人気ブログランキング |

タグ:小説 ( 152 ) タグの人気記事

 以前、「満願」を読んで作者の米澤穂信さんのことを知りました。米澤さんの代表作でデビュー作と言えば、「氷菓」に始まる「古典部」シリーズ。タイトル、「古典部」シリーズのことは名前は聞いたことがあったけど中身はよく知らない。アニメ本編も見たことはない。気になるから原作を読んでアニメも観てみようと思っていたら…こんなことに…。
満願


氷菓
米澤 穂信/KADOKAWA、角川文庫/2001(初版は角川スニーカー文庫、2001)


 高校に入学した折木奉太郎。「やらなくてもいいことなら、やらない。やらなければいけないことは手短に」をモットーとする「省エネ」主義者。これといって趣味もなく、何かに活力を持つことを浪費と思っている。そんな奉太郎は、世界中を旅している姉の供恵から、彼女が所属していた部活「古典部」に入れという手紙が届く。部員がおらず廃部寸前の「古典部」を守りなさい、と。
 その通りに古典部に入部した奉太郎は、部室の地学講義室に向かう。鍵を開けると、一人の女子生徒がいた。同じ新入生の千反田える。さらに、奉太郎の旧友の福部里志もやって来る。えるは鍵を持っていないのに講義室の中にいた。その時鍵は開いていたという。奉太郎がやって来るまでえるは部屋に閉じ込められていた…えるは疑問を持つ。

 ミステリーものと聞いていて、人が死んだりするのは全く駄目ではないがあまり気分がよくないなぁ…と思っていたが、そういう話はない。あらすじにも書いた、えるが教室に知らない間に閉じ込められていたこと。些細なことで、まぁいいかと流してしまいそうなことだ。えるには何も危害もなく、奉太郎も困ることも何もない。でも…。えるの一言「わたし、気になります」ここから全ては始まった。

 ミステリー、推理ものは殺人事件ばかりではない。「シャーロック・ホームズ」シリーズも殺人事件だけではない。よく考えてみると奇妙なことも依頼される。(そんな奇妙な話をうまく学園ものにアレンジした三谷幸喜:脚本のNHK人形劇「シャーロックホームズ」は素晴らしい、本当に面白かった)
 ほんの小さな違和感。些細な出来事。日常生活に埋もれて、そのまま見過ごして通り過ぎてしまうようなこと。そんな「日常の謎」に、「わたし、気になります」と興味を持つえる。情報通で様々な知識を提供する里志。えるの好奇心から逃れたいと思いつつも、興味を持ってしまい、それらをまとめて、推理する奉太郎。ホームズは、「君はただ眼で見るだけで、観察ということをしない。見るのと観察するのとでは大違いなんだ。」と言う。ただ「見て」いないで、「観察」した上で「気になる」と言うえる。「観察」して答えを導く奉太郎。とても面白い。導き出された答えも、日常の些細なこと。でもよく「観察」すれば面白い。奉太郎がこんなに推理力があるのは何故なのだろうか。成績もとてもいいわけではない(学業に関しても「省エネ」だから)。そのあたりは後のシリーズで明かされていくのだろうか。
 「古典部」にはもう一人、奉太郎の幼なじみの伊原摩耶花も入部する。私はまだ摩耶花のキャラがつかめていない。これも後々か。

 「古典部」の活動は特に決まってはいない。ただ、文化祭で文集を出すことが伝統となっているらしい。この文集と、えるの過去、家の話が大きな謎に向かっていく。
 最初読んで、随分堅い、古めかしい言葉遣いをする高校生だなと思った。奉太郎も、里志も、えるも、摩耶花も。でも、この雰囲気が彼らの通う高校・神山高校の雰囲気に合っているし、この大きな謎に対してちょうどよく感じる。
 前の記事の「ファースト・マン」、アポロ11号の月面着陸は、私にとっては歴史だ。でも、当時リアルタイムで生中継を見ていた人には実際の体験だ。このある過去についての「歴史」と「実際の体験」の差。私にも、奉太郎たちにとっても「歴史」だった出来事が、文集の謎を解くことで、「実際の体験」にはならなくても、もう少し身近な「過去の実際の出来事」になる。それが、今現在や未来につながることもある。不思議だなと思う。

 「古典部」に入ったことで、「省エネ」だった奉太郎に変化が。奉太郎は、青春を「薔薇色」と表現し、一方自分は「灰色」と例えている。こんな箇所がある。
俺だって楽しいことは好きだ。バカ話もポップスも悪くはない。古典部で千反田に振り回されるのも、それはそれでいい暇つぶしだ。
 だが、もし、座興や笑い話ですまないなにかに取り憑かれ、時間も労力も関係なく思うことができたなら……。それはもっと楽しいことではないだろうか。それはエネルギー効率を悪化させてでも手にする価値のあることではないだろうか。
 例えば、千反田が過去を欲したように。
(180ページ)
 奉太郎がえるの過去や叔父のこと、そして文集のことで触れたことは、奉太郎の「省エネ」とは正反対のことだった。それは、「薔薇色」とはちょっとちがうけれども、熱意がある。その熱意を受け取った奉太郎。今後、どう変化していくか楽しみ。
 続きのシリーズも読みます。


 では、アニメの話も少し。ちょうど小説を読んでいたら、GYAO!でアニメが配信開始されました。

GYAO!:アニメ:氷菓

 観てみました。まだ2話までしか観ていませんが面白い。原作を絵にするとこうなるんだなぁ、と思う。伏線、推理の鍵となるものが何気なく登場しているのがいい。ああ、これか、と。登場人物の口調も上述の通り、高校生にしては堅い、古めかしいが、今風のキャラデザのアニメに合うのがすごい。「古典部」の世界だと思えてしまう。アニメで観るとまた違う。面白さが倍になる。アニメも最後まで観ます。
 オープニングの映像もきれいで、Chouchoさんの歌もいい。奉太郎のことであり、えるの願いのようにも思える。そして、オープニングを観ていたら何故か涙が溢れてきた。ちょっと切ない歌のせいだろうか。それとも、スタッフクレジットを読んだせいだろうか。事件が起こった時はとにかくショックだった。このブログでも、「けいおん!」や「日常」を取り上げてきた。大好きなアニメだ。何かできることはないかとささやかだが募金もした。他のアニメを観ていても、大勢のスタッフさんたちがいて、このアニメはできているんだと思うようになった。この「氷菓」は、アニメそのものも面白いけれども、作り手のことを思わずにはいられない。アニメ「氷菓」は、その意味でも見届けたい。亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。
by halca-kaukana057 | 2019-08-26 22:54 | 本・読書

