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2008年 07月 02日 ( 2 )

 「ドリトル先生」の月3部作に関連してか、月に関する本を何冊か読んでいます。その1冊目がこれ。

月の科学―「かぐや」が拓く月探査
青木 満/ベレ出版/2008


 2007年9月、H2Aロケット13号機に載って月へ旅立った日本の月周回衛星「かぐや(SELENE)」。「かぐや」の旅立ちは、月探査「第3の波」の始まりとなった。その「かぐや」を取材してきた著者の運用開始開始までのレポと「かぐや」の探査内容、「かぐや」に辿り着くまでの月探査の歴史、そして「かぐや」や月に関わる人へのインタビューをまとめたのがこの本。


 400ページ近くもある厚い本なのですが、そのほとんどが「かぐや」の探査そのものではなく、それに至るまでの歴史やインタビューなど。実際の探査の成果についてあまり触れられていない(時期的に無理だった?)のが残念だが、そこはこれから。月探査への歴史を読んでいると、米ソ(ロ)だけが争うように向かっていた天体に、日本やヨーロッパなども参加できるようになったことを嬉しく思った。対立とは違う、協力ともちょっと違う。競争であり、その競争が天文学・宇宙科学全体を引き上げていっている。こういうのは、参加する国が多いほうがより競争に拍車がかかり、レベルも高くなるのかもしれない。

 面白かったのが、第5章の寺薗淳也氏へのインタビュー。寺薗さんと言えば、この「かぐや」打ち上げの際のJAXA打ち上げライブ中継などに出演。JAXA・岩本裕之氏(通称:いはもとさん)と一緒に愉快なトークのライブ中継が印象的な方です。広報の方だと思っていたのだが、月を研究されていた方でしたか。アポロで解明できたこと、さらに深まった謎、「かぐや」に期待されていることなどについて語られています。月の地震「月震」の謎。地球なら大きくプレートのすれ違いによるものと、断層によるものに分けられるが、月震は5種類もある。その発生の仕組み、つまり月の内部構造がよく分かっていない。現在、既に「かぐや」の探査によって月の表と裏で重力が異なるということが発表されている。

リレー衛星「おきな」中継器(RSAT)の4ウェイドップラ観測データを解析して得られた重力異常-月の二分性の起源への新しい知見-

 この観測結果が、月震や月内部の謎、そして月がどうやってできたのか解明することに繋がるだろう。どうやってできたのかについては、国立天文台の小久保英一郎氏へのインタビューも興味深い。さらに、「かぐや」サイエンスマネージャー・加藤學氏へのインタビューも。人工衛星や探査機にとって、故障の原因となる太陽フレアは最大の敵。出来れば起こって欲しくない現象である。しかし、その太陽フレアが無いと観測できない、太陽フレアが無いと困る観測機器もあった。太陽フレアが無いと困ることもあるのか…。


 とにかく月は謎だらけだ。月探査「第3の波」もはじまったばかり。「かぐや」もまだまだ新しいデータを送り続けている。どんなびっくりするような探査結果が送られてくるのか、楽しみでならない。

 科学的な面だけでなく、月の伝説や民俗・風習について書かれた章もある。ちょうど星空案内人講座で天文と文化についての講義を受けたあとに読んだので、この部分もかなり興味深く読めた。本当に月は身近で、でも遠くて、不思議な天体だ。
by halca-kaukana057 | 2008-07-02 23:09 | 本・読書

目標への順序と段飛ばし

 楽器演奏の練習をする時、大抵は難易度の低い曲から取り組み、技術や表現、楽曲読解力を身につけていく。ピアノの場合、例えばバイエルから初めてブルグミュラー25を経てソナチネに進むとか、チェルニーだと100番、30番、40番の順に進んでいく。これらの練習曲を使わなくても、初心者がいきなりベートーヴェンのソナタだとか、ショパンのエチュードなどに取り組むなんてことはない(独学で、その曲だけしか弾かないのなら別)。レッスンを受けている場合なら、例えばブルグ初期の人がソナタを弾きたいなんて言っても、まずはソナチネをやってからと言われる。そのレッスンを受けている人が子どもなら確実に。大人で、ピアノ講師と相談し了解を得たとしても、相当の練習量と時間、そしてそれなりの覚悟が必要だろう。

