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 先日、アマオケの演奏会に行きました。久しぶりのオーケストラの演奏会。ずっと器楽ソロ、もしくは室内楽の演奏会ばかりに行っていたので、オーケストラを聴きに行きたいと思っていました。オケの演奏会が少ないので、アマオケでも貴重です。

 演奏会は、団員の知り合いが聴衆に多いのか、発表会のような雰囲気でした。コンサート・演奏会ではちょっと今まで感じたことのない雰囲気だったので、部外者がここにいてもいいんだろうかという気持ちになりました。一般のお客もチケットを買って聴きにくるコンサートで、この雰囲気はいいのかなぁ…と部外者の私は感じました。

 このコンサートでは、シベリウスの交響詩「フィンランディア」も演奏されました。ええ、「フィンランディア」目当てで聴きにきました(他のプログラムも好きな作品ばかりで、楽しみでした)。「フィンランディア」を生で聴くのは2度目。1度目は別のアマオケで。その時は、愕然としました。金管は音を何度も外し、「フィンランディア賛歌」の部分の木管も、風の音ではなく機械音に聞こえる…。CDで聴くのと全然違う…かなりガッカリしました。

 そして今回。冒頭のトロンボーンの重い音で、空気が張り詰める。ああ、この雰囲気だ。しかし、やはり金管(一部の楽器のみ)は苦しそうだ。木管の音も機械音に近い…。それでも、以前とは違う印象を持った。この「フィンランディア」は、特に金管楽器にとってはとても魅力的な作品だと思う。独立を願うフィンランド国民の勇ましい雄たけびような、大砲のような音をイメージさせる金管楽器の存在。「フィンランディア」では要となる存在だと思う。決まれば、奏者も嬉しいだろうし、この作品の魅力を存分に表現できる。しかし、その音を決めるのは非常に難しいということ。私はピアノしか演奏したことがないので、金管楽器の演奏の難しさを知らなかった。2度目の「フィンランディア」で実感した。この作品は、金管楽器にとってとても魅力的ではあるけれども、非常に難しい曲なんだ、と。

 今、相変わらず、ピアノの音を出すことすら難しい(でも、今はそれだけで充分)状況に置かれている。そのせいか、ピアノだけでなく、他の楽器の音のこと、音を出すこと、演奏することの難しさも考えるようになった。これまで簡単に「”音楽”を奏でたい」と書き綴ってきたが、その言葉の重さ、実行することの困難さを考えてはいなかった。”音楽”とは何か、”音楽”を形作る”音”とは何か。ピアノの音色だけを聞くために弾くことしかできない今、考えるべき課題が見つかった気がする。

 いつかは、プロオケの金管もバシッと決まった「フィンランディア」を聴きに行きたいなぁ。


・過去関連記事:ピアノの音を聴くためだけに、音を並べる
by halca-kaukana057 | 2010-08-16 22:01 | 音楽
 先日の記事「何も奏でられないこの手指と心」以来、ピアノから遠ざかり続けています。以前は私の生活の一部だったピアノ。でも、今はピアノの椅子に座って、鍵盤の前にいることはほとんどない。以前紹介した池田綾子さんの「さよならピアノ」(「みんなのうた」にもなったシングルCD「数え歌」カップリング曲)のように、ピアノとお別れしてしまうのか?そんなことまで考えていました。

 そんな時、一通の郵便が届きました。送り主は、ピアノ関係でお世話になっている方。大きな封筒には、何枚かの楽譜と、お手紙が。楽譜の曲は、全く知らない日本人作曲家による作品。なんだろう?と思いつつ、お手紙にはこんなことが書いてありました。
あまり深いことを考えずとて 音を並べていくだけで
とても気持ちのいい曲って たくさんありますよね!!

私は、ピアノの音が聞いていたい
ただそれだけの理由で 例えばこの曲(同封の楽譜の作品のこと)を何十回も
繰り返し弾いたりしています

 先日の記事を読んで、送ってくださったようです。この手紙を読んで、本当に嬉しくなりました。お気遣いとともに、優しさと温かさを感じました。先日の記事で「独り」だと書いたけれども、「独り」ではなかったんだと。封筒ごと抱きしめたくなりました。

 そして、この手紙の内容。「音を並べていくだけ」、「ピアノの音を聞くためだけ」に弾く。今まで、考えたこともありませんでした。気がつきもしませんでしたし、思いつきもしませんでした。

