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あの物語をもう一度 「電脳コイル」GYAO!で配信中

 GYAO!で配信中のアニメ「電脳コイル」が最終回を迎えました。初見の時はボロ泣きしてたなぁ…と思い出しながら観たのですが、やっぱりボロ泣きでした。うろ覚えなところもあって、イサコと「4423」の関係、古い空間が何なのか、イマーゴは何なのか、猫目は何を企んでいるのか、ミチコさんは何者なのか…ヤサコはどうやってイサコを助けたのか…物語が複雑で今も理解しきれないところがあるのに、ヤサコと同じように「心の痛み」を感じて、涙腺を攻撃される。最終回までの課程もいい。散りばめられてきた謎がひとつひとつ繋がって、解けていって、そこにイサコの過去や本心、ヤサコのイサコへの想いが浮かび上がってくる。初見時、最終回で電脳霧がすーっと消えていった感じがあると当時のブログに書きましたが、同じ気持ちです。電脳霧が晴れると、ヤサコやイサコの感情が溢れてきて、涙も溢れる。10年以上も前の作品なのに、同じところで泣いて、同じことを思っています。

誰かへつながる細い道

 初見の最終回の後、この記事を書きました。イサコが言っていた、人と人の間には細い道がある、という話。最後まで観て、この記事を読み返して、10年以上経っても私は同じようにその細い道で迷っているなと感じました。

ずっと怖かった
誰かと心が繋がることが怖かった
でも、もう怖くない
見失っても、必ず道はどこかにある

ヤサコ:人は細い道で繋がってる 時々見失うけど

でも、きっと繋がっている
 最終回でのイサコの言葉です。私も、誰かと心が繋がることが怖い、と思うことがあります。誰かと心が繋がって、仲良くなれたら嬉しい。でも、いいことばかりではない。かなしみや苦しみ、痛みがある。うまく伝えることができなかったり、すれ違ったり、誰かのある一面に嫌だなと感じたり…。人間関係での「心の痛み」を感じて、嫌になって、逃げたこともある。上の記事では
「痛いからと言って、誰かとの心の道をつなげることをやめたくはない。この土俵から降りることもない。 」
と書いたけど、土俵から降りたこともある。自分の弱さ、不器用さに酷く悩んだことも何度もある。だから、誰かと心が繋がることが怖い。イサコのように「もう怖くない」と言い切れない。

 ヤサコは優しい子、イサコは勇ましい子と言われ、物語の序盤ではまさにそのあだ名通りの2人だったが、そうじゃなかったんだなと思った。ヤサコはイサコが見抜いたように、優しくすることで心の弱さや偽り、本音を隠している。イサコを救おうとする辺りではとても強い。最終回のヤサコの表情はとても凜としていた。ちなみに、自分の身を危険にさらしても人を助けようとするところ(ヤサコはイサコだけなく、ハラケンも救った)は、おじじ譲りなのかもしれない。最終回のおじじ、いい人だったなぁ。
 イサコはサッチーをも破壊した最強の暗号屋だが、兄に甘えたい気持ちや人と繋がることを怖いと思っていること、心の痛みを怖れていること…そんな弱さを持っている。ヤサコが4423の病室のことを知り、イサコが兄はあっちに連れて行かれたんだと話した時のおどおどした感じ。兄のことなんて誰も信じてくれないと弱気になっている。その弱気を隠すための勇ましさであり、暗号というツールもあったのかなと思う。
 そして、イサコが還ってくる道しるべになったもの、ヤサコがイサコを探しあてることができたもの、それが「心の痛み」だ。

 人間は様々な面を持っている。私は平気そうな顔をして、周囲の人間関係から一歩引いていることがよくある。ちょっとでも誰かと想いがすれ違ったりすると、どうしていいかわからなくなる。でも最近は、すれ違うことがあっても少しずつ修復を試みようとしている。それが合っているのがわからない。でも、今の自分にできることをしている。怖いし、自信はないけれど。

言っただろう、私は友達というものがよくわからないのだ
でも、お前は…そうだな、同じ道を迷って、同じ道を目指した仲間だ
でも、仲間なのは同じ道を目指している時だけだ
私みたいな人間は、いつまでも他人といては自分の道が見えなくなってしまう
また会おう、同じ道を迷った時に
 これも最終回でのイサコの言葉です。今も誰かに繋がる細い道で迷っている私が、再び「電脳コイル」を観られてよかった。同じ道を迷ってばかりな私は年に1回は「電脳コイル」を観た方がいいのか…?
 やはり私は「もう怖くない」と言い切れないし、細い道を迷いつづけるだろう。痛みを感じ続けるだろう。ただ、「痛い」と知っているから、他者の気持ちに寄り添えるのかもしれない。怖さも、同じなのかもしれない。何度も迷っていることも。
 迷いや痛みは消えないけれど、それがコミュニケーションしていく上で大事なことなのかもしれない。それを忘れたら、相手の痛みに対して鈍感になってしまうから。相手が痛みを感じていても、それを無視してしまうから。私は迷いや痛みと共に細い道を歩く。時々見失って、逃げたり、止まったりすると思う。でも、細い道はきっとどこかに繋がっている。それを信じたい。




by halca-kaukana057 | 2019-12-14 23:36 | Eテレ・NHK教育テレビ
 NHKスペシャルで放送された「ボクの自学ノート 7年間の小さな大冒険」を録画で観ました。
NHKスペシャル:ボクの自学ノート ~7年間の小さな大冒険~
NHKドキュメンタリー:ボクの自学ノート~7年間の小さな大冒険~
 ↑元々はBS1のドキュメンタリーで放送された番組でした。番組未放送のインタビューも。

NスペPlus:読む「ボクの自学ノート」① 地元時計店・吉田社長との7年間の交流
 ↑自学ノートを読めます。

 主人公は梅田明日佳くんという男の子。小学3年生の頃宿題として出された「自学ノート」に、興味を持ったことについて調べ、書き続けている。「自学ノート」が宿題ではなくなった中学生になってからも書き続け、そのことを振り返った作文が「子どもノンフィクション文学賞」大賞を受賞。明日佳くんの「自学ノート」がどんなものなのか、「自学ノート」でどんなことを学んできたのか、「自学ノート」をきっかけに出会った大人たち、「自学ノート」を書き続ける一方で明日佳くんとお母さんは悩むこともあった…。その様を描きます。

