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明日は、いずこの空の下

 上橋菜穂子さんの作品も積読があるのですが、今日は新しく出たエッセイを。

明日は、いずこの空の下
上橋菜穂子 / 講談社、講談社文庫 / 2017

 作家であり、文化人類学者の上橋さん。フィールドワークや、作品の取材も兼ねて、世界のあちこちを旅する。そんな旅のルーツは高校生の頃。旅は母と一緒のことも多い。世界各地で体当たりの旅のエッセイ集です。

 「精霊の守り人」をはじめとする「守り人」シリーズ、「獣の奏者」シリーズなどでお馴染みの上橋さん。物語の舞台となる、リアリティのある異世界の設定にはいつも驚かされます。土地だけでなく、気候や民俗風習、言語、食べ物、政治、経済…その異世界全部。モデルの場所はあるのだろうかなどと思ったことも。作家であると同時に、文化人類学者として、オーストラリアのアボリジニの研究もされている。フィールドワークで現地へは何度も足を運んでいる。そんな上橋さんは旅上手なんだろうな…と思いきや、そうでもない。身体が弱く、体調を崩しやすい。方向音痴。語学も苦手。子どもの頃から世界のファンタジー文学を読みふけり、その世界に憧れても、家でぬくぬく寝て、本を読んでいる方がいい…。美味しいものがあれば尚更…。「ホビットの冒険」のビルボのように。何だか笑えてしまいます。上橋さんのお気持ちがよくわかる。私も家にいる方がいい。

 でも、作家になるためなら何でもやってやる。上橋さんの背中を押すのは、そんな気持ちと旺盛な好奇心。女子高生時代の、イギリス研修旅行がその原点。「グリーン・ノウの子どもたち」の作者、ルーシー・M・ボストンさんに会ったエピソードは、上橋さんの今に繋がる大きな力なったんだなぁと思います。

 多いのが、食べ物の話。とにかく食べ物が美味しそうな上橋作品ですが、普段から様々な文化の暮らしの中にある食べ物に注目しているからこそ、あんな美味しそうな料理が次々と出てくるのだなぁと。でも、上橋さんが読んできたファンタジー文学でも、食べ物、料理の表現を大事にしている作品もある。そんな作品のよいところを、しっかりと引き継いでいるのですね。上橋さんの作品も、このエッセイも、お腹が空いている時(しかもすぐにご飯にありつけない時)に読むのは危険かも知れません…。

 上橋さん以上にアクティヴなお母様との旅のエピソードも面白い。タフでどんどん飛び込んでいくお母様にすごいなぁと思っていました。私も、家でごろごろしている方が好きなのに、旅に出るとアクティヴになれる。旅に出ることで、また違う自分の一面を引き出している、違う自分に会えている気がする。

 上橋さんが旅先で思った様々なことが、上橋作品に投影されている。ファンタジー文学というものに、上橋さんは何を考えているのか。何を表現したいのか。上橋作品をますます面白く読めるエッセイだと思います。もちろん、いち作家の旅のエッセイとしても面白い。読んでいると旅に出たくなります。
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by halca-kaukana057 | 2018-04-06 22:08 | 本・読書

野尻抱影 星は周る

 この本は出た時から気になっていたが、すっかり忘れてしまっていた…。ようやく思い出して手に取りました。

野尻抱影 星は周る
野尻抱影 / 平凡社、STANDARD BOOKS / 2015

 「星の文人」「天文学者(てんぶんがくしゃ)」の野尻抱影の随筆選集です。野尻抱影の天文、星座、星のエッセイはいくつもでています。が、絶版だったり、なかなか手に入りにくかったり…。全集を出してほしい(例えば河出文庫の須賀敦子全集みたいに、手に取りやすい、手に入りやすいもの)と思っているのだが、この本のような選集もいい。装丁もきれいだし、野尻抱影と天文、星空のさまざまな接点が伺えるのがいい。

 これまで、野尻抱影のエッセイはいくつも読んできて、この選集でも出てきたものもあるし、読んだことがなかったものもあった。各エッセイの末尾には書かれた年とその時の年齢、底本一覧もある。持っていないものは全部読みたくなる。やっぱり全集がほしい…。

 この本を読んでいると、野尻抱影の「星の文人」としての偉大さを思い知る。神話、日本・世界各地でのその星座や星の呼び名、星座や星にまつわる民俗や慣習、文化、宗教、文学などなど。たくさんのことが、さらりと、かつ、慈しむように書かれている。知識をただ並べるだけでなく、実際に星空を見て、その印象とともに書いている。海外や、歴史での星の呼び名や文化に関しても、読んでいるとその場面を想像できる。人は星を見て、それを目印にしたり、吉凶を占ったりした。人間は星と共に暮らしてきた。それをじんわりと感じることの出来る、野尻抱影のエッセイが好きだ。
 「星は周る」にあるように、私も、星や星座を見て、季節の移り変わりを感じる。冬の星座が見えてきたことに、冬の訪れを感じたり、冬でも、春の星座が見えてくると春が近づいていることを感じたり。星はさまざまなことを教えてくれる。

