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考えの整頓

 昨日の記事で、雑誌「暮しの手帖」のことを少し書きましたが、その「暮しの手帖」で連載されている佐藤雅彦さんのエッセイが単行本になりました。いつも楽しみに読んでいます。


考えの整頓
佐藤雅彦/暮しの手帖社/2011

 佐藤さんといえば、NHK教育(Eテレ)「ピタゴラスイッチ」や「0655」「2355」を真っ先に思い浮かべます。「ピタゴラスイッチ」は、放送開始当時から観ていて、最初観た時は「なんだこりゃぁ!!?」と衝撃を受けました。こんな子ども向け番組、観たことない!何が衝撃だったって、世の中を様々な視点から観てみよう、観察してみようという姿勢。その姿勢に、ペンギンのピタとゴラ、頼れる百科おじさん、気の効くスーやちょっと不思議な存在のジョンといった可愛いキャラクターたちや、「アルゴリズムたいそう」「アルゴリズムこうしん」「10本アニメ」などの不思議でシュール、でも一緒にやってみたくなる楽しさ、「ああ、そうか!」といったひらめきや気づきが加えられている。「0655」「2355」も、たった5分の番組なのに、また様々な気づきやひらめきがあって楽しくなる。

 この本は、「ピタゴラ」などの映像作品とは雰囲気が違う。「暮しの手帖」の雰囲気(あの雰囲気が大好きなのです)に合うように、物静かに、ゆったりと、佐藤さんの身の回りのこと、日常の出来事と、それらについて考えたことを語っている。でも、中身は、「ピタゴラ」の佐藤さんだ、と思う。佐藤さんが出会った様々なもの…些細なことから大きなことまで、ちょっと違う角度から見つめ、考えている。

 あとがきで、「暮しの手帖」編集長の松浦弥太郎さんが、こう書いています。
「この文章には、ものごとの輪郭を辿っている面白さがあります。
突然ものごとの核心に行くのではなく、
その輪郭を歩きながら、
考えていることを文章にしているように感じます」
(281ページより)

 そして、佐藤さんご自身も、不明なものの周りを何度もぐるぐるしながら、その中心に何があるのか近づこうとした、その過程そのものが面白い、と書いています。

 このあとがきを読んで、「ああ、わかる!!」と感じました。私も先に結論を出すよりも、何かよくわからないことや、おぼろげなイメージがあると、その周りをぐるぐると回って、徐々に中心へ近づいてゆく。その近づくために考えている過程が面白いなと思っています。そして結論に達すると、山などの高いところに登って、広い周囲を見渡すような気持ちになる。そういえば、「ピタゴラ」でも、結論を先に言わない。ピタとゴラが、何か不思議なことに出くわして、何故だろう?と考える。そこで、百科おじさんが2人の考えを汲み取りながら、こうなんだよ、と教え、テレビのジョンが出てきて詳しく解説する。「ピタゴラスイッチ」を面白いと思っている理由は、これだったのか!

 この本を読んでいて思うのは、人間は何と興味深い思考をする生き物なのだろう、ということ。本来ならブツ切れのものを、連続しているとみなしたり、断片からひとつの物語を想像(創造)したり。もっと詳しく切り込むには脳科学や心理学に関係していくことなのだろうけど、思考するって、面白いな、と思います。

 印象に残っているのが、「この深さの付き合い」。愛用の、思い入れも深い万年筆から始まるエッセイなのだが、私も様々なものや人と”深さ”を持って接している・付き合っているのだなと思うと、愛おしく思う。また、「その時」では、大震災の日のことを、これまで私が観た・読んだメディアとは全く違う目線・考え方で語っている。佐藤さんだからこそ、感じた、考えたことだろうし、書けたことだろうと思う。この視点も、あっていい。

 今も「考えの整頓」の連載は続いています。単行本第2弾も是非出して欲しいな。

 「ピタゴラ」についてもかなり書いたので、「ピタゴラスイッチ」タグも付けておく。
by halca-kaukana057 | 2012-02-17 23:23 | 本・読書

私の小さなたからもの

 石井好子さんの著書は初めて読みます。石井さんと言えば、「巴里の空の下オムレツのにおいは流れる」が代表作。「暮しの手帖」を読むようになり、「暮しの手帖」から生まれた本としていつも広告が載っているので、気になっています。が、タイトルに惹かれて、先にこちらを読みました。


私の小さなたからもの
石井好子/河出書房新社/2011

 パリでシャンソン歌手としてデビューし、その後世界中で公演活動を行ってきた石井さんが、日々の公演や暮らしの中で出会った「たからもの」について語ります。もの、食べ物、街、風景、季節、歌、お店…。各章はとても短いのですが、その短い文章の中に、お気に入りの気持ちが詰まっています。

