人気ブログランキング |
 ドリトル先生シリーズ第6弾。4巻「サーカス」の続きのお話です。

ドリトル先生のキャラバン
ヒュー・ロフティング/井伏鱒二:訳/岩波書店・岩波少年文庫


 「サーカス」でサーカス団の団長になったドリトル先生。そのドリトル・サーカスのもとにやってきたのが今回の主役であるカナリアのピピネラ。メスであるにも関わらず、素晴らしい歌を歌い、またこれまで波乱の人生(鳥生?)を歩んできた。そんなピピネラを主役にしたオペラを作り、サーカスで上演することに。

 このピピネラの生き様がドラマティックで生き生きしている。飼っている鳥かごの鳥、水槽の金魚はいつも同じ景色だけを見て、退屈ではないのだろうかと子どものころ思ったことがある。ピピネラはひとつの場所に留まらない生きかたをしていたが、鳥は鳥で、金魚は金魚で毎日違うものを見ているのかもしれない…そう思った。

 そのピピネラのカナリア・オペラには、なんとあのパガニーニもやってきます。そう、あのヴァイオリンの名手であるパガニーニ。まさかドリトル先生シリーズに実在した音楽家が出てくるなんて驚いた。ということは、ドリトル先生のお話の舞台はパガニーニと同じ時代…19世紀前半だったのか。物語自体は第一次大戦中に書かれたので、そのぐらいの時代を設定しているのかと思っていた。その時代であれば、ドリトル先生の動物への愛情と活動は人の目にますます奇妙に映るのではないか。やっぱり当時としては革新的なお話だったと思う。

 これまで、動物と話が出来ることを、変だと人々に見られていたドリトル先生。しかし、この「キャラバン」ではちょっと事態が変わってきます。ドリトル先生の動物と話が出来る能力と、動物に対する知識を活用させてほしいという人々が現れる。カナリア・オペラで成功した結果のひとつなのだが、それでもドリトル先生のこと、動物のことを理解しようという人々が現れたことは、物語のひとつの転換に当たると見た。これからはドリトル先生と周りの人々についてもよく読んでいこう。

 さて、7巻から9巻までは月シリーズ。ドリトル先生が月へ向かいます。これは楽しみだ。
by halca-kaukana057 | 2008-05-19 21:59 | 本・読書

ドリトル先生の動物園

 「ドリトル先生」シリーズ第5弾。トミー君との「航海記」の続編に当たります。トミー君が登場して語る巻の文章が好きだ。

ドリトル先生の動物園
ヒュー・ロフティング/井伏鱒二・訳/岩波書店・岩波少年文庫


 タイトルの「動物園」は、現代の人に動物を見せるための施設のことではなく、動物たちの町のことを指します。パドルビーの自宅に、動物たちの町を作ったドリトル先生。「雑種犬ホーム」や「ネズミ・クラブ」など、動物たちが幸せに暮らせる町・家を作ることは、ドリトル先生最大の願いだったと思う。

 物語の大半は、「ネズミ・クラブ」の個性豊かなネズミたちの思い出話。代表して4匹のネズミの思い出話、経験談、そして武勇伝が語られる。世界中のいたるところに棲み付くネズミたちが、彼らの経験談を話してくれたら…。きっと、人間の視点では理解しきれない物語が詰まっているんじゃないかと思う。何かを聞き、読み、理解しようとする時、その人の視点や考え方のパターンは大きく影響してくると思う。その視点や考え方のパターンから脱却して、新しい考え方で物事を見るのは難しいと私は感じる。だから、ドリトル先生の物事の考え方、世界を見る視点は私のものとはずっと違っているのではないか。ドリトル先生のお話を読んでいると、そんな狭い・固まった自分の視点に気付く。そして、人間の視点とは違う視点の世界を、ドリトル先生がそっと見せてくれていると感じる。

