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起終点駅(ターミナル)

 桜木紫乃さんの作品は初めて読みます。表題作の「起終点駅(ターミナル)」が映画化され、映画は観ていないのですが主題歌のMY LITTLE LOVER「ターミナル」がとても好きで、まずは原作を読んでみようと思ったのが読むきっかけ。ちなみにマイラバはデビュー当時から大好きです。


起終点駅(ターミナル)
桜木紫乃/小学館、小学館文庫/2015(単行本は2012)

 東京のデパートの化粧品売り場で働く真理子は、竹原基樹の納骨式のために函館にやって来た。1ヶ月前に納骨式に出席して欲しいと手紙を受け取った。式はロシア正教会で、参列者は真理子の他にいなかった。真理子と竹原は大手化粧品会社に勤めていて、竹原は幹部を約束された男だった。竹原は複数の女性と関係を持っていて、真理子もその一人だった。だが、急に母親の介護をすると仕事を辞め函館に行ってしまった。真理子はその納骨式の立会人で神父の角田吾朗に、函館に来てから死ぬまでの竹原のことを聞く…。
(「かたちないもの」)

 「かたちないもの」、「海鳥の行方」、「起終点駅(ターミナル)」、「スクラップ・ロード」、「たたかいにやぶれて咲けよ」、「潮風の家」、6編の短編集です。どれも北海道の町が舞台になっていて、もう一つ共通するのが登場人物は孤独、無縁の状態であること。暗く寂しい作品ばかりで、読んだ後やるせない気持ちになった。特に「スクラップ・ロード」は救いがない…。

 私はひとりでいるのは好きだ。だが、孤独にはなりたくないと思う。
 「無縁」であれば、家族がいない、もしくは連絡を取っていない、ほぼ縁が切れた状態。身寄りがない。
 「孤独」はどういう状態だろうなと考える。友人や恋人、心を許せる人がいない。自分のことを誰にも話せない、話し合える相手がいない。頼る人が誰もいない。ひとりぼっちでいることを寂しく、苦しく、辛く、望みがないと思っている。こう書いてみたが、とすると、この作品に出てくる登場人物たちは全く「孤独」ではないとも思える。誰かがそばにいて、少しの間だけでも一緒にいてくれる。その人が何者なのか、誰もよく知らなくても。過去に何があったとしても。ただ一緒にいるのではなくて、お互い孤独で、それをわかっていて距離を保っている。傷をなめ合うようなことはしない。目の前にいるその人として向き合う。どこまでも暗く寂しい物語だけれども、その個人を尊重するような関係があるのは救いだ。

 「海鳥の行方」「たたかいにやぶれて咲けよ」の主人公、新人新聞記者の里和がいい。男社会の新聞社で、新人で女性の里和は上司の圧力に耐え記事を書き続ける。里和には恋人がいたが、卒業後離れて暮らし、それぞれの仕事が過酷になるにつれて連絡も減っていった。恋人の苦しい状況に心を痛めつつも、記事を書き続ける。記者の郷和と、ひとりの人間としての里和。この違いに惹かれる。
 「潮風の家」も寂寥感に満ちた作品だが、人間の奥深さが伝わってくる。千鶴子とたみ子の2人は孤独で生きづらいはずだが、そんな素振りも見せない。「孤独」はその人自身が決めるのだろうか、と思う。

