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 結構前に読んだのに、なかなか記事にできなかった。

 以前読んだ数学者・広中平祐さんの「生きること学ぶこと」(集英社文庫)。この解説を書いていたのが、指揮者の小澤征爾さん。二人は同時期にフランスにいて、同じ語学学校に通っていたことで出会い、それ以来の親友なのだそうだ。その二人による対談本があった。広中さんの「生きること~」も、かなり前に読んだ小澤さんの「ボクの音楽武者修行」も面白かったので、どんな対談になるのか気になり、読んでみた。

・小澤征爾「ボクの音楽武者修行」(新潮文庫):その人だから書ける物語を
 読んだ本3冊をまとめて書いた記事なのでこんな形になってます。ちなみに、この「ボクの~」は新潮文庫・夏の100冊フェアのリストにずっと入っていたのですが、昨年から除外。替わりに佐渡裕さんの著書が。小澤さんのも残して欲しかったなぁ。
生きること学ぶこと
 この本も、集英社文庫・夏の文庫フェア「ナツイチ」のリストに去年入っていて、それがきっかけで読みました。今年は入っておらず。集英社文庫は毎年入れ替わりが多いので、仕方ないかな。いや、残して欲しかった。


やわらかな心をもつ―ぼくたちふたりの運・鈍・根
小澤征爾・広中平祐・萩元晴彦/新潮社・新潮文庫

 この対談は、テレビ番組プロデューサーの萩元晴彦さんが制作した番組「オーケストラがやってきた」と「対話ドキュメント」で小澤さんと広中さんの対話を収録したものが元になっている。小澤さんがボストン交響楽団の音楽監督だった頃、1976年のもの。しかし、古さを感じさせない。

 対談の内容は、音楽から数学、2人が住んでいるアメリカのこと、出会ったフランスでのことや海外で生活するということ、教育、学ぶこと、両親や奥様など家族や生い立ち…非常に多岐に渡っている。こんなに話が広がるなんて、2人の相性が凄くよい、親友だからこそだと思うし、2人がそれぞれの専門である音楽と数学だけでなく幅広い分野に興味を持っていて詳しいからだと思う。話の幅は広くて、何が飛び出すかわからない。でも、浅くはなく深い。その深さは、2人の経験も交えて話しているのでしっかりしている。対談そのものが自由で、その自由さに驚きついていけなくなる(しかも文字が小さい、この本…)こともありましたが、そこはゆっくりじっくりと読んで、楽しみました。

 教育、学ぶことに関する部分は、熱心に読んでしまいます。2人とも、音楽でも数学でも第一線で活躍している方だけれども、そこに至るまでには様々な道を歩んできた。回り道もしてきた。それを、広中さんは「捨て石」と呼んでいる。囲碁で、その石を置いて、その石がすぐに結果を出すことはない。無駄かと思えるものでも、その時わからなかったものでも、後で生きてくる。親や教師に言われた言葉に、その時は何故こんなことを言われなきゃいけなんだ、わからない、と思ったものでも、後からその意味がわかる、納得することがある。捨て石を置く教育をする。それは、「何故勉強するの?」というよくある問いにも通じる。広中さんの「生きること~」で、広中さんは様々な数学者たちに出会い、師や先輩・後輩に学んできた。反抗することもあった。小澤さんも、師である斎藤秀雄氏や山本直純さん、カラヤンなど様々な音楽家に学んでいる。その教えは厳しいものであることもあった。それでも学び、新しいものをつくる。この本の中では、2人の学ぶこと、仕事についてあちらこちらで、本当に自由に語られている。2人の姿勢が、あちらこちらから伺える。

 印象的な箇所は、対談の最中、広中さん、萩元さん、小澤さんとご家族で遊園地へ遊びに行ったところ。そんなに目立った遊園地でもないのだが、小澤さんは心から楽しんでいた、というところ。園内でそんなにうまくはない(と書かれている)楽団が演奏をしているのだが、その演奏もリズムを取りながら聴いて楽しんでいる。どんなことでも、どんな時でも、目の前にあるものに集中して、楽しむ。文章から、小澤さんの楽しげな表情が伺えました。

 小澤さん曰く、数学者である広中さんは、音楽家だったら作曲家だと。確かに、新しい理論を組み立てるのは作曲家みたいだ。

 タイトルに「運・鈍・根」とありますが、これは、運、鈍感さ、根気。運と根気はわかるが、何故「鈍感」。これは広中さんの言葉で、「生きること~」にも書いてありますが、鈍感で、すぐに忘れてしまうからこそ、大切なもの、忘れてはいけないことを取捨選択できるのではないか、と。確かに、忘れることも大事。何でも覚えていたら、頭はパンクするだろうし、辛い思い出やちょっとした恥ずかしいことなどの忘れたいことを忘れられないのは困る。沢山のものに触れ、でも忘れる。忘れることも大事なのだな、と。私は何でも覚えておこうと思ってしまうので、そんなに気合入れ過ぎなくてもいいのかな。むしろ、覚えている=知っていることが、余計な先入観になってしまうことがある。それは厄介だ。

 対談が小澤さんの家で行われているので、時々娘さんが遊ぼうと話しかけてきたり、本当に自由な対談です。よく萩元さんはまとめたなぁと思います。読むなら3冊一緒にどうぞ。
by halca-kaukana057 | 2012-07-09 23:08 | 本・読書