 星、星座の話だけでなく、野尻抱影の愛用の望遠鏡「ロング・トム」のことや、プラネタリウムのことも書かれている。また、野尻抱影は登山も好きだった。登山に関するエッセイも収録されており、また抱影の一面を発見した。

 人間と共にある星や星空について書いたが、いい話だけではない。「星無情」では、極限のかなしみや苦しみの中で見る星について書かれている。地上、人間界で何が起こっても、星はいつも変わらずそこにある。ということを、どう感じるか、捉えるか。無情で冷徹とも感じられるし、希望にも感じられる。このエッセイを読んで思ったのが、東日本大震災の夜、停電した夜に見えた星空の話だ。いつもは明るい街灯やネオンで見えない星が見え、寒さ、恐怖や不安を抱えながらも、「星が見えるよ」とネットに書き込んだ人が少なからずいたという話。その話を、野尻抱影に教えたら、何と書くだろう。

 星は、人と人を結びつける。野尻抱影が星好きになったきっかけ(「星は周る」)も書かれている。さまざまな星好きな人たちのエピソードも語られる。抱影が教師をしていた頃、教えていた生徒との星の話、「初対面」では、星がきっかけで意外な人と知り合えたことも書かれている。まさに「君たちの賜もの」だ。

 星がますます好きになる、星を見たくなる本です。

【過去関連記事】
冥王星雑感 ~そう言えば野尻抱影…
天文・星座関連オススメ書まとめ

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by halca-kaukana057 | 2018-02-03 22:32 | 本・読書

イギリスだより カレル・チャペック旅行記コレクション

 前回、カレル・チャペックのデンマーク、スウェーデン、ノルウェー旅行記「北欧の旅」を読んだのが2014年。思ったより前だった。この本を読んでいたのは去年ではあるのだが。チャペックの旅行記、今度はイギリスです。



ギリスだより カレル・チャペック旅行記コレクション
カレル・チャペック:著、飯島周:訳 / 筑摩書房 ちくま文庫 / 2007

1924年5月から7月まで、イギリスを旅行したチャペックは、イギリスに魅了される。大都市ロンドンに圧倒され、公園の緑の美しさに惹かれる。博覧会や博物館を観て、"大英帝国"のことを考える。スコットランドではイングランドとは違う風景や文化に触れ、さらに北ウェールズ、アイルランドへ。「北欧の旅」と同じように、チャペック自身によるイラストも満載です。

 冒頭の「あいさつ」に興味深い文章があったので引用します。
 人は、それぞれの民族について、さまざまなことを考える。それらは、その民族が型にはめてみずからに与え、こうだと思い込んでいるようなものとは限らない。それでも、もはや強い習慣とさえなっているが、人は国や民族を、その政治、体制、政府、世論、またはそれについて一般に言われるものと、なんとなく同一視する。
 しかし、なにかちがうものを、その民族はある程度はっきりと示す。それは決して人が自分で考え出したり意図したりできないものだ。自分自身の見たもの、まったく偶然で日常的なものの思い出が、おのずから心の中に浮かんでくるものだ。
 なぜ、まさにその、ほかならぬ小さな経験がこんなにも強く記憶に残っているのかは、神のみぞ知る。ただ、たとえばイギリスのことを思い出すだけでも十分である。その瞬間に目に見えるのは――
 今ここで、あなたの目に何が見えるか、いったい何を想像されるかどうか、それはわたしにはわからない。わたしが思い浮かべるのは、ただ、ケントにある一軒の赤い小さな家である。なんの変哲もない家だった。(7~8ページ)
 どこかへ旅行に行く時、大体はガイドブックなどで現地の情報を得てから行く。何が有名か、どんな観光名所があるのか、どんな街か。行きたいところがあれば、交通機関を調べて行く。そんな風に事前に情報を得てから行っても、実際にその地に足を踏み入れて、歩いて旅をして、何が一番印象に残ったか…それは人それぞれだ。事前に調べて行った通りの印象を持つかもしれないし、このチャペックのように全く予想もしなかったものに惹かれることもある。どんな観光名所よりも、何の変哲もない一軒の家が、イギリスらしさを表現していた。素敵だなと思った。自分だけの、そういう景色、思い出を見つけたい。

 この本を読んで、私は異文化に身をおきたいと強く思うようになった。海外旅行の経験はないし、いつ行けるかもわからない。普通の国内旅行でもそんなに機会はない。実際に行かなくても、このように本を読んだり、テレビやネットで異文化に触れることは出来る。NHK「世界ふれあい街歩き」などの紀行番組は大好きだ。観る度に、更に、余計、実際に異文化に触れたいと思ってしまう。
 クラシック音楽を聴くのも異文化に触れることだ。でも、日本で聴くのと、現地で聴くのとは全然違うだろう。来日公演は、やはり「よそ行き」なのだろうから。

