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 本屋で平積みになっていて、たまたま気になった本。この本も本屋大賞翻訳小説部門(2016年)を受賞した作品だそうです。


書店主フィクリーのものがたり
ガブリエル・セヴィン:著、小尾芙佐:訳/早川書房、ハヤカワepi文庫/2017

 アリス島という小さな島に、1軒だけ書店がある。アイランド・ブックス。偏屈で気難しい書店主のA・J・フィクリーは、一緒にアイランド・ブックスを営んでいた妻を事故で亡くし、失意の中にいた。出版社・ナイトリー・プレスの営業で、アイランド・ブックスを前任者から引き継いで任されることになったアメリアとフィクリーの出会いは最悪だった。ある夜、フィクリーが所蔵していた稀覯本、エドガー・アラン・ポーの詩集「タマレーン」が盗まれてしまう。さらに、後日、書店を少し不在にした間に2歳の女の子・マヤが置き去りにされているのを見つける。マヤの母親は海で死んでいるのが見つかる。フィクリーはマヤを育てることにする…。


 大きな出来事はいくつも起こりますが、淡々とした雰囲気の作品です。喧騒の中にいるはずなのに、ここは静か…書店のような雰囲気。フィクリーは偏屈で気難しく、悪い意味でこだわりが強い、頑固者。書店に置く本も、好きな本…というよりは、嫌いな本・ジャンルが多すぎて、そこから残ったものを置いている。その嫌いな本についてアメリアと口論になってしまうフィクリー。本当に偏屈者。そんなフィクリーは事故で亡くした妻・ニックのことを思い、寂しい日々を過ごしていた。この妻の死がフィクリーをますます偏屈者にする原因でもある。そんな、フィクリーが2つの出来事を境にどんどん変わっていきます。「タマレーン」が盗まれたこと、店に置き去りにされた少女・マヤを引き取り育てることにしたこと。何かと世話になる警察署長・ランビアーズがいいキャラしています。

 各章のはじめには、フィクリーによる様々な短編集の紹介文があります。この本の紹介文の雰囲気も、話が進むに連れてどんどん変わっていきます。この紹介文に出てくる作品は実在するので読んでみたくなります。
 フィクリーは短編集を好む(ただし、嫌いなものがとても多い)。この物語も、長編小説のようで短編集なのかなと感じます。この物語に限らず、人生というものは長編小説のように思えて、短編集なのかもしれない。この物語で言えば、盗まれた「タマレーン」やマヤの成長、アメリアとの関係は長編小説のように感じられる。でも、それらも様々な出来事で区切っていけば短編小説のようになる。人生山あり谷ありと言うが、生きていることは小さな出来事が連続して起こっているように思う。マラソンのようにずっと続いていると思うと気が遠くなりそうだが、短距離・中距離走のように考えれば見通しがよくなる。勿論、長期的なビジョンも持っていた方がいいけれど。

 辛い状況に置かれている場合であればあるほど、この毎日が夜寝たらリセットされればいいのにと思う。かつて、そう思っていたことがあった。いつまで続くかわからないこの状況。そんな時は、人生は短編集だと思える方がいい。後で前の話の続きが出てくるかもしれないけれど、きっと前の状況とは変化している。
 人生を短編集だと思えること、それは、小さな変化や出来事に気づきやすい心境なのかもしれない。それを楽しみ、喜べればなおいい。辛いことがあっても、そのうち終わる。

 フィクリーが変わっていくにつれて、アイランド・ブックスも変わっていく。本に囲まれて育つマヤをいいなぁと思う。マヤは賢く、母の死についても理解している。その事実は悲しいが、マヤはフィクリーや島の人々、そして本と共に成長していく。マヤは明るいけれども、どこかに暗いものを持っている。マヤの書いた小説からそれが伺える。マヤがアイランド・ブックスにやってきて、フィクリーに育てられることになったのは幸運だが、悲しい別れによるもの。そんな悲しさが、マヤの心の奥底にあると思う。

 終盤からラストは、ハッピーエンドではないけれども、ある意味ハッピーエンド。現実も悲しい出来事があっても、こんな風に自然と流れていく。自然と流れていってほしいと、今の世の中を見ていると思う。

 最後に、印象的な箇所を引用します。
"自分たちに魅力がないから孤立するという事実は秘めたる恐怖である"とその一節はつづく。"しかし孤立するのは、自分たちには魅力がないと思いこんでいるからである。いつか、それがいつとはわからぬが、あなたは道路を車で走っているだろう。そしていつか、それがいつかはわからぬが、彼、あるいはきっと彼女が、その道のどこかに立っているだろう。そしてあなたは愛されるはずだ、なぜなら、生まれてはじめて、あなたはもうひとりぼっちではないのだから。あなたは、ひとりぼっちではない道を選ぶことになったのだから"
(214ページ)

by halca-kaukana057 | 2019-06-02 22:44 | 本・読書

満願

 以前、NHKでドラマ化されていて読んでみようと思いました。でも、ドラマは3作全て観られず…再放送ないかなぁ。



満願
米澤穂信/新潮社、新潮文庫/2017(単行本は2014)

 警察官で、交番長をしている柳岡の交番に新しく配属されることになった新人巡査・川藤。川藤は刃物を持って暴れる男に向かって発砲。男は死んだが、川藤も深く切られ死んだ。柳岡は川藤が配属されてから、この事件までのことを振り返る。川藤は警察には向かない男だったと…(「夜警」)

 表題作の「満願」他、全6篇の短編集です。ミステリー作品ですが、探偵や刑事の謎解きはなく、殺人事件や事故などの大きなものから、日常に埋もれてしまいそうな小さな出来事まで幅は広いですが、人間の命に関わる作品がほとんどです。

 読んで、どの作品も物語が複雑に練られていて、登場人物の心理描写も緻密、伏線やどんでん返しの展開に驚きました。どの作品を読んでも、読後は「怖い…」「怖い!!怖い怖い!!」の一言がまず出てきました。怖いです。

