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 タイトルは勿論ドラクエ他RPG風にお読みくださいw

 先日、岩波少年文庫で「カレワラ物語 フィンランドの神々」が出版されたのですが、小泉保先生による完訳岩波文庫版も、ついに復刊されました!

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 上下巻の2冊。ずっと読みたいと思っていた。嬉しい。復刊してくださってありがとうございます、岩波書店さん。

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 現在、第7刷。2009年2月に復刊されたばっかりです。

 まだ届いたばっかりなのでちゃんと読んでいないのですが、上巻の一番最初、第1章序詩の文章の美しさに惚れました。何か壮大な物語が始まることを感じさせる文章で、ワクワクする。文章から、フィンランドの豊かな自然と、語られる伝説と、人々の暮らしの様がイメージできる。これから読むのが楽しみです。アニメ「牧場の少女カトリ」のカトリの気分だ。小泉先生の訳は口語になっているから読みやすいが、カトリが読んだであろうフィンランド語による原典版は文語で、もっと読みにくかっただろう。しかもカトリは学校には通えず、独学で「カレワラ」を読んだ。あらためてカトリは凄いと感じた。

 巻末には各章の解説と、「カレワラ」についての解説もあります。これまで「カレワラ」には色々と疑問を抱いてきたが、この完訳でヒントが見つかるといいな。


カレワラ 上 フィンランド叙事詩
エリアス・リョンロット:編/小泉 保:訳/岩波書店・岩波文庫(赤)/1976








カレワラ 下 フィンランド叙事詩
エリアス・リョンロット:編/小泉 保:訳/岩波書店・岩波文庫(赤)/1976
by halca-kaukana057 | 2009-03-02 22:05 | フィンランド・Suomi/北欧
カレワラ物語―フィンランドの神々
小泉 保・編訳/岩波書店・岩波少年文庫/2008

 フィンランドの叙事詩・「カレワラ」の新しい本が出ました。岩波文庫で「カレワラ」をフィンランド語から日本語に訳した小泉保先生による、岩波少年文庫版。岩波少年文庫で神話・叙事詩と言えば、以前取り上げた「北欧神話」もある。これが読みやすく、北欧神話の雰囲気が伝わってきてよかった。これは期待。

 「カレワラ」の原詩日本語訳を所々に入れ、物語風になっています。物語風の「カレワラ」と言えば、以前読んだ「カレワラ物語」(キルスティ・マキネン著/荒牧和子訳/春風社)もある。しかしこちらは完全に物語。原詩はどこにも出てこない。私が今まで原詩を読んだのは、シベリウスの「カレワラ」に基づく作品…「クレルヴォ」や交響詩「ルオンノタール」などの日本語訳歌詞のみ。ようやく原詩を味わえた。読んで、とても美しく躍動感があると感じた。大気の乙女・イルマタル(ルオンノタール)が天地を創造し、老賢人ワイナミョイネンが生まれる。ワイナミョイネンや荒くれ者・レンミンカイネンの呪文や歌は原詩でその想いの強さや躍動感がより引き出される。「カレワラ」の活き活きとした面白さを、たっぷりと味わえる本を出してくれた岩波書店さん、本当にありがとう。

 この本の解説には、「カレワラ」に出てくる呪術師である登場人物たちは神々として信仰されていたと書かれてある。以前、「人」か「神」か論争になったこともあるそうだ。「カレワラ」に出てくる神は"ウッコ"ただひとり。この本の中でも、ワイナミョイネンがウッコに願うシーンがよく登場する。だが、ワイナミョイネンも老賢人であり、フィンランドの伝統的な楽器・カンテレを演奏して歌い人々を魅了する詩歌の神とされている。鍛冶屋のイルマリネンは、フィンランドに恵みをもたらす"サンポ"や天空を鍛造した神と崇められている。北欧神話でも神々は神様なのに人間臭いところが合って失敗もする。完全、絶対的な存在ではない。スカンディナヴィア諸国の北欧神話と、フィンランドの「カレワラ」は全くの別物だけれども、神様だけど完全でなく、より人間に近いところは似ていると感じた。

