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願望か、高望みか

 ちょっと思ったことを。

 私はこのとおり、「~したい」「~に行きたい」など、願望を多く持ちます。望み、とも言えます。

 でも、なかなか実現できないことばかりで、時に嫌になります。実現できない自分に、置かれている現状に。
 それらの望みは、高望みなのか、とその時思います。

 でも、同じ望み、観望を、実現している人も多い。そんなハードルの高いことじゃない。例えば、「宇宙飛行をしたい」は私にはとんでもない高望みです。宇宙飛行士になるなんて、学歴や語学力、身体面、精神面、協調性…全てに置いて無理。「宇宙旅行」もありますが、億単位の大金なんてありません。第一、打ち上げ時の加重力に耐えられるかわからない(絶叫マシーンは大の苦手)

 でも、そんな「高望み」じゃないことなのに、実現できないことが多い。
 誰かにとっては、ハードルの低い「望み」、私にとってはハードルが高かった「高望み」。

 そう思うと、悔しいです。
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by halca-kaukana057 | 2013-08-13 23:12 | 日常/考えたこと

「感動する」物語と自分

 少し前から、「感動」「泣ける」「元気になれる」…そんなうたい文句の物語・小説を読むのを避けていた。帯やポップにあからさまに書いてあるものもあるし、帯の無い図書館だと何となく雰囲気でわかる。

 「泣ける」と大々的に宣伝をして売っている本は以前から苦手だった。泣くこと、感動することを強要されているような感じがする。感動できなかったら、どうするのだろう?と。そして読んでみて、お涙頂戴なシーンが散りばめられていて、げんなりしてしまう。いかにも意図して書かれたようで、結局何を言いたいの?と問いかけたくなる。泣かせたいの?泣かせることを目的に売りたいの?と。

 そして少し前からは、大々的に、意図的に「泣ける」「感動する」作品でなくても、避けるようになってしまった。現実は辛くて、本を読んでも何も変わらない。物語・小説を読んでいる間は幸せな気持ちになれるかもしれないけど、本から離れれば過酷な現実が待っている。ハッピーエンドなんて、物語・小説の中だけの話だ。現実にはあり得ない。そんな風にまで思ってしまうようになっていた。(病んでるな…おい…)

 でも、最近、少し変わってきた。
 「感動する」「泣ける」と言われている作品でも、多種多様であること。物語そのものの面白さや、困難な現実を抱えた登場人物たちの成長や苦しみながらも前に進もうとする姿が、自分と重なること。
 そして何より、自分自身がその作品を「面白い」「感動した」「希望を持てた」と思うかどうか。他者の感想なんて関係ない。物語を読んでいる時は、その物語と自分が一対一で向き合っているのだから。他者が入る隙間は無い。

 日常で辛い、苦しいと感じていても、読んでい間は幸せな気持ちになれる。読後、幸せな余韻に浸っていられる。そんな物語・小説に出会えた時、それまで辛い、苦しいと思っていた現実も、少し違って見えてくる。

 今、本を読んでいて、そんなことを思っています。その本の話はまた今度。
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by halca-kaukana057 | 2013-08-03 21:53 | 日常/考えたこと

「届いてない」ことと、届けたい気持ち

 「ほぼ日刊イトイ新聞」(ほぼ日)の「今日のダーリン」を読んで思ったことを。

ほぼ日刊イトイ新聞
 以前も書きましたが、「今日のダーリン」はアーカイブ・ログがなく、明日になると消えてしまうので引用します。糸井重里さんが、以前は大きな声が出たのに、出なくなっていることが最近気になっている、というお話です。前半部分は省略します。

しかし、ここ1年、2年くらいの間に、
「声が出てないなぁ」と思うことが多くなりました。
最近では、声のボリュームについては、いつも不満です。
相手のところに、到達してない感覚があるのです。