 物語の後半は、名探偵犬・クリングの謎解きミステリー。ドリトル先生のお話は冒険ものだけじゃない。ミステリーまであったなんて。でも、普通のミステリーのように「犯人はお前だ!」と突き止め、犯人が逮捕されてめでたしめでたし…ではない終わり方がドリトル先生らしい。余計なことは言わない。言葉は少ないけれど、言葉以上にものを語る何か…雰囲気とか、空気とか、そういうものがドリトル先生からにじみ出ていて、そこがこの物語の面白さだと感じた。

 そのクリングの登場シーンがユニーク。ネズミを食べて(ネズミばかりが出てくる、しかもそのネズミたちが活躍する物語で、いきなりこの流れは厳しい…)、お腹を壊したクリングに、ドリトル先生の犬・ジップがこう言う。
「いまどき、ネズミをたべるなんて、きみは何も知らないのかい?Rのはいらない月には、ネズミをたべちゃいけないんだぜ。ものすごく毒があるんだから。」
「そのRっていうのは、何のことですか?」
「そりゃ、もちろんRatのことさ。」(277ページ)

…ネズミは牡蠣ですか。
by halca-kaukana057 | 2008-04-29 21:24 | 本・読書

ドリトル先生のサーカス

 ドリトル先生シリーズ第4弾。今度はイギリス国内での大冒険です。

ドリトル先生のサーカス
ヒュー・ロフティング/井伏鱒二:訳/岩波書店・岩波少年文庫

 お金に困っているドリトル先生は、アヒルのダブダブやブタのガブガブ、犬のジップ、それにオシツオサレツたちを連れてサーカス団に入る。そこでドリトル先生は、オットセイのソフィーに出会う。ソフィーはあることで困っていた…。



 「サーカス」の物語の大きな柱は2つ。オットセイのソフィーの逃亡支援と、「ドリトル・サーカス」。動物の言葉を理解し、動物たちに大きな愛情を注いできたドリトル先生だが、この「サーカス」でドリトル先生が動物たちのために積極的に行動し続ける。

 夫と離れ離れになり、何とかして故郷のアラスカに戻りたいと嘆くオットセイのソフィー。そのソフィーをサーカスから逃がすため、あらゆる手を使い、イギリスでの大冒険がはじまる。それはソフィーにとって辛い道だったが、先生にとっても難しい冒険だった。先生にとって、動物たちが幸せに暮らしているかどうかが一番の問題なのだ。自分のことよりも、動物たちのこと。ソフィーの他にも、恵まれた暮らしができず困っている動物たちが「サーカス」では多く登場する。その動物たちのために、先生は財産を投げ打ってでも救おうとする。動物のことをこれだけ真剣に考えられる先生…先生の動物たちへの愛情、信頼が強く伝わってくる。

 人間と動物がともに生きるには。ドリトル先生を読んでいるとそんなことを考えてしまうのだが、この「サーカス」は特にその問いかけを強く感じた。
by halca-kaukana057 | 2008-04-05 21:25 | 本・読書

ドリトル先生の郵便局

 ドリトル先生シリーズ第3作。ドリトル先生たちが再びアフリカへ向かいます。

ドリトル先生の郵便局
ヒュー・ロフティング/井伏鱒二・訳/岩波書店・岩波少年文庫

 ドリトル先生、今度はアフリカのファンティポ王国で郵政大臣になってしまいます。ドリトル先生の郵便局では、人間ではなく鳥たちが配達をするのです。郵政民営化ならぬ、郵政鳥営化。この発想がドリトル先生らしい。その郵便局を支える鳥たちも個性的。ツバメのリーダーである「韋駄天のスキマー」、「飛脚のクイップ」、ロンドン・スズメのチープサイド。鳥にも住んでいるところで得意分野があることを、ちゃんと表現しているのがいい。

 ドリトル先生も郵便局の仕事だけでなく、冒険したり、他の事件に巻き込まれたり。こうやって読んでいると、ドリトル先生はお人よしだなと思う。自分の研究があるのに、それを中断してでも誰かのために他の仕事を始めてしまう。とても優しい人でもある。