 チャペックがイギリスを訪れたのは1924年。その頃でも、ロンドンは大都市で、チェコからやって来たチャペックを大いに驚かせた。交通、街地、博物館。博物館では、大英帝国が支配した地域・国のものが飾られている。が、彼ら支配された人々が、ヨーロッパのためではなく、自分自身たちのために何をしているのかは展示されない。「最大の植民帝国が、ほんとうの民族学博物館を持たないとは……」(89ページ)これには鋭いと思った。

 厳しいことを書いているところもあるが、チャペックはイギリス、イギリス人を愛している。イギリスの皮肉なジョークのように、愛情は裏返しだ。チャペックがよく書いているのは、イギリス人の無口さ。ロンドンの閉鎖的な高級クラブでは、誰一人何も話さない。「シャーロック・ホームズ」に出てくる「ディオゲネス・クラブ」は本当に存在するんじゃないかと思った。その他の場所でも、イギリス人は無口で、自らのことを話そうとしない。話すのは当たり障りのないお天気のこと。イギリスで色んなゲームがあるのは、ゲームをしていれば話さなくていいから…。無口だが親切でもある。チェコ人はおしゃべりな方ではないと思うが、イギリスのこんなところは、同じく話すのが苦手な日本人の私にとって興味深い。フィンランド人も内向的で無口(「マッティは今日も憂鬱(Finnish Nightmares)」シリーズより)だが、それとはまた違う気がする。

 また、ロンドンを離れ、地方の田舎の風景にも惹かれる。スコットランドのヒースの荒野。湖水地方の牧場の牛、羊、馬たち。チャペックの賛辞がかわいらしい。イラストにも、イギリスへの愛情が込められていると思う。

 「シャーロック・ホームズ」好きとして、ホームズ関連のことが書いてあるのは興味深い。が、ロンドンのベイカー・ストリートにはホームズの面影もなかったそうだ。「バスカヴィル家の犬」の舞台となるダートモアも登場する。ダートモアは、惹かれる場所だ。

 最後に、チャペックがイギリスのことを一番褒めていると思われる箇所を引用します。
 イギリスでいちばん美しいのは、しかし、樹木、家畜の群れ、そして人びとである。それから、船もそうだ。古いイギリスは、あのばら色の肌をしたイギリスの老紳士たちで、この人たちは春から灰色のシルクハットをかぶり、夏にはゴルフ場で小さな球を追い、とても生き生きとして感じがよいので、私が八歳だったら、いっしょに遊びたいぐらいである。そして老婦人たちは、いつでも手に編み物を持ち、ばら色で美しく、そして親切で、熱いお湯を飲み、自分の病気のことはなにも話さないでいる。
 要するに、もっとも美しい子供と、もっとも生き生きした老人たちを作り出すことができた国は、涙の谷である現世の中で、もっともよいものを確かに持っているのだ。(195~197ページ)

 旅の間、所々でチャペックはチェコのことを思い出す。チェコと比べてみる。どちらがいいとは書いていない。チェコはこうで、イギリスはこう。自分の国を再発見するためにも、やはり異文化に触れたい。

・北欧編:北欧の旅 カレル・チャペック旅行記コレクション
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by halca-kaukana057 | 2018-01-10 22:26 | 本・読書

地図のない道

 本は読んでいるのですが、感想を書かないまま、どんどん溜まってしまった。どんな本だったか、どこに惹かれたのか、それを再確認するためにも、感想を書くのは必要かなと思う。少しずつ読んでいる須賀敦子さんのエッセイを。



地図のない道
須賀敦子 / 新潮社、新潮文庫 / 2002年 (単行本は1999年)



 イタリアの友人から、ある本を贈られた。その著者の作品が好きで読んでいたので送ってくれたらしい。その本は、ローマのゲットからユダヤ人がナチスに連行された事件について書かれた本だった。須賀さんは、かねてからローマやヴェネツィアにあるゲットに興味を持っていた。かつてローマのゲットの地区を訪れ、そのレストランで食事をしたこと。ヴェネツィアのゲットへ行ったこと。ユダヤ人の血を引く友人のことも思い出す。


 須賀さんの本を読んでいると、いつも、知らないこと、普通の旅行ガイドブックや他の旅行記では知ることのできないことを知って驚く。明るい面よりも暗い面、目立たない面。そんな世界を見せてくれる。そんな世界も存在し、そこに人々が生き、暮らし続けているということを。
 ユダヤ人とヨーロッパ。ヨーロッパの歴史を語る上で、避けては通れない、今も続いている歴史だ。元日の「ウィーン・フィル・ニューイヤー・コンサート」の前に特集番組があったが、そこでもユダヤ人とナチスのユダヤ人迫害について語られていた。ナチスが支配していた時代、ウィーン・フィルもナチスの支配下にあった。ユダヤ人や、ユダヤ人の家族を持つ楽団員を追放し、ユダヤ人は殺され、ユダヤ人の家族を持つ楽団員は亡命した。戦後、ウィーン・フィルに戻りたくても拒否された。今は華やかに新年を祝うニューイヤー・コンサートだが、暗い歴史も持っている。
 ゲットは15、16世紀、つくられ、高い塀で囲まれた地区にユダヤ人が閉じ込められることになったが、それ以前、紀元前からもユダヤ人はある地区に固まって暮らすようになったのだという。
 ヴェネツィアのゲットの博物館、島と橋。ヴェネツィアにあるゲットやユダヤ人に関する場所を辿る。そんな旅の間に語られるのが、須賀さんが出会ったユダヤの血を引く人たちだった。戦時中は辛い目に遭ったが、戦後は彼らはそれぞれ、暮らしていた。ユダヤ人でも、キリスト教徒だったという人々も少なくない。彼らの案内で教会へ行ったり、子どもが生まれて、洗礼や命名に立ち会ったり。彼らは彼らなりに、イタリアのキリスト教文化に適応して暮らしていた。そういう歴史の表舞台に出てこない人々の暮らしは、実に清々しい。

