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ヴィンランド・サガ 22

 アニメ放送開始直前で新刊が出ました。アニメ開始前に感想を書いてしまおう。


ヴィンランド・サガ
幸村誠/講談社、アフタヌーンKC/2019


 ヨムスボルグでのヨーム戦士団とトルケル軍の戦いは続いていた。ヨムスボルグの要塞から逃げ出すために、パルドルを人質にとったフリをしていたトルフィン。そこにガルムがやってきてトルフィンを攻撃。矢に撃たれながらも、シグルドがパルドルを人質にとる。門の外では、味方のトルケル軍が迫ってきていた。逃げろと言うシグルドに、一緒にいたグズリーズは…。
 一方、一騎討ちになったトルフィンとガルム。ガルムの攻撃をかわし続けていたトルフィンだが、戦争をゲームだと言うガルムの言葉に、トルフィンは…。


 ヨムスボルグでの戦いもクライマックスです。まずシグやん。自らを犠牲にしてやるべきことをやろうと思ったが…グズリーズの"一発"が効きました。ここだけでなく、22巻ではちょうどいいところでグズリーズの"一発""一撃"が効きます。このグズリーズは戦士たちから見れば弱いですが、"強い"です。

 そしてトルフィンとガルムの一騎討ち。それは、ガルムとトルフィンの戦争に対する考え方の違いでもある。少年時代、多くの人を殺して、戦いのない世界を作りたい、戦いなぞ意味がないと考えるトルフィン。戦争は娯楽、ゲーム、遊び、楽しむもの。本当にトルケルと似た者、同じです。
戦争に意味とかいうなよ
命なんざぶつけ合って遊ぶ以外に使い道なんかねーんだから
(53ページ)
ガルムの言葉なのですが、ガルムにしてはシンプルで深いことを言うな…と。命を武器でぶつけ合って命そのものを賭けるのが戦争なら、トルフィンは命を武器ではない別のものでぶつけ合って、別のものに懸けることを考えているのかもしれません。11世紀、戦うことが美徳とされたヴァイキングの戦士たちには、その別のものは存在しない=意味がない…そういう社会だから仕方がない。それ以外のものを求めて、トルフィンたちはヴィンランドを目指しているのでありますが。
 この言葉の後、トルフィンが一変します。挑発的に、好戦的になります。自らを「上級者」、ガルムは「初心者くん」「お子様」とバカにする。武器なしで勝つと。どうしたトルフィン…と思いますが、答えはすぐにわかります。面白い。こんなトルフィンはあまり見たことがない(少年時代とも違う)ので、かっこいいなと思ってしまいました。

 それから、トルケル、バルドル、フローキ。トルケルは戦争を心底から楽しんでいます。もう何というか…ここまで突き抜けてくれると、逆に面白い。これが戦バカのトルケルだからいいんです。ガルムとトルケルは似た者と上述、これまでも書いてきましたが、雰囲気はちょっと違うかもしれない。トルケルはとにかく戦争が楽しくて仕方がない。ガルムも戦争が楽しくて仕方ないのは同じなのだが、青臭いところがあるというか…トルフィンが言っていた「初心者くん」「お子様」なのかもしれない。
 バルドル君は、ちょっと病んでます…。でもあのフローキの元で育てられたら、病んでしまうのも仕方がない。そしてトルケルとフローキがついに対面…と思ったら、何か出てきた。別の漫画を読んでいるのかと思ったwこんなの…いたのかな。トルケルにはいい相手です。

 そして、戦争は終わりへ…。158話冒頭の名もなき戦士2人のやりとりがいい。この戦争だけでなく、これまでの戦争でも、感じることはあったのだなと思います。トルフィンの取った言動は、まさにトルフィンのやり方。あのヨーム戦士団相手に。でも、トルフィンの立場、トルフィンの血統やクヌート王との繋がりがあったからこそ出来ることでもある。その後のバルドル君、いきいきしてます。

 160話では、「ヴィンランド・サガ」の原点に戻るシーンや言葉があってよかった。アニメ化のタイミングにちょうどいいと思う。
だーれも戦争と縁なんか切れねェよ
どこだろうと人間が3人いりゃア戦争にならァな
トルフィンよ お前の作る国…びんらんど?
そこでも戦争は起きるぜ
専門家のオレが言うんだ 間違いねェ
(174ページ)
トルフィンがヴィンランドで戦争のない国を作るという話を聞いたトルケルが言った言葉です。トルケルとガルムの違いはここなのかもしれない。どちらも戦争バカだけど、トルケルはこんな考えを持っている。戦争、とまではいかなくても、「どこだろうと人間が3人いりゃァ戦争にならァな」説得力がある。いじめ、陰口、仲間外れ、対立やケンカ、マウンティング…。このような人間関係のもつれで、命を奪う・失うことだってある。いじめられたら訴えるなり、別のコミュニティに逃げてもいい。対立やケンカをしても、話し合いで分かり合えることもある。でも、やはり人間関係で負った心の傷はなかなか癒えない。このトルケルの言葉をずっと覚えておきたいです。もちろん、今回の戦争やヨーム戦士団のこと、このトルケルの言葉を受けて、これからトルフィンがどうするのか。楽しみにしています。

 この160話で出た、グズリーズの"一発"。やっぱりグズリーズは強いです。でも、これでシグやんとトルフィンはどうなってしまうのか…いいところで23巻へ。

 その前にアニメです!7月8日、午前0時10分(関西地方は0時45分)から、NHK総合で放送です!初回は3話連続一気に放送します!NHK総合と聞いて、地方でも問題なく観られると安心しました。「プラネテス」もNHKでの放送でしたし、幸村先生の作品はNHK好みなのか。でも、この戦闘シーン、血だらけ残虐シーンばかり(しかもトルフィン少年時代は特に)の原作を公共放送でアニメ化できるんだろうか…深夜だし、手加減しないでやってほしいです。
 ちなみに、アマゾンプライムでも配信。海外からも観られるそうです。「ヴィンサガ」は海外のファンも多いとのこと。公式サイトも英語でも書いてあって、すごいなぁ。


◇アニメ公式:TVアニメ「ヴィンランド・サガ」公式サイト
◇NHK公式:NHKアニメワールド:ヴィンランド・サガ


 アニメ化のためか、幸村先生のインタビューも。
ライブドアニュース:漫画が読めるって、ありがたい奇跡! 幸村誠(『ヴィンランド・サガ』作者)が推さずにいられない、今最高に面白い漫画とは
 幸村先生が漫画への愛を熱く熱く語ります。漫画を読むのが大好きな幸村先生。イチオシの漫画は…?幸村先生のこの言葉がいいなと思いました。
漫画家に限らず、どんな人でも、それぞれ脳内に独自の世界が広がっているはず。その人だけの物語が眠っているはず。そして、それらはすべて絶対に面白い。そんな確信を僕は持っています。どんな人でも、です。

漫画家は、たまたま外にアウトプットする技術を身につけているので、頭の中の世界を形に残せます。けれど、多くの人は漫画家ではないですよね。ということは、形にならないまま失われていく素晴らしい物語が、この世にはものすごく多いんです…!

