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 エキサイトブログには簡単なアクセス解析がある。検索ワードは部分的にしかわからない。「簡単な」というよりは、「本当にちょっとした、目安にしかならない」と言った方が合っているのか…。それでも、こんな記事が読まれているんだな、こんな検索ワードで来たんだなというのは一応わかる。まぁまぁこんな辺鄙なブログによくいらっしゃいました…お気に召したらゆっくりしていってください…という気分です。

 少し前から、こんな検索ワードで来ている方がいらっしゃるようだ。

「○○よりも△△の方が…」

 「…」の部分は、検索ワードが長すぎたためか省略されていてわからない(これが仕様だから…まぁ仕方ない)。でも、どちらかを比較して、どちらかがよかったとか悪かったとかそういう内容だろう。
 
 何かと何かを比較する。比べて、両者の良し悪し、優劣を決める。あまりそういうことを明言したくないなと思う。そういうことを全く思ったことがないわけではない。好きな人、もの、作品、世の中にあるもの何でも…好きなものは評価されていて欲しいと思う。私だけでなくて、他の人も好きだったらいいな、いいと思ったらいいなと思う。その好きなものへの思い入れが強ければ強いほどそう思う。
 また、その好きなものが何らかの理由で失われてしまった(終了した、引退した、死去した、消失した、遠い過去の作品で覚えている人が少ない、マイナーで知っている人がほとんどいない、自分で手放した、等)時の虚しさ、「ロス状態」の辛さ、苦しさは計り知れない。辛くて辛くて、その反動で、似たようなものがあると比較してしまったり、勝手にライバル視してしまうこともあった。
 好きなものを語る際、好きなものを「上げる」ために、他の似たようなもの、同じジャンルにあるものを貶すことはファンとしての品位を下げることだ、マナー違反だ、という話はよく聞く。その通りだと思う。が、口にしなくても心の奥底でそう思ってしまうこともある。自戒をこめて。

 何かと何かを比べるというと、クラシックは厄介なジャンルだと以前から思ってきた。同じ作品を、数多くの演奏家(指揮者やオーケストラなどの団体も含める)が演奏する。CDでも、演奏会でも、聴いた後には感想が出てくるのは当たり前。その中には、「前のAの方がよかった」「Bよりもよかった」等と他と比べる感想もある。悪いこととは思わない。否定はしない。上述した、好きなものを「上げる」ために他のものを貶すことさえしなければ。ただ、その比較されたものが自分の好きなものだったら悲しくなる。あと、自分の好きなものと比較されなくても、「Cは最高」とか、自分の好きなものが出てこないと、眼中にないのかな、忘れ去られているのかな、そもそも興味すらないのかなと思って悲しくなってしまう。自分自身に対して、そんなことをいちいち思わなくても、と今では思う。もちろん独りで思うだけなので、抱え込んでしまって余計に辛くなる。ツイッターをしていた頃は、そんな同曲異演の比較の感想があると読むのが辛い、苦手だなと思った。こういう同曲異演の比較の感想は私には向いていない。ツイッターを辞めた理由のひとつでもあります。

 それでも、「私はこっちの方が好き」という表現を、私が全くしないかといえばそうでもない。もっと簡単なこと…今日のお昼はサンドイッチとおにぎりのどっちを食べたいか。その日の服装を選ぶのに、色は黒か白かどちらにしようか。生きていく上で「選択」することからは逃げられない。当たり前に存在する。この時、両者(複数)を比較して選択することはやっぱりあるんだ。
 そこで…何故比較するのだろう。その比較する気持ちの根底に何があるのか。

 私は、「私の好みに合っているから」からだと思う。私は優劣や良し悪しで決めているのではない(日用品や家電などは使いやすさの良し悪しから判断することも少なくないが、使い勝手も「私の好み」に入ると思う)。私の好み…価値観ともいえる。その好みや価値観が何故こうなったのか説明するのは難しい。私の感情の根底にある好みや価値観に合うから好きなんだ。他のものが好きな人は、その人の好みや価値観に合っているから好きなんだ。対立する必要も、ケンカする必要も無い。ライバル視する必要も無い。こう考えると心がラクになる。

 私は、自分の好きなものを誰かに話すのが苦手だ。その相手が私と同じものが好きだとわかっていれば話せる。でも相手が何が好きかわからない状態だと、私の好きなものが相手は嫌いかもしれない。話すことで関係に亀裂ができたらどうしよう、と思ってしまう。でも、反対に、相手の好きなものは(自分の好みに合わなかったとしても)否定しない。それがその人の好み、価値観なのだから。寛容でいたいと思う。ただ、相手の好みばかり聞いているのも不釣合いなので、自分のも少しずつ出していけたらと思う。

by halca-kaukana057 | 2019-06-13 22:05 | 日常/考えたこと

満願

 以前、NHKでドラマ化されていて読んでみようと思いました。でも、ドラマは3作全て観られず…再放送ないかなぁ。



満願
米澤穂信/新潮社、新潮文庫/2017(単行本は2014)

 警察官で、交番長をしている柳岡の交番に新しく配属されることになった新人巡査・川藤。川藤は刃物を持って暴れる男に向かって発砲。男は死んだが、川藤も深く切られ死んだ。柳岡は川藤が配属されてから、この事件までのことを振り返る。川藤は警察には向かない男だったと…(「夜警」)

 表題作の「満願」他、全6篇の短編集です。ミステリー作品ですが、探偵や刑事の謎解きはなく、殺人事件や事故などの大きなものから、日常に埋もれてしまいそうな小さな出来事まで幅は広いですが、人間の命に関わる作品がほとんどです。

 読んで、どの作品も物語が複雑に練られていて、登場人物の心理描写も緻密、伏線やどんでん返しの展開に驚きました。どの作品を読んでも、読後は「怖い…」「怖い!!怖い怖い!!」の一言がまず出てきました。怖いです。

 子どものころ、家族に怪談話を話したことがあります。学校で覚えてきたのか。話をし終わって、お化け、幽霊が怖いと話すと、母親が「幽霊よりも、人間の方がもっと怖いんだよ」と。人間は人を殺めることもあるし、そこまでいかなくても傷つけたり、騙したり、残酷なことを考え実行してしまうのだと。その時はまだ子どもだったためよくわからずにいたのですが、成長するにつれてその意味がわかるようになってきました。そしてこの本を読んだ後で、人間こそ恐ろしい、怖いと実感しました。

 どの物語も、人間の心の奥底を生々しく描いている。「夜警」の川藤が発砲したのは何故だったのか。川藤が発砲した理由を知って、川藤の心の闇を恐ろしいと思った。「死人宿」はちょっと探偵のような感じではあるが、ラスト2ページの展開にゾクゾクした。一番怖いと思ったのが「柘榴」。人間はここまで残酷になれるのかと思った。「万灯」はなかなかハード。人を殺める心理とは何だろう…と思ってしまう。「関守」も特に怖い作品。都市伝説と、実際には何が起こっていたのか。「死人宿」と少し似た感じがあり、ホラーな面が強い。怖い。

