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矢車菊?ひな菊?

 先日の記事で、種から育てた矢車菊(ヤグルマギク、矢車草)が咲いたと書きました。
真夏のバラと花々

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こんな濃いピンクの花もありました。
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やっぱり青もきれいです。

 矢車菊といえば、シベリウスのピアノ曲にも「矢車菊」というタイトルのついた小曲があります。5つの小品op.85、「花の組曲」とも呼ばれる曲集の第1曲です。スタッカートが軽快な可愛らしい曲です。
'Bellis' (The Daisy) Op.85 No.1 Sibelius - P. Barton FEURICH 218 piano


 矢車菊の花にちなんで、この曲について書こう…と思ったら、上の動画に書いてある通り、英語でのタイトルは「Bellis」.「ひな菊」と訳されます。更に他のサイトでは「Daisy」デイジーはひな菊の別名。同じ種類の花だったんだ。矢車菊はヤグルマギク属。ちょっと違う。あれ?
 では、フィンランド語ではどうだ。調べてみると、「Kaunokki」.これを和訳すると「矢車菊」。あれ…?一体どっちなんだ…?
 曲から考えても、どちらでも合う気がする。参った。曲について書こうとしたら、タイトルの和訳で盲点が。矢車菊かひな菊かのどちらか、ということにしておきます…これ以上わからん!
 タイトルの和訳がどちらであれ、可愛らしい曲には変わりありません。爽やかなフィンランドの夏を思わせる曲でもあります。猛暑の日本から見れば、フィンランドの夏は爽やかで快適なんだろうなぁ。冬は寒い以上に暗い、日照時間が短いのが大変そう。

 このop.85、第2曲の「カーネーション」や第4曲の「金魚草」もきれいな曲です。ちなみに、今金魚草を種から育てています。遅く蒔いたので、花はもう少し先です。

 op.75の「樹の組曲」といい、シベリウスのピアノ作品には自然の樹、草花がタイトルの曲が多い。樹は沢山あっただろうけど、アイノラの周りには色々な花が咲いていたのかなぁ…?と思ってしまいます。
by halca-kaukana057 | 2015-07-27 23:17 | 音楽
 去年で止まっているガブリエル・フォーレシリーズ…。終わったわけではありません…。

 フランス近代ものと、夏は相性がいいと思う。ゆらゆらとうつろう曲想に涼しさを感じます。風に揺れている風鈴のような。
 今回取り上げるのは、ピアノ曲集・ノクターン。フランス語だとノクチュルヌ(Nocturne)。ソナチネでお馴染みのクレメンティの弟子のジョン・フィールドが創始したと、ベートーヴェンと弟子のフェルディナント・リースの漫画「運命と呼ばないで」にありました。ノクターンと表題のついたピアノ曲と言えばショパンが有名。でも、ほかの作曲家もノクターンを結構書いています。スクリャービンの「左手のための前奏曲と夜想曲」Op.9は左手で演奏される曲。舘野泉さんの演奏がとても美しいです。

 フォーレもノクターン、いや、ノクチュルヌ、いや…「夜想曲集」を13曲書いています。フランス近代ものですが、どれもメロディーも和音もきれいな、ゆったりとした曲。ここで「夜想曲」と書いたのは、そう呼ぶのにピッタリだと感じたから。急な転調や和音、強音も少なく、落ち着いて聴いていられる。暑い夏の宵、夕涼みに合いそうな曲ばかりです。きらきらした音が、夏の星空を眺める時にも合うかもしれない。甘美過ぎず、ロマンティック過ぎず。音楽そのものがゆったりと流れているあたりは、フランス近代ものなんだなと思います。

 特に好きなのが3番変イ長調op.33-3と、6番変ニ長調op.63、8番変ニ長調op.84-8。3番は始まり方のメロディー、音がのびのびとしていてとても好きだ。4番変ホ長調op.36も、始まり方が素朴でいい。中間部の長調と短調が入り混じっているまだそんなに数を聴いていないので、これから聴けばもっと好きな曲が出てくるかもしれない。

 フォーレは舟歌もいい曲ばかりで…でも持っているCDが少なくて、これからです。

【フォーレシリーズ:過去記事】
・第1回:フォーレを聴こう その1「シシリエンヌ」
・第2回:フォーレを聴こう その2「ラシーヌ雅歌」
・第3回:フォーレを聴こう その3「ドリー組曲」
・第4回:フォーレを聴こう その4 フォーレの月の歌

・記事内で出てきた漫画「運命と呼ばないで」: 運命と呼ばないで ベートーヴェン4コマ劇場
by halca-kaukana057 | 2015-07-24 21:54 | 音楽