 特に面白かったのが、本編とはちょっと話がずれるが第3部の動物たちの話。これも、寝る前に読みたいお話ばっかり。白ネズミの話があまりにも悲しくて、読んでいて辛くなる。一方でフクロのトートーの話が興味深い。「恐れというものは、たいてい無知からくるんでございます」ドリトル先生が世界中を冒険し続けているのは、世界がどんなものか行ったことはなくても理解しているからからもしれない。すごいや。

 ドリトル先生の視点の広さに感服いたしました。

(ドリトル先生シリーズは白人の視点で書かれていて、アフリカ原住民の文化を尊重していないという指摘もあるけれども、この作品が書かれたのが第1次世界大戦中のイギリスであることを考えると、しょうがないとも思う。)
by halca-kaukana057 | 2008-03-19 22:42 | 本・読書

ドリトル先生航海記

 大人になってから読む"「ドリトル先生」シリーズ"。第2作目です。

ドリトル先生航海記
ヒュー・ロフティング/井伏鱒二・訳/岩波書店・岩波少年文庫

 ドリトル先生は相変わらず動物たちの診察と、先生自身の研究で大忙し。そんなドリトル先生のもとへ、トミー・スタビンズ少年がやってくる。怪我をしたリスを保護し、そのリスの手当てをして欲しかったからだ。トミーはドリトル先生が動物の言葉を理解し話せること、ありとあらゆる生き物の研究をしていること、そしてその研究のために世界中を旅していることを聞き、ドリトル先生の助手になる。ドリトル先生は貝の研究をしていたが、その手がかりを南米に住むインディアンの博物学者・ロング・アローに学びたいと思っていた。しかし、ドリトル先生に使われてロング・アローを探していた紫ゴクラクチョウは、ロング・アローが行方不明になっていると告げる。ドリトル先生とトミー、動物たちは船でロング・アローが住んでいる島へ向かうのだが…。


 この第2作で、物語の語り手となるトミーが登場。第2作はトミー視点で語られているところもポイント。

 「航海記」の冒険は第1作「アフリカ行き」のそれとはケタが違います。「アフリカ行き」で海賊をやっつけたシーンでドリトル先生のカッコよさ、勇ましさに惚れてしまったのですが、「航海記」はそれ以上。研究熱心で真面目、勇敢で力もある。正義を大切にし、人も動物も思いやる。権力や地位に驕ることなく、質素に自分のすべきことだけを遂行する。ドリトル先生の凄さについて作品中で何度も触れられているが、こういう形で触れなくても読み手はその凄さを読みながら噛みしめていける。ドリトル先生なりの生き方・生き様・哲学は、現代人の生き方にいいヒントを与えてくれるのではないかと思う。この作品が書かれたのは第1次世界大戦中。その当時は、ドリトル先生のような生き方は斬新だったのではないだろうか。

 先日はてなハイク:いま読んでる本にドリトル先生のことを書いたら、予想以上に反応が返ってきた。皆子どもの頃に読んで、強く印象に残っていたんだな…と思いながらレスを読ませていただきました。このレスで、ドリトル先生の名前について面白いことが書いてあった。この「航海記」で王様にされてしまうドリトル先生。その際、「ドリトル」では偉い人に似つかわしくないので「ジョング・シンカロット」という名前にされてしまう。何故「ドリトル」では偉そうではないのか。理由はこうだ。
ぼくは子供のときに読んだので、ドリトル先生が「シンカロット」って別名を名乗るのがわかりませんでした。
do little→think a lot なんだよな。
いま読んでる本:lovelovedogさんの回答より

 「ドリトル」=「Do little」,「シンカロット」=「Think a lot」だったのです。確かに、「little」では偉そうに聞こえない。「a lot」ならまさしく。実際のドリトル先生は「Think a lot,do a lot」だと私は思うのですが。机上の研究も、旅で得られるものも大切にしている。こういう姿勢で学び、生きられたらと思う。

 ちなみに、私がこの「ドリトル先生」シリーズを読むきっかけになったマンガ「本屋の森のあかり」2巻第7話にも、このドリトル先生の名前の秘密が関係しているんじゃないかと思っている。書店副店長で超読書家の寺山と、彼に想いを寄せる店員の主人公・あかり。寺山がドリトル先生で、あかりがトミーと例えているのだが、この寺山がまさに「Do little,think a lot」な人間に思える。本ばっかり読んで、ゾウを実際に見たこともない。知識と思考だけは沢山あるのに、それを裏付ける体験・経験は多くは無い。そういう意味なのかな?と考えた。深読みしすぎ?

