人気ブログランキング |

タグ:ノンフィクション ( 66 ) タグの人気記事

 本屋で気になったので購入。ポップな感じの表紙。裏表紙のあらすじを読んで「なんだこれ?」「マジなのか?」と思う…。色々な意味でものすごい本だった。


人間をお休みしてヤギになってみた結果
トーマス・トウェイツ:著、村井理子:訳/新潮社、新潮文庫/2017

 筆者のトーマス・トウェイツさんはロンドンに住むフリーランスのデザイナー。安定した仕事がなく、彼女に怒られ、将来のことが心配。悩ましいことばかり。姪っ子の犬の散歩をしながら、人間特有の悩みを数週間消せたら楽しそうだなぁ…と思っていた。その日その時だけのことをして生きていく。そうだ、人間をお休みしてしまおう。ここでは、親しみをこめてトーマスさんと呼ばせていただきたい。トーマスさんは、早速、医学研究支援等を目的とするイギリスの公益信託団体・ウェルコムトラストに申請書のメールを送り、見事資金提供してもらえることになった。その内容とは、象になって、四足歩行に適応する外骨格を製作すること、草を食べて消化できる人工胃腸を開発すること、脳内の将来計画と言語中枢のスイッチを切ってしまうこと。象になりきって、アルプスを越えること。
 その後、色々あって、計画は象からヤギに変更になる。しかし、トーマスさんはヤギになることを諦めなかった…。


 現代的なフランクな文章で読みやすいです。セルフツッコミばかりで、それが面白いけれども自虐的。上述したあらすじを読んで、何のことやら…と思う。要するに、「ヤギ男」になりたい。意味がわからないw

 人間をお休みして、ヤギになる。ヤギと一緒にのんびりと暮らすだけ…ではない。身体も心もヤギになりきるのが目的。最初は象だったのだが、紆余曲折あってヤギに変更した。この過程がまた意味がわからない展開w

 しかし、トーマスさんは本気である。まず、人間の思考をやめるために、人間の思考とは何か、ヤギならどうなるのかを哲学的に考える。イギリスの虐待されたヤギの保護施設へ行き、ヤギの思考について学び、人間の言語による思考をやめるために言語神経科学の医師を訪ね実験を受けてみる。四足歩行をするために、義足を作ってもらい、そもそもヤギの身体はどうなっているのか、解剖学者がヤギを解剖するところを見て身体の仕組みを学ぶ(解剖の箇所はカラー写真があり、苦手な人は注意)。ヤギになりきるために、ヤギのありとあらゆることを専門家に訊ねるこの情熱はすごい。ヤギの身体と心の仕組みを知る過程で、人間との違い、人間はどんな生き物なのかを知ることもできる。文章はフランクで、自虐セルフツッコミも多く、やっぱり意味がわからないのだが、真面目な本ではあります。脳に磁気刺激を与えて言語停止実験をしたり、草を食べてヤギと同じように消化するために使う酵素や人工の胃のくだりは、狂気も感じるほど。そこまでしなくても、いくら何でも危険だって…と思うが、トーマスさんは本当に真剣なのだった。すべてはヤギになりきるため。すごい。

 義足も出来上がり、いよいよスイスのヤギ農場で、ヤギと一緒に暮らす時が来た。ヤギ農場は山の上にある。そこまでたどり着くのも大変。二足歩行で上り下りするのも大変だった斜面を、義足を着けてヤギとして上り下りしなければならない。ヤギたちと一緒に。ヤギとして暮らすのはちっとも楽ではないではないか!でも、トーマスさんはヤギとしての生活を満喫する。楽しんでいる。象からヤギに変更になったとはいえ、ふと思いついたちょっとしたアイディアを、本気で実現してしまったトーマスさん。うん、おかしいw(褒め言葉です)

 トーマスさんは、ヤギとして最後の望みを叶えるため、アルプスへ。山を越えるトーマスさんの写真を見ながら、私も「がんばれトーマス、負けるなトーマス」と応援してしまった。
 このプロジェクトは、2016年イグノーベル賞生物学賞を受賞した。くだらない、バカバカしい思い付きから始まったが、とても興味深く、ヤギになりきることを貫き通すトーマスさんに感動してしまうのは何故だろう…何であれ、本気になるって素晴らしいことだと思う。トーマスさん、最高にカッコイイ、クールだよ(絶対にマネはしたくないけど)

 トーマスさんは元々、大学の卒業研究だったゼロからトースターを作ったことで注目されたのだそう。その本も出ているので読んでみたい。
by halca-kaukana057 | 2019-04-14 22:09 | 本・読書
 偶然見つけて気になった本。


モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語
内田洋子 / 方丈社 / 2018

 筆者の内田さんは仕事の拠点をミラノに置いていた。冬のある日、ヴェネツィアで仕事をして駅に向かう途中で、古本屋を見つける。気になって入ってみると小さな店舗に本がたくさんある。全てヴェネツィア関連か美術の本だと店主は言う。欲しい本は何冊もあったが、荷物になるので買えず、ヴェネツィアを経った。その後、ヴェネツィアに住むことになった内田さんは、この本屋「ベルトーニ書店」に通っていた。書店主のアルベルトと話すことも多くなった。そんなアルベルトは、父から店を引き継いだが、父が店頭に立つ時もある。この店はアルベルトで四代目。アルベルトの祖父はトスカーナにある小さな山村、モンテレッジォの出身だと言う。そのモンテレッジォの男たちは、他所へ物を売り歩いて生計を立てていた。その売っていたものは、本だったという。本の行商?夏には、本のお祭りがあるという。内田さんはその奇妙な村・モンテレッジォに惹かれ、関係者に連絡を取り、村に向かうことになった…。

 イタリアのトスカーナにあるモンテレッジォ村。勿論初めて聞きました。しかも、本の行商をしていたなんて。本なんてどこにでもあるだろう。本はどこでも同じものが売っている。本屋に行けばあるだろうに、行商が成り立つのだろうか。一体何がどうして、重い本を売り歩くようになったのか。モンテレッジォの村と、何故本を売り歩くようになったのか、モンテレッジォの人たちにとって本とは何なのか。それを歴史を紐解きながら辿ります。