ある一生

 よく、本屋や図書館で偶然目にした本を読んでみたら面白かった、ということはあります。ネットではそういうことがない、と。でも、ネットでも、たまたま見つけた本が気になって、読んでみたら面白かった、ということもある。そんな本です。


ある一生
ロベルト・ゼーターラー:著、浅井晶子:訳/新潮社、新潮クレスト・ブックス/2019

 20世紀初頭、アルプスのふもとの村。アンドレアス・エッガーは私生児として生まれ、母親はエッガーが幼い頃に亡くなった。4歳ぐらいのエッガーを引き取った農場主のクランツシュトッカーは、エッガーに厳しい労働を課し、事あるごとに体罰を与えてきた。その体罰が原因で、エッガーは右の脚が不自由になってしまう。それでも、エッガーはたくましく成長し、18歳の時農場を出て一人で暮らすようになった。その後、29歳になった頃、エッガーは山の中に小さな小屋つきの土地を買い、そこに住んでいた。吹雪のある日、エッガーはヤギ飼いの老人「ヤギハネス」の小屋に立ち寄り、ヤギハネスが瀕死の状態にあるのを見つける。村にヤギハネスを運ぼうとするが、その途中、ヤギハネスは「死ぬ時は氷の女に会う」と言い残し、吹雪の雪山へ向かってしまう。その後のエッガーは…。


 そんなに長くない物語です。でも、とても濃い。「ある一生」のタイトルのとおり、エッガーの生涯について語られる。恵まれない…と思うのは、エッガーにとってはどうなんだろう。エッガーは「恵まれない」と思っていたようには思えない…。過酷な環境で育った少年時代。虐待により、脚に障碍を負ってしまう。でも、この物語は「障碍者」としてのエッガーの物語ではない。あくまで、ひとりの人間としてのエッガーという男の物語だ。だから、エッガーを「恵まれない」「かわいそう」とは思ってしまうが、それはエッガーにとっては本望ではない。

 エッガーはとてもたくましい、力強い男で、どんな過酷な仕事もする。エッガーの住む村・山を観光のために開発していた会社で仕事をする。不平不満を一言も言わず、黙々と仕事をする。山で仕事をするには過酷な冬でも仕事をする。それは、愛する妻のため。素直で、朴訥で、仕事以外の面では不器用なエッガーのけなげさがまっすぐ伝わってくる。そんな、エッガーのある喪失。素直でけなげだからこそ、そのかなしみもまっすぐ伝わってくる。

 エッガーの生涯は、20世紀の歴史そのものでもある。第二次世界大戦が始まり、エッガーもナチス・ドイツ軍に召集される。戦場での出来事。戦時中でも、エッガーの生き方は変わらない。やれと言われた任務を遂行し、環境の厳しさに辛さを覚えることはあるが、置かれた環境では文句ひとつ言わない。ただ、時代、世の中の流れに乗って、その時その時を生きている。エッガーの住む山もどんどん変わっていく。でもエッガーは一歩一歩、ゆっくりと歩いていく。

 エッガーの生涯は、自然とともにあった。育ったアルプスのふもとの村の自然は、刻々と移り変わる。山は人間にはどうしようもない試練を与える。その厳しい自然はむごい結果を生む。エッガーもその被害に遭っているのに、山や自然を恨むことはしない。自然と一緒に生きている。戦争から帰って来たエッガーは、観光客と接することになるが、その観光客とエッガーが自然に何を感じるかの対比を描いたシーンが印象的だ。
「どこもかしこもこんなにきれいなのに、あんたには見えてないのかい!」エッガーは幸福感で歪んだ男の顔を見つめて、言った。
「見えてるが、すぐ雨になる。地面がぬかるんできたら、きれいな景色もなにもあったもんじゃない」
(111~112ページ)

 あと、134ページも、エッガーの生き様をよく語っている。長く、実際に読んで味わって欲しいので引用はしません。

 ひとりの男の生涯。この物語そのものも、エッガーのように無駄なことを一言も話さない。エッガーは、環境を、時代を、境遇をそのまま受け入れた。ごまかすことも、誇張することもしない。私も、過去も今もそのまま受け入れる…読後、そんな気持ちでいた。
by halca-kaukana057 | 2019-08-01 21:18 | 本・読書
 本屋で平積みになっていて、たまたま気になった本。この本も本屋大賞翻訳小説部門(2016年)を受賞した作品だそうです。


書店主フィクリーのものがたり
ガブリエル・セヴィン:著、小尾芙佐:訳/早川書房、ハヤカワepi文庫/2017

 アリス島という小さな島に、1軒だけ書店がある。アイランド・ブックス。偏屈で気難しい書店主のA・J・フィクリーは、一緒にアイランド・ブックスを営んでいた妻を事故で亡くし、失意の中にいた。出版社・ナイトリー・プレスの営業で、アイランド・ブックスを前任者から引き継いで任されることになったアメリアとフィクリーの出会いは最悪だった。ある夜、フィクリーが所蔵していた稀覯本、エドガー・アラン・ポーの詩集「タマレーン」が盗まれてしまう。さらに、後日、書店を少し不在にした間に2歳の女の子・マヤが置き去りにされているのを見つける。マヤの母親は海で死んでいるのが見つかる。フィクリーはマヤを育てることにする…。


 大きな出来事はいくつも起こりますが、淡々とした雰囲気の作品です。喧騒の中にいるはずなのに、ここは静か…書店のような雰囲気。フィクリーは偏屈で気難しく、悪い意味でこだわりが強い、頑固者。書店に置く本も、好きな本…というよりは、嫌いな本・ジャンルが多すぎて、そこから残ったものを置いている。その嫌いな本についてアメリアと口論になってしまうフィクリー。本当に偏屈者。そんなフィクリーは事故で亡くした妻・ニックのことを思い、寂しい日々を過ごしていた。この妻の死がフィクリーをますます偏屈者にする原因でもある。そんな、フィクリーが2つの出来事を境にどんどん変わっていきます。「タマレーン」が盗まれたこと、店に置き去りにされた少女・マヤを引き取り育てることにしたこと。何かと世話になる警察署長・ランビアーズがいいキャラしています。

