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ひとりでいること

 私はひとりでいるのが好きだ。親しい複数の人とわいわいやるのも好きだが、基本はひとりが好きだ。ひとりで読書したり、音楽を聴いたり、文章を書いたり、絵を描いたり、のんびりとお茶を飲んだり…。ひとりで何かをしている時は、その何かに「一対一」で向き合っているように思う。そして、「その何か」は「自分自身」でもある。ひとりの時、そこには自分しかいない。この「一対一」で向き合う時間、向き合って考えたこと、思ったことは私にとって無くてはならないものだと感じている。

 しかし、少し前から一人でいるのがさみしい、辛いと思うようになった。誰かと一緒に楽しく過ごしているのを見ると、羨ましいと思う。思えば、私はいつもひとりだった。何をするにも、どこへ行くにもひとり。自分の周りの人間関係を思い返してみても、職場の人とは職場のみの付き合い。友人たちはライフスタイルが変わり、会う機会は激減した。ひとりでいることには、限界がある。誰かといれば、自分にはない、その人の持っている要素や思考で広がりが生まれる。自分ひとりではどうしようもない。ひとりが好き、寧ろひとりにして欲しいと思っていた自分が、ひとりを好まなくなるなんて信じられないとも思った。

 ところが、ひとりに対する考えがまた変わり始めた。やっぱりひとりが好きだ。ひとりには限界があると感じていたが、そうでもない。好奇心を持って、些細なことでも「面白そう」「面白い」と感じ、興味のアンテナを高く保っていれば。新しく興味を持ったこと、ずっと興味を持ち続けていること、再び興味を持ったこと。何でも、少しでも心身をそちらへ動かしてみる。ひとりがさみしい、辛いと思っていたのは、それが出来なくなっていたからだ。

 また、先日、一人でいる時顔見知りの人に声をかけられた。私はその時楽しんでいたもの(音楽)をひとりで楽しみたかったので、会話を早く切り上げてひとりになりたかった。その人があまり親しい関係の人ではないのも理由のひとつ。もし親しい人なら、もう少し違う反応をしたかもしれない。でも、この時私はひとりで、「一対一」で楽しんでいることに向き合っていたかった。同時に「自分自身」にも向き合っていた。改めて、私にはひとりの時間が必要なんだと実感した。

 こんなコラムを読みました。
アパートメント:独りの単位
勘違いされてしまいそうなのだけど、
それは僕が生きるために、
生きることに向き合おうとしてるがゆえに、
独りなのである。

独り思い、迷い、悶として、
その総体としての僕なのだ。
孤独だと感じる時もある。
だけど、それがなければ僕はただの箱でしかない。
君たちを愛すことさえできないだろう。
でも僕は独りであるがゆえに、
君たちを愛している。

(中略)
独りは寂しさの最大の単位なのではなく、
誰かと深く関わるための最小の単位なのだ。

 読んで、なるほどと思った。「独り」でいるから、誰かと深く関わることが出来る。「独り」は孤独と感じることもあるけど、それも大事なことなんだ。孤独の時間が、自分自身を耕している。
 これを読んだ時、私はまだ「ひとりはさみしい、辛い」と思っていた頃だった。なので、半分理解できるけど、半分わからない…と感じた。ただ、自分は今「独りの単位」を忘れている、見失っているのだと感じた。

 今は、「独りの単位」を思い出して、取り戻している。このコラムの「君たち」「誰か」は人でもあるし、今は冒頭で述べた「何か」であるとも私は解釈している。「一対一」(もしくは一対複数)の「一」=自分自身は最小単位。最小単位を耕して、そこに様々な草花や樹、野菜や果物が育つようにしたい。
by halca-kaukana057 | 2013-05-11 23:23 | 日常/考えたこと

好奇心のまま「面白い!」と思ったことに突っ込むブログ。興味の対象が無駄に広いのは仕様です。


by 遼 (はるか)
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