 モンテレッジォの地形、地理、イタリアやヨーロッパを含む歴史などがどんどん絡んで、本の行商へ繋がっていく過程は読んでいて面白かった。推理小説のようでもあるし、歴史絵巻、大河ドラマのようでもある。モンテレッジォには文化が根付き、文化を大切にしようとする歴史的な土壌があった。しかし、最初から本を売り歩いたわけではなかった。最初から行商ばかりをしていたわけではなかった。行商に出なければならなくなった理由、売り歩くものがだんだん本に変わっていった理由。様々な歴史の中で、モンテレッジォの人々は、世の中の人々が求めていることに柔軟に対応していった。10章の本の行商の様子の記録を読んでいると、当時の人々の様子が生き生きと伝わってくる。

 本がどこでも同じものを買えるのは、現代でこその話。行商で売られていた本と、本屋で売られていた本は違っていた。人々がそれぞれに求めた本は違っていた。行商だから売れる本があった。人々がどんな知識を、本を求めているか。行商人たちは敏感で、すぐに対応した。すごい。納得した。
 行商人たちは、その内本屋を開き始める。出版社を起業し、それを本屋で売る者もいた。イタリアだけではなく、ヨーロッパのあちこち、更には南米まで広がっていったのには驚いた。

 1952年には、行商人や各地で書店を開いている村人たちが集まり、「本屋週間」が開かれる。翌年、それぞれの本屋で最も売れ行きの良い本を報告して決まる文学賞「露天商賞」が誕生する。1953年の第1回受賞作はヘミングウェイの「老人と海」。ノーベル賞に先駆けた受賞だったとのこと。

 文化を広めたい、届けたい。その情熱が現代にも繋がっている。モンテレッジォの村人たちが、文化を支えてきた。ヴェネツィアのアルベルトの他にも、各地で本屋を営んでいるモンテレッジォにルーツを持つ者は多い。モンテレッジォは、定住者や少なく、若い人たちは都市に住み働いている。村は貧しい。でも、モンテレッジォへ内田さんを案内したマッシミリアーノのように、モンテレッジォが故郷だと思っている人は多い。帰省するのを楽しみにしている。本を大切にし、本を広めた先人たちや村のことを誇りに思っている。こんな小さな山村があったなんて。本当に感激した。

 この本でも、ネット書店の脅威が語られている。私も、行動範囲内の本屋にお目当ての本が置いていなければ、ネット書店で注文してしまう。更に数年前からは、本が絶版になるペースが速いと思っている。つい数年前に出版されたのに、もう置いていない。ネット書店にもない。図書館にも置いていなくて、お手上げになることが少なくない。
 本屋では、お目当ての本を探しているつもりが、別の本を見つけて気になってしまったということがよくある。こういう時、やはり買っておくのが一番なのだろう…。

 モンテレッジォのような長い歴史はなくても、私の身の回りにも老舗の本屋や、地域の文化を支えてきた、地域の人々に愛されてきた本屋があるだろう。新しい本屋でも、文化を支える力になっている本屋もあるだろう。そんな本屋を大事にしたい。本屋という存在がとても尊いものに感じられる本です。

by halca-kaukana057 | 2019-04-01 22:28 | 本・読書

宇宙に命はあるのか

 本屋で平積みになっていて気になっていたところに、友人が面白かったと言っていた本。なぜ表紙が「宇宙兄弟」のムッタ?(帯によると作者の小山宙哉先生が絶賛しているとのこと)


宇宙に命はあるのか 人類が旅した一千億分の八
小野 雅裕/SBクリエイティブ、SB新書/2018

 著者の小野さんはNASA、ジェット推進研究所(JPL)で火星探査ロボットの開発をしている技術者。この本の元となるWeb連載があり、原稿を書き上げた後、一般の読者との読書会を4回開き、そこでの意見を取り入れ改訂していった、とのこと。読み手の意見を製作の段階で取り入れているのは珍しいなと思います。

 一言で言うと、人類の宇宙開発、宇宙探査の歴史を描いた本です。SFだった宇宙飛行が、ロケットの開発により現実のものになっていく。そして宇宙へ飛んだ人類は、更に遠くへ…月、火星、もっと遠くの惑星へ、更にもっと遠くを目指していく。何のために?それは何故?何故そこまでして人類は宇宙へ向かっていっているのか。

 文章は易しく、読みやすいです。ドラマティックな、物語のような雰囲気で書かれているので、宇宙開発・宇宙探査のノンフィクションと思って読んだ私は最初驚きました。ちょっと脚色強くないか?とか。でも、この文体が、この本全体に通じるテーマである「あるもの」を印象付けるのに効果的だなとも感じました。この「あるもの」は読んで実感してください。ネタバレしません。

 何かを知りたくて読む、というよりは、この本の雰囲気、この本全体に通じる「あるもの」を感じながら、宇宙開発・宇宙探査の進んできた道とこれから進む道を味わう本かなと思いました。「コズミックフロント」のようなテレビ番組、「ライトスタッフ」「アポロ13」「遠い空の向こうに(October Sky)」「ドリーム(Hidden Figures)」、「はやぶさ」を描いた数々の作品などの映画を観ているような感じ。ノンフィクションではなく完全なSFだけど、「コンタクト」とかも。映画じゃないけど「プラネテス」も当てはまる(原作漫画もアニメも)。あと、表紙になっている「宇宙兄弟」もか。この本で初めて知ったこともあります。アポロ計画を支えたジョン・ハウボルトとマーガレット・ハミルトン。彼らがいなければ、アポロ計画は実現していなかったし、成功もしていなかった。ボイジャー計画のゲイリー・フランドロと彼の計画に賛同し引き継いだJPLの技術者たち。ボイジャー計画は最初から現在の計画ではなかったのか。あのアメリカでもこの大冒険に消極的だったのか。これには驚きました。