 日々、暮らしてゆく中で、お気に入りのもの、好きなものが出来るのは嬉しい。石井さんの場合、まずアメリカに留学し、その後パリで暮らし、シャンソン歌手として日本中、世界中を巡る。行動範囲がとても広い。その中で、様々なお気に入り、たからものと出会う。この本に書かれている石井さんの”たからもの”は、私には馴染みがないものも多い。まず、海外に行ったこともないし、華やかなドレスやアクセサリーにも縁が無い。パリの人々の暮らしも、日本の生活習慣・文化とは異なる点も多く、わからない、と思うものもある(お風呂にあまり入らない、というのは特に!やっぱりお風呂でしょう、と思う私は日本人だなぁ…)。でも、石井さんの語る文章を読んでいると、それらの”たからもの”を慈しむ姿、様子が想像出来る。好きなもの、そのものは異なる。でも、何かを大事にする、愛する、慈しむ気持ちは、変わらないのだなぁと思う。

 この本を読んでいて、思い浮かべたのが、ミュージカル映画「サウンド・オブ・ミュージック」の「My Favorite Things(私のお気に入り)」。ご存知、主人公マリアが、好きなもの、お気に入りのものを挙げ、それらを思い出せば辛いときでも元気が出る、という歌(「そうだ、京都行こう」のCM曲と言った方がピンと来るかも)。好きなもの、お気に入りのものは、楽しさや喜びをもたらしてくれる。今は手元にないものでも、思い出せばありありと蘇ってくる。石井さんのこの本に、この歌がぴったりだと思った。

 「誕生日の地球儀」の章は、「私も同感!」と思った。地球儀もそうだし、地図も夢を見させてくれる。そして、「”何時か”では遅すぎる」の章にドキリとした。ちょっと引用します。
ひまがないというのは、ひまを作らないだけの事ではないか。
(中略)
 生きているという事は、何と有難く、すてきな事だろうと思うためには、自分から求めなくてはいけないと思った。
(233ページより)

 自分から行動して、生きることの素晴らしさを味わうという姿勢。生きているだけで素晴らしい、と思うけれども、更に素晴らしくするのは自分なんだ、と。受け身の姿勢でいることの多い私にとって、衝撃的な文章だった。衝撃的だけど、ショックではない。うんうん、と心から頷く。


 私自身、このブログを、好きなもの、興味を持ったことについて、思ったままに書く場だと思ってきたが、最近それを忘れているな、とこの本を読んで感じています。好きなものについて、じっくりと語る。文章(絵も付けられたら尚良い)にして、辛い時、自分を見失いそうな時に開くようにしたらいいかも、と辛い気持ちの中で考えました。

 装丁もきれいで、凝っています。この本そのものが”たからもの”だと感じます。今度は「巴里の空の下オムレツのにおいは流れる」も読んでみようかな。
by halca-kaukana057 | 2012-02-16 21:44 | 本・読書

遠い朝の本たち

 少し前に、お勧めしていただき、須賀敦子さんのことを知りました。はい、恥ずかしいことに名前も知らず…。では著書を読んでみようと本屋を探したら、この本に出会いました。文庫はそれまで触れたことの無い方の作品でも、気軽に読んでみようかなと思えます。


遠い朝の本たち
須賀敦子/筑摩書房・ちくま文庫/2001

 この本は、須賀さんの著作の中でも晩年のものだそうだ。須賀さんは子どもの頃から本をたくさん読んできた。その読んだ本と、その本にまつわる思い出や、人との関わりが綴られています。戦前の頃の小学生時代から、海外へ目を向け始めた大学時代、それ以降の長い期間にわたって、読んだ本と様々なエピソードが語られます。今も読み継がれている名作から、古い本らしく私には初耳である本まで、幅広く。

 子どもの頃、私も休み時間になると図書室に行って、読みたい本を探した。名作から、題名が思い出せない作品まで。だが、その頃読んだ本のことをどれほど覚えているだろうか。その本を読んだ時、自分はいくつで、どんな暮らしをして、どんなことを考えていただろうか。その本に関わるエピソードは何かあっただろうか。そして、その本と出会って、自分はどう変わり、どう生きていただろうか。自分に問うてみるが、あまり思い出せない。それを、はっきりと覚えていて、生き生きと、でも洞窟を水が流れてゆくように静かに、落ち着きのある文章で描いている。本当に本が好きで、本とともに生きて、暮らしてきた須賀さん。本が人生と切り離せない存在だったのだろうなと感じました。(私はまだまだ甘ちゃんでしたと実感)

 本の内容も語られるが、主に語られるのはその本を読んだいきさつや、その本を読んでいた頃の生活、思い。家族や友達との関わり。本を読んで、読んだ時の思いとともにその舞台となった場所を訪れることも。本がきっかけとなって、思い出が豊かに語られてゆく。また、読んだ当時はよくわからなくて、時間を経て、大人になってからその意味に気づくこともある。だからこそ、本との出会いは面白いし、かけがえが無い。

 サン・テグジュペリ「星の王子さま」「人間の土地」「夜間飛行」や、アン・リンドバーグ(飛行家・チャールズ・リンドバーグの妻)「海からの贈物」は、私も以前読んではいたが、あまりじっくりと読んでいなかった。もう一度、向き合いたいと思う。サン・テグジュペリ「戦う操縦士」も読んだことは無いが気になる。

 最初からじっくりと読んで、終章で「あれ?」「ああ…!」と思う。そして、また最初から読みたくなり、もう一度読んでしまいました。本を読んで、本とともに生きることで、人生はより鮮やかに彩られる。今読んでいる本たちも大事にしたい。心の中にじんわりと湧き上がってきた思いを抱きしめたいと思う本です。