生きること学ぶこと

 各出版社の夏の文庫フェアのリストに入っていて、気になった本です。タイトルからしてツボでした。


生きること学ぶこと
広中 平祐/集英社・集英社文庫

 著者の広中平祐さんは、数学者。”特異点解消”に関する研究・論文で、「数学界のノーベル賞」と呼ばれるフィールズ賞を1970年に受賞。広中さんが、子ども時代から、数学の道を志した学生時代、アメリカへ留学、そして数学の中でも代数幾何に重点を置き、さらに未解決の問題とされていたどんな次元の特異点をも解消する定理に取り組む。そして、その定理を発見・つくりあげるまでのことを、広中さんご自身の「学ぶこと」「創造すること」を中心に書かれているエッセイです。

 この本を読むまで、恥ずかしながら広中さんのことも、特異点解消の問題についても知りませんでした。1970年代にフィールズ賞を受賞した日本人がいたことすらも知らなかった。特異点とは何かについても、とっつきやすく書かれています。私は数学は苦手なのですが、「数学ガール」シリーズなどの数学に関する本を読むのは好きです。さらに、広中さんの半生を振り返った自伝や、そこから学んだこと、考えたことがとても興味深く、難しい内容でしたがじっくりと読みました。

 数学者たちの間でも絶対に解けないと考えられていた特異点解消の定理を発見し、フィールズ賞を受賞した数学者なのだから、とんでもない天才なのだろう、と思いきや、挫折体験や学問で苦労した経験が多く語られます。数学を志し、数学で生きてゆこうと決断するまでも、様々な失敗や試行錯誤があった。でも、それが後から生きてくる。私自身、迷うことが多いのですが、心強い言葉に励まされました。

 興味深かったのが、「仮説」を立てること。日本の学生に「君たちはどういうことを研究しているのか」と尋ねると、「代数を勉強しています」など今していることを答える。一方、アメリカの学生に尋ねると、それぞれの持っている仮説を説明する。仮説を立てて、色々演繹してみて、ダメなら仮説を変えてまた取り組む。日本の学生の場合はまず何か特定の分野を勉強して、ダメなら方向を変えて、新しい分野に決めていけばいいと考えている。自分の分野をまず決めるのではなく、「仮説」を立てて、それに合った分野を決めて探究してゆく。初め立てた仮説がダメでも、失敗しても(大抵は失敗するそうだ)、そこからまた新しい発見が得られる。なるほどと思いました。私も学生時代、自分はこの分野に興味があるからその分野に進んで、その中からさらに興味のあることを絞って取り組んでいました。現在、研究職ではありませんが、やはり何かをする時は分野をまず決めて、その中で考えることが多い。でも、それでは視野が狭くなってしまう。また、ひとつの分野ではどうしようもない問題に直面するかもしれない。まず仮説を立てて、演繹してゆく方法なら、いくつかの分野を横断して取り組むことも出来る。これは研究職だけでなく、一般の仕事にも当てはまると感じました。失敗してしまうかもしれない…という不安はあるけれども、勇気を持って、まずは仮説を持ってみる。何がしたいのか、何をどうしたいのか考えて、自分なりの考えを持って先へ進んでみる。面白いなと思いました。今、実践してみているところです。

 また、「ウォント(want:欲望)」と「ニーズ(needs:必要)」の違いも。似ているような言葉だが、「ウォント」は自分の中から出てきた必要性。「こんなものをつくりたい」「この学問をやりたい」「この仕事に就きたい」という意志が、創造を支えてくれる、と。これも興味深い。広中さんは、この本で、子どもの頃から出会った様々な人々についても語っています。両親、兄弟、親友、数学者たち…。時に厳しいことを言われ、落ち込んだり頭に来たりすることもあるが、謙虚に出会った人々の言葉や想いを受け止めている。受け止めて、学んでいる。この真摯さにも、いいな、見習いたいなと思いました。

 学生の頃に読みたかった本だと感じつつも、社会人になってから読んでもとても興味深い本でした。「生きること」も、「学ぶこと」にも、人生のどこで終わり、ということは無いのだから。生きている限り、学ぶこと、そして創造することも続いていくんだ。

 巻末の解説は、なんと小澤征爾さん。広中さんと小澤さんはフランス留学時代に知り合い、親交が深いのだそう。広中さんは、学生時代、クラシック音楽好きの友達がいて、彼の家に行くといつも何らかのレコードを聴いていた。また、ピアノを演奏していたこともある。そんなこともあって、小澤さんと仲良くなり、小澤さんの指揮するコンサートにも足を運んでいたそうだ。小澤さんの解説を読んでいて、何だか嬉しく、心温まりました。
by halca-kaukana057 | 2011-12-01 22:43 | 本・読書
 数学青春小説「数学ガール」シリーズ第3弾です。1・2作を読んでハマり、その間にこの3作目が出て続きを読むのを楽しみにしていました。


数学ガール ゲーデルの不完全性定理
結城 浩/ソフトバンククリエイティブ/2009

 副題になっている「ゲーデルの不完全性定理」。昨年読んだ「フェルマーの最終定理」(S.シン著)に少し出てきていたので、名前だけは知っていました。



・ゲーデルの第一不完全性定理
 ある条件を満たす形式的体系には、以下の両方が成り立つ文Aが存在する
  ・その形式的体系には、Aの形式的証明は存在しない。
  ・その形式的体系には、¬A(ノットA:Aではない)の形式的証明は存在しない。