by halca-kaukana057 | 2019-11-19 22:52 | 本・読書
 いよいよこの日がやってきました。

JAXA 宇宙科学研究所:小惑星探査機「はやぶさ 2」の小惑星 Ryugu 出発について
JAXA:小惑星探査機「はやぶさ2」の小惑星Ryugu出発について

JAXA はやぶさ2プロジェクト:〝さよならリュウグウ〟キャンペーンのお知らせ
 ↑19日まで、リュウグウや「はやぶさ2」へ向けてのメッセージを募集中。

アストロアーツ:「はやぶさ2」がリュウグウを出発、地球帰還へ
NHK:「はやぶさ2」小惑星を出発 地球への帰還目指す

はじめまして、リュウグウ 「はやぶさ2」リュウグウ到着
 昨年6月、「はやぶさ2」は小惑星「リュウグウ」に到着。それから観測、ターゲットマーカー投下、タッチダウン、インパクタを投下し人工クレーターを開けてもう一度タッチダウン、ローバー投下と様々なミッションをこなしてきました。
 リュウグウは当初は丸いなだらかな地形と考えられてきましたが、到着したら予想と違った。コマのような形で、表面は岩だらけでゴツゴツしている。平らなところが見当たらない。一体どこにタッチダウンすればいいんだ…?と考え込んだのはついこの間だったように感じます。これは、実際に行って観測してみないとわからないこと。他の天体まで行って探査・観測する醍醐味であり、意義です。

 その後、プロジェクトチームは念入りに観測、タッチダウンできそうな地点を探し、「はやぶさ2」の制御の精度も高めていきました。そして1回目のタッチダウン。タッチダウンの際、小型モニタカメラ(CAM-H)で撮影した画像をつなげた動画に、とても興奮しました。次はインパクタでクレーターを作って、そこにタッチダウンを目指すも、やはりリュウグウの地形に悩まされます。無事にクレーターを作れたら、また念入りに安全にタッチダウンできる箇所を探して、2度目のタッチダウン。この2度目のタッチダウンは、実際に行うかどうか議論を重ねた上で決行されました。カプセル内には既にサンプルはあるのに、無理にタッチダウンをして機体が壊れてしまったら帰還できない。心配もしましたが、無事に成功しました。
 はやぶさ2には3つの小型ローバーがあります。全て、リュウグウの表面に着陸し、それぞれの観測を行いました。

 予定されていたミッションは全てクリアしました。しかも運用はとても安定していてスムーズに。毎回、すごいなぁと思うばかりでした。

 初代「はやぶさ」では、小惑星「イトカワ」での滞在期間はそれほど長くありませんでした(行方不明の期間もありました…)。なので、リュウグウに到着した頃は1年半もリュウグウに滞在するの?長くない?と思ったものです。でも、やることはたくさんありました。リュウグウの地形が予想と異なり、観測に時間をかけることができた。その観測のデータが、タッチダウンなどの成功に繋がったのだと思います。

 後は無事に帰るだけです。今日、10時過ぎ、「はやぶさ2」は姿勢制御スラスタを噴射し、リュウグウから離れました。18日まで、リュウグウから遠ざかりながら、「お別れ観測」を行います。遠ざかるリュウグウの姿を撮影します。
 20日から、1年5ヶ月運転しないでいたイオンエンジンを試験運転し、12月3日以降、イオンエンジンを本格的に運転して地球帰還軌道へ入ります。
 地球帰還は来年12月頃の予定。1年間、無事にイオンエンジンが運転され続け、帰途が安全であることを祈るばかりです。

毎日新聞:はやぶさ2、リュウグウから「なにもかも皆懐かしい地球」へ JAXA国中氏が談話
 現在はISAS所長の國中先生が「はやぶさ2」帰還にあたりメッセージを発表しました。國中先生と言えば、初代「はやぶさ」では「こんなこともあろうかと」なイオンエンジンの仕掛けに驚かされましたが…今回のメッセージでも「ヤマト」全面推しです。
 一番冒頭にリンクしたJAXA公式のプレスリリースにもプロジェクトチームの先生方のコメントがありますが、どのコメントも濃い1年5ヶ月を感じさせるものでいいなと感じました。

 ありがとうリュウグウ。ドキドキワクワクの連続でした。私の名前も記されたターゲットマーカーはリュウグウがある限りリュウグウに残ります。いつかまた会えるかな?さよならリュウグウ。そして「はやぶさ2」、無事の帰還を待っています。どうぞご安全に!

