2013年 12月 14日
すてきな地球の果て
雪も降り、白く凍てつく季節になりました。もうすぐ冬至。そんな季節に(夏でもいいですが)、この一冊を。
すてきな地球の果て
田邊 優貴子/ポプラ社/2013
表紙の青と白…まずこの写真に惹きこまれました。青い、真っ青…ともちょっと違う、澄んだ抜けるような青。そして氷の白。白もただの白じゃない。青っぽかったり、灰色っぽかったり。なんて風景だ…。
著者の田邊さんは植物生態学者。第49次・51次・53次日本南極地域観測隊で南極へ、また北極圏へも向かい、極地の植物・自然を調査観測、研究している。田邊さんが何故南極・北極…「地球の果て」に惹かれるようになったのか、そこで見た植物や動物たち、風景、調査観測の様子について書いたエッセイです。
田邊さんは研究者であり、学者であり、極地の植物や自然に関しては専門家である。観光で南極・北極に行っているわけではない。専門の研究者・学者が研究対象の地をどう見て、どう表現するのか興味があった。意外にも、自然や極地で生きる生命への驚きや感激、感動に溢れていた。いや、そういう感情がきっかけになって極地に、そこに生きる生命に興味を持ったのだろうし、持ち続けていることが研究にも繋がっていくのだろう。専門の研究者だからこそ、こんな驚きがある、こんな美しいものがある、「地球の果て」は「すてき」なところだ…と活き活きと語ることが出来るのかもしれない。それから、田邊さんご自身のバックグラウンドも生きていること、命があることについて考えさせられるものだからこそ、更に活き活きと語ることが出来るのだろう。第1章でそれについて語る部分や、大学時代、ペルーで見た満天の星空や、アラスカでの体験とその感動について語る部分で、私も心を動かされた。大学院の頃、2度目にアラスカを訪れ帰国した後のことを、こう書いている。
この本で語られている南極・北極でのことも、田邊さんがそこで思ったことも、活き活きと語られているのは、こんな想いがあるからだと思う。情熱を、感動を、抑えつけないで表現しよう、と。
そして、南極・北極へ。上記の引用した箇所で、「心が凍ってしまったかのような」とあるが、南極・北極での日々は田邊さんの心を解かしていったのだと思う。気温では、凍りついた世界が。
南極と北極は同じ極地でも、雰囲気が違う。季節が異なっていたのもある。どちらにしても、生き物が生きるには過酷な環境。それでも、そこでも生きている生き物、生命がある。植物も、動物も、鳥たちも。キョクアジサシは、何と北極と南極を往復する渡り鳥。その翼だけで、とてつもない距離を飛び、渡る…驚くしかない。南極の淡水湖に潜ると、苔の「森」が広がっていた。その一方で、厳しい自然は容赦しない。どの生き物も生きるのに必死だ。そこで力尽きる生命も、勿論ある。
人類の力の及ばない、まだ知らない、想像を超える自然が、生命が極地にはある。まだまだわからないことばかりだ。南極も北極もはるか遠い、非日常の世界。でも、この地球上にあって、今冬も南極越冬隊は南極へ向かっている。このような本という形で、そんな非日常だけれども、遠いけれども存在している世界の姿と、それを見た人の驚きや感動を間接的にだけど味わえるのが嬉しい。
極地での音について言及している箇所もあるのですが、この本を読んでいると、静けさ、静寂を思います。極地から見れば大したことはないけれど、私の住むこの地でも、雪が降れば降らない季節とは違う静けさを感じます。氷点下の日々が続き、毎日のように吹雪いて、日照時間も短く、どんどん雪が積もって雪に閉ざされれば閉ざされるほど、静かだと感じます。夜であれば尚更。晴れていて星空が見えても、吹雪の夜だったとしても。その感覚と似ているのかなぁ、と思いながら読んでいました。いや、違うだろう。もっと違う静けさ、静寂が広がっているのだろう。
極限の自然と、その中に生きる生命が、ただそこにある。そこで生きている。それが驚きに満ちている。写真も多く、田邊さんの言葉を代弁しているような美しさです。ペンギンやアザラシなどのおなじみの生き物から、極地だからこそ見られる風景まで。「地球の果て」の姿に心を突き動かされ、「すてき」だと感じる。ストレートに伝わってくる本です。
ちなみに、調べたら、今日12月14日は「南極の日」。1911年ノルウェーのアムンゼン率いる一行が世界で初めて南極点に到達した日なのだそうだ。もう100年も前のことです。
すてきな地球の果て
田邊 優貴子/ポプラ社/2013
表紙の青と白…まずこの写真に惹きこまれました。青い、真っ青…ともちょっと違う、澄んだ抜けるような青。そして氷の白。白もただの白じゃない。青っぽかったり、灰色っぽかったり。なんて風景だ…。
