タグ:生き方 ( 102 ) タグの人気記事

選ぶこと、自分で決めるということ

 ふと思ったことを。

 これまで私は、「選ぶ」ということをネガティヴに捉えていた。色々なことに興味がある。見たいもの、ききたいこと、読みたいもの、会いたい人、話し合ってみたいこと、やりたいこと、行ってみたいところ…たくさんある。

 でも、全部は出来ないな、と感じるようになった。体力・気力・時間・経済的なこと。そして、何に重きを置くか。

 生きてゆくうえで、様々なことを選択する。今日の献立、読みたい本、休日の過ごし方のような日常のことから、これからの人生を決める重大なものもある。小さいもの、大きいもの。軽いもの、重大なこと。毎日何かを選んでいる。これまで意識してこなかったけど、私は選んでいた。全部、なんてなかった。

 「選ぶ」のが怖かったのだ。何かひとつを選べば、他のものは選ばない、ひとつに絞られる。その先の未来に何があるか、何が起こるか。もし辛いこと、苦しいこと、困ったことなどあまり歓迎できないことが起こった時、「あの時あれを選ばなかったら…」と後悔するのが怖いのだ。選択肢を広げておけば、その後悔する可能性は減る。私は昔から、後悔するのが嫌だった。チャンスを逃すのが嫌だった。チャンスはあったのに、出来たのに…そんな後悔はしたくない。だから、このように思うようになったのかもしれない。

 「選ぶ」ことを厳しい、難しいと思う。でも、決めるのは自分。全部は選べない。棚上げしたり、全て選択しないという方法も取れる。でも、選ぶ時はいつかやって来る。その時は、心の準備が出来ている時なのだろう。

 選ぶこと、つまり、自分が決めた答えを恐れずにいたいと思う。選んだ結果、あまり歓迎できないことが起こったとしても、そこでまた選んで決めればいい。自分で選択肢をつくる、増やすことだって出来る。「選ぶ」ことを、受け身のようにも感じていたけど、自ら作ることも出来るんだ。

 何かひとつを選んだとしても、他をばっさり切り捨て、もう二度と出てくることはない…ということもない。以前書いたように、「引き出し」のように考えることも出来る。

 選ぶことを恐れず、自分で決めたことは大事にしたい。そうふと思いました。

・以前の記事:心の中にあるものという”引き出し”から(2011.12.15)
[PR]
by halca-kaukana057 | 2013-01-28 21:29 | 日常/考えたこと

自分の軸を持つこと

 2013年になりました。

 NHK教育テレビ(Eテレ)「0655・2355 年越しをご一緒にスペシャル」今年も録画で観ました(初詣に行っていたため)。2012年聴き納めの歌が、「のりこえるの歌」。はい、色々と乗り越えましたなぁ…としみじみ。

 そして年が明け、月周回衛星「かぐや」(SELENE)がハイビジョンカメラで撮影した「地球の出」の映像で始まる2013年。…昨年もこの映像だった…覚えてます。ミッションが終了し、衛星そのものはなくなってしまったのですが、「かぐや」の映像が今も使われるのは、嬉しいことではあります。チームにょろにょろの歌がゆるいw
 最後は大好きな「toi toi toi」特別バージョン…ロングバージョンだ!いつも「0655」で聴くものよりも長い、もしかしてフルバージョン?歌詞に、新年の希望と元気を貰いました。いい番組です。

 この「0655・2355」年越しスペシャルの目玉が、爆笑問題・田中さんによる「たなくじ」新春バージョン。テレビで一年の運試し。毎週の「たなくじ」も好きで、時間になると携帯片手にテレビの前でスタンバイしてますw

 出たのがこれ。
f0079085_2314222.jpg

 「ブレない吉・自分をしっかり持つと吉」

 昨年は、ブレてばかりでした。やろうと決めたことも、周りに翻弄され貫けないまま諦めたり、チャンスを逃して出来ずに終わってしまったり。その時に合わせて柔軟に…と考えればよく聞こえるのですが、場当たり次第、とも捉えられる。この違いは何か。「こうしたい」「これが最終目標」という軸があれば、自分を取り巻く状況が変わっても、目標を見失わずに進める。コンパス・方位磁針のようなものとも言えるかな。それが去年は無かった。「こうしたい…けどそこにどうやって行ったらいいか、やり方がわからない」と、わからないまま終わらせてしまった。情けない限り。

 という反省を胸に、「目標」を示すコンパスと、貫く意志、自分の軸を持って、今年は進んでいこうと思います。
 第一は健康。昨年はストレスフルな環境に置かれ、体調を大きく崩してしまった。こうなると元のリズムに戻すのが大変。ストレスフルな環境にあっても、健康を保つために何をすべきか。生活リズムを保った生活、ストレスはこまめに発散する。溜め込まない。
 第二は仕事、それから生活。目を背けていることがある。今年は決着をつけたい。

