悲愴交響曲の重さ

 以前「すべては音楽から生まれる」の記事で、コンサートに行って来ると書いた。そのコンサートに行ってきた。メインの演目はチャイコフスキー「交響曲第6番ロ短調op.74<悲愴>」。最強音と最弱音の幅が広く、ダイナミックな演奏はコンサートにぴったり。そう思って開演を待っていた。

 その「悲愴」交響曲なのだが…第4楽章で打ちのめされてしまった。「悲愴」交響曲の第4楽章と言えば、副題通りとても暗く、悲しげ。チャイコフスキーが死ぬ10日前に初演されたことも合わせて、この第4楽章はCDで聴いても終わった後で大きく息をつきたくなる。それが生で聴いて、その暗さ、重さが一気にのしかかってきた。聴いている最中から、何とも言えないものを感じてしまった。胸を突き刺すような重さと苦しさ。今もまだその重さが残っていて、体も心もずっしりと重い。完全にやられてしまった。音楽を生で、目の前で聴くことの物凄さ、恐ろしさを今回のコンサートで感じた。

 第1・2楽章はメインのメロディーの美しさにうっとりし、第3楽章の迫力のあるスケルツォと行進曲にワクワクした。第3楽章は何故こんなに明るいんだといつも思う。トロンボーン3兄弟と、ティンパニ・大太鼓・シンバルの打楽器3兄弟が非常に元気で楽しそうだったのが印象に残っていたのに、後の第4楽章で打ち消されてしまった。

 他の演目の感想も書こうと思ったが、言葉にならない。あらためて思う、「悲愴」交響曲をコンサートで聴くのは私にとって危険かもしれない、と。
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by halca-kaukana057 | 2008-03-16 20:51 | 音楽

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by 遼 (はるか)
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