 子どものころ、家族に怪談話を話したことがあります。学校で覚えてきたのか。話をし終わって、お化け、幽霊が怖いと話すと、母親が「幽霊よりも、人間の方がもっと怖いんだよ」と。人間は人を殺めることもあるし、そこまでいかなくても傷つけたり、騙したり、残酷なことを考え実行してしまうのだと。その時はまだ子どもだったためよくわからずにいたのですが、成長するにつれてその意味がわかるようになってきました。そしてこの本を読んだ後で、人間こそ恐ろしい、怖いと実感しました。

 どの物語も、人間の心の奥底を生々しく描いている。「夜警」の川藤が発砲したのは何故だったのか。川藤が発砲した理由を知って、川藤の心の闇を恐ろしいと思った。「死人宿」はちょっと探偵のような感じではあるが、ラスト2ページの展開にゾクゾクした。一番怖いと思ったのが「柘榴」。人間はここまで残酷になれるのかと思った。「万灯」はなかなかハード。人を殺める心理とは何だろう…と思ってしまう。「関守」も特に怖い作品。都市伝説と、実際には何が起こっていたのか。「死人宿」と少し似た感じがあり、ホラーな面が強い。怖い。

 表題作の「満願」。弁護士の藤井は、学生時代に下宿をしていた家の妙子から刑期を終えて釈放されたと連絡を貰う。妙子は殺人事件を起こした。が、妙子の状況からして、もっと裁判で争えたが、彼女はもういいんです、と一審の判決を受け入れた。それは何故なのか…藤井は学生時代にお世話になった妙子のことを思い返す。
 穏やかで優しい妙子。苦学生の藤井のことを励まし、手助けしてくれる。しかし、妙子にはいくつかの悩みがあった。妙子が心の奥底に抱いていたある願い。妙子を取り巻く様々な人間関係が交錯し、事件へと向かっていく。あの事件には、妙子の本当の目的が隠されていた。その本当の目的があまりにも意外で、どういうこと?と思ってしまった。でも、理解できると、人間の心の深さと暗さ、妙子の決意の固さに驚くと共に、やっぱり怖いと思った。

 どの作品もだが、結末にも恐れおののくが、伏線をさりげなく含ませた過程にもすごいなぁと思う。事件の背景をしっかり描いて、全てのねた晴らしの結末に持っていく。だからこそ、結末で怖いと震え上がる。

 怖いものが待っているのはわかっているのに、面白くて読むのを止められなかった。この物語を面白いと感じている私も、心の奥底に残酷なものを持っているのかもしれない。

 この本は、読後、夜、暗い部屋が怖いとか、トイレに行くのが怖いとか、そういう怖さではない。もしかしたら、私の周りにも、今何かに向かって事が動いているのかもしれない…知らない間に…。そんな怖さだった。でもやっぱり、夜中にはあまり読みたくないなぁ。
by halca-kaukana057 | 2019-05-11 22:02 | 本・読書

蜜蜂と遠雷

 話題の本です。約1年前に単行本で読んでいました。が、その時は感想を書けず。文庫化され、ゆっくりと再読しました。


蜜蜂と遠雷
恩田 陸/幻冬舎/2016
(文庫版は上下巻、幻冬舎文庫、2019)


 3年に一度開催される芳ヶ江国際ピアノコンクール。その世界各地で行われているオーディションのうち、パリ会場でのオーディションで、審査員やスタッフを混乱に陥れたコンテスタントがいた。風間塵という16歳の日本人。書類に目立った経歴はないが、少し前に亡くなった巨匠ピアニスト、ユウジ・フォン=ホフマンに師事し、推薦状まで添えられていた。その推薦状に書いてある内容に、驚き愕然とする審査員達。そして芳ヶ江でのコンクール。ピアニストを目指す若者たちが様々な想いを抱え、演奏に臨もうとしていた…。

 直木賞と本屋大賞を受賞した話題作なので、あらすじを書くまでもないと思ったのですが…あらすじをまとめにくい。単行本で初めて読んだ時は、面白くて1日で読んでしまった。単行本は分厚く、しかも1ページに2段ある。それでも、どんどん読んで、読めば読むほどこの本に夢中になった。読み終えて、しばらく呆然としていた。

 だが、この本を読むのには少し抵抗があった。私はコンクールには苦手意識がある。演奏家の経歴を見て、「○○コンクールで優勝」とあっても、それが華々しいものであればあるほど敬遠したくなる(天邪鬼)。音楽を学び、演奏家を目指す人々の演奏の個性はそれぞれ違う。得意分野も違う。何をもって、順位をつけるのか。それがずっと疑問だった。第一コンクールで優勝しても、その後の経歴がパッとしない演奏家も少なくない。コンクールで優勝・入賞したことがきっかけとなり、その後の演奏活動でスターやアイドルのような扱いをされている演奏家は敬遠したくなる(やっぱり天邪鬼)。よくも悪くも(私の場合は悪いことの方が多い)、先入観にとらわれてしまう。

 この物語は、4人のコンテスタントを主人公に、コンクールの審査員たちや師匠といった音楽関係者たちだけでなく、コンテスタントの友人や家族、コンクール会場のステージマネージャー、ピアノの調律師、無名の観客といった様々な人の視点で描かれている。音楽のプロから素人まで、考え方が様々。審査員の視点は面白いと思った。コンクールで大変なのは出場するコンテスタントであるけれども、全ての演奏を聴いて審査する審査員が一番大変なのだ。ずっと演奏を聴き続けて、飽きてしまうこともある。でも、何か光るコンテスタントの演奏は違うのだという。同じピアノなのに、鳴り方が全然違う。そのコンテスタントの演奏で空気が変わった、もっと聴いてみたい。そんなコンテスタントがどんどん予選を突破していく。コンクールに対する苦手意識を書き連ねてしまったが、やはりプロの耳は違うのだなと思う。とはいえ、コンクールで「受ける」、評価される演奏をする「戦略家」もいて…それも個性なのだろうか。

 4人のコンテスタントの演奏を「読んで」、実際に演奏が聴きたくなった。どんな演奏だろう。彼らの解釈や、楽曲に対する想いも興味深い。楽曲のアナリーゼの部分は面白かった。私と同じ解釈のものもあれば、「ちょっと違うと思う…」というものも(相手は音楽を専門に学んでいるのに、素人が何を言っているのかと思うが…聴くだけだとしても、勉強は怠りたくない)。