 そう言えば、ドリトル先生シリーズって全12巻でした。13巻と間違えてた…。
by halca-kaukana057 | 2008-03-05 22:45 | 本・読書

本屋の森のあかり 2

 以前紹介した書店員漫画「本屋の森のあかり」の2巻が出ていました。1巻の感想おさらい↓
「本屋の森のあかり 1」

本屋の森のあかり 2
磯谷 友紀/談社・講談社コミックスキス/2008

 田舎から上京し、東京の巨大書店で奮闘する書店員・あかり。超読書家の副店長・寺山に憧れつつ、日々の仕事をこなしている。
 あかりたち書店員たちは、万引き犯たちに頭を悩ませていた。そんなある日、店内で挙動不審な女性を見かける。その女性・弓は寺山と大量の本を持って店の外へ。気になったあかりは、後をついて行くのだが、2人が向かった先は小さな本屋だった…。


 1巻に比べると、絵が巧くなってます!あかりや寺山たちの表情も豊かになってる。新人漫画家の成長が感じられていい。何だか嬉しくなってしまった。

 そして、あかりも成長しています。書店員としても、人間としても。9話、10話では特に書店員としての仕事への哲学を強く感じる。本と人を結ぶ仕事。…と言っても、私には書店員の経験が無いので想像だけの話になってしまうのだが。本と人を結ぶといっても、直接的なかかわり(探している本を店員さんに尋ねる、とか)だけじゃない。POPを書いて間接的にPRする、POPが無くても棚の魅せ方・並べ方を工夫してお客に訴えかける、総合書店ではなく特徴的な書店を目指す…などなど。そういうハードの面と、書店員自身の書店・本、さらには接客に対する考え方のソフトの面。この2つが書店を支えているのだと思う(ネット上の書店はまた別として)。

 その9話ですが、実は9話が私が一番最初にこの作品を読んで、そして「面白い」と思った回なんです(Kissを立ち読みした)。単行本でゆっくり読むと、すごくじんわりと来た。これは反則ですよ…。1話でひとつの文学作品を取り上げて、1話で完結する。文学作品とともに話が進んでゆく。この設定、いいなやっぱり。あらためて感じました。

 2巻では、本・書店に別の視点から関わる人も登場。6話の弓と祖父の星野、8話の作家である未高。弓も未高もかなり好きなキャラです。2人ともアネゴキャラで(爆。書き続ける人がいて、売る人がいて、その本を手に取る人がいる。人の想いを託してゆく本。本のそんなところが好きだと感じます。

 1巻で"本の世界"で完結してしまっていることを指摘された寺山。7話でその実態が更に明らかに。ただ、そんな寺山もあかりがいることで変わりつつある模様…。相変わらずの超読書家で、寝ても覚めても本、本、本…であることには変わりは無いのですが。一方、2巻では影薄いですよ、緑くん。

 3巻は5月発売予定。楽しみに待ってます。そう言えば、1巻で「読んでも読んでも読みたい本は増え続けるばかり」なんてセリフがあったのですが、今まさに私がそんな状況に置かれています。今日もこの漫画のほかに読みたい本が何冊もあったのだが、これ以上積読本を増やすのは危険だと判断して買わないことに(今回は。給料日過ぎたら買うかも…)。本って素晴らしいですね、ホント。

 それと、磯谷先生のインタビューを見つけたので貼っておきます。
Kiss on Line:磯谷友紀インタビュー
by halca-kaukana057 | 2008-01-21 21:50 | 本・読書

