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 ピアノの練習は思うように進んでいません(いつものことですが…)。苦戦しているブルグミュラー25「再会(帰途)」。練習していても、完成に近づいてきたと全く思えない。同じところで完成度が止まってしまっているように感じる。もう無理だ。難しすぎる。この辺で切り上げて次に進もう…と思っていたのだが、しつこく弾いてしまう。諦めきれない。無駄な努力かもしれない。時間の無駄遣いかもしれない。でも、諦められない。と言うわけで、気が済むまで続けようと思います。

 録音してみた。
帰途(再会) 第2回録音ピアノ録音置き場ブログへ
 テンポをあげてペダルも入れたが、自分でも「これはひどい」と頭を抱えたくなる。ひどい暴走。何もコントロール出来ていない。スローテンポで、弱音を出せるように練習するべき。もっと丁寧に。子どもの頃、先生に言われた言葉で最も多かったのが「丁寧に」だったと思う。子どもの頃から何も進歩していないじゃないか、自分…。

 この曲を練習していて、ここが自分の独学の限界なのだろうかとも思ってしまった。自分でも独学であることに対して、頑固に、この言葉のもともとの意味で「こだわって」いるのではないかと。その一方で、この山を越えればいい勉強になるとも思っている。やっぱりまだ諦めたくない。

 ちなみに、こんな演奏をしたいと思っている演奏がある。以前参加した「ブルグミュラー25カップ」に、「再会」でエントリーされた方の演奏。
みんなでピアノ演奏会:家路(この曲、「家路」と訳しているものもあるのか)
 速い!!でもこの速さに乗っていて、滑らか。ペダリングも音が濁っていない。家路を急ぐはやる気持ちが伝わってくる。レベル高いなぁ。私には理想でしかないのかもしれないが、目標にしたい。
 これと、「クインテット」での演奏も勿論理想です。音友の楽譜には、オーケストラでこの曲を演奏することを想像して、とアドバイスがあった。それを考える時、クインテットのアレンジは参考になります。


【プレ・インベンション】
 14番、テレマンの「アレグロ」を練習中。両手のメロディーが絡み合うのが好き。これも指使いがややこしい。


*****

 この頃、このブログの過去の音楽・ピアノ関連の記事を読み直しています。過去に自分が何をどう考えて、どんな音楽を目指したいと思っていたのか。それを再確認したくなった。その記事を書いた時はこれは重要だから忘れたくないと思っていたのに、すっかり忘れていたこともあった。記事があっちこっちにバラバラになってしまっているので、目次のようなまとめをそのうち作るつもり。
by halca-kaukana057 | 2008-10-03 22:38 | 奏でること・うたうこと

目標への順序と段飛ばし

 楽器演奏の練習をする時、大抵は難易度の低い曲から取り組み、技術や表現、楽曲読解力を身につけていく。ピアノの場合、例えばバイエルから初めてブルグミュラー25を経てソナチネに進むとか、チェルニーだと100番、30番、40番の順に進んでいく。これらの練習曲を使わなくても、初心者がいきなりベートーヴェンのソナタだとか、ショパンのエチュードなどに取り組むなんてことはない(独学で、その曲だけしか弾かないのなら別)。レッスンを受けている場合なら、例えばブルグ初期の人がソナタを弾きたいなんて言っても、まずはソナチネをやってからと言われる。そのレッスンを受けている人が子どもなら確実に。大人で、ピアノ講師と相談し了解を得たとしても、相当の練習量と時間、そしてそれなりの覚悟が必要だろう。

 ただ、大人の場合、こういう順序で練習を続けるのは困難であるという人もいる。仕事や家事で十分な練習時間が取れない、子どもの頃練習曲ばっかりやって嫌な思いをした、一度やめて再開したのである程度は弾ける、など。そういう理由で、いきなり難易度の高い曲に取り組むこともある。大人はこういうことができるから、子どもの時よりも気楽で自由でいい、という話をピアノつながりの友人としていた。子どもも、こういうことが出来れば、それで伸びる子も出てくるのではないか、とも。

 この話を聞いて、なるほど、と思った。ものごとには順序があり、ピアノも簡単な曲から取り組んで、徐々に難しい曲に進んでいく。今、私も独学でピアノを練習しているが、楽器の練習というのはそういうものだと思ってやってきた。今はブルグミュラー25、終わったらソナチネやブルグミュラー18をやってみたい。インヴェンションにも取り組んでみたいので、その前段階になる「プレ・インベンション」をやっている。演奏したい難易度の高い曲は色々あるが、今はまだ手が届きそうもないので、難易度の低い曲から気に入った曲を選んでいる。でも、やろうと思えば、いきなり演奏したい難易度の高い曲に挑むことも出来るのだ。私の場合、独学だからなおさらだ。自分でやると決めればいい。でも、気が進まない。友人の話を聞いてなるほどと思った一方で、引っかかる部分があった。


