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 メッツァ&ムーミンバレーパークの旅の思い出、多分これが最後の記事。旅の楽しみはお土産。メッツァにはフィンランド、北欧のデザインプロダクトや雑貨がたくさんありました。ムーミンバレーパークにもフィンランドのムーミングッズが。買ったものの一部を紹介。

 まず、メッツァにて。
 マーケット棟2階の「北欧雑貨」にて。
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 フィンランドの旅行ポスター「Come to Finland」のポストカード。20世紀初頭から1960年代まで、フィンランドで旅行広告用に作られたポスターなのだそう。レトロでとてもお洒落なデザインです。デザインしたのは、フィンランドのポスターアートの巨匠・エリック・ブルーン(Erik Bruun)や、マリメッコのロゴをデザインしたヘルゲ・メーテル=ボリィストレーム(Helge Mether-Borgström)など。このポスターを観て、フィンランドに行きたいと思っていた人たちがいたんだと思うと、ワクワクします。

 マーケット棟1階、「LAAVU」にて。
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 スウェーデンの銀行がこどもたちにプレゼントするために、フィンランドにデザインを依頼して作られたゾウの貯金箱。今では人気商品です。そのキーリングです。貯金箱も大、小ありました。色はカラフルで、何色もありました。このNorsuのグッズは、別の色でストラップを持っています。今度はキーリング。ストラップとはちょっと違います。このコロンとしたゾウが可愛い。

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 これ!これには驚きました。フィンランド本国でもこれは売っているのかわからないのですが…(解説等は日本語だった)。フィンランド人の国民性を自虐たっぷりに、でも誇りを持って描いているコミック「FINNISH NIGHTMARES」、日本語版「マッティは今日も憂鬱」のマッティグッズです。ぬいぐるみキーチェーンとポストカード。ポストカードは何種類かあったのですが、私がこれぞマッティ、これぞフィンランド人と思うのはこのシーンかな。雨が降ろうが、パーソナルスペースはいつも通りの距離で。シャイで目立つのが苦手、静けさを愛し、パーソナルスペースは広め。それはどんな状況でも変わらない。そんなところに、フィンランド人の「倒れてもただでは起きない」根性、忍耐力、静かな強さを意味する「Sisu(シス/フィンランド魂)」も感じます。マッティグッズをそばに置いて、マッティのように憂鬱になりそうな状況下でもめげずに乗り越えていこうと思います。
マッティは今日も憂鬱
マッティ、旅に出る。 やっぱり今日も憂鬱 FINNISH NIGHTMARES 2
・「Sisu」についてはこちらを:フィンランドの幸せメソッド SISU(シス)

 あと、「LAAVU」ではフィンランドのお酒も売っていました。以前飲んだロンケロ(オリジナル ロングドリンク)もありました。買いました。やっぱり美味しいです。その他にも、「upcider」というシードルもありました。これもハートウォール社。写真はありません。宿で飲んでしまいましたw「upcider」も美味しかった。グリーンペアとアップルの2種類あります。
 クルタスクラーのチョコレートも売っていたのですが、家に着くまで溶けずに持ち帰れるか自信がなかったので買いませんでした。残念。Fazer社のチョコレートはミントでコーティングしたもの以外は売ってなかった。ゲイシャチョコとかあればいいなと思っていたのに。今度はもっと涼しい季節に行こう。
 サルミアッキがあるか期待したのですがなかった。何も知らずに買って、酷い目に遭ったら災難だからか?期待したんだけどな…。
フィンランドの定番カクテル「ロンケロ(Lonkero)」を飲んでみた
フィンランドのチョコレート クルタスクラー(Kultasuklaa)

 次はムーミンバレーパーク。ムーミンバレーパークはポストカードが充実しています。ポストカード大好きです。
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 ムーミンバレーパーク製のものと、フィンランドから輸入したものが一緒に売られています。これはフィンランドから輸入したもの。裏を見るとわかります。お祝いなど、メッセージカードにもなっています。

 Fazer社のものがありました。
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 ムーミンビスケット。缶入りのものもありましたが、これは箱入り。箱はこのムーミンと、もうひとつスノークのお嬢さんのデザインがあります。中身は一緒だと思います。中はムーミンのキャラクターの形をしたシンプルなビスケットです。
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 箱の横にはこんなフィンランド語が。訳すと、菜種油を使ったこどもたちが大好きなムーミンのクッキーです、とのこと。

 以上、フィンランド製のお土産でした。特にムーミンバレーパークのお土産屋さんはとにかく混んでいたので、お店の中のどこに何があるか把握するのが大変でした。メッツァの北欧雑貨も混んでいた。今度は空いている時にゆっくり見たい。

【過去記事】
日本のフィンランド? メッツァ&ムーミンバレーパークに行ってきた
【メッツァ&ムーミンバレーパーク】フィンランドの美味しいもの
ムーミンバレーパークを歩く

by halca-kaukana057 | 2019-09-24 23:18 | フィンランド・Suomi/北欧
 飯能市のメッツァ&ムーミンバレーパークの旅の思い出の続き。ムーミンバレーパークを歩きます。

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 入り口。ムーミンとリトルミィがお出迎え。入り口付近には、インフォメーション、お土産屋さん、パンケーキ屋さんがあります。パークの中心地まで少し歩きます。離れています。パークを出る時まで入り口付近には戻ってこられなかったので、このあたりのことはよくわからず。パンケーキ屋さんに入ってみたかったな。