 各章のはじめには、フィクリーによる様々な短編集の紹介文があります。この本の紹介文の雰囲気も、話が進むに連れてどんどん変わっていきます。この紹介文に出てくる作品は実在するので読んでみたくなります。
 フィクリーは短編集を好む(ただし、嫌いなものがとても多い)。この物語も、長編小説のようで短編集なのかなと感じます。この物語に限らず、人生というものは長編小説のように思えて、短編集なのかもしれない。この物語で言えば、盗まれた「タマレーン」やマヤの成長、アメリアとの関係は長編小説のように感じられる。でも、それらも様々な出来事で区切っていけば短編小説のようになる。人生山あり谷ありと言うが、生きていることは小さな出来事が連続して起こっているように思う。マラソンのようにずっと続いていると思うと気が遠くなりそうだが、短距離・中距離走のように考えれば見通しがよくなる。勿論、長期的なビジョンも持っていた方がいいけれど。

 辛い状況に置かれている場合であればあるほど、この毎日が夜寝たらリセットされればいいのにと思う。かつて、そう思っていたことがあった。いつまで続くかわからないこの状況。そんな時は、人生は短編集だと思える方がいい。後で前の話の続きが出てくるかもしれないけれど、きっと前の状況とは変化している。
 人生を短編集だと思えること、それは、小さな変化や出来事に気づきやすい心境なのかもしれない。それを楽しみ、喜べればなおいい。辛いことがあっても、そのうち終わる。

 フィクリーが変わっていくにつれて、アイランド・ブックスも変わっていく。本に囲まれて育つマヤをいいなぁと思う。マヤは賢く、母の死についても理解している。その事実は悲しいが、マヤはフィクリーや島の人々、そして本と共に成長していく。マヤは明るいけれども、どこかに暗いものを持っている。マヤの書いた小説からそれが伺える。マヤがアイランド・ブックスにやってきて、フィクリーに育てられることになったのは幸運だが、悲しい別れによるもの。そんな悲しさが、マヤの心の奥底にあると思う。

 終盤からラストは、ハッピーエンドではないけれども、ある意味ハッピーエンド。現実も悲しい出来事があっても、こんな風に自然と流れていく。自然と流れていってほしいと、今の世の中を見ていると思う。

 最後に、印象的な箇所を引用します。
"自分たちに魅力がないから孤立するという事実は秘めたる恐怖である"とその一節はつづく。"しかし孤立するのは、自分たちには魅力がないと思いこんでいるからである。いつか、それがいつとはわからぬが、あなたは道路を車で走っているだろう。そしていつか、それがいつかはわからぬが、彼、あるいはきっと彼女が、その道のどこかに立っているだろう。そしてあなたは愛されるはずだ、なぜなら、生まれてはじめて、あなたはもうひとりぼっちではないのだから。あなたは、ひとりぼっちではない道を選ぶことになったのだから"
(214ページ)

by halca-kaukana057 | 2019-06-02 22:44 | 本・読書

満願

 以前、NHKでドラマ化されていて読んでみようと思いました。でも、ドラマは3作全て観られず…再放送ないかなぁ。



満願
米澤穂信/新潮社、新潮文庫/2017(単行本は2014)

 警察官で、交番長をしている柳岡の交番に新しく配属されることになった新人巡査・川藤。川藤は刃物を持って暴れる男に向かって発砲。男は死んだが、川藤も深く切られ死んだ。柳岡は川藤が配属されてから、この事件までのことを振り返る。川藤は警察には向かない男だったと…(「夜警」)

 表題作の「満願」他、全6篇の短編集です。ミステリー作品ですが、探偵や刑事の謎解きはなく、殺人事件や事故などの大きなものから、日常に埋もれてしまいそうな小さな出来事まで幅は広いですが、人間の命に関わる作品がほとんどです。

 読んで、どの作品も物語が複雑に練られていて、登場人物の心理描写も緻密、伏線やどんでん返しの展開に驚きました。どの作品を読んでも、読後は「怖い…」「怖い!!怖い怖い!!」の一言がまず出てきました。怖いです。

 子どものころ、家族に怪談話を話したことがあります。学校で覚えてきたのか。話をし終わって、お化け、幽霊が怖いと話すと、母親が「幽霊よりも、人間の方がもっと怖いんだよ」と。人間は人を殺めることもあるし、そこまでいかなくても傷つけたり、騙したり、残酷なことを考え実行してしまうのだと。その時はまだ子どもだったためよくわからずにいたのですが、成長するにつれてその意味がわかるようになってきました。そしてこの本を読んだ後で、人間こそ恐ろしい、怖いと実感しました。

 どの物語も、人間の心の奥底を生々しく描いている。「夜警」の川藤が発砲したのは何故だったのか。川藤が発砲した理由を知って、川藤の心の闇を恐ろしいと思った。「死人宿」はちょっと探偵のような感じではあるが、ラスト2ページの展開にゾクゾクした。一番怖いと思ったのが「柘榴」。人間はここまで残酷になれるのかと思った。「万灯」はなかなかハード。人を殺める心理とは何だろう…と思ってしまう。「関守」も特に怖い作品。都市伝説と、実際には何が起こっていたのか。「死人宿」と少し似た感じがあり、ホラーな面が強い。怖い。

 表題作の「満願」。弁護士の藤井は、学生時代に下宿をしていた家の妙子から刑期を終えて釈放されたと連絡を貰う。妙子は殺人事件を起こした。が、妙子の状況からして、もっと裁判で争えたが、彼女はもういいんです、と一審の判決を受け入れた。それは何故なのか…藤井は学生時代にお世話になった妙子のことを思い返す。
 穏やかで優しい妙子。苦学生の藤井のことを励まし、手助けしてくれる。しかし、妙子にはいくつかの悩みがあった。妙子が心の奥底に抱いていたある願い。妙子を取り巻く様々な人間関係が交錯し、事件へと向かっていく。あの事件には、妙子の本当の目的が隠されていた。その本当の目的があまりにも意外で、どういうこと?と思ってしまった。でも、理解できると、人間の心の深さと暗さ、妙子の決意の固さに驚くと共に、やっぱり怖いと思った。