 さて、須賀敦子さんの著作はたくさんあるのですが、先日、新潮文庫からこんな新刊が。

須賀敦子を読む (新潮文庫)

湯川 豊 / 新潮社


 須賀敦子さんの著作ガイドになるかな、と思って買ってみた。実際は、一度読んだ方向けの本らしい…。とにかく、読んでみようか(年明けになるだろうが…。
by halca-kaukana057 | 2011-12-16 23:25 | 本・読書

生きること学ぶこと

 各出版社の夏の文庫フェアのリストに入っていて、気になった本です。タイトルからしてツボでした。


生きること学ぶこと
広中 平祐/集英社・集英社文庫

 著者の広中平祐さんは、数学者。”特異点解消”に関する研究・論文で、「数学界のノーベル賞」と呼ばれるフィールズ賞を1970年に受賞。広中さんが、子ども時代から、数学の道を志した学生時代、アメリカへ留学、そして数学の中でも代数幾何に重点を置き、さらに未解決の問題とされていたどんな次元の特異点をも解消する定理に取り組む。そして、その定理を発見・つくりあげるまでのことを、広中さんご自身の「学ぶこと」「創造すること」を中心に書かれているエッセイです。

 この本を読むまで、恥ずかしながら広中さんのことも、特異点解消の問題についても知りませんでした。1970年代にフィールズ賞を受賞した日本人がいたことすらも知らなかった。特異点とは何かについても、とっつきやすく書かれています。私は数学は苦手なのですが、「数学ガール」シリーズなどの数学に関する本を読むのは好きです。さらに、広中さんの半生を振り返った自伝や、そこから学んだこと、考えたことがとても興味深く、難しい内容でしたがじっくりと読みました。

 数学者たちの間でも絶対に解けないと考えられていた特異点解消の定理を発見し、フィールズ賞を受賞した数学者なのだから、とんでもない天才なのだろう、と思いきや、挫折体験や学問で苦労した経験が多く語られます。数学を志し、数学で生きてゆこうと決断するまでも、様々な失敗や試行錯誤があった。でも、それが後から生きてくる。私自身、迷うことが多いのですが、心強い言葉に励まされました。

 興味深かったのが、「仮説」を立てること。日本の学生に「君たちはどういうことを研究しているのか」と尋ねると、「代数を勉強しています」など今していることを答える。一方、アメリカの学生に尋ねると、それぞれの持っている仮説を説明する。仮説を立てて、色々演繹してみて、ダメなら仮説を変えてまた取り組む。日本の学生の場合はまず何か特定の分野を勉強して、ダメなら方向を変えて、新しい分野に決めていけばいいと考えている。自分の分野をまず決めるのではなく、「仮説」を立てて、それに合った分野を決めて探究してゆく。初め立てた仮説がダメでも、失敗しても(大抵は失敗するそうだ)、そこからまた新しい発見が得られる。なるほどと思いました。私も学生時代、自分はこの分野に興味があるからその分野に進んで、その中からさらに興味のあることを絞って取り組んでいました。現在、研究職ではありませんが、やはり何かをする時は分野をまず決めて、その中で考えることが多い。でも、それでは視野が狭くなってしまう。また、ひとつの分野ではどうしようもない問題に直面するかもしれない。まず仮説を立てて、演繹してゆく方法なら、いくつかの分野を横断して取り組むことも出来る。これは研究職だけでなく、一般の仕事にも当てはまると感じました。失敗してしまうかもしれない…という不安はあるけれども、勇気を持って、まずは仮説を持ってみる。何がしたいのか、何をどうしたいのか考えて、自分なりの考えを持って先へ進んでみる。面白いなと思いました。今、実践してみているところです。

 また、「ウォント(want:欲望)」と「ニーズ(needs:必要)」の違いも。似ているような言葉だが、「ウォント」は自分の中から出てきた必要性。「こんなものをつくりたい」「この学問をやりたい」「この仕事に就きたい」という意志が、創造を支えてくれる、と。これも興味深い。広中さんは、この本で、子どもの頃から出会った様々な人々についても語っています。両親、兄弟、親友、数学者たち…。時に厳しいことを言われ、落ち込んだり頭に来たりすることもあるが、謙虚に出会った人々の言葉や想いを受け止めている。受け止めて、学んでいる。この真摯さにも、いいな、見習いたいなと思いました。

 学生の頃に読みたかった本だと感じつつも、社会人になってから読んでもとても興味深い本でした。「生きること」も、「学ぶこと」にも、人生のどこで終わり、ということは無いのだから。生きている限り、学ぶこと、そして創造することも続いていくんだ。

 巻末の解説は、なんと小澤征爾さん。広中さんと小澤さんはフランス留学時代に知り合い、親交が深いのだそう。広中さんは、学生時代、クラシック音楽好きの友達がいて、彼の家に行くといつも何らかのレコードを聴いていた。また、ピアノを演奏していたこともある。そんなこともあって、小澤さんと仲良くなり、小澤さんの指揮するコンサートにも足を運んでいたそうだ。小澤さんの解説を読んでいて、何だか嬉しく、心温まりました。
by halca-kaukana057 | 2011-12-01 22:43 | 本・読書