 でも、楽しむことも大事。ずっと続けてきたピアノからほぼ完全に離れてしまった去年。何か続けていけることをやりたい。自分を保つためにも。ピアノに夢中だった頃は、自分を保てていた気がする。黙々と練習することが、心身のバランスを取ることにも繋がっていたような。

 そんな一年にしたいです。
 良い一年でありますように。

 皆様の今年一年のご健康と、ご多幸をお祈り申し上げます。
[PR]
by halca-kaukana057 | 2013-01-01 23:30 | 日常/考えたこと

コルシア書店の仲間たち

 今年読んだ本は、今年中に感想を書いておきたい。しばらく前に読んだのですが、感想を書くとなると難しい、文章にしにくいと思ってしまうのは何なのだろう?読んでいて、とても惹かれた本なのに。
・読んでいた頃の過去記事:活字に飢える(2012.6.4)
 体調不良、精神状態不安定だった頃だ…。

コルシア書店の仲間たち
須賀敦子/文藝春秋・文春文庫/1995(単行本は1992年)

 1960年代須賀さんが若い頃、イタリアへ留学し、ミラノで「コルシア・デイ・セルヴィ書店」という小さな書店に出入りするようになる。カトリック神父のダヴィデ・マリア・トゥロルド神父が中心となり、理想の共同体をつくろうと政治的な活動も行う若い人々が書店に集っていた。そんなコルシア書店に通い、集う仲間たちのことを綴ったエッセイです。

 イタリア、と聞くと、地中海の明るい日差しが降り注ぐ海と街、朗らかで陽気な人々、彩りよく美味しいイタリア料理やワインをイメージする。しかし、この本で描かれているイタリア・ミラノは、そんなイメージとは異なる。須賀さんが描くミラノは、淡く、どこか暗く、「モノクローム」もしくは「セピア色」という言葉が似合う。銀板写真のようなイメージもある。

 しかし、描かれている人々は個性的で、活き活きとしている。彼らが生き、暮らす周囲は鮮やかだ。一癖あるけれども、愛おしい人々。夫となるペッピーノをはじめ、読んでいてその人たちへの愛情が伝わってきた。

 それと同時に、イタリアやヨーロッパの歴史も語られる。第1次世界大戦、ナチスとユダヤ人、第2次世界大戦…。戦争は過去のものではない、人々が生きることを脅かした身近なもの、自分たちに繋がるものと書かれている。歴史の教科書やドキュメンタリーとは違う、リアルさを感じた。

 どの章も印象的なのだが、「銀の夜」のダヴィデの詩に惹かれる。「街」で描かれるミラノの2面性。「大通りの夢芝居」のミケーレはどうなったのだろうと気になってしまう。先述したナチスとユダヤ人の「家族」。「小さい妹」のガッティと共に描かれるミラノの風景。夜、アイスクリーム屋へ向かう道の描写に惹かれる。そして日本に帰ってからの「ダヴィデに」。

 コルシア書店はなくなってしまい、集っていた人々も離れ離れになってしまう。夫・ペッピーノも他界してしまう。同じ場に集っていて、ひとつのものを目指している仲間たち。でも、その心の中が全く一緒とは限らない。私もそんな経験は何度もある。その度にかなしい、残念だけれども、これは当然のことなんだ、私と他者は「別人」なのだから、と言い聞かせる。でも、完全に「別人」でもない。「孤独」とは。最後の232ページを読んで、また最初から読むと、描かれている人々がますます愛おしく感じる。

 文章を味わい、描かれている情景や人々を味わう。いとおしむ。優しく抱きしめたくなる。最初に書いたとおり、「モノクローム」な味わいもありますが、そんな雰囲気もまた愛おしい。何度でも読み返したい本です。

 須賀さんの本は、これからも読みたい。読みます。既に積読になってます。
・前回読んだ須賀さんの本:遠い朝の本たち
[PR]
by halca-kaukana057 | 2012-12-18 22:58 | 本・読書

今ここで暮らす、自分を信じる

 日々、色々なことで心が揺れ動きます。イライラしたり、焦ったり、羨ましがったり、むなしくなったり、心配になったり、不安になったり…。ここ最近の社会の動きを見ていると、色々なことを考えずにはいられません。更に、自分の住む地域の現状を憂い、他の「恵まれている」「豊かな」地域(外から見ているだけで、実際の中身は違うかもしれない)を羨ましがる。こんな不安定な、油断すると厭みな言葉ばかり出てきてしまいそうな自分自身が嫌になりそうにもなった。