本屋の森のあかり 1

 「IS」目当てに「Kiss」を立ち読みしたら、この作品も気になって読んでしまった。面白かったので1巻を読んでみた。

本屋の森のあかり 1
磯谷 友紀/講談社・講談社コミックスキス/2007

 書店員の高野あかりは、愛知の小さな支店から東京の本店へ異動することになった。住み慣れた故郷を離れ、都会の巨大な本店へ。そこには本をこよなく愛する副店長・寺山をはじめ、あかりの同期で結果重視の加納、POPが得意な先輩・栞がいた。大きな書店の仕組みになかなか馴染めなず、加納にバカにされてばかりいるあかり。しかし、あかりはそこで本を通じて、さまざまな人に出会うのだが…。


 本好きが高じて、将来は図書館司書か書店員になりたいと思ったことがある。せめてバイトでも…と思ったが、その夢は叶わずにいる。そんな昔のことを考えながら読んでいると、やっぱり本屋はいいな、と思う。あかりはのんびりマイペースで妄想癖が激しい26歳。このあかりが私に良く似ていると感じる。そして共感する。大きな本屋に行けば「広い!すごい!」と見とれ、本に囲まれていれば幸せ。お人よしなところがあって、社会人として未熟者なところも。都会の厳しさにため息をつきながらも、本と人に囲まれて働くあかり。彼女のけなげさ、みずみずしさがすーっと心に入ってきた。

 本店の副店長・寺山は"超"読書家。一日中本を読みまくり、店のことも知り尽くしている。寺山の優しく穏やかな人間性に、あかりは夢中になる。にしかし、彼の世界は"本の世界"で完結していた。自分と、本しか存在しない世界。本は人間に通じてはいるが、生身の人間はいない。寺山に対して、そうあかりが主張するシーン(第4話:Book4)がたまらなく好きだ。
本の中に人間のことが書いてあっても
そこに人はいないんですよ
もっとこっちがわの人のことも見てくださいっ(148ページ)
作者の磯谷先生によると、この寺山の名前は寺山修二から取ったそうだが、修二の「書を捨てよ、町へ出よう」の言葉を思い出した。書は様々なことを教えてくれるし、素晴らしい楽しみとなる。しかし、生身の人間との関わりや、実際の体験は書の中にはない…。補うものにはなるが、経験そのものにはならない。人間の活動があるからこそ、本はそれを反映する。あかりの言動にハッとさせられた。

 各回にひとつの文学作品が設定されていて、その作品と共にエピソードが進むのも、本好きにとって嬉しいところ。また、書店員の苦労が読めるのもいい。仕入れ、仕分け、販売計画、陳列、POP書き、客のニーズに応えられる接客…。ただ好きなだけでやっていけるのか。今後のあかりがどう成長してゆくのか、楽しみです。あかりだけじゃなく、同期の加納も気になるところ。仕事はしっかりこなし、売り上げを伸ばす工夫も怠らない。しかし、態度がでかく、ドジってばかりのあかりをバカにする。そんな加納もあかりと出会って変わりつつある。加納の成長も楽しみです。

 磯谷先生にとって初めての単行本。作者の成長も楽しみです。ちなみに、寺山のファーストネームの由来に吹きました。…気が合うかも知れません。
by halca-kaukana057 | 2007-11-02 22:13 | 本・読書


 少し前からこのバナーをサイドバーに貼り付けていたのだが、今日はこの説明をしようと思います。

 現在、著作権保護期間は日本では著作権者の死後50年間と決まっているが、これを70年に延長しようという動きがある。この著作権保護期間延長に対して、反対する署名をしようというのがこのバナーの意図です。このサイトで署名を集め、5月に国会へ提出する予定です。もし、この記事を見ている方で保護期間延長反対に同意される方は、是非署名に参加してください。リンク先で署名用の用紙と送付用の封筒をダウンロードすることが出来ます。それに署名をして、封筒のあて先へ郵送してください。詳しくはバナーリンク先で。


 まず、著作権保護期間について少し説明をします。文学や漫画、音楽、映画やドラマ・アニメなどの映像作品、絵画などの創作物には著作者が著作権を持つ権利があり、たとえお金儲けが目的でなくともその著作権者に無断で第三者に向けてその作品を鑑賞できるようにすることは禁止されています。非営利目的であれ著作権で守られた作品を鑑賞できるようにするためには、その著作権者の許可を得ないとなりません。簡単に言うと、著作者に対して使用料を払うことになります。

