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友だち幻想

 少し前から、この本が本屋で平積みになっていたり、紹介POPがついていたりするのをよく見ます。売り上げランキングでも上位。でも、この本、大分前に出ていた本のはず。と言いつつ読んでなかった。せっかくなので読みました。



友だち幻想
菅野 仁 / 筑摩書房,ちくまプリマー新書 / 2008

 2008年、10年前に出版された本です。でも、中身は10年経っても色褪せない。10年前はまだそんなに広まっていなかったSNSでも悩むことが書いてある。コミュニケーションツールは変わっても、コミュニケーションにおいての悩みは変わることはないのか…。

 「友だち幻想」とは、私たちが友達・親しさに抱く様々な「幻想」のこと。友達は大事、人と人との繋がりは大事、親友がほしい。でも、いじめや引きこもり、そこまで行かなくても、人間関係でのちょっとしたズレが心を悩ませることは多い。教育大学の社会学の先生が中高生向けに書いた本ですが、大人が読んでも勉強になります。とても興味深いですし、コミュニケーションにおいて「なんでこんなこと悩まなくちゃいけないんだろう」と思うモヤモヤが晴れる本です。

 人間関係、「他者」(自分ではない他の人全員。血縁関係にあっても「自分ではない他の人」)は脅威であると同時に、生のよろこびを与えてくれる存在でもある。二重性がある。その二重性に振り回され、人間関係で悩むことになる。あまり気が進まないけど参加していないと不安になる人との集まり(ママ友の集まり等)、メール即レス(今ならLINEの既読無視。他のSNSでも即レスを重視する文化はありますね)。更に、皆と仲良くしなければならないとい風潮。学校で植えつけられる考え方ですが、著者の菅野さんはこの考え方に警鐘を鳴らしています。皆の中に入れないと悩んだり、相性が合わない子がいるけど仲良くしなきゃいけないの?という悩みを持つ子が必ずと言っていいほど出てくる。この学校では皆と仲良くしなければならないという考え方は、昔のひとつの村に小学校がひとつあった歴史が関係しているのはなるほどと思いました。まさにムラ社会。

 ここで大事になってくるのが、他者との距離感。パーソナルスペース(物理的な距離でもあるし、心理的な距離でもある)という言葉もありますね。その人にとって他者との心地よい距離感は、人によって違う。友達や恋人で、その距離感が違うことでトラブルになってしまうこともある。これもわかる。友達とはいえこれは言ってもいいんだろうか、別の人たちは親密に仲良くしているけど自分はこれでいいんだろうか、と思うことはよくあります。

 そして、今の学校はフィーリングを一緒にして同じようなノリで同じようにがんばろうとする「フィーリング共有関係」で人間関係やクラス運営を成り立たせている。皆同じように考えて、同じ価値観を共有して、結びつきが強いんだよね、という考え方。ここから距離感や考え方がズレると、最悪いじめに繋がる。「フィーリング共有関係」ではなく、お互い最低限守らなければならないルールを基本に成立する「ルール関係」を基本に考えた方がいい。最低限のルールさえ守ればあとは自由。ここにも納得。
 フィーリングを第一に考えていると、違う、合わないと感じる人に対して、敵対心を持ったりする。でも、同じクラス、同じ職場にいなきゃいけない。合わないと思う人でも、並存はする。距離を置いて、態度を保留する。最低限挨拶はする。ここは本当に納得したところです。実際、合わない人と距離を置いて並存していても、何らかのきっかけで交流することがあって、やっぱり合わないと感じたり、言動にイライラしたり。フィーリングを持ち込んでしまっているんだな、と感じます。どう並存するか。この本ではそれ以上深く突っ込んでいませんが、別の本や、人に相談して方法を探っています。

 この本でもうひとつ、深く頷いたのが、「君たちには無限の可能性もあるが、限界もある」(115ページ)。子どもの頃には、可能性は無限だよ、努力すれば何でも出来るんだよ、と教えられますが、大人になるにつれて限界を知っていく。子どもの頃(学生時代)と大人(社会人)になってからのギャップで挫折する人もいる。子どもであっても、限界を感じ挫折した時にどう対処するか。それを教えていくのも大事、と。ポジティヴな面は強調し、ネガティヴな面は敬遠する…教えにくいのはわかる気がするけど、ネガティヴをどう処理するか。大人になるにつれて自分で自然に身につけろ、では酷。その挫折を乗り越えれば、新たな方向に進めるかもしれない。人生の「苦味」と「うま味」と表現していますが、そっちのほうが大人だなと思います。

