人気ブログランキング |

星の文人 野尻抱影伝

 野尻抱影の伝記があったなんて知らなかった。しかも、著者は抱影の弟子で天文学者の石田五郎先生。そんな本があったのか!文庫化に感謝。


星の文人 野尻抱影伝
石田五郎/中央公論新社、中公文庫/2019
(底本は「野尻抱影 ――聞書"星の文人"」(1989、リブロポート))


 星座の解説や天文エッセイ、日本や世界各地の星の呼び名を収集した野尻抱影(本名:正英(まさふさ))。横浜に生まれた。星に興味を持ったのは14歳の時、しし座流星群を観測したこと。ただ、流星群は現れなかった。15歳の時、「星三百六十五夜」にも記述がある、オリオンとの出会いがある。修学旅行後に病気で入院し、病室から三つ星を見た。以前友人が描いてくれた星図でオリオン座を知り、他の星座も知っていった。退院後はその星図を描いてくれた友達と一緒に天文にのめり込んだ。
 当時、星座や天文学の本は少なかった。今でこそ、子ども・中高生向けの宇宙や天文の本は充実している。私が子どもの頃、中高生の頃も、抱影の時代よりはずっと豊かになったが、本は限られていた。私が本の探し方を知らなかったからかもしれない。新しいことはテレビの科学番組を観て学んだ。子ども・中高生の頃に自分が興味を持っていることにどうやって出会うか、どうやったらもっと知ることができるのか。抱影もそんな中で天文に触れていったことがうかがえて嬉しい。

 しかし、抱影は大学では英文学を学びたいと思った。抱影は、専門的に天文学を学びたいと思ったことはないのだろうか。
 早稲田大学に進学し、英文学を学ぶが、抱影は星や星座の神話には興味を持ち続けていた。卒業すると甲府中学の英語教師になる。抱影の授業はとても豊かなものだったそうだ。授業の導入に様々なジャンルに渡る話をした。
 授業の傍ら、やはり星がそばにあった。甲府の空は天体観測には適していて、しかも学校には口径5cmのドイツ製の望遠鏡があった。明治43年のハレー彗星は甲府で思う存分観測したそうだ。また、寄宿生を集めて天体観望会を開いた。素敵な先生だ。

 その後、東京で教師をし、結婚を経て、教師を辞め、ジャーナリストになる。少年向け雑誌で、「肉眼星の会」を始める。星空を観て、宿題の星座をスケッチし、目立っている星も記入せよ、というもの。それを抱影宛てに送ってほしいと。この雑誌への投書がきっかけで、抱影には弟子ができる。そして、抱影は「科学者でないペンの人が書いた星の話をつくるつもりでいます。」(107ページ)と、本格的に星についての本を書くことを決意している。これが出来上がったのが、「星座巡礼」。天文学の専門書ではない、星が好きな人のための本。科学だけでなく、文学としても楽しめる星の本。抱影の「星座巡礼」(後に「新星座巡礼」)はありそうでなかった本だった。私が抱影の本に出会ったのは大人になってからだが、星に興味を持ち始めた子どもの頃に出会っていたら、きっと夢中になって読んだだろう。抱影は天文学を目指さなかったのか、と上に書いたが、ここにたどり着くためだったのかもしれない。その後も「星三百六十五夜」、「星戀」も出版される。抱影の本を読んでいると、星の楽しみ方はひとつではない、様々な楽しみ方があるのだなと思う。一般の人も、星にもっと親しめるのだと思う。それを、抱影は著書で示してくれた。

 そして抱影は、全国からの投書を通じて、日本各地に伝わる星の和名を収集し始める。こういうものは普通なら、自分が出向いていって収集するが、抱影は投書の形を取った。「肉眼星の会」のやり方、ネットワークが生きたのだと思う。抱影以外の星の和名を収集していた研究者たちのやり方も書かれていて興味深い。日本には独自の星の文化がある。その先駆者にもなった。

 抱影の周囲には様々な人々がいた。文筆家、天文学者、弟子たち。抱影は気性の荒いところもあった。

 文学方面からの星の研究は裾野が広がった。星の和名の研究も、抱影の説は違うのではないかという検証も行われている。抱影ひとりだけで終わらず、今も続いている。死んだらオリオン座で眠りたいと言っていた抱影は、オリオンからそんな現代を見ているかもしれない。


・著者の石田五郎先生の本:天文屋渡世
 師匠の抱影とのことも書いてあります。
by halca-kaukana057 | 2019-09-08 21:33 | 本・読書

好奇心のまま「面白い!」と思ったことに突っ込むブログ。興味の対象が無駄に広いのは仕様です。


by 遼 (はるか)
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31