王貞治さんが、選手としての現役を引退するときに、
「ホームランだと思った打球が、届かなくなった」
と語ったことをよく憶えています。
じぶんの声が出てないことを、
王選手のホームランに喩えるつもりはないのですが、
「届いてない」ということの無念さについては、
重なるところがあると信じています。
ひっかかりのある鉛筆で文字を書いている感じとか、
上りの坂道になると速度が落ちてしまうクルマとか、
思ったようにならないアウトプットは、
なかなかじれったいものです。
いっそ発声練習とかやろうかと思っていたくらいです。
 
たぶん、身体の使い方がなにかちがってきている。
あちこちの筋肉の衰えとかゆるみとかが、
影響しているにちがいないと思っていたのですが、
レッスンを受けるまでには至らずだったのです。
でもね、さっきまで、家で「ひとりカラオケ」を
2時間くらいやっていたんですよ。
そしたら、声、出るんですよねー、なんでだろう。
これ、毎日やってたら、届く声が出るようになるかな。
ものすごくうれしくなっちゃったのでありました。
‥‥ま、こんな年寄りの体調についての話なんて、
誰もよろこばないような気はするのですけどねー。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「届いてない」っていう感覚は、人を弱くすると思うんだ。


 その通りだなと思いました。年齢や、状況に関係なく、実際届いていなかったとわかること、「届いてない」と実感することは、とても無念ですし、悔しく、寂しく感じます。

 「届いてない」にも色々あります。
 送った郵便や荷物、メールが届かなかった。
 手紙やメールそのものは届いたけど、中身の文章に込めた気持ちが相手に届かなかった。
 手紙やメールは届いているはずなのに、返事が無い。相手からの応えが届かない。
 誰かと会話していて、その内容が届かなかった。
 街中で親しい人を見かけて、声をかけたけど届かなかった。
 仕事や日常生活で、誰かにお願いしたことがあったけど届かなかった。
 目標や夢に届かなかった。
 高いところにあるものを取ろうとして、手が届かなかった。
 欲しいものがあるけど、様々な理由で手が届かなかった。

 書こうと思えば、まだまだ出てきます。

 もの、行動、気持ち。手が、声が、言葉が、気持ちが、届かない。
 「今日のダーリン」の最後、
「届いてない」っていう感覚は、人を弱くすると思うんだ。

 全く同感です。「届いてない」とわかると、ガックリと来る。落ち込む。ため息が出る。「それだけの力が自分には無いんだな」と自信をなくしてしまう。「届いてない」が続くと、何もかも嫌になってきます。

 糸井さんは、ひとりカラオケをして、声は出る、とわかった。
 でも、声は出ても、その声は誰かに届くのか、わからない。糸井さんが書いているように、練習を続ければ届くようになるかもしれない。届ける練習は確かに必要だと思う。
 気持ちを届けるために、伝わりやすい文章を書く練習をする。
 届く声と言っても、ただ大きいだけの声では、それが何なのか相手はわからず、届かないかもしれない(よくあります。聞こえる”音”と、それが”意味を持った言葉”であると理解して聞く、のは全く別物)。なので、人に伝わりやすい、届く声を出す練習をする。
 相手が引き受けやすいように、お願いする練習をする。
 目標や夢に届くように、努力する、練習する。

 私も、届けたいなら、何か練習をする必要があるかもしれない。

 その一方で、誰かに届いて欲しいけど、特定の誰かではなく、不特定の誰かでかまわない、ということもある。一番届けたいのは自分自身。自分自身にわからせたい、そんなこともある。

 「届けたい」「届いてない」単純なようで、結構複雑です。

 私も、誰かに何を届けたくて、ブログを書いている。届けたい相手は、一番は自分自身なのかもしれない。自分の今の考えはこうなんだよ、と、いつか未来の自分に。もしくは、「届いてない」苦い思いをした過去の自分に。
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by halca-kaukana057 | 2013-07-14 23:12 | 日常/考えたこと