 こう紹介していると、随分とクールな立場の本なんだな、と感じます。実際、クール、現実的です。青春学園ドラマのような教育に夢と情熱を持っている人にとっては拍子抜けすると思います。でも、決して「友達なんて全部幻想」「余計な人間関係を持つな」とか言っているわけではありません。生のよろこびを与えてくれる友情を築くために、「コミュニケーション阻害語」を紹介しています。「ムカつく」「うざい」など。異質なものを即遮断し(先述した通り、合わない人とは「距離を置いて、態度を保留する」無理に仲良くする必要はないけど、拒絶、敵対するものでもない)、思考を停止し、コミュニケーションを断絶してしまう言葉です。また、感情や論理を表現する多様な言葉を得、対話能力を鍛えるために、読書も大事だと言っています。この本の菅野さん考え方は、古今東西の哲学、社会学、教育学などの先人の本、思想を元にして書かれています。この本のあちらこちらに、様々な先人が登場します。やはり読書は大事なんだと思います。

 「苦味」を味わって、生のよろこびの「うま味」も味わえる、と。
10年前…と考えて、アニメ「電脳コイル」も約10年前だったなぁと思い出しました。SFの物語の中で、他者とどう繋がるか、考えたアニメです。
・「電脳コイル」最終回を観た後で:誰かへつながる細い道

NHK News Web : Web特集 : 「みんな仲よく」の重圧にさよなら
 この本がNHKのニュースでも取り上げられました。これを読んで、この本を読んでみようと思ったきっかけです。
by halca-kaukana057 | 2018-10-04 23:23 | 本・読書
 河合隼雄先生の本は、対談本を読んでいることが多いなと気がつきました。


心の深みへ 「うつ社会」脱出のために
河合隼雄・柳田邦男/新潮社・新潮文庫/2013(単行本は2002年・講談社)

 心理学・心理療法の河合隼雄先生と、ノンフィクション作家の柳田邦男さんの対談集。別々に雑誌に掲載されたものをまとめた本(第7話は書き下ろし)。驚くのが、最初の対談は1985年(雑誌掲載は1986年)、単行本として出版されたのが2002年。もう10年以上前の本だ。内容はノンフィクション。ノンフィクションで10年前となると、「古い」と感じてしまう。それだけ時代の、社会の流れがとても速いから。それなのに、読んでいて古さを感じさせない。わかるなぁ、そうだよなぁ、と思ってしまう。10年だろうが20年経とうが、人間社会や人の心が抱えている問題は変わっていない…解決されていないということだろうか。そして、もうこの世に河合隼雄先生がいらっしゃらないことも、何だか信じられなくなってくる。

 この本で、柳田さんのご子息が心の病を患い、自殺を図り脳死に至ってしまった…という話を初めて読んだ。このことに関しては、柳田さんは「犠牲(サクリファイス)」という本に書かれているそうなので、読んでみたいと思う。このご子息の死・脳死や、死にゆく患者たちの心の様子を追ったキューブラー=ロスのことを挙げながら、死と心にも迫る。「いかに生きるか」ではなく「いかに死ぬか」…死ぬのは自分がどうなるのかわからないから怖い、身近な人の死もつらい、死のことは出来るなら考えたくない、と思っているので読むのがつらかった。ましてや、柳田さんはノンフィクション作家として飛行機の墜落事故や殺人事件を追い、そして家族の自殺と脳死に向き合った…そんな状況に立たされたら、自分は受け入れられない、気が狂ってしまうのではないかと思う。

 それでも、死や死にゆく患者を取り巻く医療について語る河合先生と柳田さんの対談を読んでいて、「救いがある」と感じた。現代の医療は、昔では治せなかった病気も治せるようになった。脳死判定で臓器移植をして、移植でしか助けられない人を助けることも出来るようになった。でも、そこに患者本人や家族の「心」はあるのだろうか、医療は「心」に寄り添っているのだろうかと話す2人。読んで、同感だと思った。

