カテゴリ:本・読書( 533 )

 「刑事モース ~オックスフォード事件簿~」(原題:Endeavour)を観て、元々の「主任警部モース」シリーズ原作に興味を持ち、読みました。


ウッドストック行最終バス
コリン・デクスター:著、大庭忠男:訳 / 早川書房、ハヤカワ・ミステリ文庫

 夕闇に包まれたオックスフォード。ウッドストック行きのバスを待つ若い女性2人。バスはなかなか来ない。2人の女性のひとりはヒッチハイクすることを提案した。その夜、その2人の女性のうちのひとり、シルビア・ケイがウッドストックにあるバー「ブラック・プリンス」で殺されていた。捜査を始めた刑事部長のルイスと主任警部のモース。もうひとりの女性は一体誰なのか。ヒッチハイクで2人を乗せたのは誰なのか。そして犯人は誰なのか…。

 まずはじめに書いておくと、私は若いモース、ドラマ「刑事モース」から入りました。「主任警部モース」のドラマは観ていません。なので、モースのイメージは、若いモース(ショーン・エヴァンスさんの演じる)しかありません。
 若いモースが将来(実際には、主任警部になったモースが元で、そこから派生したのが前日譚の若い「刑事モース」)こうなるのか…と思いながら読んでいました。クロスワードとクラシック音楽(特にワーグナー)が好きなのは変わらない。若い頃も飲酒はしていましたが、将来はそれ以上に。タバコも吸うようになった。そして未婚だが、女好き、女性を口説くようになった。このあたりは情報は仕入れていましたが、実際に小説で読むとちょっとショック…。特に酒の量はかなり増えている。しかも、捜査中、モースは飲んでおいて、ルイスは仕事中だからと飲ませない。何て奴だと思ってしまった。
 その一方で、推理の鋭さは増したと感じます。若いモースも鋭いけれども、思い込みの激しいところもあり、その思い込みのまま突っ走って、犯人じゃない人を犯人だと言ってしまうこともある。主任警部のモースは、複雑な事件で数多くの証言者の言葉に翻弄されかかることもありますが、落ち着いて、そして一気に犯人をあぶりだしていく。この過程にはしびれました。集まってきた事件の断片をひとつひとつ繋ぎあわせて、そこからひらめいて次の断片もイメージできるようになる。クロスワードパズルと同じだなと思いました。

 事件の関係者たちが嘘をついている。誰かを守るために。どの証言が嘘なのか。それの裏を想像しながら読むのは難しかったですが面白かった。モースとルイスは関係者たちとじっくり話をして、誰が嘘をついているのか見破ろうとする。捜査の過程で、明らかになっていく事件当日の殺されたシルビアと関係者たちの足取り。シルビアと一緒にいたもうひとりの女性は誰なのか。これが本当に最後の最後までわからなくて、明かされた時はそうだったのか!と衝撃を受けました。

 捜査の途中で、事件が急展開する。シルビアの殺人も惨劇だが、その急展開の事件も惨劇で、胸が痛む。事件の結末を知ると、その惨劇が本当に残念に思う。

 モースの推理も面白いが、モースのアシスタントとして動くルイスも魅力的だ。モースに翻弄され苛立つこともあるが、モースと同じように聞き込みを丁寧にしていて、仕事熱心で家族思いでもある。奇人?変人?なモースに対して、堅実なルイスはいいコンビだと思う。

 若い「刑事モース」でも描かれる、オックスフォードの町並み。自然と大学。映像はないけれど、描写は美しいなと感じました。
 「刑事モース」と関係はないのかと思ったら、ほんの少しだけですがありました。「刑事モース」に出てくるある人の将来。「刑事モース」の話の流れから納得はできますが、そうなのかと。今後の原作にも出てくるのかなぁ。今回は本当にチョイ役なので、今度はもっと出番が増えて欲しいな。

 「刑事モース」同様(「刑事モース」の脚本は、必ずデクスター氏に読んでもらっていて、カメオ出演もしていた)、人間関係が複雑で、誰が誰なのか、誰と誰がどんな関係なのか、わからなくなることがしばしば…。ドラマだとそのまま流して最後まで観てしまっていたりしますが、本だと自分のペースで何度も読み返せていいです。「主任警部モース」シリーズも、これからも読み続けたい、シリーズ読破したいです。

 なのですが、シリーズ2作目以降はほぼ絶版で入手困難。古本屋を探してみたがない。この本は2018年に新版が出版され、著者紹介の下の「コリン・デクスターの本」には、この「ウッドストック~」しかない。早川書房の公式サイトで検索してみても、やっぱり「ウッドストック~」しか出てこない。早川さん、2作目以降、「主任警部モース」シリーズはどうするつもりなんでしょう?全部新版をこれから出す予定なのだろうか。出してください、読みたいんです。買いますから、読みますから。

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by halca-kaukana057 | 2018-11-18 22:36 | 本・読書

ヴィンランド・サガ 21

 そろそろこの間読んだ「ヴィンランド・サガ」最新刊の感想を書こうかな…と思ったら、発売したのは8月下旬だったことに驚きました。そんなに前だったっけ?!本を買っても読まずに積んでおくことを「積読」と言いますが、私の漫画の場合、読んだ後そのまま積んでおいてます…。


ヴィンランド・サガ 21
幸村誠/講談社、アフタヌーンKC/2018

 戦いの中にある、ヨーム戦士団の本拠地、ヨムスボルグ。砦から脱出する途中に傷を負ったレイフ。レイフを戦場から遠ざけるためトルフィンとエイナルはトルケルに話すが、相手にしてもらえない。砦の中にはグズリーズが取り残されている。グズリーズを助けるために再び秘密の井戸の通路から砦に侵入するトルフィンとエイナル、ヒルド。その後を、トルケルの手下であるアスゲートに命じられ、シグルドが追っていた。砦の中に侵入したトルフィンたちとシグルド。トルフィンたちはバルドルのもとへ案内され、グズリーズと再会する。どうやって砦を抜け出すか…そこへ、フローキがやって来る。一方、シグルドは…。砦の外では、ガルムが…。