天文屋渡世

 以前読んだ、岡山天体物理観測所での天文学者たちの日々を綴った「天文台日記」の著者・石田五郎先生のエッセイです。昔読んだのだが、久しぶりにまた読みたくなった。

・以前の記事:天文台日記

天文屋渡世
石田五郎/みすず書房
(↑こちらは再販されたもの。もともとの単行本は筑摩書房・1988)

 石田先生が様々な雑誌や新聞などで書いたエッセイ・コラムを集めたエッセイ集です。出典は様々なのに、ひとつの本としてまとめられるのが凄い。
 「天文台日記」でも書いたとおり、現在の国立天文台・岡山天体物理観測所の副所長として24年勤務した石田先生。天文学や星空・星座、天体観測・天体現象のエッセイがメイン。古いエッセイですが、文章の落ち着きや静けさとあたたかさが、年月を越えて天文の魅力を語ってくれる。しかし、それだけではない。それらには日本や海外の古典文学などの文学・芸術作品に出てくる天文・星の話題を絡めている。星座物語として知られるギリシア神話の数々や、「星はすばる」で始まる清少納言「枕草子」だけではない。人は古くから、星に何かを思い、星に何かを託して、星空を見上げてきたのだなと思う。

 天文の話よりも、天文のことを絡めた日常や過去のことを書いたエッセイが多いこの本。石田先生の個人的な思い出、”天文学者(てん・ぶんがくしゃ)”野尻抱影とのこと、聴いた音楽や観た舞台のことも。「みる・きくの楽しみ」では、私も大好きな声楽家・ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウのことも書かれていて嬉しくなった。読んで、思わず私もディースカウのシューベルトを聴いてしまった。石田先生の芸術全体への造詣の深さには驚くばかりです。

 この本を読んで思ったのだが、宇宙を”舞台”に例えることは出来ないだろうか。舞台と言っても、クラシック音楽のコンサート・リサイタル(オーケストラから室内楽、器楽ソロまで)、ジャズ、ポップス・ロック、吹奏楽、雅楽などの音楽から、オペラ、演劇、ミュージカル、落語、歌舞伎や能などの古典芸能…様々、たくさんある。宇宙にも、様々な天体があり、天文学者は個々の研究に合わせて天体を選ぶ。流星、太陽系内の惑星や小惑星、彗星、太陽、様々な恒星、星団、星雲、銀河、ブラックホールやダークマター、ダークエネルギーなどの謎が多い天体や宇宙にある物質。それらを”観て”、探究しているのが天文学者なのかな、と。観測方法も可視光望遠鏡だけではなく、赤外線、X線、電波。観測ではなく計算や理論を追求するやり方もある。勿論、天文学者だけが宇宙という”舞台”を”観る”ことができるわけではない。アマチュア天文家や、私のような素人も”観る”ことが、”観て”楽しむことは出来る。ただ、天文学者はプロとしての見方を持っている(昨日放送されたBSプレミアム「コズミックフロント」超新星の回で取り上げられた”超新星ハンター”アマチュア天文家の板垣公一さんのように、アマチュアでもプロ級の腕・見方を持っている人も勿論います)。

 宇宙という”舞台”を、今日も見つめる人がいる。その人は、どんな思いで見つめているのだろうか。読んだ後、私も星空をもっと観たい、宇宙天文を多方面から楽しみたいと思いました。あと、石田先生の著書ももっと読みたい。図書館を探してみよう。
by halca-kaukana057 | 2011-11-09 22:53 | 本・読書
 先日、図書館をうろうろしていたら、突然「若いってすばらしい」の歌・歌詞が頭の中で流れ出した。何だ、何故だ?と自分でも不思議に思っていたら、この本が目の前に。宮川泰さんの本があったんだー!


若いってすばらしい ―夢は両手にいっぱい 宮川泰の音楽物語
宮川 泰/産経新聞出版/2007

 この本は最初は自伝として書かれていたようですが、2006年3月、急逝されたために、長田昭二さんらが仕上げた形になっています。生まれてから、お父様のお仕事の関係で全国各地へ引っ越すことが多かった。そんな子ども時代に音楽に触れ、そして音楽の道へ進むことになった。子ども時代、音楽に触れたと言っても、音楽教室に通ったというわけではなかった。身近な人の演奏、学校のオルガンなどで自由に音楽を楽しんでいた。宮川泰さんの音楽作品を聴いていると否応無しにワクワクや楽しさを覚えるが、その由来はここにあるのかもしれないなと感じました。

 大学には入ったものの、大学での音楽の勉強と、これまでの実際に演奏するのとでは大きな違いが。大学での授業よりも、ナイトクラブで演奏し、またそこで巧い演奏者や自分で買ってきた楽譜を読み込み、練習することのほうが勉強になり、そして楽しかった、と。渡辺プロダクション創業者・渡辺晋さんとの出会い、ザ・ピーナッツの結成、そして「ザ・ヒットパレード」での数多くのアレンジ…。学んでから走るよりも、走りながら学ぶ。その中で数多くの名曲、名アレンジを生み出してきたことに驚きです。リアルタイムでザ・ピーナッツや「ザ・ヒットパレード」を知っている世代ではないのですが、当時の音楽番組の「勢い」が感じられました。