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 パークのベンチには、ムーミン作品の中の名言が書かれたプレートがあります。あちらこちらにあるので探してみてください。日本語の下は原語のスウェーデン語。作者のトーベ・ヤンソンの母語であり、作品の原語であるスウェーデン語。トーベ・ヤンソンが生まれ、生きたフィンランドのフィンランド語。パークの中にはこの2つの言語が入り交じっています。パークの施設の名前などはフィンランド語ですが、展示体験施設「コケムス(Kokemus)」(これはフィンランド語)の中の展示にはスウェーデン語も使われている。フィンランド語なら読めるのですが、いきなりスウェーデン語が出てくると読めない…。

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 ムーミンバレーパークのシンボルと言えば、このムーミン屋敷。原作の通り、そのままに再現されています。これを見て、ムーミンの世界にやってきたんだと実感しました。中はアトラクションとして、ガイドツアーで入ることができます。中も原作のままでした。ムーミンたちがさっきまでそこにいて、生活しているような雰囲気があります。

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 中のことはネタバレにもなるので書くのは控えたいのですが、これだけ。テーブルの上に楽譜がありました。「ILTALAULU」夕べの歌。誰が演奏していたんだろう。

 アトラクションは他にも、「リトルミィのプレイスポット」「海のオーケストラ号」と、シアター型のものが2つ。ミィのは遊び心に溢れていて楽しかった。先日Eテレで放送された新アニメ「ムーミン谷のなかまたち」1話では、ムーミン屋敷とムーミンたちの暮らしを荒らし回る。そんなところにイライラするのですが、何故嫌なことを嫌と言わないの?自己主張しないの?と言うミィにはその通りだと思ってしまった。憎めない存在なんですよね、ミィ。
 「海のオーケストラ号」はその名の通り、「ムーミンパパの思い出」で出てくるあの船。若き日のムーミンパパと冒険に出発です。とても映像がきれいで魅了されました。様々な仕掛けも楽しめました。ここはおすすめ。
 無料で観られるムーミンたちの劇「エンマの劇場」。写真では着ぐるみのムーミンたちに違和感を覚えましたが、動いているのを観ると自然に見える。不思議。随分背の高いミィだなぁと思っていたミィもすんなり受け入れられた。スナフキンはかっこいいです。
 スナフキンはパークの中で偶然会えるかもしれない。私も会えました。
 後は「飛行おにのジップライン」これは私は見るだけ。宮沢湖の上を飛んでみたい方はどうぞ。

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 メッツァからも見えた灯台です。この先にはスナフキンのテントがあります。山の方に登っていくと、おさびし山に。ツリーハウスのアスレチックがあります。こどもたちで賑わっていました。

 どこも、ムーミンの世界を大事に再現した施設でした。「コケムス」の中の展示、ムーミン谷のジオラマがすごいです。ムーミン物語の世界が細かく再現されています。ジオラマはじっくりと観てください。どのキャラクターがどこにいるか、何をしているかがわかると感動します。
 つまり、行く前にムーミンの物語を読んでいくと感動しっぱなしです。でも、帰ってからの方が物語を読み返したくなります。小説だけで大丈夫です。コミックスはあまり出てきません。

 あと、メッツァもですが、ムーミンバレーパークも自然に恵まれていて、自然を満喫できました。

 ムーミン谷を歩きました。また来たいです。

【過去記事】
日本のフィンランド? メッツァ&ムーミンバレーパークに行ってきた
【メッツァ&ムーミンバレーパーク】フィンランドの美味しいもの
by halca-kaukana057 | 2019-09-22 22:07 | フィンランド・Suomi/北欧
 先日河合祥一郎さんによる新訳を読んだ「ドリトル先生航海記」。新訳で読み直すきっかけになったのが、この福岡伸一さんによる新訳が文庫で出たことでした。


ドリトル先生航海記
ヒュー・ロフティング:著、福岡伸一:訳/新潮社、新潮文庫/2019 (単行本は2014年)


 子どもの頃、井伏鱒二訳の岩波少年文庫の「航海記」を読んで、ドリトル先生に魅せられてしまった福岡先生。ドリトル先生のような博物学者になりたいと思うようになったそう。
 河合祥一郎さんの新訳で、井伏訳ではイギリスの文化・慣習がまだよく知られておらず削除された箇所があると知りました。この福岡訳では、その部分も勿論そのまま、原著初版に忠実な翻訳を目指したのだそう。英語でも「航海記」は、差別的な表現があると削除、改変されてきたのだそうです。現在、日本でも言葉の一言だけに過敏に反応してしまう残念なことが起きています。あとがきで福岡先生が書いている通り、物語全体を読めばドリトル先生がどんな人なのか、ドリトル先生を通してロフティングが伝えたかったことは何なのかわかるはず。物語が書かれた当時は仕方なかった表現であって、でもその表現だけに気をとられてドリトル先生のメッセージを読み取らない…きっとドリトル先生は怒ると思います。残念がると思います。「航海記」からはトミーが語り手になっているからトミーもか。
 井伏訳岩波少年文庫では、ロフティング自身の挿絵を載せていますが…カットされた挿絵がありました。何故この挿絵をカットしたのだろう、と思います。他の絵とタッチ、画材が違うからだろうか。これはきっとカラーで描かれたのだと思う。カラーの絵も見てみたかった。