 21巻の山場はトルフィンとフローキの対面。トルフィンは19巻で、父・トールズを殺したのはフローキだと知ります。トルフィンの表情、感情が一気に変化する。もう自分から人を殺す戦はしない。仲間を守るためであっても人を殺すことはしない。どんな時も、そういう立場だったトルフィンですが…。アシェラッドのもとでトールズの仇を討とうとしていた少年の頃のトルフィンとも違う。あの頃も殺気に満ちていたが、このフローキに会ったトルフィンは全然違います。これまで積もり積もった父への想い、真実を知った衝撃。その全てが、恨み、怒りとして暴走している。こんなトルフィンは初めて見る。バルドルの言葉も重い。まだ少年だというのに、祖父がどんな人間か知っている。知っているからこそ、バルドルも戦士団を継ぎたくないし、戦もしたくないのだと思う。

 「元気君」シグルドは、トルフィンの後を追って砦の中へ。しかし、兵士に見つかってしまい大変なことに。コミカルな部分もあるのですが、かなりやばい状況です。そんな状況で、シグルドの手下の太っちょさん(名前がわからない…すみませんw)が、鋭い質問を。シグルドは本当はグズリーズのことを好きではないと指摘。それに続く言葉。
シグやんが本当に望んでいることはなに?
本当に望んでいることをしなよ
そのほうがグズリーズさんもシグやん自身も幸せになれるよ
たぶんね
(78ページ)
 この言葉が、後半、終盤のシグルドを変えた、のか…?

 砦から脱出する方法を探り、ある手に出たトルフィンたち。砦の中は大変なことに。でもうまくいくんじゃ…と思っていたら、この人の登場…ガルムです。本当にタイミング悪い奴だな!シグやんピンチ。どうなる!

 シグルドへの鋭い質問もそうですが、砦の中で処刑された名もなきヴァイキングの兵士の会話もポイントです。20巻同様、ヴァイキングたちの中にも、自分たちの生活、生き様について、「これでいい」と思っていない者もいる。これが、トルフィンたちをヴィンランドへ向かわせる動機となるはずなのですが…まだまだ長そうです。まずは、ヨムスボルグを無事に脱出できるのか?21巻に続く。

・20巻:ヴィンランド・サガ 20

 ところで、帯にも書いてあるのですが、「ヴィンランド・サガ」アニメ化決定です!!
コミックナタリー:「ヴィンランド・サガ」WIT STUDIO制作でTVアニメ化、幸村誠も歓喜
◇アニメ公式サイト:アニメ「ヴィンランド・サガ」
 いつかはアニメ化するだろう…でも、血がいっぱい流れる、残虐なシーンが沢山、物語も長い(トルフィンの少年時代だけで終われない)ので、アニメ化は難しいだろうと思っていたのですが…本当にアニメ化しますか!来年放送予定。動くトルフィンやアシェラッド、少年時代の美少年クヌートを観たいです!ユルヴァちゃんも観れますね!
 アニメ公式サイトでは、幸村誠先生と、籔田修平監督の釣りをしながらの対談が面白いです。

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by halca-kaukana057 | 2018-10-31 22:47 | 本・読書
 本屋で見つけて気になった本です。この頃、ハヤカワノンフィクションはよくチェックします。


羊飼いの暮らし イギリス湖水地方の四季
ジェイムズ・リーバンクス:著/濱野大道:訳/早川書房、ハヤカワ・ノンフィクション文庫/2018


 著者のジェイムズ・リーバンクス氏はイギリスのイングランド北西部、湖水地方で羊飼いをしている。家は、600年続く羊飼いの家系。物心つく頃には、祖父が営む農場の仕事を手伝っていた。父も農場で働いている。
 ジェイムズ氏にとって、農場と羊飼いの仕事が生活のすべてだった。しかし、年齢が上がるにつれて、現実が見えてくる。中等学校では、農場の家の子どもであることはバカにされる理由だった。学校の授業でも、湖水地方や羊飼いの歴史などには触れない。ジェイムズ氏は落ちこぼれ、学校から自ら去った。
 その後は農場の手伝いをしていたが、祖父が倒れ、他界した。祖父の農場を相続すると言うことは、借金など難しい問題を含んでいた。それで父と対立、ジェイムズ氏はそのころ読み始めた数々の本に惹かれ、学問の世界へ自ら向かうことになる。教育センターに通い、大学受験を目指す。それもオックスフォード。ジェイムズ氏はオックスフォード大学に入学する。


 タイトルと表紙カバー写真に惹かれて買った本だが、いい意味で期待を裏切られた。のどかな牧場で羊たちに囲まれ、のんびりとファーマーの生活とイギリスの湖水地方の美しい自然を楽しんでいる…という内容の本ではない。羊飼いの仕事はとてもハード。趣味で飼っているわけではない。生活の糧である。育て、競売に出し稼ぐ。出産シーズンは大変だ。羊飼いの仕事の現実を隠すことなく書かれている。口蹄疫の流行の惨劇もリアルに描かれるし、血が流れることもある。全てそのまま書いている。理想郷のような癒し系の文章よりも、現実をしっかりと受け止め正直に書いている内容に好感を持った。

 農場の男は、本を読むものではない、とこの本で出てくる。本を読むのは仕事を怠けている証拠。本を読む暇があったら働け。羊飼いの男に学問は必要ない、という考え方だ。ジェイムズ氏も、子どもの頃はそんな風に育った。しかし、祖父の死後、父と対立した頃、母方の祖父が遺した本を読み漁るようになる。その本の中に、ウィリアム・H・ハドソン「ある羊飼いの一生」という本があった。その本は、ジェイムズ氏にとってかけがえのない本になる。この本も、その「羊飼いの一生」を意識したのだろう。