 弾きたい曲、目標の曲があるのだから、自由にチャレンジしていいと思う。チャレンジできる人は、どんどんやればいいと思う。弾きたい曲を弾くのが一番いい。弾きたくない曲を弾くのは辛いし、好きな曲に取り組むことで練習に対するモチベーションや意識も高まるだろう。でも、その目標の曲を「弾く」だけでいいのだろうか。目標に辿り着いたら、そこで「終わり」なのだろうか。

 確かに、目標の曲に取り組んで、弾けたら満足するだろう。私なら、ずっと憧れているシベリウスの「樅の木 (『樹の組曲』op.75-5)」を演奏できるようになったら、本当に嬉しい。でも、何のために演奏するのだろう?好きで好きでたまらない曲だから、弾いて楽しみたいから、自分が好きな曲を誰かにも聞いて欲しいから。結局は自己満足のため、というのもあるだろう。自己満足でいいと思う(私も結局はそうなんだと思う)。でも、どうせ自己満足で弾くのなら、もっと切り込んでみたいと私は思う。ただ「弾く」だけじゃつまらない。その曲を気に入った理由が、楽譜の中に隠されているはず。音楽の土台となる基礎や知識を、段階を踏んで学んでいきたい。いきなり難曲の楽譜を見ても、おたまじゃくしがいっぱいで混乱してしまう。その前に、もっと構造のわかりやすい曲で読解力の訓練を積む。他の曲に、目標としている曲と似ている部分があるかもしれない。それが、目標としている曲の読みが深まることにつながるのではないか。もちろん、テクニックの練習、積み重ねにもなる。寄り道した分、無駄にかもしれないけどレパートリーも増える。


 作曲家の青島広志氏は、初級者向けのピアノ曲解説本にこう書いている。ピアノは初級レベルの大学生が、どうしてもショパンやリストを弾きたいと言って青島氏のもとでレッスンを受けていたことを踏まえ、その姿勢は尊いが、それらの曲に似た易しい曲は沢山ある。ただ、その易しい曲を弾くにも、その曲の成り立ちや時代背景、様式などを理解し人に語れることが大事だと述べたあとに、こう続く。
博士号を取った音楽家たちは、必ずしも名演奏家ではないという皮肉な事実があるのです。学問と芸の違いが、ここに現れたのでしょう。
 しかし、その方たちは語学力を含めて、尋常ではない質と量の知識と見解を持っていらっしゃいます。そこに彼らの存在価値があり、真の音楽家だるゆえんなのです。ですから、私たちも、それに少しでも近づかなくては! つまり、技術が低い分だけ、他の要素で補えばいいのです。

青島広志「青島広志のアナリーゼ付き あなたも弾ける!ピアノ曲ガイド」(学習研究社)5~6ページより

 目標の曲に手が届かない。背伸びすれば、届くかもしれない。でも、私は背伸びせずに、遠回りしてもそこへ続くであろう階段を上っていこうと思う。技術や知識、読解力が低いことを自覚して、受け止めて。
by halca-kaukana057 | 2008-07-02 21:40 | 奏でること・うたうこと

この鍵盤の向こう側

 ピアノの練習をしながら、考えたことがある。私にとってピアノを演奏することって、何なのだろうと。

 きっかけは、音楽を楽しんでいる人々を見て、私も音楽で楽しみたいと思ったから。ブルグミュラーを弾いていた友達、「クインテット」のアキラさんたち。聴くだけでも楽しいのだが、自分で演奏できればもっと楽しい。私もやってみたい。そのちょっとした感情がきっかけだった。

 そして子供の頃に練習嫌いで辞めたピアノにもう一度向かった。独学でも、自力でも近づいてみたかった。だんだん指が動いて、その曲の世界に少しでも触れることが出来た瞬間の感覚がやめられない。そこにたどり着くまでが辛いけど、それも己を鍛える試練だと思う。学ぶことも多い。テクニックや作曲家のエピソード、楽典などなど。ただ美しいだけじゃない。心を揺さぶられる秘密が曲の中にある。なかなか理解できないこと、習得できないことも多いが、最初から分かってしまったらそれはそれで面白くないので、このぐらいでいいと思っている。