 コンテスタントもこの4人だけでなく、他のコンテスタントの演奏にも触れているのは好感を持った。1番君は思わず応援してしまった。12番はヒール役になってしまうのかと思いきや、いいところはちゃんと見ている。でも、足りないところがある。12番のような演奏家が生まれた原因となる、歴史や社会、音楽業界やマーケティングの背景について触れていたのについては、なるほどと思った。そう思うとかわいそうに思えてくる。審査員だけでなく、様々な人のそれぞれの立場から、演奏に関する感想が書かれている。私は普段、音楽を聴いてそれを表現する語彙力と想像力が足りないと感じている。感想を的確な言葉で表現できるようになりたいなと思うばかりだった。

 コンテスタントたちが演奏し、その音楽を聴いて、審査員たちや他のコンテスタントたちが影響を受けていく。コンサートでいい音楽を聴いて、高揚した気持ちで帰るあの時間。CDやラジオでいい演奏を聴いて、部屋でいいなぁ!これすごい!と感激しているあの時間。声楽作品なら、これを私も歌ってみたい!と(レベルのことも忘れて)純粋に思えるあの時間。そんな、心を動かす音楽に出会い、感激し、高揚した気持ちでいる時間を思い出した。プロも、これからプロになろうとしている人も同じなのだなと思う。

 この物語を読んで、考えているのが、「狭いところに閉じこめられている音楽を広いところに連れ出す」こと。どうしたらそれが出来るのだろうか。音楽は自然の中に、世界に満ち溢れている。それを人間は音楽として切り取った。音楽とは何かを問うている。巨匠ピアニスト、ユウジ・フォン=ホフマンの回想の言葉を引用します。

 聴きなさい、と先生は言った。
 世界は音楽に溢れている。
 聴きなさい、塵。耳を澄ませなさい。世界に溢れている音楽を聴ける者だけが、自らの音楽をも生み出せるのだから。
 (上巻、393ページ)

 確かに、曲の仕組みや当時の背景を知ることは重要だ。どんな音で演奏され、どんなふうに聞こえたか、知ることは大事だ。けれど、当時の響きが、作曲家が聴きたかった響きだったのかどうかは誰にも分からない。理想とする音で聴けたのかどうかも分からない。
 楽器の音色も、使いこまれたら変わる。時代が変わればまた変わる。演奏するほうの意識もかつてと同じではないだろう。
 音楽は、常に「現在」でなければならない。博物館に収められているものではなく、「現在」を共に「生きる」ものでなければ意味がないのだ。綺麗な化石を掘り出して満足しているだけでは、ただの標本だからだ。
 (中略)
 あの人もまた、あの人の音楽を生きているのだろう。
 (上巻、395~396ページ)
 この物語では、コンテスタントたちはクラシックだけでなく、他のジャンルの音楽にも親しみ、演奏をすることもある。でも、このコンクールはクラシック。クラシック音楽はどうしても「型」にはまったものと考えられてしまう。伝統があって、上品で、格式高く、とっつきにくい、自由奔放は許されない…。この物語はそれらを批判しているわけではない。私も、クラシック音楽にはクラシック音楽の「やり方」「型」があると思う。「独りよがり」とも違う。でも、クラシック演奏家が皆が皆同じ演奏をしているわけではない。どの楽譜を選ぶかに始まり、アナリーゼ、解釈、アプローチの仕方、個性などで変わってくる。そこが面白いところだと思う。もっと聴きたい、もっと演奏したい、演奏に磨きをかけたいと思うような。長い時間残っていて、多くの人が演奏し続けてきたからこそ、その面白さが感じられるのだと思う。
 「狭いところに閉じこめられている音楽を広いところに連れ出す」ことの答えは出ていない。それは演奏家しかできないことのなのか。いや、演奏ができなかったとしても、個々人の意識で出来ることなのだと思う。この物語で、「音楽の神様」という表現が出てくる。「音楽の神様」は、才能のある人を選んで、その人しか愛してくれないのだろうか。私は違うと思う。「音楽の神様」は誰にでも等しく微笑みかけている。それに気づき感じとれるか、柔軟な心で受け止められるか、磨き続けることができるかで変わってくるのだと思う。世界は音楽に溢れているのだから。
 とはいえ、この物語に出てくる音楽家(コンテスタントたちも審査員や師匠や友人たちも)は、恵まれた環境にいる。敏感な音感を持っていて、ピアノを演奏するのに適した体格をしている。個々の個性を伸ばす音楽教育を受けることが出来る(経済的にも)。周囲の理解がある。その辺りは、どうしたらいいものか。

 音楽は過酷なものだ。鼻歌を歌うような気軽さもあるけれども、追求しようと思えばどこまでも出来る。ゴールが見えない。ゴールしたと思っても、そこがまたどこか遠くへ繋がるスタートラインでもある。過酷で容赦ない、厳しいものであるけれども、美しい。楽しい。音楽っていいなと思える。私はどこまで行けるだろう。私の音楽とは何だろう。そんな、スタートになる物語だと思っています。
by halca-kaukana057 | 2019-05-04 23:03 | 本・読書

天空の約束

 川端裕人さんの本は久しぶりです。以前読んだ「雲の王」の続編が出ていました。
雲の王


天空の約束
川端裕人/集英社、集英社文庫/2017(単行本は2015)

 微気候を制御し屋内環境を整える研究をしている八雲助壱(やぐも・すけいち)。大学教授をしていた頃の教え子で新聞記者の蓮見可奈に連れられ、雲の芸術家がいるというクラブ・「雲の倶楽部」へやってきた。ある条件を満たしていないと店に入ることができないらしい。そのクラブには、人工の雲がアートとして展示されていた。クラウド・ジョッキー(CJ)という雲の芸術家が作るものらしい。CJのプレゼンテーションを見て驚く2人。その後、バーテンダーの女性から、あるカクテルを差し出された八雲は、そのカクテルに不思議なものを見る。それにも驚いていると、バーテンダーの女性は八雲に小さな小瓶を差し出し、受け取った。