 ところでこの本、人前では読むことをオススメしません。あらゆる箇所で爆笑してしまいます。冷や汗ものの失敗談、コミカルな”事件”、昭和を代表する名音楽家たちとのエピソードなどが次々と。音楽番組や「宇宙戦艦ヤマト」の音楽で共演していたピアニスト・羽田健太郎さんと一時期同じマンションに住んでいたことがあったそうなのですが、その時のエピソードは爆笑モノです。ハネケンが泰さんの部屋にお酒持参でやってきて、酔って大暴れ…なんてことも。泰さんの視点から見ると本当に酷い話ですが、笑えてしまう。泰さんも、羽田さんももっと長生きして欲しかった…と思うばかりです。

 数々の名曲の裏話も、読んでいて笑え、とても楽しいです。そんな中で作られた作品だから、聴いていて幸せな、満ち足りた気持ちになるのだなぁと感じました。笑える話だけでなく、真剣な話も所々に出てきます。また、笑い話、ジョークの裏に何を感じていたのか。リアルタイムで、泰さんのお話、そして音楽をもっと聴きたかったと思いました。

 そしてこの本では、長男である宮川彬良さんについても語られます。彬良さんは息子であり、よきライバルだったと。音楽でも、ダジャレ・トークでも。その彬良さんとのちょっとした”事件”がまた…笑えます。テレビで観ていても本当に仲が良さそう、似ている親子ですが、テレビの外でもそうだったのだなぁ。ちなみに、あとがきは彬良さんが担当しています。ここにもまた笑えるエピソードが。

 そういえば、昨年度で「ズームイン」が終わり、あのテーマ曲を聴く機会もなくなってしまいました。残念です。朝の音楽といえばやっぱりあのテーマ曲です。こうして時代は変わっていくのかもしれないですが…宮川泰さんの作品は、ずっと後世に歌い継がれ、奏で継がれていって欲しいと思います。

 宮川泰さんの音楽で育った世代の皆さんはもちろんのこと、よく知らないけど「宇宙戦艦ヤマト」や「ゲバゲバ90分」(現在は「のどごし生」CM曲ですね)は聴いたことがある世代(私もこちらに分類されます)の方も是非どうぞ。この本を読んで、宮川泰さんの作品を聴くと、もっと楽しくなります。泰さんは絵もお得意だったそうで、作品の一部の画像もあります。巧いです。すごいなぁ。

 最後に、この本の中で彬良さんが「前田憲男風」「服部克久風」「宮川泰風」エンディングをアレンジしたのを演奏した…とあるのですが、それを再現した(死去した翌年の2007年)のがこの動画。
宮川彬良による前田憲男・服部克久・宮川泰風エンディング


 この動画も、職場・学校・公共施設など人前で観ることはオススメしません…w

・過去関連記事:宮川泰さん死去…
by halca-kaukana057 | 2011-05-09 22:58 | 本・読書
 的川泰宣先生が日本惑星協会のメルマガ「TPS/Jメール」で連載しているコラムと、NPO「子ども・宇宙・未来の会(KU-MA)」のメルマガコラムをまとめた本の第3弾が出ました。3巻、待ってました!


いのちの絆を宇宙に求めて -喜・怒・哀・楽の宇宙日記3-
的川泰宣/共立出版/2010

 3巻は2008年6月(星出彰彦宇宙飛行士搭乗のSTS-124ディスカバリー・「きぼう」船内実験室をISSに取り付け)から、2010年8月…6月の小惑星探査機「はやぶさ(MUSES-C)」の帰還、ソーラーセイル実証機「IKAROS」と金星探査機「あかつき(PLANET-C)」の飛行、までが収められています。また、2008年6月に前述したNPO「子ども・宇宙・未来の会」(KU-MA)が発足。KU-MAでの宇宙教育、子どもたち・教育への想い、KU-MAでの実践活動も充実していきます。

 これまでの1・2巻に引き続き、的川先生は本当にパワフル。身体の不調を抱えていらしても、KU-MAの活動や講演会、宇宙関係の会合などで日本中、世界中を駆け回る。その行った先でも、ただ講演だけ、会合に参加だけしてくる…のではなく、その地の名物や歴史に触れる。宇宙だけじゃない、歴史や古典、スポーツなどにも興味を持って、読んだ本のことも数多く書かれています。的川先生のそのパワフルさと、旺盛な好奇心に凄いなと思うばかりです。どんな時でも、的川先生のような幅広い視点と好奇心を持っていたいと思います。

 的川先生が中心となって設立されたKU-MA。「宇宙教育」は「宇宙のことを教える」のではなく、「宇宙を通して、生きることについて考え、生きているこの地球・宇宙からの視点を養う」こと。それを具体的に実践するために、KU-MAの会員の方々が全国各地で「宇宙の学校」というものを開いています。これも、宇宙や科学にちなんだ実験や工作をしながら、子どもたち同士、子どもと親、地域の人々を結びつけたり、身近に様々な不思議があることに気づいたり…といった役目も負っています。KU-MAの活動について読んでいて、幅広い教養と好奇心をお持ちの的川先生だからこそできることなのだろうな、と感じました。KU-MA発足の際に的川先生が作った詩には、宇宙に生きる私たち、そして未来を生きる子どもたちへの願い、希望が託されています。