 どの作品もだが、結末にも恐れおののくが、伏線をさりげなく含ませた過程にもすごいなぁと思う。事件の背景をしっかり描いて、全てのねた晴らしの結末に持っていく。だからこそ、結末で怖いと震え上がる。

 怖いものが待っているのはわかっているのに、面白くて読むのを止められなかった。この物語を面白いと感じている私も、心の奥底に残酷なものを持っているのかもしれない。

 この本は、読後、夜、暗い部屋が怖いとか、トイレに行くのが怖いとか、そういう怖さではない。もしかしたら、私の周りにも、今何かに向かって事が動いているのかもしれない…知らない間に…。そんな怖さだった。でもやっぱり、夜中にはあまり読みたくないなぁ。
by halca-kaukana057 | 2019-05-11 22:02 | 本・読書

蜜蜂と遠雷

 話題の本です。約1年前に単行本で読んでいました。が、その時は感想を書けず。文庫化され、ゆっくりと再読しました。


蜜蜂と遠雷
恩田 陸/幻冬舎/2016
(文庫版は上下巻、幻冬舎文庫、2019)


 3年に一度開催される芳ヶ江国際ピアノコンクール。その世界各地で行われているオーディションのうち、パリ会場でのオーディションで、審査員やスタッフを混乱に陥れたコンテスタントがいた。風間塵という16歳の日本人。書類に目立った経歴はないが、少し前に亡くなった巨匠ピアニスト、ユウジ・フォン=ホフマンに師事し、推薦状まで添えられていた。その推薦状に書いてある内容に、驚き愕然とする審査員達。そして芳ヶ江でのコンクール。ピアニストを目指す若者たちが様々な想いを抱え、演奏に臨もうとしていた…。

 直木賞と本屋大賞を受賞した話題作なので、あらすじを書くまでもないと思ったのですが…あらすじをまとめにくい。単行本で初めて読んだ時は、面白くて1日で読んでしまった。単行本は分厚く、しかも1ページに2段ある。それでも、どんどん読んで、読めば読むほどこの本に夢中になった。読み終えて、しばらく呆然としていた。

 だが、この本を読むのには少し抵抗があった。私はコンクールには苦手意識がある。演奏家の経歴を見て、「○○コンクールで優勝」とあっても、それが華々しいものであればあるほど敬遠したくなる(天邪鬼)。音楽を学び、演奏家を目指す人々の演奏の個性はそれぞれ違う。得意分野も違う。何をもって、順位をつけるのか。それがずっと疑問だった。第一コンクールで優勝しても、その後の経歴がパッとしない演奏家も少なくない。コンクールで優勝・入賞したことがきっかけとなり、その後の演奏活動でスターやアイドルのような扱いをされている演奏家は敬遠したくなる(やっぱり天邪鬼)。よくも悪くも(私の場合は悪いことの方が多い)、先入観にとらわれてしまう。

 この物語は、4人のコンテスタントを主人公に、コンクールの審査員たちや師匠といった音楽関係者たちだけでなく、コンテスタントの友人や家族、コンクール会場のステージマネージャー、ピアノの調律師、無名の観客といった様々な人の視点で描かれている。音楽のプロから素人まで、考え方が様々。審査員の視点は面白いと思った。コンクールで大変なのは出場するコンテスタントであるけれども、全ての演奏を聴いて審査する審査員が一番大変なのだ。ずっと演奏を聴き続けて、飽きてしまうこともある。でも、何か光るコンテスタントの演奏は違うのだという。同じピアノなのに、鳴り方が全然違う。そのコンテスタントの演奏で空気が変わった、もっと聴いてみたい。そんなコンテスタントがどんどん予選を突破していく。コンクールに対する苦手意識を書き連ねてしまったが、やはりプロの耳は違うのだなと思う。とはいえ、コンクールで「受ける」、評価される演奏をする「戦略家」もいて…それも個性なのだろうか。

 4人のコンテスタントの演奏を「読んで」、実際に演奏が聴きたくなった。どんな演奏だろう。彼らの解釈や、楽曲に対する想いも興味深い。楽曲のアナリーゼの部分は面白かった。私と同じ解釈のものもあれば、「ちょっと違うと思う…」というものも(相手は音楽を専門に学んでいるのに、素人が何を言っているのかと思うが…聴くだけだとしても、勉強は怠りたくない)。

 コンテスタントもこの4人だけでなく、他のコンテスタントの演奏にも触れているのは好感を持った。1番君は思わず応援してしまった。12番はヒール役になってしまうのかと思いきや、いいところはちゃんと見ている。でも、足りないところがある。12番のような演奏家が生まれた原因となる、歴史や社会、音楽業界やマーケティングの背景について触れていたのについては、なるほどと思った。そう思うとかわいそうに思えてくる。審査員だけでなく、様々な人のそれぞれの立場から、演奏に関する感想が書かれている。私は普段、音楽を聴いてそれを表現する語彙力と想像力が足りないと感じている。感想を的確な言葉で表現できるようになりたいなと思うばかりだった。

 コンテスタントたちが演奏し、その音楽を聴いて、審査員たちや他のコンテスタントたちが影響を受けていく。コンサートでいい音楽を聴いて、高揚した気持ちで帰るあの時間。CDやラジオでいい演奏を聴いて、部屋でいいなぁ!これすごい!と感激しているあの時間。声楽作品なら、これを私も歌ってみたい!と(レベルのことも忘れて)純粋に思えるあの時間。そんな、心を動かす音楽に出会い、感激し、高揚した気持ちでいる時間を思い出した。プロも、これからプロになろうとしている人も同じなのだなと思う。