ピアノ調律師

 図書館をうろうろしていたら、偶然目にとまって、そのまま借りてきた本。絵本です。


ピアノ調律師
M.B.ゴフスタイン:作/末盛千枝子:訳/現代企画室/2012
(初版はすえもりブックス、2005)

 ルーベン・ワインストックはピアノ調律師。2年前に両親を亡くした孫娘のデビーと暮らしている。ルーベンは、デビーにピアニストになってほしいと思っている。デビーはピアノのお稽古をしているが、なかなか上手にならない。そんなある日、ルーベンが住む町に著名なピアニストのアイザック・リップマンが演奏会のためにやってくる。ルーベンとリップマンは親しく、リップマンはルーベンの調律を心から信頼していた。演奏会のために、ピアノを調律するルーベン。デビーは、その様をじっと見て、音を聞いている。しかし、その日、別のピアノを調律する仕事が入っていることを思い出した。ルーベンは、調律を明日にしてもらえないかとデビーを伝えに出すが…。

 絵は線画だけの、シンプルな絵です。文章の方が多い。絵本というよりも、挿絵つきの小さな物語、といった方が近いかもしれない。

 ピアノの調律を見るのは、私も好きだ。ピアノの蓋を開けて、複雑な中身を見るのも好きだ。そのピアノの中身は、ひとつ間違えば音が狂ってしまう繊細な空間。そこに、様々な道具や調律の技術、チューナーや自分自身の耳を頼りに、調律をする。弦楽器や管楽器は自分で調律する。ヴァイオリンなどの弦楽器は弦が切れても自分で張りなおして調律するし、オーボエは自分でリードを作る(勿論、専門家に頼むこともあります)。ピアノのように、調律師だけが調律する楽器は珍しいのかもしれない。だからこそ、ピアノの中身は繊細で、どこか神聖なものに思える。

 そんな調律師をしているルーベンは、一流の腕前を持った調律師。孫娘のデビーは、祖父のような調律師になりたいと思っている。しかしその祖父・ルーベンは、デビーをピアニストにしたいと思っている…。どちらもピアノに関する仕事だけれども、全然違う。調律師は縁の下の力持ち、裏方。でも、調律師がいないとピアニストはピアノを演奏できない。ルーベンがピアノを調律する様も詳しく描かれているのですが、実際生で見ても、調律する姿はかっこいい。ピアニストも、楽曲や作曲家と一対一で対峙し、解釈を演奏技術と表現にのせて演奏する。調律師も、技術や経験をもとに、ピアノと一対一で向き合って、その音を整える。ピアノの個性、癖、湿度や気温などの変化する環境、ホールの音響、ピアニストの好み…。いつも同じとは限らない。それも、ピアニストと同じ。読んでいて、より調律師という存在、仕事や魅力的に思えました。

 しかし、ルーベンは何故デビーが調律師よりもピアニストになってほしいと思っているのだろう…と疑問に思いました。調律師をしているからこそ、仕事の大変さがわかる。裏方の調律師よりも、リップマンのようにピアニストの方が華やかで主役になれるから…?それでも、デビーにとってはおじいさんがヒーロー、主役。誇りであり、目標でもある。小さなことから、そんな目標を持てるって素晴らしいなと思いました。しかも、ルーベンは一流の腕前の調律師だから。デビーの一途さに心を打たれます。こんな風に、何かに一途になれるっていいな、と。

 この物語の中で、デビーが練習しているのが、メンデルスゾーン「無言歌集」より第7巻op.85-1「夢」.こんな曲です。
Barenboim plays Mendelssohn Songs Without Words Op.85 no.1 in F Major

 私には結構難しい曲に思えるのですが…。優しくゆったりとしていて、素敵な曲だなぁ。
 ちなみに、リップマンが演奏会で演奏する曲に、シューマンの「謝肉祭」op.9があるのが嬉しい。大好きな作品です。
by halca-kaukana057 | 2014-09-29 21:46 | 本・読書
 夏になると、フランスもののピアノ曲が聴きたくなります。ということで、ガブリエル・フォーレ作品を聴こうシリーズ、第3回は「ドリー組曲」op.56

 子どもの頃、ピアノを習っていた時、先生と連弾することが時々ありました。連弾だと、いつもは自分ひとりだけの演奏が音が厚く豪華になって聴こえ、またひとりでプリモ(生徒はメロディーメインの簡単なプリモをやる)を練習、レッスンで演奏した後、先生のセコンド(大体伴奏)もつけると音がこんなに変わるんだ!という発見。更に誰かと一緒に演奏する楽しさもあり、好きでした。連弾曲は大体楽しく軽快な曲が多かったので、そんな楽しさもあります。

 ピアノ連弾というと、そんな子どもの時のピアノレッスンのイメージが強く、プロのピアニストが弾くものとは思っていなかった。ところが、この「ドリー組曲」は連弾曲。2台ピアノではなく連弾。連弾にこんな作品があるんだ…と思いながら聴いています。