 だが、ふと思う。私はあるひとつの曲が弾きたいのではなくて、その曲を通して音楽の世界に浸りたい、のではないかと。それぞれの作曲家たちが作った音楽の世界。音楽については素人である私だけれども、その世界を旅したいと思う。作曲家たちが言葉に出来なかった感情を託した曲に触れることで、彼らの人生・生き方・哲学に触れてみたい。そして、その曲にこめられた感情は、その曲を作った人だけの感情とは限らない。人類の歴史の中で繰り返されてきた日常と喜怒哀楽を、先人たちは文章や絵、音楽などの形にして表現し、未来に伝えてきた。その断片のひとつである楽曲に触れることで、人間の思想や感情、歴史にも触れることが出来るんじゃないか。それは今の私にも繋がっている。私と誰か過去の作曲家は全く別の時代・国に生き、違うことを考えて生きてきたけど、似たようなことを感じていたのかもしれない。美しい景色やモノに出会って感動し、親しい誰かを亡くして哀しみ、誰かに恋をしてときめきを覚え…そういう感情の根底にあるものは人類にとって普遍なのかもしれない。だから、過去の誰かが書いた(描いた)作品に触れて「美しい」「楽しい」「悲しい」「切ない」…と思う。その先人を動かした感情を、私も持っているから心を揺さぶられるのではないか。楽曲を通して、先人が体験したことを私も体験しているような不思議。それはその先人が体験したことと全く同じではないけど、楽曲を通して蘇ってくるような気持ちになる。


 だから、私にとってひとつの楽曲を演奏することは、"目的"ではなく"手段"ではないか。ある楽曲が弾けるようになることが"目的"じゃない。そこは私の目指しているゴールじゃない。その楽曲にこめられている感情と、楽曲を通して伝えたいことを表現する"手段"だと私は思う。言葉では表せないことを考え、伝えるベースとなるものであり、人間の感情を形にするひとつの方法。でも、楽曲が"手段"だからと言って、それを軽んじている訳ではない。その楽曲があってこそ、気がついた感情や想いがある。そして、その楽曲にこめられている感情を表現するためには、しっかりとした基礎や技術も必要。基礎や技術、楽曲理解が足りないせいで十分にその曲にこめられたものを表現できず、楽曲を台無しにしてしまうから。

 私にも、弾きたい曲はある。だが、その曲を弾けるようになることがゴールなのか、これまでモヤモヤを感じてきた。ただ「弾きたい」と言うのは楽。それを弾いて、どうしたいのか。これまで考えてこなかった。

 楽器を演奏して食べて生きている、プロの演奏家はそうはいかないかもしれない。でも、私のような趣味のアマチュア(しかも独学)なら、そんな考えを持っていてもいいかと思う。

 この鍵盤の向こう側にあるもの、この楽譜に繋がっているもの。それを自分に繋げるものが、音楽であり、楽曲であると思う。これまでモヤモヤとしていたゴールが、おぼろげながら見えてきた。


【追記】
はてなブックマークでのコメント、どうもありがとうございます。リンク貼っておきます。
この記事のはてブコメント一覧
by halca-kaukana057 | 2007-10-29 22:06 | 奏でること・うたうこと
 宇宙ヲタの遼です。こんばんは。月探査機「かぐや」が無事月に到着しましたよ!
今後軌道を調整し、更に「かぐや」月の軌道に 最大の難関突破 12月から観測(朝日新聞)
月周回衛星「かぐや(SELENE)」の月周回軌道投入マヌーバ実施結果について- 月周回軌道への投入を確認 -(JAXAプレスリリース)
子分衛星を切り離して観測機器の調整もして12月から観測開始です。ワクワク☆

*****

 という前置きはここまでにして、今日のニュースを見ていたら、気になるものを見つけた。
公園の噴水で遊ぶ子供の声がうるさいという訴えが認められ、その公園の噴水が止められたんだそうな。
公園の噴水遊びは「騒音」 訴え認める 東京地裁支部(朝日新聞)

 で、このニュースに関連して夕方のニュースで何がどのくらいの騒音の程度なのかを調べていた。気になったのがピアノ。ピアノの演奏は大体80デジベル。鉄道が通る高架橋の下ぐらいの騒音と同じらしい。
 それはうるさい…。
 こう聞くと、ピアノの練習ってとんでもない近所迷惑?!と思い練習するのがためらわれる。ブルグ「タランテラ」もシベリウスも追い込み段階なのに、モチベーションが下がる…。

 って、言い訳でしかないがな。
 最近ピアノに向かう時間がめっきり減ってる。やる気が無い…のだろう。練習を始めればすぐに曲に没頭できるんだけど、練習を始めるまでが辛い。何でもそうだろうな。そこを越えられるかが問題なんだ。ちょっとだけ、10分でもいい。ピアノにしろ、他のものにしろ、毎日の小さな積み重ねが大事なんだといつも思ってる。でも行動できない。そこが弱さであり、自分への、そして曲に対する甘えでもあるんだろう。甘えて後で後悔することはわかっているのに。これは独学では致命的な甘えだと思うんだ。誰もダメ出ししてくれる(と言ったら変だけど)人がいないから。