 ピアノを「弾く」。それは、楽曲を「演奏する」ためのこと。まず、演奏したい楽曲があって、それを練習する。演奏が完成していない、練習途中なのは、楽曲を演奏することへの過程であり、ゴールではない。「練習」だけで終わってはならない。つまり、楽譜を読んで、解釈して、その解釈を伝えられるような演奏にするために練習して、技術と表現を磨いて…それまでは満足してはいけない。また、一度完成させた演奏でも、時間が経てばまた考えや読み、表現も変わり、技術も磨かれて違った演奏になる。だから、ピアノ演奏にゴールなんて無い。そう考えていましたし、手術をしてピアノから離れている間も同じでした。だからこそ、ピアノ・楽曲を「弾けない」「演奏できない」、満足に練習できない今がもどかしくて、かなしくて、辛いと感じる。音を出すことしか出来ない。右手でしか演奏できず、左手は満足に音も出せない。そんな私が今「弾ける」のは、ハノンと右手を練習するのみ。「演奏」には程遠い。また、ピアノで演奏する作品というと、練習曲であっても、西洋のクラシック作品ばかりを考えてしまう。西洋のクラシック音楽の枠で考えると、今の私には「演奏できる」作品が無いと、肩を落としていました。私にとってピアノとは、演奏する楽曲あっての存在だったから。

 ところが、この手紙の内容。これまでの私の考えと全く異なる。楽曲を「演奏する」ためではない。「音を並べていくだけ」、「ピアノの音を聞くためだけ」…。この言葉を反芻しつつ、送られてきた楽譜の作品を、弾いてみました。初見が苦手、聴いたことが無い作品を楽譜だけで弾くのは苦手ですが、やさしい作品で、拍をとりながら、メロディーを口ずさみながら弾いてみました(右手だけ)。不思議な音色・響きの作品でした。その作品のタイトルにぴったりだと感じました。現代の日本の作曲家によるもの、音楽会社によるもの…本当にいろんな作品があって、いろんな音楽があるのだな。

 そして、「あまり深いことを考えずとて 音を並べていくだけで とても気持ちのいい曲」とは自分にとって何だろう?と考え、ふと思いついて、シベリウス「フィンランディア」の「フィンランディア賛歌」の部分をメロディーだけ弾いてみました。重苦しい冒頭、勇ましい主題に挟まれて、感動的な歌が奏でられるあのメロディー。大好きな旋律のひとつです。ピアノだけでなく、小学校の時から使っているリコーダーでも吹いてみました。旋律の冒頭は木管で奏でられるので、そのイメージで。ああ、いい旋律、いい歌、いい響きだなと心から思えました。


 そういえば、ピアノは鍵盤を押せばすぐその音が出る。しかし、弦楽器や管楽器ではそう簡単にはいかない。初心者には音を出すことすら難しい楽器の方が多い。チューニングや、弦やリードなど楽器のメンテナンスも、自分でやらなければならない。ピアノは、ドの鍵盤を押せば(ちゃんと調律されていれば)間違いなくドの音が出る。しかし、弦・管楽器ではそう簡単にはいかない。クラリネットやホルンのように、移調楽器なんて面倒な楽器もある。音を出すのなんて簡単、当たり前。だから音を出すしか出来ないなんて…と思っていたが、ピアノしか演奏したことのない自分には、音を出すことも大変な楽器があることの視点が抜けていた。
(勿論、弦・管楽器でもピアノでも音を出すだけでなく、音色を作ることも大切なのだが、今日はその話はやめておく)

 しばらくの間、ハノンでピアノリハビリとか、何が弾ける・弾けないとか考えず、ピアノの音を出すのを楽しんでみよう。ピアノを演奏するための手段・道具という見方ではなく、「楽器」そのものとして、その音だけを聴いてみよう。気負わずに、「~ができない」とマイナスを探すよりも、今、目の前に何があるのかをよく見て、あるものを楽しんでみる。そんな付き合い方をしてみようかなと感じました。
 まずは、左腕を完治させることが先。無理をして、治療期間延長や、再手術なんてことになったらますます辛くなる(もう手術は勘弁です)。


 音楽・ピアノには、色々な楽しみ方があるんだと実感しました。送ってくださった方にも、感謝しています。


 あと、ピアノのカテゴリ名を「ピアノ独学」から、「ピアノ演奏・ピアノ考」に変えました。「独学」を消した理由は、前の記事にあります。
決して、独学に拘っているわけではありません。ピアノを弾きたいと思って、自然と自分で弾いてみたい曲集や自分なりの課題を設定して…と練習していたら、世間では「独学」と呼ばれる環境にいただけなんです。
 …ああそうか、私は「独学」を選んだのではなくて、いつの間にか「独学」している立場になっていたんだ。それを、自分でも「独学」だと認め、自分から「独学」だと言うようになったんだ…。今、ようやく気がついた。
「何も奏でられないこの手指と心」

 ここ。「独学」だと、自分で呼ぶのはやめます。

・過去関連記事:ピアノと共に過ごす日々 「さよならピアノ」
 池田綾子さんの「さよならピアノ」について。いい歌です。

【追記】
 文章を少し書き直しました。


by halca-kaukana057 | 2010-07-26 22:48 | 奏でること・うたうこと
 先日のネガティヴに関する記事に至った原因はいくつかありますが、ピアノに関することもあります。再手術から約3週間。1度目の手術の後、徹底的にリハビリをしていたので、腕の基本的な動きに関しては、それほど問題はありません。まだ動かしづらいと感じたり、痛みも感じますが、基本的な動きはできます。ただ、重いものを持つことに関してはドクターストップをかけられています。これが結構不便。お米の特売日でも、持てないので買いに行けない(生活感ありまくりw)。