そう思うと、たまたま漫画を描ける人がいて、それを読むことができるなんて、ありがたい奇跡じゃないですか。だから、せっかく形になったのに知られないというのが、残念で仕方がないんですよね。


現代ビジネス:他人と自分を比べてつらくなったら?競争の激しい漫画家さんに聞いた
 幸村先生がとてもいい人すぎて…こんな方が描いているんだ…。幸村先生の漫画に出てくるキャラクターが、どんな人間でも憎めない理由がわかる気がします。漫画業界は競争社会。でも幸村先生は競争は嫌い。それでも漫画を描き続ける理由とは?自分と他者を比べて落ち込んだ時に読み返したいインタビューです。

ヴィンランド・サガ 21
by halca-kaukana057 | 2019-07-03 22:22 | 本・読書
 偶然見つけて気になった本。


モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語
内田洋子 / 方丈社 / 2018

 筆者の内田さんは仕事の拠点をミラノに置いていた。冬のある日、ヴェネツィアで仕事をして駅に向かう途中で、古本屋を見つける。気になって入ってみると小さな店舗に本がたくさんある。全てヴェネツィア関連か美術の本だと店主は言う。欲しい本は何冊もあったが、荷物になるので買えず、ヴェネツィアを経った。その後、ヴェネツィアに住むことになった内田さんは、この本屋「ベルトーニ書店」に通っていた。書店主のアルベルトと話すことも多くなった。そんなアルベルトは、父から店を引き継いだが、父が店頭に立つ時もある。この店はアルベルトで四代目。アルベルトの祖父はトスカーナにある小さな山村、モンテレッジォの出身だと言う。そのモンテレッジォの男たちは、他所へ物を売り歩いて生計を立てていた。その売っていたものは、本だったという。本の行商?夏には、本のお祭りがあるという。内田さんはその奇妙な村・モンテレッジォに惹かれ、関係者に連絡を取り、村に向かうことになった…。

 イタリアのトスカーナにあるモンテレッジォ村。勿論初めて聞きました。しかも、本の行商をしていたなんて。本なんてどこにでもあるだろう。本はどこでも同じものが売っている。本屋に行けばあるだろうに、行商が成り立つのだろうか。一体何がどうして、重い本を売り歩くようになったのか。モンテレッジォの村と、何故本を売り歩くようになったのか、モンテレッジォの人たちにとって本とは何なのか。それを歴史を紐解きながら辿ります。

 モンテレッジォの地形、地理、イタリアやヨーロッパを含む歴史などがどんどん絡んで、本の行商へ繋がっていく過程は読んでいて面白かった。推理小説のようでもあるし、歴史絵巻、大河ドラマのようでもある。モンテレッジォには文化が根付き、文化を大切にしようとする歴史的な土壌があった。しかし、最初から本を売り歩いたわけではなかった。最初から行商ばかりをしていたわけではなかった。行商に出なければならなくなった理由、売り歩くものがだんだん本に変わっていった理由。様々な歴史の中で、モンテレッジォの人々は、世の中の人々が求めていることに柔軟に対応していった。10章の本の行商の様子の記録を読んでいると、当時の人々の様子が生き生きと伝わってくる。

 本がどこでも同じものを買えるのは、現代でこその話。行商で売られていた本と、本屋で売られていた本は違っていた。人々がそれぞれに求めた本は違っていた。行商だから売れる本があった。人々がどんな知識を、本を求めているか。行商人たちは敏感で、すぐに対応した。すごい。納得した。
 行商人たちは、その内本屋を開き始める。出版社を起業し、それを本屋で売る者もいた。イタリアだけではなく、ヨーロッパのあちこち、更には南米まで広がっていったのには驚いた。

 1952年には、行商人や各地で書店を開いている村人たちが集まり、「本屋週間」が開かれる。翌年、それぞれの本屋で最も売れ行きの良い本を報告して決まる文学賞「露天商賞」が誕生する。1953年の第1回受賞作はヘミングウェイの「老人と海」。ノーベル賞に先駆けた受賞だったとのこと。

 文化を広めたい、届けたい。その情熱が現代にも繋がっている。モンテレッジォの村人たちが、文化を支えてきた。ヴェネツィアのアルベルトの他にも、各地で本屋を営んでいるモンテレッジォにルーツを持つ者は多い。モンテレッジォは、定住者や少なく、若い人たちは都市に住み働いている。村は貧しい。でも、モンテレッジォへ内田さんを案内したマッシミリアーノのように、モンテレッジォが故郷だと思っている人は多い。帰省するのを楽しみにしている。本を大切にし、本を広めた先人たちや村のことを誇りに思っている。こんな小さな山村があったなんて。本当に感激した。

 この本でも、ネット書店の脅威が語られている。私も、行動範囲内の本屋にお目当ての本が置いていなければ、ネット書店で注文してしまう。更に数年前からは、本が絶版になるペースが速いと思っている。つい数年前に出版されたのに、もう置いていない。ネット書店にもない。図書館にも置いていなくて、お手上げになることが少なくない。
 本屋では、お目当ての本を探しているつもりが、別の本を見つけて気になってしまったということがよくある。こういう時、やはり買っておくのが一番なのだろう…。

 モンテレッジォのような長い歴史はなくても、私の身の回りにも老舗の本屋や、地域の文化を支えてきた、地域の人々に愛されてきた本屋があるだろう。新しい本屋でも、文化を支える力になっている本屋もあるだろう。そんな本屋を大事にしたい。本屋という存在がとても尊いものに感じられる本です。

by halca-kaukana057 | 2019-04-01 22:28 | 本・読書

すべての見えない光

 たまたま目に留まった本。面白そうなので読んでみた。


すべての見えない光
アンソニー・ドーア:著、藤井光:訳/新潮社、新潮クレスト・ブックス/2016

 1930年代。少女のマリー=ロール・ルブランはパリで博物館の錠前主任の父と暮らしている。マリー=ロールは病気で視力を失った。毎日父と一緒に博物館まで行くが、後に杖と聴こえる音、道を記憶し、練習を重ね自分で行けるようになっていった。誕生日には父から手作りのパズルの箱に入ったお菓子と、点字の本をプレゼントされた。マリー=ロールはジュール・ベルヌの本に夢中になる。
 ドイツの孤児院で妹・ユッタと共に暮らす少年、ヴェルナー・ペニヒ。父は炭鉱の事故で死んだ。ヴェルナーはゴミの山から壊れたラジオを見つけ、ひとつひとつ部品を外し観察する。そしてラジオを直し、妹と一緒に聴くようになる。ラジオからは色々なものが聴こえるが、男性がフランス語で科学について話す放送を聴くようになる。ヴェルナーは「力学原理」の本を読むようになり、数学や科学を学んでいく。さらに、孤児院や近所の人の壊れた機械を直すこともできるようになる。
 一方、ドイツはナチスの時代に入っていく。ある日、孤児院にやってきた兵長の前でヴェルナーはラジオを直し、国家政治教育学校に進学しないかと提案される。ヴェルナーは試験に合格し、学校でも特別な授業を受けることになる。
 ドイツがパリを攻撃し、マリー=ロールと父は大叔父がいるサン・マロの町へ避難する。