 でも、私が生きる、暮らしてゆくのは、今いるこの土地。ここで暮らし、仕事して、生きている。否定はいくらでも出来る。厭みはなんとでも言える。ただ、その後、ますますむなしくなるだけだ。

 今、ここで、自分が出来ること。すべきこと。自分自身の今を、身近な暮らしを、おろそかにせず大事にする。毎日ひとつひとつ続けてゆくことが、私のすべきことなのではないか。小さいものから大きなものまで「こうなりたい」「これをしたい」という願望はある。短期的な視点でも、長期的な視点でも、目指すものはある(おぼろげなものですが)。今していることが、そんな近い・遠いこれからの時間に繋がってゆく。まずは今ここ、身近なところから。

 また、やりたいけど今は手が届かないことも、きっと手が届くと信じる。この「信じる」ことには、「自分自身を信じる」ことも含まれると思う。
 運とか機会とか誰かの計らいとか自分ではどうしようもないことはある。その一方で、自分が行動しないといけない時もあると思う。そんな時、勇気や行動力、体力精神力などの自分の力を信じたい。大丈夫だと自分に言い聞かせていたい。
 そして、「機が熟す」時を待つことも。何かを実現するのにかかる時間は、人によって違う。すぐ出来る人もいれば、何年、何十年もかかる人もいる。すぐ実現できた人と比較すると、何十年もかかった人は損なのだろうか、実力が無いのだろうか。違うと思う。人それぞれのタイミングがある。誰もが同じように、順序通りに事が進むわけじゃない。その人に実力はあっても、家族・家庭、仕事・職場、社会…様々な要因で事が進められない時もある。生きることは、自分だけでどうにかできるものではないと思う。「機が熟す」時が来れば、きっと出来る。それも、「自分を信じる」ことに含まれると思う。

 そんなことを、最近twitterで会話したり、思っていました。

【過去関連記事】
今、ここで生きること
"私の暮らし"を見つめ直す
「今」ここにいる自分が思うこと

 過去記事と似ている、同じところもありますが、微妙に違うところもあります。こんな風に、考えを広げ、めぐらせていきたいなと思います。
[PR]
by halca-kaukana057 | 2012-12-17 23:08 | 日常/考えたこと

遠くの声に耳を澄ませて

 最初、この宮下奈都さんの他の作品が気になったのだが、タイトルに惹かれて、こちらを先に読んでみた。初めて読む作家さんです。


遠くの声に耳を澄ませて
宮下 奈都/新潮社/2009

 12の短編を収めた本。旅行雑誌に連載されたものだそうで、旅もテーマになっている。ちなみに、本のタイトル「遠くの声に耳を済ませて」というタイトルの作品は無い。表題作のない短編集です。

 登場人物たちは、仕事や恋愛、家族や友達、同僚などのことで悩んだり、躓いたり、挫折したりしている。どこにでもありそうな、悩みや挫折。思い悩んでいても、躓いて涙を流しても、毎日は続く。日常は止まることなく進んでゆく。

 そんな時、遠くへ行きたいと思う。行けない時は、遠くを想う。「ここじゃないどこか」へ行って、または「ここじゃないどこか」を想って、そこから、「今ここ」を客観的に見る。「今ここ」では気づくことが出来なかったことがあり、がんじがらめになっていた気持ちが解き放たれ、刺々しかった気持ちが丸くなる。何か悩んでいる時、挫折した時は「今ここ」しか見えない、見ようとしないことが多い。でも、「今ここ」だけじゃない場所がある。道がある。可能性がある。時間がある。方法がある。「今ここ」から抜け出して、ちょっとの間遠くへ行く(気持ちだけでも)。それがきっかけで、動き出すことがある。大きな変化じゃなくても、小さな心の中での変化でも。この本の短編では、小さな心の変化のほうを描いていて、最終的なラストはわからないまま終わる。ゴールはどうなるかわからないけど、その小さな心の変化が起こった過程が描かれいているのが、とても印象的でした。

 それぞれの登場人物は、別の作品でも登場することもあるので、その関係を読むのも面白いです。この作品では主人公だったのが、別の作品では客観的に描かれていて、ひとりの人物を多方面から見ることも出来る。連続した作品ではないのに、どこか繋がっているところがある。そういえば、現実でも友達の友達が知り合いだったとか、仕事で会ったことがあるとか、そんな繋がりに驚くことがあります。