 私が何故宇宙や天文に興味を持っているのか…?その理由を問われているような本でもありました。

 この本には書かれませんでしたが、つい先日の「はやぶさ2」の小惑星リュウグウへのタッチダウン成功。ワクワクして仕方なかったし、成功の報せに喜び、届けられたタッチダウンの連続画像には興奮しました。リュウグウは、最初は丸い平坦な小惑星と考えられていた。ところが、実際に行ってみたらそろばん玉のような形で、ゴツゴツ岩だらけなことがわかった。リュウグウには、原始の太陽系の成分や、もしかしたら水、有機物があるかもしれない。地球のような惑星が初期の頃はどんな星だったのか、生命の起源はもしかしたら宇宙から来たのかもしれない。それを解く鍵を探しにはるばるリュウグウまで向かいました。「はやぶさ2」計画は予算などの関係で実現が危ぶまれたこともあります。宇宙・科学ライターの方々の呼びかけで、宇宙ファンが実現してほしいと関係機関へメールを送ることもしました。私も協力しました。そこまでして「はやぶさ2」を実現させたかった理由。初代「はやぶさ」が様々なトラブルに見舞われながらも地球へ小惑星イトカワのサンプルの入ったカプセルを地球に持ち帰ろうとしていた(この時点では、まだ本当にカプセルにサンプルが入っているかわからなかったし、地球に帰還できるかもわからなかった)。その成果を繋いでいってほしい。「はやぶさ」が見せてくれたイトカワの姿。他の小惑星はどうなのか。イトカワと似ているのか、全く違うのか。技術実証機である初代「はやぶさ」はトラブル続きだったが、ここで得られたものを生かして、本番の「はやぶさ2」を飛ばしてほしい。「はやぶさ2」でもっと広い宇宙を見たい。そんな思いからでした。

 「はやぶさ」シリーズだけでなく、他の探査機や宇宙機、様々な望遠鏡は遠い宇宙の姿を見せてくれます。惑星の様々な表情、星雲や銀河、生まれたばかりの星、一生を終えようとしている星。それらの姿にワクワクします。頭の上に広がっている宇宙は、肉眼では小さな星がいくつも輝いているけれども、実際にはどんな姿をしているのだろう。どんな星があるのだろうと星空を観る度に思います。
 また、宇宙から見た地球の姿も興味深いです。自分の姿は鏡に映せばわかるけど(それでも、見落としている部分もあるし、心の中までは全てはわかりません)、地球を見るためには宇宙に行かなくてはいけない。私は宇宙に行けないけれど、ISSに滞在している宇宙飛行士たちが伝えてくれる地球の姿はとても表情豊かで美しく、地上にいてはわからないことばかり。また、地上から400kmしか離れていないけれども、その距離でも宇宙の生活は地上の生活とは違う、宇宙に行くと物体や人体に何が起こるのか、わからないことがたくさんあります。

 私が宇宙・天文に惹かれるのは、見たことのない世界を見たいから。地上の固定概念から離れた、もっと広い世界を見たいから。それがとても楽しいから。好奇心が疼くから。単純だった。でも、その単純な感情がきっかけになって、複雑なロケットや探査機、望遠鏡など宇宙を探る装置を作り出し、どんどん遠くを見ているのだからすごいなと思う。この本に書かれていることも、「あるもの」がきっかけになってどんどん遠くの宇宙を見ようとしてきた。そのうち、ある疑問が出てきた。生命のある星は地球だけなのか。宇宙のどこかに生命はいないのか。地球の生命はどこから来たのか。単純な問題ほど深くて難しくなかなか答えが出ない。

 普段私が読んでいる宇宙に関するノンフィクション、専門書とは違う切り口で面白かったです。
by halca-kaukana057 | 2019-03-13 22:53 | 本・読書
 映画を観た後、すぐにこの原作本を買ったのですが時間がかかってしまった。あと、合わせてDVDで映画をもう一度観たいと思っていたらもう1年以上…。
・映画感想。あらすじを読みたい方もこちらへ:映画「ドリーム(Hidden Figures)」

ドリーム NASAを支えた名もなき計算手たち
マーゴット・リー・シェタリー:著、山北めぐみ:訳/ハーパーコリンズ・ ジャパン、ハーパーBOOKS/2017

 映画感想の最後に、「原作小説」と書きましたが、違います。小説ではありません。ノンフィクションです。

 読んで、まず思ったのが、よくこの本を原作にあの映画の物語を書けたなぁということ。映画で取り上げられたのは、この本の一部でしかありません。映画では1961年から、ジョン・グレンが宇宙に行った「フレンドシップ7」の飛行(1962年)までを描いています。この本では、もっと長い、話は第二次世界大戦前にまで遡ります。ラングレー記念航空工学研究所では、飛行機のデータを計算する計算手を多数必要としていた。1935年、初めての女性計算手グループが発足する。その後戦争が始まり1943年には、計算手の若い女性の確保が難しくなっていった。ここで、黒人労働組合の会長が戦争関連の仕事を黒人にも解放するように大統領に要求。それが受け入れられ、黒人女性たちも計算手として採用される。ただ、この頃はまだ黒人差別が当たり前の時代。しかもバージニア州は厳しかった。有色人種用のトイレを用意しなければならなかった。

 映画で登場した3人の女性、ドロシー・ヴォーン、キャサリン・ゴーブル(ジョンソン)、メアリー・ジャクソンについてこの後語られていきます。ドロシーもキャサリンも最初は学校の教師だった。そこに、ラングレーでの計算手の仕事が舞い込んでくる。「ウェスト・コンピューターズ(西計算グループ)」のことだ。この頃はまだNASAではなくNACAで、航空の仕事がメインだった。メアリーも「ウェスト・コンピューターズ」に配属され、次第にロケットやミサイルのデータの計算に移っていく。
 映画では3人の仕事での奮闘と、人間ドラマが描かれる。この本では映画に出てくるエピソードはほとんど出てこない。どんな仕事をしていたかは出てくる。最初にも書いたが、よくこの本を原作にあの物語を書けたなぁと思う。
 この本では、3人の仕事と同時に、アメリカ社会での黒人の立場、差別と解放の歴史についても語られている。黒人として、女性として、3人が仕事の幅を広げていくのに重ねあわされるが、それぞれがひとりの人間として見られてもいる。

 映画はジョン・グレンの飛行で終わったが、この本ではその後についても描かれている。のちにラングレーにやってくるクリスティーン・ダーデンというドロシーたちの後輩についても書かれている。メアリーはNASAの仕事以外のことでも活躍している。キャサリンはアポロ計画、スペースシャトル計画にも携わった。ドロシーは管理職を務めたが、業績を誇示したり当時の肩書きを利用するような目立つようなことはしなかった。