 そんな再手術の前から、今まで、ピアノの練習は完全にストップしていました。右手も練習する気になれず、ピアノから完全に遠ざかっていました。このまま、ピアノをやめてしまうのではないかと思うほど。いつもならピアノを練習している時間、ピアノの前にいない。億劫にも感じてしまう。「どうせ右手だけしか弾けないのだし…」という気持ちばかりが募る。そして、楽しそうに、辛くても真剣にピアノに、音楽に向かっている人の話を聞く(読む)と、羨ましくてたまらない。私のこの腕では、何も奏でられない。レッスンなどがあれば、まだリハビリの方法について指導してもらえるかもしれない。でも、独学の私にとって、今回ほど「独り」であることの心細さ、寂しさ、孤独を感じたことはなかった。だからといって、独学をやめるわけではありません。


 ***************

(決して、独学に拘っているわけではありません。ピアノを弾きたいと思って、自然と自分で弾いてみたい曲集や自分なりの課題を設定して…と練習していたら、世間では「独学」と呼ばれる環境にいただけなんです。
 …ああそうか、私は「独学」を選んだのではなくて、いつの間にか「独学」している立場になっていたんだ。それを、自分でも「独学」だと認め、自分から「独学」だと言うようになったんだ…。今、ようやく気がついた。)

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 話を元に戻して、再手術が決まった後、私はこれでまたピアノから遠ざかってしまうのか…と感じていました。1度目の手術後、ようやくピアノのリハビリを始めたのに、また最初からやり直し。いつになったら、ピアノを"演奏"、"奏でる"ことができるようになるのだろう。左手だけでなく、右手も、今は、ただ"音を出している"だけ。演奏には程遠い。

 腕は、後は完治を目指すのみ。ただ、いつまで我慢すればいいのだろうか。左手は、また音階を弾くだけで精一杯。弱々しい音しか出ない。

 今はピアノに向かっても、かなしさと寂しさと、心細さと孤独ばかり感じます。ほんの少し、ピアノに向かえているだけ、音を出せているだけでも嬉しい気持ちも感じますが、9割は前者。これからどうしたらいいか、ビジョンを立てることが出来ずにいます。ただひたすら、ハノンだけでも、ソナチネの右手だけでも、ピアノに向かうしかないのだろう。しかしこれでは、楽しさよりもかなしさ・辛さに耐えることだけを優先しているようで、ますますかなしくなる。

 今、私は今後ピアノ・音楽とどう向き合うか、そもそも私にとってピアノ・音楽とは何なのか。何をしたくて、ピアノだ音楽だと語り、鍵盤に楽譜にCDにコンサートに向かうのか。向かう方向を完全に見失ってしまいました。岐路に経っています。

 それでも、毎日何かしらのクラシック音楽を聴いています。ピアノ曲も聴きますし、どんな年代・作曲家・演奏形態のものも聴いています。音楽から離れられないということだけは、確かなのかもしれません。

【過去関連記事】
ピアノと、まださよならしたくない
 1度目の手術後の記事。まだ前向きでした。
伴奏がないからこそ

試練のピアノリハビリ
 今の気持ちに近い記事です。
 今は、私にとって、音楽の神様から与えられた試練の時なのかもしれない。自分を見失わず、劣等感に押しつぶされないように、自分を保つことができるようになるかどうか。周りと比較せず、自分の課題に取り組めるか。
 
 押しつぶされてます…。

リセットされた左手
 一度左手での演奏ができなくなって、心も左手もリセットされたような気持ちでいる…。今は、ピアノに向かう気持ちそのものもリセットされてしまいました…。
by halca-kaukana057 | 2010-07-18 22:51 | 奏でること・うたうこと

リセットされた左手

 左腕のリハビリはほとんど完了しました。後はリハビリ完了宣言を主治医からいただいて、日常生活の中でさらに自然な動きに近づくように動かしていきます。そんな今の状態に、ピアノでリハビリはピッタリです。

 現在、左手はハノン1・2番と、ソナチネ7番1楽章を少しずつ。動きはいいとは言えません。指の回りも遅いし、ハノンを何回も弾き続けていると4・5の指(薬指と小指)に力が入らず、弱々しい音しか出せなくなってしまいます。それでも、不思議と指が思い通りに動かないことをストレスと感じていません。寧ろ新鮮なことと感じています。指も心も全くの初心者に戻ったような。指を動かしていくにはどうしたらいいか、色彩豊かな音色を奏でるために必要なタッチのために、指をどう動かしたらいいのか。そんなことを考えながら、自分の弾いている音を聴いてゆっくりとハノンで練習しています。