 しかし、著作者が死んで50年が経つ(※注1)と、その作品の著作権は消滅し、許可を得なくても自由に利用、鑑賞、第三者に向けて発表することが出来ます。例えば、著作権が切れた文学作品をネット上で自由に読めるようにする「青空文庫」や、個人によるクラシック音楽の演奏をHPで発表できるのは、この著作権保護期間が切れたために出来ること。ここで著作権保護期間が大きな問題となります。現在は50年である保護期間が70年になるとどうなるのか。自由に利用できるようになるための開始年月が、今よりも20年も長くなってしまいます。作品が著作権に守られていることによって、著作権者ならびにその家族にとっては収入を保証することが出来るが、反対に文化の発展や表現の自由を奪うものでもあるのです。

 著作権保護期間が終了すると、例えば海外文学作品の日本語訳が何種類も出版されたり、楽譜の出版が増えたりなどその作品をより気軽に、身近に利用することが出来ます。また、著名な作家でもあまり知られていなかった作品が出回るようになるメリットもあります。


 私自身この著作権保護期間延長に対してどう考えているか。私はピアノを独学で今練習しているのですが、著作権を「壁」と感じたことがあります。師もおらず師でなくとも聞いてくれる第三者もいない私にとって、ネット上で演奏を発表することは、度胸試しでもあり客観的に指摘していただける場でもあります。ところが、著作権がまだ切れていない作品だとそれが出来ない。著作権なんて無視、クソ食らえ!と発表してしまうほどの度胸も無く、とりあえず切れた作品をちまちまと発表し続けています。

 著作権を無視することはあくまで違法行為なので良くは思いませんが、「著作権の壁」をぶち壊してでも利用することにメリットもあるのではないかと思うこともあります。例えばYouTubeやGoogle Videoのような動画投稿サイト。アニメなどのテレビ番組が連日のように投稿され、テレビ局はそれを取り締まるのにかなり苦労している。その一方で、YouTubeで日本の番組を観た海外の人が、日本に面白い番組があるとその動画をブログなどで紹介する。そこからさらに多くの人がその番組を知り、文化としてどんどん世界に広まってゆく。そこで得られた反響が日本に戻ってきて製作者に伝われば、その番組はもっと面白くなるんじゃないかと。

 だからこそ、私は著作権保護期間延長が文化の発展の障壁になると考え、反対するのです。50年でも壁なのに、さらに延ばしたらその作品が文化・社会に与えるメリットはどんどんしぼんでいってしまう。ネット上で氾濫しているから厳しくするのも一つの考えかと思いますが、厳しくしたってこの流れは止まらないと思う。それよりも新しい時代の著作権のあり方を探った方が、著作者とっても利用する側にとってもいい方向に進むのではないかと思うのです。


 著作権に関して参考になるリンクは、私のはてなブックマーク「Mielenkiintoinen!」copyrightタグで随時情報収集中です。また、動画投稿サイトが文化の発展に寄与した例は子供だけじゃない!海外でも注目された「ピタゴラスイッチ」 / デジタルARENAを読んで考えました。すいません、例によって教育テレビネタで…。


(※注1)
 この50年の計算が実はちょっとややこしい。今年没後50年を迎えるシベリウスを例に挙げると、シベリウスが死去したのは1957年9月20日。それから50年後は2007年9月20日だが、著作権法により著作権保護期間が終了するのは2008年1月1日0:00.つまり、没後50年でもまだ保護期間は続いており、完全に自由に使えるようになるは来年1月1日から。
 さらに、「戦時加算」と言う例外もあって、日本が第二次世界大戦中に連合国側(戦勝国)の著作権を乱用したペナルティとして、連合国側の作品は10年程度保護期間を延長しなければならない場合もあります。ああややこしい。
by halca-kaukana057 | 2007-01-29 21:13 | 興味を持ったものいろいろ