 「航海記」は、これで3つの訳で読みましたが、「ドリトル先生」、そして「航海記」は本当に面白い。大好きな作品だと実感しました。やはり、ドリトル先生の人間性に惹かれます。そして、学校にも行けなかった少年トミーが、ドリトル先生と知り合い、助手になり、一緒に冒険の旅に出る。こんなにワクワクすることはない。動物と話のできるドリトル先生は、人々の固定観念をいい意味で破壊していく。ペットを飼っている人なら、うちの子は人間のことをどう見ているのだろう?「人間様」なんて皮肉って見ているんじゃないか、と思ったことがあるかもしれません(私も子どもの頃インコを飼っていて、そんなことを思っていました)。動物の前では、人間は偉いんだ、動物は下等なんだと横柄な態度を取っている「人間様」もいる。そんな「人間様」の本性を暴いてしまうドリトル先生。とても痛快ですし、生物、命は皆平等なんだと実感します。

 福岡先生の訳は、「児童文学」のジャンルと捉えられていた「ドリトル先生」を、「文学」として楽しめる訳になっていると思います。井伏訳では一人称は「わし」だったドリトル先生。そういえば。それが、「わたし」になるだけで、随分変わる。ドリトル先生がどんな人か、イメージが変わってしまう。物語を追っていくと、「わたし」の方がしっくり来るなと思います。ドリトル先生は小太りですが、闘牛のシーンにしろ、遭難のシーンにしろ、クモサル島での戦いのシーンにしろ、結構体力もあるし運動神経もいいのではないのかと思う。

 ドリトル先生の助手となり一緒に旅に出たトミー。ドリトル先生やオウムのポリネシアの元で字や算術、動物の言葉を学ぶ。ドリトル先生の元で成長を実感し、自信をつけていく。しかし、船が遭難した際、ドリトル先生と離ればなれになってしまう。その時の不安の表現は、トミーはまだ子どもなのだと思う。
 先のシリーズになってしまうが、月3部作では、ドリトル先生はトミーのことを案じてトミーを置いて旅に出ようとする。しかし、トミーはこっそりとついて行く。ドリトル先生がトミーが付いてきたことを知った時安心していた。また離ればなれになった際、トミーはドリトル先生のことを心配しつつも自分にできることをしていた。
 「航海記」ではトミーとドリトル先生の冒険は始まったばかりだが、トミーがいてこそ、ドリトル先生は旅に出られるのだと思う。少しの間だけ離れた2人だが、2人の絆の深さを実感する。

 ドリトル先生は、誰にでも親切で、人道的で、公平。クモサル島で王様になってしまったドリトル先生は、住民たちのためにあらゆることをする。島の住民は火を知らず、食物を調理して食べることを知らない。文明というものを教える。しかし、ドリトル先生は博物学者としての研究ができなくなってしまった。そんなドリトル先生をあわれみ、何とかクモサル島を脱出してイギリスに帰らせたいポリネシア。ドリトル先生をイギリスに帰る気にさせるも、王様になった限りはその務めを果たしたい。住民たちを豊かにしたい。自分がいなくなったら、またこの島は文明と切り離されてしまう…。ドリトル先生が島から離れることを決意し、島を去るシーンが印象的だ。今回は、このクモサル島での暮らしと別れが強く印象に残りました。

 あとがきを読むと更に楽しめます。パドルビーはどこにあったのか。「Do little, Think a lot」の意味するもの。そういう読みがあったのか。とても面白いです。「航海記」だけじゃなくて、ドリトル先生全シリーズの新訳を出してくれないかなぁ、新潮社さん。

【過去記事】
・河合新訳・角川つばさ文庫:ドリトル先生航海記 [河合祥一郎:新訳]
・井伏訳・岩波少年文庫:ドリトル先生航海記
by halca-kaukana057 | 2019-09-05 22:19 | 本・読書

ユルスナールの靴

 須賀敦子さんの作品を。生前最後の作品だそう。


ユルスナールの靴
須賀敦子/ 河出書房新社、河出文庫/1998(単行本は1996)


 20世紀フランスの女性作家、マルグリット・ユルスナール。「ハドリアヌス帝の回想」、「アレクシス、あるいは虚しい闘いについて」、「黒の課程」、「東方綺譚」、「なにを?永遠を」などの著作がある。第二次世界大戦の前にパートナーの女性に誘われアメリカへ渡った。ユルスナールの作品を愛する須賀さんが、ユルスナールの足跡を追い、須賀さん自身の人生に重ね合わせる。

 マルグリット・ユルスナールのことはこの本で初めて知りました。どんな作家なのか、どんな小説なのか、さっぱりわからないので読んでもよくわからないところがたくさんあった。でも、須賀さんがユルスナールのことが好きで、ユルスナールの文章、作品が好きで、それを追いかけていきたい、というのが伝わってくる。

 この本はこのように始まる。
 きっちり足に合った靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ。そう心のどこかで思いつづけ、完璧な靴に出会わなかった不幸をかこちながら、私はこれまで生きてきたような気がする。行きたいところ、行くべきところぜんぶにじぶんが行っていないのは、あるいはあきらめたのは、すべてじぶんの足にぴったりな靴をもたなかったせいなのだ、と。
(9ページ)

 わかる、と思った。「靴」は実際の靴そのものでもあるし、機会、チャンスとか、様々な手段、境遇、環境…様々なものに置き換えることができると思う。ユルスナールについての本なのに、何故こんな文章から始まるのか。靴の話からユルスナールの話にどうつながるのか。そう思って読んでいくと、ユルスナールは須賀さんにとってとても大きな存在なのだと思う。須賀さんにとって目標であり、理想であり、深く深く共感できる存在なのだと思う。
 とは言え、須賀さんがユルスナールの作品に出会ったのは、そんなに昔ではなかった。

