2013年 12月 24日
クリスマス・キャロル(原作&NHKFM・青春アドベンチャー)
クリスマス・イヴなので、クリスマスらしい作品を。
先週、NHKFM「青春アドベンチャー」で、ディケンズ「クリスマス・キャロル」を放送していました。興味があったので聴いてみた。原作は読んだことがなかったので、簡単なあらすじだけ頭に入れて聴きました。
◇NHK:NHKオーディオドラマ:青春アドベンチャー「クリスマス・キャロル」
聴いて、面白かった。古典作品、ファンタジー性も古典的だけど、オーディオドラマなので、聞き手が幽霊のマーレイや、3人のクリスマスの精霊たち、スクルージの表情を想像するのがより楽しい。オーディオドラマ向きの作品だと思った。戸田恵子さんの語りが愛嬌と哀愁を帯びていて、伊武雅刀さんのスクルージはまさにスクルージの雰囲気。音楽も、クリスマスキャロルの歌、鐘などの音の演出も印象に残る。とても面白かった。
ということで、原作も読んでみました。
書店にこの2つの訳があったので、両方を読んでみました。昔からある村岡花子訳の新潮文庫版と、光文社古典新訳版。
物語に関しては、19世紀のイギリス・ロンドンが舞台なのに、そんなに古臭く感じない。近現代のテクノロジーは出てこないけど、クリスマスそのもののお祝い、そしてその精神には変わりはないのだな、と。日本ではロマンスが先行しがち。または、わいわいとパーティーで飲んで食べる。もしくは、家族であたたかい食卓を囲む。クリスチャンなら教会で祈りをささげる。仕事でそれどころじゃない人。関係ない人。どれも、その人なりのクリスマスの過ごし方。私はこうしてひとりブログを書いている。
主人公のスクルージは守銭奴な老人。クリスマスなどくだらない、そんなことより仕事しろ、金を稼げと考えている。クリスマスを祝おうとする甥や会社の書記がクリスマスを祝おうとすると全否定。そこへ、ともに仕事をしていた亡きマーレイの幽霊がやってくる。マーレイが死後、生きていた頃、目の前の自分の利益だけにとらわれ死後それが重荷になってスクルージの前に現れた時も引きずって、旅を続けている、と…。そんなスクルージの考えを、考えが導くであろう未来を阻止するため、マーレイは3人のクリスマスの精霊をスクルージの前に連れてくる。かつてはクリスマスを純粋に祝っていた子どもの頃・青年のスクルージ。しかし、いつしか屁理屈な守銭奴になってしまい、恋人とも別れることになってしまう。そして現在。会社の書記のボブとその家族のつつましくもあたたかな暮らしとひとつの不安。屁理屈だけど憎めないと自分のことを話す甥。スクルージの心が動き始める。
私も一度、スクルージのようなクリスマスを迎えたことがある。学生時代、恋人がいる人は恋人と過ごし、いない人は皆で集まってパーティーをしていた。一緒に過ごす人もいない、パーティーに行くのも億劫…人に会いたくない。クリスマスで騒いで何が楽しい?お金もかかるし。料理もいつものものでいい。それよりひとりにしてほしい。そう思って、勉強があるから…とパーティーを断った。読んでいて、そのことを思い出した。
過去のクリスマスの記憶、現在の自分のいないところで身近にいる人がどんなクリスマスを過ごしているか…それを目の当たりにしたスクルージの心に変化が表れる。スクルージは、ケチで屁理屈な守銭奴だが、悪い人ではない。会社をマーレイと起こし、マーレイが亡き後も真面目に仕事をしてきた。貧乏ではないが、生活も切り詰めている。とても生真面目で、自分自身と、モノ・お金の管理に厳しい。周りにも厳しいので、そこが煙たがられてしまっている。スクルージも庶民、人間なのだ。冷血で無慈悲のようにみえるが、心の中にはあたたかいものを持っている。
そして、最後の精霊が見せたもの…。スクルージと、書記のボブの家族の運命…。
現在のクリスマスの精霊が説く言葉が印象に残っています。「無知」と「欠乏」、そして「破滅」。何が、それらを私たちの心の中に芽生えさせる、呼んで来るのか…。あのパーティーを断ったクリスマスの時にも、私の心には現在のクリスマスの精霊が説く言葉が、芽生えていたのだろう。
クリスマスの精神…クリスマスの日限定のものではない。人々への優しさ、あたたかさ。そんな気持ちを呼び起こしてくれる作品です。
ちなみに、光文社新訳版の解説に、ディケンズは庶民の目線で、庶民の側に立った作品を書いたということで、日本で言えば山本周五郎とたとえられていてなるほどと思った。もし、山本周五郎がクリスマスの物語を書いたら、どうなっただろう?こんな感じになっただろうか。勿論、山本周五郎は20世紀の作家で、主に書いていたのは時代物、クリスマスなんて縁の無い作家でしたが…。
原作だけだとイメージしづらいところもあるので、青春アドベンチャー・オーディオドラマ版も聴いてより楽しめました。
では、皆様もあたたかいクリスマスを。
先週、NHKFM「青春アドベンチャー」で、ディケンズ「クリスマス・キャロル」を放送していました。興味があったので聴いてみた。原作は読んだことがなかったので、簡単なあらすじだけ頭に入れて聴きました。
◇NHK:NHKオーディオドラマ:青春アドベンチャー「クリスマス・キャロル」