 アメリカでベストセラーになった作品というのは、読んだ後で知りました。読んで、ベストセラーになったのことに納得しました。とにかく面白い。マリー=ロールとヴェルナーが成長し、戦争に巻き込まれていく。2人は一体どうなるのか。ドイツとフランスに離れて暮らす2人に、接点があるのか。どうなるのか知りたくて、どんどん読んでしまいます。

 ヴェルナーは数学と科学が好きで、どんどん学んでしまう。そのきっかけになったことのひとつは、修理したラジオで聴いたフランス語の科学の話。そのフランス語の放送から引用します。
 さて子どもたちよ、もちろん脳はまったくの暗闇のなかに閉じこめられているよね。脳は頭蓋骨の内部で透明な液体のなかに浮いていて、光が当たることはない。それでも、脳が作り上げる世界は光に満ちている。色や動きにあふれている。それでは、ひとつたりとも光のきらめきを見ることなく生きている脳が、どうやって光に満ちた世界を私たちに見せてくれるのかな?(49~50ページ)

 目を開けて、と男は最後に言う。その目が永遠に閉じてしまう前に、できるかぎりのものを見ておくんだ。(50~51ページ)

 目に見える光のことを、我々はなんと呼んでいるかな?色と呼んでいるね。だが、電磁のスペクトルはある方向にはまったく走らず、反対方向には無限に走るから、数学的に言えば、光はすべて目に見えないのだよ。(55ページ)
 これらの言葉が、ヴェルナーを科学の世界へいざなう。同時に、マリー=ロールのことも暗示する。視力を失い、光を失ったマリー=ロール。しかし、彼女は本を読んだり、父と会話して物事を想像する。目に見えなくても、マリー=ロールの世界は光に満ちている。さらに、電波、ラジオの存在も。電波も電磁波のひとつ。「光」である。ヴェルナーはラジオと出会い、運命が動き出す。マリー=ロールにとって音は重要な情報だ。のちにマリー=ロールにとっても、電波やラジオは重要な存在となっていく。「光」という言葉にこんなに沢山の意味を込めている。それを美しい言葉で語っている。

 この物語にはもうひとつ重要なものが存在する。「炎の海」という青いダイヤモンド。これが、マリー=ロールの運命を変えていく。この宝石にはミステリアスな言い伝えがある。ダイヤモンドをめぐる話はミステリーのようであり、少年少女の冒険物語のようでもある。

 戦争に巻き込まれる2人。フランス側のマリー=ロールや家族、サン・マロの町の人々は危険が迫る中で静かに行動を起こす。大叔父のエティエンヌがとてもいい人だ。ドイツ側のヴェルナーは、ナチスに支配されてはいるが、心の中までは支配されていない。学校の友人のフレデリックとの友情がそれを物語る。繊細で忍耐強いフレデリックの姿は痛々しいが、希望も感じる。

 ヴェルナーはその科学の才能を、戦争のために使うことになる。特別授業をする教授の言葉にこうある。
科学者の仕事とはふたつの要因によって決定される。本人が持つ興味と、その時代が持つ興味だ。(157ページ)
 この言葉を読んで、同じくドイツ出身の科学者、フォン・ブラウンを思い出した。ロケットを作りたかったフォン・ブラウンと、フォン・ブラウンの技術を兵器として転用したナチスドイツ。ヴェルナーもラジオから始まった興味が、「違法な」電波を使ってやりとりしている者を見つけようとすることに繋がっていく。

 物語を読み進め、マリー=ロールとヴェルナーの接点がどんどん近づいていく。続きを読みたいのと、マリー=ロールとヴェルナーの時間がそこで止まってほしいと思う。でも時間は進んでしまう。あらすじをこれ以上は語りたくない。ネタバレさせたくない。とにかく読んで味わってほしいと思う。

 本当に面白かった。読後の感覚にいつまでも浸っていたい作品です。
by halca-kaukana057 | 2019-02-18 22:25 | 本・読書

音楽のたのしみ 4 オペラ

 全4巻のシリーズ「音楽のたのしみ」。3巻まで読んで、4巻は読まずにいた。10年間も。10年越しで読みます。
【これまでのシリーズ】
音楽のたのしみ 1 音楽とはなんだろう
音楽のたのしみ 2 音楽のあゆみ ― ベートーヴェンまで
音楽のたのしみ3 音楽のあゆみ ― ベートーヴェン以降


音楽のたのしみ 4 オペラ
ロラン=マニュエル/吉田秀和:訳/白水社・白水Uブックス/2008

 作曲家・音楽評論家のロラン・マニュエル氏と、若手ピアニストのナディア・タグリーヌ嬢が音楽について語り合う同名のラジオ番組が元になったこのシリーズ。最終巻の第4巻はオペラがテーマ。オペラの始まりから発展、多様化を経て現代に至るまで、そしてこれからを語ります。

 オペラは私にとってまだまだ未開拓の世界。数年前に声楽を習い始め、古いオペラアリアなどを集めた「イタリア歌曲集」を歌ってきたが、課題となった歌を声楽的に美しく歌うことで精一杯な状態で、そのアリアがどんなオペラのどんな場面で歌われるアリアなのか、調べきれていないものも多い。「イタリア歌曲集」に収められているアリアは、アリアは残っていてもオペラそのものは失われてしまったか、残っていても滅多に演奏されないものも少なくないからだ。でも、歌詞の意味だけは必ず頭に入れて、感情も込めるようにしている。

 声楽レッスンで歌っている範囲以外のオペラについて少しずつ聴いて勉強していたが、今は止まってしまっている。なので、この本を読んでも、さっぱりわからないことが多い。作曲家の名前や、具体的なオペラのタイトルは知っていても、どんな曲だっけ?どんな物語だっけ?と思ってしまう。勉強不足を実感。