 そんな人間臭い神々の一方で、両親の仇を討つ「クッレルボ」のお話には引き込まれます。シベリウスの「クレルヴォ」も、CDを何枚か持っているので聴き直そう。シベリウスは好きだけど、「クレルヴォ」は近づきがたい存在だと感じていた。クッレルボの深い深い哀しみを、もっと味わってみよう。


 ところで、「カレワラ」にはいくつか疑問を感じるところがある。ワイナミョイネンがサーミの乙女・アイノに出会った時、アイノはその求婚の言葉に対して「あなたのために十字架はつけません」と言って拒絶した。「カレワラ」はキリスト教がフィンランドに入ってくる前からあるのに、何故十字架?これはフィンランドが舞台のアニメ「牧場の少女カトリ」でも、主人公カトリに「カレワラ」を読むことを薦めた青年・アッキが、カトリに出会ったシーンでワイネミョイネンの言葉を引用するのだが、その時から疑問だった。まだ疑問は解決せず。口頭伝承しているうちに変化したのだろうか。
*「牧場の少女カトリ」のそのアッキのシーンについて: 牧場の少女カトリ 2・3巻それぞれの感想まとめ
 3話で出てきます。

 それと、"サンポ"って結局なんだったのだろうか。形もよくわからない。ワイナミョイネンたちがサンポをポポヨラの女主人・ロウヒから奪い返そうとするよりも、作った本人・イルマリネンがいるんだからもう1回作ったらどうかと思ったのだが、そういうわけにもいかないのか。この辺もまだよくわからない。

 読み込めばもっと面白いと思う「カレワラ」。岩波文庫の小泉先生による訳は絶版ですが、もう一度図書館などを探してみよう。
by halca-kaukana057 | 2009-01-18 22:18 | フィンランド・Suomi/北欧

薄紅天女

 「薄紅天女」(荻原規子、福武書店、1996)
 

「勾玉」シリーズ第3作。そしてシリーズ最終作。


 武蔵の国に住む17歳の少年・籐太(とうた)と、謎の死を遂げた彼の兄の息子である同い年の甥・阿高(あだか)は、いつも一緒にいることや二人とも容姿がいいことから「二連」と呼ばれ、周囲の女性たちの話題にいつも上っていた。その阿高は、夜中に突然誰かに憑かれたかのように別人になって予言をする不思議なことがあり、それを知っているのは藤太だけで阿高自身も知らなかった。ある日、藤太はその別人になった阿高から「坂上将軍に阿高を会わせてはならない」と言い、自らを「ましろ」と名乗った。その翌日、閲兵式の予行の手伝いをしていた藤太は、蝦夷討伐の長に抜擢されたという坂上田村麻呂に出会い、ましろの言葉を思い出す。閲兵式の予行の夜、藤太と阿高はましろのことでけんかになり、阿高は外に飛び出してしまう。藤太の兄である父のことも分からず、母が誰であるのかはそれ以上に分からない。混乱した阿高は、彼のことを「巫女姫」と呼ぶ不思議な男たちに出会う。彼らは蝦夷で、陸奥で儀式を受ければその謎が解けると言い、阿高もついて行くことにする。一方消えた阿高を探す藤太は、坂上田村麻呂に会い阿高のことを告げる。すると、田村麻呂は阿高が伝説の勾玉の巫女の化身であり、その巫女が元は蝦夷にいたため巫女を取り戻すために蝦夷が阿高を連れ去ったと推測し、阿高を取り戻すために共に陸奥へ向かう。阿高の父が陸奥で死んだ後、武蔵の家の戸口の前に置かれていた赤ん坊の阿高が手にしていたという、半透明の勾玉を手にして。



 時代はさらに進み、奈良時代の設定。しかも、物語の最初の方は藤太の恋わずらいに重点が置かれているため、全くあらすじが飲み込めなかった。しかし、阿高が蝦夷について行った後からようやく謎が解け始める。蝦夷の女神・チキサニと阿高の父のこと、田村麻呂が帝から言い渡された密命、そして都に出て帝の一族を襲う怨霊。シリーズの中で一番入り組んだ話だと思う。でも、読み進めて行くうちに明かされる謎に惹かれ、ミステリーを読んでいる気分で見事にはまってしまった。途中から阿高と共に物語の鍵を握る天皇の娘・苑上も登場し、全部読まないとどういう話なのか全て明かされない。なんて巧い物語なんだ。