 イギリスの湖水地方と言えば、「ピーター・ラビット」のビアトリクス・ポターによるナショナル・トラスト運動がある。学校で習ったのを覚えている。「ピーター・ラビット」などの絵本作家というよりも、ファーマーで自然を保護する活動をした人として知られているそうだ。農場のこともよく知っている。農場を舞台にした絵本も描いている。こんな一節がある
「ポターの作品がいまだ高い人気を誇るという日本では、スミット・マークなどのエピソードは読者にどう受け止められているのだろう?」(380ページ)
絵本よりも、ピーター・ラビットはキャラクターとして愛されている…という日本の現実を申し訳なく思った。
 他にもワーズワースなど湖水地方を描いた作家も登場する。文学方面からのアプローチも出来るのはありがたい。

 オックスフォード大学に進学しても、羊飼いの仕事から離れたわけではない。休みになると湖水地方に戻り、農場を手伝う。大学卒業後、農場に戻ったが、ユネスコ世界遺産センターの「エキスパート・アドバイザー」として観光が地元共同体に利益をもたらす仕組み作りの仕事もしている。インターネットの発達によって、農場の仕事と掛け持ちすることができるようになった。600年続く農場も、新しい変化を受け入れ、また続いていっている。

 羊飼いの仕事は厳しい。でも、羊飼いたちは品評会や競売で勝ち取った賞のプライドを持ち、厳しくも美しい自然の中で羊たちを育てている。オックスフォードで学んだことも、羊飼いの仕事も、自分で選んだ。自分で選んだからこそ、この本に書いてあることは力強い誇りに満ちている。大学を卒業し、戻ってきた時の箇所がいい。
 眼のまえにそびえる湖水地方のフェルを眺め、ついに家に戻ってきたのだと実感した。フェルが友達のように私を取り囲んでいるくれているような気がして、拳を宙に突き上げて叫んだ。「やっと帰ってきたぞ!」
(277ページ)
 目の前にあるものを受け入れ、果敢に人生に挑戦もする。そんな生き方に触れられる本です。文章もすっと入ってきます。

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by halca-kaukana057 | 2018-10-29 22:23 | 本・読書

ある小さなスズメの記録

 以前読んだ本だが、ブログには書いていなかったことに気がついた。気のせいだった。せっかくなので再読して感想を。



ある小さなスズメの記録 人を慰め、愛し、叱った、誇り高きクラレンスの生涯
クレア・キップス:著、梨木香歩:訳/文藝春秋、文春文庫/2015(単行本は2010)


 1940年、第二次世界大戦中のイギリス、ロンドン。空襲の危機が迫る中、著者のキップス夫人(数年前に夫を亡くしている)は、対空対策本部の隣組支部で交代で空襲に備えていた。7月、任務から帰ったキップス夫人は、玄関先に生まればかりの瀕死の小鳥を見つけた。家につれて帰り、温め、あたたかいミルクを飲ませる看病を続けると、翌日の朝には小さな声で鳴いていた。それから、キップス夫人はこの小鳥、イエスズメを育てることになる。ある程度成長したら外へ放つつもりだったが、このイエスズメは、翼と足が曲がって十分に飛べる状態になかった。キップス夫人はそのまま、このイエスズメをクラレンスと名づけて育てることになった。クラレンスはキップス夫人に非常に懐き、空襲に脅える人々を癒す存在になった。また、クラレンスは感情豊かに振舞い、お気に入りのおもちゃで遊んだり、ピアニストでもあるキップス夫人のピアノ演奏に合わせて、巧みな歌を歌うようになった。終戦後もキップス夫人とクラレンスの日々は続いた。クラレンスの老い、最期の時まで…。


 読んだ後、動物の言葉がわかり、動物と心を通わせる「ドリトル先生」シリーズを思い出した。「ドリトル先生」は物語、フィクションだが、こちらはノンフィクション。キップス夫人とクラレンスはお互いの言葉がわかるわけではないが、鳴き方や仕草で言いたいことを読み取れる。エサをねだる時、一緒に遊びたい時、一緒に寝たい時、興味を示しているものがある時。スズメはこんなに感情豊かなんだなと感じた。私も子どもの頃、セキセイインコを飼っていた。籠の外に出て遊びたい時や、新しいエサ(特に青菜)を持ってきた時の興奮はよくわかった。ただ、このクラレンスほどは懐かず、賢くなかった。生まれてすぐに育て始めただけではないと感じる。

 クラレンスは翼と足が曲がっていた。が、成長するにつれて、うまく飛べるようになった。窓越しの外の世界に出会うこともあった。そこで、他の鳥に出会うこともあった。エサはキップス夫人があげていたが、いつしか飛んでいるハエを捕まえて食べることもあった。誰も教えていないのに、鳥としての本能を目覚めさせていく。その一方で、クラレンスはキップス夫人に甘え、気に入らないことがあると叱り飛ばし、ともに生きるパートナーとなった。動物と人間の超えられない溝があるはずなのに、クラレンスも、キップス夫人も、お互いを尊重している。不思議だとも思う。

 ピアニストでもあったキップス夫人は、クラレンスの歌を楽譜に起こしている。ターンやトリルを習得し、それを日々練習していた。「小鳥はとっても歌が好き」という歌があり、私のセキセイインコもテレビから音楽が流れると、一緒に歌う、もしくは負けじと一生懸命歌っていた。だが、楽譜に起こせるような歌い方ではない。ピアノのある環境で、クラレンスの本能と才能も開花していったのだと思う。