もし自分が傷つけたら 続・「痛い」と表現すること

 以前から考えている「人から妨害を受けたり、傷つけられたり」すること、その時「痛い」と表現すること。その続きです。

「痛い」と表現すること
何が「痛い」のか・作り手と受け手のすれ違い 最近思ったこといろいろ
 ↑この記事の真ん中あたりの部分です。

僕は、そして僕たちはどう生きるか

梨木香歩/理論社/2011


僕は、そして僕たちはどう生きるか
 梨木香歩さんのこの本を読んで、この思考は始まりました。


 これまで考えてきたのは、自分が「人から妨害を受けたり、傷つけられたり」され、「痛い」と表現するかどうか。なら、立場が逆転したら?
 「痛い」と表現することの記事で、大学時代に出会った友人とのことを書いた。これも私が言ったことが友人には「傷つけられ」「痛い」ものだった。ただ、この時友人は「人の好きなものに対して、面と向かって嫌いって言うのはどうかと思う」と、「痛い」と表現した。
 私は言われて「痛い」と表現しない、できないことが圧倒的に多い。痛くても、黙って踏ませておく。このぐらい我慢できる、傷ついてなんかいない、と。でも、「痛い」と表現することの記事で書いたとおり、自分の好きなものを否定されたら、自分そのものを否定されたような気持ちになる。だからかなしくなる。痛みを我慢したり、痛くないと無視することが、余計自分の辛さを増幅させるように思う。

 では、私の発言が誰かの痛みとなり、その人が私と同じように痛みを我慢している、表現しないとしたら?

 人に優しく、人を思いやる発言をしよう、と思うけれども、何が誰かにとって痛みとなる発言なのか、わからないことは多い。ポジティヴな発言でも、相手にとってはプレッシャーとして、ネガティヴなものに、痛みになるかもしれない。何かを「好き」という発言も、誰かにとっては「嫌い」なものであり、痛み(怒り、恨みに近い)となるかもしれない。

 また、前の記事では、面と向って「嫌い」と言うことに対して書いていたが、直接ではなく間接の場合もある。他の人と話しているのを偶然聞いてしまった(小説や映画、ドラマなどでよくありそうなシーンだな…)など。この場合は、「痛い」と表現するのはかなり難しい。その人に対する見方が大きく変わり、付き合いも変わる可能性が高い。

 これらの時は、どうしたらいいのだろう。その時その場で、は難しい。後で、時間をかけて話す。
 「傷つけたかもしれない」と自分から謝ろうか迷うことはよくある。「かもしれない」だから迷う。謝ったけど、実際は違ったらしく「何のこと?」と言われ、逆に関係が悪くなってしまった…ということもあるからだ。

 自分の発言で、誰かが苦しい、辛い、悲しい思いをするのは、私自身も辛い。でも、その誰かの思いは、必ず表に出てくるものとは限らない。そのうち、相手は我慢できなくなって、自分から離れていってしまうかもしれない。それはそれで仕方ないけれど…。ショックである。辛い。



 とは言うものの、時には、「嫌いなんだ」と表現してしまいたくなる時もある。我慢できない、本当に受け付けないぐらい嫌い・苦手でどうしようも無くて、それを表現しないと自分や相手との関係を守り保てないようなこともある。

 「痛い」と表現するのも、されるのも、我慢するのも、我慢されてしまうのも…本当に難しい。一筋縄ではいかない。今はこんなまとめしか出来ないのが悔しい。
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by halca-kaukana057 | 2013-07-02 23:14 | 日常/考えたこと

つくること、あじわうこと 対立ではなく多層

 「ほぼ日」こと、「ほぼ日刊イトイ新聞」のトップにある、糸井重里さんによる日替わりエッセイ「今日のダーリン」を読むのが日課になっています。毎日、糸井さんの目の付け所、考え方が面白くて読んでいます。
ほぼ日刊イトイ新聞

