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 先日河合祥一郎さんによる新訳を読んだ「ドリトル先生航海記」。新訳で読み直すきっかけになったのが、この福岡伸一さんによる新訳が文庫で出たことでした。


ドリトル先生航海記
ヒュー・ロフティング:著、福岡伸一:訳/新潮社、新潮文庫/2019 (単行本は2014年)


 子どもの頃、井伏鱒二訳の岩波少年文庫の「航海記」を読んで、ドリトル先生に魅せられてしまった福岡先生。ドリトル先生のような博物学者になりたいと思うようになったそう。
 河合祥一郎さんの新訳で、井伏訳ではイギリスの文化・慣習がまだよく知られておらず削除された箇所があると知りました。この福岡訳では、その部分も勿論そのまま、原著初版に忠実な翻訳を目指したのだそう。英語でも「航海記」は、差別的な表現があると削除、改変されてきたのだそうです。現在、日本でも言葉の一言だけに過敏に反応してしまう残念なことが起きています。あとがきで福岡先生が書いている通り、物語全体を読めばドリトル先生がどんな人なのか、ドリトル先生を通してロフティングが伝えたかったことは何なのかわかるはず。物語が書かれた当時は仕方なかった表現であって、でもその表現だけに気をとられてドリトル先生のメッセージを読み取らない…きっとドリトル先生は怒ると思います。残念がると思います。「航海記」からはトミーが語り手になっているからトミーもか。
 井伏訳岩波少年文庫では、ロフティング自身の挿絵を載せていますが…カットされた挿絵がありました。何故この挿絵をカットしたのだろう、と思います。他の絵とタッチ、画材が違うからだろうか。これはきっとカラーで描かれたのだと思う。カラーの絵も見てみたかった。

 「航海記」は、これで3つの訳で読みましたが、「ドリトル先生」、そして「航海記」は本当に面白い。大好きな作品だと実感しました。やはり、ドリトル先生の人間性に惹かれます。そして、学校にも行けなかった少年トミーが、ドリトル先生と知り合い、助手になり、一緒に冒険の旅に出る。こんなにワクワクすることはない。動物と話のできるドリトル先生は、人々の固定観念をいい意味で破壊していく。ペットを飼っている人なら、うちの子は人間のことをどう見ているのだろう?「人間様」なんて皮肉って見ているんじゃないか、と思ったことがあるかもしれません(私も子どもの頃インコを飼っていて、そんなことを思っていました)。動物の前では、人間は偉いんだ、動物は下等なんだと横柄な態度を取っている「人間様」もいる。そんな「人間様」の本性を暴いてしまうドリトル先生。とても痛快ですし、生物、命は皆平等なんだと実感します。

 福岡先生の訳は、「児童文学」のジャンルと捉えられていた「ドリトル先生」を、「文学」として楽しめる訳になっていると思います。井伏訳では一人称は「わし」だったドリトル先生。そういえば。それが、「わたし」になるだけで、随分変わる。ドリトル先生がどんな人か、イメージが変わってしまう。物語を追っていくと、「わたし」の方がしっくり来るなと思います。ドリトル先生は小太りですが、闘牛のシーンにしろ、遭難のシーンにしろ、クモサル島での戦いのシーンにしろ、結構体力もあるし運動神経もいいのではないのかと思う。

 ドリトル先生の助手となり一緒に旅に出たトミー。ドリトル先生やオウムのポリネシアの元で字や算術、動物の言葉を学ぶ。ドリトル先生の元で成長を実感し、自信をつけていく。しかし、船が遭難した際、ドリトル先生と離ればなれになってしまう。その時の不安の表現は、トミーはまだ子どもなのだと思う。
 先のシリーズになってしまうが、月3部作では、ドリトル先生はトミーのことを案じてトミーを置いて旅に出ようとする。しかし、トミーはこっそりとついて行く。ドリトル先生がトミーが付いてきたことを知った時安心していた。また離ればなれになった際、トミーはドリトル先生のことを心配しつつも自分にできることをしていた。
 「航海記」ではトミーとドリトル先生の冒険は始まったばかりだが、トミーがいてこそ、ドリトル先生は旅に出られるのだと思う。少しの間だけ離れた2人だが、2人の絆の深さを実感する。

 ドリトル先生は、誰にでも親切で、人道的で、公平。クモサル島で王様になってしまったドリトル先生は、住民たちのためにあらゆることをする。島の住民は火を知らず、食物を調理して食べることを知らない。文明というものを教える。しかし、ドリトル先生は博物学者としての研究ができなくなってしまった。そんなドリトル先生をあわれみ、何とかクモサル島を脱出してイギリスに帰らせたいポリネシア。ドリトル先生をイギリスに帰る気にさせるも、王様になった限りはその務めを果たしたい。住民たちを豊かにしたい。自分がいなくなったら、またこの島は文明と切り離されてしまう…。ドリトル先生が島から離れることを決意し、島を去るシーンが印象的だ。今回は、このクモサル島での暮らしと別れが強く印象に残りました。

 あとがきを読むと更に楽しめます。パドルビーはどこにあったのか。「Do little, Think a lot」の意味するもの。そういう読みがあったのか。とても面白いです。「航海記」だけじゃなくて、ドリトル先生全シリーズの新訳を出してくれないかなぁ、新潮社さん。