 クラレンスは後に、病気になり、そして老いを迎える。だが、ここでもクラレンスの生命力の強さをキップス夫人も、読者も実感することとなる。苦しむクラレンスのために効くような食材とアイディアを求めて鳥の医師を尋ねる。そのアイディアには驚いた。小鳥に食べさせてもいいのだろうか…とは思うが、効き目があったのだからいいのだろう…か。

 クラレンスはヨーロッパに多いイエスズメ、日本のその辺にいるスズメとは違う種類だ。その他の理由でも、日本のスズメではこんなことはできないだろう。スズメでなくても、何かしらの動物を飼っている人は多い。飼っている動物との様々なエピソードはあるが、「ペット」ではなく、お互い生物として尊重し、愛情を注ぐ存在としてのクラレンスとキップス夫人の記録は、とても興味深いものだった。梨木香歩さんの訳も、そんな誇り高いクラレンスを感じさせるような文章です。
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by halca-kaukana057 | 2018-10-08 23:04 | 本・読書

友だち幻想

 少し前から、この本が本屋で平積みになっていたり、紹介POPがついていたりするのをよく見ます。売り上げランキングでも上位。でも、この本、大分前に出ていた本のはず。と言いつつ読んでなかった。せっかくなので読みました。



友だち幻想
菅野 仁 / 筑摩書房,ちくまプリマー新書 / 2008

 2008年、10年前に出版された本です。でも、中身は10年経っても色褪せない。10年前はまだそんなに広まっていなかったSNSでも悩むことが書いてある。コミュニケーションツールは変わっても、コミュニケーションにおいての悩みは変わることはないのか…。

 「友だち幻想」とは、私たちが友達・親しさに抱く様々な「幻想」のこと。友達は大事、人と人との繋がりは大事、親友がほしい。でも、いじめや引きこもり、そこまで行かなくても、人間関係でのちょっとしたズレが心を悩ませることは多い。教育大学の社会学の先生が中高生向けに書いた本ですが、大人が読んでも勉強になります。とても興味深いですし、コミュニケーションにおいて「なんでこんなこと悩まなくちゃいけないんだろう」と思うモヤモヤが晴れる本です。

 人間関係、「他者」(自分ではない他の人全員。血縁関係にあっても「自分ではない他の人」)は脅威であると同時に、生のよろこびを与えてくれる存在でもある。二重性がある。その二重性に振り回され、人間関係で悩むことになる。あまり気が進まないけど参加していないと不安になる人との集まり(ママ友の集まり等)、メール即レス(今ならLINEの既読無視。他のSNSでも即レスを重視する文化はありますね)。更に、皆と仲良くしなければならないとい風潮。学校で植えつけられる考え方ですが、著者の菅野さんはこの考え方に警鐘を鳴らしています。皆の中に入れないと悩んだり、相性が合わない子がいるけど仲良くしなきゃいけないの?という悩みを持つ子が必ずと言っていいほど出てくる。この学校では皆と仲良くしなければならないという考え方は、昔のひとつの村に小学校がひとつあった歴史が関係しているのはなるほどと思いました。まさにムラ社会。

 ここで大事になってくるのが、他者との距離感。パーソナルスペース(物理的な距離でもあるし、心理的な距離でもある)という言葉もありますね。その人にとって他者との心地よい距離感は、人によって違う。友達や恋人で、その距離感が違うことでトラブルになってしまうこともある。これもわかる。友達とはいえこれは言ってもいいんだろうか、別の人たちは親密に仲良くしているけど自分はこれでいいんだろうか、と思うことはよくあります。

 そして、今の学校はフィーリングを一緒にして同じようなノリで同じようにがんばろうとする「フィーリング共有関係」で人間関係やクラス運営を成り立たせている。皆同じように考えて、同じ価値観を共有して、結びつきが強いんだよね、という考え方。ここから距離感や考え方がズレると、最悪いじめに繋がる。「フィーリング共有関係」ではなく、お互い最低限守らなければならないルールを基本に成立する「ルール関係」を基本に考えた方がいい。最低限のルールさえ守ればあとは自由。ここにも納得。
 フィーリングを第一に考えていると、違う、合わないと感じる人に対して、敵対心を持ったりする。でも、同じクラス、同じ職場にいなきゃいけない。合わないと思う人でも、並存はする。距離を置いて、態度を保留する。最低限挨拶はする。ここは本当に納得したところです。実際、合わない人と距離を置いて並存していても、何らかのきっかけで交流することがあって、やっぱり合わないと感じたり、言動にイライラしたり。フィーリングを持ち込んでしまっているんだな、と感じます。どう並存するか。この本ではそれ以上深く突っ込んでいませんが、別の本や、人に相談して方法を探っています。

 この本でもうひとつ、深く頷いたのが、「君たちには無限の可能性もあるが、限界もある」(115ページ)。子どもの頃には、可能性は無限だよ、努力すれば何でも出来るんだよ、と教えられますが、大人になるにつれて限界を知っていく。子どもの頃(学生時代)と大人(社会人)になってからのギャップで挫折する人もいる。子どもであっても、限界を感じ挫折した時にどう対処するか。それを教えていくのも大事、と。ポジティヴな面は強調し、ネガティヴな面は敬遠する…教えにくいのはわかる気がするけど、ネガティヴをどう処理するか。大人になるにつれて自分で自然に身につけろ、では酷。その挫折を乗り越えれば、新たな方向に進めるかもしれない。人生の「苦味」と「うま味」と表現していますが、そっちのほうが大人だなと思います。