 この原作を読んで、DVDで映画をもう一度観てみました。本とかなり違う。全くの別物ではない…映画は史実に基づいてはいるけれどもフィクションは入っている。もっと詳しく知りたい人にこの本を薦めます。

by halca-kaukana057 | 2019-02-13 22:05 | 本・読書

白河天体観測所

 数々の星座や天文の本を出版している藤井旭さん。その藤井さんたちが作った「白河天体観測所」という私設天文台がありました。所長の「天文犬」チロで有名でもあります。その50年を綴った本です。


白河天体観測所 : 日本中に星の美しさを伝えた、藤井旭と星仲間たちの天文台
藤井旭/誠文堂新光社/2015


 天文好きな美大卒の藤井さんは、雑誌のイラストを描いて生活しつつ、天文同好会の観測小屋で天体観測をする日々だった。しかし、天文写真を現像すると「光害」の影響で夜空が明るく写ってしまっていた。暗い夜空を求めて、藤井さんは福島の郡山へ。運よく就職先が見つかり、同じ頃、天文好きが集まる国立科学博物館の村山定男先生の研究室で、那須高原に山荘のような天文台を建てたいという話を聞く。口径30cmの反射望遠鏡のある天文台。星仲間たちも「光害」のないところで、観測できる場所を求めていた。村山先生と藤井さんたちアマチュア天文家が資金を出し合って、天文台作りが始まった。そして1969年、天文台は完成。その頃、偶然立ち寄ったデパートの犬の展示会で、北海道犬のメスの子犬を買うことになってしまった藤井さん。その犬を「チロ」と名づけ、観測には連れて行くようにしていた。観測所でも可愛がられたチロ。強く美しく成長したチロを、天文台の所長にしようと決めた。


 白河天体観測所と、チロのお話は「星になったチロ」「チロと星空」という藤井さんの著書にまとめられています。私もその本を読んでチロのことや白河天体観測所、後に始まったチロの星まつり「星空への招待」のことを知り、憧れていました。大きな望遠鏡があって自由に使えて、夜が遅くても観測所で寝泊りできるし、「アストロ鍋」のような美味しいものも食べられる。天文仲間もいるし、可愛いチロもいる。こんな天文台があるっていいなぁと思っていました。

 観測所での面白いエピソードも数多く綴られています。様々なお客さんや、チロや天文仲間たちの様々なエピソード、失敗談、山の中の自然のこと、観測所での困った出来事などなど。笑い話もあるし、「星見あるある」な話もあるし、不思議だなと感じる話も。観測所にやってきていた人たちにとっては、どれも大切な思い出話だろう。藤井さんの語り口調(文章)そのものが、それを物語っているよう。
 先述した「アストロ鍋」。星仲間たちはもちろん観測のために天文台にやってくるけれども、それ以上に、星仲間と集い、美味しいものを食べながらおしゃべりするのも楽しみ。星仲間の「たまり場」になっていた。観測所…「白河天体歓食所」名物の「アストロ鍋」は、やってきた星仲間たちが持ってきた各地の名産物など使ったり、なんでもありの鍋。本当に楽しそうだ。
 「歓食所」には海外の天文家もやって来る。さらには星新一他作家もやって来る。星新一のある独白には驚いた。さらに、天文家(後に博士号を取得)で宇宙飛行士の土井隆雄さんも、藤井さんの頼みでチロのステッカーを宇宙に持って行き、天文台に持って帰って来てくれた。そんなゲストたちの話も面白い。

 観測所はアマチュア天文家やプロの天文学者たちが集う天文台だったが、星見の楽しさを伝えようとしていく。会津磐梯山の山奥で、星好きたちが集まる星まつり「星空への招待」。1975年の夏から始まった。勿論チロは人気者。しかし、チロは1981年に亡くなってしまう。全国から、チロの死を悼む手紙や、香典までが届けられる。チロに会ったことがなくても、天文雑誌などで「星空への招待」のことや、チロのことを知り、私と同じようにいいなと思っていた星好き、星には興味がなかったがチロがきっかけで興味を持った人もいる。チロはまさに「天文犬」「アストロ犬」だったのだなと思う。

 その後もチロの遺志を引き継いでこうと、チロを記念した口径84cmの移動式の大望遠鏡を作ろうという計画が持ちあがる。私設天文台でのこの大きさはとても珍しい。科学館などの天文台でもこの大きさはなかなかない。しかし、チロのために、と星仲間たちは作ってしまう。必要なものの調達もうまい具合に進み、周囲の人々もいいタイミングで強力してくれる。星仲間もそれぞれの持っている技術で貢献する。白河天体観測所を作った時も、トラブルがあってもうまい具合に進んで行った。すごいなと思う。望遠鏡は無事に完成し、1986年のハレー彗星接近に合わせて、全国各地を走り回ることになった。さらには、南天の星空も観測しようと、オーストラリアに天文台建設の話が持ち上がる。「チロ天文台」と名づけられたその天文台でも、星仲間たちは美味しいものを食べて歓談し、観測しているという。

 そんな、白河天体観測所には、ある取り決めがあった。そして、2011年3月、東日本大震災。観測所は強い揺れを受け、望遠鏡は倒れ、建物も被害を受けた。さらに、原発事故の影響も受けてしまった。その取り決めと、震災でのダメージにより、白河天体観測所は2014年に閉鎖。何とも残念な最後になってしまった。自然の中で、宇宙という自然を観測してきた天文台が、地震という自然災害で被害を受けてしまう。天文台は人工の私設ではあるが、山の自然と共に観測を続けてきた。皮肉な最後でもある。

 白河天体観測所はなくなってしまった。しかし、「チロ」シリーズの本やこの本で、私設天文台のノウハウは伝えていける。日本の、世界のどこかに、星仲間が集う新しい天文台ができても不思議ではない。白河天体観測所のこと、チロのことをこの本が伝えていけばいいなと思う。チロと白河天体観測所は、今も私の憧れだ。
 「チロ」シリーズの本も再読しよう。
by halca-kaukana057 | 2019-01-13 22:35 | 本・読書
 先日は恐竜の本ですが、今度はピラミッドの本。どちらも古の謎やミステリーに惹かれます。この本は単行本として出版(その時は別題)された時から気になっていました。