 番組を観て、すごいな、明日佳くんはすごいなと思いました。「自学ノート」…私も小学生の頃、宿題で「一人勉強ノート」というのが出ていて、似たようなことをしていました。「一人勉強ノート」は、自分のやりたい勉強をやる、というルールでした。明日佳くんの元同級生が語ったように、普通は計算問題や漢字練習をする。でも私は、国語辞典や百科事典の興味のある項目を書き写していました。そのうち先生から、「そうじゃなくて計算問題や漢字練習をしなさい」と注意されてしまい、私も計算問題や漢字練習をすることに。でも、時々はまた興味を持ったことを書いていました。計算問題や漢字練習がつまらない、あまり気が進まなかったので、逃げるように興味のあることを書いていた、というのが正直なところ。勿論、「一人勉強ノート」が宿題ではなくなった中学以降はやりませんでした。

 明日佳くんの「自学ノート」は私のそんなものとは違う。興味を持ったことがあれば、その場所へ実際に行ってみる。新聞で珍しい時計の展示をしていると知れば、実際にその展示をしている時計店に行ってみる。そして、その社長さんから聞いた話もまとめて、更に詳しくノートに書く。しかもそのノートは人に見せるものという前提で書いている。ノートそのものもとても丁寧だ。書いた後社長さんに見せて、感激した社長さんが明日佳くんと「自学ノート」のことをブログに書けば、そのことも「自学ノート」に書く。明日佳くんの住んでいる周りには博物館や科学館も多かった。手紙を出してから会いに行き、聞いた話を「自学ノート」にまとめてまた見せに行く。こうして明日佳くんは地域の大人と「自学ノート」で繋がっていった。その行動力がすごいと思う。気になったことがあっても、そこまで追究できるか。実際に現場に行って、人に会って、その感想を伝え続けることができるか。しかも、学校の課題ではない。ただ単に、自分が興味を持ったから。明日佳くんは「自学ノート」を趣味だと言っている。学校の勉強とは関係ないと言う。趣味でそこまでできるか。大人になって、学校の勉強から離れ、没頭できる趣味に時間やお金を費やすことを考えれば趣味でそこまでできると思う。でも、明日佳くんは当時中学生だ。学校での勉強がある。高校受験だって控えているし、将来を見据えて大学受験や就職のことを考えている中学生も少なくないだろう。中学生は忙しい。でも、明日佳くんは部活に入らず、「自学ノート」を選んだ。友達と遊ぶことよりも「自学ノート」でしたい学びに楽しみを見いだした。自分だけの学びの世界が、どんどん広がっていく。世界はとても広くて、たくさんの不思議な、面白いことに溢れていて、自分でそこへ近づくことができる。明日佳くんの豊かな感受性と、文章力、丁寧さも力となり、「自学ノート」はどんどん豊かになっていく。

 その一方で、明日佳くんもお母さんも迷いはあった。友達と遊ぶこともほとんどせず、「鎖国のように自分の世界に閉じこもって」いると自己分析している。お母さんも明日佳くんを応援しつつも他の子と違う我が子をどう育てたらいいか悩んでいた。番組を観ていて、私は明日佳くんがよく不登校にならなかったなと思った(不登校であることを否定する、悪いものとするわけではありません)。学校にいるのは最低限。学校が終わればダッシュで家に帰り「自学ノート」に打ち込む。長期休暇は絶好の「自学ノート」に打ち込める期間。その夏休みを短縮する方向性だと報道された際には、それは困ると市長に手紙を書いたほど。明日佳くんは学校の外に自分の世界を持っていた。自分を認めてくれる大人たちが学校の外にいることを知っている。だから、学校にも行き続けることができたのではないかと思う。辛い時間ではあったけれども。

 明日佳くんのお母さんが紹介していた福岡伸一「ルリボシカミキリの青」の一文が沁みた。
そしてそれは静かに君を励まし続ける。
最後の最後まで励まし続ける。


 明日佳くんのような「個性」を、どう考えたらいいだろうか。「個性」を伸ばそうとする教育。一方で、「出る杭は打たれる」突出した個性は煙たがられる。明日佳くんも「自学ノート」はほどほどに、受験勉強を頑張るように先生に言われたそうだ。内申書に「自学ノート」をつけたら、加点になると私は思うのだが…「規格外」「想定外」なのだろう。「時間をかければ良いのはできるけど、社会では効率性が求められる」とも先生は言う。それは正しい、とは思う。でも、それをよしとする「社会」も存在する。先生にはそれを伝えて欲しかった。いや、先生が伝えなくても、明日佳くんはきっと自分で見つけるだろう。
 人それぞれの豊かな「個性」、「多様性」。大事にしようと言っているけれども、それは心からの言葉?建前だけの話?突出している明日佳くんだけじゃない。周りの「ちょっと違う」、周りと「ちょっと違う」を本当の意味で認め合うことについて考えています。

 しかし、手書きで、誰かに読んでもらうことを前提に、丁寧に書いているのはすごいなと思う。明日佳くんがブログをやったら面白いだろうと思ったけど、きっとデジタルでは伝わらない。アナログだからいいのだと思う。私ももっと手書き、アナログも大事にしないとなと思います。毎日日記をつけたりと、何かしらアナログなことはしているのですが、デジタルは便利…こうやってブログを書くのもやっぱりデジタルは便利と思ってしまう。悪いことではないのだけれど。

 人びとがそれぞれ、興味のあることについて調べたり、わかったことを語ったり発信して、読みあえたら楽しいだろうなと思う。ネット上にはそういうのが溢れている。探せば出てくる。
 自分のことを話すと、少し前からこのブログを続けることに楽しさを感じなくなっていた。方向性に疑問を抱くことがあり、しんどいと感じる。にアクセス数も少ない。反応がない(コメント欄を閉じているから当然だけど)。誰が読んでいようと誰も読んでなかったとしても、自分が書いていて楽しいのだからそれでいいと思っているつもりだったが、やはり公開しているからには読んで欲しいと思っている自分に気がついた。「つまらない」のだろうな。この興味を共有できる人がいないのだろうか。複雑な気分。自分の興味のあることについて書いているのは同じだから、明日佳くんの「自学ノート」がこのブログのヒントになればいいとも思っています。


 個性については過去に読んだこの本も参考になります。
「個性」を煽られる子どもたち



by halca-kaukana057 | 2019-12-09 23:33 | 日常/考えたこと

起終点駅(ターミナル)

 桜木紫乃さんの作品は初めて読みます。表題作の「起終点駅(ターミナル)」が映画化され、映画は観ていないのですが主題歌のMY LITTLE LOVER「ターミナル」がとても好きで、まずは原作を読んでみようと思ったのが読むきっかけ。ちなみにマイラバはデビュー当時から大好きです。


起終点駅(ターミナル)
桜木紫乃/小学館、小学館文庫/2015(単行本は2012)