原作:チャールズ・ディケンズ、脚色:吉田小夏、音楽:森悠也
出演:伊武雅刀、戸田恵子、平田広明、井上裕朗 他
クリスマス前日。強欲な老商人スクルージは、甥のフレッドにパーティに誘われるが例年どおり「くだらない」とはねつける。その夜、かつての共同経営者で7年前に亡くなったマーレイの亡霊が出現。「これからお前を、三人の精霊が訪れる」と予告して去って行く。精霊たちがスクルージに見せたものは…。
世界文学史上でも屈指の人間嫌いスクルージに訪れる「クリスマスの奇跡」を描いた文豪ディケンズの古典的名作を、今あらためてオーディオドラマ化してお送りする。
聴いて、面白かった。古典作品、ファンタジー性も古典的だけど、オーディオドラマなので、聞き手が幽霊のマーレイや、3人のクリスマスの精霊たち、スクルージの表情を想像するのがより楽しい。オーディオドラマ向きの作品だと思った。戸田恵子さんの語りが愛嬌と哀愁を帯びていて、伊武雅刀さんのスクルージはまさにスクルージの雰囲気。音楽も、クリスマスキャロルの歌、鐘などの音の演出も印象に残る。とても面白かった。
ということで、原作も読んでみました。
書店にこの2つの訳があったので、両方を読んでみました。昔からある村岡花子訳の新潮文庫版と、光文社古典新訳版。
物語に関しては、19世紀のイギリス・ロンドンが舞台なのに、そんなに古臭く感じない。近現代のテクノロジーは出てこないけど、クリスマスそのもののお祝い、そしてその精神には変わりはないのだな、と。日本ではロマンスが先行しがち。または、わいわいとパーティーで飲んで食べる。もしくは、家族であたたかい食卓を囲む。クリスチャンなら教会で祈りをささげる。仕事でそれどころじゃない人。関係ない人。どれも、その人なりのクリスマスの過ごし方。私はこうしてひとりブログを書いている。
主人公のスクルージは守銭奴な老人。クリスマスなどくだらない、そんなことより仕事しろ、金を稼げと考えている。クリスマスを祝おうとする甥や会社の書記がクリスマスを祝おうとすると全否定。そこへ、ともに仕事をしていた亡きマーレイの幽霊がやってくる。マーレイが死後、生きていた頃、目の前の自分の利益だけにとらわれ死後それが重荷になってスクルージの前に現れた時も引きずって、旅を続けている、と…。そんなスクルージの考えを、考えが導くであろう未来を阻止するため、マーレイは3人のクリスマスの精霊をスクルージの前に連れてくる。かつてはクリスマスを純粋に祝っていた子どもの頃・青年のスクルージ。しかし、いつしか屁理屈な守銭奴になってしまい、恋人とも別れることになってしまう。そして現在。会社の書記のボブとその家族のつつましくもあたたかな暮らしとひとつの不安。屁理屈だけど憎めないと自分のことを話す甥。スクルージの心が動き始める。
私も一度、スクルージのようなクリスマスを迎えたことがある。学生時代、恋人がいる人は恋人と過ごし、いない人は皆で集まってパーティーをしていた。一緒に過ごす人もいない、パーティーに行くのも億劫…人に会いたくない。クリスマスで騒いで何が楽しい?お金もかかるし。料理もいつものものでいい。それよりひとりにしてほしい。そう思って、勉強があるから…とパーティーを断った。読んでいて、そのことを思い出した。
過去のクリスマスの記憶、現在の自分のいないところで身近にいる人がどんなクリスマスを過ごしているか…それを目の当たりにしたスクルージの心に変化が表れる。スクルージは、ケチで屁理屈な守銭奴だが、悪い人ではない。会社をマーレイと起こし、マーレイが亡き後も真面目に仕事をしてきた。貧乏ではないが、生活も切り詰めている。とても生真面目で、自分自身と、モノ・お金の管理に厳しい。周りにも厳しいので、そこが煙たがられてしまっている。スクルージも庶民、人間なのだ。冷血で無慈悲のようにみえるが、心の中にはあたたかいものを持っている。
そして、最後の精霊が見せたもの…。スクルージと、書記のボブの家族の運命…。
現在のクリスマスの精霊が説く言葉が印象に残っています。「無知」と「欠乏」、そして「破滅」。何が、それらを私たちの心の中に芽生えさせる、呼んで来るのか…。あのパーティーを断ったクリスマスの時にも、私の心には現在のクリスマスの精霊が説く言葉が、芽生えていたのだろう。
クリスマスの精神…クリスマスの日限定のものではない。人々への優しさ、あたたかさ。そんな気持ちを呼び起こしてくれる作品です。
ちなみに、光文社新訳版の解説に、ディケンズは庶民の目線で、庶民の側に立った作品を書いたということで、日本で言えば山本周五郎とたとえられていてなるほどと思った。もし、山本周五郎がクリスマスの物語を書いたら、どうなっただろう?こんな感じになっただろうか。勿論、山本周五郎は20世紀の作家で、主に書いていたのは時代物、クリスマスなんて縁の無い作家でしたが…。
原作だけだとイメージしづらいところもあるので、青春アドベンチャー・オーディオドラマ版も聴いてより楽しめました。
では、皆様もあたたかいクリスマスを。
by halca-kaukana057
| 2013-12-24 23:48
| 本・読書