【過去記事】
・河合新訳・角川つばさ文庫:ドリトル先生航海記 [河合祥一郎:新訳]
・井伏訳・岩波少年文庫:ドリトル先生航海記
by halca-kaukana057 | 2019-09-05 22:19 | 本・読書
 福岡伸一訳の文庫版が出たので、河合祥一郎訳の方も「月3部作」と合わせて読みました。久々の「ドリトル先生」シリーズ。



新訳 ドリトル先生航海記
ヒュー・ロフティング:著、河合祥一郎:訳、patty:イラスト/アスキー・メディアワークス、角川つばさ文庫/2011


 「航海記」の前に第1作「アフリカ行き」も再読すればよかった。アフリカに帰ったオウムのポリネシアとサルのチーチー、アフリカからオックスフォード大学に留学しているバンポ王子、彼らのアフリカでのことが繋がってくる。ムラサキ極楽鳥のミランダと、この「航海記」のキーパーソンとなるロング・アローのことも。でも、そういう細かい部分が分からないままでも、「航海記」は面白い。靴屋の息子のトミー・スタビンズがドリトル先生に怪我をしたリスを診せることで、助手になることに。この「航海記」からトミーが語り手になる。「月3部作」ではもう立派な博物学者、獣医の助手になっているが、「航海記」では博物学のこともよくわからない。でも、海を越えて遠くへ行きたい、冒険したいという少年の純粋な好奇心に、読んでいる側もワクワクする。海を越えて遠くの国へ行きたい…日本と同じ島国のイギリスだからこそ、わかる気がします。知らない世界は陸続きではなく、海の向こうという考え方にワクワクします。

 ちなみに、「アフリカ行き」での最大の問題、井伏鱒二訳の「オシツオサレツ」を新訳ではどうしたか。それは読んでのお楽しみ。やっぱり「アフリカ行き」も読まないと…。

 航海に出るまでの話が長いが、重要な要素だと思う。ドリトル先生が動物と話ができるというだけでなく、とても人道的で親切で、正義感があり、動物の命と同じように人間も大事にする。航海に出て、クモザル島での話にも関わってくるが、権力にひれ伏したり権力を強引に行使するのではなく、人間も動物も皆平等な命であり、権利を持っていると考えている。その一方で、私利私欲、我がままを押し通そうとするものや、動物を大事にしないものにはとても厳しい。欲がない、利益を求めないので、お金には困ってばかりだが、それでもうまい具合に進んでしまう。人徳のあるドリトル先生だからこそなのだなと思う。

 トミーの両親とドリトル先生のシーンもいい。大人同士の話になりがちだが、子ども、トミーのことを両者ともよく考えている。ドリトル先生は音楽も好きでフルートが得意というのもいい。ドリトル先生、不足しているところは何もないじゃないですか。お金には縁がない、ぐらい…?

 ドリトル先生は常に新しいことを学ぼうとしている。「月3部作」では昆虫の言葉を研究していたが、「航海記」は海らしく貝の言葉。ドリトル先生は様々な動物、生物の言葉を研究し、学び、習得する。外国語を学ぶのは難しい。文法もだし、発音も難しい。フィクションとはいえ、ドリトル先生はそれを独学でやってのけてしまう。トミーも、ポリネシアに教えられて、まずは英語の読み書き(トミーは貧乏なので学校には通えなかった)、そして動物の言葉を学び始める。「月3部作」ではもう動物の言葉を自在に話せるようになっている。ドリトル先生もだが、トミーも学ぶことを怠らない。お手本にしたい。

 井伏訳でも書いたが、「航海記」で明らかになるドリトル先生の名前の秘密…「Do little」(ドリトル)。クモザル島で、それはドリトル先生の功績に似合わないので、「シンカロット(Think a lot)」に変えられてしまう。「Do little, Think a lot」…やっぱりドリトル先生は、「Do a lot, Think a lot」だと思うけどなぁ。本の上だけで終わらず、必ず旅に出て現地で学び、実行に移す。こんな人物が、第一次大戦後に描かれていた。当時はさぞかし斬新に見えたと思う。

 あとがきで、井伏訳との違いについて書かれています。井伏訳では、イギリスの文化・生活についての理解が不十分で削られたところがあったという。イラストは可愛い、今の子どもたちに親しみやすいけれども、訳は手を抜いていないところはいいと思う。でも、ロフティング自身のイラストもやはり魅力的なんだよなぁ…。この河合訳のトミーのキャラデザはとても可愛らしく、利口で利発な少年という感じがする。いきいきしていていい。

 ドリトル先生の旅は結構長い。この「航海記」も1年は旅に出ているし、「月3部作」もドリトル先生は1年月に滞在した。さて、9歳半だったトミーはいくつになっているんだ…?ドリトル先生年表とかないのか。

・井伏鱒二訳、岩波少年文庫:ドリトル先生航海記
by halca-kaukana057 | 2019-07-26 22:40 | 本・読書
 アポロ11号による、人類初の月面着陸から50年。1969年7月20日(アメリカ東部夏時間)のことでした。日本時間だと21日なので、今夜は前夜祭といったところか。アポロ11号そのもののノンフィクションや、天文学としての月の本も読んでいるが、月にまつわる本、月に行くことを描いた本…この本を思い出した。せっかく新訳が出ているのだからシリーズ途中からになるが再読。