・ゲーデルの第二不完全性定理
 ある条件を満たす形式的体系には、
自己の無矛盾性を表現する文の形式的証明は存在しない。
(309ページより。第一不完全性定理の括弧内は私による付け足しです)


 この2つの定理に出てくる言葉、例えば「形式的体系」や「文」、「不完全」は数学的な意味での使われ方をしています。数学が進み、様々な証明、公理(証明がなくても成り立つとみなす命題のこと)、命題(真偽が定まる数学的主張のこと)が生まれた。しかし、あまりにもたくさんありすぎて、矛盾が起きることがある。その矛盾をなくすため、数学を「形式的体系」で表現し、その完全性と矛盾がないことを証明しようとした「ヒルベルト計画」という研究が始まった。それに対してゲーデルは、この不完全性定理を発表した。「不完全性定理」という名前から、不完全な数学というのがあるのかな?と思ったのですが、その考えは間違い。「不完全」というのはあくまで数学上での用語であって、一般的な言葉ではない。読んでいて、あまりの用語の多さに頭がパンクしてしまったのですが、数学上の用語で「数学を数学する」ことも出来る面白さを感じました。

 私が数学が苦手だったことは、何度もこのブログで書いてきた。その理由はなんだろうと、この本を読みながら考えた。第一に、上記のような数学上の用語で考え、答えを出すことが苦手だった。数や記号を"言葉"とみなして、一般的な言葉に"翻訳"せず、そのまま読み解く。私は一般的な言葉に置き換えてしまって、一般的な意味を考えるけれどもわからず、数や記号・数式を"読むこと"が出来ず数学が苦手になってしまったのだと思う。
 そしてもうひとつ。私は数学に取り組む時、ある雰囲気を感じていた。ある問題があったとして、それを解けることを試されているような気がしていたのだ。黙って、何かに見られているような。第一の理由で書いたとおり、私は数学上の用語で読み、考え、数学上の用語で表現することが苦手だったので、問題が解けないことが多かった。だが、解けず間違った答えを出しても、どうしたら正しい答えを出せるのか何も教えてもらえなかった。問題そのものがわからない場合は、そのまま。置いてけぼり。
 私自身がわからないこと、間違った理由を突き詰めなかった姿勢が悪かったと思っている。しかし、数学上の用語になじめなかったこと、さらに問題を解けるか解けないか、黙って見られ試されているような雰囲気が息苦しくて、数学が苦手になってしまった(と、ようやく気づいた)。

 この本を読んでいて、その雰囲気を少しは感じるが、学生時代ほどではない。テストでもないし、受験のためでもない、読みたい・知りたいと思って読んでいるから辛くは感じない。ミルカさんの言うことは難しく厳しいけれど、解けなければ置いてけぼり…のような冷たい雰囲気ではない。"僕"が大事なことを見落としたり、テトラちゃんやユーリがわからないと言っても、ちゃんと待っていてくれる。考えるヒントを出してくれて、考える時間を与えてくれる。穏やかだ。この本を学生時代に読んでいたら、数学へのイメージや姿勢は少し違っていたかもしれない。学生時代を過ぎてしまってから読んだことが、悔まれる。いや、今からでも遅くはない。


 この第3作では、"僕"は私か!?、この本は私のために書かれたのか!?と思う場面がいくつもあった。ミルカさんに次ぐ数学マニアだと思っていた"僕"の挫折と苦悩。数学は得意だけど、自分の取り柄は何なのだろうと悩む。そんな"僕"への、テトラちゃんの励ましと、ミルカさんの憤り。ミルカさんが感情をあらわにするシーンの迫力とその言葉に、私もぶたれたようだった。
「きみが落ち込んでも、世界は何も変わらない」
「落ち込む自分に酔うな」
(295ページより)
自分にも、こういうことがよくある。例えば、テトラちゃんが数式になると理解できなくなると話しているのに対して、鍵盤ガール・エィエィがこう言う。
「音でしか表現できない世界がある――」
「ときどき、《音楽がわからない》という人がいる。うまく言葉にできひんことをすべて《わからない》と片付ける人やな。音楽を、そのまま味わおうとしぃひん。言葉にできなくてもいいんや。言葉にならんから、音にしてるんだから。言葉にしたがる人は、音を聞いてへん。言葉を探してばかりで、演奏者が生み出した、かんじんの音を聞いてへん。音が響く時間を、音が広がる空間を、味わってへん。言葉探すな、耳すませ!」
(104ページ)
この言葉に対して、私は考え込んでしまった。私も音楽は好きだし、下手だけど趣味でピアノも演奏する。いい音楽を聴いた時、自分のしたい演奏について考える時、言葉が出てこなくて困ることがある。音楽なのだから無理に言葉にしなくてもいい、と思いつつも、言葉にしようとする。そして自分は何をしているのだろうと、落ち込む。…一方、テトラちゃんはエィエィにバシッと言われても、落ち込むことなくエィエィの主張を受け取り、理解し、自分の言葉で表現した。これ以上音楽について語ると話がそれてしまうのでまたの機会にするが、テトラちゃん・ミルカさん・エィエィたちの鋭い言葉と、悩む"僕"に深く共感しながら読みました。悩みぬいた結果、ひとつの道を見つけた"僕"。ミルカさんの進路。これから物語はどこへ向かうのだろう。更なる数学の話とあわせて、続きが読みたい!