 表題作の「満願」。弁護士の藤井は、学生時代に下宿をしていた家の妙子から刑期を終えて釈放されたと連絡を貰う。妙子は殺人事件を起こした。が、妙子の状況からして、もっと裁判で争えたが、彼女はもういいんです、と一審の判決を受け入れた。それは何故なのか…藤井は学生時代にお世話になった妙子のことを思い返す。
 穏やかで優しい妙子。苦学生の藤井のことを励まし、手助けしてくれる。しかし、妙子にはいくつかの悩みがあった。妙子が心の奥底に抱いていたある願い。妙子を取り巻く様々な人間関係が交錯し、事件へと向かっていく。あの事件には、妙子の本当の目的が隠されていた。その本当の目的があまりにも意外で、どういうこと?と思ってしまった。でも、理解できると、人間の心の深さと暗さ、妙子の決意の固さに驚くと共に、やっぱり怖いと思った。

 どの作品もだが、結末にも恐れおののくが、伏線をさりげなく含ませた過程にもすごいなぁと思う。事件の背景をしっかり描いて、全てのねた晴らしの結末に持っていく。だからこそ、結末で怖いと震え上がる。

 怖いものが待っているのはわかっているのに、面白くて読むのを止められなかった。この物語を面白いと感じている私も、心の奥底に残酷なものを持っているのかもしれない。

 この本は、読後、夜、暗い部屋が怖いとか、トイレに行くのが怖いとか、そういう怖さではない。もしかしたら、私の周りにも、今何かに向かって事が動いているのかもしれない…知らない間に…。そんな怖さだった。でもやっぱり、夜中にはあまり読みたくないなぁ。
by halca-kaukana057 | 2019-05-11 22:02 | 本・読書
 かなり前から「マインドフルネス」という言葉を聞くようになりました。Googleなどの世界的大企業の社員やスポーツ選手が実践しているとか何とか。
 「マインドフルネス」とは、「"今、ここ、この瞬間"に集中している心の状態」のこと。
 仕事や家事、様々な作業をしていても、頭の中では別のことやいくつものもことを考えてしまう。それで心が落ち着かない。心が休まらず、いつも何かに気をとられている状態に陥っていることがよくあります。

(ここで疑問。
 認知行動療法の「自動思考」は、マインドフルネスではどういう位置づけなのだろう?
 「自動思考」は、何かの出来事や行動などに対して、瞬間的に、無意識に思い浮かぶ物事のこと。「自動思考」によって、その出来事などに対する感情が引き起こされます。特にネガティヴな出来事に対して、「自動思考」に思考の偏り・歪みがあることを認識する。そして、他の考え方や可能性はないか考え、ネガティヴな感情に変化があったかを考えていく。
 「自動思考」は反射的に思い浮かぶものなので止められない。マインドフルネスでは「今、ここ」以外のことは考えない。…相反する。私が読んだこの2冊の本には書いていなかったので疑問です。
このサイトがヒントになるかも:
[週間]アウトドアITマガジン:自動思考とマインドフルネスの関係性とは
Wikipedia:マインドフルネス認知療法
ナチュラルなイキカタ:【マインドフルネス】「いま・ここ」をありのままに受けとめて、過去(後悔)と未来(不安)に振り回されなくなる
decinormal:第三世代の認知行動療法(CBT) マインドフルネス/スキーマ療法/ACTの違いと共通点
 あと、1冊目の本の「観察瞑想(オープンモニタリング瞑想)」もヒントになるかも。以上覚え書き。)

 この、心が休まらない状態から、「今、ここ」に意識を向け集中し、感情の変化に気づくのがマインドフルネス。
 その方法として、よくあるのが瞑想。最初はマインドフルネス=瞑想だと思っていました。座禅を組んで、精神を統一するような。マインドフルネスは禅の教えを基にしているので、瞑想が基本となるのだそうですが、マインドフルネスでは宗教的な要素は省いてあります。瞑想の他にも、食事をする時、食べることに集中して食べることや、思っていることを書き出すことなどがあります。

 私が読んだ本は、2冊どちらとも、瞑想に限らず、日常生活の中で実践できることを紹介しています。どちらもテーマは「心の休ませ方」…疲れてるのかな私…。

心のざわざわ・イライラを消すがんばりすぎない休み方 すき間時間で始めるマインドフルネス


荻野淳也/文響社/2018


 これが最初に読んだ本。イラストが多く、分かりやすく書いてあります。瞑想については基本の姿勢(椅子に座って出来る簡単な方法)と、10分程度で出来る心と身体を今に向ける方法についていくつか書いてあります。
 それ以上に、日常生活の中でできる「今、ここ」に心を集中させる方法がたくさん。本当に様々です。基本の瞑想の姿勢を発展させて、ゆっくりと腹式呼吸をする、姿勢を正す。これだけでも違う。洗顔、お風呂、寝る前のお肌のメンテナンスの際も、身体の状態に集中する。今身体の状態はどんな調子にあるかに敏感になって、リラックスするように労わってあげる。
 一方、心、メンタルの面でも、リラックスした状態を保てるように「今、ここ」に集中する。周りの環境がどうであれ、自分の心の状態を客観視して観察、認めた上で、集中しリラックスした気持ちになるようにする。例えば、満員電車でもイライラすることを「選ばない」(反応の仕方を自分で選ぶことは出来る)、信号待ちで心を整えるなど、移動中でもできることも。心が落ち着く自分だけの場所を見つけておくというのはいいなと思った。
 ストレスを感じるのはやはり人間関係、コミュニケーション。穏やかに接したいと思っても、相手がイライラやその原因になるもの(処理しきれないたくさんの仕事、愚痴や嫌な気分になる噂話など)を持ってきてしまう…。この人間関係についての項目は私にはちょっと難しいと感じたのですが、相手に対して嫌だと思っても、相手の立場や気持ちを受け止めて共感する。また、相手の考え方や気持ちを、自分とは違う、同意はできなくても、違うと区別した上で共感し理解する。とても大人なやり方ですし、そうできればいいなと思っているのですがなかなか難しい…。
 でも、マインドフルネスで大事なのは、「できない」からといってジャッジしない。ただ、今の状態をあるがままに受け入れる。「できないからダメなんだ」と考えてしまうと、そこで心を閉ざしてしまう。考え方、認知に歪みがあると認識する…この辺りは認知行動療法と似ているかも。
 最後の章には、書く瞑想と呼ばれる「ジャーナリング」のテーマもあります。広いテーマなので、漠然としていて書きにくいな…と思ったのですが、わからない、書くことがなくても、それはそれで受け止める。「今、ここ」にいる自分を受け止めることが大事なんだなと思いました。それに気づくための様々な行動を実践してみています。