新訳 ドリトル先生と月からの使い

ヒュー・ロフティング:著、河合祥一郎:訳、patty:イラスト/アスキー・メディアワークス、角川つばさ文庫/2013



新訳 ドリトル先生の月旅行

ヒュー・ロフティング:著、河合祥一郎:訳、patty:イラスト/KADOKAWA、角川つばさ文庫/2013



新訳 ドリトル先生月から帰る

ヒュー・ロフティング:著、河合祥一郎:訳、patty:イラスト/アスキー・メディアワークス、KADOKAWA、角川つばさ文庫/2013



 イギリス文学が専門の河合祥一郎さんによる新訳。イラストもアニメ調の可愛らしいものに。以前は岩波少年文庫の井伏鱒二訳こそ「ドリトル先生」シリーズだと思っていたのですが、新訳もいいなと思いました。「月から帰る」の献呈文もちゃんと削らすに書いている。イラストは今の子どもたちに親しみやすくていいんじゃないかと思うのですが、でもロフティング自身のイラストもあるんだよと知って欲しい。訳の文章は読みやすいけど、ちょっと現代的過ぎるところもあるかなと。新訳についてはこの辺で。


 1928年から1933年にかけて発表された「月3部作」。再読してみて、やっぱり面白いと感じました。「月からの使い」は月に関係ない話で始まり、一体月からの使いはいつ出てくるんだ?と思いつつも、その前半の話が伏線になってくる。運命に導かれるように、ドリトル先生は月に向かうことになる。助手のトミーももちろん一緒に行きたいと思うが、危険だという先生の判断でトミーは地球、パドルビーに残るようにと言われてしまう。それでも先生についていきたい。先生をひとりにしてはいけない。出発の夜、トミーはこっそりと蛾に乗り込み、ドリトル先生、オウムのポリネシア、サルのチーチーと一緒に月へ向かう。旅立った後、トミーがついてきたことがばれるシーンが印象的だ。先生とトミーの絆、信頼関係の強さ。だからこそ、「月旅行(月へゆく)」でトミーがひとり帰されてしまうシーンは胸が痛くなる。でも、「月から帰る」でドリトル先生が月から帰って来るまで、帰って来た後もトミーは立派に働く。博物学者としても、獣医としても、ドリトル先生の家を守ることにしても。離れていてもドリトル先生とトミーの信頼関係は揺るぎ無いものであるし、離れていた期間があるからこそ、トミーは立派に成長していったのだと思う。

 「月からの使い」の巨大蛾が何者でどこから来たのかを調べるシーンでも、「月旅行」で月を調査するシーンでも、未知のものを科学的に、博物学的に丁寧に調べる姿がいいなと思う。自分の足で歩き、見たもの、聞こえたもの、出会ったものを観察し、記録し、事実から可能性を考える。必要なら議論もする。ドリトル先生は医師で博物学者であるが、その根底には科学もあり、また音楽にも詳しい…物事を専門的かつ総合的に観ることのできる学者だ。それだけでなく、未知の世界を探検する冒険家でもある。動植物の命を尊重し、救うことのできる人道的な人でもある。「ドリトル先生」シリーズはファンタジーのようだが、「月3部作」はSFでもあり、科学の手法にのっとったリアルさも持ち合わせた物語だと今読むと思う。

 話は少しずれるが、同じイギリス文学の、「シャーロック・ホームズ」シリーズのホームズとワトスンのいいところを足したのがドリトル先生か?と思う。井伏鱒二訳を読んだ時は「ホームズ」シリーズを読んでいなかった。「月から帰る」の、月での記録を本にまとめようとするドリトル先生は、研究を始めたら一心不乱、それ以外のことは気に留めない、常識はずれのことまでやってしまうホームズと似ているところがある。でも、研究を後回しにしても病気や怪我をした動物たちがやってくれば診察し、必要なら保護する優しさはワトスンか。

 「月3部作」で描かれる月の姿は、空想の姿だ。でも、今でも月についてはわからないことがある。地球に一番近くて、身近な天体なのに。アポロが月に行って、人類は月の上を歩いて調査もしたのに、まだわからないことがある。探査機を飛ばして、明らかになったことに驚き、そこから更に空想する。「かぐや」の探査によって見つかった月の地下の巨大な空間。様々な探査機により、月には凍った状態の水があるのではないかとわかってきた。地球から見ることのできない月の裏側の探査も始まっている。また人類は月に向かおうとしている。事実がわかっても、そこからまた謎が出てくる。それが空想を生む。アポロが月へ行く…宇宙開発もまだロケット開発が始まったばかりの時代、こんな鮮やかでワクワクする月の姿を空想した物語が生まれているんだ。人類は物理的にももっと"遠く"へ行けるだろうけど、空想の世界ならもっともっと"遠く"に行けるだろう。

 ただ、"遠く"に行くということは、地球から離れる…孤独を意味する。月の巨人がドリトル先生を帰したがらなかった理由が切ない。ドリトル先生が行った月にはまだ動植物たちがいる。でも、実際の月は荒涼とした死の世界だ。「死の空間」は宇宙空間だけではない。現実には月も「死の空間」。月には可能性もあるけれども…初めのうちは月の巨人と同じ思いをするだろうなと思う。