 「ザッテレの河岸で」では、もうひとつのヴェネツィアの隠れた歴史が語られる。「Rio degli incurabili」(リオ・デリ・インクラビリ)…治療のあてのない人々のちいさな水路、という意味だ。それを見つけた須賀さんは気になり、その由来を調べ始める。
 ヨーロッパの国々での、「病院」についての考え方も始めて知った。考えてみれば、確かにそういえばそうだと思う。裕福な人々は、病気になると自宅で治療を受ける。貧しい人々は病院に送られる。入院する=病院に連れて行かれる、という強いネガティヴなイメージを持っている。
 ある日、須賀さんは「コルティジャーネ」についての展覧会を観る。「コルティジャーネ」は高い教養を持ち、歌や楽器にも長けている娼婦のことを言う。貧しい階級の出身というわけではなく、経済的にも余裕のある階級の出身の者が多く、一般的な娼婦とは違うイメージだ。この後、ヴェネツィアを訪れた須賀さんは、コルティジャーネと「incurabili」の関係を知る。彼女たちがどう生きたのか。華やかで豊かな生活は、危険と隣り合わせだった。そして行き着く先。高い教養を持ち、文化面でも豊かな女性たちの最期を思うと心が苦しくなる。それでも、彼女たちは自分に誇りを持って生きていたのだろうか。

 須賀さんの本には、どんな環境、境遇でも懸命に、清々しく生きている人たちが登場し、感銘を受ける。たとえ貧しい暮らしでも、苦難に満ちた人生でも。イタリア各地の街も、様々な面を見せる。それが、世界なのだと教えてくれる。美しく、敬虔な世界だ。

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by halca-kaukana057 | 2018-01-06 22:29 | 本・読書

音楽の旅・絵の旅

 涼しくなってきたので、読書にも集中できるようになってきました。読むのにかなりの時間がかかった本です。


音楽の旅・絵の旅 吉田秀和コレクション
吉田秀和/筑摩書房・ちくま文庫/2010

 音楽評論家の吉田秀和さんが、1976年にバイロイト音楽祭を聴きにドイツをはじめヨーロッパ各地を旅行した日記と、「音楽の光と翳」という短いエッセイ集の2部に分かれている本です。

 前半のバイロイト音楽祭。ワーグナー「ニーベルングの指輪」四部作の完全上演100年にあたる1976年。演出はシェロー、指揮はブーレーズ。このバイロイトでの演奏会の記録・日記は、私にとっては読むのは大変なことでした。ワーグナーのオペラ(楽劇)はあまり馴染みがない。序曲やアリアの抜粋ならいくつかは聴いているけれども、オペラを通して聴いたことはなく(長い、物語が難しそう、壮大過ぎる、という先入観で…すみませんワーグナーファンの皆様…)、バイロイト音楽祭も馴染みがない。NHKFMで年末に放送されていますが、聴いたことがない。
 それでも、吉田さんがどれだけワーグナーのオペラに惹かれていて、魅力的な部分をスコアつきで語るのは、半分よくわからないけど、ひきつけられるものがありました。吉田さんはプロの音楽評論家。スコア(ワーグナーのオペラはポケットスコアでも分厚いのでピアノ版のスコア)を確認しながら聴いている。音楽理論・楽典の裏づけから、あるシーンの曲の魅力を語っているのを読んでいると凄いな、と思う。そんな吉田さんですら、こんなことを書いているので驚いた。
だが、そうしてみると、今度は私の和声学の知識が不十分であり、穴があることに気づく。若い時、もっと勉強しておくのだった。だが、そういってもいられない。手もとにある武器や弾薬が不足とわかっていても、私はまだまだ、前進したい。たとえ一歩でも半歩でも。
 こう書いたら、いつか新聞でよんだ貴ノ花の言葉というのを思い出した。「もっと立合いを鋭くして、一歩踏みこまなければいけない」という解説者の註文をきいた時、この軽量の大関は「そんなことをいっても、相撲では一歩はおろか、半歩前に進むんだって、本当に大変なんだ。相手だって前に出てくるんだから」といったというのである。私の相手は音楽。それがだんだんやさしくなるどころか、これまでそう思わなかったことまで、むずかしくなるのだ。
(109ページより)