 「雲の王」の続編ですが、登場人物は異なります。しかし、「雲の王」の美晴たちと同じく、風や気温を「見る」ことができる能力を持つ者たちの物語です。川端さんの作品では、とんでもない天才が一般的な主人公を導き、また主人公も巻き込まれつつも個性を発揮していく。彼らのいる「今ここ」が、大きな世界に繋がっている。この「天空の約束」はちょっと違う感じがする。まず、主人公が誰なのか決められない。八雲はそのひとり。主要人物が何人も出てくる。高校の頃、よく眠っていて「眠り姫」と呼ばれていた日向早樹。早樹は、高校時代の写真部の先輩だったある女性のことをうっすらと覚えていたが、誰なのか思い出せずにいた。その女性、椿かすみ。かすみは早樹の夢をノートに記録していた。早樹は写真部の仲間たちと再会し、かすみのことを思い出していく。不思議なメッセージを残して転校して行ったかすみ。ばらばらだった3人がどんどん繋がっていく。不思議な物語です。

 八雲も早樹も自分の「能力」には気づいていない。いや、この2人はちょっと違う。八雲は何も知らない。一方の早樹は「能力」があるとわかっていたが、ある理由から「蓋」をすることになってしまった。そして、かすみが語る過去の話「分教場の子ら、空を奏でる」とても重く、読んでいて辛かった。人と異なる「能力」を持つことは、いいことばかりではない。恐ろしい存在と拒絶される。また、その「能力」を利用しようという者も出てくる。「能力」を持つ者が幼ければ幼い程、そんな大人たちの身勝手さの餌食になってしまう。「能力」を理解されないどころか、誤解されていた。早樹も辛い経験をした。今回の本では、「能力」の暗い部分が描かれている。この暗さが、作品全体に今にも降り出しそうな雨を持った雲のように立ち込めている。

 そんな「能力」をどう扱ったらいいのか。動きだしているかすみ。今回の物語では、「今ここ」から大きな世界へ、というよりも、「今ここ」に至るまでに何があったのか、そして大きな世界へ向かうにはどうしたらいいのか。その過程が描かれていると感じます。結果がどうなるかわからない。もっとこの物語の先、未来を読みたいと思うが、あるところにたどり着き、そこが大きな世界へのスタートラインになって終わっている。「雲の王」が続編なのか、この「天空の約束」の方が先なのかわからなくなってきた。でも、この「天空の約束」を読めてよかった。「雲の王」が2012年。その後、日本や世界の気象現象はまた変化した。大きな災害が頻繁に起こるようになった。気候の差が激しく、それによって様々な被害が出るようになった。数年のうちに変化した気象現象に基づいた、新しい物語が生まれた。それを読めてよかった。

 この作品をどう説明したらいいか、実際のところ難しくて困ってしまっている。とても面白く、胸にズシンと、じんわりともする物語だ。しかし、かすみが自分の「能力」について、一般人にどう説明したらいいかわからないように、私もこの作品をどう語ったらいいかわからないままこの記事を書いてしまった。扱っているテーマの暗さ、重さゆえだろうか。でも、本当に面白い。最近はスマートフォンの雨が降る通知や、リアルタイムの警報通知で随分と便利になった。しかし、その便利さに頼ってばかりいないで、自分で空や雲を見て、気温や風の向きや強さ、湿気などを感じて、気象の動きに気を配れたらいいなと思った。そして、災害への意識を高めつつも、危険性がないなら、毎日の天候を楽しみつつ受け入れられたらいいなと思う。晴れの日も、雨の日も。


by halca-kaukana057 | 2019-04-22 22:02 | 本・読書

ピアノ・レッスン

 以前読んだ「すべての見えない光」についてネットで調べていた時、この本を見つけました。


ピアノ・レッスン
アリス・マンロー:著、小竹由美子:訳/新潮社、新潮クレスト・ブックス、2018年

 カナダの田舎町。訪問販売員(行商)の仕事をしている父。父が仕事に行くのについて行くことになり、一緒に車に乗る。父は様々な家を訪問し、ものを売りながら色々な人と話をしていた…(ウォーカーブラザーズ・カウボーイ)

 アリス・マンローは2013年ノーベル文学賞を受賞したカナダ人作家。全く知りませんでした。

 15の短編が収められています。どれも、カナダの田舎町を舞台にしています。そして、どの作品も物悲しい。読んだ後、しんみりとしてしまう。描かれているのは、どこにでもいそうな市井の人々のちょっとした日常。しかし、彼らにとっては忘れられない日。そんな時間を丁寧に描いています。

 好きなのは…と言っても、先述の通り読後しんみりしたり、もやもやしたり、心が痛んだりと幸せな気持ちになれる作品ではない。でも、惹かれる作品がいくつもある。「輝く家々」は、日本でもこんな問題が数多くあるのではないかと思う。「死んだ時」と「蝶の日」は本当に重い。救いがないと思ってしまう。「乗せてくれてありがとう」と「赤いワンピース ― 1946年」は苦い、でも少し甘い青春のヒトコマ。この2作は読後、少し気持ちが楽になる。物事は何も変わってはいないのだけれども。どれも、正面から見ると物悲しいが、そこにこそ人間の生き様や心があると感じさせてくれる。何かがあっても、人生は続く。描かれない続いていく日々がどうなるのだろうか、と思ってします。

 「ユトレヒト講和条約」が一番惹かれました。実家に帰った「わたし(ヘレン)」。実家には姉のマディーが住んでいる。マディーは母の面倒を死ぬまでみていた。わたしとマディーはぎこちない。そんなわたしは、おばさんの家を訪問した。アニーおばさんは、母のあるものを見せて、母のことを語りだした…。
 これも、日本でも同じような立場にある人がたくさんいるのではないかと思う。ヘレンとマディーの最後のシーンがとても印象的で、胸に突き刺さる。マディーの気持ちがよくわかる。どうにかしたい、でも変えられない。「どうしてできないのかな?」この最後の言葉の重みがのしかかってくる。「わたし(ヘレン)」のようになれば楽、だとは限らない。後から事実を知った方が辛いこともある。この「立場」から楽になるには、この「立場」にあっても自分を失わずにいるにはどうしたらいいのだろう…読んだ後、考え込んでしまう。