 次に読んだのがこれ。

「精神科医の禅僧」が教える 心と身体の正しい休め方


川野 泰周/ディスカヴァー・トゥエンティワン / 2018



 1冊目とテーマや書いてあることは似ています。大体同じかも。でも、1冊目はイラストが多くとにかく実践なのに対して、この2冊目は理論を説明して納得したところで実践例を挙げています。イラストは少なめ。でも、読みやすい本です。臨済宗の僧侶、お寺の住職で精神科医。仏教、禅の教えも所々に出てきますが多くはありません。それ以上に科学、心理学、医学寄りの本です。
 マインドフルネスが注目されている理由のひとつが、「レジリエンス(心の抵抗力)」の低下=「心が折れやすい」=「自己肯定感」が「低い」。「自分はダメな人間だ…」「何をやってもうまくいかない…」と思ってしまう。そこで、自分の今の感情をを丁寧に扱い、観察し受け止める。自分を慈しむマインドフルネスが有効とのこと。
 ひとつのことをしていても、他のことも気になってしまう。いくつかのことを同時進行で行う「マルチタスク」。頭が切れる、いいことのように思っていましたが、マインドフルネスの考え方では心が疲れる原因。せっかく心が落ち着き休まる場所…居心地のいいカフェや公園にいても、パソコンや携帯をチェックしたり、携帯のカメラで撮影してSNSにアップしたり(しかもその後反応が気になって何度もチェックしたり)…美味しいものやきれいな自然が目の前にあっても「今、ここ」に心が向いていない。まさに心ここにあらず。そういうことをやめて、「シングルタスク」にしっかりと集中する。仕事ならひとつひとつ片付ける。美味しいものやきれいな自然が目の前にあるなら、五感でじくりと味わい楽しむ。確かに、「シングルタスク」に集中している時は、心が疲れた感じがしない。楽しい。私の場合なら、黙々と手芸をしたり、声楽の練習をしたり、コンサートやCDなどで演奏をじっくりと聴いている時。洗い物や掃除、冬なら雪かきを黙々としている時も、大変ではあるけれどもやりがいを感じる。
 実践編の例はわかりやすい例えがよく出てきて、なるほどと思います。「ブラタモリ」や「孤独のグルメ」「ワカコ酒」もマインドフルネスの考え方の例になっているのだから面白い。
 マイナスの感情が起こった時に「思考」「感情」「身体の反応」と3つに分けて捉えてみる「3段階分析法」は簡単な認知行動療法と言えます。この本でも、マイナスの事実であっても、「良い/悪い」の判断(ジャッジ)を下したり、悪いものを打ち消すのではなく、「気づくこと」「受け入れること」を大事にしています。


 この2冊を読んで、マインドフルネスの考え方が少しはわかった気がする。ただ、理解するだけではなく、これらの本に書いてあることを実践して、「今、ここ」にいる自分に集中し、充足し穏やかな心でいられるようになる。ただ、1冊目の本に、マインドフルネスは万能薬でも魔法でもないと書いてある。すぐに効果が出るものでもない。これだけは注意したい。
by halca-kaukana057 | 2019-04-08 22:42 | 本・読書

ハリネズミの願い

 書店で、本屋大賞翻訳部門と紹介されていて、気になって読みました。翻訳部門もあるんだ。


ハリネスミの願い
トーン・テレヘン:作、長山さき:訳、祖敷大輔:絵 / 新潮社 /2016

 森に住むハリネズミは、自分のハリのことが大嫌い。他の動物たちとうまく付き合えずにいた。ハリネズミの家を訪れる動物は誰もいない。誰かを家に招待したら…と考えたハリネズミは、招待状の手紙を書いた。が、誰にも出すことが出来ない。ハリネズミは、自分の家を訪れるかもしれない動物たちについて考え始めた…。

 トーン・テレヘンさんはオランダ人で、医師であり詩人。娘さんのために、動物たちの物語を書き始めた。子どもも親しんで読める動物たちのお話ですが、深いです。

 ハリネズミは自分はハリを持っているから皆が怖がって近寄ってこないと思っている。ハリをコンプレックスと思っている。動物たちと仲良くできたら…と思っているが、招待状を出すという行動に移せない。招待状を書いても、「だれも来なくてもだいじょうぶです」なんて書いてしまう。そして、あの動物はこんな風に断ってくるだろう、あの動物がやってきたらこんなことを言うだろう…というネガティヴな憶測がどんどん膨らんでいく。ハリネズミの家を訪れる動物たちについて語られているが、彼らは実際にはハリネズミの家にやって来ていない。あくまで憶測、ハリネズミ自身の心配。その過度の心配をするハリネズミを、考え過ぎなんじゃないかと思いながら読んでいた。認知行動療法について学んだことがあるが、これは「根拠のない推論」じゃないか、これは「一般化のし過ぎ」なんじゃないかという視点でも読んでいた。ハリネズミは考え方のクセが相当強いな…と。

 でも、ハリネズミの気持ちはよくわかる。私も同じように思ったことが何度もあるからだ。誰かと仲良くなりたい。友達がほしい。友達ができて、その友達と遊びに行ったり、ゆっくり話をしたい。でも、遊びに誘ったら断られないだろうか。忙しくないだろうか。迷惑をかけていないだろうか。邪魔なことをしていないだろうか。やっぱり遊びに誘うのはやめよう…。こんなことがよくあった。他の人は、気軽に誘って、誘いを受けて遊びに行っている。自分はできない、情けない、と何度も思った。

 ハリネズミは、誰かに家に遊びに来てほしいと思うが、そのやってきた動物たちがハリネズミの望まない言動をするんじゃないかと気に病んでいる。そんな誰かが来るのを怖がり、家に引きこもって、ベッドの下に隠れるか、毛布をかぶってしまう。相手とどう付き合ったらいいかわからない。でも、無理もない。ハリネズミ自身、他の動物との接触を避けている。ハリネズミの自業自得だろうか。ハリというどうしようもできないコンプレックスに、どう向き合ったらいいかわからないハリネズミ。そんな「ハリ」のようなものを、誰しも抱えているのではないだろうか。

 ハリネズミの「ハリ」は、言葉とも考えられる。言葉は相手を思いやることもできるが、簡単に傷つけることもできる。ハリネズミの「ハリ」がいつでも相手を傷つけるわけではない。「ハリ」を相手に刺さないように扱うことも出来るはずだ。言葉も同じように。ハリネズミは、様々な動物たちの言動に困ってしまっている想像をしている。相手の言動で傷ついたなら、それを相手を傷つけないように言葉で話すことも出来るはずだ。でも、気弱なハリネズミはそれができない。この気弱な部分もよくわかる。