 こう紹介していると、随分とクールな立場の本なんだな、と感じます。実際、クール、現実的です。青春学園ドラマのような教育に夢と情熱を持っている人にとっては拍子抜けすると思います。でも、決して「友達なんて全部幻想」「余計な人間関係を持つな」とか言っているわけではありません。生のよろこびを与えてくれる友情を築くために、「コミュニケーション阻害語」を紹介しています。「ムカつく」「うざい」など。異質なものを即遮断し(先述した通り、合わない人とは「距離を置いて、態度を保留する」無理に仲良くする必要はないけど、拒絶、敵対するものでもない)、思考を停止し、コミュニケーションを断絶してしまう言葉です。また、感情や論理を表現する多様な言葉を得、対話能力を鍛えるために、読書も大事だと言っています。この本の菅野さん考え方は、古今東西の哲学、社会学、教育学などの先人の本、思想を元にして書かれています。この本のあちらこちらに、様々な先人が登場します。やはり読書は大事なんだと思います。

 「苦味」を味わって、生のよろこびの「うま味」も味わえる、と。
10年前…と考えて、アニメ「電脳コイル」も約10年前だったなぁと思い出しました。SFの物語の中で、他者とどう繋がるか、考えたアニメです。
・「電脳コイル」最終回を観た後で:誰かへつながる細い道

NHK News Web : Web特集 : 「みんな仲よく」の重圧にさよなら
 この本がNHKのニュースでも取り上げられました。これを読んで、この本を読んでみようと思ったきっかけです。
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by halca-kaukana057 | 2018-10-04 23:23 | 本・読書
 4月からの再放送もしっかり観ていました。「宇宙(そら)よりも遠い場所」漫画2巻です。


宇宙よりも遠い場所 2
よりもい:原作 / 宵町めめ:漫画 / KADOKAWA メディアファクトリー、MFコミックス アライブシリーズ / 2018

 キマリたちが南極に出発する日が近づいてきた。報瀬や日向、結月と準備を進めるキマリ。一方、キマリの幼馴染のめぐみは南極へ行くことを決め、準備に励むキマリを見てもどかしい想いをしていた…。いよいよキマリが南極に出発する朝、めぐみがキマリの家の前にいた…。
 南極への玄関口、オーストラリアのフリーマントルに着いた4人。そこでは、「南極チャレンジ」の南極観測船・ペンギン饅頭号と、隊長の吟やかなえが待っていた。南極で行方不明の母と親しく、「南極チャレンジ」を共に立ち上げた吟たちにたいして、報瀬の態度は…。

 アニメでいうと、5話、7~9話です。4話は特別編で、6話は後でじっくり日向回のようです。

 5話(漫画だと5、6話)は何度アニメを観ても、そしてこのコミック版を読んでも、胸に突き刺さるけれども、勇気を貰える。失敗することを恐れて、何かをやりたいと思っても前に進めずにいたキマリ。そんなキマリのお姉さんのような存在のめぐみ。キマリは弱気で怖がり、勇気のない自分を「嫌い」と思っていた。めぐみにいつも背中を押され、一緒にいて、安心を得ていた。それが、報瀬と出会い、南極に行くと決めてからは失敗するかもしれないという現実にもめげずに南極に向かって前に進んでいた。これがキマリの視点。
 一方、めぐみの視点。「頼ってもらっている」自分が安心できる…キマリと一緒にいる時間が減って、それを自覚してしまった。そして、めぐみがとった行動。最初アニメを観た時は許せないと思いましたが、何度も観ている、読んでいるうちにめぐみの気持ちもわかると思った。(でも、悪い噂を流したことは許せない)
 学生時代にしろ、社会人になってからも、先輩でいる、リーダーを務め、「頼られている」のは気分がいい。でも、先輩だから、リーダーだから、自分が動かしているわけではない。後輩たちや他のメンバーも動き、支えている。先輩・リーダーの自分も支えられている。そのうち、後輩が一人前にできるようになったりするとさみしくなる。また頼ってくれないかな、何かあったら助けてあげるよ、なんて思ってしまっている(自分でもなんと傲慢か…)。ここで、考え方を変えられないとずっと傲慢な困った人のままだ。
 めぐみはキマリの出発の日にある決意をする。旅立つキマリのために、自分のために。50ページ、53ページのめぐみのセリフが突き刺さる。そんなめぐみに対するキマリの態度がまた強くてしなやか。キマリは一気に成長していた。
 この箇所で出てくる、日向の名言は事あることに思い出しています。
「人には悪意があるんだ。悪意に悪意で向き合うな。胸を張れ」

 7話から9話(漫画だと7話から9話)は、報瀬と吟を中心に、かなえたち大人の視点、船に乗り込んだキマリたちの視点でも描かれます。吟やかなえが思い出す報瀬の母・貴子のこと。「南極チャレンジ」の置かれている微妙な立場。大人たちの3年ぶりの南極観測への思い。この3年で何があったか。大人社会の現実を突きつけられるけれども、それでも南極に向かう。南極に向かわずにはいられない。そんな大人たちの姿がいい。
 キマリたちも、南極への航海の厳しさにぶちあたるも、102、103ページのキマリのセリフは事あるごとに思い出す。何かに挫けそうになった時、「選択肢はあったけど、自分で選んだんだ」と言い聞かせる。

 報瀬にとっては、母と向き合わねばならない航海。今までは、ただ「お母さんのいる南極に行きたい」という気持ちで突っ走ってきたが、その「南極に行く」ためには、様々なものが報瀬の前にあった。吟の存在もそう。吟から見た報瀬も、貴子のことを思い出さずにはいられない。だが、南極へ向かう厳しい航海、荒れ狂う海、行く手を阻む定着氷。戦い、乗り越える。何度も挑む。吟の中にも、報瀬の中にも、明るく逆境に立ち向かう貴子の姿があるのがじわりとくる。ラミングのシーンは熱いです!