 今日6月23日の分を読んだのですが、頷くところ、考えるところが沢山ありました。明日には消えてしまう(ログも無い)ので、以下引用します。
ジャムをつくりはじめたときも、砂糖を少なくしました。
「甘すぎない」のをつくってやれ、と思ったのです。
そっちも、うまくいきませんでした。
いまは、ジャムには材料の50%の砂糖が必要だと思います。
梅干しにしても、ジャムにしても、
食べる立場だけでいたら、いまでも、
減塩だの低糖だのとえらそうに語ってたかもしれません。

「つくる」と「あじわう」は、
わかることがちがうんですよね。
「つくる」だけの人がわからないこともあるし、
「あじわう」だけの人にわからないこともある。
そして、実際に「つくる」人の数のほうが、
圧倒的に少ないというのが、現実の地図ですよねー。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
実際の「やる」「つくる」は、ほんとうに学ばせてくれる。


 ジャムに入れる砂糖の量のところで、梨木香歩「西の魔女が死んだ」を思い出しました。まいとおばあちゃんが野イチゴのジャムを作っている時、おばあちゃんは沢山の砂糖を用意する。それを見たまいは、こんなに砂糖を入れたのを食べたら病気になっちゃうよ、と。おばあちゃんは何故ジャムに砂糖を沢山入れるのかを話し、また、ジャムは一気に沢山食べないから大丈夫、とも。この部分に、ジャムをつくったことのない自分はなるほどそうなのか、と思いました。私もつくるなら、砂糖は控えめにするなと考えたに違いない。

 話を本題に戻して、「つくる」ことと「あじわう」こと。
 両方体験してわかることがある、頷きました。先ほどのジャムの話もそうですし、例えば、ピアノでもある。聴いている分にはそんな難しそうに聞こえないのに、楽譜を見て愕然とする曲は沢山ある(シューマン「ユーゲントアルバム」とか。モーツァルトのピアノソナタも、聴いていると難しくないように思えるけど、弾いてみるととても難しいとよく聞きます。)実際難しくないはずなのに自分にとっては何故か難しいものもある(ソナチネ7番第1楽章…何故だ、何故難しいんだこれは…)。そして、自分で弾いてみて、はじめて表現についてじっくり考える。自分の楽器がピアノなので、他の器楽曲や管弦楽曲・交響曲などでは聴く側=「あじわう」側にしか立てないことが残念なのですが、それでも、ピアノだけでも一応「自分の楽器」があるのはいい。それに、弾く・弾けないのどちらかで、「つくる」「あじわう」に分けられてしまうのも残念に思える。「自分の楽器」は無いけど、「つくる」ように音楽を聴くことが出来る人だっているはず。深く読解しながら。

 つくってみて失敗するのも大事だと思う。ジャムの話のように。失敗して、その理由に気づくのは大事だ。

 それから、よく思うのが、「つくってみたい」けど自分の技術やつくるために必要なものが無くて、つくれないものも沢山ある。精巧できれいな絵・イラストとか、手描きのアニメ、きれいな写真、難しい料理、面白い文章、やってみたい仕事…。頭の中ではイメージはどんどん膨らんでいるのに、形に出来ないこのもどかしさ。頭の中のイメージを、形に出来る機械とかあればいいのにと何度思ったことか。

 でも、それでいいのかも、とも思う。何でも簡単にはつくれない。つくるための基礎知識を学んだり、道具の使い方・扱いを練習したり、つくっては壊して…案を出してはボツにしての繰り返し。難しいけど夢中で作業したり…そんな”生みの苦しみ”があるからおもしろいのだと思う。苦労して努力する、なかなか思ったものが出来上がらない辛さも、「つくる」ための過程。

 ここまで書いて、今の自分のことを省みた。今の自分は「あじわう」方が圧倒的に多い。糸井さんが仰るように、「実際に「つくる」人の数のほうが、圧倒的に少ない」…まさに。ただ、「つくる」ものは、プロの仕事だけとは限らないし、大きなものだけとも限らない。日常の些細なことでも、いつの間にかつくっていると思う。