 物語自体はこれまでの日本神話が基になっているのとはちょっと違い、これまでの「空色勾玉」「白鳥異伝」の延長上の話に、「更級日記」に出てくるという「竹芝伝説」をベースにしているのだそうだ。「竹芝伝説」とは、あとがきによると帝の娘が彼女の部屋の庭を掃いていた青年を見初め、彼に「あなたの故郷に連れて行って欲しい」と言いそのまま武蔵の国の竹芝で幸せに暮らしたという伝説なのだそうだ。それを「更級日記」の作者・菅原孝標の女が常陸から上京する途中、武蔵の国でこの伝説を聞いたのだそうだ。これまでの2作とは雰囲気が違うのもそのせいか。


 さらに、奈良時代の設定なので仏教の影響も色濃く出ている。日本神話を信仰して来た倭人たちは、外来の仏教を信仰するようになる。しかし、帝の一族は日本神話と切っても切れない縁であるし、蝦夷たちも日本神話にあたるものを信仰していたようだ。この物語から話はずれるが、漫画「ヴィンランド・サガ」でヴァイキングたちが信仰していた北欧神話から離れキリスト教を信仰するようになったのと同じように、倭人も日本神話から仏教を信仰するようになる。でも、北欧(スカンディナヴィア諸国)で現在はキリスト教が国教になっていて北欧神話は信仰の対象ではなくなってしまったのに対して、日本では今でも日本神話をルーツとする神道を信仰する人はいるし、仏教を信じる人でも八百万の神を意識したりする。仏壇と神棚がある家も少なくない(我が家にも両方ある)。この違いは何なのだろう。外来文化を日本に合うようにうまくアレンジして、ミックスして取り入れてきた日本人だからこんな宗教概念・文化を作り出してしまったのだろうか。ここからは民俗学とかそっちの世界か。


 あと、前2作と雰囲気が違うのは、主人公が男だからかも。これまでは闇の一族の血を引く少女が、輝の一族の血を引く少年と出会い、共に行動し成長して、だんだんお互いに惹かれあい…という流れだったのが、今作では立場が逆になってしまっている。しかも物語の大半は阿高と藤太の「男の友情」がメイン。阿高が自分自身が何なのかと問い、迷い、不器用ながらもまっすぐ目的に進んでゆく姿がたまらなくかっこいい。前2作とは違うたくましさを感じられる。


 「勾玉」3部作を読み通して、日本神話がこんなに魅力的で面白いものだとようやく分かった。古典文学は難しい、読みにくいと感じていたけどこれからはそれらに対する考え方が変わったと感じる。某首相の例の標語ではないけれど、日本再考にもなったと感じる。3部作まとめてオススメします。


<<これまでの「勾玉」シリーズ感想>>
「空色勾玉」シリーズ第1作。
「白鳥異伝」シリーズ第2作。
by halca-kaukana057 | 2006-12-19 20:58 | 本・読書

白鳥異伝


「白鳥異伝」(萩原規子、福武書店、1996)


 「空色勾玉」の続編、「勾玉」シリーズ第2作。


 三野の地の大巫女の一族である橘の氏族に生まれた遠子と、生まれてすぐ捨てられ遠子の家に引き取られた少年・小倶那(おぐな)は、双子のように育った。新年、大巫女の占いに橘の後継者である明姫(あかるひめ)が大王の妃になると出て、一族の者はみな驚く。そして新年恒例の弓の大会で優勝したのは、三野の者ではなく大王の皇子である大碓皇子(おおうすのみこ)であり、明姫を大王の妃にするために迎えに来たのだ。その大碓皇子と知り合った遠子と小倶那は、なぜか小倶那と大碓皇子がそっくりであることに気付く。それが縁で、大碓は小倶那を引き取って都で育て、自分の御影人にならないかと小倶那を誘う。小倶那も学問と武芸を身につけたいと都行きを希望し、強くなって遠子に会いに帰ってくると約束する。

