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2019年 08月 01日 ( 1 )

ある一生

 よく、本屋や図書館で偶然目にした本を読んでみたら面白かった、ということはあります。ネットではそういうことがない、と。でも、ネットでも、たまたま見つけた本が気になって、読んでみたら面白かった、ということもある。そんな本です。


ある一生
ロベルト・ゼーターラー:著、浅井晶子:訳/新潮社、新潮クレスト・ブックス/2019

 20世紀初頭、アルプスのふもとの村。アンドレアス・エッガーは私生児として生まれ、母親はエッガーが幼い頃に亡くなった。4歳ぐらいのエッガーを引き取った農場主のクランツシュトッカーは、エッガーに厳しい労働を課し、事あるごとに体罰を与えてきた。その体罰が原因で、エッガーは右の脚が不自由になってしまう。それでも、エッガーはたくましく成長し、18歳の時農場を出て一人で暮らすようになった。その後、29歳になった頃、エッガーは山の中に小さな小屋つきの土地を買い、そこに住んでいた。吹雪のある日、エッガーはヤギ飼いの老人「ヤギハネス」の小屋に立ち寄り、ヤギハネスが瀕死の状態にあるのを見つける。村にヤギハネスを運ぼうとするが、その途中、ヤギハネスは「死ぬ時は氷の女に会う」と言い残し、吹雪の雪山へ向かってしまう。その後のエッガーは…。


 そんなに長くない物語です。でも、とても濃い。「ある一生」のタイトルのとおり、エッガーの生涯について語られる。恵まれない…と思うのは、エッガーにとってはどうなんだろう。エッガーは「恵まれない」と思っていたようには思えない…。過酷な環境で育った少年時代。虐待により、脚に障碍を負ってしまう。でも、この物語は「障碍者」としてのエッガーの物語ではない。あくまで、ひとりの人間としてのエッガーという男の物語だ。だから、エッガーを「恵まれない」「かわいそう」とは思ってしまうが、それはエッガーにとっては本望ではない。

 エッガーはとてもたくましい、力強い男で、どんな過酷な仕事もする。エッガーの住む村・山を観光のために開発していた会社で仕事をする。不平不満を一言も言わず、黙々と仕事をする。山で仕事をするには過酷な冬でも仕事をする。それは、愛する妻のため。素直で、朴訥で、仕事以外の面では不器用なエッガーのけなげさがまっすぐ伝わってくる。そんな、エッガーのある喪失。素直でけなげだからこそ、そのかなしみもまっすぐ伝わってくる。

 エッガーの生涯は、20世紀の歴史そのものでもある。第二次世界大戦が始まり、エッガーもナチス・ドイツ軍に召集される。戦場での出来事。戦時中でも、エッガーの生き方は変わらない。やれと言われた任務を遂行し、環境の厳しさに辛さを覚えることはあるが、置かれた環境では文句ひとつ言わない。ただ、時代、世の中の流れに乗って、その時その時を生きている。エッガーの住む山もどんどん変わっていく。でもエッガーは一歩一歩、ゆっくりと歩いていく。

 エッガーの生涯は、自然とともにあった。育ったアルプスのふもとの村の自然は、刻々と移り変わる。山は人間にはどうしようもない試練を与える。その厳しい自然はむごい結果を生む。エッガーもその被害に遭っているのに、山や自然を恨むことはしない。自然と一緒に生きている。戦争から帰って来たエッガーは、観光客と接することになるが、その観光客とエッガーが自然に何を感じるかの対比を描いたシーンが印象的だ。
「どこもかしこもこんなにきれいなのに、あんたには見えてないのかい!」エッガーは幸福感で歪んだ男の顔を見つめて、言った。
「見えてるが、すぐ雨になる。地面がぬかるんできたら、きれいな景色もなにもあったもんじゃない」
(111~112ページ)

 あと、134ページも、エッガーの生き様をよく語っている。長く、実際に読んで味わって欲しいので引用はしません。

 ひとりの男の生涯。この物語そのものも、エッガーのように無駄なことを一言も話さない。エッガーは、環境を、時代を、境遇をそのまま受け入れた。ごまかすことも、誇張することもしない。私も、過去も今もそのまま受け入れる…読後、そんな気持ちでいた。
by halca-kaukana057 | 2019-08-01 21:18 | 本・読書

好奇心のまま「面白い!」と思ったことに突っ込むブログ。興味の対象が無駄に広いのは仕様です。


by 遼 (はるか)
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