 どの作品も印象的で、好きなのだが、「アンデスの声」や「うなぎを追いかけた男」の、行ってはいない(過去に行った)けど、その話を聞くことで遠くを想うこの2作は清々しい気持ちになる。また、「転がる小石」や「部屋から始まった」、「クックブックの五日間」は実際に遠くに行って、その場所に行ったことよりも、行った行動そのものが変化に繋がる過程が描いてあって、わかる、と感じた。旅に出て、その旅の中身も楽しんだけれども、それ以上に旅に出たということ、遠くに行ったということが変化の始まりだったということが私にもある。「転がる小石」の陽子ちゃんのように、見知らぬ場所に来て、「怖がっていたものの正体を見きわめ」、「道草をやめ」て、「簡単には近づけないものから目を背けるんじゃなくて、正面に見据えて半歩ずつでも近づいてゆく」。読んでいて、目を背けていることを正面に見据えたいという勇気が出てきた。

 最後の「夕焼けの犬」の病院の喩え・描写もいいなと感じました。夕焼けは、場所でも時間でも、遠くを思わせる。何か思いつめた時、仕事で疲れた帰り道やちょっとした休憩の合間に夕焼けを見ると心が落ち着くのは、そんな力があるからかもしれない。

 読んでいて、また旅に出たくなりました。遠くに行くことは大事だとも。なかなか行けない時は遠くを想うけど、でも、実際に行ってみるのはまた違う。人生・生きることも旅。「今ここ」と「ここじゃないどこか」を行き来して行くのだなと感じました。

 宮下奈都さんの著作を、また読みたいです。
[PR]
by halca-kaukana057 | 2012-12-06 23:12 | 本・読書

雪と珊瑚と

 久々に梨木香歩さんの小説を。今年春に出た新刊です(今年中なら新刊扱いの私)。


雪と珊瑚と
梨木香歩/ 角川書店(角川グループパブリッシング)/2012

 珊瑚は21歳、8ヶ月になる子どもの雪の母。シングルマザー。生活するために働こうとしているが、雪を預ける先に困っていた。雪との散歩中、珊瑚は住宅街の古びた家に「赤ちゃん、お預かりします」という張り紙が張ってあるのを見つける。その家に住む老婦人・くららと会い、珊瑚はくららと話すうちにここに預けようという気になる。珊瑚と雪はくららの家へ通い、また、くららに様々な料理、食べることについて教わる。一方で、以前勤めていたパン屋に再就職した珊瑚だったが、そのパン屋はもうじき店をたたむとのこと。その後どうするか。パン屋で出会ったアトピー持ちの子どもとその母親との会話、珊瑚と同じアパートに住む助産師の那美との会話、そしてくららの料理…そこから、珊瑚は惣菜カフェを開きたいと思い、動き出す…。

 物語は珊瑚がくららと出会い、くららから教わった料理のことや、自分自身の食の思い出・経験から惣菜カフェを開きたいと動き出し、様々な人々の協力でカフェを開業。自分で店を切り盛りし、雪も成長して行く。カフェも珊瑚も予想もしなかった方向へ動き出す…。という珊瑚と、雪と、珊瑚の店の物語。なのですが、それはあくまでテーマを語るための材料で、本題は物語の中に散りばめられていると思った。
 食べること、母親として生きるということ、育児、シングルマザーの置かれている状況、たくさんの人の中で生きるということ、それに対するひとりで生きるということ、誰かに頼るということ、相性が合わない・嫌い・苦手な人と接すること、自分がどんな立ち位置で生きているかということ…。
 色々な読み方が出来る作品だと思う。どれが一番のテーマなのか。何回も読んでみないとわからない…私はまだそこまで読み込めてない。いや、あえて決めていないのかもしれない。

 ただ、珊瑚の生い立ちは、この作品の幹にあたるものだと思う。母は多くの男性と付き合い父親が誰なのかわからない環境で育ち、母が家にいないことが多かった。食べるものが家に無い。命の危険を感じた珊瑚は、学校のスクールカウンセラーの元へ行く、「家に食べるものが無いんです」と。カウンセラーは、給食の余りなどを分けてくれた。しかし、その後高校に進学したが授業料が払えなくなり、退学。同時に家を出て、パン屋で働き始める。

 珊瑚は母がほとんどいない家で育ち、ひとりでも生きていかなくてはと常に思っている。しかし、完全にひとりでは生きてゆけない。カウンセラーやパン屋の主人と妻、くららや那美。カフェを開く時にも、様々な人の協力が合った。合ったが、自分では納得できないこともある…。私もそんなことを思うことがある。ひとりで生きなくては。親はいつかは死んでしまう。結婚しても、配偶者に頼るというのはどこか納得がいかない。でも、ひとりで生きているということはなく、職場の上司や後輩、友人、様々な人がいて、自分がいる。この矛盾をどう納得のいく形に持ってゆけはいいのか。この物語を読みながら考えたが、まだ答えは出ていない。
 また、この物語では、珊瑚に対して好感を持つ人が多いが、ひとりだけ嫌悪を抱く人が登場する。そんな、嫌悪を抱く人も、自分に何らかの影響を与えているのだろうか。自分のどんなところが嫌いで、それを相手を傷つけたいと思ってストレートに表現してくる。その感情には偽りがない。ある意味、ありがたい存在なのかもしれない。
 そして、珊瑚にとっての母の存在。珊瑚は、離れていた母に向き合い始める。