 東京のデパートの化粧品売り場で働く真理子は、竹原基樹の納骨式のために函館にやって来た。1ヶ月前に納骨式に出席して欲しいと手紙を受け取った。式はロシア正教会で、参列者は真理子の他にいなかった。真理子と竹原は大手化粧品会社に勤めていて、竹原は幹部を約束された男だった。竹原は複数の女性と関係を持っていて、真理子もその一人だった。だが、急に母親の介護をすると仕事を辞め函館に行ってしまった。真理子はその納骨式の立会人で神父の角田吾朗に、函館に来てから死ぬまでの竹原のことを聞く…。
(「かたちないもの」)

 「かたちないもの」、「海鳥の行方」、「起終点駅(ターミナル)」、「スクラップ・ロード」、「たたかいにやぶれて咲けよ」、「潮風の家」、6編の短編集です。どれも北海道の町が舞台になっていて、もう一つ共通するのが登場人物は孤独、無縁の状態であること。暗く寂しい作品ばかりで、読んだ後やるせない気持ちになった。特に「スクラップ・ロード」は救いがない…。

 私はひとりでいるのは好きだ。だが、孤独にはなりたくないと思う。
 「無縁」であれば、家族がいない、もしくは連絡を取っていない、ほぼ縁が切れた状態。身寄りがない。
 「孤独」はどういう状態だろうなと考える。友人や恋人、心を許せる人がいない。自分のことを誰にも話せない、話し合える相手がいない。頼る人が誰もいない。ひとりぼっちでいることを寂しく、苦しく、辛く、望みがないと思っている。こう書いてみたが、とすると、この作品に出てくる登場人物たちは全く「孤独」ではないとも思える。誰かがそばにいて、少しの間だけでも一緒にいてくれる。その人が何者なのか、誰もよく知らなくても。過去に何があったとしても。ただ一緒にいるのではなくて、お互い孤独で、それをわかっていて距離を保っている。傷をなめ合うようなことはしない。目の前にいるその人として向き合う。どこまでも暗く寂しい物語だけれども、その個人を尊重するような関係があるのは救いだ。

 「海鳥の行方」「たたかいにやぶれて咲けよ」の主人公、新人新聞記者の里和がいい。男社会の新聞社で、新人で女性の里和は上司の圧力に耐え記事を書き続ける。里和には恋人がいたが、卒業後離れて暮らし、それぞれの仕事が過酷になるにつれて連絡も減っていった。恋人の苦しい状況に心を痛めつつも、記事を書き続ける。記者の郷和と、ひとりの人間としての里和。この違いに惹かれる。
 「潮風の家」も寂寥感に満ちた作品だが、人間の奥深さが伝わってくる。千鶴子とたみ子の2人は孤独で生きづらいはずだが、そんな素振りも見せない。「孤独」はその人自身が決めるのだろうか、と思う。

by halca-kaukana057 | 2019-11-19 22:52 | 本・読書
 「友だち幻想」の著者、菅野仁さんが、「友だち幻想」の前に書いた本です。長らく入手困難になっていたそうですが、文庫化しました。

友だち幻想

愛の本 他者との<つながり>を持て余すあなたへ
菅野 仁:著、たなか鮎子:イラスト/筑摩書房、ちくま文庫/2018(原本は2004年、PHPエディターズ・グループ)


 「友だち幻想」へ繋がるテーマである、他者との繋がりと、幸せとは何かを菅野さんが語りかけるように書かれた本です。「友だち幻想」同様10代~大学生の若い人向けの本ではありますが、それ以上の大人も読んで欲しい。

 「友だち幻想」でも書きましたが、菅野さんの言う「他者」とは、自分以外の全ての人のこと。家族や親しい友達も。この「他者」をどう捉えるかによって、考え方は変わってきます。「他者」は自分とは「違う」存在。親しくて、「同じ」と思ってしまうから、自分のことをそっくりそのままわかってくれるはずだ、価値観は同じはずだと思ってしまう。でも、「他者」はどんなに親しい人であっても自分と全く同じではない。そこに傷ついてしまう。「他者」と適度な距離を取り、適度な距離があるからこそ親しさも感じられる。このことについては深く頷きます。相手が自分と親しいからといって、好きなものが同じだからといって、自分の考え方や価値観などは同じとは限らない。それで独りで傷ついてしまうことがよくありました。この本を読んでいたら、もっと気が楽になれたのになと思います。
 「他者」に対して、「他人」という言葉も出てきます。「他者」と「他人」(親しくないよそよそしい関係の人)を家族が同じに考えてしまって怒られた…なんて話も出てきます。家族であっても、自立した人間と見て欲しい。それが「他者」の考え方です。

 「他者」からの自分がどう見えているか。このことについても文章が心に染み込むようでした。自分をこう見て欲しい、というイメージがある。でも、「他者」はそう見るとは限らない。
 この「他者」は、自分自身でもある。自分自身に対してのイメージを持ちすぎて、現実と理想のギャップに傷ついてしまう。「自我」の弱さ、繊細さは悪いことではないけれど、自分自身が苦しくなる原因でもある。傷つきやすい自分、弱い自分を認めて、他者や社会へもう一歩踏み出す。傷つきながらも「耐性」をつけていくこと。
 自分自身と他者からの自分のイメージの違い、評価、恐れに対して「構え」を持つこと。他者に期待しすぎないこと。「純度100%の関係を相手に求めない」(162ページ)という言葉があるが、とてもしっくりきた。これも、もっと早く読みたかった。

 「友だち幻想」の感想記事で、「こう紹介していると、随分とクールな立場の本なんだな、と感じます。実際、クール、現実的です。」と書きました。この「愛の本」の感想も、このままでは同じようにクールで現実的な立場の本と思われてしまいそうだ。この「愛の本」はとても優しい、そっと見守ってくれるようなメッセージに満ちた本です。菅野さんが高校生の頃にピアノ教室で経験したあること、菅野さんのご家族のこと、親戚や学生さんたちのこと…経験談やエピソードはどれもあたたかい(ピアノ教室での話は苦め)。菅野さんからの手紙のような本です。

 人間の幸福とは何か。この本では、「自己充実をもたらす活動」と「他者との交流」としている。「他者」に期待し過ぎないとか、「他者」は自分とは違う存在だと書きましたが、それは「他者」との交流を否定するものではない。傷つくこともあるけれども、だからこそ他者との心地よい交流は「生のあじわい」を感じられる。自分を認めてくれる他者がいることは安心に繋がる。そして、自分が楽しいと思うことをする。菅野さんも様々な趣味を持っている。それも「生のあじわい」を感じられることだ。私もやっていると楽しい、時間も忘れて熱中してしまうことがいくつかある。それを大事にしていこうと思う。