 表題作「ピアノ・レッスン」。原題は「Dance of the Happy Shades」.この意味は読んでからのお楽しみにしておきたい。年老いたピアノ教師の発表会のパーティーで起きたある出来事。一方から見れば、この本の紹介文にあるとおり「小さな奇跡」。でも違う面から見ると、これも物悲しくなってしまう。あの演奏をした子は幸せなのか。幸せなんて数で表せるものでもないし、絶対的なものでもない。あの子は幸せだったろう。でも、「わたし」を通して見たあの子と先生(ミス・マルサレス)の姿は…。人間のものの考え方というものに、不思議なものを感じられずにはいられなかった。

 面白いけれども、読むと辛い…。でも素敵な本です。アリス・マンローさんの他の本も読んでみたいです。
by halca-kaukana057 | 2019-03-01 20:42 | 本・読書

きげんのいいリス

 先日書いた「ハリネズミの願い」の続編です。
ハリネズミの願い


きげんのいいリス
トーン・テレヘン:作、長山さき:訳、祖敷大輔:絵 / 新潮社 /2018

 森に暮らす、リスやアリ、ゾウやハリネズミ他の動物たち。毎日、色々なことをして過ごしている。手紙を書いたり、旅に出たり、不思議な出来事に出会ったり、やってみたかったことをやってみたり…。

 本のタイトルはリスですが、リスが主役というわけではありません。登場回数は多いです。森の動物たちの小さな物語が51章あります。前作「ハリネズミの願い」でも登場した動物たちの、違う面が見られます。ハリネズミももう家に引きこもって堂々巡りをしてはいません。4章でこの本で初めてハリネズミが出てくるのですが、不思議な登場の仕方をします。あれは一体何が起こっているんだ。森では、そんな不思議なことも色々と起こります。

 「ハリネズミの願い」よりも明るい雰囲気で、様々な動物たちのユーモラスな日常が描かれていて、こどもが読むのにもいいかと思います。でも、「ハリネズミの願い」同様、いきなり心や思考の深みに持っていかれます。例えばアリ。アリはリスと仲が良く、時々旅に出ると言い出します。そして、何かを考え込むことが多い。10章のアリは、明治時代あたりで文学や哲学を学ぶ学生にいそうな雰囲気。20章でリスと一緒にいたアリが言い出したことは、わかる気がする。が、リスの前で言ってはだめだろう(相手が単純な性格のリスだったからよかったものの)。24章のアリが言い出したことも。リスじゃなかったら相手は怒るか悲しむか。深いけど、ユーモアで落としていて楽しく読めます。

 他の動物たちもユーモラスで風変わり。38章のカメとカミキリムシも好きだ。カミキリムシは、「ハリネズミの願い」でも、大人で冷静に物事を見ている。そのカミキリムシがカメの疑問に対して答えた内容が好きだ。カミキリムシと別れた後のカメの描写もいい。カミキリムシは冷静だと書いたが、3章では意外な一面も見せる。その人(動物)の「個性」というのはひとつだけではない。様々な面があっての「個性」なんだと実感する。31章のゾウの手紙も好きだ。不思議なゾウの手紙を受け取ったハリネズミ。こんな手紙があればいいなと思った。手紙の話なら36章もいい。素敵な友情だ。

 最後の51章の終わり方もいい。やっぱりあたたかい紅茶が似合う本だ。

 トーン・テレヘンの動物の物語はまだまだ沢山あるらしい。さらに翻訳されて、出版されればいいなと思っています。

by halca-kaukana057 | 2019-02-26 22:05 | 本・読書

ハリネズミの願い

 書店で、本屋大賞翻訳部門と紹介されていて、気になって読みました。翻訳部門もあるんだ。


ハリネスミの願い
トーン・テレヘン:作、長山さき:訳、祖敷大輔:絵 / 新潮社 /2016

 森に住むハリネズミは、自分のハリのことが大嫌い。他の動物たちとうまく付き合えずにいた。ハリネズミの家を訪れる動物は誰もいない。誰かを家に招待したら…と考えたハリネズミは、招待状の手紙を書いた。が、誰にも出すことが出来ない。ハリネズミは、自分の家を訪れるかもしれない動物たちについて考え始めた…。

 トーン・テレヘンさんはオランダ人で、医師であり詩人。娘さんのために、動物たちの物語を書き始めた。子どもも親しんで読める動物たちのお話ですが、深いです。

 ハリネズミは自分はハリを持っているから皆が怖がって近寄ってこないと思っている。ハリをコンプレックスと思っている。動物たちと仲良くできたら…と思っているが、招待状を出すという行動に移せない。招待状を書いても、「だれも来なくてもだいじょうぶです」なんて書いてしまう。そして、あの動物はこんな風に断ってくるだろう、あの動物がやってきたらこんなことを言うだろう…というネガティヴな憶測がどんどん膨らんでいく。ハリネズミの家を訪れる動物たちについて語られているが、彼らは実際にはハリネズミの家にやって来ていない。あくまで憶測、ハリネズミ自身の心配。その過度の心配をするハリネズミを、考え過ぎなんじゃないかと思いながら読んでいた。認知行動療法について学んだことがあるが、これは「根拠のない推論」じゃないか、これは「一般化のし過ぎ」なんじゃないかという視点でも読んでいた。ハリネズミは考え方のクセが相当強いな…と。

 でも、ハリネズミの気持ちはよくわかる。私も同じように思ったことが何度もあるからだ。誰かと仲良くなりたい。友達がほしい。友達ができて、その友達と遊びに行ったり、ゆっくり話をしたい。でも、遊びに誘ったら断られないだろうか。忙しくないだろうか。迷惑をかけていないだろうか。邪魔なことをしていないだろうか。やっぱり遊びに誘うのはやめよう…。こんなことがよくあった。他の人は、気軽に誘って、誘いを受けて遊びに行っている。自分はできない、情けない、と何度も思った。