 この物語を読んで、考えているのが、「狭いところに閉じこめられている音楽を広いところに連れ出す」こと。どうしたらそれが出来るのだろうか。音楽は自然の中に、世界に満ち溢れている。それを人間は音楽として切り取った。音楽とは何かを問うている。巨匠ピアニスト、ユウジ・フォン=ホフマンの回想の言葉を引用します。

 聴きなさい、と先生は言った。
 世界は音楽に溢れている。
 聴きなさい、塵。耳を澄ませなさい。世界に溢れている音楽を聴ける者だけが、自らの音楽をも生み出せるのだから。
 (上巻、393ページ)

 確かに、曲の仕組みや当時の背景を知ることは重要だ。どんな音で演奏され、どんなふうに聞こえたか、知ることは大事だ。けれど、当時の響きが、作曲家が聴きたかった響きだったのかどうかは誰にも分からない。理想とする音で聴けたのかどうかも分からない。
 楽器の音色も、使いこまれたら変わる。時代が変わればまた変わる。演奏するほうの意識もかつてと同じではないだろう。
 音楽は、常に「現在」でなければならない。博物館に収められているものではなく、「現在」を共に「生きる」ものでなければ意味がないのだ。綺麗な化石を掘り出して満足しているだけでは、ただの標本だからだ。
 (中略)
 あの人もまた、あの人の音楽を生きているのだろう。
 (上巻、395~396ページ)
 この物語では、コンテスタントたちはクラシックだけでなく、他のジャンルの音楽にも親しみ、演奏をすることもある。でも、このコンクールはクラシック。クラシック音楽はどうしても「型」にはまったものと考えられてしまう。伝統があって、上品で、格式高く、とっつきにくい、自由奔放は許されない…。この物語はそれらを批判しているわけではない。私も、クラシック音楽にはクラシック音楽の「やり方」「型」があると思う。「独りよがり」とも違う。でも、クラシック演奏家が皆が皆同じ演奏をしているわけではない。どの楽譜を選ぶかに始まり、アナリーゼ、解釈、アプローチの仕方、個性などで変わってくる。そこが面白いところだと思う。もっと聴きたい、もっと演奏したい、演奏に磨きをかけたいと思うような。長い時間残っていて、多くの人が演奏し続けてきたからこそ、その面白さが感じられるのだと思う。
 「狭いところに閉じこめられている音楽を広いところに連れ出す」ことの答えは出ていない。それは演奏家しかできないことのなのか。いや、演奏ができなかったとしても、個々人の意識で出来ることなのだと思う。この物語で、「音楽の神様」という表現が出てくる。「音楽の神様」は、才能のある人を選んで、その人しか愛してくれないのだろうか。私は違うと思う。「音楽の神様」は誰にでも等しく微笑みかけている。それに気づき感じとれるか、柔軟な心で受け止められるか、磨き続けることができるかで変わってくるのだと思う。世界は音楽に溢れているのだから。
 とはいえ、この物語に出てくる音楽家(コンテスタントたちも審査員や師匠や友人たちも)は、恵まれた環境にいる。敏感な音感を持っていて、ピアノを演奏するのに適した体格をしている。個々の個性を伸ばす音楽教育を受けることが出来る(経済的にも)。周囲の理解がある。その辺りは、どうしたらいいものか。

 音楽は過酷なものだ。鼻歌を歌うような気軽さもあるけれども、追求しようと思えばどこまでも出来る。ゴールが見えない。ゴールしたと思っても、そこがまたどこか遠くへ繋がるスタートラインでもある。過酷で容赦ない、厳しいものであるけれども、美しい。楽しい。音楽っていいなと思える。私はどこまで行けるだろう。私の音楽とは何だろう。そんな、スタートになる物語だと思っています。
by halca-kaukana057 | 2019-05-04 23:03 | 本・読書

天空の約束

 川端裕人さんの本は久しぶりです。以前読んだ「雲の王」の続編が出ていました。
雲の王


天空の約束
川端裕人/集英社、集英社文庫/2017(単行本は2015)

 微気候を制御し屋内環境を整える研究をしている八雲助壱(やぐも・すけいち)。大学教授をしていた頃の教え子で新聞記者の蓮見可奈に連れられ、雲の芸術家がいるというクラブ・「雲の倶楽部」へやってきた。ある条件を満たしていないと店に入ることができないらしい。そのクラブには、人工の雲がアートとして展示されていた。クラウド・ジョッキー(CJ)という雲の芸術家が作るものらしい。CJのプレゼンテーションを見て驚く2人。その後、バーテンダーの女性から、あるカクテルを差し出された八雲は、そのカクテルに不思議なものを見る。それにも驚いていると、バーテンダーの女性は八雲に小さな小瓶を差し出し、受け取った。


 「雲の王」の続編ですが、登場人物は異なります。しかし、「雲の王」の美晴たちと同じく、風や気温を「見る」ことができる能力を持つ者たちの物語です。川端さんの作品では、とんでもない天才が一般的な主人公を導き、また主人公も巻き込まれつつも個性を発揮していく。彼らのいる「今ここ」が、大きな世界に繋がっている。この「天空の約束」はちょっと違う感じがする。まず、主人公が誰なのか決められない。八雲はそのひとり。主要人物が何人も出てくる。高校の頃、よく眠っていて「眠り姫」と呼ばれていた日向早樹。早樹は、高校時代の写真部の先輩だったある女性のことをうっすらと覚えていたが、誰なのか思い出せずにいた。その女性、椿かすみ。かすみは早樹の夢をノートに記録していた。早樹は写真部の仲間たちと再会し、かすみのことを思い出していく。不思議なメッセージを残して転校して行ったかすみ。ばらばらだった3人がどんどん繋がっていく。不思議な物語です。

 八雲も早樹も自分の「能力」には気づいていない。いや、この2人はちょっと違う。八雲は何も知らない。一方の早樹は「能力」があるとわかっていたが、ある理由から「蓋」をすることになってしまった。そして、かすみが語る過去の話「分教場の子ら、空を奏でる」とても重く、読んでいて辛かった。人と異なる「能力」を持つことは、いいことばかりではない。恐ろしい存在と拒絶される。また、その「能力」を利用しようという者も出てくる。「能力」を持つ者が幼ければ幼い程、そんな大人たちの身勝手さの餌食になってしまう。「能力」を理解されないどころか、誤解されていた。早樹も辛い経験をした。今回の本では、「能力」の暗い部分が描かれている。この暗さが、作品全体に今にも降り出しそうな雨を持った雲のように立ち込めている。