 だれの周囲にも、たぶん、名は以前から耳にしていても、じっさいには読む機会にめぐまれることなく、歳月がすぎるといった作家や作品はたくさんあるだろう。そのあいだも、その人の名や作品についての文章を読んだり、それらが話に出たりするたびに、じっさいの作品を読んでみたい衝動はうごめいても、そこに到らないまま時間はすぎる。じぶんと本のあいだが、どうしても埋まらないのだ。
(31ページ)

 ユルスナールはそんな存在だったという。でも、読んだらぐいぐいと惹かれていった。ユルスナールを追って、イタリアやギリシア、アメリカも訪れる。自身とユルスナールを重ね合わせる須賀さん。様々なものごとを消化(昇華)できなかった須賀さんの過去を、ユルスナールが紡いだ言葉がほどいていく。本を読んで、自分の過去や境遇と重ね合わせることは私もある。何かを経験した後、あの本のようだなと思うこともある。でも、須賀さんがユルスナールの作品に思うことはもっと深い。須賀さんとユルスナールが静かに対話しているように思う。

 須賀さんは、ユルスナールを追うだけでなく、「ユルスナールのあとについて歩くような文章を書いてみたい」(256ページ)とこの本につながった。同じ作家、物書き、言葉で生きている2人だからこそできることだ。本文中でユルスナールの各作品の一節が引用されていて、雰囲気は感じられる。でも、ユルスナール作品を読んだらもっと楽しめるし、深みを感じられるのだろうなと思う。日本語訳が結構出ているので読んでみたい。上記引用のように、なかなかたどり着けないかもしれないけれど…。須賀さんの本は読んでいて、静かな、凪いだ気持ちになれる。私も、そんな文章を書くなり、歌を歌いたい。
by halca-kaukana057 | 2019-08-09 22:48 | 本・読書
 福岡伸一訳の文庫版が出たので、河合祥一郎訳の方も「月3部作」と合わせて読みました。久々の「ドリトル先生」シリーズ。



新訳 ドリトル先生航海記
ヒュー・ロフティング:著、河合祥一郎:訳、patty:イラスト/アスキー・メディアワークス、角川つばさ文庫/2011


 「航海記」の前に第1作「アフリカ行き」も再読すればよかった。アフリカに帰ったオウムのポリネシアとサルのチーチー、アフリカからオックスフォード大学に留学しているバンポ王子、彼らのアフリカでのことが繋がってくる。ムラサキ極楽鳥のミランダと、この「航海記」のキーパーソンとなるロング・アローのことも。でも、そういう細かい部分が分からないままでも、「航海記」は面白い。靴屋の息子のトミー・スタビンズがドリトル先生に怪我をしたリスを診せることで、助手になることに。この「航海記」からトミーが語り手になる。「月3部作」ではもう立派な博物学者、獣医の助手になっているが、「航海記」では博物学のこともよくわからない。でも、海を越えて遠くへ行きたい、冒険したいという少年の純粋な好奇心に、読んでいる側もワクワクする。海を越えて遠くの国へ行きたい…日本と同じ島国のイギリスだからこそ、わかる気がします。知らない世界は陸続きではなく、海の向こうという考え方にワクワクします。

 ちなみに、「アフリカ行き」での最大の問題、井伏鱒二訳の「オシツオサレツ」を新訳ではどうしたか。それは読んでのお楽しみ。やっぱり「アフリカ行き」も読まないと…。

 航海に出るまでの話が長いが、重要な要素だと思う。ドリトル先生が動物と話ができるというだけでなく、とても人道的で親切で、正義感があり、動物の命と同じように人間も大事にする。航海に出て、クモザル島での話にも関わってくるが、権力にひれ伏したり権力を強引に行使するのではなく、人間も動物も皆平等な命であり、権利を持っていると考えている。その一方で、私利私欲、我がままを押し通そうとするものや、動物を大事にしないものにはとても厳しい。欲がない、利益を求めないので、お金には困ってばかりだが、それでもうまい具合に進んでしまう。人徳のあるドリトル先生だからこそなのだなと思う。

 トミーの両親とドリトル先生のシーンもいい。大人同士の話になりがちだが、子ども、トミーのことを両者ともよく考えている。ドリトル先生は音楽も好きでフルートが得意というのもいい。ドリトル先生、不足しているところは何もないじゃないですか。お金には縁がない、ぐらい…?

 ドリトル先生は常に新しいことを学ぼうとしている。「月3部作」では昆虫の言葉を研究していたが、「航海記」は海らしく貝の言葉。ドリトル先生は様々な動物、生物の言葉を研究し、学び、習得する。外国語を学ぶのは難しい。文法もだし、発音も難しい。フィクションとはいえ、ドリトル先生はそれを独学でやってのけてしまう。トミーも、ポリネシアに教えられて、まずは英語の読み書き(トミーは貧乏なので学校には通えなかった)、そして動物の言葉を学び始める。「月3部作」ではもう動物の言葉を自在に話せるようになっている。ドリトル先生もだが、トミーも学ぶことを怠らない。お手本にしたい。

 井伏訳でも書いたが、「航海記」で明らかになるドリトル先生の名前の秘密…「Do little」(ドリトル)。クモザル島で、それはドリトル先生の功績に似合わないので、「シンカロット(Think a lot)」に変えられてしまう。「Do little, Think a lot」…やっぱりドリトル先生は、「Do a lot, Think a lot」だと思うけどなぁ。本の上だけで終わらず、必ず旅に出て現地で学び、実行に移す。こんな人物が、第一次大戦後に描かれていた。当時はさぞかし斬新に見えたと思う。