 手術はマイナスのようにも感じますが、腕の治療そのものだけでなく、他のことに関しても、今の私にとって必要であり、プラスになることなのではないかと、今感じています。不思議です。

 手術でリセットされた、私の指と心。これからも新鮮な気持ちで、ピアノに向かいたいです。ちょっと考えたのだが、もし、ピアノではない、全く演奏したことのない楽器を始めることになったら、どんな気持ちで向かうだろう。ピアノだとしても、伴奏や室内楽を始めるとしたらどうだろう?それを想定して、音色にも注目して、磨いていきたいです。

 現在練習中のソナチネ4番第1楽章。ようやく第1主題冒頭のテンポが取れるようになりました。付点に弱い、いや、音符の長さそのものに弱い私…。ひとつ克服しました。
by halca-kaukana057 | 2010-05-30 22:21 | 奏でること・うたうこと

試練のピアノリハビリ

 腕のリハビリはかなり進みました。もうすぐ医師からリハビリ完了と告げられると思います。リハビリのおかげで腕の動きが自由になり、かなり楽になりました。動きが制限されていることは、身体的にも精神的にも辛いです。

 一方、ピアノのリハビリは進んでいません。左手は相変わらず、ドレミファ…の音階と、ハノン1番を少しで精一杯。右手も、ひたすらハノンと、ソナチネ7・4番右手だけ。先日書いたとおり、音色に注意して、また、指の動きにも注意して練習していますが…あまり集中できず、30分ほどで終わってしまいます。

 ピアノ関係のブログを読むことや、演奏動画を観るのも辛いと、まだ感じます。ずっと愛読しているブログさんや、大好きなピアニストの演奏ならまだ大丈夫。しかし、ひたすら技を、表現を、己を鍛え突き進むピアノブロガーさんたちの文章や、心から楽しんでいる演奏動画を観るのは辛いです。

 そんな重い気持ちを引きずりながら、自分のピアノ記事を再読してみる。昨年末、来年(今年)の目標としてこんなことを書いていた。
どんな時も…他者の進度の速さや挑戦意欲の高さ、練習している作品の難易度に圧倒されて自分を見失ってしまいそうになる時も、なかなか進展がなく焦る時も。周囲がどうあろうと、自分自身がスランプに陥っていても、「こんな音を奏でたい」「この解釈が伝わるような演奏をしたい」という灯台のような目標を持っていたい。どんな状況でも、私は私の目指す音楽へ向かいたい。勿論、視野を狭めたり、考え方を偏らせないように気を付けて。これが来年の目標です。
どんな時も、自分の音楽を(2009.12.31)

 今まさに、周りの状況に圧倒され自分を見失っている。本当に見失ってしまうところだった。

 今は遠回りをしている状態。でも、「「こんな音を奏でたい」「この解釈が伝わるような演奏をしたい」という灯台のような目標」は持ち続けていたい。たとえ退屈にも思えるリハビリハノンでも、右手だけのソナチネでも。私はただ単に「ピアノが弾きたい」のではない。音楽を楽しみたい。何百年も前の天才たちが創り、今も奏で続けられている作品を楽しみたい。ただメロディーに心をゆだねるだけでもいい。できるならアナリーゼや楽曲・楽譜に秘められたその作品の魅力の決め手となるもの、作曲家がその作品を創った背景なども調べて、もっと楽しみたい。ピアノを演奏する時、楽譜を読み込んだりすることはそれの訓練・手助けになると思う。しかし、それが全てではない。音楽をもっと楽しみたい…ピアノを「弾く」ことだけが、私の音楽の全てではない。

 今は、私にとって、音楽の神様から与えられた試練の時なのかもしれない。自分を見失わず、劣等感に押しつぶされないように、自分を保つことができるようになるかどうか。周りと比較せず、自分の課題に取り組めるか。

 ピアノリハビリは、腕のリハビリよりも辛いと覚悟しています。何より、今年演奏しようと決めていたシベリウス「樅の木」が弾けそうもないことは、辛いです。腕の治療は今回の手術とリハビリで終わりではないので、今年いっぱいピアノリハビリもかかるのではないかとも覚悟しています。でも、このリハビリが何を意味するのか、何のためなのか。問いながら、自分の音色を聞いていこうと思います。

 それ以上に、今は色々な作品を聴いて、楽しもうと思います。禅問答で、厳しい修行ばかりでは身が、腕が、心が持たない。様々な音に触れ、耳を育てる。今できることのひとつだと思います。クラシックだけでなく、他のジャンルも。とにかく、色々聴いて楽しみたい。それだけなんです。

 ちなみに、明日23日は、ヴィルヘルム・ケンプの命日なのだそうです。ケンプの演奏は大好きです。偉大なピアニストを偲んで、明日はケンプの音楽に浸ろうと思います。(他にも音楽関係の予定は一応あります)
by halca-kaukana057 | 2010-05-22 22:57 | 奏でること・うたうこと