 結論はこれしかない。グダグダ文句言ってないで練習しろ、自分。


 あと、こんな時は過去のピアノ練習の記事を読み直してる。前の一生懸命な自分を思い返して、少しやる気も持ち直すかな?
by halca-kaukana057 | 2007-10-05 21:36 | 奏でること・うたうこと
 現在、ブルグは「アヴェ・マリア」を練習中なのだが、ちょっと変なことを考えた。「アヴェ・マリア」はイ長調。何故イ長調なんだろう…?と考え始めてしまったのだ。というのは、教会のオルガン・賛美歌のような曲なら、もっと素朴な調性の方が合うんじゃないかと考えたから。イ長調って、ちょっときらびやか過ぎません?

 それで、私がイメージする素朴な調性の代表として、ヘ長調で弾いてみました(ただし冒頭、右手だけ)。アレ?何か違う。素朴で素直、ストレートなのはいいんだけど、祈るような感情が出てこない。今度は元のイ長調で。ああ、そうか、それだったのか。

 この曲がイ長調の理由。それは、きらびやかな調性から、神々しさを出すためのものだったんだ。素朴・素直なだけじゃ足りない。天へ臨む気持ちが出るのはイ長調だからこそ。きらびやかさは教会のステンドグラスをイメージした。

 ということで録音第1回。まだペダルが甘い。前の音が混ざって、音が濁ってしまった。この曲は澄んだ音を出したい。和音もそろえるのが難しい。どっちかに偏ってしまうことが良くある。アーティキュレーションも、変なところで切ってしまったりして不十分。和音でスラーってこんなに難しかったっけ…?まだまだこの曲では(弾いている自分は)癒されないかも…。
 ♪第2回録音:ピアノ録音置き場ブログ:「アヴェ・マリア」のページ
 ↑上記サイトでどうぞ。

【追記】
 ヘ長調とハ長調バージョンを弾いてみました。全て、上記ピアノ録音置き場ブログ:「アヴェ・マリア」のページにあります。冒頭を右手だけですスンマセン。雰囲気だけでも比べてみてください。(ト長調も明日には…スンマセン 7/24ト長調版アップしました)


 それから、ラの音に関して「癒しとしてのグレゴリオ聖歌」という本でキャサリン・ル・メ氏の分析がありました。それによると、
ソであれほど明るかった輝きは失われ、上に向かってはいるものの「あなたの御心が地上にもありますように」と神に恩寵や救いを求める音である。

とのこと。ブルグミュラーが「アヴェ・マリア」をイ長調にした理由は、こんなところにもあったのだろう。
 そのキャサリン・ル・メ氏の分析については、このページから引用しました。


 ピアノについてちょっと思ったことを。(半分愚痴)
私は今独学でピアノを弾いているが、最近自信がなくなってきた。先日楽譜屋さんで立ち読みした本に、相当の分析力がある人じゃないと独学できないと。しかも、そういう分析力は女性には足りない。だから、独学でピアノをマスターした人には男性が多いのだと…。(性別でそういうことを言うのもどうかと思うけど)

 私にはそういう分析が出来るのだろうか。自信が無い。楽典だってかじった程度だし、和声?対位法?さっぱりわからん。楽譜に疑問を持ったことも無いし。だから今回、ちょっと調性について考えてみた。でも、これで分析になっているんだろうか。

 弾き方も自信が無い。自己流だし…。出来れば早くピアノを習いたい。経済的に安定しない…これは言い訳じゃない。本当にどうにかしないと。

 近所の中学生の女の子が、先日久しぶりにピアノを弾いていた。曲は分からなかったが、ツェルニーっぽい。すごい滑らかなスケールだった。あんなの弾けないよ。私も地道に練習していたら、中学生であんなに弾けるようになったのだろうか。

 過去の話ばっかりしてても意味が無い。これからのことを考えよう。ピアノも。
by halca-kaukana057 | 2007-07-22 22:46 | 奏でること・うたうこと

「せきれい」の誓い

 今リベンジで練習しているブルグミュラー25の練習曲の「せきれい」。未だに苦戦中。何て難しい曲なんだ。その練習をしながら、考えていることを。

 以前この曲を練習し行き詰っていた頃、私はこのまま独学を続けるか悩んでいた。「せきれい」の難しさに不安を感じてしまい、このままでいいのかと自分に問いかけ始めた。習っている人の話を聞けば「羨ましい」としか思えなかった。独学の自分が、とても情けなく感じられた。習うことについて詳しい人に尋ねたこともある。しかし、その答えで私は問題を解決できなかった。