 今作は、これまでの2作よりもサクサクと読んでしまいました。でも、すっ飛ばして読んだわけではなく、内容が面白くて、考えながらでも次々と読み進めてしまった。これまではわからないことだらけで、読むのにとても時間がかかったのに。数学の雰囲気、表現に慣れてきたのだろうか。数学に親しめるようになってきたのだろうか。だとしたら嬉しい。あんなに苦手だった数学に、自分から向かっているなんて信じられない。

 ゲーデルの不完全性定理について、わかりやすく解説している文があったので、リンクを貼っておきます。
Yahoo!知恵袋:ゲーデルの不完全性定理をお教えください
by halca-kaukana057 | 2010-01-11 23:07 | 本・読書

フェルマーの最終定理

 「数学ガール フェルマーの最終定理」を読んだので、この本も読んだ。

フェルマーの最終定理
サイモン・シン/青木 薫:訳/新潮社・新潮文庫/2006







x^n + y^n = z^n (^nはn乗)
この方程式はnが2より大きい場合には整数解をもたない。

そして、
私はこの命題の真に驚くべき証明をもっているが、余白が狭すぎるのでここに記すことはできない


 たったこれだけの内容で、数学者や数学パズル愛好家を300年も悩ませてきた「フェルマーの最終定理」。そのフェルマーの最終定理について、大元となる古代ギリシアのピタゴラスから辿り、フェルマーを経て、1993年この大問題をついに解いたイギリス人数学者・アンドリュー・ワイルズや彼の周りの数学者たちを緻密に記録したノンフィクションです。

 この本の凄いところは、数式は必要最低限しか出てこないところ。数学の本となると、数式がいっぱい出てくるんだろうかと考えてしまう。「数学ガール」シリーズに出会って、数式がいっぱい出てきて理解出来なかったとしても必要以上に恐れない。ひとつひとつ紐解いて、わかるところをはっきりさせ、どうしてもわからない時は数式を眺めつつ物語を追う。この姿勢を身につけることが出来たので、数式が出てきても慌てないぞ…と思ったのですが、本当に数式が出てこない。高度な数学の専門用語も出てくるけど、解説がとても丁寧でじっくり考え、ひとつひとつ紐解きながら読める。図やイラストも豊富だし、何より文章そのものが面白く、読みやすい。フェルマーの最終定理やそれに関係する数式・理論に翻弄される数学者たちの姿が、ドラマティックに描かれている。数学の本、しかも300年間数学者たちを悩ませてきたあのフェルマーの最終定理の本と意気込んでいたのだが、「あれ?」と思ってしまった。そして同時に、数学の壮大な"世界"と歴史に魅了された。

 訳者の青木さんが「訳者あとがき」に書いているように、この本のはじめの方では「数学にくらべて自然科学は劣っている」と繰り返し強調されている。私も青木さんと同じように、「自然科学には数学とは違う面白さ、美しさ、よさがあるのに!」と感じたが、自然科学は数学なしには成り立たない。天文学も、数学がなければケプラーの法則だって存在しなかったし、ある天体までの距離を測ったり、その天体がどういう特徴を持っている天体なのか調べることも出来ない。工学の分野になるけれども、観測のための望遠鏡などの機器や、探査機も作れない。探査機を打ち上げるロケットの設計も、ロケットを打ち上げる方向も、角度や打ち上げ時間を決めることもできない。そして探査機が目標の天体に向かうための軌道計算も出来ない。やっぱり数学はすごい。湯川秀樹にはじまる"日本のお家芸"とも言われる量子論も、実験施設はなくても紙と鉛筆と、想像力と思考力、そして数式があれば理論を編み出すことが出来るそうだ。やっぱり、数学なしでは自然科学は成り立たない。そして、役に立たなくても数学・数論はその存在だけでも美しいと感じる。…参りました。

 物語は、フェルマーの最終定理の元となった「ピタゴラスの定理」と、ピタゴラスの功績・伝記から始まる。そして17世紀フランス、ピエール・ド・フェルマーは裁判所で役人として働いていた。その仕事の傍ら、数学を研究した。そして様々な問題を見つけては証明し、他の数学者に最新の定理を自身の証明なしで送りつけ、「できるものなら証明してみろ」と挑発ばかりしてイライラさせ、喜んでいたいたずら者でもあった。そのフェルマーが「フェルマーの最終定理」を発見し、それが息子の手によって出版される。あの思わせぶりな文章を付けて。全てはここから始まったのだ。

 その後、フェルマーの最終定理を解くべく、数学者たちの闘いが始まる。直接証明につながるような理論、直接は繋がらないけれども関係のある理論、それらを編み出した数学者たちのドラマに心を揺さぶられた。特に、女性ということで社会的になかなか認められなかったソフィー・ジェルマン。19世紀フランス、動乱の時代に生き、政治に翻弄されつつも数学では大きな功績を残したエヴァリスト・ガロア。そして20世紀、戦後の荒廃した日本で数学に新たな視点を持ち込み、フェルマーの最終定理解決への大きな足掛かりを作った谷山豊と志村五郎。彼らの波乱に満ちた生き様と、数学への情熱、そして試行錯誤を繰り返しつつも天才的な発想で、数学の新たな理論を切り開いた姿に引き込まれた。