 フォーレが親しくしていた銀行家の娘(のちにドビュッシーの妻になる)のお嬢さんの誕生日お祝いに毎年1曲ずつ作曲され、タイトルも小さな女の子を思わせるような可愛いタイトルがついている。曲そのものも愛らしい。第1曲「子守歌」を聴いて、あれ?と思った。聴いたことがある。ああ、NHK・Eテレのアイキャッチのあの曲か!「Eテレ」とコールされる数秒のアイキャッチ。何種類がありますが、この「子守歌」の冒頭が使われています。この曲だったのか。

 全6曲、どの曲も軽快で愛らしい。第3曲「ドリーの庭」、第5曲「やさしさ」の穏やかさ、優雅さ。フォーレの他のピアノ作品…後に書くかもしれませんが、夜想曲集などに通じるものがある。第6曲「スペイン風の踊り」の音の重なり、厚み、和音の響きとスピード感がとても気に入っています。これは連弾だからこそできる響き。ちなみに、アルフレッド・コルトーはピアノソロに編曲し、更に、管弦楽版もあるらしい。
Gabriel Fauré - Dolly Suite

 オーケストラ版もまたきれいだなぁ。

【過去記事】
・第1回:フォーレを聴こう その1「シシリエンヌ」
・第2回:フォーレを聴こう その2「ラシーヌ雅歌」
by halca-kaukana057 | 2014-07-28 22:26 | 音楽
 1年以上も前に本屋で見つけ、無性に気になり、物凄く惹かれたので購入。その後、何度も何度も読み返している本。いい加減感想書こう…と何度も思ったのに感想を書けずにいる本。


静けさの中から ピアニストの四季
スーザン・トムス:著/小川典子:訳/春秋社/2012

 著者はイギリス人のピアニスト。ピアノソロ演奏の他、「フロレスタン・トリオ」というピアノ三重奏団を組んでの演奏活動もしている。演奏会などで各地を旅し、その旅先で出会ったものや人々、演奏会でのこと、子どもの頃ピアノとどう向き合っていたか、演奏する作曲家について、聴いた他の演奏会のこと、家族のこと、ふと見たもの聞いたこと考えたこと…トムスさんの「音楽家の日常」に触れられる本です。

 サブタイトルに「ピアニストの四季」とあるのですが、12ヶ月間に分けて、日記のようなエッセイになっています。読んで思ったのが、トムスさんの目の付け所がとても鋭い。しかもそれを読み手にまっすぐ届くような言葉で表現している。素直で、飾らない。時にユーモアも交えて。同じくピアニストである小川典子さんの訳もすばらしいのだろう。音楽のことも、音楽に関係ないことも、「音楽家」の視点だったり、一般人とあまり変わらないような視点で語られる。ピアノや楽譜、音楽に向き合うのは、楽しいけれど、サボりたいと思うこともある…プロの演奏家でも練習が嫌いなこともあるのか、とちょっと身近に感じてしまうことも。それでも、「芸術」を希求する心が表現する文章の強さに、何度も何度も読み返してしまっています。

 もうひとつ、読んでいて思ったのは、「音楽家」といっても、「芸術家」と「優等生」に分かれるのかな、ということ。楽譜の通り、間違いなく演奏している生徒の話が出てくるのだが、それだと「優等生」になる。音楽だけじゃない、この本ではスポーツやバレエなどについても語られているが、ただより速く、より高く、より遠く、正確にやって勝てることもあるけれど、「芸術家」はそれだけではない。身体の一連の動きや演技の流れが自然で、かつ高度。難易度の高い技をやっても、無理をしていると感じさせない。技巧の他に何かがある。それを、私達は「芸術性」と呼び、スポーツでも芸術的な面、表現力が評価の対象、得点に関わるものもある。音楽は芸術のひとつだが、私はこれまで、音楽が「芸術」であることを忘れていたかもしれない…と読んでいて冷や汗をかきました。「芸術」とは何か。表現力とは何か。技巧・テクニックだけがよくても、表現力がなければ…と思っていたけれども、その表現力って何?しかも、音楽・演奏は、その時その場限りのもの。二度と同じ演奏は出来ないし、録音してもその時の演奏をそのまま再生できるわけではない。一瞬の一音一音にこめるものの大きさを実感し、その中で何をどう表現するのか。今も考えています。

 「優等生」は、ひたすら練習、努力する。「芸術家」も人の何倍も練習、努力しているけれども、他の人には真似できない繊細な動きや、楽譜からより多くのことを読み取って演奏で表現する。それは才能だけなのか。どんなに小さい頃から音楽の勉強をしても、プロの音楽家になれるのは一握り。さらに、第一線で活躍するとなれば、一つまみぐらいのものだろう。音楽をやる=プロになる、ではない。技巧がおぼつかないアマチュアの演奏でも、心惹かれる時もある。「優等生」と「芸術家」。音楽を少しかじっている者としても、この違いは、何なのだろう…考えてしまっています。