 独学は中途半端なのか。独学はレベルが低いのか。独学じゃダメなのか。それから「せきれい」を練習しながらずっと考えていた。「せきれい」はあまりにも難しいのでいったん終了させたが、その後もモヤモヤしながら練習していた。そして、ようやく独学する理由を見つけ、決意を固めた。それについて書いたのが過去記事「サシで学び、演奏したい ~ピアノ独学の理由」だった。

 習わない限りは独学を貫き通し、習っている人を羨ましがらない。分からないなら、とにかく沢山の演奏をCDでもネット上の音源でも、プロアマ問わず聴く。楽譜を読む。考える。そしていったん終了させたとしても、諦めない。時間を置いてもいいからリベンジしよう。「せきれい」は私にとって、独学について考えさせてくれ、独学を決意させた大切な曲だ。だから何が何でも弾きたい。それなりのレベルに仕上げたい。

 以前バロック音楽はわからないと思っていたペツォルトの「メヌエット」も、引き続けているうちに手ごたえを感じられるようになった。粘り強く弾き続けていれば、何かに気付くはず。そう信じて独学を続けたい。今、「せきれい」を練習していて、そう強く思う。



 そんな「せきれい」リベンジの途中経過。♪再生する
以前の演奏はこの過去記事からどうぞ。
 前の悪かったところは、スタッカートを意識しすぎて伸ばすところをちゃんと伸ばしていなかったこと。メリハリがなく、飛び跳ねる感じがなかった。この途中経過はちょっとテンポ速めだった。今はまだもう少し遅くていい。ゆっくり弾いて、音を聴いていこう。


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 バロック音楽も諦めなければ何か分かるはずと、この楽譜を買ってみた。
プレインベンション J.S.バッハ・インベンション―のまえに/全音楽譜出版社

 CD付きのは高かったので通常版を。でもCDがあったほうが便利だっただろうかとちょっと後悔。いいや、ネット上で探そう。バッハ一族やテレマン、モーツァルト親子にヘンデル、ハイドンなどバロック・古典派の作品がずらり。モーツァルト親子のからやってみようかしら。



 それからこれも。


「音楽の友」4月号。グリーグ&シベリウス特集ってことで。いつもなら図書館で読んで済ませてしまうのですが買ってしまった。…正直言うと、買った理由の7割強は表紙がアンスネスだったからです。ハイ。
by halca-kaukana057 | 2007-03-20 21:46 | 奏でること・うたうこと
 風邪を引いた。熱は出ていないが、昨日は熱っぽくてだるく、くしゃみ鼻水の連発。ここ数日忙しくて走り回っていたら、疲れがたまってしまった。

 今日はピアノ演奏を録音しようと思って練習した。チェルニー100・6番や「メヌエット」ト短調もそろそろ録音したいし、「小さな嘆き」もとりあえず録音して現状を知ろうと思っていた。しかし練習中、何かいつもと違うことに気がつく。聴こえるピアノの音が変だ。私のピアノは長い間調律していないけれども、昨日おとといはこんな音じゃなかった。フォルテで和音を弾くと、音割れした録音がスピーカーから聴こえるような、不快な音がする。なんじゃこりゃあ?!聴こえる音も変だから、演奏もグダグダ。録音なんて出来る状態じゃない。

 …よく考えたら、風邪で耳にも影響が出ていた。そうか、風邪はピアノにも影響するんだ。これは練習するよりもゆっくり休んだ方が良さそうだと思って、今日の練習はそこでやめた。


*****


 ということで、録音をアップしようと思っていたが出来なくなってしまったので、代わりに最近ピアノに対して思っていることを書く。

 先日、フィンランドのシベリウス・アカデミー指揮科の元教授、ヨルマ・パヌラ氏のインタビューを読んだ(「レコード芸術」2004年11月号)。パヌラ氏はこのブログでも以前記事を書いたとおり、ヴァンスカやサロネン、サラステやオラモ等、世界で活躍するフィンランド人指揮者を育てた名教師として知られている。そのパヌラ氏がどんな考えを持って教育していたのか。

 パヌラ氏のそのインタビューによると、パヌラ氏が重視したのはとにかくスコアを読むこと。全ては楽譜に書いてあり、そこに書いてあることを自分で考え解釈する(この時、内向的で忍耐強く、じっくり物事に取り組むフィンランド人気質はプラスに作用するとのこと)。また音楽も哲学のひとつなのだから、哲学書を読むことも大事なのだそうだ。さらに、最初から指揮者になろうとせずに、オーケストラの楽器を演奏し、いい演奏者であることも大切なのだそうだ。