伴奏がないからこそ

 まだ左手はドレミファソラシドの音階を弾く…というより、「音を出す」だけで精一杯の状態です。なので、ひたすら右手だけでハノンと、ソナチネ7番、4番1楽章を練習しています。

 ハノンの楽譜を開いたのは、数年ぶりです。ピアノを再開して、あまりにも指が動かず、ハノンの存在を知りブルグミュラー25と併用して練習していました。確かに、指はよく動くようになりました。しかし、しばらくして、ハノンの楽譜は本棚へしまってしまいました。再び弾いてみて、ただ指を独立させ、動きをすばやくするだけの練習ではやっぱり飽きてしまいます。

 そんな時、自分の弾くハノンの音を聴いてみたら、とても貧弱な音だと感じました。ハノンだけでなく、ソナチネも。ソナチネは伴奏がない(つけていない)ので、メロディーだけの演奏。楽曲の、音楽の表面であるメロディーが、固く、単調。抑揚がない。貧弱だ。これは「演奏」している、「奏でている」のではなく、ただ「音を出している」だけだ。「歌う」ような演奏には程遠い。自分のピアノの「音」の現状を初めて目の当たりにし、初めて「聴けた」と感じました。ここまで何年かかったんだよ…自分。

 伴奏がない状態はまだ続きます。その間、ハノンもソナチネも音色に注目して練習します。そして、どうしたら「歌う」ような音色・演奏にできるのか。これを課題にしていきたいです。指の動きやタッチ、耳を研ぎ澄ますことが課題になりそうです。

 ちなみに、バッハ「無伴奏チェロ組曲」をピアノで弾いてみたのですが、音域が広くピアノではきついです。ハノンとソナチネで精一杯です…。
by halca-kaukana057 | 2010-05-11 21:38 | 奏でること・うたうこと
 腕の手術が必要になってから、ピアノに向かう時間が減りました。そして、手術をして、ピアノに向かうどころか、完全にピアノから遠ざかってしまいました。むしろ、ピアノからしばらく離れたい、と思うようになっていました。(よほど好きな演奏でない限り)ピアノ曲を聴くのも、演奏動画を観るのも辛い。今、自分がピアノを演奏することの出来る身体でないことが辛い、悔しいと感じる。自分で演奏することだけがピアノ、音楽を楽しむ方法ではないことはわかっていても、自分の中から何かが欠落したようで、でも、それを他のこと(聴くこと)で補う気にもなれない…。左手で演奏できるようになるまでは譜読みをしたり、音楽関連本を読んだり、右手だけの練習をしようと考えても気が進まない。聴くクラシック曲もピアノの入っていない曲を聴くようにしていました。

 リハビリも始まって、少しずつ左手も動くようになってきましたが、ピアノはおろか日常生活も仕事もこなせない状態です。そんな今日、少しだけピアノに向かってみました。左手がピアノを弾ける状態になったら、ハノンでリハビリをしようと考えています。手術の後、一時的に手指までパンパンに腫れたのですが、腫れが取れた今も左手指の動きが硬いと感じます。これはハノンの出番だ。まずは右手でもハノンをやってみようと弾いたのですが、右手もボロボロでした。約2週間以上もまともな練習をしていなかったからなぁ…。ためしにソナチネ7番1楽章も弾いてみましたが、案の定ズタボロでした…。まずは右手もリハビリが必要なようです。がんばろう…。

 ズタボロな演奏でしたが、やっぱりピアノはいいなと思いました。その後、以前のピアノ練習・ピアノ考記事も読み返す。ピアノに関して、壁にぶつかり、ぬるいとは思うけれども自分なりの考え方で向かってきた。憧れの「樅の木」を練習しようと決めて、ゆっくりでも譜読み・練習を進めていた時のこと。今、自分は止まっている。前には進めない。でも、「樅の木」やソナチネを弾きたい気持ちは変わらない。何年かかってもいいから弾きたい。まだ、ピアノとさよならしたくない。そんな気持ちがこみ上げてきました。

 今は目標に向かってまっすぐ進めませんが、回り道ならできます。まずは右手のリハビリ。そして左手は腕の機能を回復させること。その先のことは、また後で考えます。

 で、考えたのですが、ソナチネなど元々両手で弾く曲を、片手だけで弾くのはちょっと物足りない。ハノンばっかり弾くのもつまらない…(不真面目です)。片手だけ、単旋律だけでも楽しい曲はないか…と考えて、思い浮かんだのがバッハの「無伴奏チェロ組曲」。これなら単旋律でも映える。楽しそう。でも、ピアノで弾けるの?ピアノ編曲版とかあるの?と思ってtwitterでつぶやいてみたら、チェロ以外の楽器でも可能であること、チェロ楽譜はヘ音記号だから、ピアノでもそのまま演奏できること。さらに、原曲チェロ楽譜の無料楽譜サイトまで教えていただきました。原曲の楽譜を見てみましたが、いけそうな感じです。指使いは自分で考えよう。