菅野さんが若くして亡くなってしまったことが本当に残念だ。「友だち幻想」と合わせて、人間関係に悩んでいる、社会の中で生きづらいと感じている人に読んで欲しい。

by halca-kaukana057 | 2019-11-11 22:56 | 本・読書

ある一生

 よく、本屋や図書館で偶然目にした本を読んでみたら面白かった、ということはあります。ネットではそういうことがない、と。でも、ネットでも、たまたま見つけた本が気になって、読んでみたら面白かった、ということもある。そんな本です。


ある一生
ロベルト・ゼーターラー:著、浅井晶子:訳/新潮社、新潮クレスト・ブックス/2019

 20世紀初頭、アルプスのふもとの村。アンドレアス・エッガーは私生児として生まれ、母親はエッガーが幼い頃に亡くなった。4歳ぐらいのエッガーを引き取った農場主のクランツシュトッカーは、エッガーに厳しい労働を課し、事あるごとに体罰を与えてきた。その体罰が原因で、エッガーは右の脚が不自由になってしまう。それでも、エッガーはたくましく成長し、18歳の時農場を出て一人で暮らすようになった。その後、29歳になった頃、エッガーは山の中に小さな小屋つきの土地を買い、そこに住んでいた。吹雪のある日、エッガーはヤギ飼いの老人「ヤギハネス」の小屋に立ち寄り、ヤギハネスが瀕死の状態にあるのを見つける。村にヤギハネスを運ぼうとするが、その途中、ヤギハネスは「死ぬ時は氷の女に会う」と言い残し、吹雪の雪山へ向かってしまう。その後のエッガーは…。


 そんなに長くない物語です。でも、とても濃い。「ある一生」のタイトルのとおり、エッガーの生涯について語られる。恵まれない…と思うのは、エッガーにとってはどうなんだろう。エッガーは「恵まれない」と思っていたようには思えない…。過酷な環境で育った少年時代。虐待により、脚に障碍を負ってしまう。でも、この物語は「障碍者」としてのエッガーの物語ではない。あくまで、ひとりの人間としてのエッガーという男の物語だ。だから、エッガーを「恵まれない」「かわいそう」とは思ってしまうが、それはエッガーにとっては本望ではない。

 エッガーはとてもたくましい、力強い男で、どんな過酷な仕事もする。エッガーの住む村・山を観光のために開発していた会社で仕事をする。不平不満を一言も言わず、黙々と仕事をする。山で仕事をするには過酷な冬でも仕事をする。それは、愛する妻のため。素直で、朴訥で、仕事以外の面では不器用なエッガーのけなげさがまっすぐ伝わってくる。そんな、エッガーのある喪失。素直でけなげだからこそ、そのかなしみもまっすぐ伝わってくる。

 エッガーの生涯は、20世紀の歴史そのものでもある。第二次世界大戦が始まり、エッガーもナチス・ドイツ軍に召集される。戦場での出来事。戦時中でも、エッガーの生き方は変わらない。やれと言われた任務を遂行し、環境の厳しさに辛さを覚えることはあるが、置かれた環境では文句ひとつ言わない。ただ、時代、世の中の流れに乗って、その時その時を生きている。エッガーの住む山もどんどん変わっていく。でもエッガーは一歩一歩、ゆっくりと歩いていく。

 エッガーの生涯は、自然とともにあった。育ったアルプスのふもとの村の自然は、刻々と移り変わる。山は人間にはどうしようもない試練を与える。その厳しい自然はむごい結果を生む。エッガーもその被害に遭っているのに、山や自然を恨むことはしない。自然と一緒に生きている。戦争から帰って来たエッガーは、観光客と接することになるが、その観光客とエッガーが自然に何を感じるかの対比を描いたシーンが印象的だ。
「どこもかしこもこんなにきれいなのに、あんたには見えてないのかい!」エッガーは幸福感で歪んだ男の顔を見つめて、言った。
「見えてるが、すぐ雨になる。地面がぬかるんできたら、きれいな景色もなにもあったもんじゃない」
(111~112ページ)

 あと、134ページも、エッガーの生き様をよく語っている。長く、実際に読んで味わって欲しいので引用はしません。

 ひとりの男の生涯。この物語そのものも、エッガーのように無駄なことを一言も話さない。エッガーは、環境を、時代を、境遇をそのまま受け入れた。ごまかすことも、誇張することもしない。私も、過去も今もそのまま受け入れる…読後、そんな気持ちでいた。
by halca-kaukana057 | 2019-08-01 21:18 | 本・読書
 かなり前から「マインドフルネス」という言葉を聞くようになりました。Googleなどの世界的大企業の社員やスポーツ選手が実践しているとか何とか。
 「マインドフルネス」とは、「"今、ここ、この瞬間"に集中している心の状態」のこと。
 仕事や家事、様々な作業をしていても、頭の中では別のことやいくつものもことを考えてしまう。それで心が落ち着かない。心が休まらず、いつも何かに気をとられている状態に陥っていることがよくあります。

(ここで疑問。
 認知行動療法の「自動思考」は、マインドフルネスではどういう位置づけなのだろう?
 「自動思考」は、何かの出来事や行動などに対して、瞬間的に、無意識に思い浮かぶ物事のこと。「自動思考」によって、その出来事などに対する感情が引き起こされます。特にネガティヴな出来事に対して、「自動思考」に思考の偏り・歪みがあることを認識する。そして、他の考え方や可能性はないか考え、ネガティヴな感情に変化があったかを考えていく。
 「自動思考」は反射的に思い浮かぶものなので止められない。マインドフルネスでは「今、ここ」以外のことは考えない。…相反する。私が読んだこの2冊の本には書いていなかったので疑問です。
このサイトがヒントになるかも:
[週間]アウトドアITマガジン:自動思考とマインドフルネスの関係性とは
Wikipedia:マインドフルネス認知療法
ナチュラルなイキカタ:【マインドフルネス】「いま・ここ」をありのままに受けとめて、過去(後悔)と未来(不安)に振り回されなくなる
decinormal:第三世代の認知行動療法(CBT) マインドフルネス/スキーマ療法/ACTの違いと共通点
 あと、1冊目の本の「観察瞑想(オープンモニタリング瞑想)」もヒントになるかも。以上覚え書き。)

 この、心が休まらない状態から、「今、ここ」に意識を向け集中し、感情の変化に気づくのがマインドフルネス。
 その方法として、よくあるのが瞑想。最初はマインドフルネス=瞑想だと思っていました。座禅を組んで、精神を統一するような。マインドフルネスは禅の教えを基にしているので、瞑想が基本となるのだそうですが、マインドフルネスでは宗教的な要素は省いてあります。瞑想の他にも、食事をする時、食べることに集中して食べることや、思っていることを書き出すことなどがあります。