 それらの数学者を経て、1986年、ワイルズがフェルマーの最終定理を解く作業に取り掛かった。10歳の時、図書館の本でフェルマーの最終定理に出会い、その問題を解くんだと決意した。ワイルズが自分ひとりでフェルマーの最終定理に挑んだ気持ちはよくわかる。誰にも邪魔されず、ひとりでじっくりと問題に取り組みたい。子どもの頃に魅了された問題に、何年かかったとしても自力でやってみたい。私は今ピアノにそれに近い状態で取り組んでいるけれども、それはこれまで多くの人が登った山。ワイルズは誰も登ったことのない山にひとりで挑んだ。その「静かな熱意」に感服する。古代から現代まで、様々な数学の定理・テクニックを駆使し、7年後ついにフェルマーの最終定理を解く。しかし、その後証明に欠陥が見つかり、数学者たちの憶測や噂の中でもがきながら、欠陥を修復しようと奮闘するワイルズ。手掛かりがつかめず諦めそうになるワイルズに、「諦めないで」と思わず声をかけたくなった。ワイルズに解いてほしい。そう願いながら、ワイルズがその欠陥を修復し、完全な証明を完成させたシーンには胸が熱くなった。ワイルズに盛大な拍手を送りたくなった。

 フェルマーの最終定理が解けたこと、谷山豊と志村五郎が打ち立てた「谷山=志村予想」が証明されたことで、数学の世界は大きく広がった。数学の歴史と、数学の様々な分野が関係しあって、フェルマーの最終定理と谷山=志村予想(理論)は証明された。壮大で、強固な伽藍をイメージする。しかし、数学にはまだ証明できていない問題がいくつも存在する。今も数学者たちは、それらの問題を証明しようと奮闘しているのだろう。彼らの情熱と努力が、いつか実を結ぶように、証明できなかったとしても大きな足掛かりができればと願ってやまない。

 そして、フェルマー自身はこの定理にどんな証明をもっていたのか。モジュラーも、谷山=志村予想も存在しない時代、どうやって証明したのか。証明できなかったので、あの思わせぶりな文章を書いて終わったのか。それとも、本当に驚くべき証明を持っていたが、彼のいたずら心がそうさせたのか。フェルマーの最終定理は解けたのに、まだ残る謎。本当にフェルマーという数学者は、いたずら者にもほどがある!と思わずにはいられない。

 以前読んだ小川洋子「博士の愛した数式」にも出てくる内容も数多く書かれています。実際、「博士の~」の参考文献の中にこの本もありました。「博士の~」を読んで面白いと思った方、是非こちらも。そして「数学ガール フェルマーの最終定理」もあわせてどうぞ。この本を読んだら「数学ガール フェルマーの~」を読むとますます理解が深まるし、私のようにその逆でも、「数学ガール」で理解できなかったことを補完出来た。3冊まとめてあわせてどうぞ!


 サイモン・シンの他の著作も読みたくなりました。新潮文庫から出ている「宇宙創成」、面白そうだ。
by halca-kaukana057 | 2009-12-04 22:57 | 本・読書
 以前読んだ「数学ガール」の続編です。

数学ガール フェルマーの最終定理
結城 浩/ソフトバンク・クリエイティブ/2008


 数学をこよなく愛する才媛・ミルカさんと、数学にハマり始めたバタバタっ娘・テトラちゃんと、数式を解くのが趣味の"僕"、さらに"僕"の従妹で中学生のユーリも加わり、さらに数学の森へ深く進みます。「フェルマーの最終定理」というと、「3以上の自然数nについて、x^n + y^n = z^n となる0でない自然数(x, y, z)の組み合わせがない」(^nはn乗)という数学史上最大の難問とされた問題。何度か耳にしたことはあったが、なにがどうして大問題と言われてきたのか、よくわからずにいた。

 「フェルマーの最終定理」とタイトルにあるので、最初からフェルマーの最終定理を証明していくのかと思ったら、"僕"とユーリの星に関する話、そして数学クイズから始まった。この数学クイズが面白くて、とっつきやすかった。中学生のユーリが加わったことで、高校の数学を忘れかけている数学音痴の私も、考えながら読み進められました。

 これまで、数学は物理学や化学、天文学など「自然科学」とはちょっと違うなと感じていた。天文学なら、望遠鏡で天体を観測し、そのデータを調べて研究する。自然に存在するものを観察して、研究するのが「自然科学」だと思ってきた。こうじゃないかと予想理論をたてることもあるけど、それを実証するために実験・観察する。でも数学は、数は自然に存在するけど、数は無限に作ることもできる。負の数や虚数など、自然界には存在しない数も作り出す。人間の手で作り出すことも出来る。そこが、他の「科学」とちょっと違うなと私は感じていた。

 でも、この本を読んでそれは違うとわかった。数にも素数や偶数・奇数など様々な性質がある。その性質を研究し、新たな問題を発見し、それを証明する。また、負の数や虚数も新しく「定義」されたものだ。新しく定義された数や数式を研究し、また新しい問題を見つけ、さらに定義する。第9章でユーリが言ったように、無理やりこじつけるのではなく、数式で定義する。定義することで、数学の世界はさらに広がる。数学も天文学に似ていると感じた。数学も、最初は整数しかなかった。それが負の数、虚数、複素数平面、幾何学的数論と進歩してきた。天文学も、最初は地動説すら信じられていなかった。それが地動説が証明され、太陽系の惑星がどんどん見つかった。冥王星が惑星から外れたように、観測・研究が進んで定義も変わる。さらに銀河や星雲、星団、ブラックホールなど様々な天体の観測・研究も進み、ハッブルが宇宙が膨張していることを発見し、ビッグバン理論が生まれた。そして今はダークマターの研究が進んでいるように。数学者は今、最前線でどんな研究をしているんだろう?きっとワクワクするような研究をしているに違いない。