 いよいよ南極到着。漫画を読んでていても、あのセリフを言ってしまいますね(勿論ひとりきりの部屋で) ざまーみろー!!
 それぞれの心の奥底に触れられる2巻、「よりもい」の魅力が詰まっています。

◇1巻:【アニメ コミカライズ】宇宙よりも遠い場所 1
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by halca-kaukana057 | 2018-10-02 23:11 | 本・読書
 今日、9月20日はシベリウスの御命日。61年目です。普段ならCDについて書いていましたが、今年は本。シベリウスに関するとても興味深い本を読みました。昨年、シベリウス没後60年、フィンランド独立100年に合わせて出版されました。

シベリウス (作曲家 人と作品)
神部 智/ 音楽之友社 /2017

 シベリウスの伝記と、作品解説に関する本です。
 日本語でのシベリウスの伝記というと、今まで数は多くなかった。1967年、菅野浩和氏による「シベリウス 生涯と作品」が最初。私もこの本は持っていますが、やはり古い。資料が少なかったのだ。他にもいくつかありますが、本当にいくつかだけ。他の作曲家はもっと沢山出てるのに…。ようやく、シベリウスの伝記の決定版が出ました。それだけ資料も出てきて、研究も進んだということだ。シベリウスの生涯と、その頃に作曲された作品の作曲経緯などが書かれ、「作品篇」ではそれぞれの作品の解説があります。

 まず、Sibeliusという姓に疑問を持っていた。当時、スウェーデン語系フィンランド人はラテン語風の姓を名乗ることはあったが、ではなぜ「Sibelius」なのか。その謎にも答えがあります。家系や家族も詳しく解説されています。「ジャン」というフランス語の名前・ペンネームは船乗りだった伯父が「ジャン」と名乗っていたのに由来しているが、その伯父さんや、シベリウスが幼い時に亡くした父・クリスティアンについても詳しく記載されています。シベリウス家は家計が苦しく、アイノ夫人は大変だったそうだが、それはシベリウスが幼い頃からもそうだったと…。音楽以外のことに関しても本当に詳しいです。

 そして、シベリウスはスウェーデン語系フィンランド人、という存在、立場もシベリウスの生涯でも、作曲においても、重要な要素となります。フィンランド語および文化の地位向上を目指した「フェンノマン」、スウェーデン語および文化の推進者の「スヴェコマン」。この両者は対立、せめぎ合い、フィンランド社会を二分してしまう。スウェーデン語を話すも(シベリウスはフィンランド語は話せるけれども苦手だった)、「カレワラ」などフィンランドの文化に関心があり、それを題材にした作品を作曲したシベリウス。シベリウスのアイデンティティは揺れ動いていた。「カレワラ」にちなんだ作品を発表する一方で、歌曲はスウェーデン語のものが圧倒的に多い(詩はルーネベルイなど、スウェーデン語系フィンランド人によるものが多いため)。「フェンノマン」と「スヴェコマン」はシベリウスにとって重要なキーワードになります。

 シベリウスは孤高の作曲家と言われる。特に後期の作風が、他の同時代の作曲家とは異なる技法、表現を使っていた。また、徐々に作曲しなくなり、アイノラで静かな晩年を送ったのも理由にあるだろう。でも、シベリウスは全く孤高ではなく、音楽家同士の交流もあったし、他の作曲家の作品に感銘を受けたこともあった。若い頃はワーグナーに傾倒していたが、バイロイト詣出をした後、目指す音楽はワーグナーではないと明言する。ヘルシンキ音楽院(現在のシベリウス・アカデミー)の教授だったブゾーニや、指揮者のロベルト・カヤヌス、リヒャルト・シュトラウス、シベリウスを尊敬し交響曲を献呈するほどだったレイフ・ヴォーン=ウィリアムズなど、様々な音楽家や人々と交流があった。シェーンベルクの作品を聴いて高く評価していたのには驚いた。音楽界は時代の過渡期、調性のない音楽が生まれる一方で、シベリウスは独自の道を歩んだとされるが、シベリウスは社会と断絶していたわけではなかった。

 各作品の作曲の背景も、知らなかったことが多く勉強が進んだ。交響曲第8番の作曲、破棄の経緯も記載されている。スコアを暖炉で燃やしてしまったと言うが、それは事実なのか。

 これまで、イメージや憶測で語られてきたシベリウス。勝手なイメージを持ってしまっていたと思う。

 菅野さんの別の本も面白いです。

シベリウスの交響詩とその時代 神話と音楽をめぐる作曲家の冒険

神部 智/音楽之友社


 「作曲家 人と作品」シリーズよりは難しいですが、こちらもおすすめです。
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by halca-kaukana057 | 2018-09-20 22:19 | 本・読書
 よく、本屋で見かけて面白そうと思ったのに、手持ちがなかったとか様々な理由でその時はその本を買えず、そのまましばらく経ってしまった…ということがよくあります。この本もそう。


音楽嗜好症(ミュージコフィリア): 脳神経科医と音楽に憑かれた人々
オリヴァー・サックス:著 / 大田直子:訳 / 早川書房、ハヤカワ・ノンフィクション文庫 / 2014

 このブログに書いてある通り、私は音楽が好きだ。毎日のように、何かしら音楽を聴いている。聴きたいラジオやオンデマンドがあればそれを聴く。テレビのクラシック番組(主にEテレ「クラシック音楽館」)も観る、聴く。買ったばかりのCDや、何度も聴いてお気に入りのCD、音楽配信サービスも使っている。コンサートも興味のあるものがあれば行く。聴くだけじゃなくて、声楽のレッスンに通って歌っている。声楽を始める前は、子どもの頃中途半端に習ったピアノを弾いていた。クラシックだけでなく、様々なジャンルの音楽を聴いている。
 何故そんなに音楽が好きなのか。聴いてしまうのか。私自身にもわからない。別に家族が音楽好きで音楽に詳しかった、というわけでもない。むしろ音楽はあってもなくてもいい環境。子どもの頃から音楽は好きではあった。でも、ピアノは練習嫌いで苦手だったし、音楽の授業でも成績はすごくよかったというわけではない。ただ、音楽が好き、というだけだ。