 震災後、家族はかけがえの無いもの、絆、という言葉や意識が広まった。でも、それがいつも好感の持てるものとは限らない。絆を切りたい、絆じゃなくてしがらみだという関係もある。人とのつながりは複雑だ。その複雑さの中で、どう生きるか。

 終盤、珊瑚が夜の店でひとり料理の下ごしらえをするシーンがある。雪は寝ている。下ごしらえがひと段落して、自分のためにコーヒーを淹れる。そこで、珊瑚はこう思う。
誰かのための、居場所をつくりたい、なんて驕った考えだ。自分がそもそも、そういう場所が欲しかったのだ。
 母でも娘でもない、自分が今、ここにいる。
(314~315ページより)

 自分の居場所…慎重に扱わねばならない表現だと思う。下手に使うと安っぽい、便利に使える表現になる。でも、それを本気で欲している人もいる。ここの、「母でも娘でもない」に、うんうんと頷いた。人の中で暮らしていると、自分には何かしらの「肩書き」が付く。上司に対しては部下、後輩に対しては先輩、友達と会えば友達、家族といれば家族。話はそれるが、NHK教育「ピタゴラスイッチ」で「ぼくのおとうさん」という歌があるのだが、「お父さん」も場所によって違ってくる。会社にいれば課長さん、お店に入ればお客さん、歩いていると通行人、電車に乗ると通勤客、病院に行けば患者さん、そして家に帰ってくるとぼくのお父さん。というように。そして、自分には名前がある。本名もあるし、このブログにいれば「遼」というハンドルネームがある。時々、その名前すらも必要としない、ただ人間としての自分でいたい…と思うことがある。この時、本当にひとりになれるのだろうかなどと考えつつ。


 もうひとつ、この物語の幹は、食べること。くららの料理、その料理に使われる食材はとても豊かだ。私は料理が苦手、今日の夕飯をどうしよう…それを考えるのも嫌になるほど、料理が苦手だ。でも、食べないといけない。こう思うと、食べることが強制的なもの、辛いものに思えてしまう。くららや、くららから料理を教わってカフェで様々な料理を作る珊瑚のように、黙々と、でも楽しく料理して、食べることを大事にできたらいいなと思う。食べることは大事にしたい。活動するエネルギーであり、生きることそのものだから。家に食べるものが無くて困り果てていた子ども時代の珊瑚も、くららに料理を教わった大人になった珊瑚も、食べることで強く生きようとしている。ここで、悩んでいる人を招き悩みを聞き、手作りの料理を食べてその人が生きるのを支えようとしている「森のイスキア」の佐藤初女さんを思い浮かべた。くららは元修道女。キリスト教の信仰の話も出てくる。佐藤さんもクリスチャン。どこか似ている気がする。

・佐藤初女さんのことに関する記事
食べること、料理すること、生きること
おむすびの祈り 「森のイスキア」こころの歳時記


 そういえば、この作品、梨木さんの小説で一切ファンタジー要素が出てこなかった作品かな?前作「僕は、そして僕たちはどう生きるか」もファンタジー要素は少なめだったが、ファンタジーのような謎の存在や、ユージンの家はファンタジーのようだった。今回は、珊瑚がカフェを作った場所はちょっとファンタジーっぽいが、ファンタジーではない。ひとりの作家の作風がこんな風に変わってゆくのは面白い。

・前作:僕は、そして僕たちはどう生きるか
・この作品に関連して体験したこと、思ったこと:「痛い」と表現すること

 最後に、梨木さんの最新刊。エストニア紀行エッセイ。エストニアとはまた惹かれる。読む。読みたい。

エストニア紀行: ――森の苔・庭の木漏れ日・海の葦

梨木 香歩 / 新潮社


[PR]
by halca-kaukana057 | 2012-11-09 23:23 | 本・読書

すてきなあなたに よりぬき集

 雑誌「暮しの手帖」が愛読書になって約2年。誌面のどの部分も気に入っているのですが、気になっていたコラムがある。それが「すてきなあなたに」。雑誌の真ん中あたり、紙が黄色い、他のページと色が違う。書いてある文章が、どれも興味深い。これは誰が書いているのだろう?読者の投稿?いや、違う。そんな「謎めいた」でも魅力的なコラムのよりぬき集が出ました。