 今、私はバイロイト音楽祭ではなく、ロンドンの夏の風物詩、プロムスの各公演を手当たり次第ネットのオンデマンドで聴いている。様々な作品がある。現代作品も多い。初めて聴く作品も、今まで全く知らなかった作品、苦手だと思っている作品もある。好きな作品もあるが、指揮者やオーケストラも様々。聴いていてそれまで気がつかなかったことに気づいたり、疑問も出てきたり、余計わからなくなることもある。プロムスに限らず、普段聴く音楽でもそうだ。なので、吉田さんの仰っていることがよくわかるとも思う。それでも、音楽にもっと近づきたい。プロムスを聴き、この本を読んで、もっと音楽を楽しく聴くにはどうしたらいいのだろう?と思うようになった。知識や聴く作品を増やせばいいのだろうか。それもひとつのやり方だ。でもそれだけじゃ足りない、全てではない気がする。私の音楽の旅も、まだまだこれからだ。

 バイロイト音楽祭だけではなく、カラヤン指揮ベルリンフィルの演奏会や、黛敏郎のオペラ「金閣寺」、ポリーニのシューマン、若き日のサー・エリオット・ガーディナーの合唱つき作品の演奏会も出てくる。現代作品も出てくる。現代作品に対しての視点が興味深い。音楽だけではない。タイトルの「絵の旅」とあるとおり、美術館で絵画作品を分析しながら鑑賞している。その分析方法が本格的で、吉田秀和さんは絵画にも造詣が深かったのか!と驚かされた。音楽は総合芸術。他の分野とも繋がりが深い。美術にも通じるものがあるのだろう。

 旅はイギリス経由で、ロンドンでも美術館などをめぐる。そこでこう書かれている。
いかにイギリスという国が、イギリス人のものであると同時に、世界中の人たちの前に開放されたものであるかということが、もう一度、頭に浮かぶ。この美術館だって、いつかかよった大英博物館だって、世界中の人に無料で解放されているのだ。どんなに貧乏しようと、金をとろうとしない。それもイギリス人に対してだけでなく、世界中のどんな人に対しても同じなのだ。こういうのを見ていると、将来、もしイギリスの没落という事態が起こったとすれば、それはイギリス人にとってというだけでなく、世界中にとっての損失を意味するだろうという気がしてくる。
(197ページ)

 ここを読んで、イギリスのEU離脱への顛末を思い浮かべずにいられなかった。EUから離脱したからといって、大英博物館などが有料になるわけではないだろうが、イギリスという国の大きさを思い知る。やはり世界の「大英帝国」なんだなぁ、と。吉田さんが想像した没落、損失がないことを祈るばかりである。

 後半のエッセイ集、「音楽の光と翳」は短く、吉田さんの身近なところにある音楽から思ったことが書かれていて、読みやすかった。前半が難しいなと思ったら後半から入るのも手かも知れない。どちらにしても、吉田さんの優しく、音楽への愛情の深い文章は素敵だ。私の知らない音楽の世界を、この本で垣間見れた。音楽の世界は広いなぁ。
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by halca-kaukana057 | 2016-09-02 23:32 | 本・読書

トリエステの坂道

 積読消化中。久々に須賀敦子さんの本を。


トリエステの坂道
須賀敦子/新潮社・新潮文庫/1995

 イタリアの北東、アドリア海に面した国境の町・トリエステ。著者は詩人・ウンベルト・サバの暮らした街を歩く。中世以来オーストリア領となり、ドイツ語文化圏に属している。が、使われている言語はイタリア語の方言。第一次大戦後、1919年にイタリアの領土になった。ウィーンなどの北の国々と、イタリアと…トリエステの人々は複雑な二重性を持ち、イタリアにありながら異国を生き続けていた。そんな街は、イタリア人の夫・ペッピーノやその兄弟、家族、親戚、ミラノの人々を思い出させた。


 須賀さんが語るイタリアは、私が以前まで抱いていたような、地中海の明るい、陽気な、賑やかな地だけではないことを、著作を読む度に実感する。この「トリエステの坂道」は特にそうだ。

 トリエステは、二重性を持った町。イタリアとスロベニアの国境にあり、かつてはオーストリア領。でも、トリエステの人々はイタリアに属することを望み、言語もトリエステの方言。その後解放運動を経て、イタリアの領土になったが、それまでのオーストリアの文化は街から消えなかった。「一枚岩的な文化」ではない街。それは須賀さんにとってはトリエステだけではなかった。かつて、亡き夫のペッピーノと暮らしたミラノの街もまた、「一枚岩な文化」ではない人々が暮らしていた。ミラノも分かれている街だった。イタリア人ではない人。鉄道員住宅の人々。夫の兄弟や母親、彼らの家族、親戚たち。貧困、病気…様々な生き方の、境遇の人々がいた。

 世の中、世界、世間は「一枚岩な文化」ではない。ひとつの国、ひとつの街・地域でもそうだし、ひとつの家族でもそう感じる。家族でも、生き方が全然異なることがある。ペッピーノの兄弟もそうだった。弟のアルドは、ペッピーノとは違う性格だった。そのひとり息子のカルロも。この「トリエステの坂道」には、アルド一家について書かれているところがいくつかある。アルドの妻シルヴァーナは国境の「山の村」出身。ここにもまた「一枚岩の文化」ではない、二重性がある。アルドがシルヴァーナと結婚し、カルロが生まれ、カルロの成長が語られ…それは一筋縄でうまくいくものではなかった。ある家族におちる陰影。この深い陰影を、須賀さんの冷静かつあたたかな文章で読んでいると、生きるということの深さを思い知る。

 「ふるえる手」では、カラヴァッジョの絵「マッテオの召出し」についても語られる。影で絵を描いたカラヴァッジョ。この「トリエステの坂道」も、影で描かれているように感じる。
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by halca-kaukana057 | 2016-07-12 22:51 | 本・読書

大人になるっておもしろい?