 いつの間にかつくっているもの。つくりたくて、つくっているもの。意識してみるとおもしろいかも。

 あと、つくりたいものの中から、実際につくるものを選ぶことも必要になってくる。つくりたいもの全部はつくれない。よほどの才能が無いと難しい。何をつくりたいか。それを選ぶのは、自然にいつの間にかこうなったことが多いのでは無いかと思う。

 「つくる」にも色々ある。「あじわう」だけだったはずがいつの間にか「つくる」側にもなっていた。そんな多層的な考え方も出来るんじゃないかなと思いました。
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by halca-kaukana057 | 2013-06-23 23:44 | 日常/考えたこと

何が「痛い」のか・作り手と受け手のすれ違い 最近思ったこといろいろ

 最近思ったことをとりとめもなく。

・他者の意見にすぐ動揺して、自分の意見や思いが揺らいでしまう。
 こんなことが多くて、ため息をつきたくなります。


・誰かの話に共感したり、「それが私の言いたかったことだ!」と思った時、すぐにそのことを伝えられるようになりたいなと思います。


・以前書いた記事:「痛い」と表現すること
 これの続き、今思うこと。

 何が自分にとって「痛い」のか、地雷なのか、その時になってみないとわからないことが多い。その時グサリと痛むものもあるし、後からズキズキ痛むこともある。その時「痛い」と言えないことのほうが多いと思う。過去記事で書いたことは、未だに出来ていない。
 でも、言えなくても、「これが自分は痛いと感じるんだ」と自覚する。これがまず大事なのではないかと思う。以前の記事でも、「別に踏まれても痛くなんかない。傷ついていない。このくらい、我慢する。気にしない。」と書いた。無理をして我慢する…その時は我慢できても、後からズキズキと痛み、後悔するだろう。だから、言えなくても、「今、自分は痛みを感じているんだ。今自分は辛いんだ」と思う。そこからでもいいと思う。
 この記事で紹介した、梨木香歩「僕は、そして僕たちはどう生きるか」、もう一度読み返したいです。


・本でも音楽でもアニメなどでも、作り手が「いまいちだ」「出来に満足できていない」「失敗作だ」と思ったものでも、受け手は「面白い」「好きだ」と思う。よくあります。この作り手と受け手の想いのすれ違い…複雑だなと思います。
 後で、作り手のその思いを知って、落ち込むけれども、やっぱり好きな気持ちは変わらない。
 どうしたらいいのだろうな、と思います。

・最近、音楽を聴いていると疲れます。聴いてても、5分ぐらいで止めてしまいます。
 クラシック音楽でも、シベリウス7番交響曲など、聴き慣れた静かなものぐらいしか聴けません。
 なので、波の音や、森の中の小川のせせらぎの音、小鳥のさえずり、雨の音などの自然音を聴くことが多いです。ニコニコの自然音タグが便利です。

 要するに、疲れてるみたいです…。早く寝ろ。
 
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by halca-kaukana057 | 2013-06-14 23:24 | 日常/考えたこと

基礎練習と理論勉強の大切さと習うこと

 久々にピアノカテゴリ。と言っても、練習記録ではありません…(かなしいことに)
 twitter経由で、興味深いツイートを読みました。

Togetter:モビゾウさんの基礎についての一連のツイート
 娘さんのピアノレッスンで、基礎を学ぶ大切さについて書かれています。特に印象に残った部分を引用します。

 最初はあまりにリジッドに理論勉強をするので、もう少ししたら辞めさせようかなあと思っていたのだけれど、なるほど、基礎理論の勉強というのをしないと、ピアノはいつか必ず行き詰まるということが分かった。そして、私が弾けなくなった時点で娘のピアノも頭打ちである。
 ・モビゾウさん(2013年5月14日 10:19

