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ドリトル先生月から帰る

 ドリトル先生シリーズ第9作、月シリーズ完結編です。

ドリトル先生月から帰る
ヒュー・ロフティング/井伏鱒二:訳/岩波書店・岩波少年文庫


 ドリトル先生一行が月へ行って一年。一足先に帰されたトミーは、パドルビーの先生の家で、動物たちと一緒に先生の帰りを待っていた。月蝕の夜、月を見ていたトミーたちは月から煙があがるのを確認する。ドリトル先生が帰ってくる合図だ。翌日の夜、ドリトル先生は巨大なイナゴに乗って帰ってきた。ドリトル先生も巨大になって…


 無事にドリトル先生が帰還したところで、私も安堵。しかし、帰還してすぐに地球の重力には対処できない。ポリネシアは飛ぶこともできず、「空中をぐるぐるまわりながら落ちてくる、ぼろ屑のかたまりのようでした。それは、やがて私の足もとの近く、芝草の上にばさりと落ちました」(73ページ)。ポリネシアが飛べない様子を描いたこの部分ですが、とても素晴らしい。これまで宇宙船・宇宙ステーションに鳥類を持ち込んで実験をしたことはなかったはず。もしこれから実験があるとして、その鳥は帰還した時、このポリネシアのようになるのだろうか。興味深い。

 そして、月の食べ物のせいで巨人になってしまったドリトル先生。微少~低重力では背が伸びやすい。それを反映しているようにも読める…が、ここはあくまで月の食物の影響。


 トミーが月から帰された後、ドリトル先生は月の巨人・オーソ・ブラッジのリューマチの治療にあたっていた。最初、2人の関係はあまりよくなく、意見はすれ違うばかり。ドリトル先生もブラッジのことを一度は見放す。しかし、ブラッジの病状が酷くなり命の危険が迫った時、ドリトル先生は全てを放り出して治療に専念する。医師として、一人の命を救うために。一方、ドリトル先生の治療で意識を取り戻したブラッジは、人間としての感覚も取り戻した。永い間月で、動植物と話は出来たが孤独に暮らしてきたブラッジ。ドリトル先生をずっと月にいて自分を治療してくれる人ではなく、「ほんとうの友だち」と感じ始めた。地球から遠く離れた月で感じる孤独は、計り知れないものだろう。ドリトル先生で描かれている月世界とは異なるだろうが、月周回衛星「かぐや」から送られてきた月の詳細な画像は興味深いのだが、一方で荒涼とした土地で寂しさも感じる。ここに行けたらいいだろうけど、そばに誰もいなかったら寂しいと思うのだろうな、と。そんな月世界の地平線から見える青い地球…いとおしいと感じると共に、その距離がまた孤独感を倍増させる。ドリトル先生から話がずれてしまったが、オーソ・ブラッジもこう感じていたのかもしれない。地球から来た仲間を離したくないという思いが、仲間なのだから大事にしよう、その仲間の意思を尊重しようという思いに変化した。ドリトル先生が「紳士」と言う様に。


 月から帰還したドリトル先生には大きな仕事が待っていた。月で見たこと、知ったこと、実験したことを本にまとめる仕事が。しかし、家にいると患者が次から次へとやってきて仕事にならない。そこで、良さそうな仕事場としてドリトル先生が向かった先が……奇想天外な場所。今実際にドリトル先生と同じような行動をしたら、スポーツ新聞の三面記事になるに違いない。結局はトミーが治療にあたることで、そんな場所に行かずに済んだのに。ドリトル先生らしい、と言うよりはネコ肉屋のマシュー・マグらしい考えだった。よいこはまねしちゃいけません。

 物語の最後、ドリトル先生は月世界の不老不死の話をする。満ち欠けを繰り返す月と、不老不死の伝説は関係が深い。ただ、それらの伝説はアジアに多い。ヨーロッパにもイースター(春分後、最初の満月直後の日曜日)があるが、アジアほどではない。ロフティングがアジアの月の伝説を参考にしたってことは…ないのだろうか。もし参考にしていたら面白い。


 以上、ドリトル先生の月シリーズは物語としてもSFとしても楽しく読めました。もっと読み込めばさらに色々と解釈できそうだ。ひとまず次の10作目「秘密の湖」に進みます。
by halca-kaukana057 | 2008-06-30 22:09 | 本・読書

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by 遼 (はるか)
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