 14章、15章で、ハリネズミは「孤独」について考える。もし優しい誰かが来ても、「孤独」はそこに存在するだろう…。自分自身がいるから、「孤独」ではないんじゃないの…?この箇所が深くて、お気に入りです。21章のハリたちの話や、23章の自分の家の話も好きだ。ひとりでいれば傷つかない。ひとりでいれば一番いい。はず。でも、ハリネズミは誰かが家にやってくることを考える。ひとりでいること、誰かといること、「孤独」とは…。普段考えずにいることだけど、頭の片隅にはいつもある、何かのきっかけでそのことについて考えることになること。それを思い出させてくれる。考え過ぎると危険だけど、避けては通れないことだ。

 そんなハリネズミの堂々巡りを断ち切る出来事が起きる。甘いはちみつとあたたかい紅茶が似合う。最後の章が印象的だ。やっぱりハリネズミのネガティヴな憶測はまだ続いている。でもひとつだけ変わったことが起きる。心があたたまります。

 続編の物語も出ていて、読んでいます。
by halca-kaukana057 | 2019-02-24 22:25 | 本・読書

友だち幻想

 少し前から、この本が本屋で平積みになっていたり、紹介POPがついていたりするのをよく見ます。売り上げランキングでも上位。でも、この本、大分前に出ていた本のはず。と言いつつ読んでなかった。せっかくなので読みました。



友だち幻想
菅野 仁 / 筑摩書房,ちくまプリマー新書 / 2008

 2008年、10年前に出版された本です。でも、中身は10年経っても色褪せない。10年前はまだそんなに広まっていなかったSNSでも悩むことが書いてある。コミュニケーションツールは変わっても、コミュニケーションにおいての悩みは変わることはないのか…。

 「友だち幻想」とは、私たちが友達・親しさに抱く様々な「幻想」のこと。友達は大事、人と人との繋がりは大事、親友がほしい。でも、いじめや引きこもり、そこまで行かなくても、人間関係でのちょっとしたズレが心を悩ませることは多い。教育大学の社会学の先生が中高生向けに書いた本ですが、大人が読んでも勉強になります。とても興味深いですし、コミュニケーションにおいて「なんでこんなこと悩まなくちゃいけないんだろう」と思うモヤモヤが晴れる本です。

 人間関係、「他者」(自分ではない他の人全員。血縁関係にあっても「自分ではない他の人」)は脅威であると同時に、生のよろこびを与えてくれる存在でもある。二重性がある。その二重性に振り回され、人間関係で悩むことになる。あまり気が進まないけど参加していないと不安になる人との集まり(ママ友の集まり等)、メール即レス(今ならLINEの既読無視。他のSNSでも即レスを重視する文化はありますね)。更に、皆と仲良くしなければならないとい風潮。学校で植えつけられる考え方ですが、著者の菅野さんはこの考え方に警鐘を鳴らしています。皆の中に入れないと悩んだり、相性が合わない子がいるけど仲良くしなきゃいけないの?という悩みを持つ子が必ずと言っていいほど出てくる。この学校では皆と仲良くしなければならないという考え方は、昔のひとつの村に小学校がひとつあった歴史が関係しているのはなるほどと思いました。まさにムラ社会。

 ここで大事になってくるのが、他者との距離感。パーソナルスペース(物理的な距離でもあるし、心理的な距離でもある)という言葉もありますね。その人にとって他者との心地よい距離感は、人によって違う。友達や恋人で、その距離感が違うことでトラブルになってしまうこともある。これもわかる。友達とはいえこれは言ってもいいんだろうか、別の人たちは親密に仲良くしているけど自分はこれでいいんだろうか、と思うことはよくあります。

 そして、今の学校はフィーリングを一緒にして同じようなノリで同じようにがんばろうとする「フィーリング共有関係」で人間関係やクラス運営を成り立たせている。皆同じように考えて、同じ価値観を共有して、結びつきが強いんだよね、という考え方。ここから距離感や考え方がズレると、最悪いじめに繋がる。「フィーリング共有関係」ではなく、お互い最低限守らなければならないルールを基本に成立する「ルール関係」を基本に考えた方がいい。最低限のルールさえ守ればあとは自由。ここにも納得。
 フィーリングを第一に考えていると、違う、合わないと感じる人に対して、敵対心を持ったりする。でも、同じクラス、同じ職場にいなきゃいけない。合わないと思う人でも、並存はする。距離を置いて、態度を保留する。最低限挨拶はする。ここは本当に納得したところです。実際、合わない人と距離を置いて並存していても、何らかのきっかけで交流することがあって、やっぱり合わないと感じたり、言動にイライラしたり。フィーリングを持ち込んでしまっているんだな、と感じます。どう並存するか。この本ではそれ以上深く突っ込んでいませんが、別の本や、人に相談して方法を探っています。

 この本でもうひとつ、深く頷いたのが、「君たちには無限の可能性もあるが、限界もある」(115ページ)。子どもの頃には、可能性は無限だよ、努力すれば何でも出来るんだよ、と教えられますが、大人になるにつれて限界を知っていく。子どもの頃(学生時代)と大人(社会人)になってからのギャップで挫折する人もいる。子どもであっても、限界を感じ挫折した時にどう対処するか。それを教えていくのも大事、と。ポジティヴな面は強調し、ネガティヴな面は敬遠する…教えにくいのはわかる気がするけど、ネガティヴをどう処理するか。大人になるにつれて自分で自然に身につけろ、では酷。その挫折を乗り越えれば、新たな方向に進めるかもしれない。人生の「苦味」と「うま味」と表現していますが、そっちのほうが大人だなと思います。

 こう紹介していると、随分とクールな立場の本なんだな、と感じます。実際、クール、現実的です。青春学園ドラマのような教育に夢と情熱を持っている人にとっては拍子抜けすると思います。でも、決して「友達なんて全部幻想」「余計な人間関係を持つな」とか言っているわけではありません。生のよろこびを与えてくれる友情を築くために、「コミュニケーション阻害語」を紹介しています。「ムカつく」「うざい」など。異質なものを即遮断し(先述した通り、合わない人とは「距離を置いて、態度を保留する」無理に仲良くする必要はないけど、拒絶、敵対するものでもない)、思考を停止し、コミュニケーションを断絶してしまう言葉です。また、感情や論理を表現する多様な言葉を得、対話能力を鍛えるために、読書も大事だと言っています。この本の菅野さん考え方は、古今東西の哲学、社会学、教育学などの先人の本、思想を元にして書かれています。この本のあちらこちらに、様々な先人が登場します。やはり読書は大事なんだと思います。

 「苦味」を味わって、生のよろこびの「うま味」も味わえる、と。
10年前…と考えて、アニメ「電脳コイル」も約10年前だったなぁと思い出しました。SFの物語の中で、他者とどう繋がるか、考えたアニメです。
・「電脳コイル」最終回を観た後で:誰かへつながる細い道