 オーケストラの指揮者の話だったけれども、私はピアノにも通じると感じた。ピアノの楽譜だってオーケストラのスコアと同じだ。答えは全部楽譜に書いてあって、そこから何を読み取れるかは自分にかかっている。先日NHKで放送された「ピアノ 華麗なるワンダーランド」で宮川彬良さんが、ピアノ一台でオーケストラの楽器の、様々な音色を出すことが出来ると言っていたが、ピアノは「小さなオーケストラ」とも呼ばれる。オーケストラの楽器だったら、この楽器でこんな音色かなと考えながらピアノを練習すれば、また音楽も変わってくるんじゃないか。例えば、今練習している「小さな嘆き」だと、右手のメロディーはフルートかオーボエの、木管楽器のような音なんじゃないかと私は考えている。左手はクラリネットやファゴットの、低音の木管楽器。それから、冒頭の弱音も、例えばシベリウスの「タピオラ」のような静けさなんじゃないか(曲調は全然違うけれども)。

 ただ、「ピアノ 華麗なるワンダーランド」でピアノは「楽器の王様」と呼んでいたが、私はピアノだけでは足りないと感じた。「ラプソディー・イン・ブルー」の7台ピアノによる演奏も凄かったけど、やっぱり様々な楽器を用いるオーケストラやアンサンブルとは違うと思う。ピアノだけじゃダメだ。様々なタイプの音楽……オーケストラ、室内楽、声楽、合唱、クラシックに限らずジャズやロック、歌謡曲や演歌、童謡・唱歌も含め、とにかく沢山のタイプの音楽に触れることが、私には必要だと考えた。特に独学でピアノを練習している私には。


 もし楽器を習うことが出来るなら、私はピアノよりもやったことはないけど是非弾けるようになりたいと思っているヴィオラかクラリネットを習いたい。でも、どっちもなかなか教室は見つからないだろうなぁ。ヴィオラは特に。ちょっと大きくなっただけだから、ヴァイオリン教室で指導してくれないかしら。


 話は脱線しますが、そのパヌラ氏のインタビューに書いてあった、雨の中シベリウスを待ち伏せしていた若き日のパヌラ氏とか、昔は熱血漢だったパーヴォ・ベルグルンドの武勇伝とか。オモシロイ。ピアノに関することと言っておきながら、違う方向に走っていってしまったのでこの辺で今日は終わりにします。

 パヌラ氏に関して詳しいことは、以下過去記事をどうそ。
シベリウス音楽院の凄さを探れ
by halca-kaukana057 | 2007-02-26 21:41 | 奏でること・うたうこと
 「ブルグミュラー短調キャンペーン」で練習中の第15曲「バラード」。もともと好きな曲なのだが、調べてみたらもっと面白いことに気がついた。曲を読み深めるためにも調べたことを書いてみる。

*****

○調性について
 フラット3つの短調でハ短調。しかし、演奏するとラとシについているフラットにはナチュラルがついていて、実際にフラットが付くのはミのみ。これは旋律的短音階で出来ているためである。旋律的短音階は一般的な短調である自然短音階のⅤとⅥを長2度、ⅥとⅦも長2度、ⅦとⅠを短2度にしたもの。旋律的短音階は元の自然短音階よりも歌いやすくなる。歌いやすくするために作られた旋律的短音階がピアノ曲に使われる理由…?きっと、メロディーを「歌う」ことを意識して演奏するようにとブルグミュラーは配慮したのだろう。

 ちなみに、ハ短調はフラットが付く短調の中でも、最も重苦しい響きを出す短調。その重苦しさを表現して。
 短音階の仕組みについてもっと詳しくはこの図を参照ください。大学で受けた楽典の授業のノートの写しのため、手書きで読みにくいと思いますが…。


○テンポについて
 速度は付点四分音符=68~76.初版では104とかなり速いものだった。速度標語は「Allegro con brio」。つまり、「快速に生き生きと、活発」に。ただのAllegroでないところに注意。


○楽譜を読んでみよう
 形式はABA+Codaの簡単なもの。しかし、「バラード」というロマン派キャラクターピースの代表とも言えるタイトル、曲想から感じられるのは短くもドラマ性がある。楽譜を追いながら読み込んでみる。