 勉強も、研究も、音楽も、全て基礎。基礎理論だ。話はそれから。毒にも薬にもならない「基礎部分」というのは本当に面白くない。その面白くない部分をいかに楽しく教えるか。ここが先生の力量なのだとやっとわかった。
2013年5月14日 10:22

 英語もピアノも同じ。つまらない基礎の部分を、いろいろな工夫をしながらひたすら繰り返し、定着させていく。その定着が済んだときに突然飛躍した難易度のものを渡されても、解ける自分に驚く。あとはどんどん自分で創り上げるだけだ。創造はそこから始まる。
 2013年5月14日 10:24


 まさしくそうだなと感じました。基礎練習…例えばハノンで指・手・腕…身体全体の動きを確かめながら練習し、曲の練習でも片手ずつ楽譜に書いてある指示を理解してその通りに何度も弾いてみる。楽譜に書いてあることを理解してその通りに弾いてみる…これは結構難しい。「書いてある通り」と言っても、解釈で異なってくる。
 それから、よくあるのが音符の読み間違い。音そのものを読み間違えることも私はよくあるのですが(悪い例です)、音の長さ・付点も大事。この辺も、おろそかにしていなかったか自分よ…(完全に悪い例)

 基礎練習・理論の勉強は大事だと、今痛感しています。ピアノに最近触っていません…。全く触っていません…。弾きたいと思う時があるけど、この先どう練習したらいいか分からないと壁にぶつかって、そのまま壁の下に座り込んでいる状態です。「弾けない」自分に向き合うのも不安、怖い。ここから先にどう進んだらいいかわからない…これはずっと悩んでいる。

 悩んで、基礎練習や理論の勉強は自分でコツコツ積み重ねるものだけど、自分だけでは出来ない。やり方や方向を教えてくれるプロの存在が必要なんだとようやくわかった。ここから先に進むのは、自分ひとりではできないことだと、少し前から感じ、教えを請おうを考えているところです。

 こう書くと、もう決まってしまったようになりますが…、まだ動き出していません。教えを請うこと=ピアノを本格的に再開するということ。そこまでして再開したいのか…という迷いもあります。別にピアノ弾けなくてもいいじゃない?とささやく自分がいます…。でも、CDを聴いたり楽譜を読んだり、以前のピアノ練習記録・演奏録音を聴いていると、もう一度ピアノを演奏するという形でも音楽を楽しみたい、自分で演奏して音楽に触れたいと思います。途中でやめたままにしておきたくない。以前「演奏したい」と思った数々の作品を演奏したいか、と問われれば、「演奏できるようになりたい」と思います。

 具体的な曲を挙げれば、シベリウスの「樅の木」(「5つの小品(樹の組曲)」op.75-5)はやはり演奏したい。憧れの曲です。シューマンの「美しい5月よ、お前はもうすぐやってくる」(ユーゲントアルバムop.68-13)や以前練習していた「春の歌」op.68-15、「思い出」op.68-28といった「ユーゲントアルバム」に収められている作品も弾きたい。J.S.バッハにモーツァルトやベートーヴェン。シューベルトやブラームス、グリーグでも弾きたい曲は沢山ある。ちょっと苦手意識のあるショパンも、これはいいなと思う曲が少しずつですが出会えました。近現代なら、バルトークやヤナーチェクなどなど。現代邦人作品なら、吉松隆も好きだ。
(詳しくは「ピアノ・弾きたい曲」リストを。下にリンクを貼っておきます)

 こんなに好きだ、演奏してみたいと思う作品は沢山あるのに、手を伸ばそうとしない自分は一体何なのだ。憧れているだけか?それだけか?それだけでいいのか?

