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音楽と出会う 21世紀的つきあい方

 先日書いたこの記事
音楽を聴く、歌う、createするとは

 この記事を書いた後、音楽を聴いてはいますが、ここに書いたことは何一つ解決していない。音楽を聴くこととcreateすることをどうしたら繋げられるのかわからないし、声楽の練習もしていないし…。音楽を聴いていて、「好き」とというのも怖くなった。「好き(taste)」が「世界を狭め他人を排除する」。合っているとは思う。「好き」が同じもの同士で集まったらそれは楽しいけれども、「好き」なもの以外をないものとしてしまう危険性がある。他のものが「好き」な人とどっちが優れているか対立する可能性がある。「好き」なものを追究するのはいいことだけど、「好き」じゃないものはどうでもいい…無関心ならまだしも、最悪の場合貶す可能性がある。
 でも、これらは極論じゃないかと私は思う。そこまでの対立を見たりとか、敵対意識を持ったことがないのでそう思うのだけど…(もし対立した場合、私は自分から折れる、というか「自分が間違っている」「自分が劣っている」と考えてしまいがちなので、激しい意見の対立には触れないようにしている。)。
 自分の「好き」を主張しつつ相手の異なる「好き」を尊重して、それもいいねとお互い教え合うこともできるし、自分はAが「好き」でBは「好き」じゃないけど、Bにも自分にはまだわからない魅力があると思っている。だから判断は保留する、ということをしてきた。それは甘い?

 前の記事についてのことはこのくらいにして、音楽をどう聴いたらいいのか、音楽を好きになるとはどういうことか、音楽とは何なのか、などの答えのヒントが見つかるかなと思って読んだのがこの本。前置きが長すぎた。



音楽と出会う 21世紀的つきあい方
岡田 暁生/世界思想社、教養みらい選書/2019

 岡田さんの本は、以前「音楽の聴き方」(中公新書)を読んで以来。岡田さんの音楽に関する本で読んでいない本が結構あるなぁ。

 「音楽との出会い方」、「音楽を聴くこと」が岡田さんが子どもの頃と現在では随分と変わってしまった。現代の音楽を取り巻く現状と、これからの未来について書かれた本です。

 確かに、ここ10年ぐらいで音楽を取り巻く環境やメディアが激変したと思う。
 私がクラシック音楽を本格的に聴き始めたのは20年ぐらい前。その時は、基本はCDやラジオ、あとはたまにしか開催されないコンサートに実際に行って聴くのがメインだった。CDで聴くにも聴きたいCDを全部買えるわけではないので図書館で借りることが多かった。CDを買うにも、私の行動範囲のCD店のクラシックコーナーには聴きたいCDがない。国内盤の有名なものしかない。クラシックのCDのほとんどは、ネットの通販で買ったものばかりだ。これらは今でも変わらない。
 変わったことは、この本でも触れているが、動画サイトとアマチュア作曲家、ボーカロイド、ネットラジオ、音楽配信サービスなど。音楽に出会う機会、可能性は一気に増えたし広がった。以前は、例えば誰々が指揮したあのコンサートの映像を観たいけど、録画やDVD(ビデオ)を持ってないから無理だ…、と思っても、今はちょっと検索すれば動画サイトにアップされている可能性があり、それで視聴することができる。昔もネットラジオはあったけど、情報を得るにはコツが必要だったし、ネット回線も弱くて途中で途切れた、なんてことも少なくなかった。今は私もコツを覚えたのもあるけど、随分とアクセスしやすくなったと思う。更に、今はコロナの影響もあり、コンサートの配信が珍しくなくなった。家にいながら、国内外のコンサートを聴くことが出来る(しかも寝転んでいてもいいし、お菓子を食べていてもいい。配信サイトによっては、コメントを投稿して、他の聴いている人とおしゃべり出来たりもする)。音楽配信サービスには本当にお世話になっている。廃盤のCDも、気になっているけど買うか迷っているCDも聴ける。

 私自身は、今の環境になって音楽を聴きやすくなった。20年ぐらい前には不便だな…と思っていたことが、今はネットでほぼ解決している。

 しかし、岡田さんはそんな現状に疑問を持っている。今、音楽を聴く…CDにしろラジオにしろネットにしろ、電気がないと聴けない。電気と録音。今、ここになくても聴くことが出来てしまう。ネットは音楽を聴くだけでなく、誰もが音楽を創り、奏で、音楽に参加することを可能にした。しかし、それはこれまでの音楽・演奏への「評価」基準を変えてしまった。

 私はこの本を読んで、自分と音楽の関わり方について何度も省みた。全体を通して思ったのが、私は音楽を「聴いている」のか?私は音楽を聴かず、「眺めている」だけじゃないのか?それ以上に、私は音楽を「利用」しているだけじゃないのか?

