2015年 05月 28日
海うそ
久しぶりに梨木香歩さんの本を。昨年春に出た本です。
海うそ
梨木香歩/岩波書店/2014
時は昭和のはじめ。人文地理学者の秋野は、亡き主任教授の佐伯が遺した未発表の調査報告書を読んで惹かれた南九州の「遅島」に、夏の休暇を利用してやって来る。かつては修験道の霊山があり、7つの寺院があったが、明治の廃仏毀釈で無くなってしまったという。秋野は遅島に住んでいる人たちと触れ合いながら、島の歴史や地名の由来、民俗、自然について歩いて調べる。豊かな自然と、そこに息づく人々の暮らし。そして伝承。それらを紐解いていくうちに、秋野は遅島の歴史を掴みかける。
「家守綺譚」や「冬虫夏草」の雰囲気に似ている作品です。地名を調べていく過程は、エッセイ「鳥と雲と薬草袋」が元になったのかな?と思いながら読んでいました。遅島の豊かな自然、昭和10年代の雰囲気に惹き込まれます。
タイトルの「海うそ」。遅島の言葉で蜃気楼のことを差す。蜃気楼…幻がこの作品のテーマのひとつ。また、幻はすぐに消えてしまう。消える、無くなる…喪失もこの作品のテーマのひとつだと思う。
秋野は、佐伯教授もだが、両親、そして許嫁も亡くしている。遅島で廃仏毀釈の実際の話を聞き、さらに「モノノミ」という民間宗教についての話を聞く。住民の話を聞くうちに、その意味がわかり始める。
何か新しいことを始める・つくるためには、古いものをどうするかが問題になる。壊して無くす、うまく共存の道を探る、手をつけない…様々な方法はあるけれども、明治から昭和にかけての時代は壊して無くす時代だったと思う。近代化のため、国家を強くするためには犠牲は不可欠…。遅島は、そんな時代に巻き込まれた舞台だった。その遅島が失ったものと、秋野が失ったものが交錯する。私も私自身が失ったものを思わずにはいられない。
その一方で、何らかの形で残す方法もあった。それに気付き、見つけた秋野。その当時の時代や社会に抗い、自分たちが生きた証拠を地名に隠した。ここはとても興味深い箇所でもあり、彼らのことを思うとやりきれない気持ちにもなりました。
そして、どんなに古いものを壊して新しいものをつくっても、変わらないものもある。島に住む山根は、海に面した場所に父が建てた洋館に住んでいる。その洋館からは「海うそ」もよく見える。この「海うそ」は変わらない。蜃気楼…幻のはずなのに。その「海うそ」は更に時を越える。
50年後、老いた秋野は再び遅島を訪れることになる。その50年後の描写が、かなしくてかなしくてたまらなかった。壊して無くすの繰り返し。これが時代や社会の変化なのだろうが、「壊して無くす」しか新しいことを始める・つくるための方法は無いのだろうかと考えずにはいられなかった。しかし、秋野が再び島へやってきて、かつての遅島を語ることで、次の世代の人々も何かを受け取る。そこに現れた「海うそ」。「海うそ」だけは変わらずに…。
過去と現在と未来、時間、その中で変化してゆくもの。変化を否定、批判はしない。その変化をどう受け入れたらいいのか。喪失の無い人生など無いわけで、喪失とどう向き合ったらいいのか。そんなことを、読んだ後の今、考えています。
海うそ
梨木香歩/岩波書店/2014
時は昭和のはじめ。人文地理学者の秋野は、亡き主任教授の佐伯が遺した未発表の調査報告書を読んで惹かれた南九州の「遅島」に、夏の休暇を利用してやって来る。かつては修験道の霊山があり、7つの寺院があったが、明治の廃仏毀釈で無くなってしまったという。秋野は遅島に住んでいる人たちと触れ合いながら、島の歴史や地名の由来、民俗、自然について歩いて調べる。豊かな自然と、そこに息づく人々の暮らし。そして伝承。それらを紐解いていくうちに、秋野は遅島の歴史を掴みかける。
「家守綺譚」や「冬虫夏草」の雰囲気に似ている作品です。地名を調べていく過程は、エッセイ「鳥と雲と薬草袋」が元になったのかな?と思いながら読んでいました。遅島の豊かな自然、昭和10年代の雰囲気に惹き込まれます。
タイトルの「海うそ」。遅島の言葉で蜃気楼のことを差す。蜃気楼…幻がこの作品のテーマのひとつ。また、幻はすぐに消えてしまう。消える、無くなる…喪失もこの作品のテーマのひとつだと思う。
秋野は、佐伯教授もだが、両親、そして許嫁も亡くしている。遅島で廃仏毀釈の実際の話を聞き、さらに「モノノミ」という民間宗教についての話を聞く。住民の話を聞くうちに、その意味がわかり始める。
何か新しいことを始める・つくるためには、古いものをどうするかが問題になる。壊して無くす、うまく共存の道を探る、手をつけない…様々な方法はあるけれども、明治から昭和にかけての時代は壊して無くす時代だったと思う。近代化のため、国家を強くするためには犠牲は不可欠…。遅島は、そんな時代に巻き込まれた舞台だった。その遅島が失ったものと、秋野が失ったものが交錯する。私も私自身が失ったものを思わずにはいられない。
その一方で、何らかの形で残す方法もあった。それに気付き、見つけた秋野。その当時の時代や社会に抗い、自分たちが生きた証拠を地名に隠した。ここはとても興味深い箇所でもあり、彼らのことを思うとやりきれない気持ちにもなりました。
そして、どんなに古いものを壊して新しいものをつくっても、変わらないものもある。島に住む山根は、海に面した場所に父が建てた洋館に住んでいる。その洋館からは「海うそ」もよく見える。この「海うそ」は変わらない。蜃気楼…幻のはずなのに。その「海うそ」は更に時を越える。
50年後、老いた秋野は再び遅島を訪れることになる。その50年後の描写が、かなしくてかなしくてたまらなかった。壊して無くすの繰り返し。これが時代や社会の変化なのだろうが、「壊して無くす」しか新しいことを始める・つくるための方法は無いのだろうかと考えずにはいられなかった。しかし、秋野が再び島へやってきて、かつての遅島を語ることで、次の世代の人々も何かを受け取る。そこに現れた「海うそ」。「海うそ」だけは変わらずに…。
時間(とき)というものが、凄まじい速さでただ直線的に流れ去るものではなく、あたかも過去も現在も、なべて等しい価値で目の前に並べられ、吟味され得るものであるかのように。喪失とは、私のなかに降り積もる時間が、増えていくことなのだった。
立体模型図のように、私の遅島は、時間の陰影を重ねて私のなかに新しく存在し始めていた。これは、驚くべきことだった。喪失が、実在の輪郭の片鱗を帯びて輝き始めていた。
(186ページ)
過去と現在と未来、時間、その中で変化してゆくもの。変化を否定、批判はしない。その変化をどう受け入れたらいいのか。喪失の無い人生など無いわけで、喪失とどう向き合ったらいいのか。そんなことを、読んだ後の今、考えています。
by halca-kaukana057
| 2015-05-28 22:52
| 本・読書