 あ、シュークリームを買ってくるのを忘れた(1回目のタッチダウンの記事参照)。明日あたり買ってこよう。
受け継いだものと新しい試み しつこく徹底的に 祝! 「はやぶさ2」リュウグウにタッチダウン成功!

by halca-kaukana057 | 2019-11-13 21:57 | 宇宙・天文
 「友だち幻想」の著者、菅野仁さんが、「友だち幻想」の前に書いた本です。長らく入手困難になっていたそうですが、文庫化しました。

友だち幻想

愛の本 他者との<つながり>を持て余すあなたへ
菅野 仁:著、たなか鮎子:イラスト/筑摩書房、ちくま文庫/2018(原本は2004年、PHPエディターズ・グループ)


 「友だち幻想」へ繋がるテーマである、他者との繋がりと、幸せとは何かを菅野さんが語りかけるように書かれた本です。「友だち幻想」同様10代~大学生の若い人向けの本ではありますが、それ以上の大人も読んで欲しい。

 「友だち幻想」でも書きましたが、菅野さんの言う「他者」とは、自分以外の全ての人のこと。家族や親しい友達も。この「他者」をどう捉えるかによって、考え方は変わってきます。「他者」は自分とは「違う」存在。親しくて、「同じ」と思ってしまうから、自分のことをそっくりそのままわかってくれるはずだ、価値観は同じはずだと思ってしまう。でも、「他者」はどんなに親しい人であっても自分と全く同じではない。そこに傷ついてしまう。「他者」と適度な距離を取り、適度な距離があるからこそ親しさも感じられる。このことについては深く頷きます。相手が自分と親しいからといって、好きなものが同じだからといって、自分の考え方や価値観などは同じとは限らない。それで独りで傷ついてしまうことがよくありました。この本を読んでいたら、もっと気が楽になれたのになと思います。
 「他者」に対して、「他人」という言葉も出てきます。「他者」と「他人」(親しくないよそよそしい関係の人)を家族が同じに考えてしまって怒られた…なんて話も出てきます。家族であっても、自立した人間と見て欲しい。それが「他者」の考え方です。

 「他者」からの自分がどう見えているか。このことについても文章が心に染み込むようでした。自分をこう見て欲しい、というイメージがある。でも、「他者」はそう見るとは限らない。
 この「他者」は、自分自身でもある。自分自身に対してのイメージを持ちすぎて、現実と理想のギャップに傷ついてしまう。「自我」の弱さ、繊細さは悪いことではないけれど、自分自身が苦しくなる原因でもある。傷つきやすい自分、弱い自分を認めて、他者や社会へもう一歩踏み出す。傷つきながらも「耐性」をつけていくこと。
 自分自身と他者からの自分のイメージの違い、評価、恐れに対して「構え」を持つこと。他者に期待しすぎないこと。「純度100%の関係を相手に求めない」(162ページ)という言葉があるが、とてもしっくりきた。これも、もっと早く読みたかった。

 「友だち幻想」の感想記事で、「こう紹介していると、随分とクールな立場の本なんだな、と感じます。実際、クール、現実的です。」と書きました。この「愛の本」の感想も、このままでは同じようにクールで現実的な立場の本と思われてしまいそうだ。この「愛の本」はとても優しい、そっと見守ってくれるようなメッセージに満ちた本です。菅野さんが高校生の頃にピアノ教室で経験したあること、菅野さんのご家族のこと、親戚や学生さんたちのこと…経験談やエピソードはどれもあたたかい(ピアノ教室での話は苦め)。菅野さんからの手紙のような本です。