NHK News Web : Web特集 : 「みんな仲よく」の重圧にさよなら
 この本がNHKのニュースでも取り上げられました。これを読んで、この本を読んでみようと思ったきっかけです。
by halca-kaukana057 | 2018-10-04 23:23 | 本・読書
 図書館の本棚を何気なく見ていると、時々ふと気になる本に出会います。この本は以前感想を読んで、それが頭の片隅にあった本。気になったので読んでみました。


大人になるっておもしろい?
清水真砂子/岩波ジュニア新書・岩波書店/2015

 10代の若い人たちに向けた「どう生きるか」を問う本です。でも、大人が読んでも面白い。寧ろ、大人が読むと忘れていたことや、かつて思ったことがあったけど心の奥底に押し込めていたことを思い出して、ドキリとするところが少なからずあると思いました。10代に限らない、10代特有のものでもないと思います。

 「「かわいい」を疑ってみない?」、「怒れ!怒れ!怒れ!」、「ひとりでいるっていけないこと?」など、10代でぶつかるであろう様々な心の動きを、時には挑発的にぶった切るように、時には古今東西の児童文学や様々なジャンルの本からヒントを引用してわかりやすく語ったり、意外な問題提起をしてみたり…読んでいて飽きません。著者の清水さんは「ゲド戦記」シリーズ他、児童文学を中心に翻訳をされてきた方。また、短大・大学で教鞭もとってらっしゃいます。20代の大学生との授業でのやり取りや、学生達とのふとした会話も取り上げているので、大人が読んでも面白いものになっているのだと思います。

 私は10代、20代のはじめの頃は、そんなに社会や大人に疑問を抱いたり、反抗したりすることはありませんでした。大人の社会に接する機会がほとんど無かったためだと思います。寧ろ、同年代や先輩・後輩と自分自身を比べて、自分の弱さ、不器用さ、頭の悪さ、リーダーシップや行動力のなさなどに落ち込むことが多かった。大学を卒業し社会人となり、この本で語られるような大人や社会に対する疑問や反論が出てきた。今も、あらゆる場面で、自分自身はどう生きるのか、この社会でどう生きるのか…疑問ややるせなさ、憤りを抱き、それらのやり場がなく心の中に溜め込んで苦しんでいることがよくあります。

 そんな私が苦しんでいたことに、この本がそっと、時にはガツンと答えてくれました。時には、反論したくなる箇所もあります。それも若者の新しい文化なんだ、など。「生意気」に。それも、この本に対してだったらいいのかな、と思います。この本はそんな感情を許してくれる気がします。

 どの章も印象深くて、書こうと思うと全部書くことになってしまうのでやめておきます。特に、「怒れ!怒れ!怒れ!」、「明るすぎる渋谷の街で考えたこと」、「心の明け渡しをしていませんか?」、「世界は広く、そして人はなんてゆたかなのだろう」、「動かないでいるって、そんなにダメなこと?」の章は心に強く残りました。「心の明け渡しをしていませんか?」では、何でも話さなくてもいいんだ、と安心しました。最近悩んでいたことにつながりました。「世界は広く~」で、何もかも嫌になり「どうせ」と思った時どうするかの答えはガン!ときました。私ならふて寝してしまうのですが、清水さんの考え方とエネルギーには感服しました。私の考え方・行動のパターンから、真似するのはちょっと難しいかもしれませんが、頭の中に入れておいて思い出すことはしたいです。自分の弱さや傲慢さを自覚するために。

 取り上げた本や映画のまとめもあって、読んでみたい、観てみたい作品も増えました。
by halca-kaukana057 | 2016-07-03 23:06 | 本・読書

夜と霧 (新訳)

 一昨年ぐらいからずっと読んできた本です。何度も何度も読んでいました。きっかけはNHK・Eテレ「100分de名著」で取り上げられたことでした。

NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧

諸富 祥彦 / NHK出版


 テキストに加筆修正、新たなコラムも付け加えた書籍版も出ています。私は読んでいませんが…テキストは読みました。「夜と霧」以外のフランクルの著書や、フランクルの思想に影響を与えたものなどの解説もあるので、先に本を読んでから、テキストは参考に…という形で読むほうが入りやすいかなと思いました。

夜と霧 [新版]
ヴィクトール・E・フランクル:著/池田香代子:訳/みすず書房/2002
(日本語版旧版:霜山徳爾訳/みすず書房/1985)

 十何年も前、読もうと思って図書館で借りたのだが、描かれている収容所での悲惨な光景に耐えられず、その時は途中でギブアップしてしまった。今回は本を買って、ゆっくりと読んだ。最初に読んだ時の悲痛さはやはり読んでいてつらいが、それ以上にフランクルがそんな過酷な状況でも自分や収容所の人々を客観的に観て、日々の出来事や心の中で起こっていることを冷静に記録していることに驚いた。そして、収容所ほどの酷い状況ではないけれども、私の日常でも同じようなことを思ったことがあり、特殊なものではないのかもしれないと思った。

 例えば、収容所に送られ、過酷な生活を強いられているうちに、正常な感情の動きがなくなってしまっていたこと。最初のうちは同じ被収容者が殴られたりしているのを見るのがつらい、耐えないと感じている。しかし、しばらく経つと目をそらすこともなく、何も感じない。嫌悪も恐怖も同情も憤りも何も感じなくなってしまったという。
 私も覚えがある。仕事で猛烈に忙しくとにかく仕事をこなすのが精一杯の時、ボロ雑巾のように疲れきってしまった時、さらに疲れが度を越してしまった時、喜怒哀楽を感じられなくなってしまっていた。「~するしかない」、他のことが考えられない。無味乾燥な感情…今思うと恐ろしい。

 また、隣で眠っていた仲間が夢の中でうなされていた時。フランクルは彼を起こそうとしたが、やめた。
その時思い知ったのだ、どんな夢も、悪夢の夢さえ、すんでのところで仲間の目を覚まして引きもどそうとした、収容所でわたしたちを取り巻いているこの現実に較べたらまだましだ、と……。
(47ページ)

 つらい日が続いていて、寝る時、「明日が来なければいいのに」と思うことがある。翌朝目が覚めて「朝になってしまった。また一日が始まるのか」と絶望的な気持ちになる。その気持ちに似ているだろうか。どんなに恐ろしい夢でも、「夢」。それ以上に恐ろしく苦痛な現実。「現実」は消すことが出来ない。空腹や痛み、寒さ、病気…ありとあらゆる苦痛が、心身を本当に襲ってくる。それに比べたら悪夢はまだまし…。いたたまれない気持ちになった箇所だ。

