のマラソン大会。走るのが苦手な玲がゴールまでもう少しのところで聴いたのは、千夏をはじめとしたクラスメイトたちが合唱コンクールで歌った歌だった。合唱コンクールの時とは全く違う歌声に、玲の心と音楽・歌に対する考え方は変わってゆく…。


 以前、私は「本に呼ばれる」ことがある、と書いたことがある。この本を読んだときも、「呼ばれた」と思った。「遠くの声に耳を澄ませて」も、その時(今でも)の自分にとって、欲していたと思うような登場人物の抱えているものや、言葉・台詞が沢山出てきたのだが、この「よろこびの歌」では全部、と言いたいぐらい。各章、玲のクラスの少女たちがそれぞれ主人公となって、彼女たち自身のことや抱えているもの、高校での日々、合唱のことが語られる。それぞれ、様々なことを抱えて、諦めの気持ちとともにこの女子高へ入ってきた。

 音楽一筋で生きてきたのに、音高受験失敗で挫折、音楽から遠ざかってしまった玲。音楽は好きだが、ピアノが欲しくても買ってもらえない、父のうどん店の手伝いをするしかない千夏。中学時代はソフトボール部でエースのピッチャーだったが肩を故障し、二度とソフトボールは出来ない早希。人には見えないものが見えてしまう史香。大きな挫折や、どうしようもない不満な現状、自分自身や他者に対する不安、どう考えていいかわからないこと、諦め。この物語で少女たちが抱えている様々な「諦め」の数々が、どれも私自身のものだと思えてしまう。それぞれの登場人物の要素が、私自身に合致する。私も様々なことを「諦め」てきた。「諦め」るしかない。自分では納得はいかないけれども、もう先に進めないから「諦め」る。「諦め」たことを思い出し、苦しいと思いつつも、彼女たちが歌い、日々を過ごす中で思ったことを読み続けた。

 「諦め」たのは、過去のこと。でも、今の自分自身に影響を及ぼしている。その一方で、歌うのは、今のこと。マラソン大会での歌声をきっかけに、もう一度歌わないかと音楽教師である担任に言われ、再び歌う少女たち。玲も合唱コンクールの時とは違う指導や指揮を試みる。千夏も玲にピアノや歌を教えてもらいながら、伴奏をする。玲も千夏も他のクラスメイトも、「諦め」の気持ちよりも、今を歌う気持ちが強くなる。玲が指揮・指導の合間に少し歌う歌声に魅了され、玲もこのクラスの歌声に出会ったことで音楽・歌に対する考え方が変わってゆく。「諦め」を解き放つのは、「今」のことだけを思うこと、なのかもしれない。そこに、清々しい空気を感じた。

 特に惹かれたのは、美術部で玲に反抗的な態度を取っていた佳子の「バームクーヘン」。古文の教師の”ボーズ”との会話、出てきた歌の歌詞が印象的だった。ああ、そういうことなんだ。私もこれでいいんだと少し思えた。

 どの章も、挫折や「諦め」とは書いたが、人によっては些細なことかもしれない。でも、私には大きなことで、徐々に変わってゆく彼女たちを見守る気持ちだった。これから、どう進んでゆくのだろう、と。大きな変化は描かれない。日常の小さな変化だけど、その瞬間瞬間はかけがえのないものなのだ、と。史香の「サンダーロード」のような、デコボコだらけの道を歩いているような。

 この小説の続編が出てました。

終わらない歌

宮下 奈都 / 実業之日本社


 昨年11月に出たばかり。文庫化はまだまだだろうから、単行本で買ってしまおうかな。続きがあるなら読みたい。彼女たちのその先を読みたい。
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by halca-kaukana057 | 2013-03-13 23:01 | 本・読書

選ぶこと、自分で決めるということ

 ふと思ったことを。

 これまで私は、「選ぶ」ということをネガティヴに捉えていた。色々なことに興味がある。見たいもの、ききたいこと、読みたいもの、会いたい人、話し合ってみたいこと、やりたいこと、行ってみたいところ…たくさんある。

 でも、全部は出来ないな、と感じるようになった。体力・気力・時間・経済的なこと。そして、何に重きを置くか。

 生きてゆくうえで、様々なことを選択する。今日の献立、読みたい本、休日の過ごし方のような日常のことから、これからの人生を決める重大なものもある。小さいもの、大きいもの。軽いもの、重大なこと。毎日何かを選んでいる。これまで意識してこなかったけど、私は選んでいた。全部、なんてなかった。