 人間の幸福とは何か。この本では、「自己充実をもたらす活動」と「他者との交流」としている。「他者」に期待し過ぎないとか、「他者」は自分とは違う存在だと書きましたが、それは「他者」との交流を否定するものではない。傷つくこともあるけれども、だからこそ他者との心地よい交流は「生のあじわい」を感じられる。自分を認めてくれる他者がいることは安心に繋がる。そして、自分が楽しいと思うことをする。菅野さんも様々な趣味を持っている。それも「生のあじわい」を感じられることだ。私もやっていると楽しい、時間も忘れて熱中してしまうことがいくつかある。それを大事にしていこうと思う。

菅野さんが若くして亡くなってしまったことが本当に残念だ。「友だち幻想」と合わせて、人間関係に悩んでいる、社会の中で生きづらいと感じている人に読んで欲しい。

by halca-kaukana057 | 2019-11-11 22:56 | 本・読書
 先日開催されたBBC Proms JAPAN.イギリスの夏の大音楽祭、プロムスを日本で初開催。
・過去記事:BBC Proms JAPAN プログラム発表 で、プロムスとは?

 私は行きませんでした(総合的なプログラムとか、ラストナイトの司会とか…)。でも、BBCのオーケストラ(今回来日したのはBBCスコティッシュ交響楽団。BBCのオーケストラは全部で5つあります)の海外公演は、基本的に後日BBC Radio3で放送されます。今回のプロムス ジャパンも放送が決まりました。

◇11/25 :BBC Radio3 : Afternoon Concert : BBC Scottish Symphony Orchestra in Japan - Mendelssohn, Tchaikovsky, Mahler
 1日目、Prom1の録音。
 メンデルスゾーン:序曲「フィンガルの洞窟」Op.26
 チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調 Op.23(ピアノ:ユリアンナ・アヴデーエワ)
 マーラー:交響曲第5番 嬰ハ短調

◇11/26 :BBC Scottish Symphony Orchestra in Japan - Sibelius, Tchaikovsky, Elgar
 Prom4とProm5の一部です。
 シベリウス:交響詩「フィンランディア」Op.26
 チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 Op.35(ヴァイオリン:ワディム・レーピン)
 シベリウス:交響曲第2番 ニ長調 Op.43
 細川俊夫:「プレリューディオ」 オーケストラのための
 エルガー:チェロ協奏曲 ホ短調 Op.85(チェロ:宮田大)

 上記リンク先、BBCのサイトでは、宮田大さんのお名前が「Dia Yimata」と表記されているのですが…(11月8日現在)。放送日までに直して欲しい。
 Prom5のブルッフとラフマニノフはなし。残念。

◇11/27 :BBC Scottish Symphony Orchestra in Japan - 'Last Night of the Proms'
 Prom6、ラストナイトの一部です。
 バーンスタイン:キャンディード序曲
 ミヨー: スカラムーシュ Op.165b(アルトサクソフォン:ジェス・ギラム)
 マルコム・アーノルド:4つのスコットランド舞曲 op.59-3「スコティッシュワルツ」
 プッチーニ:歌劇『ラ・ボエーム』より「私が町を歩けば」
 H.パーセル:夕べの讃美歌(ソプラノ:森麻季)
 ワックスマン:カルメン幻想曲(ヴァイオリン:ワディム・レーピン)

 トーマス・ダウスゴー:指揮、BBCスコティッシュ交響楽団

 ラストナイトの定番曲、威風堂々第1番(Land of Hope and Glory)はない模様です。書いていなくても放送されることがあるので、放送後確認したら追記するかも。
 ラストナイトなのに合唱団がいないのがなぁ…。

 放送は、日本時間23時から。放送後30日間はオンデマンド配信があります。期間内は何度でも聴けます。
 プロムス ジャパンはテレビ朝日、BS朝日が主催。BS朝日で12月29日に放送があるそうです。どの程度放送するんだろう。