ピラミッド 最新科学で古代遺跡の謎を解く
河江 肖剰(ゆきのり)/新潮社、新潮文庫/2018
(単行本は2015、新潮社「ピラミッド・タウンを発掘する」)


 河江先生はピラミッド研究の第一人者・マーク・レーナー博士の元で学び、現在もピラミッド周辺にあった労働者達の住まいのあった地区「ピラミッド・タウン」を発掘している。NHKスペシャルや、「世界ふしぎ発見!」にも出演し、研究結果を番組で取り上げたり、番組でユニークな試みをしている。
 以前、クフ王のピラミッドで、宇宙線を使った透視によってピラミッド内に未知の巨大な空間があるのではないか、というニュースがあった。また、この本では取り上げていないが、ツタンカーメン王墓でも未発掘の部屋があるのではないかと、同じように宇宙線を使った調査で推測された。最新科学を使えば、遺跡の未知の領域も調べられるのか!と驚いた。ツタンカーメン王墓のほうは、詳しい調査の結果ない可能性が高いという結果が出てしまったが、こういう話には惹かれてしまう。また、ピラミッドに登ったり、ドローンでピラミッドを撮影したのも面白かった。ピラミッドは本当に不思議な遺跡だと実感した。

 この本では、ピラミッドについて、ありとあらゆる方向から解説している。ピラミッドをどうやって作ったのか…これはかなり難しい問題。でも、ピラミッドの建設方法の様々な説や、石をどんな道具でどのように加工していたかは興味深い。
 そして、どんな人たちが働いていたのか。ピラミッドの建設に携わったのは、奴隷階級の人々だったという話もよくある。が、こんな体力を要る仕事をするためには、十分な食料と安定した生活を保障する方が、人々は熱心に仕事に打ち込むのではないか…。確かに、劣悪な労働環境では、逃げ出す人も少なくないだろうし、十分な力も出せない。ピラミッドの周辺から発掘された集落跡「ピラミッド・タウン」で人々がどのような生活をして、どんなものを食べていて、どのようにピラミッド建設に携わっていたかの予想が面白かった。河江先生の師匠のレーナー博士たちが発掘している「ピラミッド・タウン」には、ツタンカーメン王墓のような財宝やファラオのミイラはない。古代エジプト考古学はそんな「宝物」の発掘だけではない、一般市民がどのように生活していたのか、その痕跡を発掘することも重要。そこから出てきたものがたとえゴミだったとしても、重要な生活の痕跡。そこが面白いなと思った。食べていたパンの再現も興味深かった。

 河江先生の師匠のレーナー博士が、これまでどのようにして「ピラミッド・タウン」の発掘にたどり着いたかの章もある。これには驚いた。レーナー博士が古代エジプトに興味を持ったのは、アトランティス大陸などの超古代文明からというのだから。科学の進んだ超古代文明のアトランティスの末裔が、古代エジプト文明を築いたというのだ。レーナー博士は最初は、アトランティスの痕跡を見つけようとエジプトにやってきた。しかし、レーナー博士がエジプトで惹かれたのは、土器や石器の欠片など、人々が生活した痕跡だった。そこで博士は180度転換して、厳格な実証主義の考古学者になったという。
 エジプト考古学者の父とも呼ばれる、フリンダーズ・ピートリー(ピートリ)も、最初は超古代文明的なピラミッドの存在に惹かれてエジプトにやってきた。が、ピートリーもピラミッドを丹念に測量するうち、実証主義に移っていったというから面白い。今まで、ピートリーがどのようにしてエジプト考古学の道を進んだのか知らなかったので、こちらも驚いた。古代エジプトの遺跡の実物は、想像するもの以上のものだったということなのだろうか。

 ピラミッドというとまず、クフ王、カフラー王、メンカウラー王の三大ピラミッド、その前の時代につくられた、ジェセル王などの階段ピラミッドが有名。その他にも様々なピラミッドがあり、ピラミッドが建設された場所もナイル川上流のスーダン北部まで広がっている。古代エジプトの王国の影響力の大きさを感じる。

 発掘を進める河江先生たちが、危機に晒された時があった。2010年に始まった「アラブの春」だ。エジプトを含め、中東は不安定な状態になる。発掘を進めたいが、身の安全が第一。当時の記録が生々しい。学術研究は、平和があってこそなのだと思う。


 発掘は進んでいる。発掘された遺構の分析、研究も進んでいる。とはいえ、わからないことは多い。壁画のヒエログリフを解読しても、様々な遺構を発掘しても、すべてがそのままその通りに出てくるわけではない。先日の「鳥類学者 無謀にも恐竜を語る」では、恐竜が栄えたのは6500万年よりも前。一方、古代エジプトで三大ピラミッドを建設していたのは約5000年前。恐竜の時代よりもずっと新しいのに、わからないことがこんなにあるのか…。過去を遡って研究することはいかに難しいのか実感しました。100年前のことでさえ、曖昧になっていたり、間違って伝えられていたりするのだから。人間の悲しい側面なのだろうか。どちらにしろ、わからないことがたくさんあるから、研究が面白い。そんな研究の一部をこうやって本で読んで学べるのもありがたいことだ。
by halca-kaukana057 | 2018-12-20 22:04 | 本・読書
 本屋で見つけて気になった本です。この頃、ハヤカワノンフィクションはよくチェックします。


羊飼いの暮らし イギリス湖水地方の四季
ジェイムズ・リーバンクス:著/濱野大道:訳/早川書房、ハヤカワ・ノンフィクション文庫/2018


 著者のジェイムズ・リーバンクス氏はイギリスのイングランド北西部、湖水地方で羊飼いをしている。家は、600年続く羊飼いの家系。物心つく頃には、祖父が営む農場の仕事を手伝っていた。父も農場で働いている。
 ジェイムズ氏にとって、農場と羊飼いの仕事が生活のすべてだった。しかし、年齢が上がるにつれて、現実が見えてくる。中等学校では、農場の家の子どもであることはバカにされる理由だった。学校の授業でも、湖水地方や羊飼いの歴史などには触れない。ジェイムズ氏は落ちこぼれ、学校から自ら去った。
 その後は農場の手伝いをしていたが、祖父が倒れ、他界した。祖父の農場を相続すると言うことは、借金など難しい問題を含んでいた。それで父と対立、ジェイムズ氏はそのころ読み始めた数々の本に惹かれ、学問の世界へ自ら向かうことになる。教育センターに通い、大学受験を目指す。それもオックスフォード。ジェイムズ氏はオックスフォード大学に入学する。