 あとがきで、井伏訳との違いについて書かれています。井伏訳では、イギリスの文化・生活についての理解が不十分で削られたところがあったという。イラストは可愛い、今の子どもたちに親しみやすいけれども、訳は手を抜いていないところはいいと思う。でも、ロフティング自身のイラストもやはり魅力的なんだよなぁ…。この河合訳のトミーのキャラデザはとても可愛らしく、利口で利発な少年という感じがする。いきいきしていていい。

 ドリトル先生の旅は結構長い。この「航海記」も1年は旅に出ているし、「月3部作」もドリトル先生は1年月に滞在した。さて、9歳半だったトミーはいくつになっているんだ…?ドリトル先生年表とかないのか。

・井伏鱒二訳、岩波少年文庫:ドリトル先生航海記
by halca-kaukana057 | 2019-07-26 22:40 | 本・読書
 アポロ11号による、人類初の月面着陸から50年。1969年7月20日(アメリカ東部夏時間)のことでした。日本時間だと21日なので、今夜は前夜祭といったところか。アポロ11号そのもののノンフィクションや、天文学としての月の本も読んでいるが、月にまつわる本、月に行くことを描いた本…この本を思い出した。せっかく新訳が出ているのだからシリーズ途中からになるが再読。


新訳 ドリトル先生と月からの使い

ヒュー・ロフティング:著、河合祥一郎:訳、patty:イラスト/アスキー・メディアワークス、角川つばさ文庫/2013



新訳 ドリトル先生の月旅行

ヒュー・ロフティング:著、河合祥一郎:訳、patty:イラスト/KADOKAWA、角川つばさ文庫/2013



新訳 ドリトル先生月から帰る

ヒュー・ロフティング:著、河合祥一郎:訳、patty:イラスト/アスキー・メディアワークス、KADOKAWA、角川つばさ文庫/2013



 イギリス文学が専門の河合祥一郎さんによる新訳。イラストもアニメ調の可愛らしいものに。以前は岩波少年文庫の井伏鱒二訳こそ「ドリトル先生」シリーズだと思っていたのですが、新訳もいいなと思いました。「月から帰る」の献呈文もちゃんと削らすに書いている。イラストは今の子どもたちに親しみやすくていいんじゃないかと思うのですが、でもロフティング自身のイラストもあるんだよと知って欲しい。訳の文章は読みやすいけど、ちょっと現代的過ぎるところもあるかなと。新訳についてはこの辺で。


 1928年から1933年にかけて発表された「月3部作」。再読してみて、やっぱり面白いと感じました。「月からの使い」は月に関係ない話で始まり、一体月からの使いはいつ出てくるんだ?と思いつつも、その前半の話が伏線になってくる。運命に導かれるように、ドリトル先生は月に向かうことになる。助手のトミーももちろん一緒に行きたいと思うが、危険だという先生の判断でトミーは地球、パドルビーに残るようにと言われてしまう。それでも先生についていきたい。先生をひとりにしてはいけない。出発の夜、トミーはこっそりと蛾に乗り込み、ドリトル先生、オウムのポリネシア、サルのチーチーと一緒に月へ向かう。旅立った後、トミーがついてきたことがばれるシーンが印象的だ。先生とトミーの絆、信頼関係の強さ。だからこそ、「月旅行(月へゆく)」でトミーがひとり帰されてしまうシーンは胸が痛くなる。でも、「月から帰る」でドリトル先生が月から帰って来るまで、帰って来た後もトミーは立派に働く。博物学者としても、獣医としても、ドリトル先生の家を守ることにしても。離れていてもドリトル先生とトミーの信頼関係は揺るぎ無いものであるし、離れていた期間があるからこそ、トミーは立派に成長していったのだと思う。

 「月からの使い」の巨大蛾が何者でどこから来たのかを調べるシーンでも、「月旅行」で月を調査するシーンでも、未知のものを科学的に、博物学的に丁寧に調べる姿がいいなと思う。自分の足で歩き、見たもの、聞こえたもの、出会ったものを観察し、記録し、事実から可能性を考える。必要なら議論もする。ドリトル先生は医師で博物学者であるが、その根底には科学もあり、また音楽にも詳しい…物事を専門的かつ総合的に観ることのできる学者だ。それだけでなく、未知の世界を探検する冒険家でもある。動植物の命を尊重し、救うことのできる人道的な人でもある。「ドリトル先生」シリーズはファンタジーのようだが、「月3部作」はSFでもあり、科学の手法にのっとったリアルさも持ち合わせた物語だと今読むと思う。

 話は少しずれるが、同じイギリス文学の、「シャーロック・ホームズ」シリーズのホームズとワトスンのいいところを足したのがドリトル先生か?と思う。井伏鱒二訳を読んだ時は「ホームズ」シリーズを読んでいなかった。「月から帰る」の、月での記録を本にまとめようとするドリトル先生は、研究を始めたら一心不乱、それ以外のことは気に留めない、常識はずれのことまでやってしまうホームズと似ているところがある。でも、研究を後回しにしても病気や怪我をした動物たちがやってくれば診察し、必要なら保護する優しさはワトスンか。

 「月3部作」で描かれる月の姿は、空想の姿だ。でも、今でも月についてはわからないことがある。地球に一番近くて、身近な天体なのに。アポロが月に行って、人類は月の上を歩いて調査もしたのに、まだわからないことがある。探査機を飛ばして、明らかになったことに驚き、そこから更に空想する。「かぐや」の探査によって見つかった月の地下の巨大な空間。様々な探査機により、月には凍った状態の水があるのではないかとわかってきた。地球から見ることのできない月の裏側の探査も始まっている。また人類は月に向かおうとしている。事実がわかっても、そこからまた謎が出てくる。それが空想を生む。アポロが月へ行く…宇宙開発もまだロケット開発が始まったばかりの時代、こんな鮮やかでワクワクする月の姿を空想した物語が生まれているんだ。人類は物理的にももっと"遠く"へ行けるだろうけど、空想の世界ならもっともっと"遠く"に行けるだろう。