 その前に、基礎練習、理論の勉強という長い途があるけれど、それは苦だけじゃないと以前弾いていて分かっている。今は忘れている、失っている。先に進むための心の準備が出来れば、動きます。
 …もっと思い切って「やります!」とはっきり言えたらなぁ…弱気な自分どうにかしたい。

タグ:ピアノ・弾きたい曲
 過去の「弾きたい曲リスト」があります。
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by halca-kaukana057 | 2013-05-14 22:36 | 奏でること・うたうこと

ひとりでいること

 私はひとりでいるのが好きだ。親しい複数の人とわいわいやるのも好きだが、基本はひとりが好きだ。ひとりで読書したり、音楽を聴いたり、文章を書いたり、絵を描いたり、のんびりとお茶を飲んだり…。ひとりで何かをしている時は、その何かに「一対一」で向き合っているように思う。そして、「その何か」は「自分自身」でもある。ひとりの時、そこには自分しかいない。この「一対一」で向き合う時間、向き合って考えたこと、思ったことは私にとって無くてはならないものだと感じている。

 しかし、少し前から一人でいるのがさみしい、辛いと思うようになった。誰かと一緒に楽しく過ごしているのを見ると、羨ましいと思う。思えば、私はいつもひとりだった。何をするにも、どこへ行くにもひとり。自分の周りの人間関係を思い返してみても、職場の人とは職場のみの付き合い。友人たちはライフスタイルが変わり、会う機会は激減した。ひとりでいることには、限界がある。誰かといれば、自分にはない、その人の持っている要素や思考で広がりが生まれる。自分ひとりではどうしようもない。ひとりが好き、寧ろひとりにして欲しいと思っていた自分が、ひとりを好まなくなるなんて信じられないとも思った。

 ところが、ひとりに対する考えがまた変わり始めた。やっぱりひとりが好きだ。ひとりには限界があると感じていたが、そうでもない。好奇心を持って、些細なことでも「面白そう」「面白い」と感じ、興味のアンテナを高く保っていれば。新しく興味を持ったこと、ずっと興味を持ち続けていること、再び興味を持ったこと。何でも、少しでも心身をそちらへ動かしてみる。ひとりがさみしい、辛いと思っていたのは、それが出来なくなっていたからだ。

 また、先日、一人でいる時顔見知りの人に声をかけられた。私はその時楽しんでいたもの(音楽)をひとりで楽しみたかったので、会話を早く切り上げてひとりになりたかった。その人があまり親しい関係の人ではないのも理由のひとつ。もし親しい人なら、もう少し違う反応をしたかもしれない。でも、この時私はひとりで、「一対一」で楽しんでいることに向き合っていたかった。同時に「自分自身」にも向き合っていた。改めて、私にはひとりの時間が必要なんだと実感した。

 こんなコラムを読みました。
アパートメント:独りの単位
勘違いされてしまいそうなのだけど、
それは僕が生きるために、
生きることに向き合おうとしてるがゆえに、
独りなのである。

独り思い、迷い、悶として、
その総体としての僕なのだ。
孤独だと感じる時もある。
だけど、それがなければ僕はただの箱でしかない。
君たちを愛すことさえできないだろう。
でも僕は独りであるがゆえに、
君たちを愛している。

(中略)
独りは寂しさの最大の単位なのではなく、
誰かと深く関わるための最小の単位なのだ。

 読んで、なるほどと思った。「独り」でいるから、誰かと深く関わることが出来る。「独り」は孤独と感じることもあるけど、それも大事なことなんだ。孤独の時間が、自分自身を耕している。
 これを読んだ時、私はまだ「ひとりはさみしい、辛い」と思っていた頃だった。なので、半分理解できるけど、半分わからない…と感じた。ただ、自分は今「独りの単位」を忘れている、見失っているのだと感じた。

 今は、「独りの単位」を思い出して、取り戻している。このコラムの「君たち」「誰か」は人でもあるし、今は冒頭で述べた「何か」であるとも私は解釈している。「一対一」(もしくは一対複数)の「一」=自分自身は最小単位。最小単位を耕して、そこに様々な草花や樹、野菜や果物が育つようにしたい。
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by halca-kaukana057 | 2013-05-11 23:23 | 日常/考えたこと