 タイトルと表紙カバー写真に惹かれて買った本だが、いい意味で期待を裏切られた。のどかな牧場で羊たちに囲まれ、のんびりとファーマーの生活とイギリスの湖水地方の美しい自然を楽しんでいる…という内容の本ではない。羊飼いの仕事はとてもハード。趣味で飼っているわけではない。生活の糧である。育て、競売に出し稼ぐ。出産シーズンは大変だ。羊飼いの仕事の現実を隠すことなく書かれている。口蹄疫の流行の惨劇もリアルに描かれるし、血が流れることもある。全てそのまま書いている。理想郷のような癒し系の文章よりも、現実をしっかりと受け止め正直に書いている内容に好感を持った。

 農場の男は、本を読むものではない、とこの本で出てくる。本を読むのは仕事を怠けている証拠。本を読む暇があったら働け。羊飼いの男に学問は必要ない、という考え方だ。ジェイムズ氏も、子どもの頃はそんな風に育った。しかし、祖父の死後、父と対立した頃、母方の祖父が遺した本を読み漁るようになる。その本の中に、ウィリアム・H・ハドソン「ある羊飼いの一生」という本があった。その本は、ジェイムズ氏にとってかけがえのない本になる。この本も、その「羊飼いの一生」を意識したのだろう。

 イギリスの湖水地方と言えば、「ピーター・ラビット」のビアトリクス・ポターによるナショナル・トラスト運動がある。学校で習ったのを覚えている。「ピーター・ラビット」などの絵本作家というよりも、ファーマーで自然を保護する活動をした人として知られているそうだ。農場のこともよく知っている。農場を舞台にした絵本も描いている。こんな一節がある
「ポターの作品がいまだ高い人気を誇るという日本では、スミット・マークなどのエピソードは読者にどう受け止められているのだろう?」(380ページ)
絵本よりも、ピーター・ラビットはキャラクターとして愛されている…という日本の現実を申し訳なく思った。
 他にもワーズワースなど湖水地方を描いた作家も登場する。文学方面からのアプローチも出来るのはありがたい。

 オックスフォード大学に進学しても、羊飼いの仕事から離れたわけではない。休みになると湖水地方に戻り、農場を手伝う。大学卒業後、農場に戻ったが、ユネスコ世界遺産センターの「エキスパート・アドバイザー」として観光が地元共同体に利益をもたらす仕組み作りの仕事もしている。インターネットの発達によって、農場の仕事と掛け持ちすることができるようになった。600年続く農場も、新しい変化を受け入れ、また続いていっている。

 羊飼いの仕事は厳しい。でも、羊飼いたちは品評会や競売で勝ち取った賞のプライドを持ち、厳しくも美しい自然の中で羊たちを育てている。オックスフォードで学んだことも、羊飼いの仕事も、自分で選んだ。自分で選んだからこそ、この本に書いてあることは力強い誇りに満ちている。大学を卒業し、戻ってきた時の箇所がいい。
 眼のまえにそびえる湖水地方のフェルを眺め、ついに家に戻ってきたのだと実感した。フェルが友達のように私を取り囲んでいるくれているような気がして、拳を宙に突き上げて叫んだ。「やっと帰ってきたぞ!」
(277ページ)
 目の前にあるものを受け入れ、果敢に人生に挑戦もする。そんな生き方に触れられる本です。文章もすっと入ってきます。

by halca-kaukana057 | 2018-10-29 22:23 | 本・読書

ある小さなスズメの記録

 以前読んだ本だが、ブログには書いていなかったことに気がついた。気のせいだった。せっかくなので再読して感想を。



ある小さなスズメの記録 人を慰め、愛し、叱った、誇り高きクラレンスの生涯
クレア・キップス:著、梨木香歩:訳/文藝春秋、文春文庫/2015(単行本は2010)


 1940年、第二次世界大戦中のイギリス、ロンドン。空襲の危機が迫る中、著者のキップス夫人(数年前に夫を亡くしている)は、対空対策本部の隣組支部で交代で空襲に備えていた。7月、任務から帰ったキップス夫人は、玄関先に生まればかりの瀕死の小鳥を見つけた。家につれて帰り、温め、あたたかいミルクを飲ませる看病を続けると、翌日の朝には小さな声で鳴いていた。それから、キップス夫人はこの小鳥、イエスズメを育てることになる。ある程度成長したら外へ放つつもりだったが、このイエスズメは、翼と足が曲がって十分に飛べる状態になかった。キップス夫人はそのまま、このイエスズメをクラレンスと名づけて育てることになった。クラレンスはキップス夫人に非常に懐き、空襲に脅える人々を癒す存在になった。また、クラレンスは感情豊かに振舞い、お気に入りのおもちゃで遊んだり、ピアニストでもあるキップス夫人のピアノ演奏に合わせて、巧みな歌を歌うようになった。終戦後もキップス夫人とクラレンスの日々は続いた。クラレンスの老い、最期の時まで…。


 読んだ後、動物の言葉がわかり、動物と心を通わせる「ドリトル先生」シリーズを思い出した。「ドリトル先生」は物語、フィクションだが、こちらはノンフィクション。キップス夫人とクラレンスはお互いの言葉がわかるわけではないが、鳴き方や仕草で言いたいことを読み取れる。エサをねだる時、一緒に遊びたい時、一緒に寝たい時、興味を示しているものがある時。スズメはこんなに感情豊かなんだなと感じた。私も子どもの頃、セキセイインコを飼っていた。籠の外に出て遊びたい時や、新しいエサ(特に青菜)を持ってきた時の興奮はよくわかった。ただ、このクラレンスほどは懐かず、賢くなかった。生まれてすぐに育て始めただけではないと感じる。