 図書館の本棚を何気なく見ていると、時々ふと気になる本に出会います。この本は以前感想を読んで、それが頭の片隅にあった本。気になったので読んでみました。


大人になるっておもしろい?
清水真砂子/岩波ジュニア新書・岩波書店/2015

 10代の若い人たちに向けた「どう生きるか」を問う本です。でも、大人が読んでも面白い。寧ろ、大人が読むと忘れていたことや、かつて思ったことがあったけど心の奥底に押し込めていたことを思い出して、ドキリとするところが少なからずあると思いました。10代に限らない、10代特有のものでもないと思います。

 「「かわいい」を疑ってみない?」、「怒れ!怒れ!怒れ!」、「ひとりでいるっていけないこと?」など、10代でぶつかるであろう様々な心の動きを、時には挑発的にぶった切るように、時には古今東西の児童文学や様々なジャンルの本からヒントを引用してわかりやすく語ったり、意外な問題提起をしてみたり…読んでいて飽きません。著者の清水さんは「ゲド戦記」シリーズ他、児童文学を中心に翻訳をされてきた方。また、短大・大学で教鞭もとってらっしゃいます。20代の大学生との授業でのやり取りや、学生達とのふとした会話も取り上げているので、大人が読んでも面白いものになっているのだと思います。

 私は10代、20代のはじめの頃は、そんなに社会や大人に疑問を抱いたり、反抗したりすることはありませんでした。大人の社会に接する機会がほとんど無かったためだと思います。寧ろ、同年代や先輩・後輩と自分自身を比べて、自分の弱さ、不器用さ、頭の悪さ、リーダーシップや行動力のなさなどに落ち込むことが多かった。大学を卒業し社会人となり、この本で語られるような大人や社会に対する疑問や反論が出てきた。今も、あらゆる場面で、自分自身はどう生きるのか、この社会でどう生きるのか…疑問ややるせなさ、憤りを抱き、それらのやり場がなく心の中に溜め込んで苦しんでいることがよくあります。

 そんな私が苦しんでいたことに、この本がそっと、時にはガツンと答えてくれました。時には、反論したくなる箇所もあります。それも若者の新しい文化なんだ、など。「生意気」に。それも、この本に対してだったらいいのかな、と思います。この本はそんな感情を許してくれる気がします。

 どの章も印象深くて、書こうと思うと全部書くことになってしまうのでやめておきます。特に、「怒れ!怒れ!怒れ!」、「明るすぎる渋谷の街で考えたこと」、「心の明け渡しをしていませんか?」、「世界は広く、そして人はなんてゆたかなのだろう」、「動かないでいるって、そんなにダメなこと?」の章は心に強く残りました。「心の明け渡しをしていませんか?」では、何でも話さなくてもいいんだ、と安心しました。最近悩んでいたことにつながりました。「世界は広く~」で、何もかも嫌になり「どうせ」と思った時どうするかの答えはガン!ときました。私ならふて寝してしまうのですが、清水さんの考え方とエネルギーには感服しました。私の考え方・行動のパターンから、真似するのはちょっと難しいかもしれませんが、頭の中に入れておいて思い出すことはしたいです。自分の弱さや傲慢さを自覚するために。

 取り上げた本や映画のまとめもあって、読んでみたい、観てみたい作品も増えました。
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by halca-kaukana057 | 2016-07-03 23:06 | 本・読書

耳の渚

 読むクラシック音楽もいいものです。クラシック音楽エッセイを読みました。

耳の渚
池辺晋一郎/中央公論新社/2015

 かつての「N響アワー」、クラシック音楽ダジャレでお馴染みの作曲家・池辺晋一郎先生によるエッセイです。読売新聞夕刊に月一で掲載していたものをまとめた本です。2000年に始めて、2015年の分まで収録。15年。15年でクラシック音楽界も随分と変わりました。その変化も思い出しながら読みました。

 聴いた音楽のこと、知り合った音楽家とのこと、作曲・作曲作品の演奏会でのこと、日本国内や海外のクラシック音楽事情、観た舞台や映画のこと…話題は多岐にわたります。でも、どれも音楽と繋がっている。音楽は様々なもの、この世にあるあらゆるものと繋がっている。それを実感します。