すてきなあなたに よりぬき集
暮しの手帖社/2012

 この「すてきなあなたに」は、大橋鎭子さんが1969年に始めた連載エッセイ。「はじめに」でこう書かれています。



「なにもない普通の暮らしのなかで出合った、いろいろなことや、仕事でお目にかかった何人もの方々のお話しのなかから、私が大切に思い、すてきだなあと思い、生きていてよかったと思ったこと、私一人が知っていてはもったいない、ぜひ読者の皆様にもお知らせしたい、メモとして遺しておきたいことなどの、折にふれての記録から生まれたものです。」

 そうだったのか。毎号読むたびに、みずみずしい文章で、内容も日々のささやかな、ちょっとしたことなのに、それをじっくり観察して、素敵だと思ったことを爽やかに表現している。美味しい料理や、身の回りの自然、おしゃれのこと、旅先でのこと、海外での暮らしのこと、身近な家族や友人とのこと、自分自身のこと…。当たり前のことが、美しく、いとおしく思える。そんな視点を持てることは、幸せだなぁと読んでいて思います。

 12の月の各章に分かれ、季節を感じさせる内容になっています。料理のレシピも多いのが特徴のひとつ。一般的な料理本のように、作り方の画像や絵がない、文章のみのレシピなので、ちょっとわかりにくいと思うところはあるのですが(お料理のうまい方なら、すぐにわかるのだろうなぁ…)、読んでいると美味しそうだなと感じます。北欧・スウェーデンの家庭料理「ヤンソンさんの誘惑」のレシピも書かれていて、これを読んで実際に作りたくなりました(この「ヤンソンさんの誘惑」はお隣のフィンランドでもよく食べられるらしい)。

 ポジティヴなことばかり書かれているわけでもなく、例えば5月の章の「落ち着かない日」。気持ちが落ち着かず、何をしても集中できない。そんな時、どうしよう…という内容で、私もそんなことがよくあるので「わかるなぁ」と思いつつ読んでいました。私も落ち着かない日はどうするか、メモしておこう。

 何気ない日々の、ささやかだけれども、自分にとっては特別と思えること。読むだけでなく、自分もそんな「すてきな」ことを探してみよう、日常をよく観てみよう。そう思えるエッセイです。

 欲を言うと、このエッセイは何年のものかわかるように書いておいて欲しかったなぁと。あと、「よりぬき集」なので、あくまでほんの一部。もっと読みたい方は、単行本が5巻出ているので、そちらをどうぞ。私も単行本も読んでいます(5巻は2006年刊行。6巻はいつ出るのだろう?)。勿論、本誌もどうぞ。
 ちなみに、単行本のイラストは「暮しの手帖」初代編集長・花森安治さんのもの。この「よりぬき集」は、「minä perhonen(ミナ・ペルホネン)」の皆川明さんが装丁・イラストを担当。その違いも楽しめます。
[PR]
by halca-kaukana057 | 2012-08-02 23:22 | 本・読書

おむすびの祈り 「森のイスキア」こころの歳時記

 以前NHK BSプレミアムで観た佐藤初女さんのドキュメンタリーで、佐藤さんと「森のイスキア」の活動に興味を持ったので、文庫で出てる佐藤さんの著書を読んでみた。
・ハイビジョン特集「初女さんのおむすび ~岩木山麓・ぬくもりの食卓~」の感想:食べること、料理すること、生きること


おむすびの祈り 「森のイスキア」こころの歳時記
佐藤初女/集英社・集英社文庫/2005

 内容は、佐藤さんの生い立ち、若い頃の病気のこと、小さい頃教会の鐘の音に惹かれてカソリック教会に向かったことから始まった信仰の日々のこと、結婚と出産。そして教会で出会った神父さんや苦しい立場にいる人々との出会いから始まった「弘前イスキア」に繋がる活動、そして「森のイスキア」が出来るまで。ろうけつ染めや料理を通して、佐藤さんが考えていること。家族や出会った人々の真摯な生きる姿のこと。それらが、静かに、そっと心の中に入ってくるような文章で語られます。この本を読んで知ったのですが、映画「地球交響曲 第二番」(監督:龍村仁)に出演したことが、佐藤さんと「森のイスキア」が広く知られるきっかけになったのだそう。龍村監督など、佐藤さんに縁のある方々からの”手紙”も収録されています。

 佐藤さんの「森のイスキア」をはじめとする、またそれに辿り着くまでの活動は、クリスチャンとしての信仰によるものが多く、カソリックに関する内容も多く書かれています。でも、佐藤さんは、カソリックの信者として、というよりも、どんな状況に置かれていても生きている人間のひとりとして、悩んでいる人・苦しい立場に置かれている人に寄り添いたい、何らかの手助けをしたいと強く願い、行動してきた。そのことと、若い頃病気になったことで、「食べる」こと=いのちをいただくことが元気になることにつながると思い、食べること・料理をすることを大切にしてきた。この2つの要素が、悩み迷う人々を受け入れ、話を聞き、一緒にご飯を食べる「森のイスキア」の活動に繋がった。その実現には、様々な困難もあり、また一方で支援してくれる人もいた。強い想い・願いを抱きながら、問題や困難にぶつかっても向かい合い、ゆっくりでも進み続け時が来るのを待つ。佐藤さんのこの姿勢に、ただただすごいなぁと感心して読みました。