 情報をくださった皆様、ありがとうございました。この場でもお礼申し上げます。

 ちなみに、ピアノ編曲版も色々あるようですが、きっちり両手で弾くように編曲されていました。

 最後に一言。舘野泉さんはすごいです。片手しか機能しなくなって、片手でピアノを弾くということがどんなに凄いか、困難なことか身をもって知った。心から尊敬します。
by halca-kaukana057 | 2010-04-18 23:08 | 奏でること・うたうこと
 前回から少し間があいて、今年最後のピアノ記事です。思いきり落ち込んで、立ち上がって、今はソナチネ7番全楽章とシベリウス「樅の木」、ブルグ25おさらいをしています。

 ソナチネ7番は、まだまだ第1楽章が安定しません。指が滑る、回らない。音を外してばかり。結局このまま年を越すことになりました。私にとっての第1楽章の課題が、指が回らないこと、技術であることが悔しい。技術はそう簡単に身に付くものではない。そう実感しています。簡単だろうと思っていたが、こんなに苦労するとは…。恐るべしソナチネ7番。
 第2・3楽章のほうが弾きやすいです。勿論、どちらも難しいところはあります。第2楽章はトリルとスラーの繋ぎ。第3楽章は左手の指遣い。3拍子系で、「ドミソドミソ…」という伴奏の場合、5・3・1という指遣いがお決まりのはず。ところが、この第3楽章では、4・2・1。慣れるまでは「お決まりの左手伴奏の指遣い」ではない指遣いに戸惑いました。後はコロコロと変化する強弱と、2つの主題をどう弾き分けるか。模索中です。

 以前、ピアノ演奏の録音・録画をアップするのは最低限にとどめるつもりと書いた。録音していると、解釈や表現を演奏で表すことよりも、きれいにミスなく演奏することばかり気にしてしまうから。あれから考えたのだが、思い通りの演奏が出来ないからアップしないのではなく、どんな時、どんな場でも自分の思い描く演奏をすることを目指す。これが自分の課題ではないのか。確かに緊張する。マイクやカメラをセットして演奏するとひとりで演奏しているのに緊張してしまって、手に汗をかくこともある。でも、その緊張を乗り越えて、皆演奏しているのではないか。どんな時も、自分の目指す音楽を心から奏でたい。これは、録音・録画すること、人前で演奏することに限らない。どんな時も…他者の進度の速さや挑戦意欲の高さ、練習している作品の難易度に圧倒されて自分を見失ってしまいそうになる時も、なかなか進展がなく焦る時も。周囲がどうあろうと、自分自身がスランプに陥っていても、「こんな音を奏でたい」「この解釈が伝わるような演奏をしたい」という灯台のような目標を持っていたい。どんな状況でも、私は私の目指す音楽へ向かいたい。勿論、視野を狭めたり、考え方を偏らせないように気を付けて。これが来年の目標です。

 そんな思いで、久々に録音してしました。ソナチネ7番第2楽章。
ソナチネ7番(クレメンティ op.36-1) 第2楽章ソナチネ7番のページでどうぞ。第1回録音です。
 トリルが難しい…。もっとゆったりでもいいよなぁ…。柔らかさ、優しさも足りない。第2楽章も年越し決定! ……。

 来年の目標をもう一つ。シベリウス「樅の木」を演奏すること。譜読みは終了。「わからない」と放り投げていた部分も解決しました。あとはみっちり練習するだけです。ここからが長いのですが…。アルペジオの嵐、静寂の深い低音をどう出すか。楽譜とにらめっこしていても始まらない。今度は鍵盤に向かおう。まさか、自分が「樅の木」を演奏しようと練習していることが夢みたいです。少し前までは「無理だ、今の私には弾けっこない」と思っていたのに、譜読みをして、少しずつ音をとってみて、「弾けるかもしれない」と感じている。ソナチネ7番が全然進まず、さらに壁にぶつかり落ち込んでいたのに、決して進んでいないわけではなかった。そうだ、今年はブルグミュラー25を完了した。これだけでも充分な進歩だ。それに、「樅の木」への第一歩、第二歩を踏み出せるなんて。信じられない。いや、信じろw

 ということで、来年ものんびりですがピアノを、音楽を楽しみたいと思います。
by halca-kaukana057 | 2009-12-31 22:36 | 奏でること・うたうこと
 先の記事「前とは違う"原点"へ」で書ききれなかったことをひとつ。

 この世の中には、"アマチュアピアニスト"の世界が存在するらしい…。

 私も趣味で、アマチュアでピアノを弾いているが、彼らは私とは違う。本業は音楽ではなく、二足のわらじ。しかしプロ並みの腕を持ち、リサイタル・コンサートも開く。お互いに学び合い、切磋琢磨し、コンクールやコンペティションで腕を競い合っているらしい…。ただ趣味でピアノを弾いているのとは次元が違う。でも、本業もしっかりとこなす。その一例が前にも書いた金子一郎さん。金子さんの他にも、そんなアマチュアピアニストがこの日本には沢山いるらしいのだ。