 また、音楽の懐の広さも実感します。朝比奈隆先生が「楽譜に忠実に」指揮することを信条としておられたのに、実際の演奏では楽譜と違う演奏をしていたことに関して、楽譜というものがどんなものか、そして音楽は生もの(なまもの・いきもの)なんだなと思う。「楽譜は絶対の答えではない」。浜松国際ピアノコンクールを聴いた話でも、そんな楽譜をどれだけ読み込んで演奏に反映できるか。
楽譜という不完全なものを超えて、そこに自分の音楽を確立させ、説得力ある主張を貫徹させる(233ページ)

クラシック音楽というと、何かと堅苦しいイメージがあるが、このあたりを読むと、やわらかく懐の広く深いものなのだなと思う。「音楽の父」と呼ばれるJ.S.バッハも、"神格化"されて迷惑だったのではないか、とも。オペラも大きなものだけでなく、小さな「人民のオペラ=フォルクスオパー」をやりたい、と。池辺先生の代名詞「N響アワー」についても語られていて、クラシック音楽はこうあるべき、コンサートには音楽だけがあるべき、という概念を捨て、アットホームな雰囲気を目指した。
棚の上に鎮座している「音楽」をこたつに持ち込んでしまえ。(173ページ)
現役の作曲家の先生がおっしゃるのだから心強い。

 海外のクラシック音楽事情では、ベネズエラのエル・システマとグスターボ・ドゥダメル、フィンランドの指揮者・作曲家、シベリウス音楽院やフィンランドのオーケストラの取り組みも紹介されている。フィンランドクラシック好きとして嬉しい(シベリウスがフィンランドから年金を貰って、晩年作曲をしなかった…と書かれていたのは残念。自己批判が強くなり過ぎて書けなくなってしまった)。そのフィンランドで演奏会を聴きに行った時のエピソードも興味深い。客席には様々な人がいるが、皆聴くことに集中している。「集中の相乗」「芸術の享受」「同じ時、同じ場所に居る者の連帯」(151ページ)…フィンランドの聴衆の音楽の受け止め方が、フィンランドのクラシック界の盛況に繋がっているのかもしれない。

 池辺先生の作曲の話も面白い。同時進行で作品を仕上げるのがいいのかどうなのか。エジプトのオーケストラのために作曲した話。オペラ「鹿鳴館」の作曲。「鹿鳴館」は作曲者の手を離れ、意図を超えて成長しているというのも面白い。作曲家ならではの視点。大河ドラマでも音楽を手がけていた池辺先生。ドラマの音楽の話、そして「音楽にも注目して欲しい」と。大河ドラマの音楽は私もとても重要だと思っています。また池辺先生が音楽担当にならないだろうか。なって欲しい。

 音楽を様々な方向から楽しめるエッセイです。最後に、エッセイではダジャレはあまり出さないのかな…(寂しい)。
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by halca-kaukana057 | 2016-03-25 22:23 | 本・読書

フィンランド 白夜の国に光の夢

 図書館で見つけて、面白そうだと借りてきた本。タイトルだけで気になりました。


フィンランド 白夜の国に光の夢 (世界・わが心の旅)
石井幹子/日本放送出版協会/1996

 NHKBS2で放送された「世界・わが心の旅」シリーズのフィンランド編の書籍化です。番組は見たことはありません。照明デザイナーの石井幹子さんが大学卒業後の1965年、北欧デザインを紹介した本を読んだことがきっかけで、フィンランドで働きながら留学したいと考える。特に気になった女性デザイナー・リーサ・ヨハンソン・パッペさんの下で照明デザインの勉強をしたいとフィンランドへ。ヘルシンキにある、ストックスマン・オルノ社で働きながら、フィンランドの自然や人々、そして光に対するフィンランド人の感性に触れ暮らす毎日。


 本を読んで、これは番組を観たかったなぁ。本にも写真はいくつが掲載されているのですが、季節や時間で変化する光とヘルシンキの町並み、石井さんがどのようにデザインの仕事を手がけていったのか、作られた照明器具などは映像で観たかった。書籍では、石井さんがフィンランドに仕事をしながら留学した時のこと、フィンランド人の光に対する捉え方や暮らし、番組で30年ぶりにフィンランドを訪れたエッセイになっています。

 北欧デザインというと、フィンランドだとマリメッコのようなカラフルなテキスタイル、アルテックのような木のぬくもりを感じられるシンプルな椅子、イッタラやアラビアのような生活に溶け込む食器を思い浮かべますが、照明も忘れてはいけません。石井さんがフィンランドに留学した後の作品ですが、ハッリ・コスキネンの「ブロックランプ」…氷のようなガラスに電球を閉じ込めたようなライトなど、やわらかくあたたかい光を演出するデザインの照明機器が多いです。シンプルで、木やすりガラスを使っているあたりは日本と似ているような感じもします。そんな照明デザインがどのように生まれたのか。フィンランドの人々の暮らし、フィンランドの気候にヒントがありました。