 という私の悶々とした問答はさておき、本当に面白い本です。トムスさんが接した演奏会の聴衆の不思議な、奇妙な言動も笑えるけれども、自分はさてどうだろうか…と自らを省みる。世の中に音楽はあふれている。その音楽の中から、音楽を通して、トムスさんは様々な発見や問いかけをしてくる。何度読んでも面白いです。

 と、読んだのはいいが、トムスさんは一体どんなピアニストなのだろうか。演奏を聴いたことが無い。この本を読むまで、トムスさんのことも存じ上げませんでした。聴いてみよう。
by halca-kaukana057 | 2014-05-29 22:32 | 本・読書
 久々にピアノカテゴリ。と言っても、練習記録ではありません…(かなしいことに)
 twitter経由で、興味深いツイートを読みました。

Togetter:モビゾウさんの基礎についての一連のツイート
 娘さんのピアノレッスンで、基礎を学ぶ大切さについて書かれています。特に印象に残った部分を引用します。

 最初はあまりにリジッドに理論勉強をするので、もう少ししたら辞めさせようかなあと思っていたのだけれど、なるほど、基礎理論の勉強というのをしないと、ピアノはいつか必ず行き詰まるということが分かった。そして、私が弾けなくなった時点で娘のピアノも頭打ちである。
 ・モビゾウさん(2013年5月14日 10:19

 勉強も、研究も、音楽も、全て基礎。基礎理論だ。話はそれから。毒にも薬にもならない「基礎部分」というのは本当に面白くない。その面白くない部分をいかに楽しく教えるか。ここが先生の力量なのだとやっとわかった。
2013年5月14日 10:22

 英語もピアノも同じ。つまらない基礎の部分を、いろいろな工夫をしながらひたすら繰り返し、定着させていく。その定着が済んだときに突然飛躍した難易度のものを渡されても、解ける自分に驚く。あとはどんどん自分で創り上げるだけだ。創造はそこから始まる。
 2013年5月14日 10:24


 まさしくそうだなと感じました。基礎練習…例えばハノンで指・手・腕…身体全体の動きを確かめながら練習し、曲の練習でも片手ずつ楽譜に書いてある指示を理解してその通りに何度も弾いてみる。楽譜に書いてあることを理解してその通りに弾いてみる…これは結構難しい。「書いてある通り」と言っても、解釈で異なってくる。
 それから、よくあるのが音符の読み間違い。音そのものを読み間違えることも私はよくあるのですが(悪い例です)、音の長さ・付点も大事。この辺も、おろそかにしていなかったか自分よ…(完全に悪い例)

 基礎練習・理論の勉強は大事だと、今痛感しています。ピアノに最近触っていません…。全く触っていません…。弾きたいと思う時があるけど、この先どう練習したらいいか分からないと壁にぶつかって、そのまま壁の下に座り込んでいる状態です。「弾けない」自分に向き合うのも不安、怖い。ここから先にどう進んだらいいかわからない…これはずっと悩んでいる。

 悩んで、基礎練習や理論の勉強は自分でコツコツ積み重ねるものだけど、自分だけでは出来ない。やり方や方向を教えてくれるプロの存在が必要なんだとようやくわかった。ここから先に進むのは、自分ひとりではできないことだと、少し前から感じ、教えを請おうを考えているところです。

 こう書くと、もう決まってしまったようになりますが…、まだ動き出していません。教えを請うこと=ピアノを本格的に再開するということ。そこまでして再開したいのか…という迷いもあります。別にピアノ弾けなくてもいいじゃない?とささやく自分がいます…。でも、CDを聴いたり楽譜を読んだり、以前のピアノ練習記録・演奏録音を聴いていると、もう一度ピアノを演奏するという形でも音楽を楽しみたい、自分で演奏して音楽に触れたいと思います。途中でやめたままにしておきたくない。以前「演奏したい」と思った数々の作品を演奏したいか、と問われれば、「演奏できるようになりたい」と思います。

 具体的な曲を挙げれば、シベリウスの「樅の木」(「5つの小品(樹の組曲)」op.75-5)はやはり演奏したい。憧れの曲です。シューマンの「美しい5月よ、お前はもうすぐやってくる」(ユーゲントアルバムop.68-13)や以前練習していた「春の歌」op.68-15、「思い出」op.68-28といった「ユーゲントアルバム」に収められている作品も弾きたい。J.S.バッハにモーツァルトやベートーヴェン。シューベルトやブラームス、グリーグでも弾きたい曲は沢山ある。ちょっと苦手意識のあるショパンも、これはいいなと思う曲が少しずつですが出会えました。近現代なら、バルトークやヤナーチェクなどなど。現代邦人作品なら、吉松隆も好きだ。
(詳しくは「ピアノ・弾きたい曲」リストを。下にリンクを貼っておきます)

 こんなに好きだ、演奏してみたいと思う作品は沢山あるのに、手を伸ばそうとしない自分は一体何なのだ。憧れているだけか?それだけか?それだけでいいのか?