 私が読んだ本は、2冊どちらとも、瞑想に限らず、日常生活の中で実践できることを紹介しています。どちらもテーマは「心の休ませ方」…疲れてるのかな私…。

心のざわざわ・イライラを消すがんばりすぎない休み方 すき間時間で始めるマインドフルネス


荻野淳也/文響社/2018


 これが最初に読んだ本。イラストが多く、分かりやすく書いてあります。瞑想については基本の姿勢(椅子に座って出来る簡単な方法)と、10分程度で出来る心と身体を今に向ける方法についていくつか書いてあります。
 それ以上に、日常生活の中でできる「今、ここ」に心を集中させる方法がたくさん。本当に様々です。基本の瞑想の姿勢を発展させて、ゆっくりと腹式呼吸をする、姿勢を正す。これだけでも違う。洗顔、お風呂、寝る前のお肌のメンテナンスの際も、身体の状態に集中する。今身体の状態はどんな調子にあるかに敏感になって、リラックスするように労わってあげる。
 一方、心、メンタルの面でも、リラックスした状態を保てるように「今、ここ」に集中する。周りの環境がどうであれ、自分の心の状態を客観視して観察、認めた上で、集中しリラックスした気持ちになるようにする。例えば、満員電車でもイライラすることを「選ばない」(反応の仕方を自分で選ぶことは出来る)、信号待ちで心を整えるなど、移動中でもできることも。心が落ち着く自分だけの場所を見つけておくというのはいいなと思った。
 ストレスを感じるのはやはり人間関係、コミュニケーション。穏やかに接したいと思っても、相手がイライラやその原因になるもの(処理しきれないたくさんの仕事、愚痴や嫌な気分になる噂話など)を持ってきてしまう…。この人間関係についての項目は私にはちょっと難しいと感じたのですが、相手に対して嫌だと思っても、相手の立場や気持ちを受け止めて共感する。また、相手の考え方や気持ちを、自分とは違う、同意はできなくても、違うと区別した上で共感し理解する。とても大人なやり方ですし、そうできればいいなと思っているのですがなかなか難しい…。
 でも、マインドフルネスで大事なのは、「できない」からといってジャッジしない。ただ、今の状態をあるがままに受け入れる。「できないからダメなんだ」と考えてしまうと、そこで心を閉ざしてしまう。考え方、認知に歪みがあると認識する…この辺りは認知行動療法と似ているかも。
 最後の章には、書く瞑想と呼ばれる「ジャーナリング」のテーマもあります。広いテーマなので、漠然としていて書きにくいな…と思ったのですが、わからない、書くことがなくても、それはそれで受け止める。「今、ここ」にいる自分を受け止めることが大事なんだなと思いました。それに気づくための様々な行動を実践してみています。


 次に読んだのがこれ。

「精神科医の禅僧」が教える 心と身体の正しい休め方


川野 泰周/ディスカヴァー・トゥエンティワン / 2018



 1冊目とテーマや書いてあることは似ています。大体同じかも。でも、1冊目はイラストが多くとにかく実践なのに対して、この2冊目は理論を説明して納得したところで実践例を挙げています。イラストは少なめ。でも、読みやすい本です。臨済宗の僧侶、お寺の住職で精神科医。仏教、禅の教えも所々に出てきますが多くはありません。それ以上に科学、心理学、医学寄りの本です。
 マインドフルネスが注目されている理由のひとつが、「レジリエンス(心の抵抗力)」の低下=「心が折れやすい」=「自己肯定感」が「低い」。「自分はダメな人間だ…」「何をやってもうまくいかない…」と思ってしまう。そこで、自分の今の感情をを丁寧に扱い、観察し受け止める。自分を慈しむマインドフルネスが有効とのこと。
 ひとつのことをしていても、他のことも気になってしまう。いくつかのことを同時進行で行う「マルチタスク」。頭が切れる、いいことのように思っていましたが、マインドフルネスの考え方では心が疲れる原因。せっかく心が落ち着き休まる場所…居心地のいいカフェや公園にいても、パソコンや携帯をチェックしたり、携帯のカメラで撮影してSNSにアップしたり(しかもその後反応が気になって何度もチェックしたり)…美味しいものやきれいな自然が目の前にあっても「今、ここ」に心が向いていない。まさに心ここにあらず。そういうことをやめて、「シングルタスク」にしっかりと集中する。仕事ならひとつひとつ片付ける。美味しいものやきれいな自然が目の前にあるなら、五感でじくりと味わい楽しむ。確かに、「シングルタスク」に集中している時は、心が疲れた感じがしない。楽しい。私の場合なら、黙々と手芸をしたり、声楽の練習をしたり、コンサートやCDなどで演奏をじっくりと聴いている時。洗い物や掃除、冬なら雪かきを黙々としている時も、大変ではあるけれどもやりがいを感じる。
 実践編の例はわかりやすい例えがよく出てきて、なるほどと思います。「ブラタモリ」や「孤独のグルメ」「ワカコ酒」もマインドフルネスの考え方の例になっているのだから面白い。
 マイナスの感情が起こった時に「思考」「感情」「身体の反応」と3つに分けて捉えてみる「3段階分析法」は簡単な認知行動療法と言えます。この本でも、マイナスの事実であっても、「良い/悪い」の判断(ジャッジ)を下したり、悪いものを打ち消すのではなく、「気づくこと」「受け入れること」を大事にしています。


 この2冊を読んで、マインドフルネスの考え方が少しはわかった気がする。ただ、理解するだけではなく、これらの本に書いてあることを実践して、「今、ここ」にいる自分に集中し、充足し穏やかな心でいられるようになる。ただ、1冊目の本に、マインドフルネスは万能薬でも魔法でもないと書いてある。すぐに効果が出るものでもない。これだけは注意したい。
by halca-kaukana057 | 2019-04-08 22:42 | 本・読書
 以前読んだ「日日是好日 「お茶」が教えてくれた15のしあわせ」。大好きな本です。この本が映画にもなりました。単行本が出たのが2002年、文庫化されたのが2008年。出版から15年以上経っても読み続けられる、素敵な本です。映画化をきっかけに、続編が出ました。これは嬉しい。(ちなみに映画は観ていません)