思い出は育つもの

 先日、twitterでこんなことを書きました。

 今日思ったこと:出会いや別れ、それに伴う喜びやかなしみ・さみしさもあるけれど、毎日は続いていく。暮してゆく。そこに留まりたいけど、留まれない。その先、受け取ったものをどう引きついてゆくか、どんな気持ちを持ってゆくか。それは自分次第。
2013年4月27日

 今日思ったこと:思い出はそこで止まるもの、ではなく、思い出はその先も育ってゆくもの。その後の生活・暮らしの中で繰り返される。何度も再生されて、その度に様々な想いも増えてゆく。 思い出は、静止画のようだけど、その続きを描くこともできる。
2013年5月2日

 
 関連していないようで、関連しているなとあとから読み返して気がつきました。最初のツイートでは、悲観視点でした。喜びを抱いたまま、かなしみに浸っていたいという気持ちが強く、その後をどうしたいのかは自分次第…ならば自分は何もできないな、と。

 その後、そんな喜びもかなしみも、日常を暮らす中で育っていくものではないかと、少し希望を持ったものに。毎日のちょっとした場面で、その想いを思い出すきっかけがあり、その度に想いも増えてゆく。
 「その続きを描くこともできる」というのは、前のものに上書きする「更新する」のではなく、メモなどを書いた付箋をどんどん貼り付けてゆく、余白に書き込んでいくような感じです。どんどん増えていく。一番古いものも保存されているし、新しいものも増えてゆく。

 こう思うと、気持ちが少し楽に、和らぎます。
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by halca-kaukana057 | 2013-05-03 22:56 | 日常/考えたこと

GWはお手紙を書こう

 世の中はゴールデンウィーク。いかがお過ごしでしょうか。
私は連休もありますが、世の中がお休みの時に仕事もあります。
連休とはいえ、皆が皆休みではない。休みじゃない人がいるから、買い物も出来るし、テレビやネットも使えるし、ライフラインも保たれ、町の安全も保たれている。
そう思うと、今も働いている人々に頭が下がりますし、自分が仕事の時はその人たちがゆっくりお休みを満喫できるようにと思います。

 ゴールデンウィーク、色々なイベントがありますが、ちょっと面白いものを見つけました。
「ほぼ日刊イトイ新聞(ほぼ日)」のこんな企画。
ほぼ日刊イトイ新聞:メールするからメールしてね。2013

 毎年恒例の企画なのだそうですが、私は今年初めて知りました。
内容はシンプル。このイベント用のメールアドレスにメールすると、お返事が返ってくる。
お返事は既に用意してあるものですが、600通。どんなお返事が届くかは、届いてのお楽しみ。
出すメールは、空メールで結構ですが、勿論何かを書いてもいい。(お返事は書いた内容とちぐはぐなものになるかも知れませんが…)
当たり障りのない挨拶でもいいし、今日あったことでもいい。
誰かに話したい・伝えたいけど、話せない・伝えられないことを、そっと打ち明けるのもいいかもしれません。

 手紙を書いて、誰か分からないけど誰かにに届いて、お返事が来る。
まるで、手紙を瓶に入れて海に流したり、風船につけて飛ばしたりするかのよう。
(以前、「クインテット」でもこんな回があったのを思い出しました。「アロハオエ」と「島唄」の回。どちらも大好きな回です。)
手書きのほうが雰囲気が出ますが、メールだとこんな便利なことも出来る。うまいもんだなぁ。

 ということで、私も送ってみています。
届いたお返事を読んで、少し笑顔になったり、へぇ、と思ったり。楽しいです。
手紙を出して、お返事が来るのは楽しいですね。
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by halca-kaukana057 | 2013-04-29 22:01 | 興味を持ったものいろいろ


好奇心のまま「面白い!」と思ったことに突っ込むブログ。興味の対象が無駄に広いのは仕様です。


by 遼 (はるか)

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