 小倶那は都で懸命に勉強し、学問も山歩きも武芸もしっかりと身につけ、皇子の御影人と呼ばれるに相応しいものになっていった。ある日、宮のまかない所で働く明姫と再会する。その後皇子と再会した明姫は、橘の一族に伝わる秘伝の勾玉を働かすことに失敗し、大王の魂を鎮め命をのばすことが出来なかったために罰を受けているのだった。明姫が皇子に恋してしまったため、大王のために勾玉を動かすことが出来なかったのだ。皇子は明姫を連れ出し、大王に対して兵を挙げる。小倶那も皇子について行くが、皇子の身代わりになって大王の軍に捕らえられてしまう。そこで小倶那は自分が大王の息子であることを知り、大王の継承者であることを証明する「鏡の剣」を手にし、大王側に付く。そして、その剣で大碓皇子を倒し、三野を焼き滅ぼしてしまう。それを知った遠子は大巫女に会い、各地に散らばっている橘の一族が持つ勾玉を集め、その力は剣の力に立ち向かうことが出来ると聞かされる。橘の勾玉を明姫の妹・象子(きさこ)と共に集めに行くことになった遠子。自らの手で小倶那を殺そうと決心して。



 物語のベースになっているのはヤマトタケルの物語。「空色勾玉」の後の時代の設定になっていて、物語のあちこちに水の乙女(つまり狭也)の伝説が出てくる。さらに前作では明かされなかった勾玉の由来と秘密が明かされる。そして遠子の勾玉集めの冒険。ファンタジーの王道を突っ走ってます。日本にもこんなに面白いファンタジーがあったなんて。しかも日本神話の。ヤマトタケルの物語を思い出すために、家にあって子どもの頃よく読んだ日本歴史人物まんがを引っ張り出してきた。

 人物描写が前作以上に読み応えがある。運命に翻弄される小倶那。愛しさと憎しみに揺れる遠子。今作は恋愛物語色が濃く、その2人のすれ違いにハラハラする。勾玉が縁で遠子は菅流(すがる)という人物と出会うのだが、なんとも個性的な人物。奔放だけれども頼りになる、肝の据わった存在。この菅流が2人の間でどう動くかが読みどころ。


 男勝りで思い切りのいい遠子の性格が好きだ。小倶那の感情をなかなか表すことができず、内向的な部分も。旅先で多くの人と出会い、成長してゆく2人の姿が読んでいて快い。たとえ自分自身、またはお互いに対して葛藤を抱いていても、その細やかな心の動きに釘付けになってしまう。

 読み始めたら止まらない。この勢いで次作「薄紅天女」も読むぞ。

 前作の感想:「空色勾玉」
by halca-kaukana057 | 2006-12-10 21:19 | 本・読書

空色勾玉


「空色勾玉」(荻原規子、徳間書店、1998)

 留衣さんに教えてもらった本。古代日本神話をベースに展開する「勾玉」シリーズ第1作。以前からタイトルは聞いたことはあったがあらすじが良く分からず読まずにいたのですが、各国神話比較として読むことに。


 高光輝(たかひかるかぐ)の大御神と闇御津波(くらみつは)の大御神が天と地に分かれ憎み合うようになった時代、高光輝の大御神は闇御津波の大御神が生んだ豊葦原の八百万の神を一掃するべく、照日王(てるひのおおきみ)と月代王(つきしろのおおきみ)の2人の御子を地上に配し、戦わせていた。その高光輝を崇拝する羽柴の村に暮らす少女・狭也(さや)は、幼い頃火事で両親を失い、この羽柴の村に引き取られ育てられた。

 祭りの日、楽人として呼ばれた鳥彦という少年と仲間は、狭也が闇御津波の大御神に仕える「水の乙女」の継承者であることを告げる。物心ついてから高光輝を信仰し、月代王を慕ってきた彼女にとっては信じられない話だった。彼らは狭也に水の乙女の印である水色の勾玉を手渡し、その場を去る。その鳥彦たちと別れた後、泣いていた狭也を見つけたのは月代王だった。水の乙女で狭也の前世にあたる狭由良姫に恋した月代王は狭也を見て一目で狭由良姫の生まれ変わりであることに気づき、輝の御子に仕えるものとしてまほろばに来ないかと言う。村でも居場所がなく、闇の一族といわれても信じられない狭也は答えを求めて月代王について行くことにする。しかし、村娘だった狭也にはまほろばでの暮らしは窮屈で矛盾したものであり、次第に狭也は自分が闇の氏族の一人であることを自覚していく。そして、まほろばに忍び込んで大祓いのいけにえとして捕らえられてしまった鳥彦を助けるため、御所の中心へ忍び込んだ狭也は高光輝の御子の一人である稚羽矢(ちはや)に出会う。