 ちなみに、本家プロムスのラストナイトもちょうど25日の午前0時からBSプレミアムでテレビ放送されます。毎年のお楽しみです。本家の本場の盛り上がりを観たい方は是非。
 というか、本家ラストナイトを3年分ぐらい映画館などでライブビューイングして、本家の雰囲気を感じ理解してから日本開催したほうがよかったと思うんだけどな…。
NHK:プレミアムシアター


by halca-kaukana057 | 2019-11-08 22:06 | 音楽

音楽で伝えられること

 声楽を始めてから、毎年教室の発表会に出演しています。発表会は声楽だけでなく、音楽教室の他のコース、ピアノやヴァイオリンなどと一緒に行うので、普段は聴けない他の楽器の演奏を聴くのも楽しみです。また、ジャンルもクラシックに限らず、ポップスや映画音楽など幅広いのも楽しみです。年齢層も広いので、音楽はいくつになってもできるんだなと実感します。

 私は今まではイタリア歌曲を歌っていたのですが、今年は初めてドイツリートを歌いました。歌曲王シューベルト。声楽を始めて、初めてイタリア歌曲に触れた時、苦しい恋の歌が多い…とか、歌詞は暗いのに曲は明るく軽快とか、普段は北の方の音楽を聴いているから、南国の音楽は私にはまぶしい…と思ったものです。でも今はイタリア歌曲の雰囲気は好きです。情熱的なところも慣れました。今年、北上してドイツの音楽に自分で歌う形で接しました。歌詞の奥深さ、詩の世界を引き出す音楽の深さ。詩も音楽も歌も全てひっくるめて、歌曲は総合芸術なんだと実感しました。

 ドイツ語の発音が難しくて、練習では苦戦しました。レッスン前の予習で、辞書を引いてGoogle翻訳などで発音をチェックしていっても、歌う発音はそれとは異なる。発音と発声を両立させるのが難しかった。発音をがんばろうとすると声楽的な発声がおろそかになってしまう。発声をがんばると発音がカタカナドイツ語になってしまう。発表会本番はどちらも完璧…とは言えません。発声、歌もゴールはないと思っていますし、ドイツ語もイタリア語も発音はずっと続けていかないと習得できないだろうと思っています。

  後で録音を聴くと、反省するところばかりです。いくらでもできます。練習で注意したところが全然表現できてない。もっと深く響く声が出たらなぁ…。もっと安定した発声ができたらなぁ…。いわゆる減点法ではなく加点法で振り返りたいのですが、どこが加点になるのかわからない…。

 その発表会での話。私の出番の前の人はピアノで、ある曲を演奏しました。私がとても好きな作品です。舞台袖で聴いていましたが、とても素敵な演奏でした。その曲の世界、情景を引き出していました。魅了されながら、励まされていました。私もずっと練習してきたこの曲の詩の世界や想いを歌で伝えたい。声楽には歌詞はあります。しかし外国語。今まで歌ってきたイタリア歌曲は、声楽をやったことがある、もしくは声楽作品に詳しい人でなければ多分わからないと思う。今回もシューベルトとは言えマイナーな作品です。外国語で詩の内容がそのまま伝わらなくても、この曲に込められた想いを表現したい。ピアノを演奏していた人は、その曲に私と全く同じ想いを抱いていたかどうかはわかりません。でも、その曲の世界は伝わってきました。こんなことができる音楽っていいなぁ。そう思いながら、私も歌いました。

 音楽で伝えられること。音楽で感じられること。言葉とは違う表現があって、でも込められたものは伝えられる。音楽を続けている理由かも知れません。単純に歌うことや、音楽そのものが好きというのもあります。
 技術と表現を磨いて、これからもそんなことを考えながら歌っていきたいと思います。
by halca-kaukana057 | 2019-11-07 23:30 | 奏でること・うたうこと
 「古典部」シリーズも4作目。今度は短編集です。


遠まわりする雛
米澤穂信/角川書店、角川文庫/2010(単行本は2007)