 それでも、ロラン=マニュエル氏とナディア嬢のやりとりは面白い。ナディア嬢はこれまで通り、わからないことがあれば遠慮なくロラン=マニュエル氏に質問する。ナディア嬢なりの考えを話してみる。ロラン=マニュエル氏から教えられることもあるし、その考えが合っていてロラン=マニュエル氏を驚かせることもある。知らないこと、わからないことは恥ずかしいことではない。これから勉強していけばいいんだ。ただ鵜呑みにするのではなく、自分なりに考えること、疑問を持つことも大事。10年経ってしまったがまた原点に戻ることができたようで嬉しい。

 フランスのラジオ番組が元になっていて、2人ともフランス人。なので、イタリアから生まれたオペラが、フランスでバレエが加えられ、歌以外の台詞を含むオペラ・コミークとなっていく。イタリアとフランスのオペラ論争、オペラに対する考え方の違いは読んでいて面白かった。この本の半分ぐらいは、古楽のオペラを扱っている。モンテヴェルディやアレッサンドロ・スカルラッティ、リュリ、ラモー、パーセルなど。この辺りは作曲家もタイトルも名前は知っているけど聴いたことがないオペラが多い。ぜひ聴いてみようと思う。

 モーツァルトが登場し、ドイツ語のオペラが誕生するが、モーツァルトのオペライタリア・オペラの流れがあるというのは面白かった。また、モーツァルトのオペラ論も。
「オペラでは、詩は音楽の従順な僕であるべきだ」
「最も恐ろしい状況でも、音楽は耳を満足させなければなりません。ひと言でいえば、音楽はいつも音楽でいなければなりません」
(第14話、164、165ページ)
 私が以前(正直に言うと今も)オペラをとっつきがたいものと感じるのは、音楽だけじゃない、という理由がある。物語があり、台詞があり、アリアや重唱、合唱があり、演出・演技があり、舞台装置があり…芝居である。同じオペラでも演出が違えば、見方が全然変わってしまう。そこが難しいと感じる。オペラをテレビや生で観ると、歌や歌声に圧倒されると同時に、物語を追う。台詞や歌詞の内容を追う。オペラを観た後の感想は、歌や歌声、音楽よりも、物語について思うことが多いかもしれない。なので、音声だけ、CDでオペラを聴くとよくわからないことが多い。対訳をずっと自分で読み続けていないと歌詞の意味がわからないからだ。オペラにとって大事なのは、音楽なのか、物語なのか。第29話「あたらしいオペラへの展望」、第30話「音楽的表現の価値に関する省察」で詳しく語られる。第29話のゲスト、アンリ・バロ氏はこう語っている。
「ところが、わたしの望んでいる密度の高い活気は、たとえ言葉がわからなくても理解できるくらい、簡単な動きを前提としているんです」(349ページ)
さらに、第30話では2人はこう語っている。
N(ナディア):でも、いいですか、わたしが自分の好きなオペラをきく場合、音楽は言葉や状況に結びついています。音楽は劇の感動にその反響をつけ加え、それを敷衍拡大します。
R-M(ロラン=マニュエル):どうしてあなたは、いってみれば、旋律にのせられた色褪せた言葉のおかげで、無意識のうちに、もともと音楽のものじゃなくて言葉から借用したにすぎない表現を音楽に付属するものと考えさせてしまうんだってことに、気がつかないのかな。
N:ああ、うまいことを考えましたわ。イタリア・オペラのグランド・アリアを原型どおりにきかせていただきましょう。わたしはイタリア人じゃなくて、言葉の意味はわからない。それでも、いまきいたアリアが喚起する状況とか、それが表現する人物の性格や感情を、思いちがいしないのじゃないかと思うのですけど。
(中略)
R-M:お望みなら、音楽の表現の可能性は、テンポの性格を示すのに使われるイタリア語の形容詞の術語集の中に、正確に包括されていると申し上げましょう。この種の術語を翻訳すれば、とりちがえることなく、ある音楽が快速だとか、活発だとか、軽妙なおしゃべりだとか、よく流れるとか、楽々としているとか、荘厳だとか、厳粛だとか、いえます。
N:そうすると、音楽が感情自体を表出しているような幻覚を与えるのは、何かの感情にぴったりするリズム、歩きぶり、性格などを組合わせているからだ、というわけですか?
(356~358ページ)
 よく考えると私も同じことをしている。声楽のいつものレッスンでは先生と1対1だが、発表会となると様々な人が聴きに来る。私が歌う歌を聴いたことがない人もいる。そんな人にも、どんな内容の歌なのか伝わるように歌いたい。発表会は勿論だが、聴く人が先生しかいないいつものレッスンでも、歌う時に欠かせないものがある。強弱や速さ、軽さや重さ、明るさや暗さ、クレッシェンド、デクレシェンド、だんだん速くなるのか遅くなるのか、なめらかなのか、一音ずつ切るのか、音を保つのかなどを示す演奏記号だ。発想記号も。発音や発声による、声楽的な美しさに合わせて、これらのことを元に歌っていく。歌ではないが、ピアノを弾いていた時も同じだ。歌詞がつこうとつかなくとも、やっぱり第一に「音楽」なのだ。

 この本を読むと、「音楽」の広さと深さを実感する。途方もない広大な、どこまでも深く、どこまでも空高い世界なのだと。自分には大き過ぎてつかめないと感じる。でも、何十年かかっても、少しずつ聴いて、「音楽のたのしみ」を味わえる瞬間を大事にしたいと思う。途中ブランクが空いて時間はかかったが、やっぱり読みきってよかった。オペラも、この本に登場したものを聴いていこう。
by halca-kaukana057 | 2019-02-02 23:05 | 本・読書
 先日は恐竜の本ですが、今度はピラミッドの本。どちらも古の謎やミステリーに惹かれます。この本は単行本として出版(その時は別題)された時から気になっていました。

ピラミッド 最新科学で古代遺跡の謎を解く
河江 肖剰(ゆきのり)/新潮社、新潮文庫/2018
(単行本は2015、新潮社「ピラミッド・タウンを発掘する」)


 河江先生はピラミッド研究の第一人者・マーク・レーナー博士の元で学び、現在もピラミッド周辺にあった労働者達の住まいのあった地区「ピラミッド・タウン」を発掘している。NHKスペシャルや、「世界ふしぎ発見!」にも出演し、研究結果を番組で取り上げたり、番組でユニークな試みをしている。
 以前、クフ王のピラミッドで、宇宙線を使った透視によってピラミッド内に未知の巨大な空間があるのではないか、というニュースがあった。また、この本では取り上げていないが、ツタンカーメン王墓でも未発掘の部屋があるのではないかと、同じように宇宙線を使った調査で推測された。最新科学を使えば、遺跡の未知の領域も調べられるのか!と驚いた。ツタンカーメン王墓のほうは、詳しい調査の結果ない可能性が高いという結果が出てしまったが、こういう話には惹かれてしまう。また、ピラミッドに登ったり、ドローンでピラミッドを撮影したのも面白かった。ピラミッドは本当に不思議な遺跡だと実感した。