・以前の記事:日日是好日 「お茶」が教えてくれた15のしあわせ


好日日記―季節のように生きる
森下典子 / PARCO出版 / 2018

 今作も、著者の森下さんが40年も続けてきたお茶のお稽古で感じたこと、日常のことや季節の移り変わりについて綴られている。フリーランスの文筆家・エッセイイストとして活躍しているが、毎日色々な難題や苦悩に直面する。なかなか書けない原稿、迫る締め切り。生活の場が仕事場でもあるので、仕事と暮らしの切り替えが難しい。部屋に閉じこもって原稿を書いていると心身の調子にも影響が出てくる。仕事も途切れることもあり、将来に不安も感じる。人間関係に悩むこともある。そんな森下さんにとって、お茶のお稽古は仕事からも日常からも離れて頭を切り替えられる場所、時間だ。
 お茶碗を押し頂き苔のような深い緑色に、ゆっくりと口を付ける。抹茶の香ばしさが鼻を打ち、さわやかな苦みと、深いうまみが口に広がる。
「スッ」と音をたてて飲み切り、茶碗から顔を上げると、緑色の風のようなものが、サーッと体を吹き抜けていく。
「ふぅーっ」
 気持ち良くて、おなかの底から長い息を吐く。目を上げると、向こうに見える庭の椿の葉が、雨に洗われたように輝いている。
(わぁ、きれい……)
 その時、私の中には、気がかりな仕事も、将来の不安も、今日帰ったらしなければならないことも、何もない。
 抱えている問題が解決したわけではない。現実は相変らず、そこにある。……だけど、その時、私は日常から離れた「別の時間」の中にいるのだ。

 目指しても目指しても、お点前は完璧にならない。けれど、「別の時間」にスルリと滑り込むことはいつの間にか上手くなっていた。
(7~8ページ)

 その時だけ、今目の前にあることに集中する。目の前にあることだけをじっくりと味わう。近年話題になっている、私も興味を持っている「マインドフルネス」の考え方だなと思う。仕事と日常生活がすぐ隣り合わせ、というよりもお互いが重なり合うことも少なくない森下さんの生活には、お茶のお稽古の時間がかけがえのないものになっているのだと思う。

 お茶の先生の家に週1でお稽古に行くが、お稽古場には季節を感じることの出来る演出・工夫がいくつも施されている。茶道は季節と密着に関わっている。花や掛け軸、玄関先にある色紙、お茶の道具も、お茶といただくお菓子にも季節のものが使われている。お稽古で季節を感じることもあれば、お稽古がきっかけで身の回りの季節に気づくこともある。お茶のお稽古を通じて、季節に敏感になることができたのだろう。この本は章が二十四節気に分かれていて、その季節のことが描かれる。森下さんの住む東京と、私の住む地域では季節に差があるし、同じ日本とはいえ自然・草花や樹木にも違いがある。でも、森下さんが感じる季節の姿や変化の感じ方に共感する。自然の姿、有様はその時だけのもの。次の年に同じ季節が巡ってきても、決して全く同じにはならない。その時しか存在しない自然を慈しむ。自然に逆らうことはせず、受け入れる。自然に学ぶ。大切なことだと思う。

 茶道にはたくさんの作法がある。釜でお湯を沸かすために炉の炭をおこすところから始まる。この「炭点前」は難しい。難しいからと尻込みしていると、
「できるなら稽古しなくてもよろしい。できないから、稽古するんです」
と先生が仰る。先生の口癖だそうだ。その通りだなと思った。出来ないから稽古に通っている。こんな箇所があった。
 手順を間違えなくとも、先生の指摘は尽きることがなかった。上手に見せようとてらわないこと、自然にさらりとすること。はしばしまでおろそかにしないこと……。
 何十年やっても課題は尽きず、稽古に終わりはない。このごろ思う。目指しても目指しても終わりのない道を歩くことは、なんて楽しいのだろう。
 いくつになっても正面から叱り、注意してくれる人がいるということは、なんて楽しいのだろう。
 お茶を習い始めた頃は、早く完璧なお点前ができるようになりたかった。先生が「よくできました」と言ってくれないのが嫌だった。
(173ページ)
 私も声楽を始めた。私も、「早く上手くなりたい、技術を身に付けたい。たくさんの歌を歌いたい」と思っている。練習をしていくのも、怒られるのが嫌でしているところがある。この箇所を読んで反省した。声楽、音楽も「終わりがない」。目指しても目指しても終わりがない。そんな道に進んでしまったことに気が遠くなる、途方に暮れることもある。でも、終わりがないから、どこまでも歩いていけるから面白い。最近、先生からそんな課題を与えられた。難しいと思うが、そこで何を学べるだろう。ワクワクする気持ちもある。そして、できないから稽古しているということも。もっと素直になろう。叱られてナンボだ。成長の糧になる。(でも、これは決して練習をサボってもいいという理由ではない。練習はすること。足りない部分をレッスンで学ぶ)
 森下さんは40年もお稽古に通っている。私も、そんなに長い間学び続けることが出来るだろうか。声楽もだし、稽古・レッスンに通っているわけではないが宇宙・天文について学ぶこと、星見もだ。まだ始めて間もないこぎん刺しや編み物も。長く続けていることがあるって素敵だ。

 勉強については、こんな箇所もある。
「あのね、あなたたちは、道具の褒め方をもっと練習しなきゃだめよ。それには、場数を踏むことね」
「場数?」
「そうよ。お茶会にどんどん行って、亭主と正客のいろいろなやりとりを見て勉強するのよ。そして、自分も正客になってみて、いっぱい恥をかくの。それが勉強よ」
 その「勉強」という言葉に、一人の美しい老婦人を思い出した。昔、従姉と一緒に、初めてお茶会に連れて行っていただいたとき、その人は先生と言葉を交わした後、
「さっ、もう一席、お勉強してくるわ。お勉強って、本当に楽しいわね」
と、言って立ち去った。
 あれから何十年もたっている。けれど、私はまだ本当の勉強にたどり着いていない気がする。
(198~199ページ)

 続編のこの本も、何度も何度も「同感!」と思いながら読んでいた。やはり読後は清々しい。今この時を大切にしたくなる。
 森下さんのお茶のお稽古にも変化があった。お茶の先生も高齢になり、体力的にお稽古が難しくなってきた。ずっとこのままは続かない。ずっとこのままではいられない。だからこそ、一回一回を大事にするようになった、と。寂しい変化だが、いつかは訪れること。そういう意味でも、今この時を大事にしたい。
by halca-kaukana057 | 2019-03-21 23:12 | 本・読書

ピアノ・レッスン

 以前読んだ「すべての見えない光」についてネットで調べていた時、この本を見つけました。


ピアノ・レッスン
アリス・マンロー:著、小竹由美子:訳/新潮社、新潮クレスト・ブックス、2018年

 カナダの田舎町。訪問販売員(行商)の仕事をしている父。父が仕事に行くのについて行くことになり、一緒に車に乗る。父は様々な家を訪問し、ものを売りながら色々な人と話をしていた…(ウォーカーブラザーズ・カウボーイ)

 アリス・マンローは2013年ノーベル文学賞を受賞したカナダ人作家。全く知りませんでした。

 15の短編が収められています。どれも、カナダの田舎町を舞台にしています。そして、どの作品も物悲しい。読んだ後、しんみりとしてしまう。描かれているのは、どこにでもいそうな市井の人々のちょっとした日常。しかし、彼らにとっては忘れられない日。そんな時間を丁寧に描いています。