 クラレンスは翼と足が曲がっていた。が、成長するにつれて、うまく飛べるようになった。窓越しの外の世界に出会うこともあった。そこで、他の鳥に出会うこともあった。エサはキップス夫人があげていたが、いつしか飛んでいるハエを捕まえて食べることもあった。誰も教えていないのに、鳥としての本能を目覚めさせていく。その一方で、クラレンスはキップス夫人に甘え、気に入らないことがあると叱り飛ばし、ともに生きるパートナーとなった。動物と人間の超えられない溝があるはずなのに、クラレンスも、キップス夫人も、お互いを尊重している。不思議だとも思う。

 ピアニストでもあったキップス夫人は、クラレンスの歌を楽譜に起こしている。ターンやトリルを習得し、それを日々練習していた。「小鳥はとっても歌が好き」という歌があり、私のセキセイインコもテレビから音楽が流れると、一緒に歌う、もしくは負けじと一生懸命歌っていた。だが、楽譜に起こせるような歌い方ではない。ピアノのある環境で、クラレンスの本能と才能も開花していったのだと思う。

 クラレンスは後に、病気になり、そして老いを迎える。だが、ここでもクラレンスの生命力の強さをキップス夫人も、読者も実感することとなる。苦しむクラレンスのために効くような食材とアイディアを求めて鳥の医師を尋ねる。そのアイディアには驚いた。小鳥に食べさせてもいいのだろうか…とは思うが、効き目があったのだからいいのだろう…か。

 クラレンスはヨーロッパに多いイエスズメ、日本のその辺にいるスズメとは違う種類だ。その他の理由でも、日本のスズメではこんなことはできないだろう。スズメでなくても、何かしらの動物を飼っている人は多い。飼っている動物との様々なエピソードはあるが、「ペット」ではなく、お互い生物として尊重し、愛情を注ぐ存在としてのクラレンスとキップス夫人の記録は、とても興味深いものだった。梨木香歩さんの訳も、そんな誇り高いクラレンスを感じさせるような文章です。
by halca-kaukana057 | 2018-10-08 23:04 | 本・読書
 よく、本屋で見かけて面白そうと思ったのに、手持ちがなかったとか様々な理由でその時はその本を買えず、そのまましばらく経ってしまった…ということがよくあります。この本もそう。


音楽嗜好症(ミュージコフィリア): 脳神経科医と音楽に憑かれた人々
オリヴァー・サックス:著 / 大田直子:訳 / 早川書房、ハヤカワ・ノンフィクション文庫 / 2014

 このブログに書いてある通り、私は音楽が好きだ。毎日のように、何かしら音楽を聴いている。聴きたいラジオやオンデマンドがあればそれを聴く。テレビのクラシック番組(主にEテレ「クラシック音楽館」)も観る、聴く。買ったばかりのCDや、何度も聴いてお気に入りのCD、音楽配信サービスも使っている。コンサートも興味のあるものがあれば行く。聴くだけじゃなくて、声楽のレッスンに通って歌っている。声楽を始める前は、子どもの頃中途半端に習ったピアノを弾いていた。クラシックだけでなく、様々なジャンルの音楽を聴いている。
 何故そんなに音楽が好きなのか。聴いてしまうのか。私自身にもわからない。別に家族が音楽好きで音楽に詳しかった、というわけでもない。むしろ音楽はあってもなくてもいい環境。子どもの頃から音楽は好きではあった。でも、ピアノは練習嫌いで苦手だったし、音楽の授業でも成績はすごくよかったというわけではない。ただ、音楽が好き、というだけだ。

 この本の著者のオリヴァー・サックスさんは、イギリス生まれのアメリカの脳神経科医。数多くの患者の中には、音楽に様々な反応をする人が少なからずいる。そんな患者たちの音楽との関係について、脳科学、脳神経学の面から書いた本…と書くと難しそうに思えます。実際、本を店頭でちょっとペラペラとめくってみた時には、文字もギッシリ、ページも多い、脳神経学って難しそう?と思いました。しかし、読んでみると面白い。どんどん読み進めてしまう。サックスさんの文章もユーモアたっぷりで面白いし、患者たちの様々な症例に頷いたり、驚いたり。冒頭で、アーサー・C・クラークのSF小説で、音楽と地球の人類について宇宙人が理解できないという話を出していたが、人間にとって音楽とは何なのだろうと、読んでいるうちにどんどん謎が深まってしまう。

 よく、音楽は心を癒す、という。私も音楽に癒される、慰められることはよくある。癒されたい時、慰められたい時はこの曲を聴く、と決まっている。この本でも、様々な病気は持っているけれども、癒されるどころではなく、音楽に助けられている患者の症例があげられている。脳の障害を持ってしまい、記憶することができない、記憶を失ってしまった人だが、バッハのピアノ曲を演奏することや、合唱で歌うことはできる、と。うまく話せない障害の人が、言葉にリズムやメロディーをつけるとうまく話せるようになる。言葉の意味はわからないが、その言葉を意味する歌なら歌える(例えば、クリスマスの意味はわからなくても、クリスマスソングは歌える)。音楽が言語のような役割を果たしている。

 一方で、音楽が生きる上で妨げになってしまうこともある。脳を怪我したり、脳卒中などの病気にかかったあと、それまで楽しめていた音楽が楽しめなくなってしまった、感動することがなくなってしまったという例がある。脳の病気で、元の音楽と音程がずれて聞こえてしまうようになってしまった人もいる。さらには、特定の音楽を聴くと、発作を起こして倒れてしまう、てんかんの発作が起きてしまうという非常に困った例もある。よく、特定の音楽が脳内エンドレスリピートしている、というのもよく聴くが、脳内でただ単に鳴っているのではなく幻聴として聞こえていて、それが止まらない、止められないことも困った一例だ。完全な失音楽症になると、音楽を音楽として認識できなくなる。どんなに簡単なメロディーでも、それを何度聞いても、その曲だと認識できないのだそうだ。こうなると怖くなってくる。
 音楽と脳の関係で、絶対音感や、共感覚のエピソードもある。更には、2000曲のオペラを正確に記憶しているという例もある。とてつもない。