 この本では、ピラミッドについて、ありとあらゆる方向から解説している。ピラミッドをどうやって作ったのか…これはかなり難しい問題。でも、ピラミッドの建設方法の様々な説や、石をどんな道具でどのように加工していたかは興味深い。
 そして、どんな人たちが働いていたのか。ピラミッドの建設に携わったのは、奴隷階級の人々だったという話もよくある。が、こんな体力を要る仕事をするためには、十分な食料と安定した生活を保障する方が、人々は熱心に仕事に打ち込むのではないか…。確かに、劣悪な労働環境では、逃げ出す人も少なくないだろうし、十分な力も出せない。ピラミッドの周辺から発掘された集落跡「ピラミッド・タウン」で人々がどのような生活をして、どんなものを食べていて、どのようにピラミッド建設に携わっていたかの予想が面白かった。河江先生の師匠のレーナー博士たちが発掘している「ピラミッド・タウン」には、ツタンカーメン王墓のような財宝やファラオのミイラはない。古代エジプト考古学はそんな「宝物」の発掘だけではない、一般市民がどのように生活していたのか、その痕跡を発掘することも重要。そこから出てきたものがたとえゴミだったとしても、重要な生活の痕跡。そこが面白いなと思った。食べていたパンの再現も興味深かった。

 河江先生の師匠のレーナー博士が、これまでどのようにして「ピラミッド・タウン」の発掘にたどり着いたかの章もある。これには驚いた。レーナー博士が古代エジプトに興味を持ったのは、アトランティス大陸などの超古代文明からというのだから。科学の進んだ超古代文明のアトランティスの末裔が、古代エジプト文明を築いたというのだ。レーナー博士は最初は、アトランティスの痕跡を見つけようとエジプトにやってきた。しかし、レーナー博士がエジプトで惹かれたのは、土器や石器の欠片など、人々が生活した痕跡だった。そこで博士は180度転換して、厳格な実証主義の考古学者になったという。
 エジプト考古学者の父とも呼ばれる、フリンダーズ・ピートリー(ピートリ)も、最初は超古代文明的なピラミッドの存在に惹かれてエジプトにやってきた。が、ピートリーもピラミッドを丹念に測量するうち、実証主義に移っていったというから面白い。今まで、ピートリーがどのようにしてエジプト考古学の道を進んだのか知らなかったので、こちらも驚いた。古代エジプトの遺跡の実物は、想像するもの以上のものだったということなのだろうか。

 ピラミッドというとまず、クフ王、カフラー王、メンカウラー王の三大ピラミッド、その前の時代につくられた、ジェセル王などの階段ピラミッドが有名。その他にも様々なピラミッドがあり、ピラミッドが建設された場所もナイル川上流のスーダン北部まで広がっている。古代エジプトの王国の影響力の大きさを感じる。

 発掘を進める河江先生たちが、危機に晒された時があった。2010年に始まった「アラブの春」だ。エジプトを含め、中東は不安定な状態になる。発掘を進めたいが、身の安全が第一。当時の記録が生々しい。学術研究は、平和があってこそなのだと思う。


 発掘は進んでいる。発掘された遺構の分析、研究も進んでいる。とはいえ、わからないことは多い。壁画のヒエログリフを解読しても、様々な遺構を発掘しても、すべてがそのままその通りに出てくるわけではない。先日の「鳥類学者 無謀にも恐竜を語る」では、恐竜が栄えたのは6500万年よりも前。一方、古代エジプトで三大ピラミッドを建設していたのは約5000年前。恐竜の時代よりもずっと新しいのに、わからないことがこんなにあるのか…。過去を遡って研究することはいかに難しいのか実感しました。100年前のことでさえ、曖昧になっていたり、間違って伝えられていたりするのだから。人間の悲しい側面なのだろうか。どちらにしろ、わからないことがたくさんあるから、研究が面白い。そんな研究の一部をこうやって本で読んで学べるのもありがたいことだ。
by halca-kaukana057 | 2018-12-20 22:04 | 本・読書

Im ~イム~ 11 [最終巻]

 好きな漫画がラストを迎えるのは、感慨深くて、寂しいですね…。「イム」完結です。

Im ~イム~ 11
森下真/スクウェア・エニックス、ガンガンコミックス/2018

 ジェゼルのミイラ(遺体)を得て、復活したアポフィス。地上では、「マガイ・エネアド」が世界中を壊し、多くの人々が死んでいた。さらに、アポフィスは晴吾や稲羽、神官団の人々をマガイにしてしまった。皆を助けたいが何もできず、混乱するイム。しかし、陽乃芽だけはマガイにならなかった。陽乃芽は怒りセクメトの炎をアポフィスに放つ。陽乃芽は逆に攻撃されてしまうが、アポフィスは身体に違和感を覚える。一方、トトはアポフィスとの友情について考えていた。表に出てきたトトは、アポフィスと戦う、「絶交」することを決意する。

 ついに復活したアポフィス。しかも地上には巨大なマガイがいて、世界を破壊しまくっていた。ここまで来た神官団の者たちもマガイ化され、打つ手もなく…。マガイ・エネアド、勝てる気がしない…。しかし、陽乃芽という希望がいました。古代エジプト神話は、ひとつの物語にまとまっていない。様々な物語・説があり、神々もその物語ごとに数多く出てくる。アポフィスとセクメト神の共通点をうまく取り入れた感じです。アポフィスがジェゼル、セクメトは陽乃芽で、2人ともイム(トト)の友達。似た者でもある。イム・トトと友達になる対の存在のようにもなっています。この2人は後で重要な立場になります。陽乃芽の優しさと強さに爽やかな気持ちになります。

 イムにはまだ友達がいます。神官団の仲間たち。マガイにされてしまいましたが…その手があったか。全員で総攻撃する様はかっこいい。しかも、クレオパトラとラムセスまで。クレオパトラの言葉にじんと来ます。

 「絶交」からの仲直り。ジェゼルとイム、アポフィスとトト。ジェゼルとイムは、本当にここまで長かった。そして、11巻冒頭でも語られているのですが、ジェゼルは最後までジェゼルだった。アポフィスのことを、忘れられなかったのが切ない。