 それにしても、ロフティングが空想した宇宙や月が、将来を暗示するかのような表現をされていることに改めて驚いた。月は地球の一部だった(ジャイアント・インパクト説?)とか、月から帰ってきたオウムのポリネシアの飛び方やドリトル先生の身体の反応。月は地球より重力が小さくて、軽々とジャンプして移動することができる…これが理論的にわかったのはいつなのか、まだ調べられていない。

 どんな時も、月が見えると嬉しくなる。夕焼け空の三日月、青空に白い月、大きくて明るい満月。「ドリトル先生」の「月3部作」を読んで、月がもっと好きになった。そんな気持ちで、日本時間だと明日の人類月面着陸50年を祝おうと思う。

 ちなみに、ロフティングは、「月旅行」で「ドリトル先生」シリーズをやめようと思ったそうだ。ドリトル先生は月に残ったままで。しかし、読者たちの強い希望で続編「月から帰る」を書いた。なんだかこの点も「ホームズ」シリーズみたい。


【過去記事:井伏鱒二訳ドリトル先生「月3部作」】
ドリトル先生と月からの使い
ドリトル先生月へゆく
ドリトル先生月から帰る

 新訳は「航海記」も読む予定。というのは、福岡伸一訳「航海記」が文庫化したので、読み比べようと…。久々に「ドリトル先生シリーズ」タグの記事を書けて嬉しい。
by halca-kaukana057 | 2019-07-20 23:35 | 本・読書
 いつものように本屋さんへ。積読本がとりあえず無くなったので、補充ですw積読本があると、「こんなにいっぱいある…」とその山を見て呆然とするのに、無くなると不安になる。読む本がないじゃないか!読書をしていない、読んでいる本が手元に無いと、情緒不安になあります…重症だよw積読本への悩みは、絶えることはありません…。

 そんな本屋さんで、こんな本を見つけました。

新訳 ドリトル先生アフリカへ行く (角川つばさ文庫)

ヒュー・ロフティング / アスキー・メディアワークス


 まず、ドリトル先生シリーズは岩波少年文庫の、井伏鱒二訳が主流。井伏鱒二訳以外は出ることはありませんでした。しかし、数年前ポプラ社が新訳を出し、そして角川も…。表紙を見て嫌な予感がしたのですが、中身を見て驚いた。ライトノベル風…。最近の児童向け文庫は、ライトノベルのようなイラストのものばかりで驚きます。ライトノベルは苦手ではありません。ひとつの文学の形だと思っています。
 でも、「ドリトル先生シリーズ」がこんな形になるのは何と言うか…。中身を全部読んでいないので、まだなんとも言えないのですが…。複雑です。
 いわゆる「世界の名作」文学作品は、訳の違いで色々な味わい方が出来ます。例えば、「星の王子さま」の訳は、今一体いくつ出ているのだろう?最初の訳が完全・完璧、それ以外ない、とは言えないし、新訳で新たな魅力に出会えることもある。本当は自分でオリジナルを読めればいいのだが、語学力が…orz

 「ドリトル先生シリーズ」も、新訳で新たな魅力を味わえればいいなと思う。ポプラ社版も結局読んでいないので、読んでみるか…。でも、買うほどでもないような…。うーん…。
 私個人の思いでは、新訳から読んだ方は、是非井伏鱒二訳も読んでみてね!と言いたい。「オシツオサレツ」をはじめとする、あのユーモアは井伏鱒二訳だけ!

新訳 ドリトル先生航海記 (角川つばさ文庫)

ヒュー・ロフティング / アスキー・メディアワークス


 「航海記」も出てるらしい。

ドリトル先生 (ポプラポケット文庫)

ヒュー ロフティング / ポプラ社


 これがポプラ社版。

ドリトル先生アフリカゆき

ヒュー・ロフティング / 岩波書店


 井伏鱒二訳岩波少年文庫版!

ささやき貝の秘密 (岩波少年文庫 (2134))

ヒュー・ロフティング / 岩波書店


 「ドリトル先生」ではないロフティングの作品。面白いです。オススメです。
・私の感想:ささやき貝の秘密
by halca-kaukana057 | 2011-08-15 23:11 | 日常/考えたこと

ドリトル先生の楽しい家

 ドリトル先生シリーズもいよいよ最終巻。短編集として、ロフティングの死後まとめられ出版されました。

ドリトル先生の楽しい家
ヒュー・ロフティング/井伏鱒二:訳/岩波書店・岩波少年文庫
 
 ドリトル先生シリーズでは、各所に短編のようなお話や、動物たちが語る経験談が語られる。この短編・小話が面白い。ロフティングはこういう小さなお話を書くのが得意だったのではないかと思われる。ドリトル先生という大きな枠組みの物語を彩り、スパイスを与える沢山の短編。短いお話の中で、動物たちは生き生きと活躍し、彼らなりの視点で世の中を、人間たちを見ている。その鋭さと楽しさがいっぱい詰まっているのが、この最終巻です。