 「音楽=癒やし」の箇所ではドキリとした。ここで、私は音楽を「眺めている」だけ、つまり、集中して聴いているのではなく、ぼんやりと聞き流しているだけじゃないのか。そして、音楽を「利用」しているだけじゃないのか…と思った。
 この本で、Spotifyのプレイリストについて言及がある。シーンや気分に合わせたプレイリストが公式のものでもいくつもあるし、自分で作ることもできる。その中には、癒やしや落ち着きのためのプレイリストもある。これらを、岡田さんは、
「音楽はサプリじゃない!」
「エゴセントリック」
「「自分をこういう気持ちにしてほしい!」という欲望が先立っている」
「「結果として癒やされる」ことと「最初から癒やされる目的で聴く」こととは、どこか根本的に違う」
「音楽がスタミナドリンク扱いされているような気になる」
「底知れぬ闇のようなものに、「元気」とか「癒やし」とか「ロマンチック」といった、薄っぺらいラベルを貼り付けてしまう」
(122~124ページより)
と書いている。その後にモーツァルトについての話があるのですが、音楽は一面的なものじゃない。私は音楽を軽視していた…と苦しくなった。また、別の章で、岡田さんは「音楽=感動」にも疑問を投げかけている。「癒やし」と「感動」は似ている。

 私の場合。「コーピング(ストレスコーピング)」というストレス対処法がある。認知行動療法に基づいた、真面目なものである。何かストレスの基(ストレッサー)があり、ストレスを感じた時、あらかじめ用意しておいた対処法リストからその時の状況や自分に合ったものを選んで行い対処するというもの。このコーピングの対処法リストに「音楽を聴く」や「音楽を演奏する」「歌う」など音楽に関するものを入れる人は多い。私も入れている。しかも、ストレスが強い時はただ「音楽を聴く」だと何の音楽を聴いたらいいのかわからない、選べないことがあるので、「誰々の○○を聴く」と詳しく書いている。その音楽を聴いていると落ち着くから。ストレスから離れるスイッチになるから。音楽に集中することで、ストレスについて考えをよりめぐらせ、ストレスを自分で大きくしてしまう悪循環を防ぐことができるから。その音楽で気分が変わることを以前にも経験しているから。などの理由がある。
 コーピングについてはちゃんと専門家について学んだし、音楽に関することに何の疑問も持たなかった。が、岡田さんの考え方から見ると、「音楽はサプリじゃない」し、「エゴセントリック」。私は音楽を「利用」しているだけだったのかなぁ…と思う。この場合どうなんだろう…。

 巷には音楽が溢れている。CMで、ある商品とある音楽が結びつくことも少なくない。既存の音楽だけでなく、オリジナルの音楽で何かをアピールする場にもよく出くわす(スーパーやコンビニのオリジナルソングなど)。音楽の「利用」は今に始まったことではない…自分を弁護しているわけではないです。

 だからこそ、音楽を、純粋に「音楽」として集中して「聴く」ことが私には必要なのではないかと思う。たとえ、コーピングの一環でストレスを感じた時に決めておいた音楽を聴いたとしても。ストレスに対処するために音楽を聴く、のではなく、音楽に集中してストレスと距離を置く、のなら音楽は音楽のままでいられるだろうか。

 作曲AIについての章も面白かった。モーツァルトやマイルス・ディヴィス、ビートルズの音楽の分析しているのは興味深かった。やはり私に必要なのは集中して注意深く聴くこと、分析、だろうか。音楽を「雰囲気」にしない。何となくのBGMじゃない。聴くなら心して聴け!

 冒頭に書いたことの答えはこの本では見つからなかったけど、ヒントというか、考える道筋みたいなものは見えたような見えていないような…。簡単に答えが出るものじゃない。他にも音楽に関する本を読んでみよう。岡田さんの本も色々出ているのに読んでいない。気になるものを読んでみようか。

・過去記事:音楽の聴き方 聴く型と趣味を語る言葉
 この本も読み直そう。

 あと、音楽が純粋に「音楽」である…ことを考えていたら、この本のことを思い出した。
蜜蜂と遠雷
 
by halca-kaukana057 | 2021-06-15 23:29 | 本・読書

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