 この本の著者のオリヴァー・サックスさんは、イギリス生まれのアメリカの脳神経科医。数多くの患者の中には、音楽に様々な反応をする人が少なからずいる。そんな患者たちの音楽との関係について、脳科学、脳神経学の面から書いた本…と書くと難しそうに思えます。実際、本を店頭でちょっとペラペラとめくってみた時には、文字もギッシリ、ページも多い、脳神経学って難しそう?と思いました。しかし、読んでみると面白い。どんどん読み進めてしまう。サックスさんの文章もユーモアたっぷりで面白いし、患者たちの様々な症例に頷いたり、驚いたり。冒頭で、アーサー・C・クラークのSF小説で、音楽と地球の人類について宇宙人が理解できないという話を出していたが、人間にとって音楽とは何なのだろうと、読んでいるうちにどんどん謎が深まってしまう。

 よく、音楽は心を癒す、という。私も音楽に癒される、慰められることはよくある。癒されたい時、慰められたい時はこの曲を聴く、と決まっている。この本でも、様々な病気は持っているけれども、癒されるどころではなく、音楽に助けられている患者の症例があげられている。脳の障害を持ってしまい、記憶することができない、記憶を失ってしまった人だが、バッハのピアノ曲を演奏することや、合唱で歌うことはできる、と。うまく話せない障害の人が、言葉にリズムやメロディーをつけるとうまく話せるようになる。言葉の意味はわからないが、その言葉を意味する歌なら歌える(例えば、クリスマスの意味はわからなくても、クリスマスソングは歌える)。音楽が言語のような役割を果たしている。

 一方で、音楽が生きる上で妨げになってしまうこともある。脳を怪我したり、脳卒中などの病気にかかったあと、それまで楽しめていた音楽が楽しめなくなってしまった、感動することがなくなってしまったという例がある。脳の病気で、元の音楽と音程がずれて聞こえてしまうようになってしまった人もいる。さらには、特定の音楽を聴くと、発作を起こして倒れてしまう、てんかんの発作が起きてしまうという非常に困った例もある。よく、特定の音楽が脳内エンドレスリピートしている、というのもよく聴くが、脳内でただ単に鳴っているのではなく幻聴として聞こえていて、それが止まらない、止められないことも困った一例だ。完全な失音楽症になると、音楽を音楽として認識できなくなる。どんなに簡単なメロディーでも、それを何度聞いても、その曲だと認識できないのだそうだ。こうなると怖くなってくる。
 音楽と脳の関係で、絶対音感や、共感覚のエピソードもある。更には、2000曲のオペラを正確に記憶しているという例もある。とてつもない。

 この本が面白いのは、その症例の場合、脳のどの部分がどのようなはたらきをしているかについて解説している。脳科学、脳神経医学に詳しくなくても、分かりやすく読みやすく書いている。音楽を感じるのは耳だが、それを処理するのは脳。人間の脳は、音楽にポジティヴにもネガティヴにも反応してしまう。音楽は脳から生まれたのか、脳があるから音楽が生まれたのか…ニワトリとたまごみたいな話も思ってしまう。脳の複雑さに驚き、音楽を聴くということも単純なことではないとこの本を読んで思う。音楽は芸術でもあるし、科学でもある。医学でもある。音楽と脳により興味を持つとともに、音楽というものがますますわからなくなる本でもある。
 もう一度書く。人間にとって、音楽とは何なのだろう。こうなると脳科学ではなく哲学になってしまう。でも、脳にとっても、音楽は単純なものではない。いつもは、何かしながら音楽を聴いていることも多いし、音楽を聴きながら眠ってしまうこともある。そんな適当な向き合い方ではなく、もっと音楽に正面から…正面だけで無く、様々な面から向き合おうという気になる。音楽が何なのか、謎は深まるばかりだが、音楽により魅了されることは確かである。私も「音楽に憑かれた人」のようだ。

 この本の中で、オリヴァー・サックスさんの他の著書も登場します。「火星の人類学者」「妻を帽子とまちがえた男」(どちらもハヤカワ・ノンフィクション文庫)など。他の著作も読みたくなりました。

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by halca-kaukana057 | 2018-09-18 22:09 | 本・読書

星戀 (ほしこい)

 昨日は「伝統的七夕(旧暦の七夕)」。新暦の七夕では織姫・彦星、天の川は夜遅くならないと南中しない。また、梅雨の真っ只中で雨のことも多い。満月で星があまり見えないこともある。ということで、旧暦の七夕であれば、織姫も彦星も天の川も夜の早い時間から楽しむことが出来るし、月は上弦の月で星見に邪魔しない。ということで、国立天文台がはじめとなって、普及しつつあります。でも、昨日は雲が多く星見できませんでした。今日は快晴、上弦の月も、木星、土星、火星も見えています。火星は日没の時間から南東の空に明るく輝いて、すぐにわかりました。そんなに明るいんです。
 そんな、星見の気分をさらに上げてくれる本がこちら。

星戀
野尻 抱影 / 山口 誓子/中央公論新社、中公文庫/2017

 「星の文人」「天文学者(てん ぶんがくしゃ)」の野尻抱影のエッセイに、山口誓子の星の俳句を組み合わせた本。出版された時、こんな本があったのか!!と思いました。
 戦後、真っ暗な気分を星で晴らそうと星や天文の随筆を書き続けた野尻抱影。そのうち、山口誓子の星の句を借りられないかと思うようになったそうだ。すると、山口誓子は快く応じ、発表済みの星の句だけでなく、未発表作まで寄せてくれた。山口誓子から星の句が届くと、それに対照した随筆を書いていったそうだ。1954年に出版された。今回の版では、追加した部分もある。再出版して下さってありがとう中公文庫さんと伝えたい。