 フェルマーの最終定理も、そんな数学の様々な理論、定義を総動員した定理だということが分かった。代数と幾何を関係づけるように、理論も関係づけて証明する。何度読んでも、楕円曲線やモジュラー、フライ曲線が何なのかはよく分からない。でも、ユーリと同じようにわからなくても話を聞いていたいとページをめくった。わからないけど面白い。不思議な感覚だ。

 第1弾では数学入門者だったテトラちゃんも、数学の面白さにハマってゆく。その一方で、その問題を解くカギは持っているのに解けない悔しさを味わう。わかる。何もわからないから解けないよりも、途中までわかっているのにわからないのが悔しい。また、今回ミルカさんはテトラちゃんやユーリに問題を出す。その問題に対して、反射的に「わからない」と言うのに対し、「だめ。ちゃんと考えなさい」とバシッと言うのにドキッとした。私自身、ぱっと見て難しそうだと思うと、反射的に「わからない」と思考停止してしまう。間違うのが怖い、考えようとしていない証拠だ。間違っても、途中までしか理解できなくてもいい。考えずに「わからない、無理」と言わず、まずは考える。まずわからないことをひとつひとつ洗い出し、解明する。そしてわかったことをひとつひとつカギとして考えてゆく。まずは考える。その姿勢が大事なんだ。どんなに難しい問題でも、まずは考える姿勢で挑む。そうミルカさんに教わった。ミルカさんに感謝したい。

 以前読んだ「博士の愛した数式」(小川洋子)でも出てきた「オイラーの式」(オイラーの等式)についても出てきます。ユーリと同じく、完全には理解できていないし、美しいのかどうかもよくわからない。でも、この式には面白いもの、不思議なものが詰まっている。数式にひきつけられる感覚が、少しだけ味わえた。シンプルでエレガントな数式か…。ワクワクする。

 全編にわたって宮澤賢治「銀河鉄道の夜」の一節が引用されていて、賢治好きとして嬉しくなりました。数学の旅も、宇宙の旅と同じぐらい不思議でワクワクする。そして今回は鍵盤大好き少女・エイエイの登場回数も多くて嬉しい。スピンオフ作品として、エイエイ主役で「鍵盤ガール」なんて読みたいな…なんて。演奏は楽譜をなぞるだけじゃない。作曲家が作品に音として込めた想いや、演奏の楽しさと苦悩。うん、読んでみたいな…。誰か書いて(そこまで考えているんだったら自分で書けと言われそうな…。)


 「フェルマーの最終定理」と言えばこの本も。

フェルマーの最終定理 (新潮文庫)

サイモン・シン / 新潮社


 歴史読み物感覚で読めるそうだ。買ってきた。さらに、第3弾「ゲーテルの不完全性定理」も発売。ゲーテル…聞いたことない。図書館に入るのが待ちきれないな。買っちゃおうかな。楽しみです。
by halca-kaukana057 | 2009-10-30 23:37 | 本・読書

数学ガール

 コミック版を読んだので、今度こそ読むぞ!と読んだ「数学ガール」原作。これまでのエントリで何度か話題に出しましたが、今日は(今日こそ)純粋に作品について書きます。


数学ガール
結城 浩/ソフトバンククリエイティブ/2007

 ストーリーはコミック版とだいたい同じですが、少し違います。"僕"と数学をこよなく愛する才女・ミルカさん、"僕"から数学を教えてもらっている後輩のバタバタっ娘・テトラちゃんとの、数学のある日常が描かれます。コミック版ではなかったテトラちゃんが"僕"に数学を教えてもらいたいと出した手紙、テトラちゃんとの出会いも。テトラちゃんと"僕"がどうやって出会い、数学を教えてもらうようになったのか詳しい経緯がコミック版では省かれていたので、やっと謎が解けました。さらに、コミック版ではテトラちゃんは数学初級者という感じに描かれていますが、原作ではかなり高度な数式にも取り組んでいます。驚いた。

 コミック版と原作を読んでみて、数学に対するイメージはやっぱり「難しい」。微分?Σ?log?高校でやったけど、よく思い出せない。冒頭の「あなたへ」にある通り、数式は眺めるだけで物語ばかりを追ってしまう部分も少なくない。でも、この数式はどこへ向かい、どこへ行き着くのか、続きが読みたいとページをめくる。はっきりと理解はできないけれども惹かれる、不思議な気分を味わった。きっと、学生の頃も同じことを思っていたのかもしれない。数学は私にとってとっつきにくくて難しくて、テストの点も悪いし苦手…だけど、わかるようになりたい。近づいてみたい。数学に今よりも少しでも親しめたらいいな、と。でも、私は学校の数学以上のことはしようとしなかった。学校の数学だけでも精一杯。宿題やテスト、受験対策もぎりぎり。結局、学生時代の数学と私の関係はそれだけで終わってしまった。

 今、「数学ガール」を読んで、数学に対する見方が変わった。わからないことは多い。わからないままにしていることも多い。でも、数学はわからないことが多いからこそ面白い。かつて無意識に抱いていた数学に少しでも親しめたらいいなという想いを叶えてくれたこの本に感謝したい。数学の魅力を教えてくれて、どうもありがとう。