 もう1組、放っておいてはならない関係の者がいました。コンスとアトゥムの「器」。コンスは覚えていたんですね。

 壊滅状態の世界をどうするか…ラスト。平和な日常は、誰かによって守られている…。お別れのシーンはじんと来ます。そして…。以前出せなかった陽乃芽の「進路希望」がどうなってるか。嬉しくなりました。

 王道な友情と真正面からのぶつかり合い。友情の隣には、孤独があった。様々な理由で自ら孤独を選ぶ人は少なくないと思う。私もそんなことを思ったことがあった。でも、誰かが近くにいて、そのただならぬ孤独に気づいていることも少なくない。手を差し伸べれば、その手を受け止めれば、孤独は薄れるかもしれない。様々な友情のかたちを、見せてもらいました。後半、情報量が多くてついて行けない、何度か読まないと状況が読み込めないところもありました。あのスピードも必要だとは思いますが、付いていくのは大変だった…。古代エジプト神話が題材になっている、という理由で読み始めた漫画ですが、古代エジプト神話の幅の広さ、奥の深さも実感しました。普段はあまり読まない王道友情少年漫画ですが、楽しめました。ありがとうございます。

 番外編は、ジェゼル王子の事件簿。人々を助ける立派な王(ファラオ)になりたいジェゼル王子が、エジプトのある村のミステリーにイム(イムはあくまで「大神官イムホテプ」)と共に挑みます。イムは勿論、ジェゼルの未来を知っている。ジェゼルは知らない。無邪気で国民思いの優しいジェゼルが、切なくなります。

 表紙カバーは、全部読んだ後に外して下さい。読む前に外すとネタバレします…。

・10巻:Im ~イム~ 10
by halca-kaukana057 | 2018-11-30 22:33 | 本・読書

ヴィンランド・サガ 21

 そろそろこの間読んだ「ヴィンランド・サガ」最新刊の感想を書こうかな…と思ったら、発売したのは8月下旬だったことに驚きました。そんなに前だったっけ?!本を買っても読まずに積んでおくことを「積読」と言いますが、私の漫画の場合、読んだ後そのまま積んでおいてます…。


ヴィンランド・サガ 21
幸村誠/講談社、アフタヌーンKC/2018

 戦いの中にある、ヨーム戦士団の本拠地、ヨムスボルグ。砦から脱出する途中に傷を負ったレイフ。レイフを戦場から遠ざけるためトルフィンとエイナルはトルケルに話すが、相手にしてもらえない。砦の中にはグズリーズが取り残されている。グズリーズを助けるために再び秘密の井戸の通路から砦に侵入するトルフィンとエイナル、ヒルド。その後を、トルケルの手下であるアスゲートに命じられ、シグルドが追っていた。砦の中に侵入したトルフィンたちとシグルド。トルフィンたちはバルドルのもとへ案内され、グズリーズと再会する。どうやって砦を抜け出すか…そこへ、フローキがやって来る。一方、シグルドは…。砦の外では、ガルムが…。


 21巻の山場はトルフィンとフローキの対面。トルフィンは19巻で、父・トールズを殺したのはフローキだと知ります。トルフィンの表情、感情が一気に変化する。もう自分から人を殺す戦はしない。仲間を守るためであっても人を殺すことはしない。どんな時も、そういう立場だったトルフィンですが…。アシェラッドのもとでトールズの仇を討とうとしていた少年の頃のトルフィンとも違う。あの頃も殺気に満ちていたが、このフローキに会ったトルフィンは全然違います。これまで積もり積もった父への想い、真実を知った衝撃。その全てが、恨み、怒りとして暴走している。こんなトルフィンは初めて見る。バルドルの言葉も重い。まだ少年だというのに、祖父がどんな人間か知っている。知っているからこそ、バルドルも戦士団を継ぎたくないし、戦もしたくないのだと思う。

 「元気君」シグルドは、トルフィンの後を追って砦の中へ。しかし、兵士に見つかってしまい大変なことに。コミカルな部分もあるのですが、かなりやばい状況です。そんな状況で、シグルドの手下の太っちょさん(名前がわからない…すみませんw)が、鋭い質問を。シグルドは本当はグズリーズのことを好きではないと指摘。それに続く言葉。
シグやんが本当に望んでいることはなに?
本当に望んでいることをしなよ
そのほうがグズリーズさんもシグやん自身も幸せになれるよ
たぶんね
(78ページ)
 この言葉が、後半、終盤のシグルドを変えた、のか…?

 砦から脱出する方法を探り、ある手に出たトルフィンたち。砦の中は大変なことに。でもうまくいくんじゃ…と思っていたら、この人の登場…ガルムです。本当にタイミング悪い奴だな!シグやんピンチ。どうなる!

 シグルドへの鋭い質問もそうですが、砦の中で処刑された名もなきヴァイキングの兵士の会話もポイントです。20巻同様、ヴァイキングたちの中にも、自分たちの生活、生き様について、「これでいい」と思っていない者もいる。これが、トルフィンたちをヴィンランドへ向かわせる動機となるはずなのですが…まだまだ長そうです。まずは、ヨムスボルグを無事に脱出できるのか?21巻に続く。

・20巻:ヴィンランド・サガ 20

 ところで、帯にも書いてあるのですが、「ヴィンランド・サガ」アニメ化決定です!!
コミックナタリー:「ヴィンランド・サガ」WIT STUDIO制作でTVアニメ化、幸村誠も歓喜
◇アニメ公式サイト:アニメ「ヴィンランド・サガ」
 いつかはアニメ化するだろう…でも、血がいっぱい流れる、残虐なシーンが沢山、物語も長い(トルフィンの少年時代だけで終われない)ので、アニメ化は難しいだろうと思っていたのですが…本当にアニメ化しますか!来年放送予定。動くトルフィンやアシェラッド、少年時代の美少年クヌートを観たいです!ユルヴァちゃんも観れますね!
 アニメ公式サイトでは、幸村誠先生と、籔田修平監督の釣りをしながらの対談が面白いです。

by halca-kaukana057 | 2018-10-31 22:47 | 本・読書
 今日、9月20日はシベリウスの御命日。61年目です。普段ならCDについて書いていましたが、今年は本。シベリウスに関するとても興味深い本を読みました。昨年、シベリウス没後60年、フィンランド独立100年に合わせて出版されました。

シベリウス (作曲家 人と作品)
神部 智/ 音楽之友社 /2017

 シベリウスの伝記と、作品解説に関する本です。
 日本語でのシベリウスの伝記というと、今まで数は多くなかった。1967年、菅野浩和氏による「シベリウス 生涯と作品」が最初。私もこの本は持っていますが、やはり古い。資料が少なかったのだ。他にもいくつかありますが、本当にいくつかだけ。他の作曲家はもっと沢山出てるのに…。ようやく、シベリウスの伝記の決定版が出ました。それだけ資料も出てきて、研究も進んだということだ。シベリウスの生涯と、その頃に作曲された作品の作曲経緯などが書かれ、「作品篇」ではそれぞれの作品の解説があります。