 この本では、「はやぶさ」のことも多く出てきます。2008年6月からなので、地球帰還を目指して飛行・運用していた期間が書かれています。この本でも、「はやぶさ」の軌跡をたどることが出来ます。的川先生の他の著書の感想でも書きましたが、的川先生は運用チームと、記者達メディアと、一般市民の一番近くにいてそれらを繋いでいた存在。的川先生の立場から描かれる「はやぶさ」の軌跡は、今後も語られていって欲しいなと思います。

 3巻はこれまでの1・2巻以上にボリュームがありました。いつもメルマガを読んではいましたが、本で改めて読むと、気が付かなかったところや読み飛ばしていたところもあり、やっぱり本で手に取って読むのはいいなと感じています。第4巻も楽しみです。


【過去記事】
轟きは夢をのせて 喜・怒・哀・楽の宇宙日記
人類の星の時間を見つめて 喜・恕・哀・楽の宇宙日記2
 1・2巻も是非どうぞ。
by halca-kaukana057 | 2011-05-08 22:12 | 本・読書

不思議な羅針盤

 梨木香歩さんの新しい著書が気づいたら何冊も出ていたので、引き続き読んでいます。今回はエッセイを。


不思議な羅針盤
梨木香歩/文化出版局/2010

 このエッセイは、雑誌「ミセス」に2007年から2009年まで連載されたものを収録したもの。梨木さんが婦人誌にエッセイを連載していたことに驚きました。それだけ、梨木さんの作品・著書を読む層が広がってきたということなのだろうか。




 梨木さんの小説であれ、エッセイであれ、読んでいると、自分の日常とはかけ離れているような立場にあるものでも、どこか自分の身近なことに置き換えて、共感したり文章が心に染み入ってきたりということがよくある。いつも、不思議だなと思いつつ、惹かれている。この「不思議な羅針盤」に収められているエッセイの数々は、梨木さんの身近な出来事から、その当時の社会や自然などについて語っている。それらは梨木さん自身の体験なのに、自分もその場に居合わせているような感覚で読んでしまった。自分も同じようなことを体験したり、考えたりしたことがあるものもあるし、そうでなくても、その情景をありありと頭の中で想像して、自分もその場にいるように感じられてしまう。やっぱり不思議だ。

 でも、不思議ではない、と読みながら思う。この本に収められているエッセイに書かれていることは、同じ日本のどこかで起こったこと。現実の日常での出来事だ。全く同じ出来事でなくても、似たようなことなら、私も体験したり、考えたりすることはあり得る。どのエッセイも、植物や動物、そして人間たちの「生きている」ひとこまを捉えている。そのひとこまから感じたこと、考えたこと、更に考えを膨らませたことが綴られる。たとえ離れていても、会ったことがなくても、こうして同じ”何か”を共有することは出来るのかなと感じました。

 エッセイに綴られた「生きている」数々のひとこま。庭に咲いていた花や新聞の集金のおじさん、バスに乗り合わせた小学生、駅員さん、飼っている犬、愛車のナビゲーション・システム…。それぞれが愛おしく思えた。それは、梨木さんがそれらを見つめる視線の暖かさと、それらに寄り添おうという想いにあるのかもしれない。梨木さんの考えはとてもはっきりしている。嘆かわしいこと、不安なことについては毅然とした態度で語られている。でも、否定だけで終わるのではなく、その変化や流れに柔軟に向き合っている。例えば「金銭と共にやり取りするもの」は、新聞の集金のおじさんとの交流したことから、お金を払うということは、モノを買うだけでなく、それを通じて人と人とのコミュニケーションをとっている、という内容のものだ。その中で、増え続ける通信販売や自動振込みのようなやり方には人の気配は無い。私たちが生きている社会では機械化・無人化が加速していっている。それらをやめるのは現実的ではない。でも、その勢いを自分の出来る範囲で留めてみることはできる、と(62~63ページの内容を要約)。他のエッセイでも、このような姿勢に、うんうんと頷いている。変わっていくものをただ嘆くだけではなく、何故変わっていっているのか、自分もそこで生きていて切り離して考えることはできないことを前提に、柔軟に自分を合わせたりちょっとだけ引き離してみたりする。凄いなと思います。

 エッセイには、2008年に映画化された「西の魔女が死んだ」に関するものもあります。このエッセイを読んで、小説・映画ともにまた読みたく・観たくなりました。また、以前このブログで記事にした「日日是好日 「お茶が」教えてくれた15のしあわせ」も出てきます。以前読んで、今も大好きな本なので、取り上げられたことがとても嬉しく感じました。

 ”今”、読んで本当によかったと思うエッセイです。私にとっての”羅針盤”にもなりました。


【過去関連記事】
[小説/映画]西の魔女が死んだ
 「西の魔女が死んだ」原作小説と映画、両方の感想です。本当にいい映画化でした。
日日是好日 「お茶が」教えてくれた15のしあわせ
 森下典子さんの、茶道にまつわるエッセイ。この「不思議な羅針盤」とこのエッセイの雰囲気はどこか似ているようにも思えます。
by halca-kaukana057 | 2011-04-11 22:18 | 本・読書