 しかし、レオンハルト・オイラーはすごい数学者だったんだな。オイラーについて興味を持った。巻末の参考文献にある、オイラー関係の本を読んでみようかな。
 ちなみに、現在続編の「フェルマーの最終定理」を読んでいます。新キャラ・ユーリの登場で、第1弾よりもわかりやすいなと感じている。続編も面白い。数式はどこへ向かうのか、どんな謎が秘められ、何が見つかるのか。ワクワクしつつ読んでます。

 最後に、logは天文学でもよく使うのに…すっかり忘れている自分…ダメじゃんorz

[コミック版]数学ガール 上
[コミック版]数学ガール 下

 あと、作者の結城浩さんのサイトに、仮想トークイベントがありますのでこちらもどうぞ。もう読んでしまった方も、これから読もうと思っている方、なんとなく興味を持った方にも。
『数学ガール』トークイベント
by halca-kaukana057 | 2009-10-08 21:46 | 本・読書

博士の愛した数式

 コミック版「数学ガール」に続き、数学関係本をもう1冊。わりと有名な作品だが、「面白いのかなぁ…」と思って読まずにいた。でも、まずは読んでみる。



博士の愛した数式
小川 洋子/新潮社・新潮文庫/2005(単行本は2003)

 家政婦である"私"は、とある老人の家に派遣されることになった。その老人は数学の博士であったが、事故の後遺症で、事故以後の記憶が80分しかもたなかった。"私"と博士と、"私"の息子である「ルート」は博士と数学の話をしながら交流を深めてゆく…。

 私がこの作品を読まずにいたのは、「泣ける」とか「感動の物語」とかいう広告を見て、警戒していたからだ。あからさまなお涙頂戴ものは、正直言うと苦手だ。「絶対泣ける」と言われても、逆にしらけてしまう。そんな作品だと思っていた。

 でも、読んでみてそうではないと感じた。とても静かで、温かい作品だった。劇的なドラマが待っているわけではない(何度か物語の山はあるが)。博士と"私"の日常を描いた作品だ。ただ、博士は80分しか記憶が持たない。80分を過ぎると、また1からやり直し。"私"とも初対面の関係になってしまう。それでも、博士と"私"、そして"私"の息子の「ルート」は友情を育んでゆく。思い出は残らない。楽しいことも、辛いことも、博士の記憶には残らない。それでも博士は毎日を生きてゆく。思い出となる過去や、未来ではない、「今この瞬間」を生きているのだ。記憶に残らなくても、今この時間を大事に生きることが大事…。そう感じさせてくれた。

 そして、この物語の大きなカギとなるのが数学。博士にとって数学・数字は言葉。"私"に対しても誕生日や電話番号など様々な数を問い、その数が何なのかを語ってくれる。事あるごとに数学の奥深さ、面白さ、そして美しさを教えてくれる。「数学ガール」と合わせて読んで、私にとって数学は無味乾燥な数字の羅列ではなくなった。どの数・数式にも意味があり、物語があり、歴史がある。何気ない数字にも、隠された秘密がある。それを紐解こうとすることの面白さを、私も体験してみたくなった。数学ってすごい学問だ。

 とにかく物語の続きを読みたくて、一気読みしてしまった。数学と一緒に語られる野球の話も面白い。そういえば、映画にもなっていたっけ。映画版も観てみよう。
by halca-kaukana057 | 2009-08-31 20:58 | 本・読書
 青春数学小説のコミック版「数学ガール」の下巻が出ました。待ってました!

・上巻:[コミック版]数学ガール 上

数学ガール 下
原作:結城浩/作画:日坂水柯/メディアファクトリー・MFコミックス・フラッパーシリーズ/2009

 数学が好きな”僕”と、数学をこよなく愛し”僕”の憧れであるミルカさん。”僕”を慕う後輩のテトラちゃん。3人は相変わらず数学に向き合い、問題を解き続ける。そんな中で、少しずつ変化しつつある僕らの関係。そして、3人でフィボナッチ数列に取り組むことに…。

 上巻では”僕”とミルカさん、”僕”とテトラちゃんの関係が中心で、ミルカさんとテトラちゃんが言葉を交わすことはほとんどなかったのですが(むしろ、テトラちゃんが酷い目に…)、下巻ではその関係に変化が訪れます。確かに、女子ってちょっとしたきっかけで仲良くなったり、気まずくなったりすることがある。不思議なものだ。

 下巻で主に取り上げられるのが、「フィボナッチ数列」。隣接した2項を加えて、次の項を得る数式。この漫画を読んで初めて知りました。足していけば、どんどん数列が進んでゆく。面白い数列だなぁ。フィボナッチ数列について、3人がそれぞれ問題をもって取り組む。ひとつの数列があっても、それに対するアプローチの方法はいろいろ。”僕”は”僕”なりの、ミルカさんはミルカさんなりの、そして、テトラちゃんはテトラちゃんなりの。このマンガを読んでこれまでよりは数学に興味をもったものの、やっぱり数学はちょっと苦手…と感じる私は、”僕”やミルカさんのようにはなれない。でも、テトラちゃんのようにひとつひとつ、進んでいくことは出来る。数学って、近づこうと思えば近づける学問なのかもしれない。一見とっつきにくく見えるけど、じっくり付き合えばその魅力もわかってくる。数式のシンプルさ、美しさ。数という無限の世界にある、様々なルールを見つける冒険のような面白さ。数学が得意な人でも、「全てが一気にわかるとは限らない。これまで自分が知り得た手がかりを基にして少しずつ答えに近づくんだ」(64ページ)。そこが数学の魅力なんだと思う。