 読んでいて、何故佐藤さんは自分の時間や財産を削ってまで、他の人に寄り添おうとするだろう?と思ったこともありました。佐藤さんご自身も、疲れて具合が悪いのに訪れてくる人がいてつらい思いをしたこともあるそう。また、穏やかに見える佐藤さんも、苦しいと感じることもあるし、怒りを覚えることもあるのだそう。それでも、その感情を素直に受け止め、「友のために自分を捨てる」、共に生きている命へのあたたかい眼差しと愛情を注ぐ。食べることは命をいただくこと。それは、どんな命も尊いと教えてくれる。やっぱり、食べることをもっと大事にしなければな、と思います。

 佐藤さんの文章・言葉は本当にあたたかく、信仰のお話でも説教のようなものを感じさせない。佐藤さんの心の中からじわりと、すんなりと出てきているものなのだと思う。作り続けている料理の数々も。心さみしくなった時、自分なりに「命をいただく」ことを大切にした料理を作って、食べて、この本を読みたいと思いました。
[PR]
by halca-kaukana057 | 2012-04-11 23:59 | 本・読書

幸福をつくりだそう、探しにいこう アラン「幸福論」(NHK教育「100分de名著」)

 先日の記事の続きを書きます。続き…というよりも、関連する本を読んだ、なので本・読書カテゴリです。
・先日の記事:心にかかる重力

 読んだのはこれ。

アラン『幸福論』 2011年11月 (100分 de 名著)

NHK出版


 書店で見つけて気になって、更に訳書も見かけてますます気になって、ガイド本になりそうなこのテキストを読んでみました。番組は観ていませんが、テキストだけでも読み応えがあります。

 フランスの哲学者アラン(本名:エミール・シャルチエ)の代表作「幸福論(Propos sur le bonheur)」.このテキストを読むまで知らずにいました。このテキストでは、「幸福論」の解説とともに、アランの生い立ちと哲学との出会い、「幸福論」を書くにあたって影響を受けた哲学者・思想家についての解説もあり、アランと「幸福論」について一から学べます。

 この「幸福論」は”プロポ(フランス語で「語録」の意)”という形式で書かれていて、コラムのような形になっている。内容も、日常生活に関連した内容から、幸福とはどういうことか、不幸とはどういうことか、と身近なところから哲学の世界に足を踏み入れ、考えられるところが興味深い。「幸福論」なので、幸福になるにはどうしたらいいか、という現代のハウツー本のようにも感じられますが、中身は哲学。しかも、
「本物の不幸について、私は何も書いていない。」
とある。「本当の不幸」とは、病気や事故で死が迫っている、親しい人が死んでしまった、偶然重大な被害を被ってしまったなどのこと。心身に苦しみや憂鬱、不機嫌を抱え、自分を不幸と思っていたり、不幸とみなされている人の、「不幸」について語っています。

 アランは、幸福は自分自身でつくるもの、行動とともにあるもの。待っていてもやってくるものではない。…そう書いています。確かに、いわゆる「棚ぼた」的な幸福を待つよりも、自分で行動してみてつかんだもののほうが、実感があるし、自分もやれば出来るんだという自信にも繋がる。また、心と身体の結びつき、哲学でずっと問題とされてきた「情念」について、不機嫌は伝染すること、同情や憐れみは悲しみを増大させる…など、自分のこれまでの行動を振り返りながら、哲学としての「幸福」「不幸」について考え、哲学から離れて日常生活にそれらを反映させる…という不思議な、でも納得(でもまだ全部は理解できていない)の内容に驚きました。

 先日の記事で、
心にかかっている重力をどうやって0.5Gにするんだ?悩み事の種はなかなか無くならない、重荷はそう簡単に軽くならない=解決しない。

 こう書いたのですが、アラン「幸福論」にヒントがあるなと感じました。解決はしなくても、解決させるための力を蓄えることはできる、と。

 特に印象に残ったプロポを引用します。
 負けることはありうる。乗り越えることのできない出来事や、ストア派の見習いなどの手に負えない不幸がきっとある。しかし力いっぱい戦ったあとでなければ負けたと言うな。これはおそらくもっとも明白な義務である。幸福になろうと欲しなければ絶対幸福にはなれない。これは、何にもまして明白なことだと、私は思う。したがって、自分の幸福を欲し、自分の幸福をつくりださねばならない。
(76~77ページ)