 お話は犬たちのこと、鳥たちのことなど。ドリトル先生の周りではいつも動物たちが巻き起こす楽しい「事件」が起こる。特に「船乗り犬」と名探偵犬・クリングの事件簿は飛びぬけた面白さ。船に乗り、船乗りと共に生活していた犬のローバー。そのローバーが船に乗っていた頃起こした事件と、ある一人の船乗りの少年との物語。前巻「緑のカナリア」のピピネラと窓拭き男と同じように、犬の言葉を全部正確に理解できなくても、動物と心を通わすことは出来る。信頼と絆が強ければ。再びそう感じた。一方「動物園」で出てきた名探偵犬・クリングも再登場。ドリトル先生の家の前で、男が一人倒れていた。意識を取り戻した男は、金を盗まれたと言っている。男を気絶させたのは誰なのか、盗まれたという金はどこへ行ったのか。そして事件の真実は…。怪事件の謎を次々と解いてゆくクリング。ドリトル先生は探偵小説としても楽しむことが出来たのです。クリングの捜査の腕・洞察力はベルギーで警察犬として働くうちに身に付けた。もし人間が警察犬の言葉を理解できれば、解決する事件も増えるんじゃないかと思ってしまう。


 さらに、うじ虫の大冒険とドリトル家にやってきたある子どものお話。うじ虫の話は、さすがロフティング。冒険ものは得意です。一方、これまでドリトル家に新顔の動物がやってくるのは良くある話だったのですが、これが動物ではなく人間だったら…というのが「迷子の男の子」のお話。ドリトル先生も動物たちもお手上げの騒動を巻き起こす迷子の少年。ドリトル先生にとっては、動物よりも人間と心を通わす方が大変なんだろうなぁ。


 以上、これでドリトル先生シリーズは最後です。動物の言葉を理解し、コミュニケーションできたらという夢を実現してしまったドリトル先生の大冒険もここで幕を閉じます。冒険ものであり、月へ行ってしまうSF要素もあり、ファンタジーでもあり探偵ものでもある。子どもたちがこれから読むであろう様々な文学のジャンルを広く扱い、文学への第一歩として楽しむことも出来る。また、一般的には児童文学と括られていますが、大人が深読み・更なる空想をするにも充分な面白さと深さがある。しかも、書かれたのは第一次世界大戦~第二次世界大戦の頃。読み継がれてきたのには元々の面白さもあるし、特に日本では井伏鱒二の名訳もある。ずっと後世に残っていって欲しい、私も語り継ぎたい物語のひとつだと感じました。

 これで最後と書きましたが、ブタのガブガブの番外編もあります。それはそのうちゆっくりと
by halca-kaukana057 | 2008-08-14 20:49 | 本・読書
 ドリトル先生シリーズ第11作。「ドリトル先生のキャラバン」で登場したカナリア・ピピネラのお話です。

ドリトル先生と緑のカナリア
ヒュー・ロフティング/井伏鱒二:訳/岩波書店・岩波少年文庫


 メスであるが美しい声で歌うピピネラ。その伝記に関しては「キャラバン」でも語られていますが、今作ではさらにより詳しくピピネラのこれまでと、「カナリア・オペラ」が大成功を収めた後についても語られます。前作「ドリトル先生と秘密の湖」の感想で、「ドリトル先生シリーズには、こんな賢く話し上手な鳥が他にも出てくる。」と書いたが、ピピネラのことを忘れていた(それと、ドリトル一家の働き者の家政婦である、アヒルのダブダブも)。忘れてはいけない。


 ピピネラの波乱に富んだ、ドラマティックな生涯はひとりの女優の生き様を描いたドラマ・映画のよう。メスはオスのように歌うことが出来ないという常識に反発し、努力を重ねて美しい歌声を手に入れる。何度も飼い主が変わり、そこで楽しいことも辛いことも体験してきた。時に恋もし、失恋に傷ついたことも。死にそうになったことも何度か。でも、どこにいてもピピネラは果敢に厳しい環境や境遇に立ち向かい、人間の暮らしを見つめ、愛してくれる人たちのために歌を歌う。特に、古い風車小屋に住む窓ふき屋の男のために。

 これまで、ドリトル先生の物語では、ドリトル先生が動物たちのことをいかに理解し、人々にそれを伝えようとしているか。また先生と弟子のトミー、先生のもとにやってきた動物たちの冒険について語られてきた。先生のように動物の言葉が理解できたら、どんなに面白いだろうと何度も思った。でも、私は動物の言葉はわからない。犬が尻尾をふっていれば楽しいのだなとか、猫ののどをなでてあげれば気持ちよさそうにゴロゴロ鳴らすとか、家で飼っている金魚が餌が欲しい時尾びれを振って近寄ってくるとか、そのくらいしかわからない。庭にやってきたスズメがさえずっているのを聞いて何を話しているんだろうと疑問に思っても、スズメの言葉はわからない。でも、言葉はわからなくても、動物と心を寄せ合うことは出来る。飼っている動物の言葉ひとつひとつはわからないけど、餌が欲しいとか散歩に行きたいとか、そういう感情の断片はわかる。ドリトル先生のように動物の言葉全部はわからなくても、動物たちと人間が理解しあえないわけではないんだよ。――ピピネラと何人もの飼い主たち、とりわけ窓ふき男との絆を描くことで、ロフティングはそういうことを伝えたかったのではないかなぁと思った。