 そんな「能力」をどう扱ったらいいのか。動きだしているかすみ。今回の物語では、「今ここ」から大きな世界へ、というよりも、「今ここ」に至るまでに何があったのか、そして大きな世界へ向かうにはどうしたらいいのか。その過程が描かれていると感じます。結果がどうなるかわからない。もっとこの物語の先、未来を読みたいと思うが、あるところにたどり着き、そこが大きな世界へのスタートラインになって終わっている。「雲の王」が続編なのか、この「天空の約束」の方が先なのかわからなくなってきた。でも、この「天空の約束」を読めてよかった。「雲の王」が2012年。その後、日本や世界の気象現象はまた変化した。大きな災害が頻繁に起こるようになった。気候の差が激しく、それによって様々な被害が出るようになった。数年のうちに変化した気象現象に基づいた、新しい物語が生まれた。それを読めてよかった。

 この作品をどう説明したらいいか、実際のところ難しくて困ってしまっている。とても面白く、胸にズシンと、じんわりともする物語だ。しかし、かすみが自分の「能力」について、一般人にどう説明したらいいかわからないように、私もこの作品をどう語ったらいいかわからないままこの記事を書いてしまった。扱っているテーマの暗さ、重さゆえだろうか。でも、本当に面白い。最近はスマートフォンの雨が降る通知や、リアルタイムの警報通知で随分と便利になった。しかし、その便利さに頼ってばかりいないで、自分で空や雲を見て、気温や風の向きや強さ、湿気などを感じて、気象の動きに気を配れたらいいなと思った。そして、災害への意識を高めつつも、危険性がないなら、毎日の天候を楽しみつつ受け入れられたらいいなと思う。晴れの日も、雨の日も。


by halca-kaukana057 | 2019-04-22 22:02 | 本・読書

ピアノ・レッスン

 以前読んだ「すべての見えない光」についてネットで調べていた時、この本を見つけました。


ピアノ・レッスン
アリス・マンロー:著、小竹由美子:訳/新潮社、新潮クレスト・ブックス、2018年

 カナダの田舎町。訪問販売員(行商)の仕事をしている父。父が仕事に行くのについて行くことになり、一緒に車に乗る。父は様々な家を訪問し、ものを売りながら色々な人と話をしていた…(ウォーカーブラザーズ・カウボーイ)

 アリス・マンローは2013年ノーベル文学賞を受賞したカナダ人作家。全く知りませんでした。

 15の短編が収められています。どれも、カナダの田舎町を舞台にしています。そして、どの作品も物悲しい。読んだ後、しんみりとしてしまう。描かれているのは、どこにでもいそうな市井の人々のちょっとした日常。しかし、彼らにとっては忘れられない日。そんな時間を丁寧に描いています。

 好きなのは…と言っても、先述の通り読後しんみりしたり、もやもやしたり、心が痛んだりと幸せな気持ちになれる作品ではない。でも、惹かれる作品がいくつもある。「輝く家々」は、日本でもこんな問題が数多くあるのではないかと思う。「死んだ時」と「蝶の日」は本当に重い。救いがないと思ってしまう。「乗せてくれてありがとう」と「赤いワンピース ― 1946年」は苦い、でも少し甘い青春のヒトコマ。この2作は読後、少し気持ちが楽になる。物事は何も変わってはいないのだけれども。どれも、正面から見ると物悲しいが、そこにこそ人間の生き様や心があると感じさせてくれる。何かがあっても、人生は続く。描かれない続いていく日々がどうなるのだろうか、と思ってします。

 「ユトレヒト講和条約」が一番惹かれました。実家に帰った「わたし(ヘレン)」。実家には姉のマディーが住んでいる。マディーは母の面倒を死ぬまでみていた。わたしとマディーはぎこちない。そんなわたしは、おばさんの家を訪問した。アニーおばさんは、母のあるものを見せて、母のことを語りだした…。
 これも、日本でも同じような立場にある人がたくさんいるのではないかと思う。ヘレンとマディーの最後のシーンがとても印象的で、胸に突き刺さる。マディーの気持ちがよくわかる。どうにかしたい、でも変えられない。「どうしてできないのかな?」この最後の言葉の重みがのしかかってくる。「わたし(ヘレン)」のようになれば楽、だとは限らない。後から事実を知った方が辛いこともある。この「立場」から楽になるには、この「立場」にあっても自分を失わずにいるにはどうしたらいいのだろう…読んだ後、考え込んでしまう。

 表題作「ピアノ・レッスン」。原題は「Dance of the Happy Shades」.この意味は読んでからのお楽しみにしておきたい。年老いたピアノ教師の発表会のパーティーで起きたある出来事。一方から見れば、この本の紹介文にあるとおり「小さな奇跡」。でも違う面から見ると、これも物悲しくなってしまう。あの演奏をした子は幸せなのか。幸せなんて数で表せるものでもないし、絶対的なものでもない。あの子は幸せだったろう。でも、「わたし」を通して見たあの子と先生(ミス・マルサレス)の姿は…。人間のものの考え方というものに、不思議なものを感じられずにはいられなかった。

 面白いけれども、読むと辛い…。でも素敵な本です。アリス・マンローさんの他の本も読んでみたいです。
by halca-kaukana057 | 2019-03-01 20:42 | 本・読書

きげんのいいリス

 先日書いた「ハリネズミの願い」の続編です。
ハリネズミの願い


きげんのいいリス
トーン・テレヘン:作、長山さき:訳、祖敷大輔:絵 / 新潮社 /2018

 森に暮らす、リスやアリ、ゾウやハリネズミ他の動物たち。毎日、色々なことをして過ごしている。手紙を書いたり、旅に出たり、不思議な出来事に出会ったり、やってみたかったことをやってみたり…。

 本のタイトルはリスですが、リスが主役というわけではありません。登場回数は多いです。森の動物たちの小さな物語が51章あります。前作「ハリネズミの願い」でも登場した動物たちの、違う面が見られます。ハリネズミももう家に引きこもって堂々巡りをしてはいません。4章でこの本で初めてハリネズミが出てくるのですが、不思議な登場の仕方をします。あれは一体何が起こっているんだ。森では、そんな不思議なことも色々と起こります。