 そんな厳しい収容所生活でも、フランクルは人間の精神・内面は自由だと語る。収容所の中でも、その人がどんな人間であろうとするかは強制できない、と。フランクルは、書きかけの論文のことや、別の収容所に入れられた妻のことを思い、希望を持っていた。また、精神科医として被収容者や、元は同じ被収容者だったのに監督する立場になった「カポー」の一部の相談にものった。正常な感情の働きがなくなってしまったと思っていても、ふとした空や森の風景に心を動かされることもあった。気心が知れた仲間に、笑い話を作ろうと提案し、ちょっとしたユーモアで数分だけでも気持ちを軽くしようとした。このユーモアの話は、一歩間違うと死の危険が迫る、宇宙飛行士のミッションにも当てはまる。収容所と宇宙ステーション…全く異なる世界だが、苛酷な環境で死と隣り合わせという点は似ている。これも驚いた点だ。

 そして、フランクルが辿り着いた問いと答え…生きる意味とは何か。過酷な収容所の生活が、いつまで続くかわからない。自殺しようと思えば、鉄条網に走れば感電して遂げられる。収容所には自殺しようとしている人を助けてはならないというルールもあった。こんな状況で生きる意味などあるのか。努力も無駄だ…。そう絶望して、自殺や免疫力ががた落ちして病に倒れてしまった人々を見て、フランクルはこう答えを出す。
わたしたちが生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ、ということを学び、絶望している人間に伝えねばならない。
(129ページ)

 苦しみと向き合い、引き受け、とことん苦しむことも、何かを成し遂げるための可能性、とも述べている。フランクルは、書きかけの論文を書き上げること、フランクルに「生きていることにもうなんにも期待が持てない」と相談してきた仲間たちは、深く愛している子どもに会うことや、研究中でその本を完成させることを挙げた。
 「生きることは彼らからなにかを期待している」「生きていれば未来に彼らを待っているなにかがある」私は今、この問いに答えを出すことが出来るような、出来ないような…曖昧な答えはある。フランクルや上述した仲間のようにはっきりとした、毅然とした意思によるものではない…ほんの些細な、取るに足らないものだからだ。それでも、それが今の私の今の「人生が期待していること」「待っているなにか」なのかもしれない。苦しみ尽くして出た今の答えなら…。

 今年は戦後70年。アウシュビッツをはじめ、収容所の記録としてもこの本の存在は大きいと思う。だが、そんな厳しい時代と社会、環境を心理学の方向から見る、その中でどう生きるかという意味でも、読み継がれる本だと思う。

【参考リンク】
NHK:100分de名著:フランクル「夜と霧」
 ↑「100分de名著」番組サイト
朝日新聞:生きる意味に気づく 心療内科医・永田勝太郎さん
「あなたが人生に絶望しても、人生はあなたへの期待を捨てない。どんな人にも、固有の生きる意味がある」
「人間は誰しも心のなかにアウシュビッツを持っている。でもあなたが人生に絶望しても、人生はあなたに絶望しない」

 この記事で取り上げられた心療内科医・永田勝太郎氏に、フランクルが手紙であてた言葉。「心の中のアウシュビッツ」とは生死を分かつような苦悩のこと。アウシュビッツをはじめとする強制収容所はなくなったが、同じような苦悩は存在し続けているのだな、と…。
by halca-kaukana057 | 2015-04-16 20:48 | 本・読書

恋と病熱

 「海とドリトル」1巻と同時期に刊行された、磯谷友紀先生のもうひとつの作品。連載誌を読めなかったので、単行本化が待ち遠しかった。「本屋の森のあかり」「海とドリトル」とは世界観が全く違います。


恋と病熱
磯谷友紀/秋田書店・A.L.C.DXもっと!/2014

 兄弟姉妹が忌み嫌われるようになった世界。もし兄弟ができた場合は、内密のうちに子どもができない家庭に養子にだされることになっていた。学校入学を目前にして、クロエは、コランという兄がいることを母から告げられる。コランも学校に通っており、もしかすると会うかもしれない、でも近づかないように…と。クロエも兄がいることにショックを受ける。そして、入学…クロエは突然声をかけられる。眼鏡をかけた、足が悪い男…コランだった。会ってみたかったと言うコランを気味悪がるクロエ。一方、クロエの周囲では兄弟がいることが発覚した生徒のことが話題になっていた。兄弟という存在を気持ち悪がるクラスメイトたち。クロエも気持ち悪がっていたが、コランのことを思い出す。兄弟は「どうしようもなくお互い惹かれてしまうらしいよ」というクラスメイトの言葉が気になっていた…

 クロエとコランの兄妹の物語他、姉弟、三姉妹、兄弟の物語がおさめられています。兄弟姉妹が忌み嫌われる…兄弟がいるのは当たり前の時代を「前時代」と呼んでいるので、未来の世界の物語と思われます。

 私は一人っ子で、きょうだいはいない。子どもの頃から、きょうだいのいる友達から、「一人っ子はいいね」と言われてきた。部屋や両親、おもちゃやお菓子をひとりで独占できる。きょうだいで比べられることもない。「お兄ちゃん(お姉ちゃん)だから」と言われ責任を問われることもない。きょうだいケンカをすることもない。
 確かにその通りだ。一人っ子は自由だ。ひとり部屋を独占できる。お菓子も取り合いなどすることもなく、ひとりでゆっくり食べられる。おかげでマイペースな性格に育ったようだ(自分自身では、結構人に影響されたり、人と比較して落ち込むことが大人になってから多くなってきたと感じている)。でも、反対にきょうだいがいるってどういうことなのか、と考えることはよくあった。ひとりで寂しい時もある。一人っ子だって、「わがままだ」とか、「協調性がない」とか「自分の世界にばかり閉じこもっている」「人付き合いが下手」などと言われ続ける。きょうだいケンカって、どういうものだろうか。他のケンカと違うのだろうか。きょうだいで出かけたり、遊んだり、相談したり…そういうのは楽しそう、羨ましいなと思っている。でも、どうしようも出来ない。私にはきょうだいはいないのだから。

 なので、きょうだいとは何かがわかっていないので、この作品を読むのは少し難しかった。でも、きょうだいを「忌み嫌う」のはまた違う。一人っ子がいい、のではなく、一人っ子で無ければならない。この物語の世界で何故兄弟姉妹が忌み嫌われるようになったのか、説明されている部分もあります。何人も子どもを産むこと、兄弟姉妹がいることは「気味が悪い」。同じ母親のお腹から産まれ、似た遺伝子を持つことが「気持ち悪い」。子孫を残す…ただ残すのではなくより多く残す、という生物の生殖の目的から外れてしまっている。私のように、ひとりしか産まれなかったのだから、ではなく、ひとりだけ産むことが望まれる。現代でも、両親の仕事上の理由や経済的理由などで、意図的にひとりしか産まない(つくらない)ということはある。だが、この物語の世界はそれともまた違う。そんな世界観にまず驚きました。私の想像の及ばない世界。想像力の世界って凄い。