 ただ、"遠く"に行くということは、地球から離れる…孤独を意味する。月の巨人がドリトル先生を帰したがらなかった理由が切ない。ドリトル先生が行った月にはまだ動植物たちがいる。でも、実際の月は荒涼とした死の世界だ。「死の空間」は宇宙空間だけではない。現実には月も「死の空間」。月には可能性もあるけれども…初めのうちは月の巨人と同じ思いをするだろうなと思う。

 それにしても、ロフティングが空想した宇宙や月が、将来を暗示するかのような表現をされていることに改めて驚いた。月は地球の一部だった(ジャイアント・インパクト説?)とか、月から帰ってきたオウムのポリネシアの飛び方やドリトル先生の身体の反応。月は地球より重力が小さくて、軽々とジャンプして移動することができる…これが理論的にわかったのはいつなのか、まだ調べられていない。

 どんな時も、月が見えると嬉しくなる。夕焼け空の三日月、青空に白い月、大きくて明るい満月。「ドリトル先生」の「月3部作」を読んで、月がもっと好きになった。そんな気持ちで、日本時間だと明日の人類月面着陸50年を祝おうと思う。

 ちなみに、ロフティングは、「月旅行」で「ドリトル先生」シリーズをやめようと思ったそうだ。ドリトル先生は月に残ったままで。しかし、読者たちの強い希望で続編「月から帰る」を書いた。なんだかこの点も「ホームズ」シリーズみたい。


【過去記事:井伏鱒二訳ドリトル先生「月3部作」】
ドリトル先生と月からの使い
ドリトル先生月へゆく
ドリトル先生月から帰る

 新訳は「航海記」も読む予定。というのは、福岡伸一訳「航海記」が文庫化したので、読み比べようと…。久々に「ドリトル先生シリーズ」タグの記事を書けて嬉しい。
by halca-kaukana057 | 2019-07-20 23:35 | 本・読書
 本屋で平積みになっていて、たまたま気になった本。この本も本屋大賞翻訳小説部門(2016年)を受賞した作品だそうです。


書店主フィクリーのものがたり
ガブリエル・セヴィン:著、小尾芙佐:訳/早川書房、ハヤカワepi文庫/2017

 アリス島という小さな島に、1軒だけ書店がある。アイランド・ブックス。偏屈で気難しい書店主のA・J・フィクリーは、一緒にアイランド・ブックスを営んでいた妻を事故で亡くし、失意の中にいた。出版社・ナイトリー・プレスの営業で、アイランド・ブックスを前任者から引き継いで任されることになったアメリアとフィクリーの出会いは最悪だった。ある夜、フィクリーが所蔵していた稀覯本、エドガー・アラン・ポーの詩集「タマレーン」が盗まれてしまう。さらに、後日、書店を少し不在にした間に2歳の女の子・マヤが置き去りにされているのを見つける。マヤの母親は海で死んでいるのが見つかる。フィクリーはマヤを育てることにする…。


 大きな出来事はいくつも起こりますが、淡々とした雰囲気の作品です。喧騒の中にいるはずなのに、ここは静か…書店のような雰囲気。フィクリーは偏屈で気難しく、悪い意味でこだわりが強い、頑固者。書店に置く本も、好きな本…というよりは、嫌いな本・ジャンルが多すぎて、そこから残ったものを置いている。その嫌いな本についてアメリアと口論になってしまうフィクリー。本当に偏屈者。そんなフィクリーは事故で亡くした妻・ニックのことを思い、寂しい日々を過ごしていた。この妻の死がフィクリーをますます偏屈者にする原因でもある。そんな、フィクリーが2つの出来事を境にどんどん変わっていきます。「タマレーン」が盗まれたこと、店に置き去りにされた少女・マヤを引き取り育てることにしたこと。何かと世話になる警察署長・ランビアーズがいいキャラしています。

 各章のはじめには、フィクリーによる様々な短編集の紹介文があります。この本の紹介文の雰囲気も、話が進むに連れてどんどん変わっていきます。この紹介文に出てくる作品は実在するので読んでみたくなります。
 フィクリーは短編集を好む(ただし、嫌いなものがとても多い)。この物語も、長編小説のようで短編集なのかなと感じます。この物語に限らず、人生というものは長編小説のように思えて、短編集なのかもしれない。この物語で言えば、盗まれた「タマレーン」やマヤの成長、アメリアとの関係は長編小説のように感じられる。でも、それらも様々な出来事で区切っていけば短編小説のようになる。人生山あり谷ありと言うが、生きていることは小さな出来事が連続して起こっているように思う。マラソンのようにずっと続いていると思うと気が遠くなりそうだが、短距離・中距離走のように考えれば見通しがよくなる。勿論、長期的なビジョンも持っていた方がいいけれど。

 辛い状況に置かれている場合であればあるほど、この毎日が夜寝たらリセットされればいいのにと思う。かつて、そう思っていたことがあった。いつまで続くかわからないこの状況。そんな時は、人生は短編集だと思える方がいい。後で前の話の続きが出てくるかもしれないけれど、きっと前の状況とは変化している。
 人生を短編集だと思えること、それは、小さな変化や出来事に気づきやすい心境なのかもしれない。それを楽しみ、喜べればなおいい。辛いことがあっても、そのうち終わる。