 神山高校に入学して1ヶ月。奉太郎は居残りで家に忘れてきた宿題をもう一度書いていた。一緒にいた里志は、学校の怪談話を始める。放課後、音楽室に行った女子生徒が、誰もいない教室からピアノ演奏を聴いたという話。これは実際にあったことを、里志が聞きつけてきたという。宿題に苦戦している奉太郎のところへ、えるもやって来る。奉太郎は、えるよりも先に他の学校の怪談話を始めてしまう…。

 「やるべきことなら手短に」「大罪を犯す」「正体見たり」「心あたりのある者は」「あきましておめでとう」「手作りチョコレート事件」「遠まわりする雛」の全7作です。話は時系列で並んでいて、「やるべきことなら~」は入学1ヶ月後、「遠まわりする雛」は4月、春休み中の話です。

 今までの3作は、アニメを観る前に読んでしまっていました。なので、アニメとは関係なく純粋に物語を追って楽しんだり、このシーンはアニメではどう描かれるのだろうとアニメが楽しみになったり、そんなことを考えながら読んでいました。しかし、この第4作は「遠まわりする雛」以外はアニメを先に観てしまっていました。「やるべきことなら~」は、アニメ1話の後半(Bパート)に収められています。なので、アニメを観た時はこの話は原作にあったっけ?とわからず。後からこの短編に収録されていることを知りました。

 1年かけての短編なので、古典部の4人の関係も、奉太郎の「省エネ主義」の変化も楽しめます。古典部に入部し、千反田えるという不思議な女子に出会い、えるに振り回されつつもちょっとした出来事の不思議な箇所や、えるの過去と古典部の過去に向き合うことになった奉太郎。「やるべきことなら~」の最後、奉太郎がえるに影響を受けることに対して取ったある態度。それが、「遠まわりする雛」では、その態度を自分で動かそうとしている。第1作「氷菓」で、奉太郎の青春は灰色と里志と話していたが、薔薇色とまではいかなくても、桜色になったのかもしれない(バラも桜も好きですが)。むしろ奉太郎はそのぐらいでいいと思う。しかし、「遠まわりする雛」の最後、奉太郎が言いかけた言葉。あれは…実質…ですよね。アニメでは「!!?」となりました。でも一瞬。

 古典部の4人は、優しいと思う。「やるべきことなら~」の奉太郎、「あきまして~」のえる、「手作りチョコレート~」の里志はエゴイズムのようで、相手を傷つけたくなくて自分を守っている。えるは優しさをストレートに出す。「大罪を犯す」の事の発端、「正体見たり」の謎は解けても納得できなかったこと。謎や犯人がわかっても責めることはしない(「正体見たり」は少し違うけど)。背景を理解しているから。「遠まわりする雛」の最後、豪農の一人娘としての覚悟と決心も優しさが感じられる。

 「チョコレート事件」では、普段は竹を割ったような発言(特に里志に対して)の摩耶花も、わかっているから責めない。一方の里志の摩耶花への想い、自分に対する視点に、わかるような気持ちになった。摩耶花はずっと里志に想いを寄せている。中学3年のバレンタインも、里志にチョコレートをプレゼントしようとするも、里志にはぐらかされる。来年こそは手作りチョコレートを渡すから、憶えてなさい!と言う摩耶花だが…。その1年後のバレンタイン。里志は摩耶花の想いを知りながらもずっとはぐらかしてきた。何故だろうと思っていた。摩耶花のことが嫌いなわけじゃない。恋愛関係ではなく、友達でいたいからだろうか?と思ったら…。何か、誰かを「好き」になるということの意味。いつも飄々としている里志がこんなことを考えていたとは。里志の方が「省エネ」じゃないかと思ってしまった。でも、何か、誰かを「好き」になる、「こだわる」ことは、最初は楽しくても後から色々と厄介になってくる。それなら、と里志の方向転換に頷けてしまうけど、寂しい。
 奉太郎は「省エネ主義」だが、人の気持ちはないがしろにしない。「愚者のエンドロール」で入須先輩との2回目に会ったシーンを思い出す。