 そんな数学に、甘酸っぱい想いも歴史上の大数学者への想いも詰め込んで、解き続ける3人。とても魅力的です。ミルカさんはクールで無駄なことはひとつも考えていないようなのに、自分の想いは行動でさらっと表現してしまう潔さ…とてもカッコいいです。上巻ではテトラちゃんの視点で読むことが多かったのですが、下巻ではミルカさんにも親しみが持てました。どちらも可愛くて、一緒に勉強出来たら楽しいだろうな。ちくしょう、”僕”がうらやましいぞw

 さて、コミック版も読み終えたし、今度こそ原作「数学ガール」を読むぞ。今度こそは挫折しないぞ…!
by halca-kaukana057 | 2009-08-28 20:54 | 本・読書
 結城浩さんの数学小説「数学ガール」に興味がある。しかし、数ページ読んで挫折してしまった。数式がさっぱりわからない。高校の数学?ほとんど忘れた…。そんな時、この小説が「ふたつのスピカ」も連載している月刊漫画誌「コミックフラッパー」でコミカライズされて連載されていることを知った。漫画なら…。そんな希望を持って、手に取った漫画です。

数学ガール 上
結城 浩:原作/日坂 水柯:作画/メディアファクトリー・MFコミックス/2008

 高校生で数学が好きな"僕"は、数学に非常に詳しく、数学をこよなく愛するミルカさんに憧れている。"僕"とミルカさんは毎日放課後、図書室で数学の問題を解き合う。一方、"僕"は後輩テトラちゃんに数学を教えている。"僕"を慕うテトラちゃん。ミルカさんは"僕"をどう思っているんだろう?テトラちゃんが"僕"に伝えたいことは何なのだろう?ほのかな想いと、数式と論理がめぐる。



 漫画だと親しみを持って読めます。絵の力ってすごい。

 私は数学がとにかく苦手だった。小学校の算数から苦手だった。"数"というものに興味が持てなかったのだ。それでも、数学の授業はあるしテストもあるし、受験でも出てくるし(文系だったのでセンターのみではあったが)、避けては通れない。勉強はしてみる。問題の解き方はわかってくる。でも、テストの結果はいつもよくない。科学(このブログの通り特に地学・天文・宇宙)には興味があったので、理系に進みたいとも思ったが、数学がこれじゃあ…と諦めてしまった(理系クラスでは地学の授業が受けられなかったという理由もあるが)。大学に入ってからは、必要以上の数学はやらなかった。今は数学とは無縁の生活。でも、数学に興味を持って、数学が得意な人ってすごいな。自分とは全然違う思考の持ち主なんだろうなと思っている。近づけない。でも、近づきたい。そんな存在。だから小説「数学ガール」を読んでみたいと思ったし、挫折した時も自分にはやっぱり数学というものは無理なのかと落ち込んでしまった。そりゃあ、誰にだって苦手なもの、なかなか理解できないものはあるけれど…。


 この本を読んで、初めて知ったことがある。数々の数式とその考え方もだが、"数"に想いをこめてメッセージを私たちに送っている人もいる、ということだ。
数学の本には 数式がたくさん出てくるよね
その数式は 全て誰かが自分の考えを伝えるために書いたものなんだ
数式の向こう側に必ずいる 僕達にメッセージを送っている書き手が―――
数式には その書き手達の想いがこもっている
その想いを受け取りたくて 僕は日々数式と向き合ってる
せっかく数学に興味が出てきたんなら
その想いを君にも受け取って貰えたら嬉しい
(125~126ページより)

 私が文章や漫画、動画やアニメ、音楽や絵画、ダンスやスポーツなどを通して書き手・作り手の想いを考えたり、感じたりするように、数や数式に想いをこめる人もいたんだ。無味乾燥に見える数や数式にも、人によって書き方がある。この作品の中で、「数学は言葉を厳密に使う」と出てきたが、何故その言葉を使って問題を出したのか、何故その問題を取り上げたのか、何故その数式に取り組もうとしたのか。そして、何を伝えたかったのか。数学でもそれを表現することが出来る。すごいなと思った。「すごい」なんて、陳腐な言葉だけど、本当にすごいと思った。

 私にとって、テトラちゃんが数学を学んでいく過程はためになります。私もテトラちゃんになったつもりで、先輩"僕"の数学の話を聞いて、そうなのかとゆっくり噛み砕いていく。一方、数学が好き、得意な人はミルカさんの話に惹かれるんだろうな。原作小説に「数式の意味がよくわからないときには数式をながめるだけにして、まずは物語を追って下さい。」と書いてあるとおり、私はまだ眺めるだけだけど…。このタイプの違う2人の女の子を、"僕"を中心に対称の位置に置いてお話を進めるのがうまいと感じた。

 さて、ω(オメガ)のワルツのようにくるくるとめぐる3人の関係。ミルカさんと"僕"の関係は。そしてテトラちゃんは…続きが気になります!下巻も楽しみにしてます。物語と一緒に、数学ももっと楽しめるようになりたいな。

 コミックを全部読んだら、今度こそ原作に再挑戦しよう。
数学ガール
結城 浩/ソフトバンククリエイティブ/2007
by halca-kaukana057 | 2009-01-13 22:04 | 本・読書

好奇心のまま「面白い!」と思ったことに突っ込むブログ。興味の対象が無駄に広いのは仕様です。


by 遼 (はるか)
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