 その前に、基礎練習、理論の勉強という長い途があるけれど、それは苦だけじゃないと以前弾いていて分かっている。今は忘れている、失っている。先に進むための心の準備が出来れば、動きます。
 …もっと思い切って「やります!」とはっきり言えたらなぁ…弱気な自分どうにかしたい。

タグ:ピアノ・弾きたい曲
 過去の「弾きたい曲リスト」があります。
by halca-kaukana057 | 2013-05-14 22:36 | 奏でること・うたうこと

音楽に向き合う旅路

 最近行ったコンサートのことを。ピアニスト・舘野泉さんのコンサートに行ってきました。舘野さんのコンサートにはこれまで何度か行く機会があり(自分でも信じられない)、その度にその音楽・演奏に魅了されてきました。今回は数年ぶり。コンサートと言っても、息子さんでヴァイオリニストのヤンネ・舘野さんのコンサートのアンコールにサプライズ出演されるという形もあったので、舘野さんのソロをたっぷりと聞けるのは久しぶりでした。
 コンサートには、弟さんでチェリストの舘野英司さんも共演。これも楽しみでした。

【プログラム】
・J.S.バッハ(ブラームス編曲):シャコンヌ
・間宮芳生:風のしるし より第2番・山にいて夜鳴く鳥の声
       5つのフィンランド民謡(ピアノとチェロ) より第3曲・家なきこじき
       風のしるし より第5番・フィンランド民謡によるミニ・シャコンヌ
       5つのフィンランド民謡(ピアノとチェロ) より第4曲・ミッキン・ペッコ(ミキの仔馬)
・吉松隆 :「平清盛」より
       遊びをせんとや
       海鳴
・モンサルヴァジェ:3つの肖像 モンポウ/オスカル・エスプラ/ルービンシュタイン
・coba:東京キャバレー(ピアノとチェロ)

【アンコール】
・スクリャービン:左手のためのノクターン op.9-2
・吉松隆編曲:カッチーニのアヴェ・マリア


 間宮芳生先生の作品は、左手のためのピアノ曲「風のしるし」と、かつて作曲したピアノとチェロのための「5つのフィンランド民謡」から2曲ずつを交互に演奏するというユニークな形。同じ作曲家の作品でも、作曲された年代の違い、編成の違いで雰囲気が少し変わるのだなぁと、面白く聴きました。

 個人的に楽しみにしていたのが、吉松隆先生が音楽担当の大河ドラマ「平清盛」より2曲。ドラマで聴いていた曲を生で聴けるとは嬉しい。「遊びをせんとや~」の最初の響きに「これだ!!」と一気にテンションが上がってしまいました。「海鳴」は、作曲したけどドラマでも未使用、サントラCD(通常盤2枚、コンプリートBOX、舘野さんのピアノ曲だけのアルバム)にも入っていないレア曲。なんとなんと…!!OPテーマ曲を、ピアノソロで演奏してしまったような曲です。「遊びをせんとや~」のメロディーから、OPの”清盛のモチーフ”を変奏しつつ繰り替えす。打ち寄せる波のように、弱くなったり強く激しくなったり。とても難しい曲です。でも舘野さん曰く「とても魅力的な左手のピアノ曲」と。今後もコンサートで演奏されるといいなぁと思う曲でした。

 cobaさんの「東京キャバレー」ですが、本来は5月のコンサートで世界初演されるはずの曲。それが、まさかの演奏…今回のコンサートは嬉しすぎます。世界初演のために、どんな曲かは伏せておきます。CDが出たらまたじっくり聴きたい曲です。

 アンコールは「待ってました!」と心の中で叫んでしまった2曲。スクリャービンのキラキラした高音…何度聴いてもたまりません。ただ、美しい。その言葉に限ります。「カッチーニのアヴェ・マリア」も、聴いていると「平清盛」ドラマでこの曲が使われたシーン(しかも毎回のクライマックスの部分)が頭の中で流れてきて大変なことになりました。アンコールでは目頭を押さえている人も散見。私もでした…。