 「ハリネズミの願い」よりも明るい雰囲気で、様々な動物たちのユーモラスな日常が描かれていて、こどもが読むのにもいいかと思います。でも、「ハリネズミの願い」同様、いきなり心や思考の深みに持っていかれます。例えばアリ。アリはリスと仲が良く、時々旅に出ると言い出します。そして、何かを考え込むことが多い。10章のアリは、明治時代あたりで文学や哲学を学ぶ学生にいそうな雰囲気。20章でリスと一緒にいたアリが言い出したことは、わかる気がする。が、リスの前で言ってはだめだろう(相手が単純な性格のリスだったからよかったものの)。24章のアリが言い出したことも。リスじゃなかったら相手は怒るか悲しむか。深いけど、ユーモアで落としていて楽しく読めます。

 他の動物たちもユーモラスで風変わり。38章のカメとカミキリムシも好きだ。カミキリムシは、「ハリネズミの願い」でも、大人で冷静に物事を見ている。そのカミキリムシがカメの疑問に対して答えた内容が好きだ。カミキリムシと別れた後のカメの描写もいい。カミキリムシは冷静だと書いたが、3章では意外な一面も見せる。その人(動物)の「個性」というのはひとつだけではない。様々な面があっての「個性」なんだと実感する。31章のゾウの手紙も好きだ。不思議なゾウの手紙を受け取ったハリネズミ。こんな手紙があればいいなと思った。手紙の話なら36章もいい。素敵な友情だ。

 最後の51章の終わり方もいい。やっぱりあたたかい紅茶が似合う本だ。

 トーン・テレヘンの動物の物語はまだまだ沢山あるらしい。さらに翻訳されて、出版されればいいなと思っています。

by halca-kaukana057 | 2019-02-26 22:05 | 本・読書

ハリネズミの願い

 書店で、本屋大賞翻訳部門と紹介されていて、気になって読みました。翻訳部門もあるんだ。


ハリネスミの願い
トーン・テレヘン:作、長山さき:訳、祖敷大輔:絵 / 新潮社 /2016

 森に住むハリネズミは、自分のハリのことが大嫌い。他の動物たちとうまく付き合えずにいた。ハリネズミの家を訪れる動物は誰もいない。誰かを家に招待したら…と考えたハリネズミは、招待状の手紙を書いた。が、誰にも出すことが出来ない。ハリネズミは、自分の家を訪れるかもしれない動物たちについて考え始めた…。

 トーン・テレヘンさんはオランダ人で、医師であり詩人。娘さんのために、動物たちの物語を書き始めた。子どもも親しんで読める動物たちのお話ですが、深いです。

 ハリネズミは自分はハリを持っているから皆が怖がって近寄ってこないと思っている。ハリをコンプレックスと思っている。動物たちと仲良くできたら…と思っているが、招待状を出すという行動に移せない。招待状を書いても、「だれも来なくてもだいじょうぶです」なんて書いてしまう。そして、あの動物はこんな風に断ってくるだろう、あの動物がやってきたらこんなことを言うだろう…というネガティヴな憶測がどんどん膨らんでいく。ハリネズミの家を訪れる動物たちについて語られているが、彼らは実際にはハリネズミの家にやって来ていない。あくまで憶測、ハリネズミ自身の心配。その過度の心配をするハリネズミを、考え過ぎなんじゃないかと思いながら読んでいた。認知行動療法について学んだことがあるが、これは「根拠のない推論」じゃないか、これは「一般化のし過ぎ」なんじゃないかという視点でも読んでいた。ハリネズミは考え方のクセが相当強いな…と。

 でも、ハリネズミの気持ちはよくわかる。私も同じように思ったことが何度もあるからだ。誰かと仲良くなりたい。友達がほしい。友達ができて、その友達と遊びに行ったり、ゆっくり話をしたい。でも、遊びに誘ったら断られないだろうか。忙しくないだろうか。迷惑をかけていないだろうか。邪魔なことをしていないだろうか。やっぱり遊びに誘うのはやめよう…。こんなことがよくあった。他の人は、気軽に誘って、誘いを受けて遊びに行っている。自分はできない、情けない、と何度も思った。

 ハリネズミは、誰かに家に遊びに来てほしいと思うが、そのやってきた動物たちがハリネズミの望まない言動をするんじゃないかと気に病んでいる。そんな誰かが来るのを怖がり、家に引きこもって、ベッドの下に隠れるか、毛布をかぶってしまう。相手とどう付き合ったらいいかわからない。でも、無理もない。ハリネズミ自身、他の動物との接触を避けている。ハリネズミの自業自得だろうか。ハリというどうしようもできないコンプレックスに、どう向き合ったらいいかわからないハリネズミ。そんな「ハリ」のようなものを、誰しも抱えているのではないだろうか。

 ハリネズミの「ハリ」は、言葉とも考えられる。言葉は相手を思いやることもできるが、簡単に傷つけることもできる。ハリネズミの「ハリ」がいつでも相手を傷つけるわけではない。「ハリ」を相手に刺さないように扱うことも出来るはずだ。言葉も同じように。ハリネズミは、様々な動物たちの言動に困ってしまっている想像をしている。相手の言動で傷ついたなら、それを相手を傷つけないように言葉で話すことも出来るはずだ。でも、気弱なハリネズミはそれができない。この気弱な部分もよくわかる。

 14章、15章で、ハリネズミは「孤独」について考える。もし優しい誰かが来ても、「孤独」はそこに存在するだろう…。自分自身がいるから、「孤独」ではないんじゃないの…?この箇所が深くて、お気に入りです。21章のハリたちの話や、23章の自分の家の話も好きだ。ひとりでいれば傷つかない。ひとりでいれば一番いい。はず。でも、ハリネズミは誰かが家にやってくることを考える。ひとりでいること、誰かといること、「孤独」とは…。普段考えずにいることだけど、頭の片隅にはいつもある、何かのきっかけでそのことについて考えることになること。それを思い出させてくれる。考え過ぎると危険だけど、避けては通れないことだ。