 この本では末期ガンや脳死といった、医療の側では「もう治らない」ものを取り上げている。でも、ちょっとした風邪でも、日帰りで出来るような手術でも、病気の時は心細い。たいしたことない、すぐ治ると言われても、誰かにそばにいて欲しい、手術はやっぱり怖い、痛いのは嫌だ、などの不安や心配を抱えてしまう。これが「治らない」病気だったらどうなるだろう。残された時間を、不安なまま過ごしたくはない。あたたかい、幸せな気持ちで過ごしたい。家族や身近な人も、どう接したらいいかわからない。でも、残された時間を出来る限り長く一緒にいたいと思うだろう。そんな「心」に寄り添う医療…柳田さんの仰る「2.5人称の視点」を持つ。こんな視点を持って、提唱している柳田さんと、心理学者として「心」を見つめ続けてきた河合先生が語り合ったことが本になっている。これが「救い」だと思った。

 10年前も、そして今も、きっとこれからも、「心」は見えないけれども大事なものであり、人間にとって課題になると思う。キューブラー=ロスのところで出てきた「私の現実」などの、科学では割り切れない「心」のこと。科学ではわからないからこそ、個々人がそれぞれで向き合う…には難しすぎる現代に、この本があってよかったと思う。「心」をおろそかにしない。読みながら、私もモノやお金が無いと生活できない、と「心」をないがしろにしてきたと気づき、省みている。
by halca-kaukana057 | 2013-09-05 23:08 | 本・読書

ぼくらの中の発達障害

 先日、NHK「クローズアップ現代」でも取り上げられた発達障害。よく聞くけれども、よく知らない。話を聞くと、「これは自分にも当てはまる?」と思ってしまうこともある。そんな中で、この本を読みました。

NHK:クローズアップ現代:“大人の発達障害” 個性を生かせる職場とは?
 ↑番組の全文を掲載しています。


ぼくらの中の発達障害
青木省三/筑摩書房・ちくまプリマー新書/2012

 まず、この本で主に扱っている「発達障害」は、自閉症、高機能自閉症、アスペルガー症候群といった「広汎性発達障害」「自閉症スペクトラム障害」と呼ばれているもの。注意欠如・多動性障害(ADHD)や学習障害(LD)も少し紹介されています。

 先述した「クローズアップ現代」や、そのほかの場面で、発達障害と定型発達(障害が無い人のことを、この本では「定型発達」と表記しています)はどう違うのだろう?どこが境界なのだろう、何が障害で何が障害ではないのだろう…?と疑問に思ったことがある。

 そのことに関しての記述がとても興味深く、またわかりやすかった。人と交わることや集団に入ることがうまくできない対人関係・社会性の障害。言葉を中心としたコミュニケーションや、いわゆる「空気を読む」といったことがうまくできないコミュニケーションの障害。こだわりが強く新しいことや状況の変化に強い不安や恐怖を抱くこだわり、想像力の障害。これらを主とする障害が、強めに出ているか。発達障害と定型発達は連続しているもの、と書いているところになるほどと思った。発達障害かと思う場合でも、グレーゾーンのような場合も多いそうだ。程度の軽い人、はっきりしない人、発達障害の特徴を持っていても普通に社会生活を送っている人もいる。境目はなく連続していると著者は考えていて、「これは自分にも当てはまる?」と思ったこともこれで納得。

 しかし一方で、発達障害の人々のものの見方や考え方は、定型発達の人のものとは全く異なるということも忘れてはならない、と。「自分とは異なった思考・行動・生活の様式を持っている」という意味での「文化」という表現を使っているのにもなるほどと思えた。

 更に中身を読んでいくと、広汎性発達障害を持つ人は他者との交流を避けがち、ひとりでいるほうがいいと思っていたのだが、そうとも限らないそうだ。著者が出会った発達障害をもつ人々の例を読んでいて、痛切な気持ちになった。「いつもひとりでいるのが好き」というわけでもなく、「友達とうまく話せない、友達の中にうまく入っていけない」、ひとりでいるほうが楽という意味でひとりがいいと思う。でも実際は、学校でできた友達と音楽など好きなものを共有し楽しんだり、同級生が話している冗談が分からず苦しかったが、先生や友達のサポートで楽になり学校が楽しくなったといったように、友達との交流を発達障害を持つ人も求めていて、その交流で穏やかに生活できるようになったということもある。ただ、定型発達の人とは異なる「文化」を持っていて、友達を作りたい、友達の輪に入りたいけど、うまく出来ずに悩む。これは定型発達の人でも思い悩むこと。やはり発達障害と定型発達は連続していて、でも異なる「文化」を持っているのだなと思う。