 私自身、そういうアマチュアピアニストの演奏を一度だけ聴いたことがある。アマチュアピアニスト(ピアノだけでなく別の楽器もあった)のコンサートに行った。本業ではかなり活躍されているそうだが、その方の演奏は真摯で、音楽が好きだという気持ちに溢れた丁寧な演奏だった。その楽曲に関してのお話もあったのだが、それも面白かった。コンクール・コンペには出ていないそうだが、プロでなくてもこんな演奏が出来て、聴いている人に何かを伝えられるのは凄いことだなと思った。アマチュアピアニストたちがたくさん集まるコンクール・コンペは大変なことになっているのだろう。一度聴きに行ってみたいものだ。

 そんなアマチュアピアニストたちに対して、私は例えて言えば「陸地から遠く離れた小島で、ひとりでピアノを黙々と弾いている人」だろう。アマチュアピアニストたちは、陸地で腕を競い合っている。一方、私はそんな世界から離れて、そんな世界のことも知らず、ひとりで練習し、悩み、壁にぶつかり、考え、また立ち直って練習して…音楽を楽しんでいる。私のいる「島」の周りに同じような「島」は見当たらない(気づかないだけかもしれない)。どんなに大きな音を出しても、誰かに私の演奏は聞こえることはない。ただ、ネットがあるので録音や動画をアップしている。ネットで、遠くの陸地や島にいるピアノ友達と話をする。彼らがいる陸地や島に行くことはほとんどない。あればいいけど、なかなか機会がない。

 と、自分のピアノ環境を例えてみたが、この環境に不満は持っていない。むしろ、この環境でよかったと思っている。アマチュアピアニストのようなレベルでなくても、ピアノ教室やピアノサークルで教えてもらったり、演奏を聴きあったりする環境はあればいいと何度も思った。でも、今の私には叶わないので、無い物ねだりをするのはやめた。様々な人と交流できるのはいいけど、その交流は時に喧騒やしがらみに変わることもある。喧騒やしがらみに囚われたくはない。実際、以前も書いたようにピアノ関係のサイト・ブログを見ると劣等感を覚えることがある。焦り、ため息をつき、自分を見失う。ただ、今は昔に比べてそういうことは減ってきた。人は人、自分は自分と、割り切れるようになってきた。ひとりで、自分のペースで楽曲に取り組む。このスタイルが自分には合っていると感じている。

 以前書いた「音楽へのアプローチ方法」で、こんなことを書いていた。
 音楽へのアプローチ方法は、プロとアマ、初心者と上級者、レッスンを受けている人と独学者…と2つにはっきりと分けられなくなってきているのかもしれない。プロにも色んな演奏者がいるだろうし、アマチュアに関しては分類不可能だろう。だからこそ、自分のやりやすい方法で、やりたい方法で、皆それぞれ音楽を楽しめればいいと思う。どんどん発表会やオフ会に出て演奏を披露するもよし、ひとりで黙々と演奏するもよし。コンクールに挑戦するのもよし、動画を撮ってネットにアップするもよし。アマオケに入ったり、アンサンブルを組むのも楽しい。大人の初心者、独学者、もちろんOK!自分で演奏はしないけど、演奏を聴いて演奏者を応援するのもあり、だ。

 音楽への関わり方は色んな方法がある。ようやくそれに気がついた。音楽は、いろんな意味で「自由」なんだなと思う。私も皆も、「自由」に、様々な方向から音楽を楽しめたらいいなと思う。そして、それを見た人が「楽しそう」「自分もやってみたい」と思えたら…とても幸せだな、と思う。


 世の中には、"アマチュアピアニスト"という私の知らない世界がある。一方で、私はひとりで黙々と楽譜に、ピアノに向かう。それでいいのだと思う。色々なスタイルがあって、いいのだと思う。それがその人に合った、やりやすい、音楽を楽しめるやり方なら。自由でいいんだ。自分に言い聞かせている。

 ただ、ひとり離れ小島で聴く人もなく、黙々と演奏していても、チャンスがあれば楽器・演奏形態を問わずコンサートなどに行って、またはCDで色々な演奏に触れること、出来るだけ好き嫌いせず(苦手だと思っても決めつけない)様々な作曲家の作品を聴く。これは貪欲にいきたい。自分のピアノにフィードバックするという意味もあるけど、純粋に多様な音楽の世界を楽しむために。

 音楽の世界は、広いなぁ…。と感心ばかりしていられない。ピアノに対する禅問答はこのくらいにして、楽譜を読む、ピアノで練習する時間をもっと持とう。
by halca-kaukana057 | 2009-12-01 22:38 | 奏でること・うたうこと