 「星戀」…星に恋する、なんと素敵な、ロマンティックな響きだろう。野尻抱影は「やや気恥ずかしい」と書いているが、これ以上ないタイトルだと思う。2人とも、星に魅了され、星に憧れ、星と文学を融合させた。エッセイ、俳句という形で、星への憧れ、想いを表現する。俳句も、エッセイも、星への愛情に満ちたものになっている。

 冬の憧れの星であるカノープス(南極老人星)だが、イギリスでは秋の唯一の一等星・みなみのうお座のフォーマルハウト(北落師門)が、高度8度ほどにぽつんと光っていて、南の空への憧れと鳴っているそうだ。秋の星空のにぽつんと明るく(といっても、他の一等星よりは暗め)輝くフォーマルハウトを見つけて、上へ登っていくとみずがめ座にたどり着く。虫の音を聴きながら、そんな秋の星空を楽しむ…といったところなのだが、イギリスでは日本と違うことに、言われてみればそうだけど、驚いた。確かに北欧へ行けば北極星は真上だし…。
 野尻抱影は日本だけでなく、世界の民間に伝えられている星の名前や独特の星座を蒐集した。日本は東西南北に長い国なので、北海道と沖縄では見える星が違う=呼び名なども異なる。世界へ広げればその土地に根ざした呼び名になる。星がその土地の文化や民俗そのものを表している。それは今までの野尻抱影の本を読んできて思ったが、星にまつわる文学も、その国、その土地から見える星が元になっており、その土地の文化などを表現しているのだなと思った。

 俳句はエッセイのように詳しく書けない。でも、限られた中での表現は、想像力をかきたてる。言葉数少ないからこそ、伝わってくるものもある。山口誓子の俳句は今まであまり読んだことがなかったが、楽しく読んだ。こんなに沢山の星や宇宙に関する俳句を書いていたのは知らなかった。2人の、2つの表現方法で、また星の見方が広がった。

 こういう本がもしまだ眠っているのなら、再出版をお願いしたい。
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by halca-kaukana057 | 2018-08-18 21:42 | 本・読書

天文の世界史

 火星の大接近と夏の夜の惑星祭り、ペルセウス座流星群と様々な天文現象があり、今年も何かと天文・宇宙は話題になっています。これまで、様々な天文・宇宙本を読んできましたが、その宇宙を人類はどのように見つめてきたのか。ルーツ、歴史を紐解いてみたいと思いません?ということでこの本。


天文の世界史
廣瀬 匠 / 集英社、集英社インターナショナル、インターナショナル新書 / 2017

 天文学の歴史というと、まずメソポタミアやエジプトと言った古代文明のもとで生まれた天文学に続いて、西洋の天文学の歴史について語られる。あと、アラビアの天文学。しかし、インドや中国といったアジア諸国でも天文学は進歩していった。古代マヤでも天文学は進んでいた。世界史は世界史でも、天文学の世界史、人類が宇宙をどう捉えていたのか、その歩みを辿る本です。
 著者の廣瀬さんは、アストロアーツで働いた後、天文学史の研究へ。古代・中世インドがご専門。ツイッターをやっていた時、フォロワーさんでした。何度か言葉を交わした方が本を出されている…不思議な世の中です。

 身近な太陽、月、地球に始まり、惑星、星座、流星や彗星、銀河などの記録や民俗、文化などなど。時間、年月日の概念と誕生、暦の作成…宇宙、太陽や月、星(星座)はそれらを生み出してくれた。運行に規則があって、一定である。そこから、権力者が変わり無く、絶え間なく、統治できるかという指針にもなった。動きが一定でない惑星や、彗星、超新星などは不吉とされた。星占いもそこから発展した。人類が宇宙の中で生きてきた、宇宙があって人間の生活や文化が生まれ変わっていったことの証でもある。現代人の多くの人は、天文現象があれば何だかんだと騒いで空を見上げるが、古の人々にとって宇宙は、もっと身近で、もっと見続けていたものなんだろうなと思った。昔は夜はこんなに明るくはないので、もっと星や月を見えたのもあるのかな、と。

 地域によって、星の見方も違う。メソポタミアの流れにある西洋の星座と、中国の星座は違う。でも、似ているところもある。星の並びが印象的なものだと、どこの地域でも結び方は同じになってしまう。星座だけでなく、太陽や月、暦、惑星などに関しても。インドについては今まであまり知らないことが多いので、興味深かった。

 近現代の天文学についても書かれています。望遠鏡の発達により、遠くの銀河や星雲なども観測できるようになった。天の川についても、銀河だったとわかる。さらには相対性理論、暗黒物質、ビッグバンと今現在も研究が続いている天文学、物理学に繋がる。遠くの宇宙が見えるようになれば、また謎が生まれる。新しい発見があれば謎も生まれる。天文学の歴史はその連続。今、研究している宇宙の謎が解けたら、また新しい謎が出てくるのだろうか。とても面白いです。

 新しいことだけではない。244ページの「「天文学の歴史」を疑うことこそ理解への第一歩」とあるように、天文学の歴史も諸説ある。ある概念が時間を経て、違う概念に変わってしまったことはよくある。過去も知ればまた謎や疑問、噛み合わないことが出てくる。専門家でない限りなかなか文献を探すのは大変だが、色々な説や文献に触れて、天文学の多様性を実感する。天文学の歴史の膨大さも、宇宙のように広がっているのだなと感じました。すごいね。

 宇宙天文についての基礎についても書かれているので、宇宙天文+天文学史の入門書になると思います。内容はちょっと難しいところもありますが、文章も親しみやすいと思います。


【過去関連記事】
天文学者の江戸時代 暦・宇宙観の大転換
カリスマ解説員の楽しい星空入門
「ブルームーン」とはそもそも何ぞや

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by halca-kaukana057 | 2018-08-11 22:22 | 本・読書

好奇心のまま「面白い!」と思ったことに突っ込むブログ。興味の対象が無駄に広いのは仕様です。


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