 アニメでは追加されているシーンがあります。「正体見たり」の最後、「チョコレート事件」の最後の方、「遠まわりする雛」の祭りが終わって奉太郎が里志と摩耶花といるシーンでの会話。これらは、アニメスタッフさんたちの優しさだと感じました。「正体見たり」が原作のままだと悲しい。バッドエンドではないけれど、えるにとっては辛いエンドだ。それを、ワンシーンを加えるだけで救った。「チョコレート事件」も摩耶花とえるのシーンを加えるだけで救われる。古典部の4人が、これからもいい仲でいられると思える。

 「心あたりのある者は」は純粋に推理そのものを楽しめる話。校内放送ひとつで、ここまで読み込めてしまう。面白い。アニメでも、部室で奉太郎とえるがただひたすら推理の会話をしているだけ。派手な演出はない。それなのに面白い。"世の中"を読み解く面白さ。それがミステリの醍醐味なのだと思う。

 アニメ化されたのはここまで。あと、アニメのために書き下ろした18話「連峰は晴れているか」は最新作「いまさら翼といわれても」に収録されています。この回も、奉太郎とえるの優しさが感じられる回だった。

 今後も古典部シリーズを読んでいきますが、アニメ2期が観たかったな…。例の事件の後に読み始めて、アニメも観たけど、本当に面白い作品。こんな素敵な形でアニメ化されてよかったな…。原作のストックがまだ足りないのでまだまだ先でもいいですから、2期が観たいです。
 コミカライズは第5作以降もやるとのこと。コミックを読む?

【過去記事】
氷菓 [小説 +アニメも少し]
愚者のエンドロール [原作小説 +アニメも少し]
クドリャフカの順番 +アニメも少し
by halca-kaukana057 | 2019-11-05 22:27 | 本・読書
 先日、この記事で後で書くかもと書いたことを。
クドリャフカの順番 +アニメも少し

どこかの大学で、『クドリャフカの順番』での伊原と河内の論争(「知られていなくとも普遍的な価値を持つ創作は存在する」vs「万人が認めたものが結果的に価値を持つに過ぎない」(大意))を受験問題に引用し、「文学作品を評価すること」について思うところを述べよ、という問題が出たそうです。
 
 米澤穂信 (@honobu_yonezawa) 2019年3月27日 午後8:02

或る推理作家の苦悩 ~入試問題での引用と過去問集への収録~

 米澤先生大人気ですね。

 さて、本題。「クドリャフカの順番」で、主人公たちが所属する「古典部」部員のひとりで漫画研究会も兼部している井原摩耶花と、漫画研究会の河内先輩が論争になります。発端は漫研の文集。漫画のレビューを載せたもので、摩耶花は積極的に執筆に参加したが、河内先輩はあまり積極的ではなかった。その文集の売れ行きがあまりよくなく、それを見た河内先輩と河内先輩派の部員が文句を言い出す。それに対し、摩耶花が反論。いつしか摩耶花と河内先輩の論争に。
 「名作」とは何か。それが論題だ。
 摩耶花は、名作は存在すると主張する。知られていなくとも普遍的な価値を持つ創作は存在する。
 河内先輩は、人それぞれがその人の感じ方で「面白い」と思い(作品が面白いのではなく、読み手が決める)、そう思った人が多い作品、長い年月にわたって思われ続けた作品が名作と呼ばれているだけ、と主張する。

 私なら、どんな答えを出そうか。
 ちなみに、ここで語る作品は漫画に限らず、文学作品、音楽、その他創作物全体で考えます。私の場合漫画や文学作品だけだと難しい。(この入試の論点から外れてしまうが)