前とは違う"原点"へ

 先日の「演奏の楽しみを取り戻す」で書いたとおり、「楽曲分析と演奏のはざまで」への答え・考えを書きたいと思います。

 人前で演奏すること。大事だとは思う。過去記事を読み直して思い出したのだが、「自分のための演奏、皆で味わう演奏」(2009.1.3)の記事で、こう書いていた。
私が人前で弾いてみたいかと問われれば、イエスと答える。緊張はするけど…音楽は自分だけのものじゃないから。演奏を通した音楽の謎解きを、皆でやってみたいのだ。私の出した、誰かの出した"答え"となる演奏をお互いに聴き合いたい。ネット上の録音や動画を見せ合うことでも出来るけど、生の音は違う。音だけで伝えられないもの…表情や指・手・腕の動きもある。演奏した後、お互いに話が出来ればなお良い。これまで機会はあまり無かったけれども、人前で演奏できるチャンスがあれば、やってみたい。

ピアノを人前で演奏して、その作品に対して感じた難しさや謎だと感じたこと、面白さ、そして何より音楽の楽しさを一緒に味わえたらと思う。プロのピアニストのように自分の演奏で人を楽しませ、喜ばせるエンターティナーになる自信はない。でも、感じることは人によって異なるけど、自分が感じている「楽しい」という想いを、少しで良いから同じ場にいる誰かも感じてくれたら…と思う。


 すっかり忘れていた記事なのだが、読み返してみると想いは今も変わらない。音楽は自分だけのものじゃない。演奏を通した音楽の謎解きを、皆でやってみたい。そして、自分が音楽から感じている「楽しい」という想いを少しでもいいから、共有したい、伝えたいと思う。面白い本を読んだ時、誰かに「この本とても面白かったよ。ここに感動した。ここからこう思った」と伝えたいと思う。それを伝えたいと思って、このブログに読んだ本の感想など、「どこかの誰かに伝えたいこと」(兼、自分自身の思考整理、メモ、覚え書き)を書いている。演奏もそれと同じだ。その作品を譜読みして、練習して、その作品に作曲家が込めたもの・魅力・私が感じたことなどを演奏という形で表現できたらと思う。

 ただ、私には人前で演奏する機会というのがほとんどない。でも、誰かが聴いていてもいなくても、演奏で表現したいことは変わらない。どんな演奏をしたいか、追い求めるものは何か。聴く人がいてもいなくても、それは変わらないことだろう。聴いてくれる人がいなくても、楽曲分析、読解、理解を妥協するという意味にはならない。妥協しない。楽曲を読解、研究することはやっぱり不可欠だ。作曲家たちがその楽曲に込めたものは、楽譜に書いてある。ただ、楽譜というちょっと特殊な「言語」のため、書いてあることを読みこみ、理解し、咀嚼するのに時間がかかる。シューマンのように手の込んだ暗号のようなものを仕組んでいる場合もあるので(シューマンはそこが魅力だと思う)、ただ正面から読んでもわからないこともある。作曲家の生きた時代や個性、音楽に対する哲学なども理解し、それらを駆使して読んでいかなければ。作品に対して敬意をもって、その作品に寄り添っていたい。

 そして、演奏する時は、前の記事「演奏の楽しみを取り戻す」で書いたとおり、譜読みした内容に自分で納得し、よく理解して、その音を出したいと思ってイメージを膨らませる。自然と演奏にその譜読みの結果が表れるように(それに自分の技巧が追いつくかどうかは別として…追いついたらいいんだけど)。

 演奏を聴いてくれる人がいるということ。これは私にとって、滅多にない、有り難い(=ありがたい)ことだ。もし幸運にも誰かが聴いてくれたら、拙い演奏ではあるけれども、その作品を心から演奏して込められているものを表現し、音楽という形で伝えられたらと思う。

 結局、原点に戻りました。原点に戻ってきたけれども、元の原点とはちょっと違う。譜読みについて具体的に考え、実践している今は、以前の原点とは違う。「楽曲分析と演奏のはざまで」の記事を書いた時は、本当に打ちひしがれていた。ショックだったけれども、そのショックのおかげで、さらに考えを深めることが出来た。これは…いいことだったんだな。

 譜読みは楽しい。知識を取り入れるのは楽しい。でも、自分の演奏の背丈と、持っている知識の背丈は、必ずしも一致しない。演奏が、技術が追いつかない。知識も偏りがある。でこぼこだ。でこぼこだけれども、ピアノ、音楽が好きだ。釣り合わない、でこぼこであることを自覚して、今日も、これからもピアノ・楽譜に臨みます。
by halca-kaukana057 | 2009-12-01 21:43 | 奏でること・うたうこと

好奇心のまま「面白い!」と思ったことに突っ込むブログ。興味の対象が無駄に広いのは仕様です。


by 遼 (はるか)
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