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2008年 07月 09日 ( 1 )

 以前、NHK教育で放送中の「知るを楽しむ」で、近・現代のロシアについて、新訳「カラマーゾフの兄弟」の訳者である亀山郁夫氏が解説していた番組があった。

NHK知るを楽しむ:この人この世界 悲劇のロシア ドストエフスキーからショスタコーヴィチへ
亀山 郁夫/日本放送出版協会/2008

 この番組のショスタコーヴィチの回を観たのだが、興味深い内容だった。ショスタコーヴィチの「交響曲第5番」第4楽章、あのかっこいいフィナーレの主題の4つの音「ラレミファ♯」。亀山氏によると、この「ラレミファ♯(A-D-E-Fis)」は、ビゼーの「カルメン」の中のアリア「ハバネラ」のモチーフから引用したのそうだ。「ラレミファ(A-D-E-F)」の部分には、実際に歌はないが、「prends garde à toi!(信じるな/危ないよ)」という歌詞が当てられているとされている。「信じるな」…スターリンの社会主義を。当時ロシア/ソヴィエトはスターリンのもとで、音楽も表現が規制されていた。ショスタコーヴィチも、オペラ「ムツェンクス群のマクベス夫人」がスターリンによって上演禁止に追い込まれてしまう。しかし、ショスタコーヴィチはそこで屈服することなく、表向きはスターリン体制を賛美しながらも、実はこんなメッセージを隠していたのだ。

 1953年、スターリンが死去する。その後にショスタコーヴィチは「交響曲第10番」を書いている。この曲のなかで、「レミ♭ドシ(DEsCH)」の4つの音が何度も繰り返される。この「DEsCH」、「ドミトリー・ショスタコーヴィチ(D.Schostakowitsch)」の「D.Sch」を音名に当てはめたもの。自分の名前を音名にして、曲のなかに混ぜ込むなんて、ショスタコもシューマンみたいなことをするんだなと思ったが、シューマンとはまた違う意図があった。シューマンの場合は言葉遊びとして引用された。一方、ショスタコーヴィチの場合、それまで抑圧されていた作曲家としての自分が、スターリンの死によって解放される、という意味を持っているのだそうだ。


 芸術家にとって、表現したいことが表現できない辛さやもどかしさ。それをスターリン体制のもとで、ショスタコーヴィチは強く感じていたのだろう。でも、表現することをやめることはできない。音楽家として、出来ることはなにか。規制のもとでも、どうすれば自分の思いを表現することが出来るのか。そう考えると、ショスタコーヴィチにとって、表現の手段が文学ではなく音楽でよかったと思う。音楽なら、音楽家しかわからないような暗号を曲のなかに隠すことが出来るからだ。言葉なら、いくら抽象的な言葉を使っても、それとわかってしまうことが多い。でも音楽なら、もともと抽象的なものなので聴く人によっていくらでも想像できる。ショスタコーヴィチが作曲家だったからこそ、こんな曲を作り、そして曲の中に暗号を隠すことができた。音楽で何が出来るかをショスタコーヴィチは知っていたから、この方法を選んだ、またはこの方法しかなかったのだろう。音楽も、それを熟知し使いこなす音楽家もすごいと思う。

 ということは、この「交響曲第10番」を境にして、ショスタコーヴィチの音楽って変わっていったのだろうか?10番以降は11番<1905年>しか聴いたことがないけど、どうなんだろう?10番以前も、そんなに多くは聴いていない。ショスタコはまだまだ聴く曲がたくさんある。私にとって大きな山になりそうです。

 その「交響曲第10番」を聴いた録音がこれ。
ショスタコーヴィチ:交響曲第10番 ホ短調 作品93
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

 一番手に入りやすかったのでカラヤン盤。2楽章の暗さが特に好きだ。今年はカラヤン生誕100年。これまでカラヤンの演奏は、そんなに聴いてこなかったなぁ。定番中の定番なのに。定番だからこそ永く楽しめると思う。ということで、今年はカラヤンを聴こう。

 それと、「カルメン」の「ハバネラ」ですが、マリア・カラスの独唱がとても気に入ったのでリンクを貼っておきます。
Maria Callas -- Habanera (1962)
by halca-kaukana057 | 2008-07-09 23:04 | 音楽

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