 河内先輩の言い分もわかる。名作、人気のある作品に触れても、「面白くない」=「私には合わなかった」「私は苦手だ」と思うことは少なくない。面白いのだろうけど、私はそこを面白いと感じられない。苦手なタイプの作品だった、物語は面白いと思うけど絵や言葉遣い・音遣いが苦手、自分には馴染みのない設定・物語でよくわからない、その作品の設定が苦手・地雷、さらーっと読んだ・聴いたので印象に残ってない、その日の体調や気分に左右された…理由は挙げるときりがない。このブログには、私が面白いと思ったものについて書いているので、実は読んだ・聴いたけど面白いと感じられなかったので書いていないものもあります。
(反対に、すごく面白いのだけれども、うまい表現ができなくて書いていないものなども大量にあります)

 でも、自分は面白いと思えなかったけど、この作品のこんなところがすごいんだろうな、こんな所に感動するんだろうな、とも思います。名作の所以なんだろうなと。そんな時、悔しいなと思います。自分も一緒にこれ面白いよね!と盛り上がりたかった。

 摩耶花の意見はその通りだと思う。漫画で考えると、漫画を出版している会社は大手から小さな出版社、同人作品を合わせると星の数ほどある。小さな出版社で、新人かあまり知られていない漫画家で、でも面白い漫画がある。書店もそんなに数多く入荷しない。入手が難しいこともある。でも、面白い。物語や絵に引き込まれて一気に読んでしまった。そんな作品はある。大勢の人が名作と言っている作品でも、声は多くなくてもじわじわと人気を集めている作品でも。映画ならわかりやすいかもしれない。単館上映のあまり知られていない作品が、いつしか話題になってどんどんお客が観に来て、多くの映画館で上映される。賞まで取ってしまった、なんて作品だってある。

 クラシック音楽で考えるとわかりやすいと思う。今は名作として演奏機会も多く、よく聴く作品でも、初演は大失敗だったとか、ある時期までは歴史に埋もれていたが演奏機会を得て広く知られるようになったとか、初演後ある時期まで封印され演奏されることがなかった作品などがたくさんある。政治的な圧力で、演奏を禁じられた作品もある。あまりにも同じ曲ばかり演奏されると「またか」と思ってしまうが、そういう作品こそ、その演奏家の読解や個性が表れやすく、聴くと面白い。「またか」と飽きたような態度を取ってしまうけれども、聴くとやっぱりいい曲だ、魅力がいっぱいだと思う。音楽は聴くだけでなく、自分で演奏できるのも楽しい。その作品の魅力を自分で表現できる。自分で表現すれば、その作品のすごいところがよくわかる。

 ここで、疑問がある。名作だから面白いのか。名作じゃないと面白くないのか。名作と呼ばれれば、多くの人は面白いと認めてしまうのではないか(作品そのものに関係なく、売り方でそのようなやり方をするのは見かける)。
 世間ではいまいちと見なされている作品を面白いと言う人はいる。作者は失敗だったと言っていても、それを面白いと思う人はいる。一体何が名作なのか。

 でも、名作は存在すると思う。名作と言われる作品には、やはり力はあると思う。でも、それを自分が感じ取れるか…それは読んでみないと、聴いてみないとわからない。河内先輩の意見の一部は否定しきれない。個々人、好みや苦手がそれぞれ違うのだから仕方ない。

 自分の主観と、名作という他者の主観。多くの視点から捉えて、でも自分の立ち位置を忘れることなく、バランスよく…これはすごく難しい。でも、様々な作品に触れる上で必要な力だと思う。作品から何かを読み取る力。心を耕すなんて言い方は教育的過ぎるけど、心を耕して作品を読み取り、作品を読み取って心を耕す。面白いという気持ちをどんどん増やせていけたらと思う。面白いという感情は、エネルギーだから。

 本当に難しい…。入試だからもっとまとまった、ちゃんとした答えを書かなきゃいけないのに…これじゃ解けてないよ…。
by halca-kaukana057 | 2019-11-01 23:22 | 日常/考えたこと

好奇心のまま「面白い!」と思ったことに突っ込むブログ。興味の対象が無駄に広いのは仕様です。


by 遼 (はるか)
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