 第6章「発達障害を持つ人たちへのアドバイス」は、発達障害を持っている人にも、定型発達の人にも読みやすくわかりやすい内容になっていて、急いでいる時はここから読むことも出来る。本当にわかりやすい。筆者がイギリスに留学した時、英語でのコミュニケーションがうまく取れなかったこと、イギリス独特の文化になかなか馴染めなかったことと発達障害を関連付けて話しているのが、身近に感じられて分かりやすい。

 読んでいて、「クローズアップ現代」でも論じられていたように、異なる「文化」として、受け入れる、そこから学ぶ、共生する姿勢が必要なのだなと感じました。異なる「文化」として捉えることは、これまでにない新しいものと考えることにもなる。実際、発達障害の人に出会ったら、最初は驚くと思う。その言動に、イライラするかもしれない。そんな時、またこの本を読んで、少しずつ異なる「文化」と共生できたらと思う。


 そういえば、Eテレ・NHK教育でも、発達障害の子どもや先生・家庭向けの番組があります。
NHK:NHK for school:スマイル!
 この番組は小学校低学年向け。中学年~中学生向けだった「みてハッスル☆きいてハッスル」、「コミ☆トレ」が終わってしまったのが残念。「コミトレ」は時々観ていたのですが、やはり「これは発達障害じゃなくても悩むことだよなぁ…」と思ったことが何度も。
 
 ちくまプリマー新書は、中学生高校生向けの新書なので読みやすいです。大人の方も是非。
by halca-kaukana057 | 2013-04-19 22:50 | 本・読書
 教育テレビというと、子ども向け番組の割合が大きいように思えますが…学校放送も大事な枠。好きな番組は、新旧色々あります。今年度始まった番組の中から、私のお気に入りの番組を。

【おはなしのくに クラシック】
 日本や世界の名作物語、民話、絵本を、俳優さんたちの「語り聞かせ」で楽しめる「おはなしのくに」(小学校1~3年)。その「おはなしのくに」に、古典・漢文に特化した「おはなしのくに クラシック」が登場。新学習指導要領の“伝統的な言語文化”の指導に沿って、古文や漢文に親しむことを目的とした番組。「ひょうたんからコトバ」でも、故事成語や短歌・俳句のコーナーで古文・漢文に親しめますが、こちらは古典作品そのものを味わい、親しむ番組。
 毎回タレントの語りで、原文の響きを楽しみつつ、現代語訳(「竹取物語」では江國香織だった)もわかりやすい。第1回の「枕草子」の現代語訳はちょっとやり過ぎだ…と思ったが、その後は比較的安定している。今後の放送予定を観ても、古典文学の名作がずらり。小学生の頃から、こんなに古典に親しめるというのはいいなぁ。
NHK:おはなしのくに クラシック

【メディアのめ】
 総合的な学習の時間のための番組。様々な「メディア」が日常生活に溢れている現代。そのメディアの背景にあるもの、何を伝えようとしてその形になっているのかを、池上彰さんがわかりやすく解説してくれます。スタジオセットのデザインも洗練されていて、池上さんの解説はユーモアも交えつつとにかくわかりやすい。普段、何気なく使っているもの、目にしているものにも、よく見ると作り手の意図や意見、的確に伝えるための工夫が隠れている。
 とにかく面白い番組です。池上さんがNHKに帰ってきてくれてよかった!安保泰我君とのやりとりも楽しい。これからの放送予定を見ると、統計の数字や、事実を「再構成」するドキュメンタリー、ステレオタイプ、携帯との付き合い方、著作権…と放送時間10分で足りるのかと思う内容が(学校放送番組は大体15分のはずなんだけど…なぜ10分に?)。大人も是非観たい番組です。
NHK:メディアのめ
 ↑各回の舞台裏も必読です。

 子ども向け番組が昨年度、今年度と大改編していて、観る番組が少なくなっているのですが、学校放送は面白くなってきている模様。
by halca-kaukana057 | 2012-06-18 21:49 | Eテレ・NHK教育テレビ
 内田樹さんの著書は初めて読みます。文庫と言うことで、何気なく手にとって、読んでみた。