 もっと「幸福論」を読んでみたくなった。幸い、訳書も様々なものが出ているようだ。アランは、大学ではなく高校で哲学を教え続け、新聞にコラムや論説を書き、「情念」とは何か突き止めるため第一次世界大戦で出兵し、戦場でも幸福とは、人間とは何かと問い続けたそう。まさに、行動の人だった。

 アランの考えは、古代ギリシアのストア派の思想から、デカルト、スピノザの思想を受け継いで展開されます。人間は、紀元前の古代から人間とは何か、生きるとはどういうことかを問い続けてきた。それが凄いと思った。哲学は、今生きている自分自身に根源的な問いを投げかける、本来は身近なものなんだと感じています。
[PR]
by halca-kaukana057 | 2012-03-19 21:39 | 本・読書

心にかかる重力

 最近考えたことを。

 悩み事、心配事、不安なこと…心にネガティヴな感情がある時、心に重荷がかかっているなと感じます。心が重い。心に大きな重力がかかっているようだ。地球の重力は1G。それが、5Gとか、10Gぐらいに感じる(実際身体に5Gや10Gがかかったらどうなるか…体験したことは無いのですが、想像で)。そんな大きな重力がかかると、動くのも大変。身動きできなくなる。

 この心にかかる重力を、0.5Gぐらいにできたらいいのに。「心が軽い」という表現もありますが、まさにそれ。身動きが楽にできる状態は、通常の1Gでもいいのだが、0.5Gならもっと楽に動ける。

 ちなみに、無重力状態の0Gだと、ふわふわ浮いて、支えたり固定しておくのが大変なので、0Gだと別の問題が出てくる。

 と、そんなことを考えたのですが、心にかかっている重力をどうやって0.5Gにするんだ?悩み事の種はなかなか無くならない、重荷はそう簡単に軽くならない=解決しない。
 あと、0.5Gでいるのもいいが、その状態にずっといると慣れてしまい、1Gに戻った時に動けなくなってしまう。宇宙飛行から帰ってきたばかりの宇宙飛行士のように、立って歩けないこともある。心に重荷がある、重力がかかっていることは、決して悪いことなのではないのでは?

 何だかよくわからない文章になってしまった。でも、後日続きを書きます。これが、プロローグということで。
(ますます訳がわからない…ぞ)
[PR]
by halca-kaukana057 | 2012-03-16 22:24 | 日常/考えたこと


好奇心のまま「面白い!」と思ったことに突っ込むブログ。興味の対象が無駄に広いのは仕様です。


by 遼 (はるか)

プロフィールを見る

S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

お知らせ・別サイト

管理人HN:(はるか)
 熱しやすく冷めにくい、何が好きになるかわからない好奇心のかたまり。このブログでは好きなものを、好き放題に語ってます。

プロフィール
*2014.9.5:更新
はてなプロフィール:遼(halca-kaukana)



web拍手を送る






日々のログ:今、ここ、想うこと
または:Twilog

はてなブックマーク
Mielenkiintoinen!

気になること、関心のある記事や参考にしたサイトなどのブックマーク集。コメント多め。

◆ピアノ録音置きブログ:Satellite HALCA

☆「はやぶさ2」、小惑星リュウグウ目指して順調に飛行中!☆
管理人・遼も小惑星探査機「はやぶさ2」を応援しています。



あかつき特設サイト
JAXA:金星探査機「あかつき」特設サイト

☆祝!「あかつき」は金星の衛星になりました☆
金星軌道上で観測準備中!

最新の記事

「しきさい」(GCOM-C)..
at 2017-09-30 23:07
超巨大ブラックホールに迫る ..
at 2017-09-18 23:48
西洋文化に触れた驚き 「遥か..
at 2017-09-03 23:01
BBC Proms(プロムス..
at 2017-09-02 17:07
土星堪能星見 + 今日は伝統..
at 2017-08-28 21:58
BBC Proms(プロムス..
at 2017-08-18 23:48
惨敗。 ペルセウス座流星群2..
at 2017-08-14 21:43
BBC Proms(プロムス..
at 2017-07-31 22:32
BBC Proms(プロムス..
at 2017-07-14 23:08
青い海の宇宙港 春夏篇 秋冬篇
at 2017-07-10 22:58

カテゴリ

はじめにお読みください
プロフィール
本・読書
宇宙・天文
音楽
奏でること・うたうこと
Eテレ・NHK教育テレビ
フィンランド・Suomi/北欧
イラスト・落描き
日常/考えたこと
興味を持ったものいろいろ
旅・お出かけ
information

タグ

以前の記事

2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
more...

検索