 きょうだいがいることを知って、忌み嫌いつつも気になってしまう。きょうだいを忌み嫌う社会に反し、きょうだいを大切にしようと主張するコミューンも出てくる。きょうだいで、産みの親に会いに行く。死んだ友人の弟にその姿を重ねる。
 きょうだいは「どうしようもなくお互い惹かれてしまうらしいよ」という言葉の通り、意味嫌っていても、無意識のうちに惹かれてしまう。その感情は、恋愛なのか、兄弟愛なのか。きょうだいという関係が成立しない社会、社会が成立させないこの世界では、恋愛にも似ているのかもしれない。…でも、私たちが通常イメージする「恋愛」とも違うような。

 「どうしようもなく惹かれてしまう」…言い換えると、「どうしようもなくお互いを想う」。この物語に出てくる登場人物たちは、それぞれのきょうだいのことを、忌み嫌っていても、どうしようもなく想ってしまう。気になってしまう。一緒にいたいと思う。それが徐々に「惹かれてしまう」のだろう。「どうしようもなく想う」気持ち…それは、恋愛だろうと兄弟愛だろうと同じことなのかなと思う。それが、忌み嫌われるものであっても、想いは止められない。病のように。

 止められない想いはどこへ向かうのか。どの物語も、はっきりとした結末は無く、余韻を持って終わります。想いにはっきりとした結末なんてない(失恋して、意図的に相手を忘れようとする場合や吹っ切れた場合とはまた違う)。誰かを想う気持ちは、空気のように漂いながら、見えなくてもそこにあり続けるのだろう。はっきりすることよりも、そんなはっきりしない、余韻が漂い続けることの方が多いような気がする。

 磯谷先生の作品に「屋根裏の魔女」という作品もあり、これも不思議な雰囲気の作品だったのですが、とても好きな作品です。この「恋と病熱」も。磯谷先生の不思議な世界、もっと読んで、味わってみたいです。
・その感想記事:屋根裏の魔女
by halca-kaukana057 | 2014-09-03 22:55 | 本・読書
 宇宙開発関係の本も積読状態で…消化せねば…。まずは、古川聡宇宙飛行士のこの本。

宇宙飛行士に学ぶ心の鍛え方
古川 聡/マイナビ・マイナビ新書/2013

 外は真空の宇宙空間。窓から見える地球はとてもきれいで、無重力(微小重力)も慣れれば楽しい…が、命の危険と常に隣り合わせの国際宇宙ステーション。そこで科学実験などの任務をこなし、長期滞在して仕事をしている宇宙飛行士たち。想定外のことが、命に関わる大事故に繋がる可能性もある。また、閉鎖環境で違う国の宇宙飛行士と何ヶ月も暮らさなくてはならない。宇宙飛行士にとって、様々なストレスにどう対応するかは大事な課題。古川さんが訓練やISS滞在で実際に体験したことを元に、想定外のことやストレスにどう対応するかについて書いたのがこの本です。

 まず、とても読みやすいです。宇宙開発・宇宙飛行の専門用語や専門知識もわかりやすく解説されていて、文章も読みやすく、すっと理解できます。どうやったらわかりやすく伝えられるか。これも、宇宙飛行士に要求されること。記者会見、講演会などでの一般の人や子どもたちとの交流・質問、宇宙飛行士同士・管制や関係者とのコミュニケーション。あらゆる場面で、どんなに難しいことや専門的なこと、宇宙開発関係の身内にしかわからないようなことを、宇宙飛行士はどんな人にもわかりやすく伝えなければならない。宇宙飛行中、宇宙飛行士同士や管制、地上スタッフとの交信・コミュニケーションでも、ちょっとの勘違いや思い込み、伝達事項の不備が、実験の成功を左右したり、命の危険に関わることにもなってしまう。古川さんに限らず、宇宙飛行士の皆さん全員そうですが、インタビューや講演、著書を読んでもわかりやすい。すっと心に入ってきて、理解出来る。「宇宙飛行士に学ぶわかりやすい伝え方」なんて本も書けるんじゃないか…と思ってしまいました。

 では本題。読んでみて、思ったのが、ストレスにどう対応するか…それは、ストレスを自分でつくらない、ストレスとして抱え込まない。

 例えば、「配慮はしても、遠慮はしない」。何かを聞かれたり頼まれたりすると、「断りにくい」と感じて本当は断りたいんだけど断れず、ストレスになってしまう…。自分が何か相手に聞いたり頼んだりする時に、断りやすいような配慮をすることで、そのストレスを回避できる。「とりあえず聞いてみる」「ちょっと聞いてみただけだから」と、自分も相手も配慮はする。遠慮して自分の感情を潰すことがないような配慮もする。

 他にも、古川さんが、若田光一宇宙飛行士から学んだという、「分からないことでストレスを溜めない」。分からない…これもストレスの元となる。分からないことが増え続ければ、心に重くのしかかる。その前に、分からないことがあれば、何でも人に、経験者に聞く。ISSに着いた時は手順書を読むよりも、前から滞在しているクルーに聞いたほうが早いし、実際手順書とは違うことになっている時もある。人に聞くことで、コミュニケーションにもなる。人に何でも聞く…現実の仕事では、うるさがられたり、「見て覚えろ」なんて言われるんじゃないか…。また、プライドや恥ずかしさが先行して人に聞くのをためらってしまうことも多い。それでも、まずは何でも聞いてみよう。逆に仕事に積極的だ、やる気がある、と好感を持ってもらえるかもしれない。
 こんな風に、自分からストレスをつくってしまいそうになるのを防ぐ、ということが多く、なるほどと思いながら読みました。
 コミュニケーションを積極的にとる、というのも、私にとっては確かにそうかもな…と思いました。私は落ち込んでくると、心を閉ざして、人とコミュニケーションをとろうとしない癖がある。周りで楽しそうに話しているのを見て、どうせ自分は関係ない、どうせ自分は話には入れない、どうせ自分はうまく話せない、どうせ自分の話なんて誰も興味ない、どうせ自分はつまらない人間だ…と、どんどん自分を卑下し追い込む癖があります。そして自ら孤独を選んでしまう。そんな時、ふとしたことで何気ないことを話して、心が軽くなったことが何度もあります。ストレスを自分でつくっていた、自分をストレスに追い込んでいたんだな…と読んで思いました。