 フィクリーが変わっていくにつれて、アイランド・ブックスも変わっていく。本に囲まれて育つマヤをいいなぁと思う。マヤは賢く、母の死についても理解している。その事実は悲しいが、マヤはフィクリーや島の人々、そして本と共に成長していく。マヤは明るいけれども、どこかに暗いものを持っている。マヤの書いた小説からそれが伺える。マヤがアイランド・ブックスにやってきて、フィクリーに育てられることになったのは幸運だが、悲しい別れによるもの。そんな悲しさが、マヤの心の奥底にあると思う。

 終盤からラストは、ハッピーエンドではないけれども、ある意味ハッピーエンド。現実も悲しい出来事があっても、こんな風に自然と流れていく。自然と流れていってほしいと、今の世の中を見ていると思う。

 最後に、印象的な箇所を引用します。
"自分たちに魅力がないから孤立するという事実は秘めたる恐怖である"とその一節はつづく。"しかし孤立するのは、自分たちには魅力がないと思いこんでいるからである。いつか、それがいつとはわからぬが、あなたは道路を車で走っているだろう。そしていつか、それがいつかはわからぬが、彼、あるいはきっと彼女が、その道のどこかに立っているだろう。そしてあなたは愛されるはずだ、なぜなら、生まれてはじめて、あなたはもうひとりぼっちではないのだから。あなたは、ひとりぼっちではない道を選ぶことになったのだから"
(214ページ)

by halca-kaukana057 | 2019-06-02 22:44 | 本・読書

ムーミンの小型印 2種

 切手が発行された際にその記念の消印となる「特印」、郵便局ごとにその地域の名所などを消印にした「風景印」の他に、イベントなどで期間限定で使われる「小型印」があります。その小型印で、欲しいものを2つ郵頼しました。どちらもムーミンの小型印です。


日本郵便:小型印:キーワード検索 ムーミン
 小型印には、個別のページがありません。検索したURLをリンクします。うまく表示されなかったら、小型印のページで、「ムーミン」で検索してください。

f0079085_21343252.jpg

 左が、浅草郵便局による「日本・フィンランド外交関係樹立100周年記念 ムーミン切手展」の小型印。現在開催中のムーミン切手展に合わせた小型印です。現在はもう押印期間を過ぎてしまっています。

 右が、飯能郵便局の「ムーミンバレーパーク開業記念」の小型印。3月にオープンしたムーミンバレーパークの開業を記念したものです。隣接する「メッツァ」も一緒に行ってみたいな。小型印は、飯能郵便局に行くと押印してもらえます。62円以上の切手を貼った、ハガキ、封書に押印してもらえます。また、この画像のように台紙に切手を貼って持ち帰ることもできます。
 郵頼の際は、押印してもらいたい切手を貼った台紙やハガキを飯能局に送ると押印してもらえます。台紙の場合は返信用封筒をお忘れなく。ハガキの場合は、宛先の記入をお忘れなく。切手のどの位置に(真下なのか斜め下なのか横なのか)押印して欲しいか、指示のメモも同封してください。

 ムーミン切手展の方は、ムーミン谷の仲間たちを。ムーミンバレーパークの方はムーミンとミィが図案です。どちらも可愛い。ムーミン切手展の方は随分細かい。拡大してみた。
f0079085_21344190.jpg

 フィンランド本国の、ナーンタリのムーミンワールドの図案のようです。

 切手は、これまでに発行されたムーミンの切手を使いました。こんなこともあろうかと、大事に保存しておきました…というわけではなく、使うのがもったいなくて保存していただけです。
・2015年のムーミン切手:ムーミンの魅力を切手で+特印(手押し印)
           :続・ムーミンの魅力を切手で+特印(押印機)

・2018年のムーミン切手:ムーミン切手再び +特印 (手押し印)
           :ムーミン切手再び +特印 (押印機印)

 ムーミン切手展の小型印にありますが、今年は日本とフィンランドが外交を樹立して100年。というわけで、こちらも出ます。
ゆうびん.jp:特殊切手 日本・フィンランド外交関係樹立100周年
 5月24日発行です。特印は押印機、手押し印ありますので置いている郵便局で是非。(郵頼は5月10日消印有効。まだ間に合います!)

 どちらも、消印の日付は平成でした。令和の日付の特印・風景印はまだ貰っていません。上記のフィンランド切手が令和の日付の初特印になるかなぁ。
by halca-kaukana057 | 2019-05-07 22:06 | 興味を持ったものいろいろ

すべての見えない光

 たまたま目に留まった本。面白そうなので読んでみた。


すべての見えない光
アンソニー・ドーア:著、藤井光:訳/新潮社、新潮クレスト・ブックス/2016

 1930年代。少女のマリー=ロール・ルブランはパリで博物館の錠前主任の父と暮らしている。マリー=ロールは病気で視力を失った。毎日父と一緒に博物館まで行くが、後に杖と聴こえる音、道を記憶し、練習を重ね自分で行けるようになっていった。誕生日には父から手作りのパズルの箱に入ったお菓子と、点字の本をプレゼントされた。マリー=ロールはジュール・ベルヌの本に夢中になる。
 ドイツの孤児院で妹・ユッタと共に暮らす少年、ヴェルナー・ペニヒ。父は炭鉱の事故で死んだ。ヴェルナーはゴミの山から壊れたラジオを見つけ、ひとつひとつ部品を外し観察する。そしてラジオを直し、妹と一緒に聴くようになる。ラジオからは色々なものが聴こえるが、男性がフランス語で科学について話す放送を聴くようになる。ヴェルナーは「力学原理」の本を読むようになり、数学や科学を学んでいく。さらに、孤児院や近所の人の壊れた機械を直すこともできるようになる。
 一方、ドイツはナチスの時代に入っていく。ある日、孤児院にやってきた兵長の前でヴェルナーはラジオを直し、国家政治教育学校に進学しないかと提案される。ヴェルナーは試験に合格し、学校でも特別な授業を受けることになる。
 ドイツがパリを攻撃し、マリー=ロールと父は大叔父がいるサン・マロの町へ避難する。