疲れすぎて眠れぬ夜のために
内田樹/角川書店・角川文庫/2007

 この本を読む前に、とある別の心理学に関することについてやさしく・わかりやすく書いた本を読んでいました。しかし、その本に書かれていることに納得できず、理解できず、逆に反感を覚え、イライラしてしまいました。その後、この本を読んだのですが、その本に書かれていたことと、この本で書かれていることが似ている箇所があったのですが、この本だとすんなりと受け止められました。勿論、全く同じこと・内容について書いているのではないのですが、ほぼ同じことについて書いている。それなのに、受け入れられないものと、受け入れられるものがある。しかも、「やさしく」「わかりやすく」書いてあるのに。何故だろう…と考えていました。多分、内田さんの経験を元に書いているから、「やさしく」「わかりやすく」書こうとすると逆に曖昧で不明瞭になってしまうことがあるから、「やさしく」「わかりやすく」書くために極論だけを書いてしまっていたから…かなぁ。内田さんの文章も読みやすくわかりやすいのですが、より身近に感じました。

 この本で書かれているのは、社会や仕事、人間関係や自分自身についての様々なしがらみを見つめること。そして、そのしがらみを自分で解くこと。例えば、「個性」について。「自分らしさ」や「アイデンティティ」は、逆に自分自身を縛るものでもある。「個性」にこだわり過ぎる(ここでの「こだわる」は、本来の意味、ネガティブな意味での「こだわる」です)。以前読んだ「「個性」を煽られる子どもたち」(土井孝義)にも通じる内容。

 また、「ビジネスとレイバーの違い」の箇所にも頷きました。自分で工夫したり自分から変えたりという決定権としてのリスクを取るのが「ビジネス(business)」。一方、決まったことばかりをやっていて、誰がやっても同じ、創意工夫をする余地も無く、賃金は時給いくらと決まっているような仕事。これは「レイバー(labor)」。「仕事」とは異なる、「労働」とも言い換えられると思う。仕事は決まったことをひたすらして、給料を貰うだけのものじゃない。自分で作ってこそ、決定権を持ってこその「仕事」。私の仕事に対する考え方に、新たな引き出しが出来ました。

 この本を読んでいると、本当に世の中には様々なしがらみがあると思う。また、自分自身もそんなしがらみに縛られているし、「~しなければならない」「~であるべきだ」などの様々な思い込みも持っている。時々、「窮屈だ、自由になりたい!!」と強く思うことがあります。社会や自分を縛っている”何か”に目を向けてみよう、と思いました。

 その一方で、「身体の感覚を蘇らせる」の章では、武道から、「形」についても考えている。形があるのは束縛か…いや、自由なんだ、と。逆に、自由過ぎると、創造できなくなる、と。10年ぐらい前に読んだ、「身体感覚を取り戻す~腰・ハラ文化の再生」(齋藤孝)や、私の愛読書でもある「日日是好日 「お茶」が教えてくれた15のしあわせ」(森下典子)に通じる。

 「しがらみ」なのか「形」なのか。それだけで随分と違ってしまう。世の中を考えることは、不思議で、面倒で、でも面白く…ある。難しい。

【過去関連記事】
「個性」を煽られる子どもたち
日日是好日 「お茶」が教えてくれた15のしあわせ
by halca-kaukana057 | 2012-02-23 23:10 | 本・読書

君たちはどう生きるか

 先日読んだ「僕は、そして僕たちはどう生きるか」(梨木香歩:著)の元となった「君たちはどう生きるか」、読みました。岩波文庫版で。

僕は、そして僕たちはどう生きるか:(梨木香歩)

君たちはどう生きるか
吉野源三郎/岩波書店・岩波文庫

 この作品が発表されたのは1937年(昭和12年)。その後、修正はされているが、書かれている内容は今読んでも古臭いとは感じなかった。現代でも通じる、普遍の内容であると感じた。「貧しき友」の章も現代に通じるところがある…と書くと、豊かになったと思える現代でも貧困の問題を克服できていないのか…と考えてしまった。この作品の時代の貧困と、現代の貧困はまたちょっと違うけれども。