 その一方で、自分ではどうしようもないストレスもある。2003年、スペースシャトル・コロンビア事故が起き、スペースシャトルの飛行は凍結。古川さんもいつ宇宙に行けるのか見通しが立たなくなってしまった。そこで、JAXAはロシアのソユーズ宇宙船にも乗れるように、ロシアでの訓練も受けるようにした。ロシア語に、スペースシャトルとは全く異なるソユーズの仕組み。更に、訓練や試験もNASAとは異なるロシア式。そんな慣れないことをしつつも、宇宙にいつ行けるのか…。不安を覚え、ストレスに耐える日々だったそう。それでも、今自分ができることをする、自分にコントロールできることをする、少しでも成果があれば認める、何のためにがんばっているのか理由をはっきりさせる、分からなくなったら立ち止まる、「がんばること」を目的にしない、先が見えない時はプロセスを楽しむ…これらの点は、今まさに私が思い悩んでいることばかり。宇宙飛行士の中には、宇宙に行かないまま退職してしまう人もいる…。また、古川さんもスペースシャトルの訓練は受けたけれど、搭乗する前にシャトルは退役。ISSへ行ったのはソユーズ宇宙船。宇宙飛行士でも、全てのことを叶えられるわけではないのだな、諦めることもあるんだな…と複雑な気持ちで、でも、宇宙飛行士も私たち一般人と同じ所もあるんだなと感じました。

 予想外のことが起こったり、次々と起こる難題に対処し続けて周りが見えなくなり、訓練ではパニックに陥ることもある。以前、NHKスペシャルで若田さんがISSコマンダーに選ばれるまでの訓練のドキュメンタリーをやっていましたが、訓練では次々と起こるトラブルに対処しようと焦り慌てていて、あの若田さんもパニックに陥ることがあるのか…と観ていました。そんな時、一歩引いて俯瞰して見る、全体を見て自分の位置を確認する、第三者の視点で見てみる。これも大事だなと思いました。また、想定外のどうしようもできないことが起こってしまった時は、ユーモアにしてしまうのも手だということ。そのユーモアの話で出てくるビデオがこれです。
With Apologies to Guitar Players & Music Lovers Everywhere


◇続編:Space Station Blues - The Sequel


 これは本当に見事だなぁと思いました。

 宇宙飛行士も人間。私は、ISSも宇宙も地上の一般の仕事の延長線上にあると思っているし、今はまだ遠いけれども、そのうちその延長線も地上に近くなっていくのではないかと思っている。この本を読んで、宇宙飛行士のストレスへの対処法、心の持ち方も、地上の延長線上にあると感じました。仕事そのものよりはかなり近い。宇宙開発で生まれた新技術や新素材を日常生活に活用する「スピンオフ」がありますが、これら宇宙飛行士のストレス対処法や心の持ち方も、ソフト面での「スピンオフ」と言えると思います。


 この本を読んだら、関連本、次に読む本はこれ。積読状態です…。

宇宙飛行士の仕事力 (日経プレミアシリーズ)

林 公代 / 日本経済新聞出版社



【関連リンク】
 この本に関連した、古川さんのインタビュー。
マイナビニュース:宇宙飛行士・古川聡さんが語るリスクとストレスへの対処法 - 「待つ不安、そして想定外の事態に対応するには?」
マイナビニュース:宇宙で働くって、怖くないんですか? - 宇宙飛行士・古川聡さんに聞いてみた
マイナビニュース:宇宙という舞台での国を超えた協力、そして宇宙ステーションに起こった危機とは? - 古川聡さん
by halca-kaukana057 | 2014-05-10 21:54 | 本・読書
 河合隼雄先生の本は、対談本を読んでいることが多いなと気がつきました。


心の深みへ 「うつ社会」脱出のために
河合隼雄・柳田邦男/新潮社・新潮文庫/2013(単行本は2002年・講談社)

 心理学・心理療法の河合隼雄先生と、ノンフィクション作家の柳田邦男さんの対談集。別々に雑誌に掲載されたものをまとめた本(第7話は書き下ろし)。驚くのが、最初の対談は1985年(雑誌掲載は1986年)、単行本として出版されたのが2002年。もう10年以上前の本だ。内容はノンフィクション。ノンフィクションで10年前となると、「古い」と感じてしまう。それだけ時代の、社会の流れがとても速いから。それなのに、読んでいて古さを感じさせない。わかるなぁ、そうだよなぁ、と思ってしまう。10年だろうが20年経とうが、人間社会や人の心が抱えている問題は変わっていない…解決されていないということだろうか。そして、もうこの世に河合隼雄先生がいらっしゃらないことも、何だか信じられなくなってくる。

 この本で、柳田さんのご子息が心の病を患い、自殺を図り脳死に至ってしまった…という話を初めて読んだ。このことに関しては、柳田さんは「犠牲(サクリファイス)」という本に書かれているそうなので、読んでみたいと思う。このご子息の死・脳死や、死にゆく患者たちの心の様子を追ったキューブラー=ロスのことを挙げながら、死と心にも迫る。「いかに生きるか」ではなく「いかに死ぬか」…死ぬのは自分がどうなるのかわからないから怖い、身近な人の死もつらい、死のことは出来るなら考えたくない、と思っているので読むのがつらかった。ましてや、柳田さんはノンフィクション作家として飛行機の墜落事故や殺人事件を追い、そして家族の自殺と脳死に向き合った…そんな状況に立たされたら、自分は受け入れられない、気が狂ってしまうのではないかと思う。

 それでも、死や死にゆく患者を取り巻く医療について語る河合先生と柳田さんの対談を読んでいて、「救いがある」と感じた。現代の医療は、昔では治せなかった病気も治せるようになった。脳死判定で臓器移植をして、移植でしか助けられない人を助けることも出来るようになった。でも、そこに患者本人や家族の「心」はあるのだろうか、医療は「心」に寄り添っているのだろうかと話す2人。読んで、同感だと思った。

 この本では末期ガンや脳死といった、医療の側では「もう治らない」ものを取り上げている。でも、ちょっとした風邪でも、日帰りで出来るような手術でも、病気の時は心細い。たいしたことない、すぐ治ると言われても、誰かにそばにいて欲しい、手術はやっぱり怖い、痛いのは嫌だ、などの不安や心配を抱えてしまう。これが「治らない」病気だったらどうなるだろう。残された時間を、不安なまま過ごしたくはない。あたたかい、幸せな気持ちで過ごしたい。家族や身近な人も、どう接したらいいかわからない。でも、残された時間を出来る限り長く一緒にいたいと思うだろう。そんな「心」に寄り添う医療…柳田さんの仰る「2.5人称の視点」を持つ。こんな視点を持って、提唱している柳田さんと、心理学者として「心」を見つめ続けてきた河合先生が語り合ったことが本になっている。これが「救い」だと思った。

 10年前も、そして今も、きっとこれからも、「心」は見えないけれども大事なものであり、人間にとって課題になると思う。キューブラー=ロスのところで出てきた「私の現実」などの、科学では割り切れない「心」のこと。科学ではわからないからこそ、個々人がそれぞれで向き合う…には難しすぎる現代に、この本があってよかったと思う。「心」をおろそかにしない。読みながら、私もモノやお金が無いと生活できない、と「心」をないがしろにしてきたと気づき、省みている。
by halca-kaukana057 | 2013-09-05 23:08 | 本・読書

好奇心のまま「面白い!」と思ったことに突っ込むブログ。興味の対象が無駄に広いのは仕様です。


by 遼 (はるか)
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