 その生き別れとなった窓ふき男と再会し、窓ふき男が探しているある大事なもののためにピピネラやドリトル先生一家が活躍する。他の巻でもそうだけど、ドリトル先生シリーズではこういう息もつかせぬ展開の書き方が本当にうまいと思う。面白くて読むのが止められない。ドリトル先生シリーズも魅力はここにもあると感じた。

 この「緑のカナリア」を書いている途中で、ロフティングはこの世を去ってしまう。そのため、ロフティングの妻・ジョセフィンの妹であるオルガ・マイクルがその続きを引き受けたのだそうだ。冒頭で「おことわり」とジョセフィンが書いている。

 さぁ、ドリトル先生シリーズも残すところ1巻。どんな結末になるのか。…結末自体あるのかな。心して読みます。
by halca-kaukana057 | 2008-07-31 13:04 | 本・読書
 ドリトル先生シリーズ第10作。上・下巻に分かれています。

ドリトル先生と秘密の湖〈上〉
ヒュー・ロフティング/井伏鱒二:訳/岩波書店・岩波少年文庫


 月から帰ってきて、ドリトル先生は月のメロンを育て、不老不死の薬の研究をしている。しかし、メロンはうまく育たず、研究も全く進まない。落ち込んだ先生は、研究を諦める。そんな先生をなんとか励まそうと、トミーとオウムのポリネシアは、アフリカで出会ったノアの箱舟の時代から生きているカメのドロンコに先生を会わせようと考える。ドロンコが今どこにいるか、スズメのチープサイドと妻・ベッキーはアフリカに飛び、ドロンコのいた秘密の湖は地震で地形が変わってしまっていたことを先生に伝える。ドロンコは、湖の底に埋まっているかもしれない…。ドロンコを助け彼の話を聞くため、先生一行は再びアフリカへ旅立った。


 この物語に出てくるカメのドロンコは、「ドリトル先生の郵便局」の最後の方に出てきます。上巻ではアフリカへ旅立ちドロンコを助けるまで、下巻ではドロンコの見た有史以前の物語が語られます。

 このドロンコの物語は、新約聖書の「ノアの箱舟」のお話がベースになっている。大洪水が起こることを知らされ、箱舟を作り家族や動物たちを乗せるノア。しかし、ドロンコは洪水が起こる前に親切にしてくれた奴隷の少年・エバーと美しい声の奴隷の少女・ガザを助けるために箱舟を降り、2人を助け安住の地を求めて旅をする。基になった「ノアの箱舟」のお話に負けないぐらい壮大。エバーとガザが動物の奴隷になることも。「千の風になって」で知られる作家・新井満さんによる解説を読むと、第9作「月から帰る」(1929)を書いた後、ロフティングは物語を書かずにいた。「秘密の湖」が出版されたのは1947年。18年もかかっている。その長い休筆・執筆の期間は、第2次世界大戦と重なっている。第2次世界大戦で傷つけあう人間たちを見て、その警鐘としてロフティングは「秘密の湖」を書いたのではないかと、新井さんは書いている。月シリーズでも、人間(巨人のオーソ・ブラッジ)と動物・植物たちが平和に暮らしている様が描かれている。ロフティングは人間も動物も関係なく、仲良く平和に暮らせる世界を望んでいた。それを、ドリトル先生の物語の中で模索していたのだろう。もし人間が動物の奴隷になってしまったら、世界を動物が支配したら…。そう仮定して、言いたかったことをドロンコや彼の妻・ベリンダに託していたのではないかと思う。


 この物語でドロンコ以上に大活躍するのが、オウムのポリネシアとロンドン・スズメのチープサイド。2羽とも素晴らしい道案内役になっています。しかし、両者相性が悪く、事あるごとに軽口を叩き合う。実際は仲がいい…のかな。2人ともウィットに富んだ言葉で言い合う。楽しい。ドリトル先生シリーズには、こんな賢く話し上手な鳥が他にも出てくる。数学家でドリトル一家の参謀でもあるフクロのトートー。「郵便局」で出てきたツバメのスキマー。この「秘密の湖」でドロンコと一緒に旅をしたオオガラス。鳥に注目してこの物語を読むのも面白い。

 最後、ドロンコとベリンダがエバーとガザと別れるシーン、そして話終わったドロンコが洪水で沈んだマシュツ王国の宮殿を見つけるシーンでしんみり。世界を武力で支配し、その宝物を奪ってきたマシュツ王。彼の宝物を見て、持って帰れば大金になると言うアヒルのダブダブに対して、ドリトル先生がこう言う。
この宝石には、血がついておる。
(263ページ)
なんと重い言葉だろう。

 この「秘密の湖」を書いた後、1947年にロフティングはこの世を去る。ラストがしんみりしているのは、そのせいでもあるのだろうか、なんて考えてしまった。
by halca-kaukana057 | 2008-07-17 08:19 | 本・読書

ドリトル先生月から帰る

 ドリトル先生シリーズ第9作、月シリーズ完結編です。

ドリトル先生月から帰る
ヒュー・ロフティング/井伏鱒二:訳/岩波書店・岩波少年文庫


 ドリトル先生一行が月へ行って一年。一足先に帰されたトミーは、パドルビーの先生の家で、動物たちと一緒に先生の帰りを待っていた。月蝕の夜、月を見ていたトミーたちは月から煙があがるのを確認する。ドリトル先生が帰ってくる合図だ。翌日の夜、ドリトル先生は巨大なイナゴに乗って帰ってきた。ドリトル先生も巨大になって…