 15歳の中学生の少年・コペル君(本名は潤一だが、そうあだ名がついている)と、学校の友達、そしてコペル君が父を亡くした後、父親のような存在であるおじさんとの交流や会話、様々な出来事を通して、コペル君が成長してゆく物語として書かれている。友情や生き方について書かれている部分もあるが、メインは「社会の中で生きる」ということ。デパートの屋上から街を見ていたコペル君が、僕らは広い世界の一分子で、人間はその集まりだ…ということを考え、おじさんに話す。そして、その”分子”は「生産関係」の中で、ものを生産し、消費している。ものは世界中を駆け巡る。会ったこともない人とも、生産した何かで繋がっている。それは、遠い過去から続いている。文化や芸術も、世界中を駆け巡って伝わり、それぞれの民族によって異なる特色が加えられた。普段、生活していると自分の身の回りしか気にしない、身の回りのことだけ考えてしまう。が、コペル君とおじさんの言葉は、誰もが広い世界に人間同士何らかの関わりを持って生きているんだ、という視点を静かに、穏やかに、優しく語りかけ、気づかせてくれる。

 そんな世界・社会で生きてゆくためにも、自分が感じたことをごまかさず、正直に受け止めて考えてゆくこと。過ちを犯したら、苦しんでもそれを認め反省し、もう一度立ち上がること。歴史に学ぶこと。社会のために貢献すること。おじさんはこれらを力強く語りつつも、押し付けるようなことはせず、一文一文考え、噛み締めながら語る。おじさんの視点で読むか、コペル君の視点で読むかで、また味わいも異なる。深い本だ。

 「雪の日の出来事」から「石段の思い出」「凱旋」までの章は、結構重めの物語。友情を壊してしまったというコペル君の境遇に、自分の過去を重ね合わせて読んだ。切ない、辛い、苦しい。でも、コペル君はおじさんや母の言葉に励まされ、友情を取り戻そうとする。コペル君も、友達もとても真摯で、心優しくあたたかく、こんな友情はずっと続いていくんだろうなとちょっと羨ましくもなった。それを作るのは、読者の君たちなんだよ、と筆者は言いたかったのかもしれない。

 お茶目でいたずら好きなコペル君や、友達との無邪気な会話、更に柔らかいイラストがユーモラス。書かれている内容は濃いのに、あたたかく手を引いて物語の世界へ入れるようにしてある。80年以上も読み継がれていても不思議じゃない、と感じました。

 中学生、もしくは高校生の時に出会いたかった。でも、大人になってから読んでも遅くは無い。いい本だ。いい本に出会えて幸せだ。そして、この本は「社会の中で生きる」スタートラインなんだ。そう感じました。物語はまだまだ続きそうなところで終わっている。この先は、君たちが生きて、作ってゆくのだよ。おじさんがそう言っているような気もします。
by halca-kaukana057 | 2012-01-25 23:10 | 本・読書



「『個性』を煽られる子どもたち 親密圏の変容を考える」(土井隆義、岩波書店・岩波ブックレットNo,633、2004)


 教育や現代の子どもに関することを考え、文章にするのはとても難しい。考えても答えの出ないことばかりだし、考えれば考えるほど目をそらしたくなることばかりでだんだん落ち込んでくる。だから教育関連のものはあまり読みたくないと思いつつも、やっぱり手が出てしまう。避けていても気になる相手。気がつけば教育関係のニュース記事をブックマークしていたり、本を読んでいたりする(でも金八先生とか女王の教室とかのドラマはパス。どうも受け付けない。もともとドラマは観ないという理由もあるのだが)。そんな複雑なことを考えつつも、この本を読んでみた。



 まず、今ここを見ている皆様へ質問したい。「個性」と聞いて、あなたはどちらが「個性」だと考えますか?
1、個々人が元々持っているもの。あらかじめ持って生まれてくるもの。
2、成長していく過程で伸ばしてゆき、変化するもの。社会の中で作り上げてゆくもの。



 この本によると、本来は2と考えられるものが、今の子どもたちは「個性」を1のようなものだと考えているのだそうだ。つまり、個性は自分の奥底にあって見つけ出すもの。そして、その個性は人と比較して判断するものではなく、絶対的なものと考えられている。社会の中で自分を作り上げてゆく個性は個性的ではないのだそうだ。その「個性」は誰にでもあるはずなのに、閉じた自分の中でしか確認することが出来ないのでよくわからない。個性的であることは良いことだと思うのに、個性が何か分からないのだ。