 「選ぶ」のが怖かったのだ。何かひとつを選べば、他のものは選ばない、ひとつに絞られる。その先の未来に何があるか、何が起こるか。もし辛いこと、苦しいこと、困ったことなどあまり歓迎できないことが起こった時、「あの時あれを選ばなかったら…」と後悔するのが怖いのだ。選択肢を広げておけば、その後悔する可能性は減る。私は昔から、後悔するのが嫌だった。チャンスを逃すのが嫌だった。チャンスはあったのに、出来たのに…そんな後悔はしたくない。だから、このように思うようになったのかもしれない。

 「選ぶ」ことを厳しい、難しいと思う。でも、決めるのは自分。全部は選べない。棚上げしたり、全て選択しないという方法も取れる。でも、選ぶ時はいつかやって来る。その時は、心の準備が出来ている時なのだろう。

 選ぶこと、つまり、自分が決めた答えを恐れずにいたいと思う。選んだ結果、あまり歓迎できないことが起こったとしても、そこでまた選んで決めればいい。自分で選択肢をつくる、増やすことだって出来る。「選ぶ」ことを、受け身のようにも感じていたけど、自ら作ることも出来るんだ。

 何かひとつを選んだとしても、他をばっさり切り捨て、もう二度と出てくることはない…ということもない。以前書いたように、「引き出し」のように考えることも出来る。

 選ぶことを恐れず、自分で決めたことは大事にしたい。そうふと思いました。

・以前の記事:心の中にあるものという”引き出し”から(2011.12.15)
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by halca-kaukana057 | 2013-01-28 21:29 | 日常/考えたこと

自分の軸を持つこと

 2013年になりました。

 NHK教育テレビ(Eテレ)「0655・2355 年越しをご一緒にスペシャル」今年も録画で観ました(初詣に行っていたため)。2012年聴き納めの歌が、「のりこえるの歌」。はい、色々と乗り越えましたなぁ…としみじみ。

 そして年が明け、月周回衛星「かぐや」(SELENE)がハイビジョンカメラで撮影した「地球の出」の映像で始まる2013年。…昨年もこの映像だった…覚えてます。ミッションが終了し、衛星そのものはなくなってしまったのですが、「かぐや」の映像が今も使われるのは、嬉しいことではあります。チームにょろにょろの歌がゆるいw
 最後は大好きな「toi toi toi」特別バージョン…ロングバージョンだ!いつも「0655」で聴くものよりも長い、もしかしてフルバージョン?歌詞に、新年の希望と元気を貰いました。いい番組です。

 この「0655・2355」年越しスペシャルの目玉が、爆笑問題・田中さんによる「たなくじ」新春バージョン。テレビで一年の運試し。毎週の「たなくじ」も好きで、時間になると携帯片手にテレビの前でスタンバイしてますw

 出たのがこれ。
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 「ブレない吉・自分をしっかり持つと吉」

 昨年は、ブレてばかりでした。やろうと決めたことも、周りに翻弄され貫けないまま諦めたり、チャンスを逃して出来ずに終わってしまったり。その時に合わせて柔軟に…と考えればよく聞こえるのですが、場当たり次第、とも捉えられる。この違いは何か。「こうしたい」「これが最終目標」という軸があれば、自分を取り巻く状況が変わっても、目標を見失わずに進める。コンパス・方位磁針のようなものとも言えるかな。それが去年は無かった。「こうしたい…けどそこにどうやって行ったらいいか、やり方がわからない」と、わからないまま終わらせてしまった。情けない限り。

 という反省を胸に、「目標」を示すコンパスと、貫く意志、自分の軸を持って、今年は進んでいこうと思います。
 第一は健康。昨年はストレスフルな環境に置かれ、体調を大きく崩してしまった。こうなると元のリズムに戻すのが大変。ストレスフルな環境にあっても、健康を保つために何をすべきか。生活リズムを保った生活、ストレスはこまめに発散する。溜め込まない。
 第二は仕事、それから生活。目を背けていることがある。今年は決着をつけたい。

 でも、楽しむことも大事。ずっと続けてきたピアノからほぼ完全に離れてしまった去年。何か続けていけることをやりたい。自分を保つためにも。ピアノに夢中だった頃は、自分を保てていた気がする。黙々と練習することが、心身のバランスを取ることにも繋がっていたような。

 そんな一年にしたいです。
 良い一年でありますように。

 皆様の今年一年のご健康と、ご多幸をお祈り申し上げます。
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by halca-kaukana057 | 2013-01-01 23:30 | 日常/考えたこと


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