 アメリカでベストセラーになった作品というのは、読んだ後で知りました。読んで、ベストセラーになったのことに納得しました。とにかく面白い。マリー=ロールとヴェルナーが成長し、戦争に巻き込まれていく。2人は一体どうなるのか。ドイツとフランスに離れて暮らす2人に、接点があるのか。どうなるのか知りたくて、どんどん読んでしまいます。

 ヴェルナーは数学と科学が好きで、どんどん学んでしまう。そのきっかけになったことのひとつは、修理したラジオで聴いたフランス語の科学の話。そのフランス語の放送から引用します。
 さて子どもたちよ、もちろん脳はまったくの暗闇のなかに閉じこめられているよね。脳は頭蓋骨の内部で透明な液体のなかに浮いていて、光が当たることはない。それでも、脳が作り上げる世界は光に満ちている。色や動きにあふれている。それでは、ひとつたりとも光のきらめきを見ることなく生きている脳が、どうやって光に満ちた世界を私たちに見せてくれるのかな?(49~50ページ)

 目を開けて、と男は最後に言う。その目が永遠に閉じてしまう前に、できるかぎりのものを見ておくんだ。(50~51ページ)

 目に見える光のことを、我々はなんと呼んでいるかな?色と呼んでいるね。だが、電磁のスペクトルはある方向にはまったく走らず、反対方向には無限に走るから、数学的に言えば、光はすべて目に見えないのだよ。(55ページ)
 これらの言葉が、ヴェルナーを科学の世界へいざなう。同時に、マリー=ロールのことも暗示する。視力を失い、光を失ったマリー=ロール。しかし、彼女は本を読んだり、父と会話して物事を想像する。目に見えなくても、マリー=ロールの世界は光に満ちている。さらに、電波、ラジオの存在も。電波も電磁波のひとつ。「光」である。ヴェルナーはラジオと出会い、運命が動き出す。マリー=ロールにとって音は重要な情報だ。のちにマリー=ロールにとっても、電波やラジオは重要な存在となっていく。「光」という言葉にこんなに沢山の意味を込めている。それを美しい言葉で語っている。

 この物語にはもうひとつ重要なものが存在する。「炎の海」という青いダイヤモンド。これが、マリー=ロールの運命を変えていく。この宝石にはミステリアスな言い伝えがある。ダイヤモンドをめぐる話はミステリーのようであり、少年少女の冒険物語のようでもある。

 戦争に巻き込まれる2人。フランス側のマリー=ロールや家族、サン・マロの町の人々は危険が迫る中で静かに行動を起こす。大叔父のエティエンヌがとてもいい人だ。ドイツ側のヴェルナーは、ナチスに支配されてはいるが、心の中までは支配されていない。学校の友人のフレデリックとの友情がそれを物語る。繊細で忍耐強いフレデリックの姿は痛々しいが、希望も感じる。

 ヴェルナーはその科学の才能を、戦争のために使うことになる。特別授業をする教授の言葉にこうある。
科学者の仕事とはふたつの要因によって決定される。本人が持つ興味と、その時代が持つ興味だ。(157ページ)
 この言葉を読んで、同じくドイツ出身の科学者、フォン・ブラウンを思い出した。ロケットを作りたかったフォン・ブラウンと、フォン・ブラウンの技術を兵器として転用したナチスドイツ。ヴェルナーもラジオから始まった興味が、「違法な」電波を使ってやりとりしている者を見つけようとすることに繋がっていく。

 物語を読み進め、マリー=ロールとヴェルナーの接点がどんどん近づいていく。続きを読みたいのと、マリー=ロールとヴェルナーの時間がそこで止まってほしいと思う。でも時間は進んでしまう。あらすじをこれ以上は語りたくない。ネタバレさせたくない。とにかく読んで味わってほしいと思う。

 本当に面白かった。読後の感覚にいつまでも浸っていたい作品です。
by halca-kaukana057 | 2019-02-18 22:25 | 本・読書
 今年最初の特印・風家印は、この切手から。
日本郵便:グリーティング切手 リサとガスパール

 アン・グットマン:文、ゲオルク・ハレンスレーベン:絵、の絵本「リサとガスパール(Les Catastrophes de Gaspard et Lisa)」シリーズ。今年で誕生20周年。これを記念して、切手になりました。
 同じ作者コンビの作品としては、「ペネロペ(うっかりペネロペ)」シリーズはアニメが大好きなのですが、リサガスも可愛い。とはいえ…原作絵本そのものはそんなに読んでいません…。パリが舞台だったり、日本にもやって来たり。切手の絵柄は絵本から使用しています。

 特印はこれ。
f0079085_21140585.jpg

 可愛い。特印も消印ですが、消印というのを忘れてしまう可愛さです。ハト印と共演してるのがまたいい。
by halca-kaukana057 | 2019-01-16 21:16 | 興味を持ったものいろいろ

好奇心のまま「面白い!」と思ったことに突っ込むブログ。興味の対象が無駄に広いのは仕様です。


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