 春分を過ぎ、昼の時間が長くなってきましたが、夜の時間が長く、さらに雪雲で日照時間も少ない冬場は暗く、冬季うつ病になりやすい…わかります。雪明りでまだ明るいとも思えますが、吹雪の日は本当に暗い。さらに寒い。これだけでもう気分は落ち込み、憂鬱になります。北日本でもこの有様なので、フィンランド・北欧諸国ではもっと厳しいのだろうなと思います。冬をなるべく明るく暖かく過ごそうと、照明やキャンドルで光を演出し、大事にするフィンランドの人々。一方、夏になり、白夜の季節でも、その明るさの中で思う存分楽しむ。自然の中の光と闇の狭間で、フィンランドの人々の光への感性が磨かれていくのだなと感じました。

 その照明も、ただ明るくすればいいというものではない。日本のような蛍光灯の白い明るさの強い照明で部屋を均一に明るく、というのはない。間接照明でやわらかく、本を読む時など明るい照明が必要な時はライトでそこだけを明るくする。闇を全否定しない。暗い冬の長い夜、光で闇を一切なくすのではなく、共存している感じがある。グラデーションを大事にしている。

 フィンランドの人々との出会いや彼らの暮らしにも書かれています。サウナや、家で食事に頻繁に友人たちを招く。現在と同じように、1960年代から既にフィンランドは女性の社会進出が盛んな国だった。また、スウェーデン語系フィンランド人についても触れています。あと、旧ソ連との関係も。1960年代、冷戦真っ只中です。

 30年後に石井さんがフィンランドを訪れて向かったのは、フィンランディアホール。アルヴァ・アアルト設計のヘルシンキの名所です。かつてはフィンランド放送響、ヘルシンキフィルの拠点となっていましたが、音響が悪いとずっと言われてきました…。そこで現在は、サントリーホールの音響も手がけた永田音響設計による、ヘルシンキ・ミュージック・センターが出来、2つのオーケストラの拠点であり、シベリウス音楽院でも利用し、ヘルシンキの演奏会・音楽界の拠点になっています。とはいえ、やはりアアルト設計のあの白い内壁のデザインは美しいなと思います。照明の関係で譜面台にひとつずつライトが付いているのも、演奏する側からはどうかわからないのですが素敵。まさに光と暗さを共存させている。この2つのホールの証明の使い方を見ると、とても対照的だなと感じます。

 石井さんは旅の締めくくりにロヴァニエミ、ラップランドへ。オーロラを見て、「光のシンフォニー」と。フィンランドはやわらかな光と共に暮らしている。そんなフィンランドに、またさらに惹かれました。
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by halca-kaukana057 | 2016-03-23 22:27 | 本・読書

目に見えないもの

 ノーベル賞受賞式あたりにこの記事を書きたかったのだが、大幅に遅れてしまった。


目に見えないもの
湯川秀樹/講談社・講談社学術文庫/1976

 今年のノーベル物理学賞を受賞された梶田隆章先生。ニュートリノ振動、ニュートリノに質量がある、という研究。素粒子物理学は日本のお家芸とも言われる分野。それを切り拓き、日本人初のノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹博士。湯川博士の本を読むのは「旅人 ある物理学者の回想」以来です。

 前半は、湯川博士の物理学講座のような、物質とは何か、原子、分子、そして中間子とは何かという話。今読むと、ここから更に素粒子物理学に繋がっていって…と思えるのですが、書かれたのは昭和18年、20年…まだ戦時中。そんな時代に、湯川博士は「目に見えない」物質の根源の理論を考え、研究していた。もし、現代の理論物理学、素粒子物理学の最先端の話を湯川博士が聞いたら、どんな反応をするだろう…。今回の梶田先生のノーベル物理学賞の受賞に何を思うだろう。喜ぶだろうか。そんなことを思いながら読みました。

 後半は、湯川博士の生い立ちや、科学や自然などに関するエッセイ。エッセイというより、「随筆」「随想」と言った方がぴったりくる。二人の父、研究生活。中間子理論の研究については、日本の素粒子物理学黎明期をリードした坂田昌一博士の名前も出てくる。2008年にノーベル物理学賞を受賞した小林誠先生、益川敏英先生も坂田博士の弟子であることを真っ先に思い出した。湯川博士や坂田博士がいたからこそ、今の素粒子物理学があるのだな、と実感する。

 以前「旅人~」を読んだ時、静かで物寂しいと感じ、そう書いた。第3部の随筆・随想の部分は、詩人のような趣もある。ひとつの事柄に対して、静かに、深く、考えをめぐらせる。静謐な言葉に、湯川博士だけでなく、寺田寅彦や中谷宇吉郎など優れた科学者は文章も美しいと感じる。特に、「未来」と「日食」という短い文章が気に入った。感情という科学では捉えきれないもの、記憶、そして未来という不確かなものを、じっと見つめている。その中で、「科学」は何ができるか。可能性であり、希望である、と。科学に対して、研究することに対して、そして人間に対してとても真摯な方だったのだなと思う。

 時々、今の科学の礎を築いてきた科学者たちの言葉に触れたくなる。そんな本のひとつに、この「目に見えないもの」も入れたい。

・過去関連記事:旅人 ある物理学者の回想
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by halca-kaukana057 | 2015-12-27 22:16 | 本・読書


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