 今回のコンサートで思ったことは、大きく分けると2つ。まず、左手のピアノ曲は作曲家の個性や作風がストレートに出やすいと感じました。ブラームス編曲のバッハ「シャコンヌ」はまさにピアノのための曲で、ピアノの音色を生かしている。間宮先生の「風のしるし」や、モンサルヴァジェ「3つの肖像」も。一方、吉松先生の曲はピアノソロでもオーケストラを意識していると感じました。というのは、「平清盛」で、オケ版をいつも聴いていたから。ピアノソロでも、あのオケの音・響き・迫力を表現しようとしている。
 左手だけの演奏だと、作曲技法にも工夫が要る。その工夫が、作曲家の作風や個性をストレートに表現しているのかなと感じました。

 思ったことのもうひとつ。
 コンサートとは、音楽家が日々向き合い演奏・練習して歩み続けている音楽の旅路に、ちょっとの間だけ同行させてもらっているようなものかな、と。

 舘野さんは普段はテレビでも観るとおりの温和な方なのですが、ピアノの前では、不屈に、ストイックに、そして真摯に音楽に向き合っている。真剣な表情、そのパワーと情熱、あくなき向上心・探求心。迫力のある低音もずしりと響き、かすかな弱音も、繊細な高音も、美しい響きも突き刺さるような鋭さを持っている。そんな舘野さんの姿、演奏に、叱咤激励、ばしん!と背中と心を叩かれた(いい意味で)ような気持ちになりました。

 これは、しばらくの間ずっと弱気・弱音を吐いてばかりで、言い訳ばかりで、受け身で、縮こまっていて、グダグダな状態の自分にとって、大きな衝撃でした。
 こんなところで倒れている場合じゃないだろう?弱々しいままで終わるのは本望ではないだろう?
 舘野さんの演奏は「左手のピアノ」を超越している…左手だろうが両手だろうが「音楽」であることには変わりは無い。ひとりのピアニストが、渾身の演奏をしている。音楽に真摯に向き合い続け、音楽を求め続けている。今もその旅を続けているんだ。その音楽の旅を、音楽で表現しているように感じました。

 音楽の面でもですが、それだけでなく、日々暮らすこと、仕事すること…生きることそのものに対して弱々しく、後ろ向きな状態の私にとって、いい刺激になりました。

【過去関連記事】
ピアノの可能性 舘野泉コンサートに行ってきた
ヴァイオリンの発見 ヤンネ・舘野コンサートに行ってきた
音楽で語る・振り返る「平清盛」
by halca-kaukana057 | 2013-05-02 23:12 | 音楽
 冬の寒さと暗さ(日照時間が非常に短い)、雪による閉塞感により、元気がない遼です…。心身共に冷え切っています。

 こんな冬の日には、やっぱりシベリウスですね。ということで、このBOXを…

The Essential SIBELIUS (15CD) [Import]

Lahti Symphony Orchestra 他/ BIS


HMV:シベリウス全集 ヴァンスカ、ヤルヴィ、他(15CD)
 ↑全曲リストがあります

 この14枚目、ヴァイオリンやチェロなどの器楽曲から
・「アンダンテ・カンタービレ」変ホ長調 JS30b(ピアノとハルモニウムのための)
  /フォルケ・グレースベク(ピアノ)、ハッリ・ヴィータネン(ハルモニウム)
 ハルモニウムとピアノというとても珍しい作品。ハルモニウムのあたたかい音色にほっとします。

・「メランコリー」(Malinconia)Op.20(ヴァイオリンとチェロのための)
  /トゥールレイフ・テデーエン(チェロ)、フォルケ・グレースベク(ピアノ)
 「憂鬱」というタイトルの作品。渋く重いチェロとピアノがまさに「憂鬱」。でも、「陰鬱」とは違うのがシベリウスだなと思います。時折明るくなることも。暗い気持ちの時には暗い曲を、といいますが、それにぴったりな曲だと思います。ピアノとチェロという編成の小ささも聴きやすい。でも、シベリウスの交響曲は、4番や6番、7番は暗い、落ち込んでいる時も聴ける、むしろ聴きたいと思ってしまう。自分が好きだからか。それとも?
by halca-kaukana057 | 2013-01-15 22:58 | 音楽
 ピアノの練習記録の演奏録音をアップしているホームページの容量などの問題で、HPの中身をSeesaaブログに引越しする作業を少しずつ、ゆっくりと続けていました。ようやく全て引越しが完了しました。

・引越し先:Satellite HALCA
 サイトタイトルは旧HPと一緒です。このブログのサブサイト=衛星=Satellite.元々人工衛星の名前が由来のHNだから、という理由もあります。

 引越しをしながら、かつての録音を聴いていました。聴きながら、苦戦してたんだよね…とか、自分結構演奏できるじゃないか(今は無理…)と思ったり。

 それ以上に思ったのが、「自分、とても楽しそうに演奏しているじゃないか!」ということ。特にブルクミュラー25の練習曲。苦戦した、練習が辛かった曲(「せきれい」や「帰途(再会)」)もありましたが、それでも楽しい気持ちはあった。楽しかった曲(「貴婦人の乗馬」など)は、楽しいという感情が伝わってきた。自分、ピアノを演奏するのが、音楽するのが好きだったんだな、楽しくてたまらなかったんだな、と。