 冒頭部分、第1主題。右手が伴奏で左手がメロディー部分になっている。チェロやコントラバスがメロディー部分を持つイメージ?発想標語は「misterioso」=「神秘的に」。でも、速度標語は「Allegro con brio」。神秘的なのに、快速に生き生きとなんて矛盾している?いや、その矛盾によってより謎めいた表現することを求めているのかもしれない。例えばシューマンに見られる狂気のようなものを。また、フォルテではなくピアノであることに注意。バンバンと弾くのではなく、弱音で緊張感を持って。
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 アクセントはsf(スフォルツァンド)とVの字が逆になったものが使い分けられている。Vの字が逆になったものは、リストが考案したより鋭いアクセント。よって、Vの字が逆なったアクセントを強く。
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 休符にフェルマータで場面は移り変わり、第2主題はハ長調に転調。発想標語は「dolce」=「柔らかく、愛らしく、甘く」。緊張から一転夢見るように。animato(活気を持って)でさらに盛上げる。
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 でも、だんだん雲行きが怪しくなってきて…
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 再び第1主題。一瞬の夢だった。
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 Coda部分。撹乱と衰退、そして消滅。sfで劇的な最後。
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 第1主題の緊張感を持った狂気のようなメロディーが大好きです。
by halca-kaukana057 | 2006-12-12 17:16 | 奏でること・うたうこと
 前回「見知らぬ国々」伴奏だけを弾いてみるの記事で言ったように、ピアノ練習のカテゴリーを「ピアノ独学」とした理由を話そうと思う。


 「私とピアノとブルグミュラー」に書いてある経緯で、大人になって独学でピアノを再開した私。でも、時間をかけて取り組んでみると難しいところ、挫折したくなるようなこともだんだん出てきた。さらに、あちこちのピアノ関係サイトを見ればレッスンや仲間との演奏の充実した話が目に付き、習っている人・身近にピアノ仲間がいる人の話を聞くたびに羨ましいと思っている。さらにピアノ初心者向けの指南には必ずのように「習ったほうがはやく上達する」と書いてある。上達しやすいなら、どう考えても誰だって習う方を選ぼうとするだろう。でも、今の私にはそんな余裕はどう計算しても無い。自分にはないものばかり。無いものねだりばかりしている自分。独学する理由を出して、何とかそのモヤモヤした感情から抜け出したいと思っている。だから考えた。私が独学であれピアノを弾く理由を。



 「星を見る私」の記事で、私は一人で静かに星を見るのが好きだと書いた。考え事をしたり、その星座にまつわる神話や物語を思い出したりして。私はこれまで宇宙に1対1の関係で向き合ってきた。きっとピアノでも同じなんじゃないかと思う。何かに対して、一人で臨む。これが私の基本なのかもしれない。


 これだけじゃ弱いので、もっと具体的に考えてみる。独学のメリットを考えてみよう。私は、好きなだけ試行錯誤できるところだと思う。習っているとすぐ先生に答えを出されてしまうだろう。クイズ番組でもなかなか答えが分からず、もう少し考えたいのに正解を言われてしまってがっかりすることがよくある。あの感覚に似ている。

 習えば、先生に言葉と動作で教えてもらえる。それはとても勉強になるだろう。一方独学では楽譜に書いてあることと、CDなどの演奏を聴いて判断するしかない。でも、それで不十分だとは思わない。言葉や動作で教えてくれる人がいないからこそ、自分の持つ全ての知識と感覚、思考を総動員し、音のひとつひとつを念入りに聴いて、手探りで奏でる。遠回りだけど、手抜きではなく勉強になる。CDなどで聴いた演奏をそっくりそのまま真似して弾いても、何か気付くことがあるだろう。「学ぶ」の語源が「まねぶ」、つまり真似をして学ぶであるように。


 独りで立ち向かうには余りにも広すぎる。でも、その姿勢が私にとっては自然に感じる。だからこれまでと同じように1対1で、サシで学び演奏しようと思う。音を上げるだろう。何度も立ち止まるかもしれない。手探りゆえ、悩むことは多い。それでも、立ち止まって悩むだけ悩みぬいて、何度でも答えを出して、そして何度でも演奏したい。自分と向き合い、作曲家がその曲に託した何かに耳を傾けていたい。簡単に答えは出ないだろうし、「これだ!!」と思う演奏にはありつけないだろうけど。


 これが今の私の答えだ。これで迷わないという自信は無い。結局また迷ってしまうだろう。そしたらまた考えればいい。答えを出すのを保留してもいい。今後、ブログ論ならぬ「ピアノ独学論」を機会をとらえて書くかもしれない。

 どうも最近書いてきたいくつかの記事が関連しているみたいだ。不思議だ。

<関連>
「氷山の下に隠れているもの」
 私が思う演奏について思ったこと。
by halca-kaukana057 | 2006-12-03 22:41 | 奏でること・うたうこと
 みなみさんのブログを読んで、色々考えたことを。