 好きなのは…と言っても、先述の通り読後しんみりしたり、もやもやしたり、心が痛んだりと幸せな気持ちになれる作品ではない。でも、惹かれる作品がいくつもある。「輝く家々」は、日本でもこんな問題が数多くあるのではないかと思う。「死んだ時」と「蝶の日」は本当に重い。救いがないと思ってしまう。「乗せてくれてありがとう」と「赤いワンピース ― 1946年」は苦い、でも少し甘い青春のヒトコマ。この2作は読後、少し気持ちが楽になる。物事は何も変わってはいないのだけれども。どれも、正面から見ると物悲しいが、そこにこそ人間の生き様や心があると感じさせてくれる。何かがあっても、人生は続く。描かれない続いていく日々がどうなるのだろうか、と思ってします。

 「ユトレヒト講和条約」が一番惹かれました。実家に帰った「わたし(ヘレン)」。実家には姉のマディーが住んでいる。マディーは母の面倒を死ぬまでみていた。わたしとマディーはぎこちない。そんなわたしは、おばさんの家を訪問した。アニーおばさんは、母のあるものを見せて、母のことを語りだした…。
 これも、日本でも同じような立場にある人がたくさんいるのではないかと思う。ヘレンとマディーの最後のシーンがとても印象的で、胸に突き刺さる。マディーの気持ちがよくわかる。どうにかしたい、でも変えられない。「どうしてできないのかな?」この最後の言葉の重みがのしかかってくる。「わたし(ヘレン)」のようになれば楽、だとは限らない。後から事実を知った方が辛いこともある。この「立場」から楽になるには、この「立場」にあっても自分を失わずにいるにはどうしたらいいのだろう…読んだ後、考え込んでしまう。

 表題作「ピアノ・レッスン」。原題は「Dance of the Happy Shades」.この意味は読んでからのお楽しみにしておきたい。年老いたピアノ教師の発表会のパーティーで起きたある出来事。一方から見れば、この本の紹介文にあるとおり「小さな奇跡」。でも違う面から見ると、これも物悲しくなってしまう。あの演奏をした子は幸せなのか。幸せなんて数で表せるものでもないし、絶対的なものでもない。あの子は幸せだったろう。でも、「わたし」を通して見たあの子と先生(ミス・マルサレス)の姿は…。人間のものの考え方というものに、不思議なものを感じられずにはいられなかった。

 面白いけれども、読むと辛い…。でも素敵な本です。アリス・マンローさんの他の本も読んでみたいです。


by halca-kaukana057 | 2019-03-01 20:42 | 本・読書
 最新の国連による「世界幸福度ランキング」によると、フィンランドが1位らしい。2位はノルウェー、3位はデンマーク、4位はアイスランドと北欧諸国が名を連ねる(スウェーデンは9位)。この他にも、様々な「幸せ」に関する調査を行うと、大体北欧諸国がトップに来る。デンマークの「ヒュッゲ(Hygge)」やスウェーデンの「ラゴム(Lagom)」、最近だとフィンランドの「シス(Sisu)」も「幸せ」に繋がる「ウェルビーイング」や「心地よさ」を表現する言葉として紹介されてきている。この本は、フィンランドに焦点を当てて、フィンランドの「幸せ」を紐解いている。

ノニーン! フィンランド人はどうして幸せなの?
スサンナ・ペッテルソン、迫村 裕子/ネコ・パブリッシング/2018

 フィンランド人のペッテルソンさんと、フィンランドでの仕事、生活経験の長い迫村さんが、フィンランドの様々な面についておしゃべりしながら紹介していきます。ペッテルソンさんは美術史家。フィンランド国立アテネウム美術館の館長を務めたこともある方。現在は、スウェーデン国立美術館館長で、各地の大学でも教えている。
 迫村さんは文化プロデューサー。展覧会、セミナー、イベント企画などの仕事をしていて、90年代からフィンランドに関わり、フィンランドと日本を行ったり来たりしている。

 本の帯を見ると、煽ってるなぁ…という印象。
「世界幸福度ランキング2018」第1位フィンランド!日本は54位…
この差って何だろう?
 こんな煽る帯なので、フィンランドはこんなところがあるから幸せ、日本にはない…という内容なのだろうな、と思ったら、違いました。
 基本は、フィンランドの人々のライフスタイルや文化、生活習慣、国民性・考え方、自然、子育て・教育、社会制度、仕事の仕方、女性の社会進出などを2人のおしゃべりの形で紹介している。別に、フィンランドを持ち上げて、日本を下げる、ということはしていない(フィンランドにはあるけど日本にはない、という言い方はしているけど)。このタイトルと煽り帯で損してるんじゃないかと思う…。

 確かに、社会制度や仕事の仕方、女性の社会進出、ライフスタイルでは、日本とフィンランドは大きく違うところがある。フィンランドに学ぶところはある。でも、日本がダメということは書いていない。日本は日本の歴史がある。国民性はフィンランドと似ているところはあるけれども、違うところもある。フィンランドの教育が注目を浴びた時も思ったが、フィンランドと日本を単純に比べるのは無理だと思う。バックグラウンドが違うのだから。

 タイトルの、「ノニーン」(「no niin」)以前読んだ、「FINNISH NIGHTMARES(日本語題:マッティは今日も憂鬱)」でも出てきた、「便利なフィンランド語」。「そうだね、そうですね」「うーん」「ちょっと」「さあ」などに当たる。声のトーンや場面によって、色々な使われ方をする。日本の「すみません」にも似ているかもしれない。

 この本を読んでいて、別に特別なことは書いてはいない。
 毎日の生活や仕事を丁寧に、時に効率よく手抜き(いい意味で)して、ウェルビーイングを感じながら暮らす。家族や友人を大事にして、美味しいものを味わって、自分を大切にする。森や海などの自然の中で気分転換したり、恵みを味わったり。持続可能な運動や趣味を大事にして、自分をケアする。仕事とプライベートを分けて、コンディションよく仕事できるように休む時は休む。学ぶことを大事にする。挑戦もどんどんする。失敗から学び、うまくいかない、思い通りにいかない時は自分を見つめ直す。感謝の心を大事にする。正直でいる。
 やろうと思えば、日本でも出来ることはたくさんある。毎日忙しいとないがしろにしていることも多く省みる。やはり、「今、ここ」を大事にして、自分も周囲の人も大事な存在だと思い行動するのがポイントだろうか。

 毎日忙しくしていると、忘れそうになることが、この本には書かれています。著者の2人はこう考えているけれども、他のフィンランドの人々もそうなのだろうか?2人とも、文化的な仕事をしている。もっと色々な立場のフィンランド人の声を聞きたいと思った。