 また、今現在の感覚・そのままの感情を大切にしようとする。だから社会的ルールよりも自分の事を優先させたり、一つ一つの行動が結びつかないこともこれに由来する。ここで、「自分らしさ」とは自らの内発的な衝動であるはずなのに、例えば人によって態度を変えてしまうようにコロコロと変化する自分がいる。そんな変化するものは「自分らしく」ない。「本当の自分が分からない」と時々耳にする言葉はこういう理由から発せられるものなのだ。

 そこで、「本当の自分」を確認するにはどうしたらいいのだろうか…と出てくるのが他者の存在。「個性」は内から出てくるものだけれどもきわめてあいまいなもの。だからいつも誰かに認めてもらっていたい。ところが、現代は価値観や欲求が多種多様にわたっている。仲よくなれそうな人を見つけることが出来ても、その価値観や欲求の違いで傷つけてしてしまっては自分の存在まで危うくなってしまう。そこで、「優しい関係」というお互いの心の奥底には触れずその瞬間の感覚だけを共有する関係であり続けようとする。身近な人々に対して異常なほど敏感になり、過剰な配慮をし合って相手を、そして自分自身を守ろうとする。自分が考える「素の自分」を隠し、「装った自分」であり続けることを苦しいと感じていてもどうすることも出来ない。だからと言って一人になることも出来ない。常に誰かとつながっていないと、自己を保っていることが出来ないからだ。


 長くなって分かりにくくなってしまったが、大体こんなまとめになる。短くまとめると、

人は皆それぞれが特別な存在だ!作っていった個性なんて偽者だよ。
自分が変わっていくなんてありえない。
今感じていること、自分の中から湧き上がってくるものこそ「自分らしい」ものなんだ。

でも、自分らしさって何?コロコロ変わるんだけど?よくわかんない

このままじゃ個性的になれないよ。誰か助けてよ…

友達がいる。でも、変にキャラ出して気まずくなったらどうしよう…

当たり障りのない関係でいいじゃん。

でもそれって寂しくない?やっぱり個性的でなきゃ…

以下無限ループ


 これでは辛いのは当然だ。



 私の考えを述べると、まず、「個性」は伸ばすものではなく元からあるものという考え方がいつ頃から、どこから来たのかと疑問に思った。私は2だと考えていたから余計疑問に思う。しかし、これは今の教育にも原因があるようだ。この本の中で筆者は「心のノート」にそれが現れていると指摘している。
「自分の心に向き合い、本当の私に出会いましょう」
という部分だ。この本でも例としてあげているヒット曲「世界に一つだけの花」でも、「もともと特別なオンリーワン」とある。つまり、子どもたちがジレンマに陥る考え方を大人自らが普及しているのだ。「世界に一つだけの花」のこういう見方があったとは。教育だけじゃなく、社会全体の個性に対する考え方が変わってきている。

 現代の子どもたちに関する本とは言え、私自身や大人にも当てはまるものが多いとも思った。大人も子どもも、誰もが個性的でありたいと思う。でも、それを大人たちが勘違いしていないか。そして子どもたちに押し付けていないか。具体的な解決方法は提示されていない。でも、解決するヒントはこの辺にありそうだ。

 今まで見たことも無い社会の部分を見ることが出来た、そして自分を省みることも出来た本でした。難しいですが岩波ブックレットは薄いのでオススメです。



<追記>
 何故個性をもともと持っている絶対的なものと考えるようになってしまったのか、ちょっと考えた。個性は相対的なものである、つまり、誰か比較することで個性を知ることが出来る。誰かと比較することは今の教育の風潮ではあまりよくないことと考えられている。他の子どもと比べるよりも、個々人のいいところを見つけるほうが良い、と。つまり、個性も誰かと比較するのは良くないことで、もともと持っている(はず)のものを見つけ出すのが良いことと考えられるようになったのではないだろうか…と推測してみた。

 疑問に思ったのは、海外では個性はどう考えられているかということ。民族性や宗教による違いもあるかもしれないけど。
by halca-kaukana057 | 2006-10-15 23:00 | 本・読書

好奇心のまま「面白い!」と思ったことに突っ込むブログ。興味の対象が無駄に広いのは仕様です。


by 遼 (はるか)
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