「ゆっくり弾こう:何を聴きに行くんだろう」

 この話はとある音楽コンクールを聴きに行こうとしているある人の会話に始まる。その人たちの会話の部分で私もみなみさんと同じ疑問を抱いた。
「え? なんで1次から行ってるの?すごいねー! なかむらともこさんだっけ?だれだっけ?も来てるんだよね?」
(中略)
会場につくと満員。 座る席もほとんどなし。2次1次はガラガラだったのに、3次になると満員になるの?
この人たち何を聴きに来てるんだろう。選抜された卓越した演奏だけ聴きたいの?
(中略)
お上手な演奏だけを聴く人たち。 何を求めているのか私には分からない。

 この引用した部分だ。勿論、3次には選ばれた人しか出られない。みなみさんによれば、1次ではミスだらけの演奏をした人もいたようだ。確かに、「上手い」演奏は聴きたい。卓越した技巧や表現をこの目で見、この耳で聴きたい。でも、ミスだらけの演奏は聴く価値がないと言い切ってしまっていいのだろうか。



 ちょっと話は変わるが、先日感想を書いた重松清「小さき者へ」に収められている「三月行進曲」にこんな部分がある。少年野球の監督をしている主人公が、チームの少年3人を春の選抜が行われる甲子園につれて来た。開会式が始まり、選手たちが入場してくる。そのシーンを主人公は子どもの頃から何度もテレビで見た。甲子園で見るのは初めてだ。その入場行進を見ながら、主人公は子どもの頃に思ったことと今考えることが違うことに気がつく。

 子どもの頃は行進する選手しか見ていなかったが、大人になった今は甲子園に来ることが出来なかった選手たちのことを思う。行進する選手一人一人を食い入るように見ながら、この場にはいない何万人もの選手の姿を思い浮かべる。

 その時、主人公たちの後ろの席にいた応援団に気がついた。出場している代表校の応援団だ。行進している選手と同じユニフォームを着た、ベンチ入り出来なかった選手たちもいる。彼らを主人公が連れてきた少年の一人・ジュンは見つめていた。ジュンは力のあるピッチャーだが意地っ張りで人の失敗を許すことが出来ない。いつもの彼ならばベンチ入りも出来ないくせに盛り上がるな、と言うのだろうが今日は何も言わなかった。




 甲子園に来ることが出来るのは、ほんの一握りの選手たちだけ。その中からさらに、ベンチ入りできる選手が選ばれる。野球だけじゃない。スポーツであれ、音楽であれ、ブログであれ…、何であれひのき舞台に上がることができるのはほんの少しの人間だけ。負け、苦汁をなめる人々の方が明らかに多い。水面上に見えている部分の下には、とても大きな部分が隠れている。では、その氷山の下に隠れている人々の持つものは大したことがないのだろうか。彼らの努力は水の泡なのだろうか。

 私はそんなことはないと思う。技術は劣っていると言われても、至らない部分ばかりでも、時にハッとさせるプレーや演奏をする人、文章を書く人だっている。苦しみもがきながらも、心を打つメッセージをこめて試合や音楽、文章などに打ち込む人もいる。そういう人が、氷山の下に隠れている。一つのものさしだけでは判断できないものが、氷山の下に埋まっている。私も知ることのない何かが。それを発見する機会があるのに、無視し見過ごすのはもったいないと思うし、残念に思う。


 先日「クインテット」に見る演奏者の苦悩についての記事で「私は人間の感情がこもった演奏が聴きたい」と書いた。勿論、3次・本選に残るような演奏者の演奏に感情がこもっていないわけではない。きっと表現力豊かな演奏から、満ち足りた演奏者の感情を感じることが出来るのだろう。でも、1次で落ちた人、もしくはこのコンクールに出ることが出来なかった演奏者たちが感情のこもった演奏が出来ないとは思わない。ミスだらけの演奏からだって、その演奏者が今感じているであろう不安と焦りが強く伝わってくるはず。演奏者としては未熟かも知れないが(それは私が判断することじゃないが。そんな判断を私が下せるとは思わないし、言い切りたくない)、一人の人間として音楽を通じて何かを伝えたいと強く願っている想いを私は受け取りたい。


 氷山の下に隠れているものを全て見るのはとても難しい。でも、出来る限り触れていきたい。そしてその見えないものを見るために、感覚を研ぎ澄ませたい。


 そのためには、知ったかぶりとか、知識だけを振りかざして考えたことは何にもないとか、そういう見栄をはるようなことはしたくないなぁ。大多数の意見に流されたり、誰かが貶していることに同調して見下し自分を偉そうに見せることとか。評論家ぶることも。時々、そういうことをしようとしている自分もいることがあると認める。そんな時に、この記事のことを思い出したい。




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by halca-kaukana057 | 2006-11-25 16:44 | 日常/考えたこと

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