 まず、Sibeliusという姓に疑問を持っていた。当時、スウェーデン語系フィンランド人はラテン語風の姓を名乗ることはあったが、ではなぜ「Sibelius」なのか。その謎にも答えがあります。家系や家族も詳しく解説されています。「ジャン」というフランス語の名前・ペンネームは船乗りだった伯父が「ジャン」と名乗っていたのに由来しているが、その伯父さんや、シベリウスが幼い時に亡くした父・クリスティアンについても詳しく記載されています。シベリウス家は家計が苦しく、アイノ夫人は大変だったそうだが、それはシベリウスが幼い頃からもそうだったと…。音楽以外のことに関しても本当に詳しいです。

 そして、シベリウスはスウェーデン語系フィンランド人、という存在、立場もシベリウスの生涯でも、作曲においても、重要な要素となります。フィンランド語および文化の地位向上を目指した「フェンノマン」、スウェーデン語および文化の推進者の「スヴェコマン」。この両者は対立、せめぎ合い、フィンランド社会を二分してしまう。スウェーデン語を話すも(シベリウスはフィンランド語は話せるけれども苦手だった)、「カレワラ」などフィンランドの文化に関心があり、それを題材にした作品を作曲したシベリウス。シベリウスのアイデンティティは揺れ動いていた。「カレワラ」にちなんだ作品を発表する一方で、歌曲はスウェーデン語のものが圧倒的に多い(詩はルーネベルイなど、スウェーデン語系フィンランド人によるものが多いため)。「フェンノマン」と「スヴェコマン」はシベリウスにとって重要なキーワードになります。

 シベリウスは孤高の作曲家と言われる。特に後期の作風が、他の同時代の作曲家とは異なる技法、表現を使っていた。また、徐々に作曲しなくなり、アイノラで静かな晩年を送ったのも理由にあるだろう。でも、シベリウスは全く孤高ではなく、音楽家同士の交流もあったし、他の作曲家の作品に感銘を受けたこともあった。若い頃はワーグナーに傾倒していたが、バイロイト詣出をした後、目指す音楽はワーグナーではないと明言する。ヘルシンキ音楽院(現在のシベリウス・アカデミー)の教授だったブゾーニや、指揮者のロベルト・カヤヌス、リヒャルト・シュトラウス、シベリウスを尊敬し交響曲を献呈するほどだったレイフ・ヴォーン=ウィリアムズなど、様々な音楽家や人々と交流があった。シェーンベルクの作品を聴いて高く評価していたのには驚いた。音楽界は時代の過渡期、調性のない音楽が生まれる一方で、シベリウスは独自の道を歩んだとされるが、シベリウスは社会と断絶していたわけではなかった。

 各作品の作曲の背景も、知らなかったことが多く勉強が進んだ。交響曲第8番の作曲、破棄の経緯も記載されている。スコアを暖炉で燃やしてしまったと言うが、それは事実なのか。

 これまで、イメージや憶測で語られてきたシベリウス。勝手なイメージを持ってしまっていたと思う。

 菅野さんの別の本も面白いです。

シベリウスの交響詩とその時代 神話と音楽をめぐる作曲家の冒険

神部 智/音楽之友社


 「作曲家 人と作品」シリーズよりは難しいですが、こちらもおすすめです。
by halca-kaukana057 | 2018-09-20 22:19 | 本・読書

天文の世界史

 火星の大接近と夏の夜の惑星祭り、ペルセウス座流星群と様々な天文現象があり、今年も何かと天文・宇宙は話題になっています。これまで、様々な天文・宇宙本を読んできましたが、その宇宙を人類はどのように見つめてきたのか。ルーツ、歴史を紐解いてみたいと思いません?ということでこの本。


天文の世界史
廣瀬 匠 / 集英社、集英社インターナショナル、インターナショナル新書 / 2017

 天文学の歴史というと、まずメソポタミアやエジプトと言った古代文明のもとで生まれた天文学に続いて、西洋の天文学の歴史について語られる。あと、アラビアの天文学。しかし、インドや中国といったアジア諸国でも天文学は進歩していった。古代マヤでも天文学は進んでいた。世界史は世界史でも、天文学の世界史、人類が宇宙をどう捉えていたのか、その歩みを辿る本です。
 著者の廣瀬さんは、アストロアーツで働いた後、天文学史の研究へ。古代・中世インドがご専門。ツイッターをやっていた時、フォロワーさんでした。何度か言葉を交わした方が本を出されている…不思議な世の中です。

 身近な太陽、月、地球に始まり、惑星、星座、流星や彗星、銀河などの記録や民俗、文化などなど。時間、年月日の概念と誕生、暦の作成…宇宙、太陽や月、星(星座)はそれらを生み出してくれた。運行に規則があって、一定である。そこから、権力者が変わり無く、絶え間なく、統治できるかという指針にもなった。動きが一定でない惑星や、彗星、超新星などは不吉とされた。星占いもそこから発展した。人類が宇宙の中で生きてきた、宇宙があって人間の生活や文化が生まれ変わっていったことの証でもある。現代人の多くの人は、天文現象があれば何だかんだと騒いで空を見上げるが、古の人々にとって宇宙は、もっと身近で、もっと見続けていたものなんだろうなと思った。昔は夜はこんなに明るくはないので、もっと星や月を見えたのもあるのかな、と。

 地域によって、星の見方も違う。メソポタミアの流れにある西洋の星座と、中国の星座は違う。でも、似ているところもある。星の並びが印象的なものだと、どこの地域でも結び方は同じになってしまう。星座だけでなく、太陽や月、暦、惑星などに関しても。インドについては今まであまり知らないことが多いので、興味深かった。

 近現代の天文学についても書かれています。望遠鏡の発達により、遠くの銀河や星雲なども観測できるようになった。天の川についても、銀河だったとわかる。さらには相対性理論、暗黒物質、ビッグバンと今現在も研究が続いている天文学、物理学に繋がる。遠くの宇宙が見えるようになれば、また謎が生まれる。新しい発見があれば謎も生まれる。天文学の歴史はその連続。今、研究している宇宙の謎が解けたら、また新しい謎が出てくるのだろうか。とても面白いです。

 新しいことだけではない。244ページの「「天文学の歴史」を疑うことこそ理解への第一歩」とあるように、天文学の歴史も諸説ある。ある概念が時間を経て、違う概念に変わってしまったことはよくある。過去も知ればまた謎や疑問、噛み合わないことが出てくる。専門家でない限りなかなか文献を探すのは大変だが、色々な説や文献に触れて、天文学の多様性を実感する。天文学の歴史の膨大さも、宇宙のように広がっているのだなと感じました。すごいね。