 無事にドリトル先生が帰還したところで、私も安堵。しかし、帰還してすぐに地球の重力には対処できない。ポリネシアは飛ぶこともできず、「空中をぐるぐるまわりながら落ちてくる、ぼろ屑のかたまりのようでした。それは、やがて私の足もとの近く、芝草の上にばさりと落ちました」(73ページ)。ポリネシアが飛べない様子を描いたこの部分ですが、とても素晴らしい。これまで宇宙船・宇宙ステーションに鳥類を持ち込んで実験をしたことはなかったはず。もしこれから実験があるとして、その鳥は帰還した時、このポリネシアのようになるのだろうか。興味深い。

 そして、月の食べ物のせいで巨人になってしまったドリトル先生。微少~低重力では背が伸びやすい。それを反映しているようにも読める…が、ここはあくまで月の食物の影響。


 トミーが月から帰された後、ドリトル先生は月の巨人・オーソ・ブラッジのリューマチの治療にあたっていた。最初、2人の関係はあまりよくなく、意見はすれ違うばかり。ドリトル先生もブラッジのことを一度は見放す。しかし、ブラッジの病状が酷くなり命の危険が迫った時、ドリトル先生は全てを放り出して治療に専念する。医師として、一人の命を救うために。一方、ドリトル先生の治療で意識を取り戻したブラッジは、人間としての感覚も取り戻した。永い間月で、動植物と話は出来たが孤独に暮らしてきたブラッジ。ドリトル先生をずっと月にいて自分を治療してくれる人ではなく、「ほんとうの友だち」と感じ始めた。地球から遠く離れた月で感じる孤独は、計り知れないものだろう。ドリトル先生で描かれている月世界とは異なるだろうが、月周回衛星「かぐや」から送られてきた月の詳細な画像は興味深いのだが、一方で荒涼とした土地で寂しさも感じる。ここに行けたらいいだろうけど、そばに誰もいなかったら寂しいと思うのだろうな、と。そんな月世界の地平線から見える青い地球…いとおしいと感じると共に、その距離がまた孤独感を倍増させる。ドリトル先生から話がずれてしまったが、オーソ・ブラッジもこう感じていたのかもしれない。地球から来た仲間を離したくないという思いが、仲間なのだから大事にしよう、その仲間の意思を尊重しようという思いに変化した。ドリトル先生が「紳士」と言う様に。


 月から帰還したドリトル先生には大きな仕事が待っていた。月で見たこと、知ったこと、実験したことを本にまとめる仕事が。しかし、家にいると患者が次から次へとやってきて仕事にならない。そこで、良さそうな仕事場としてドリトル先生が向かった先が……奇想天外な場所。今実際にドリトル先生と同じような行動をしたら、スポーツ新聞の三面記事になるに違いない。結局はトミーが治療にあたることで、そんな場所に行かずに済んだのに。ドリトル先生らしい、と言うよりはネコ肉屋のマシュー・マグらしい考えだった。よいこはまねしちゃいけません。

 物語の最後、ドリトル先生は月世界の不老不死の話をする。満ち欠けを繰り返す月と、不老不死の伝説は関係が深い。ただ、それらの伝説はアジアに多い。ヨーロッパにもイースター(春分後、最初の満月直後の日曜日)があるが、アジアほどではない。ロフティングがアジアの月の伝説を参考にしたってことは…ないのだろうか。もし参考にしていたら面白い。


 以上、ドリトル先生の月シリーズは物語としてもSFとしても楽しく読めました。もっと読み込めばさらに色々と解釈できそうだ。ひとまず次の10作目「秘密の湖」に進みます。
by halca-kaukana057 | 2008-06-30 22:09 | 本・読書

ドリトル先生月へゆく

 ドリトル先生シリーズ第8作、月シリーズ第2部です。いよいよドリトル先生が月に降り立ちます。

ドリトル先生月へゆく
ヒュー・ロフティング/井伏鱒二:訳/岩波書店


 巨大なガに乗って月にやってきたドリトル先生一行。冒頭から月の重力は地球のより小さいため、ぴょんぴょんと歩き回ることができるとの描写が。まさにアポロ11号の月面着陸のよう。ロフティングがアポロの月面着陸を見た時、何と思ったんだろう…と思ったら、ロフティングは1947年に死去。アポロの月面着陸を見ることはなかった。もし見ていたら、このシーンを思い浮かべたんだろうか。そう言えば、月の重力は小さいため、歩く時もぴょんぴょんとジャンプしながら歩くと考えられ始めたのはいつ頃なんだろう?実際に確かめられたのはアポロの時だろうが、理論として考えられたのはいつなんだろう?