 物語のスケールがとても大きく、まさに神話歴史もの。物語が大きくて上手くまとめられそうにもないのだが、光と闇の対立というファンタジックなテーマを柱に、狭也と稚羽矢のお互いへの想いと葛藤がドラマティック。しかも、普通のファンタジーなら「闇=悪」のはずなのにこの物語では少し違う。輝の一族は不老不死で変化することは無い。信仰するのは高光輝の大御神のみ。一方、闇の一族は死ぬがその後生まれ変わる。信仰するのは闇御津波の大御神は勿論だが、彼女が生んだ八百万の神も同じように信仰する。読んでいくとその違いがはっきりと見えてくる。何となく輝の一族は絶対的な存在の唯一神信仰で、闇の一族は多神教のような感じ。

 物語は「古事記」に基づいてはいるが、あとがきによれば必ずしもそうではないのだそうだ。確かに、高光輝の大御神はイザナギ、闇御津波の大御神はイザナミ、照日王・月代王・稚羽矢は、アマテラス・ツクヨミ・スサノヲを連想させるけれどもちょっと違う。神話そのものでないところが、また神秘的で魅力的だと感じる。

 狭也と出会った稚羽矢が外界を自分の足で歩くことで知り、お互い成長してゆく過程を楽しむもよし、狭也の恋物語として読むのもドキドキする。ジュニア向けなのにこんなに内容が豊かで面白い作品があったとは。続編の「白鳥異伝」「薄紅天女」も読む。
by halca-kaukana057 | 2006-11-29 21:58 | 本・読書

北欧神話を読む

 「ヴィンランド・サガ」3巻の記事で参考資料にしようと思って読み出した北欧神話の本を読み終えた。今まで北欧神話は血なまぐさくて恐ろしいと思っていたが、結構楽しんで読めた(中学生向けの本だからかもしれない)。北欧神話の大体の概要と感想をまとめます。




「北欧神話」(パードリック・コラム著、尾崎義訳、岩波少年文庫550)

【北欧神話とは】
 スカンディナヴィア諸国に伝わる神話(同じ北欧でもフィンランドは別)。北欧神話の元となったのは「エッダ」という古ノルド語で書かれた歌謡集。また、13世紀にアイスランドの詩人スノッリ・ストゥルルソンによって書かれた「スノッリのエッダ」も元となり、9世紀頃から口伝えで伝えられた。スカンディナヴィア諸国の民族はゲルマン民族に属するが、キリスト教化する以前のゲルマン民族の神話は北欧神話のみが伝えられているため、ゲルマン神話とも呼ばれる。

【北欧神話の世界観】
 北欧神話の世界はその住む人々によって9つに分かれている。主なものを挙げると、神々の住む「アースガルド」、神々と対立する巨人族の住む「ヨーツンヘイム」、地下の国「ニヴルヘイム」、灼熱の国「ムスペルヘイム」、小人が住む「ニタヴェリール」、人間の国「ミッドガルド」など。その9つの国に根をはっているのが世界樹「ユグドラシル」。

 天地創造に関しては、詳しいことはウィキペディアの「北欧神話での天地創造」の項を読んだ方が分かりやすいと思いますが、主神オーディンが巨人の骨で造るあたりが面白い。神々の前に神々に対立する巨人が存在しているところが。


 もう少し詳しく解説したいところだが、まだ勉強不足なのでここまでにして本の感想を。北欧神話の神々は、とても人間らしく生き生きしている。主神とは言え知恵を得るために右目を犠牲にしたり、間違いも犯してしまうオージン。力の強いトール。いたずら好きのローキ。美人の女神だが物欲により夫と別れてしまったフレイヤ、若返りのりんごを守るお人よしの女神イズーナ。とにかく多くの神々が出てくる。どの神も絶対的・完全な存在ではなく、間違いも犯すしだまされることもある。巨人族との最終戦争「神々のたそがれ」を怖れ、不安を抱いている。最終的に「神々のたそがれ」で巨人族と共に死んでしまう神々だが、その後には再生が訪れる。北欧の厳しい自然を表しているかのように。