 ハリネズミは、誰かに家に遊びに来てほしいと思うが、そのやってきた動物たちがハリネズミの望まない言動をするんじゃないかと気に病んでいる。そんな誰かが来るのを怖がり、家に引きこもって、ベッドの下に隠れるか、毛布をかぶってしまう。相手とどう付き合ったらいいかわからない。でも、無理もない。ハリネズミ自身、他の動物との接触を避けている。ハリネズミの自業自得だろうか。ハリというどうしようもできないコンプレックスに、どう向き合ったらいいかわからないハリネズミ。そんな「ハリ」のようなものを、誰しも抱えているのではないだろうか。

 ハリネズミの「ハリ」は、言葉とも考えられる。言葉は相手を思いやることもできるが、簡単に傷つけることもできる。ハリネズミの「ハリ」がいつでも相手を傷つけるわけではない。「ハリ」を相手に刺さないように扱うことも出来るはずだ。言葉も同じように。ハリネズミは、様々な動物たちの言動に困ってしまっている想像をしている。相手の言動で傷ついたなら、それを相手を傷つけないように言葉で話すことも出来るはずだ。でも、気弱なハリネズミはそれができない。この気弱な部分もよくわかる。

 14章、15章で、ハリネズミは「孤独」について考える。もし優しい誰かが来ても、「孤独」はそこに存在するだろう…。自分自身がいるから、「孤独」ではないんじゃないの…?この箇所が深くて、お気に入りです。21章のハリたちの話や、23章の自分の家の話も好きだ。ひとりでいれば傷つかない。ひとりでいれば一番いい。はず。でも、ハリネズミは誰かが家にやってくることを考える。ひとりでいること、誰かといること、「孤独」とは…。普段考えずにいることだけど、頭の片隅にはいつもある、何かのきっかけでそのことについて考えることになること。それを思い出させてくれる。考え過ぎると危険だけど、避けては通れないことだ。

 そんなハリネズミの堂々巡りを断ち切る出来事が起きる。甘いはちみつとあたたかい紅茶が似合う。最後の章が印象的だ。やっぱりハリネズミのネガティヴな憶測はまだ続いている。でもひとつだけ変わったことが起きる。心があたたまります。

 続編の物語も出ていて、読んでいます。
by halca-kaukana057 | 2019-02-24 22:25 | 本・読書

すべての見えない光

 たまたま目に留まった本。面白そうなので読んでみた。


すべての見えない光
アンソニー・ドーア:著、藤井光:訳/新潮社、新潮クレスト・ブックス/2016

 1930年代。少女のマリー=ロール・ルブランはパリで博物館の錠前主任の父と暮らしている。マリー=ロールは病気で視力を失った。毎日父と一緒に博物館まで行くが、後に杖と聴こえる音、道を記憶し、練習を重ね自分で行けるようになっていった。誕生日には父から手作りのパズルの箱に入ったお菓子と、点字の本をプレゼントされた。マリー=ロールはジュール・ベルヌの本に夢中になる。
 ドイツの孤児院で妹・ユッタと共に暮らす少年、ヴェルナー・ペニヒ。父は炭鉱の事故で死んだ。ヴェルナーはゴミの山から壊れたラジオを見つけ、ひとつひとつ部品を外し観察する。そしてラジオを直し、妹と一緒に聴くようになる。ラジオからは色々なものが聴こえるが、男性がフランス語で科学について話す放送を聴くようになる。ヴェルナーは「力学原理」の本を読むようになり、数学や科学を学んでいく。さらに、孤児院や近所の人の壊れた機械を直すこともできるようになる。
 一方、ドイツはナチスの時代に入っていく。ある日、孤児院にやってきた兵長の前でヴェルナーはラジオを直し、国家政治教育学校に進学しないかと提案される。ヴェルナーは試験に合格し、学校でも特別な授業を受けることになる。
 ドイツがパリを攻撃し、マリー=ロールと父は大叔父がいるサン・マロの町へ避難する。


 アメリカでベストセラーになった作品というのは、読んだ後で知りました。読んで、ベストセラーになったのことに納得しました。とにかく面白い。マリー=ロールとヴェルナーが成長し、戦争に巻き込まれていく。2人は一体どうなるのか。ドイツとフランスに離れて暮らす2人に、接点があるのか。どうなるのか知りたくて、どんどん読んでしまいます。

 ヴェルナーは数学と科学が好きで、どんどん学んでしまう。そのきっかけになったことのひとつは、修理したラジオで聴いたフランス語の科学の話。そのフランス語の放送から引用します。
 さて子どもたちよ、もちろん脳はまったくの暗闇のなかに閉じこめられているよね。脳は頭蓋骨の内部で透明な液体のなかに浮いていて、光が当たることはない。それでも、脳が作り上げる世界は光に満ちている。色や動きにあふれている。それでは、ひとつたりとも光のきらめきを見ることなく生きている脳が、どうやって光に満ちた世界を私たちに見せてくれるのかな?(49~50ページ)

 目を開けて、と男は最後に言う。その目が永遠に閉じてしまう前に、できるかぎりのものを見ておくんだ。(50~51ページ)

 目に見える光のことを、我々はなんと呼んでいるかな?色と呼んでいるね。だが、電磁のスペクトルはある方向にはまったく走らず、反対方向には無限に走るから、数学的に言えば、光はすべて目に見えないのだよ。(55ページ)
 これらの言葉が、ヴェルナーを科学の世界へいざなう。同時に、マリー=ロールのことも暗示する。視力を失い、光を失ったマリー=ロール。しかし、彼女は本を読んだり、父と会話して物事を想像する。目に見えなくても、マリー=ロールの世界は光に満ちている。さらに、電波、ラジオの存在も。電波も電磁波のひとつ。「光」である。ヴェルナーはラジオと出会い、運命が動き出す。マリー=ロールにとって音は重要な情報だ。のちにマリー=ロールにとっても、電波やラジオは重要な存在となっていく。「光」という言葉にこんなに沢山の意味を込めている。それを美しい言葉で語っている。