 月では見たこともないものばかり。ドリトル先生もトミーも興奮気味。月での冒険と言うよりは、探査と言ったほうがいい。
「月の植物界の分野は、百人もの植物学者が、一年も二年もかかって研究するほどの大問題だ。われわれはまだ、ほんのうわっつらをなでたにすぎんのだ。これから、月の反対がわの、まだ知られていない地方に進むにつれて、どんな大発見をするか―それは、その―とうていだれにもわからんのだ。(中略)ほんとにわしは、いろんな専門家を―測量技師、地図製作者、地質学者などみんなつれてくるべきであった!考えてごらん、われわれはいま、新しい世界の道をさぐりさぐり歩いておるが、自分のいる位置さえ満足にわかっていないのだ。」(95~96ページ)
まさにこのことを、今「かぐや」などの無人探査機で行っているのだ。測量技師や地質学者は連れて行っていないけれど、それに代わる観測機器は積んである。月の地図製作…「かぐや」の地形図のことを思い出させる。
月では植物が言葉を持ち、謎の巨人もいるらしい…。この巨人、第1部「月からの使い」にあるエピソードをちゃんと引き継いでいた。月シリーズは全部読まないと何が起こるかわからない。

 この植物が言葉を持ち、さらに月には植物や動物が話し合って物事を決めている。生存競争はなく、「会議」で物事を決めている。全く不思議な世界だが、ここに第1次世界大戦を経験したロフティングの願いがこめられているのだろうか。争いのない平和な社会であって欲しいとの願いが。実際、自然界は生存競争だけが繰り広げられているわけでもない。植物と昆虫、動物同士が助け合って生存している例もある。人間的に考えると「会議」だが、「会議」が無くても自然界には面白い現象がある。ロフティングは、それに子どもたちに気付いて欲しかったと思っていたのだろうか。

 また、進化についての言及もある。月世界の生物の進化について探るため、ドリトル先生が月の湖で魚類を探している時、サルのチーチーが「進化とは何ですか」と聞く。それに対して、オウムのポリネシアがこう答える。
「進化というのはね、チーチー。どうしてスタビンズには、あなたのようなしっぽがなくなったかという物語ですよ。―――スタビンズには、もうそんなものは、いらないんですね。そしてまた、あなたには、どうしてしっぽが生えて、それが必要に応じて今日までちゃんと残っているか、という物語です。進化だの証明だの、それは学者の使う、えらそうなことばです。簡単なことを、むずかしくいっただけのものですよ。」(55~56ページ)
確かにシンプルでわかりやすい。

 月で診療を始めたドリトル先生だが、トミーに危機が。地球の両親が心配していると聞いた月の動植物たちがトミーだけを地球に返してしまう…。子どもがここを読んだら、自由になれない無念と感じるのだろうか。それとも仕方ないと諦めるのだろうか。大人になってから読んだ私には想像することしか出来ないが、子どもの私なら…やっぱり早く大人になりたいと思っただろう。

 ドリトル先生は無事地球に帰ってこられるのか。9作目・月シリーズ第3部「月から帰る」に続きます。
by halca-kaukana057 | 2008-06-17 23:04 | 本・読書
 ドリトル先生シリーズ第7作。いよいよ月3部作です。待ってました!!

ドリトル先生と月からの使い
ヒュー・ロフティング/井伏鱒二:訳/岩波書店・岩波少年文庫


 最初から月の使いがやってくるのかと思いきや、前半は違うお話ばかり。でも、読み進めて後半になると、その前半でのお話が後半への伏線であることが判明。そして前半と後半・月から使いがやってくる部分への橋渡しとなる部分…ドリトル先生が新しい旅を始めるために、候補地を選ぶシーンの緊張感と言ったら。

 この「月からの使い」の時代は、「ちょうどそのころ、モールスの電信機械の実験が、世間の人の注目をあびているところでした」(98ページ)の部分から1840年代ごろと推定できる。また、ドリトル先生シリーズが書かれたのは第1次世界大戦後。その頃はまだ宇宙開発は始まっていないが、ジュール・ヴェルヌの「月世界旅行」は既に出版され、ツォルコフスキーやゴダードはロケットの研究を始めていた。作者のロフティングも、徐々に近づく宇宙探査時代に夢やロマンを感じていたのだろうか。

 月に関して、面白い記述もある。サルのチーチーがサルの仲間たちに伝わる言い伝えを話す。
昔、月は地球の一部だったと信じられているのです。ところが、大きな爆発か何かが起こって、地球の一部が空中へ跳ねとばされ、どういうわけか、そのまま空に残るようになったのです。

 これは「ジャイアント・インパクト説」のことでは…?この説が発表されたのは1975年、アポロでの探査の後。ロフティングの空想だったとしても、すごい想像力だ。

 そしてやってきた月からの使い。それは巨大なガ。ドリトル先生の世界にロケットはないから、どうやって月へ行くのだろうと思っていた。その巨大なガに乗って行く…ドリトル先生らしいなと思う。そして、月へ向かう前の先生とトミー君のやり取りがまた印象的。危険だとトミーを月へ行かせたくない先生と、何があってもついて行きたいトミー。お互いを案じ、信頼する絆。そして未知の世界へ行ってみたい、何があるのか見てみたいという冒険心。ドリトル先生シリーズは、トミーが出てくる巻と出てこない巻では面白さが違うなと感じる。「サーカス」「キャラバン」のように出てこなくても面白いけど、トミーがいると先生のまた違った面も見えてくるように思う。

 ガに乗って月へ向かう先生一行。ガが速度を上げるシーンは、液体燃料ロケットがだんだん速度を上げていく様に読める。ロフティングは先の時代を読んだわけではないのだろうが、「おや」と思う部分が沢山あって驚く。次巻も楽しみ。
by halca-kaukana057 | 2008-06-04 20:51 | 本・読書

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