 やはりジュニア向けの物語なので、「神々のたそがれ」の壮絶さは余り感じられない。でも、とても良くまとまっていて読みやすかった。今まで北欧神話=神々のたそがれの壮絶さ→恐ろしい物語、と思っていたのだが、「神々のたそがれ」に至るまでの部分に面白いところがいくつもあると感じた。オージンが旅人に扮して世界中を旅する部分が特に面白い。

 また図書館から北欧神話解説に関する本を借りてきたので読んで理解を深めようと思います。また、比較対象として日本神話やギリシャ神話なども読んでみるつもり。そう言えば、ワーグナーの「ニーベルングの指輪」やトールキン「指輪物語」も北欧神話を元に作られたんだっけ。「指輪物語」原作はまだ読んでいなかったので、この際読んでみるかな。映画「ロード・オブ・ザ・リング」も時間があれば(第1作は少し観た)。


 まずは留衣さんオススメの「空色勾玉」(荻原規子作)シリーズで日本神話を。しばらくは神話ものを読みふけります。
by halca-kaukana057 | 2006-11-18 21:19 | フィンランド・Suomi/北欧

カレワラ物語

カレワラ物語―フィンランドの国民叙事詩
キルスティ・マキネン著/荒牧和子訳/春風社/2005


 「カレワラ」(もしくは「カレヴァラ」)はフィンランドのカレリア地方に言い伝えられてきた口承詩をもとに、医師であったエリアス・ロンロートが収集・編集したものです。出版されて以来フィンランド人に読み継がれ、フィンランド文化の源となっている。シベリウスの作品にも、「クレルヴォ交響曲」や「4つの伝説曲」(2曲目が「トゥオネラの白鳥」)、「ポホヨラの娘」、「タピオラ」など「カレワラ」をもとにしたものが数多くある。さらに「カレワラ」の登場人物の名前を人名や会社などの名前に採用することも多い。まさに、「カレワラ」無しにフィンランドが語れるか!と言ってもいいぐらい。読みにくいかと思って今まで読んだことはなかったのですが、思い切って読むことにしました。



 この本は物語で書かれているため、とても読みやすいです。(完全訳は結構読みづらいらしい)大気の乙女・イルマタル(ルオンノタール)が宇宙を創り、老賢者ヴァイナモイネンを産む。そのヴァイナモイネンと鍛冶屋のイルマリネン、豪傑レンミンカイネンが北の国ポホヨラとの幾度とない戦いを中心とした話から、両親の敵を討つために生まれてきたというクレッルヴォの話、そしてヴァイナモイネンがフィンランドの地を去るまでを描いている。

 どの登場人物もとても生き生きとしていて、躍動感のある話ばかりです。そしてちょっとユニーク。普段は賢く勇ましいヴァイナモイネンは、実は老人の癖に若い娘に目がない。そのおかげでサーミの娘・アイノの悲劇が起こってしまう。戦好きで豪快なレンミンカイネンにはあまりいい印象はないけれど憎めない。

 フィンランドの大自然の中で物語が繰り広げられるのも味わい深いところ。森とその主タピオをはじめ木々の精、海や湖の描かれ方がとても豊かだ。そして人々は豊かな自然に感謝する心を忘れない。やはり大自然の中でフィンランドの文化は育まれていったことが分かる。

 最後、ヴァイナモイネンはカレワラの王が現れたことでフィンランドを去る。これはフィンランドにキリスト教が入ってきたことをあらわしているという。とても印象的な最後でした。

 これを読んだ後なら完全訳を読んでも少しは大丈夫ではないかと思う。ぜひ読んでみたいが、完全訳は絶版。図書館にも無いらしい…。復刊してくれないかな…。
by halca-kaukana057 | 2005-12-19 21:08 | フィンランド・Suomi/北欧

好奇心のまま「面白い!」と思ったことに突っ込むブログ。興味の対象が無駄に広いのは仕様です。


by 遼 (はるか)
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