 ただ、大人の場合、こういう順序で練習を続けるのは困難であるという人もいる。仕事や家事で十分な練習時間が取れない、子どもの頃練習曲ばっかりやって嫌な思いをした、一度やめて再開したのである程度は弾ける、など。そういう理由で、いきなり難易度の高い曲に取り組むこともある。大人はこういうことができるから、子どもの時よりも気楽で自由でいい、という話をピアノつながりの友人としていた。子どもも、こういうことが出来れば、それで伸びる子も出てくるのではないか、とも。

 この話を聞いて、なるほど、と思った。ものごとには順序があり、ピアノも簡単な曲から取り組んで、徐々に難しい曲に進んでいく。今、私も独学でピアノを練習しているが、楽器の練習というのはそういうものだと思ってやってきた。今はブルグミュラー25、終わったらソナチネやブルグミュラー18をやってみたい。インヴェンションにも取り組んでみたいので、その前段階になる「プレ・インベンション」をやっている。演奏したい難易度の高い曲は色々あるが、今はまだ手が届きそうもないので、難易度の低い曲から気に入った曲を選んでいる。でも、やろうと思えば、いきなり演奏したい難易度の高い曲に挑むことも出来るのだ。私の場合、独学だからなおさらだ。自分でやると決めればいい。でも、気が進まない。友人の話を聞いてなるほどと思った一方で、引っかかる部分があった。


 弾きたい曲、目標の曲があるのだから、自由にチャレンジしていいと思う。チャレンジできる人は、どんどんやればいいと思う。弾きたい曲を弾くのが一番いい。弾きたくない曲を弾くのは辛いし、好きな曲に取り組むことで練習に対するモチベーションや意識も高まるだろう。でも、その目標の曲を「弾く」だけでいいのだろうか。目標に辿り着いたら、そこで「終わり」なのだろうか。

 確かに、目標の曲に取り組んで、弾けたら満足するだろう。私なら、ずっと憧れているシベリウスの「樅の木 (『樹の組曲』op.75-5)」を演奏できるようになったら、本当に嬉しい。でも、何のために演奏するのだろう?好きで好きでたまらない曲だから、弾いて楽しみたいから、自分が好きな曲を誰かにも聞いて欲しいから。結局は自己満足のため、というのもあるだろう。自己満足でいいと思う(私も結局はそうなんだと思う)。でも、どうせ自己満足で弾くのなら、もっと切り込んでみたいと私は思う。ただ「弾く」だけじゃつまらない。その曲を気に入った理由が、楽譜の中に隠されているはず。音楽の土台となる基礎や知識を、段階を踏んで学んでいきたい。いきなり難曲の楽譜を見ても、おたまじゃくしがいっぱいで混乱してしまう。その前に、もっと構造のわかりやすい曲で読解力の訓練を積む。他の曲に、目標としている曲と似ている部分があるかもしれない。それが、目標としている曲の読みが深まることにつながるのではないか。もちろん、テクニックの練習、積み重ねにもなる。寄り道した分、無駄にかもしれないけどレパートリーも増える。


 作曲家の青島広志氏は、初級者向けのピアノ曲解説本にこう書いている。ピアノは初級レベルの大学生が、どうしてもショパンやリストを弾きたいと言って青島氏のもとでレッスンを受けていたことを踏まえ、その姿勢は尊いが、それらの曲に似た易しい曲は沢山ある。ただ、その易しい曲を弾くにも、その曲の成り立ちや時代背景、様式などを理解し人に語れることが大事だと述べたあとに、こう続く。
博士号を取った音楽家たちは、必ずしも名演奏家ではないという皮肉な事実があるのです。学問と芸の違いが、ここに現れたのでしょう。
 しかし、その方たちは語学力を含めて、尋常ではない質と量の知識と見解を持っていらっしゃいます。そこに彼らの存在価値があり、真の音楽家だるゆえんなのです。ですから、私たちも、それに少しでも近づかなくては! つまり、技術が低い分だけ、他の要素で補えばいいのです。

青島広志「青島広志のアナリーゼ付き あなたも弾ける!ピアノ曲ガイド」(学習研究社)5~6ページより

 目標の曲に手が届かない。背伸びすれば、届くかもしれない。でも、私は背伸びせずに、遠回りしてもそこへ続くであろう階段を上っていこうと思う。技術や知識、読解力が低いことを自覚して、受け止めて。
by halca-kaukana057 | 2008-07-02 21:40 | 奏でること・うたうこと

好奇心のまま「面白い!」と思ったことに突っ込むブログ。興味の対象が無駄に広いのは仕様です。


by 遼 (はるか)