 一体、どこでピアノから遠ざかってしまったのだろう。ソナチネアルバムか…?うん、ソナチネは簡単そうに見えて聴こえて、実際演奏するととても難しい。自分でもよくわかっていない。クレメンティのソナチネ7番op.36-1でさえ、音楽がつかめていない。あと、腕の手術をしたり、家のことで色々あったり…という間にピアノから遠ざかってしまった。

 あのブルグ25を演奏していた時のように、たとえ難しくて練習が辛いと思っても、最終的には楽しいと、音楽する喜びをかみ締めながら演奏したい。またピアノを弾きたい。演奏したい曲は色々ある。でも、がむしゃらに練習しても、また途を、音楽を見失ってしまうだろうなぁ、とも思う。ブルグ25を練習していた頃は、ブルグ25を全部弾くぞ、演奏するぞ!大好きなブルグ25にどっぷり浸かりたい、という気持ちがあった。では、ソナチネは…残念ながら、ない。嫌いではない。苦手ではある。どう付き合ったらいいかわからすにいるだけだ。ブルグ25の次はソナチネ、というコースを外れてもいいのかな。でも、そのうちソナタを演奏するようになったらソナチネは大事だろうし、古典派作品にとってソナチネは通る途だろうし、ソナチネの構成そのものから学べることもたくさんあるし…。困った。

 困ってはいますが、解決する方法を考え、どう実行に移したらいいかも考え中です。

 久々にピアノカテゴリの記事を書きました。カテゴリ倒れ、するもんか。
・過去関連記事:パリ左岸のピアノ工房
 この本を読んで、またピアノを弾けたらなと思ったのです。積読の本に、ピアノや音楽関係の本が。読むピアノ、読む音楽も面白い。
by halca-kaukana057 | 2012-12-11 23:36 | 奏でること・うたうこと

パリ左岸のピアノ工房

 以前から、タイトルとあらすじで気になっていた本。


パリ左岸のピアノ工房
T.E. カーハート:著/村松 潔:訳/新潮社・新潮クレスト・ブックス/2001

 アメリカ人でパリで暮らしている「わたし」は、子どもの送り迎えの途中の狭い静かな通りにある「デフォルジュ・ピアノ店」の前を通りかかり、いつも気になっていた。ウィンドウの小さな棚にはピアノの部品や工具が並んでいる。子どもの頃ピアノを弾いていてしばらく遠ざかっていたが、最近またピアノを弾きたいと思っていた「わたし」は、この店に中古のピアノがあるのではないかと店に入ってみる。店の主人と話をしたが、そういうのは扱っていない、と。しかし、別の日に店に来てみると、若い店員らしき男・リュックは、この店のお客の誰かの紹介があれば探しているピアノを見つけやすくなるかもしれない、と。その後、偶然にも娘のクラスメイトの家に行った時、その母親がピアノを弾いていること、そして「デフォルジュ・ピアノ店」のお客であることがわかる。早速店に行き、そのことを話すと、店の主人とリュックの間でしばし激しいやり取りがあった後、リュックは「わたし」を店の奥へと案内してくれた。そこには、たくさんのピアノが並んでいた。この店は、古いピアノを修理し、ピアノを探している人に売ることもしている。そして「わたし」は自分のピアノ探し、そしてピアノとの新しい暮らし、「デフォルジュ・ピアノ店」での様々なピアノとの出会い、ピアノ職人・リュックをはじめとするピアノを愛する人々に出会う。


 著者のカーハート氏自身のノンフィクション。読んでいて、ピアノという楽器の魅力をあらためて感じました。私も、子どもの頃からピアノがある場所が好きで、そのピアノに触れてみたい、演奏してみたいと思うことがよくあった。学校の音楽室、体育館、友達の家、公民館、楽器店(売り物なので勝手に触るのは不可)、レストランやカフェ、結婚式場…。思えば、ピアノはあちらこちらにある。後でまた出てくるが、ピアノは持ち運びできないので、プロであれアマチュアであれ演奏家はそこにあるピアノを演奏する。ひとつとして同じものがないピアノ。同じメーカーの同じ型のピアノでも、調律のちょっとした違いで音が変わる。演奏者の演奏によっても変わる。ヴァイオリンやチェロ、フルートやクラリネットなどの持ち運びできる楽器なら、自分の楽器をいつも持ち歩いて、演奏することができる。コントラバスやチューバなどの大きな楽器になると持ち運びは大変だが、演奏者は自分の楽器でいつも演奏している。ティンパニやシロフォンなどの打楽器となると、いつも自分の楽器…とはいかないが、打楽器にお目にかかれるのは音楽室やコンサートホールの練習室ぐらい。ピアノは街の至るところにある。ここまで普及している楽器も、珍しいのではないかと思う。ただ、そのピアノが、全て楽器として演奏されているかどうかは別として…。