・関連記事
フィンランドの幸せメソッド SISU(シス)
マッティは今日も憂鬱 フィンランド人の不思議
マッティ、旅に出る。 やっぱり今日も憂鬱 FINNISH NIGHTMARES 2

by halca-kaukana057 | 2019-01-19 22:48 | 本・読書
 前の記事でフィンランドの「SISU(シス)」について書いた際、デンマークの「Hygge(ヒュッゲ)」にも言及しました。というのは、「Hygge」に関する本も読んでいたのです。
・前の記事:フィンランドの幸せメソッド SISU(シス)

日本とデンマークの150年切手&特印
 「Hygge(ヒュッゲ)」という言葉を初めて知ったのはこの記事を書いた時。日本・デンマーク国交樹立150年記念切手のテーマが「Hygge(ヒュッゲ)」でした。

HYGGE ヒュッゲ 365日「シンプルな幸せ」のつくり方
マイク・ヴァイキング:著、ニコライ・バーグマン:解説、アーヴィン香苗:訳/三笠書房/2017

 巷には「ヒュッゲ」に関する本が次々と出ていますが、その火付け役になったのが多分この本じゃないでしょうか。本屋で「Hygge」のタイトルのついた本で、この本を一番最初に見た記憶があります。
 「Hygge(ヒュッゲ)」とは、「人との温かいつながりをつくる方法」「心の安らぎ」「不安がないこと」「心地よい一体感」…この本でも日本語に定義、言い換えるのが難しいようです。何か存在する「もの」ではなく、「その場の空気や経験」が「ヒュッゲ」に近いのだそう。

 「Hygge」の言葉が生まれたと推測されるのは1800年頃。当時、デンマークとひとつの国だったノルウェー語の「Hug(フーグ:抱きしめる)」から派生した言葉と考えられています。デンマーク語もいくらでも単語を付け足して複合語を作ることのできる言語。「ヒュッゲな~」というように、「Hygge」から派生した言葉が沢山あるそうだ。

 「ヒュッゲ」な幸せを感じるために必要なことは、シンプルさ、公平・平等や調和、一体感、平和や安らぎ、「今」「ここ」など。そんな「ヒュッゲ」をつくるために、デンマークの人たちがしていることを紹介しています。料理やファッション、インテリア、身近にあるもの、季節ごとの過ごし方、シンプル、お手軽でお財布にもやさしく「ヒュッゲ」を感じられる方法。北欧の人たちが特に大切にしているクリスマスと夏の過ごし方。この本の著者のヴァイキングさんはコペンハーゲンにあるリサーチ会社のCEO。ヴァイキングさんの会社がデンマークの人々に、「ヒュッゲ」について調査した結果も多く載っています。著者の主観だけじゃない。

 前の記事のフィンランドの「SISU」に共通するものが多いなと感じました。シンプルさ、自分でつくること、ウェルビーイング(心身の充足感)に気を配ること、持続可能性、「今」「ここ」に集中する「マインドフルネス」を大事にしていること。毎日少しずつ感じる幸せ。デンマークとフィンランドは民族的にも言語でも異なる国。でも、共通するものがあるのは、北欧諸国が大事にしているものが似ているのかもしれないと感じました。

 この本では、デンマークの人たちが「ヒュッゲ」を感じるためにしていることが紹介されます。でも、私はこれはあくまで一例だと思いました。これを日本で全く同じように実践しようとしても無理。デンマークでこれができるのは、こういう伝統・文化・ライフスタイルがあるから。例えば北欧デザインの家具を日本で揃えようとしたら大変なことになるが、デンマークなら身近にある。それがデンマークの文化であり歴史だから。それらを揃えたからといって「ヒュッゲ」を感じられるとは限らない。先述したとおり、何か存在する「もの」ではなく、「その場の空気や経験」が「ヒュッゲ」だから。

 興味深い一節がありました。
 デンマーク人にとってはヒュッゲがすべて。場所も値段も品質も、この際、関係ありません。
 私の住むコペンハーゲンはカフェが多く、マンションの向かいにも1軒あります。そこのコーヒーはじつにひどくて、魚くさい味がするうえに1杯5ユーロ(約650円)もします。それでも、私はこのカフェの常連です。なぜなら、囲いのない暖炉があって、ヒュッゲな場所だからです。(25ページ)
 さらに、こんな言葉も。
 ヒュッゲボクサー(Hyggebukser)
人前ではけっしてはけないズボンのこと。ただ、はき心地は最高なので、こっそり愛用することも。
 1日中ひとりきりで過ごす時間がどうしても必要だったから、ヒュッゲボクサーをはいて家にこもり、すっぴんで朝から晩までひたすらシリーズものの映画を見ていたわ(38ページ)
日本で言ったら、着古した愛用のジャージかスウェットを着て、という感じでしょうか。「ヒュッゲ」は誰かと一緒に過ごす、人と人の繋がりからうまれるものと解釈されているようですが、1人でもヒュッゲを感じられればそれでいいみたいです。

 というように、立派な、高価なものに囲まれてなくてもいい。自分で、これが心地いい、「ヒュッゲ」なんだと思えばそれでいいのだと思います。日本なら、畳やカーペット、ソファの上でごろごろして、日本茶を飲んでてもいい。和食を食べてもいい。
 「Chapter14 ヒュッゲと幸福」を読むと、幸せ、「ヒュッゲ」を感じる条件が大体わかってきます。シンプルであること。「今」「ここ」で前向きであること。
 現実を直視すると、私たちの生活はバラ色の天国というわけではありません。しかしヒュッゲとは、むずかしい状況の中でも、今持っているものを上手に活かすことであり、日々の生活にしっかりと根を下ろすことなのです。(281ページ)
 困難があっても、毎日の生活を大事にして前向きに暮らしたい。フィンランドは「SISU」でしなやかに強く立ち向かっていきますが、デンマークは「ヒュッゲ」でやわらかいあたたかさを誰かと一緒に心に保つ。やり方は少々違いますが、北欧の2国のライフスタイルには共通するものがあるようです。

 これから寒い冬になります。私の住む地域は深い雪に閉ざされます。そんな冬の楽しみは、自分なりにいくつか持っているのですが、「Hygge」と「SISU」、フィンランドとデンマークのやり方も参考にしたいと思っています。フィンランドは天候に関係なく外に出て行く、デンマークはあたたかい家の中で心地よいと感じるものに囲まれて引きこもる…この対比が面白い。

by halca-kaukana057 | 2018-11-06 22:37 | フィンランド・Suomi/北欧

好奇心のまま「面白い!」と思ったことに突っ込むブログ。興味の対象が無駄に広いのは仕様です。


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