著者の田邊さんは植物生態学者。第49次・51次・53次日本南極地域観測隊で南極へ、また北極圏へも向かい、極地の植物・自然を調査観測、研究している。田邊さんが何故南極・北極…「地球の果て」に惹かれるようになったのか、そこで見た植物や動物たち、風景、調査観測の様子について書いたエッセイです。
田邊さんは研究者であり、学者であり、極地の植物や自然に関しては専門家である。観光で南極・北極に行っているわけではない。専門の研究者・学者が研究対象の地をどう見て、どう表現するのか興味があった。意外にも、自然や極地で生きる生命への驚きや感激、感動に溢れていた。いや、そういう感情がきっかけになって極地に、そこに生きる生命に興味を持ったのだろうし、持ち続けていることが研究にも繋がっていくのだろう。専門の研究者だからこそ、こんな驚きがある、こんな美しいものがある、「地球の果て」は「すてき」なところだ…と活き活きと語ることが出来るのかもしれない。それから、田邊さんご自身のバックグラウンドも生きていること、命があることについて考えさせられるものだからこそ、更に活き活きと語ることが出来るのだろう。第1章でそれについて語る部分や、大学時代、ペルーで見た満天の星空や、アラスカでの体験とその感動について語る部分で、私も心を動かされた。大学院の頃、2度目にアラスカを訪れ帰国した後のことを、こう書いている。
私は、そのよくわからない思いを必死に抑えつけた。が、抑えれば抑えるほど、さまざまなことに対して純粋に感動できなくなり、世界を面白くないもののように感じるようになっていった。それは、まるで心が凍ってしまったかのような日々だった。
一年近く経った頃、私はある決心をした。
――感動や情熱を抑え込むことをやめてみよう。
たったそれだけのことだが、私にとっては大きな決心だった。時間に追われている日々の生活の中、それがいかに難しく大変なことかもよくわかっていた。けれど、今、とにかくそうしなければいけない。それだけは確かだと思った。
(27~28ページ)
この本で語られている南極・北極でのことも、田邊さんがそこで思ったことも、活き活きと語られているのは、こんな想いがあるからだと思う。情熱を、感動を、抑えつけないで表現しよう、と。
そして、南極・北極へ。上記の引用した箇所で、「心が凍ってしまったかのような」とあるが、南極・北極での日々は田邊さんの心を解かしていったのだと思う。気温では、凍りついた世界が。
南極と北極は同じ極地でも、雰囲気が違う。季節が異なっていたのもある。どちらにしても、生き物が生きるには過酷な環境。それでも、そこでも生きている生き物、生命がある。植物も、動物も、鳥たちも。キョクアジサシは、何と北極と南極を往復する渡り鳥。その翼だけで、とてつもない距離を飛び、渡る…驚くしかない。南極の淡水湖に潜ると、苔の「森」が広がっていた。その一方で、厳しい自然は容赦しない。どの生き物も生きるのに必死だ。そこで力尽きる生命も、勿論ある。
人類の力の及ばない、まだ知らない、想像を超える自然が、生命が極地にはある。まだまだわからないことばかりだ。南極も北極もはるか遠い、非日常の世界。でも、この地球上にあって、今冬も南極越冬隊は南極へ向かっている。このような本という形で、そんな非日常だけれども、遠いけれども存在している世界の姿と、それを見た人の驚きや感動を間接的にだけど味わえるのが嬉しい。
極地での音について言及している箇所もあるのですが、この本を読んでいると、静けさ、静寂を思います。極地から見れば大したことはないけれど、私の住むこの地でも、雪が降れば降らない季節とは違う静けさを感じます。氷点下の日々が続き、毎日のように吹雪いて、日照時間も短く、どんどん雪が積もって雪に閉ざされれば閉ざされるほど、静かだと感じます。夜であれば尚更。晴れていて星空が見えても、吹雪の夜だったとしても。その感覚と似ているのかなぁ、と思いながら読んでいました。いや、違うだろう。もっと違う静けさ、静寂が広がっているのだろう。
極限の自然と、その中に生きる生命が、ただそこにある。そこで生きている。それが驚きに満ちている。写真も多く、田邊さんの言葉を代弁しているような美しさです。ペンギンやアザラシなどのおなじみの生き物から、極地だからこそ見られる風景まで。「地球の果て」の姿に心を突き動かされ、「すてき」だと感じる。ストレートに伝わってくる本です。
ちなみに、調べたら、今日12月14日は「南極の日」。1911年ノルウェーのアムンゼン率いる一行が世界で初めて南極点に到達した日なのだそうだ。もう100年も前のことです。
by halca-kaukana057
| 2013-12-14 20:56
| 本・読書