 この本が面白いのは、その症例の場合、脳のどの部分がどのようなはたらきをしているかについて解説している。脳科学、脳神経医学に詳しくなくても、分かりやすく読みやすく書いている。音楽を感じるのは耳だが、それを処理するのは脳。人間の脳は、音楽にポジティヴにもネガティヴにも反応してしまう。音楽は脳から生まれたのか、脳があるから音楽が生まれたのか…ニワトリとたまごみたいな話も思ってしまう。脳の複雑さに驚き、音楽を聴くということも単純なことではないとこの本を読んで思う。音楽は芸術でもあるし、科学でもある。医学でもある。音楽と脳により興味を持つとともに、音楽というものがますますわからなくなる本でもある。
 もう一度書く。人間にとって、音楽とは何なのだろう。こうなると脳科学ではなく哲学になってしまう。でも、脳にとっても、音楽は単純なものではない。いつもは、何かしながら音楽を聴いていることも多いし、音楽を聴きながら眠ってしまうこともある。そんな適当な向き合い方ではなく、もっと音楽に正面から…正面だけで無く、様々な面から向き合おうという気になる。音楽が何なのか、謎は深まるばかりだが、音楽により魅了されることは確かである。私も「音楽に憑かれた人」のようだ。

 この本の中で、オリヴァー・サックスさんの他の著書も登場します。「火星の人類学者」「妻を帽子とまちがえた男」(どちらもハヤカワ・ノンフィクション文庫)など。他の著作も読みたくなりました。

by halca-kaukana057 | 2018-09-18 22:09 | 本・読書
 去年のノーベル賞受賞式の近辺に書きたかった記事です…。
 2017年のノーベル物理学賞は、マサチューセッツ工科大学(MIT)のライナー・ワイス(Rainer Weiss)博士、カリフォルニア工科大学のバリー・バリッシュ(Barry C. Barish)博士、キップ・ソーン(Kip S. Thorne)博士に授与されました。
Nobelprize.org : The Nobel Prize in Physics 2017

日経サイエンス:2017年ノーベル物理学賞:超大型干渉計「LIGO」を構築,宇宙から来る重力波を初めて観測した3氏に
 ↑LIGOの仕組みの解説もあり、わかりやすいです。
アストロアーツ:重力波検出に貢献した研究者3名、ノーベル物理学賞を受賞

 重力波を検出したレーザー干渉計型重力波検出器「LIGO」のプロジェクトに携わってきた3氏をはじめとする重力波観測と「LIGO」建設のノンフィクションです。


重力波は歌う――アインシュタイン最後の宿題に挑んだ科学者たち
ジャンナ ・レヴィン:著、田沢恭子、松井信彦:訳/早川書房、ハヤカワ文庫 NF/ 2017(単行本は2016)

 アインシュタインによる一般相対性理論で、存在すると言われていた重力波。しかし、重力波による空間のゆがみは非常に小さく、アインシュタイン自身も観測出来るかどうかには不可能と考えていた。だが、重力波は存在する、観測することができる、という科学者たちが、少しずつ観測装置を考え出し、観測に向けて動いていた。
 その中のひとり、ジョセフ・ウェーバーは重力波に共鳴して振動するという「ウェーバー・バー」を作った。また、ジョン・ホイーラーやロナルド・ドレーヴァーという科学者も重力波検出に乗り出した。「ウェーバー・バー」では重力波を検出することはできず、ウェーバーは責め立てられた…。ウェーバーの最期がまたかなしい。

 国籍、出身、ルーツも異なる科学者たち。彼らがどのように科学者人生を歩み始めたのか、どこで重力波の研究と出会ったのか、それらを読むのは面白い。皆個性的だ。だが、重力波を検出する機器はどうやったらできるのか、どう建設するのか。なかなかプロジェクトは進まない。レーザー干渉計型重力波検出器のプロトタイプは作られるが、複雑な仕組みで、コントロールするのが難しい。ひとつひとつ、問題を解決していき、一方で、プロジェクトが正式に認められ、予算が出るように尽力する。科学者は、実験や研究だけやっているわけではないというのは、他の宇宙・天文プロジェクトでも読んだ。政治家や役人たちにわかるようにプロジェクトを説明し、予算を得られるようにしないと、肝心の実験も機器の開発も研究もできない。未知の世界に乗り込んでいく科学者というのは、マルチな才能を持っているのだなと本当に思う。

 途中、「LIGO」ってどういう仕組みだったっけ…?と何度も思うことがあった。この本を読むために、もう1冊重力波と「LIGO」に関して解説した本が欲しいと思ったほどだ。
 ノーベル物理学賞を受賞した3氏の中で、バリー・バリッシュ博士は一番後、1990年代になって「LIGO」プロジェクトの統括責任者になった。受賞したのは3氏だが、ホイーラーやドレーヴァー、ウェーバーらたくさんの科学者が重力波観測を目指していた。志半ばで亡くなったのが残念だ。重力波を観測し、ノーベル賞も受賞したことを天国で喜んでいるだろうか。喜んでいてほしいと思う。この「LIGO」プロジェクトでも、志を引き継いでいくという熱いものに触れることができた。

 ノーベル賞を受賞するのは、その成果が出てからしばらく経ってから、というのが多い(スーパーカミオカンデの故・戸塚洋二博士を思い出さずにはいられない)。今回の受賞は、重力波検出の報せが出てすぐの受賞。本当によかったと思う。「LIGO」だけでなく、日本の「KAGURA」も含めて、重力波天文学はこれからますます盛り上がる。その黎明期を伝える本として、とてもいい本だと思います。

 あと、先日亡くなられたスティーヴン・ホーキング博士についても少し出てきます。キップ・ソーン博士とは友人で、科学関係の賭けをするが、ホーキング博士は賭けに弱い、と。答えが出そうもない妙な賭けもしている。科学者同士のこんな話題も面白い。

・「LIGO」の重力波検出の際に書いた記事:重力波天文学が始まる
 重力波は「聞く」。この本にも込められています。

 ちなみに、この本を買ったは、ノーベル賞受賞直後。帯がこれでした。
f0079085_22324668.jpg

 もし、2017年に受賞しなかったらどうなっていたんだろう…。現在は「ノーベル賞受賞!」になってます。

by halca-kaukana057 | 2018-04-16 22:36 | 本・読書

好奇心のまま「面白い!」と思ったことに突っ込むブログ。興味の対象が無駄に広いのは仕様です。


by 遼 (はるか)
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31