 そんなハリネズミの堂々巡りを断ち切る出来事が起きる。甘いはちみつとあたたかい紅茶が似合う。最後の章が印象的だ。やっぱりハリネズミのネガティヴな憶測はまだ続いている。でもひとつだけ変わったことが起きる。心があたたまります。

 続編の物語も出ていて、読んでいます。
by halca-kaukana057 | 2019-02-24 22:25 | 本・読書

すべての見えない光

 たまたま目に留まった本。面白そうなので読んでみた。


すべての見えない光
アンソニー・ドーア:著、藤井光:訳/新潮社、新潮クレスト・ブックス/2016

 1930年代。少女のマリー=ロール・ルブランはパリで博物館の錠前主任の父と暮らしている。マリー=ロールは病気で視力を失った。毎日父と一緒に博物館まで行くが、後に杖と聴こえる音、道を記憶し、練習を重ね自分で行けるようになっていった。誕生日には父から手作りのパズルの箱に入ったお菓子と、点字の本をプレゼントされた。マリー=ロールはジュール・ベルヌの本に夢中になる。
 ドイツの孤児院で妹・ユッタと共に暮らす少年、ヴェルナー・ペニヒ。父は炭鉱の事故で死んだ。ヴェルナーはゴミの山から壊れたラジオを見つけ、ひとつひとつ部品を外し観察する。そしてラジオを直し、妹と一緒に聴くようになる。ラジオからは色々なものが聴こえるが、男性がフランス語で科学について話す放送を聴くようになる。ヴェルナーは「力学原理」の本を読むようになり、数学や科学を学んでいく。さらに、孤児院や近所の人の壊れた機械を直すこともできるようになる。
 一方、ドイツはナチスの時代に入っていく。ある日、孤児院にやってきた兵長の前でヴェルナーはラジオを直し、国家政治教育学校に進学しないかと提案される。ヴェルナーは試験に合格し、学校でも特別な授業を受けることになる。
 ドイツがパリを攻撃し、マリー=ロールと父は大叔父がいるサン・マロの町へ避難する。


 アメリカでベストセラーになった作品というのは、読んだ後で知りました。読んで、ベストセラーになったのことに納得しました。とにかく面白い。マリー=ロールとヴェルナーが成長し、戦争に巻き込まれていく。2人は一体どうなるのか。ドイツとフランスに離れて暮らす2人に、接点があるのか。どうなるのか知りたくて、どんどん読んでしまいます。

 ヴェルナーは数学と科学が好きで、どんどん学んでしまう。そのきっかけになったことのひとつは、修理したラジオで聴いたフランス語の科学の話。そのフランス語の放送から引用します。
 さて子どもたちよ、もちろん脳はまったくの暗闇のなかに閉じこめられているよね。脳は頭蓋骨の内部で透明な液体のなかに浮いていて、光が当たることはない。それでも、脳が作り上げる世界は光に満ちている。色や動きにあふれている。それでは、ひとつたりとも光のきらめきを見ることなく生きている脳が、どうやって光に満ちた世界を私たちに見せてくれるのかな?(49~50ページ)

 目を開けて、と男は最後に言う。その目が永遠に閉じてしまう前に、できるかぎりのものを見ておくんだ。(50~51ページ)

 目に見える光のことを、我々はなんと呼んでいるかな?色と呼んでいるね。だが、電磁のスペクトルはある方向にはまったく走らず、反対方向には無限に走るから、数学的に言えば、光はすべて目に見えないのだよ。(55ページ)
 これらの言葉が、ヴェルナーを科学の世界へいざなう。同時に、マリー=ロールのことも暗示する。視力を失い、光を失ったマリー=ロール。しかし、彼女は本を読んだり、父と会話して物事を想像する。目に見えなくても、マリー=ロールの世界は光に満ちている。さらに、電波、ラジオの存在も。電波も電磁波のひとつ。「光」である。ヴェルナーはラジオと出会い、運命が動き出す。マリー=ロールにとって音は重要な情報だ。のちにマリー=ロールにとっても、電波やラジオは重要な存在となっていく。「光」という言葉にこんなに沢山の意味を込めている。それを美しい言葉で語っている。

 この物語にはもうひとつ重要なものが存在する。「炎の海」という青いダイヤモンド。これが、マリー=ロールの運命を変えていく。この宝石にはミステリアスな言い伝えがある。ダイヤモンドをめぐる話はミステリーのようであり、少年少女の冒険物語のようでもある。

 戦争に巻き込まれる2人。フランス側のマリー=ロールや家族、サン・マロの町の人々は危険が迫る中で静かに行動を起こす。大叔父のエティエンヌがとてもいい人だ。ドイツ側のヴェルナーは、ナチスに支配されてはいるが、心の中までは支配されていない。学校の友人のフレデリックとの友情がそれを物語る。繊細で忍耐強いフレデリックの姿は痛々しいが、希望も感じる。

 ヴェルナーはその科学の才能を、戦争のために使うことになる。特別授業をする教授の言葉にこうある。
科学者の仕事とはふたつの要因によって決定される。本人が持つ興味と、その時代が持つ興味だ。(157ページ)
 この言葉を読んで、同じくドイツ出身の科学者、フォン・ブラウンを思い出した。ロケットを作りたかったフォン・ブラウンと、フォン・ブラウンの技術を兵器として転用したナチスドイツ。ヴェルナーもラジオから始まった興味が、「違法な」電波を使ってやりとりしている者を見つけようとすることに繋がっていく。

 物語を読み進め、マリー=ロールとヴェルナーの接点がどんどん近づいていく。続きを読みたいのと、マリー=ロールとヴェルナーの時間がそこで止まってほしいと思う。でも時間は進んでしまう。あらすじをこれ以上は語りたくない。ネタバレさせたくない。とにかく読んで味わってほしいと思う。

 本当に面白かった。読後の感覚にいつまでも浸っていたい作品です。
by halca-kaukana057 | 2019-02-18 22:25 | 本・読書

好奇心のまま「面白い!」と思ったことに突っ込むブログ。興味の対象が無駄に広いのは仕様です。


by 遼 (はるか)
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30