 宇宙天文についての基礎についても書かれているので、宇宙天文+天文学史の入門書になると思います。内容はちょっと難しいところもありますが、文章も親しみやすいと思います。


【過去関連記事】
天文学者の江戸時代 暦・宇宙観の大転換
カリスマ解説員の楽しい星空入門
「ブルームーン」とはそもそも何ぞや

by halca-kaukana057 | 2018-08-11 22:22 | 本・読書
 クラシック音楽を聴くようになって10数年ぐらい(大人になってからなので、全然日は浅い)になるが、なかなかお近づきになれない作曲家が何人かいる。そのひとりが、グスタフ・マーラー。クラシックを聞き始めた頃、交響曲が苦手だった。「重い」「長い」「難しい」から。マーラーの交響曲はまさにそのどれにもあてはまる。しかも、マーラーといえば交響曲が圧倒的に演奏回数が多い(歌曲や室内楽もあるのに)。指揮者、オーケストラの「勝負曲」になることも多い。事あるごとにマーラーは演奏されている。聴く回数が増えて、以前よりはマーラーを好きになれたと思う。交響曲でも声楽付きの作品は好きだ。でも、まだ、お近づきになれていない感じはある。この本を読んだら、もう少しお近づきになれるんじゃないかと思って読みました。

マーラーを語る 名指揮者29人へのインタビュー
ヴォルフガング・シャウフラー:著、天崎浩二:訳/音楽之友社/2016


 2010年の生誕150年、2011年の没後100年に合わせて、世界的に活躍している指揮者、29人に、マーラーの作品について、作曲について、マーラーの人間について、指揮者としてのマーラーについてをインタビュー。年代も国も幅広く。

 この本を読んで思ったのは、私はマーラーの伝記をよく知らないということ。マーラーは複雑な背景を持っている。現在のチェコ(当時はオーストリア帝国)に生まれた。両親はユダヤ人。指揮者としてウィーンやアメリカで活躍し、ウィーンではオペラを指揮していた。そして作曲家として、11曲の交響曲、歌曲や室内楽を作曲し、自身の指揮で披露した。このぐらい。シベリウスと会って、交響曲について語り合った時、考え方が全く異なる、というエピソードは覚えている。が、それぞれの作品の作曲背景もよく知らないし、どんな指揮者だったのかも知らない。まずは伝記を読まないとなぁ、と思ってしまった。

 今でこそ、マーラーは世界中で当たり前のように演奏されている。「またマーラーか」と思うこともある程、演奏機会は多い、増えている。でも、以前はこんなにマーラーは演奏されていなかった。かつてはオーケストラの楽団員には、民謡の寄せ集め、悪趣味、と揶揄されていたのも初めて知った。
 マーラーはユダヤ人である。第二次世界大戦の時は既に亡くなっていたけれど、ユダヤ人排斥のナチスの方針で、マーラーは演奏禁止、レコードを聴くことも許されなかった。そういえばそうだった。それを忘れていた。マーラーは早くに死んでしまったが、それでよかったのかもしれない。そんな中で、こっそり家族がレコードを聴かせてくれた、などという指揮者たちの話を読んで、戦争や弾圧は個人の心の中までもは支配できないのだなと感じた。
 マーラーの作品を演奏、普及するのも地域差がある。結構遅い地域もある(例えば、フィンランドでは、1970年代に、元シベリウスアカデミー指揮科教授のヨルマ・パヌラがフィンランドで初めてマーラーチクルスをやったそうだ)。インタビューをした29人の指揮者の出身地はバラバラである。コンサートなんてあまりない、あってもマーラーが演奏されることなんて滅多にないところで生まれ育った指揮者もいる。マーラーとの出会いはそれぞれ異なり、面白いなと思った。

 マーラーの作品を積極的に演奏したバーンスタイン(今年生誕100年)は、交響曲第6番「悲劇的」、第7番などから、20世紀の戦争、破壊的な大惨事(カタストロフ)を予言していたと言っている。それについてどう思うか、という質問もあった。指揮者たちの答えが興味深い。単純に言葉を受け取るのではなく、指揮者たち各々が勉強をして、そこからその質問に対しての答えを導いているのは、なるほどと思った。

 指揮者としてのマーラーについての指揮者たちの考え方、見方も面白い。マーラーは、数多くのオペラを指揮していたのに、何故オペラを作曲しなかったのか。これは興味深い。調べてみたら、一応作曲はしたが、破棄、紛失してしまったという。声楽付きの交響曲、特に交響曲第8番はオペラの雰囲気でもある。ここからマーラーのオペラ感がわかるのだろうか。

 マーラーと、同時代の作曲家の関係も面白い。シベリウスは、現代作品への作曲への流れに納得できず、孤高の立場を貫いた、作曲ができなくなったと言われている。マーラーはどうだろうか。マーラーがもしもっと生きていたら、どんな作曲をしただろうか。他にも、マーラーと関係のあった、マーラーに影響を受けた作曲家の話が出てくる。ショスタコーヴィチがマーラー好き、マーラーに影響を受けていたとは知らなかった。そのショスタコーヴィチに対して、ピエール・ブーレーズの反応が…そうだったのか。

 指揮者たちの、マーラーに対する考え方はそれぞれである。クールに徹している人、マーラーともし会って話が出来るなら是非、という人。この29人全員のマーラーを聴きたい…いや、それは大変なことになるな…。

 ズービン・メータがブルーノ・ワルターを通じて、アメリカで妻・アルマと会った話が面白かった。マーラーがどんな人だったのかも語ってくれた。アルマも、こんな人だったんだな、と感じた。
 直接の話でなくても、戦時下での反ユダヤのことや、こんなにマーラーが演奏される前の話など、昔の話は特に興味深い。しかし、この本でインタビューを受けた指揮者のうち数名は亡くなってしまった。この本の形で残ってよかったと思う。

 「やがて私の時代が来る」と言ったマーラー。マーラーの時代は、今来ているのだろうか。マーラーの音楽にお近づきになれただろうか。まずは作品を聴くのと同時に、ちゃんとした伝記を読むことからかも。

 ちなみに、マーラー以上にお近づきになれていない作曲家…ブルックナー。版問題から、作品の巨大さから、聴いても、4番と9番以外聴き分けられない。続編で「ブルックナーを語る」を出してもらえないだろうか…。でも聴かないと話にならんのだよなぁ…。

by halca-kaukana057 | 2018-07-28 22:20 | 本・読書

好奇心のまま「面白い!」と思ったことに突っ込むブログ。興味の対象が無駄に広いのは仕様です。


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