 「わたし」が出会ったピアノ職人・リュックは、「デフォルジュ・ピアノ店」で故障したピアノや、古いピアノの修理をして、中古ピアノとして売ったり、博物館に引き渡したりしている。こう書くと、あっさりとしてしまうが、リュックのピアノへの愛情は相当のものだ。裕福な人がその裕福さの誇示のため、高級なピアノをリビングに置いて、眺めるだけにしていることに怒り、ずっと弾かれずに悪くなってしまったピアノに出会うと嘆き悲しむ。リュックは、ピアノは持ち主と生活を共にする「生き物」である。持ち主の生活の中にあって、そのピアノを演奏し、生活の中に音楽が溢れる。ピアノはメンテナンスを怠らなければ、ずっと「生き」続ける。ピアノ店の奥・アトリエには修理途中の何十台ものピアノがある。リュックは再生可能なピアノは「生きている」と、演奏できない博物館で展示するしかないピアノは「死んでいる」と呼んでいる。そして、自分だけの夢のピアノに出会うことを願っている。リュックが語るピアノは、見たこともないピアノでも魅力的に感じてしまう。

 この本では、たくさんのピアノメーカーのピアノが登場する。私の知っている・演奏したことのあるピアノは、ヤマハ、カワイ、スタインウェイ、ベーゼンドルファー。名前だけならベヒシュタインとか、ペトロフぐらい(名前だけで、詳しいことはあまり知らない)。しかし、ピアノはもっと沢山ある。フランスが舞台なので、プレイエルやエラールといったフランス製のピアノが多く登場する。そして、「わたし」が買ったのは、オーストリア製の今はもうないシュティングルのベビー・グランド。世界にはこんなにたくさんのピアノメーカーが存在していることだけでも驚きだった。それらの、私の見知らぬピアノたちはどんな音色で歌うのだろう?私も、出会ってみたくなった。

 「わたし」の娘もピアノを習い始めるのだが、そのスコラ・カントルムの校長の話が印象的だ。ヤマハやスタインウェイは素晴らしい音質だ。だが、ピアノはヤマハやスタインウェイだけではない。今の形のピアノになってからの歴史はまだ浅い。ハイドンやベートーヴェン、ショパンの頃のピアノは今のピアノとは全然違うものだった。だから、現在の色々な種類のピアノの独特の音を聴き、特別なタッチを経験する必要がある、と。ピアノは持ち運びできないからピアニスト・演奏者はそこにあるピアノを演奏することになる。家のピアノ、ピアノ教室のピアノと違う…とは言っていられない(でも勿論、一番は家のピアノでありたい)。色々なピアノと出会い、歌わせる。とてもいいなと感じた。

 「わたし」は「自分のピアノ」シュティングルを手に入れ、やがてレッスンを受け始める。この「わたし」のレッスンや練習、ピアノ演奏に対する考え方が、自分と似ていて驚き、嬉しくなった。自分自身のたのしみのために演奏する。作曲家の意図したものを理解して、それに沿った演奏しつつ、自分自身の演奏を付け加える。子どもの頃、「わたし」はレッスンや合唱の伴奏で酷い目にあったことも関連している。これは酷い話だよなぁ、よく著者はピアノ嫌いにならなかったなぁ、と思う。先生には酷い思い出はあるけど、ピアノそのもの、音楽そのものを好きな気持ちは変わらなかった。レッスンや、マスタークラスでの話も興味深い。

 この本だけで、ピアノの歴史やピアノの仕組み、調律と平均律などについても学べてしまう。ピアノの魅力が詰まっていて、でも専門書のような堅苦しさはない。とにかく、ピアノへの愛情で溢れている。



 この本を読みながら、私自身の部屋にあるピアノのことを考えた。読みつつ、ピアノを見た。ヤマハのアップライト、日本の家庭や学校ではポピュラーなピアノ。でも、私が子どもの頃ピアノを習い始め、その時からここにあるピアノだ。今はあまり弾いていない。また弾きたいけど、付き合い方がわからなくなってしまった。どうやったら、たのしく付き合えるのか、わからなくなってしまった。でも、このままにして、この本で出てくる「死んでしまった」ピアノにはしたくない。かつて、私の日常の中にこのピアノで演奏した音楽があったように、またそうなりたい。リュックが願っているように。きっと、ピアノを「生かす」のは私自身なのだろう。
by halca-kaukana057 | 2012-12-04 23:20 | 本・読書

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