渡りの足跡

 少し前に、梨木香歩さんの新刊(と言っても1年ぐらい前に出たものも)が結構出ていることを知りました。小説でもエッセイでも、梨木さんの文章を読んでいると心が落ち着きます。ざわざわしていたものが鎮まり、視界がクリアになってゆく。書いてある内容がたとえ厳しい現実を直視したものでも、不思議と受け止められます。


渡りの足跡
梨木香歩/新潮社/2010

 渡り鳥は、季節の移り変わりとともに世界中を渡り飛ぶ。オオワシを中心に、様々な渡り鳥たちを、北海道、諏訪湖、カムチャツカなどへ観に行く。渡り鳥たちの渡りの旅路に関する話や、渡り鳥たちを見守る人々との交流を経て、人間の「渡り」にも想いを馳せる。渡り鳥と、人間・私たち自身を見つめるエッセイです。

 私にとって”渡り鳥”といえば、ハクチョウ。今の季節は、町の上空をV字型になって飛んで行ったり、川や海、田んぼで羽根を休めエサをついばんだり…私にとっては身近な渡り鳥です。ハクチョウの甲高い優しい声に空を見上げると、数羽のハクチョウが飛んでゆく。まさに、シベリウスの「交響曲第5番」のエピソードそのもの。ハクチョウが飛んでゆく様を観ると、頭の中では「交響曲第5番」第3楽章のあのゆったりとしたホルンのメロディーが流れます。その飛ぶ姿を見るのが大好きなので、シベリウスのエピソードを知ってからはもっと好きになりました。毎年秋になり、ハクチョウの姿を見ると「よく来たね。」と思う。灰色の羽毛の幼鳥を見れば「小さいのに、遠くから飛んできたんだね。すごいね。」と。そして、年が明けて3月頃になると、また北へ向けて旅立つ。「また寒くなったらおいで。気をつけて帰るんだよ。」と声をかけたくなる。私の冬はハクチョウとともにあります。
 また、ツバメも身近な渡り鳥。春、桜の季節も終わるとすばやく空を滑空する姿に、やっぱり「今年もよく来たね」と思ってしまいます。ツバメの音楽といえば、「ブルグミュラー25の練習曲」の「つばめ」。もしくはNHK教育「クインテット」の「ツバメがきたよ」でしょうか。


 私の話はこの辺にして、本の内容に。梨木さんの以前のエッセイ「水辺にて on the water/off the water」では、水の周辺の自然を見つめ、「境界」について考える内容だった。今回の「渡りの日々」は、「水辺にて」が静なら、動の内容だと思う。

 鳥たちが渡りをする際、周囲の自然を敏感に観察している。風を読み、渡りのルートを決める。渡りの途中でエサを食べるために一旦降りる。どこにも降りずに一気に渡り、通過してゆく鳥もいる。そして渡りの先がどんな土地なのか。季節が変わり、元の土地へ帰る。同じ季節がやってくれば、また渡りを始める。ハクチョウを観ていて毎年思う事がある。毎年遠い北の地から、自分の羽の力で飛んでくる。その体力はいかほどなのだろうか。また、ハクチョウには地図もGPSもない。それなのに、毎年覚えてやってくる。どうやって覚えているのだろうか。「案内するもの」の項で引用されている「鳥たちの旅 渡り鳥の衛星追跡」(樋口広芳/日本放送出版協会/2005)によると、太陽や星座も鳥たちにとって目印、案内役になるのだそうだ。渡り鳥をケージに入れて、プラネタリウムで星を見せると、その季節の星座に合わせて、飛ぶ方向に向かって動くのだそうだ。例え人工の星空でも反応する。この部分にとても驚いた。昔、人類は夜空の星を結んで星座とし、農耕や放牧、旅の目印にしたが、人だけではなく鳥たちも星を観て飛んでいたのだ。さらに詳しくはその本を読もうと思うが、感激した。

 渡るのは鳥たちだけではない。人間も「渡り」をする。旅や他の土地に移住する。「渡りの先の大地」ではエッセイ「春になったらイチゴを摘みに」で書かれていたアメリカに移り住んだ日系2世の方について、更に詳しく書かれていた。両親がアメリカに渡り、そこで生まれ育ったが、第2次世界大戦・太平洋戦争が始まると彼を取り巻く状況が変化した。「春になったら~」も読み返して、その壮絶さに絶句した。渡った先で、情勢が変化したことによって厳しい現実に打ちのめされる。でも、原点となった日本も、生まれ育ったアメリカも、どちらも故郷である。渡ったことは後悔していない。ただ、そこで生き抜くこうとする。「もっと違う場所・帰りたい場所」でも、北海道知床に移住した方の話が綴られている。