カレワラ物語

カレワラ物語―フィンランドの国民叙事詩
キルスティ・マキネン著/荒牧和子訳/春風社/2005


 「カレワラ」(もしくは「カレヴァラ」)はフィンランドのカレリア地方に言い伝えられてきた口承詩をもとに、医師であったエリアス・ロンロートが収集・編集したものです。出版されて以来フィンランド人に読み継がれ、フィンランド文化の源となっている。シベリウスの作品にも、「クレルヴォ交響曲」や「4つの伝説曲」(2曲目が「トゥオネラの白鳥」)、「ポホヨラの娘」、「タピオラ」など「カレワラ」をもとにしたものが数多くある。さらに「カレワラ」の登場人物の名前を人名や会社などの名前に採用することも多い。まさに、「カレワラ」無しにフィンランドが語れるか!と言ってもいいぐらい。読みにくいかと思って今まで読んだことはなかったのですが、思い切って読むことにしました。



 この本は物語で書かれているため、とても読みやすいです。(完全訳は結構読みづらいらしい)大気の乙女・イルマタル(ルオンノタール)が宇宙を創り、老賢者ヴァイナモイネンを産む。そのヴァイナモイネンと鍛冶屋のイルマリネン、豪傑レンミンカイネンが北の国ポホヨラとの幾度とない戦いを中心とした話から、両親の敵を討つために生まれてきたというクレッルヴォの話、そしてヴァイナモイネンがフィンランドの地を去るまでを描いている。

 どの登場人物もとても生き生きとしていて、躍動感のある話ばかりです。そしてちょっとユニーク。普段は賢く勇ましいヴァイナモイネンは、実は老人の癖に若い娘に目がない。そのおかげでサーミの娘・アイノの悲劇が起こってしまう。戦好きで豪快なレンミンカイネンにはあまりいい印象はないけれど憎めない。

 フィンランドの大自然の中で物語が繰り広げられるのも味わい深いところ。森とその主タピオをはじめ木々の精、海や湖の描かれ方がとても豊かだ。そして人々は豊かな自然に感謝する心を忘れない。やはり大自然の中でフィンランドの文化は育まれていったことが分かる。

 最後、ヴァイナモイネンはカレワラの王が現れたことでフィンランドを去る。これはフィンランドにキリスト教が入ってきたことをあらわしているという。とても印象的な最後でした。

 これを読んだ後なら完全訳を読んでも少しは大丈夫ではないかと思う。ぜひ読んでみたいが、完全訳は絶版。図書館にも無いらしい…。復刊してくれないかな…。
by halca-kaukana057 | 2005-12-19 21:08 | フィンランド・Suomi/北欧

翼のある言葉


「翼のある言葉」(紀田順一郎・新潮新書)

 この本はいわば名言集です。著者が読書の途中で見つけた名言をノートに書き写し、それが本になりました。名言だけでなく、その背景や言った人の経歴も詳しく記されていて、思わず「へぇー」と言ってしまいました。

 心に残る言葉がいくつもあったのですが、その中から少し紹介したいと思います。
まず、アウシュビッツに送られた精神医学者、V・E・フランクルの『夜と霧 新版』より

 
気持ちが萎え、時に涙することもあった。だが、涙を恥じることはない。この涙は苦しむ勇気をもっていることの証だからだ。


 この言葉を読んだとき、まさに今の私自身だと思いました。

 もうひとつ、中国の小説家魯迅の『故郷』より、

 
思うに、希望とはもともとあるものだともいえぬし、ないものだともいえない。それは地上の道のようなものである。もともと地上には、道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。


 私がこの言葉に出会ったのは、中学生のころ教科書で『故郷』をやったときでした。今読み返してみて、もともとないものだから、もってなくてもいいじゃないか。希望は人が作っているものだから、いつか作れるだろうと思いました。

 悩んだとき、またこの本を手にしたいです
by halca-kaukana057 | 2005-03-08 21:10 | 本・読書

好奇心のまま「面白い!」と思ったことに突っ込むブログ。興味の対象が無駄に広いのは仕様です。


by 遼 (はるか)
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31