 この物語にはもうひとつ重要なものが存在する。「炎の海」という青いダイヤモンド。これが、マリー=ロールの運命を変えていく。この宝石にはミステリアスな言い伝えがある。ダイヤモンドをめぐる話はミステリーのようであり、少年少女の冒険物語のようでもある。

 戦争に巻き込まれる2人。フランス側のマリー=ロールや家族、サン・マロの町の人々は危険が迫る中で静かに行動を起こす。大叔父のエティエンヌがとてもいい人だ。ドイツ側のヴェルナーは、ナチスに支配されてはいるが、心の中までは支配されていない。学校の友人のフレデリックとの友情がそれを物語る。繊細で忍耐強いフレデリックの姿は痛々しいが、希望も感じる。

 ヴェルナーはその科学の才能を、戦争のために使うことになる。特別授業をする教授の言葉にこうある。
科学者の仕事とはふたつの要因によって決定される。本人が持つ興味と、その時代が持つ興味だ。(157ページ)
 この言葉を読んで、同じくドイツ出身の科学者、フォン・ブラウンを思い出した。ロケットを作りたかったフォン・ブラウンと、フォン・ブラウンの技術を兵器として転用したナチスドイツ。ヴェルナーもラジオから始まった興味が、「違法な」電波を使ってやりとりしている者を見つけようとすることに繋がっていく。

 物語を読み進め、マリー=ロールとヴェルナーの接点がどんどん近づいていく。続きを読みたいのと、マリー=ロールとヴェルナーの時間がそこで止まってほしいと思う。でも時間は進んでしまう。あらすじをこれ以上は語りたくない。ネタバレさせたくない。とにかく読んで味わってほしいと思う。

 本当に面白かった。読後の感覚にいつまでも浸っていたい作品です。
by halca-kaukana057 | 2019-02-18 22:25 | 本・読書
 久々に山本周五郎を。この本の存在を知った時、かなり驚きました。


山本周五郎探偵小説全集 第二巻 シャーロック・ホームズ異聞
山本周五郎/末國善己:編/作品社/2007

 山本周五郎の探偵小説を集めたこの全集。第2巻は、山本周五郎による「シャーロック・ホームズ」のパスティーシュ/パロディを筆頭に、「猫目石殺人事件」、「怪人呉博士」、「出来ていた青」、「失恋第五番」、「失恋第六番」を収録。
 山本周五郎の探偵小説・推理小説というと、「寝ぼけ署長」。以前読みました。この他にもたくさん発表していたんですね。しかも、山本周五郎が「シャーロック・ホームズ」のパスティーシュを書いていたとは!山本周五郎のホームズ…どんな感じなんだろう?と思って読みました。

 東京。浮浪児の凡太郎は夜になるとどこかの建物にもぐりこんで寝る。深夜1時。空き家のお屋敷に明かりがついている。おかしいと思って見ていると、女性の悲鳴が聞こえる。屋敷に入ると、女性が倒れていた。凡太郎は警察へ向かう。
 翌朝、帝国ホテルに警視庁刑事課長の村田が、一人のイギリス人紳士に会いにやって来る。3週間ほど前から滞在しているイギリス人、ウィリアム・ペンドルトン。ペンドルトンの部屋にやってきた村田は、奇怪な殺人事件が起こったと告げる。「シャーロック・ホームズさん」と…。
 ホームズがある目的のために、正体を隠して日本にやってきていたが、第一発見者の凡太郎と共にこの殺人事件の捜査に加わることになる。凡太郎は現場であるものを見つけて持っていた。これが、ただの殺人事件では無く、さらなる謎を呼ぶことになる。

 今も世界中でパスティーシュや解説本が出版されたり、映像化され続けている「シャーロック・ホームズ」。山本周五郎も「ホームズ」を読んで、もし、日本に来たら…という物語を書いてみたかったのだろう。第1発見者の凡太郎が、ベイカー・ストリート・イレギュラーズ(ベイカー街遊撃隊)のウィギンズのようにホームズを手助けする。他にも、正典を意識(リスペクト)した要素があちらこちらに仕掛けられている。最初の殺人事件が、ホームズが日本にやってきた目的と重なり、大冒険が始まる。ホームズお得意の変装も勿論出てくる。「ホームズ」のエッセンスをこの作品で味わえる。少年雑誌に掲載されたとのこと。凡太郎とホームズの活躍は子どもの頃に読んだらワクワクしただろう(大人になっても)。ただ、残念なのが、ホームズものだけどワトスンが出てこない…寂しい。そして、最後。ホームズなら絶対にしないであろうあることを、ホームズがしてしまう。これはないだろう!と思いつつも、少年雑誌に掲載されたことと、山本周五郎らしいといえば周五郎らしいかも…と思ってしまう…。

 その他の作品も面白い。「猫目石殺人事件」は、日本のアルセーヌ・ルパンとも呼ばれる「侠盗」と、推理力に優れた新聞記者の春田三吉の闘いを描く。この作品も少年雑誌に掲載されたとあって、ワクワクするようなスピーディーな展開。探偵ではなく、刑事でもなく、新聞記者が活躍するというのも面白い。一方の「侠盗」も、いつの間にかいたり、消えたり、不思議な存在。新聞社の社長もいいキャラしてます。「寝ぼけ署長」の五道に雰囲気が似ている。
 「怪人呉博士」はミステリアス。一方の「出来ていた青」は大人向けの作品。殺されたマダムを取り巻く男性たちとの関係が大人向け。謎解きも凝っている。

 「失恋第五番」「失恋第六番」は、雰囲気がまた違う作品。タイトルに「失恋」なんてあるものだから、悲しいラブロマンスかと思いきや、闇の深い、男たちの闘いの物語。合成樹脂会社の社長の一人息子で、連絡課長、千田二郎は仕事は秘書に任せっきり。スポーツマンで女好き。様々な女性に恋をしては振られている。また、新しい女性に恋をして、デートに向かう途中、二郎は昔なじみの男たちに出会う。二郎も、彼らも戦中は海軍にいた。その男たちは二郎をある場所に連れて行くのだが…。