 旅や移住でなくても、毎日私たちは時空を「渡って」いる。変化し続けている。変化しないでいてほしいと思うものもある。例えば、私が思うのは縄文時代から昭和まで、日本各地に残る遺跡や建築物。歴史的に貴重と守られているものも、古い普通の民家も。いつまでも残っていてほしいと思う。その一方で、変わり続けたいと思うものもある。例えば天文学・宇宙科学・宇宙探査・宇宙利用はどんどん進んで、もっと遠くの宇宙を観てその姿をよく知りたい、無人有人に限らずもっと遠くの宇宙へ行ってみたいと思う。そんな壮大なものでなくても、自分自身も日々変わり続けているだろうし、変わるなら新しいものを吸収し続け明日に進みたいと思う。もちろん、変わらずに持っていたいものもあるけれども。

 鳥たちの渡りは、越冬や繁殖・子育てのためなど、生きるためのひとつの方法。人間も個人でも人類全体でも、生きるために、成長し続けるために「渡る」のだと思う。見知らぬ場所・見知らぬものであっても、生きるために、選んだ場所や環境に渡り、変化・成長してゆく。そう思うと、鳥たちの渡りに私の暮らしとどこか共通するものがあるのだろうな、と感じました。

 各章の末尾に、その章で出てきた鳥の解説も付いています。文字だけですが、梨木さんによる解説は、普通の図鑑の解説とは違う味わいがあります。身近にはいない鳥も多いですが、鳥を観る楽しみが増えそうです。

【過去関連記事】
水辺にて on the water/off the water
春になったら苺を摘みに
 「それぞれの戦争」の章で「渡りの先の大地」で出てきたアメリカで生まれ育った日系2世の方のお話が出てきます。
身近な鳥のふしぎ
 お手軽な鳥の図鑑です。この本に出てくる全ての鳥が載っているわけではありませんが、参考になります。

 というわけで、一気にまとめて…ではないですが、梨木香歩フェアをまたやりたいと思います。
by halca-kaukana057 | 2011-02-26 14:58 | 本・読書

幸田文 季節の手帖

 再び、幸田文のエッセイ選集です。
・前回の記事:幸田文 旅の手帖


幸田文 季節の手帖
幸田 文:著/青木 玉:編/平凡社/2010

 前回は旅に関するエッセイ選集でしたが、今回は季節に関するものを集めています。季節によって移り変わる気候、自然。それに合わせて変化する人間の暮らし。季節と自然と人間の暮らしのかかわり。文さんはその変化を、敏感に感じ取って、繊細な、細やかな言葉で表現している。文さんは本当に季節の変化を、身の回りのこと…天候・自然から、町の様子、人々の暮らしまでをじっくりと見つめていたのだろう。そして、発見したこと、感じたことを流すことなく文章にしてきた。文さんが生きこれらのエッセイを書いた時代から40年ほど経っているが、季節の変化を大事にする気持ちを、私達は忘れてはならない、後世へ日本の文化として伝えなければならないと強く感じた。

 特にそう感じたのが、「秋ぐちに」という一遍にある、座布団の話。座布団は縦と横の寸法が微妙(1寸か1寸5分)に異なる。縦が少しだけ長い。縦長にしく座布団のことを知らない人がいて、残念だと書いている。私もこの一遍を読むまで知らず、思わず家の座布団で確認してしまった。その座布団の縦長の違いを
「これはいわば先祖の残した美しさである。日常生活の道具でしかない座布団にも、一寸という幽かなところで、美しさを出さないではおかなかった先祖たちなのである。滅茶苦茶にしてしまっては、愛が足りないことだ。忙しい生活がやさしさを奪うので、人間がわるくなったとか、美しさがわからなくなったとか、悪く解釈してはいけまい。ただ、時世がかわるとか、様式がうつるとかいう大きなことは、こうした座布団の寸法、縦横、といったごく小さい美しさから、崩れ失われていくのだろうか、と考えさせられるのである。」
(113~114ページ)

 と書いているのを読んで、申し訳ない気持ちになった。座布団のわずかな寸法の違いは季節には関係はないけれども、そのわずかな違い・変化に気づかず通り過ぎてしまう、または、当たり前のものだと思ってないがしろにしてしまうことは、季節の変化に関しても同じなのではないか、と思ってしまった。

 この選集にも、父である露伴との思い出が綴られている。露伴も季節の変化を敏感に感じ、楽しんでいた。また、これは小説かと思うような、夢か現かわからないような文章もある。春の竹を描いた「いのち」、「藤の花ぶさ」、「風の記憶」、「緑蔭小話」など。季節は、自然は時に、不思議なものを見せてくれる。人間の想像を超えるような。

 最後に、今の季節に合う一遍を。「雪 ―クリスマス」。文さんの母の発案で、週に一度近所の子どもたちのために牧師さんを招いて集まりをしていた。そのクリスマスで、か弱い身体つきの幼い姉弟がいた。2人は静かな歌を歌うことになったが、歌声もか弱く、小さくて通らない。他の子たちがやじを飛ばしたりしていたが、2人は声は小さかったが、生き生きとした表情で歌っている。騒いでいた子たちも大人しくなり、2人の澄んだ歌声が響いた。歌が終わった後は拍手喝采だった。
「大勢のなかにいて自分の声を失わないのは強い。」
(164ページ)

 この姉弟のような姿勢でいたいと思う一遍だった。
by halca-kaukana057 | 2010-12-13 22:53 | 本・読書

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