 横溝正史の「金田一」シリーズは、戦後まもなくの日本各地が舞台になっている。登場人物も戦地から引き揚げてきたり、戦争の色が濃く残っている。この周五郎の「失恋~」シリーズも、戦争の色が濃く残っている作品。戦争は終わったが、戦地で戦っていた元兵士たちの「戦争」は終わったわけではなかった。戦争は終わっても国は混乱し、暮らしは安定せず、「平和」は簡単にはやってこなかった。そんな時代の物語。昔なじみと共に、ある使命を帯びることになった二郎。戦争中の過去に向き合い、未来の日本のために使命を果たそうとする。暗く、かなしく、重い。第五番はスリリングで、第六番はじっくりと心理戦。この「失恋~」シリーズが気に入りました。この続きも書かれる予定だったが、何らかの理由でなくなってしまったらしい。とても残念だ。

 山本周五郎のまた違った一面を楽しめる1冊でした。この「探偵小説全集」、こうなったら全巻読もうか…?
・過去記事:寝ぼけ署長

↓「山本周五郎」と「シャーロック・ホームズ」タグが並んでる…!
by halca-kaukana057 | 2019-01-18 21:50 | 本・読書

夜想曲集

 少しずつカズオ・イシグロ作品を読んでいます。今回は、カズオ・イシグロの初めての短編集のこの本。

夜想曲集 音楽と夕暮れをめぐる五つの物語
カズオ・イシグロ / 土屋政雄:訳 / 早川書房、ハヤカワepi文庫 / 2011

 ベネチアのカフェでバンドでギターを演奏していたヤネクは、アメリカ人歌手のトニー・ガードナーがいるのを見つけた。ヤネクの母はガードナーの大ファンで、ヤネクもガードナーの歌が大好きだった。共産圏出身のヤネクは、なかなか手に入らないガードナーのレコードを手に入れて、よく聴いていた。演奏後、ガードナーに話しかけたヤネク。ガードナーとヤネクはガードナーの音楽についての話で盛り上がっていた。ガードナーは妻のリンディとベネチアにやってきていた。リンディにも会ったヤネク。ヤネクはガードナーからあることを頼まれる…。(「老歌手」)



 これまで読んだ「日の名残り」「わたしを離さないで」とは雰囲気が違います。5つの短編、「老歌手」、「降っても晴れても」、「モールバンヒルズ」、「夜想曲」、「チェリスト」が収められています。舞台はイタリアだったり、イギリスだったり、アメリカだったり。イギリスでも、「日の名残り」や「わたしを離さないで」とは雰囲気の異なるイギリス。どれも独立した話ですが、2作品にある共通点があります。これを見つけた時はお互いの作品を別の視点からも読めるようで面白かった。

 副題にあるとおり、どの作品にも音楽が関係してきます。それと、「夕暮れ」。これはただの一日のうちの「夕暮れ」だけでなく、人生の「夕暮れ」でもある。何を持って「夕暮れ」と感じるかはそれぞれの作品の、それぞれの登場人物による。「夕暮れ」をどう解釈するかもそれぞれの登場人物による。昼間と夜の境目なのか、夜に向かっていく時間なのか、夜がやってきてもまた夜明けがくると思えるのか。そして、「夕暮れ」の余韻。夕暮れの時間帯は特に好きな時間だ。空は光と闇、青と橙と黒が混じりあい、月や星が見えることもある。音の伝わり方も昼間や夜と違った感じがする。昼間から夜へは急に変わらない。「夕暮れ」があって、徐々に変化していく。この少しずつの変化にも、それぞれの登場人物の解釈がある。

 特に好きなのが「降っても晴れても」。とにかくコミカル。
 アメリカの古いブロードウェイソングが好きなイギリス人レイモンド。友達のチャーリーの彼女のエミリも好みが同じで親しくしていた。大学を卒業しても3人の交友は続き、チャーリーとエミリは結婚した。レイモンドはスペインで英語講師をしていたが、久しぶりにチャーリーとエミリに会いにイギリスに行くことにした。ロンドンについて、レイモンドはチャーリーから相談を受ける…。
 話のテンポがよくて、様々な事件が起こる。その事件がコメディ映画を観ているかのようなコミカルさ。チャーリーもチャーリーだし(事をおおごとにしたのチャーリーのせいでは…?)、レイモンドもレイモンド。レイモンドが真面目にチャーリーの案を実行していく様がおかしくてたまらない。コミカルな物語の根っこには、チャーリーとエミリが抱えるある問題があった。その問題を心配するレイモンド。心配して、何とか問題を解決しようとするのだが…。この「降っても晴れても」の「夕暮れ」は、ドタバタと静かな夜の間。静かな夜には問題が顔を出すだろうけれども、「夕暮れ」の時間だけはその余韻に浸っていたい。そして、朝が来ることも確信したい…。そんな雰囲気。とても面白い。

 「夜想曲」もコミカルな展開の奥に、問題を抱えた人々の心理が細やかに描かれる。「チェリスト」は他の4作とはちょっと雰囲気が違う。音楽を演奏するとは何か、音楽家として生きるとはどういうことか、才能とは何かが描かれる。人生の「夕暮れ」はいつ訪れるかわからない。自分でも、「夕暮れ」だとわからないかもしれない。他人が見ないとわからないかもしれない。でも、それは他人からの視点であって、自分自身の視点はまた違う。「チェリスト」の主人公(語り手の「私」ではない)の才能とは何だったのか。音楽を演奏する上で、才能はあった方がいいと思う。努力や、教えを請う素直さ、細々とでも継続する力も才能に入るだろうか。でも、才能とは何なのか、どういうものを才能というのか。それを履き違えたら大変なことになる。主人公は、ある女性と出会うが、それはよかったのだろうか…と思う。

 色々な感情が交錯する「夕暮れ」時。そこには音楽があってほしい。余韻を味わうだけで無く、音楽に慰めてもらったり、支えてもらったり、包み込んでもらったり、とにかく音楽と一緒にいたいと思う。毎日何かしらの音楽を聴いている私はそう思う。
by halca-kaukana057 | 2019-01-08 21:44 | 本・読書

好奇心のまま「面白い!」と思ったことに突っ込むブログ。興味の対象が無駄に広いのは仕様です。


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