この夏、青森県立美術館に行ってきました(かなり前の話です…遅れて記事にする…)。これを観るためです。
青森県立美術館:めがねと旅する美術展
 ※現在、展覧会は終わっています。

 2010年「ロボットと美術展」、2014年「美少女と美術史展」のスタッフが三度終結。今度は「めがね」をテーマに、「見ること」について美術の面から迫ります。このシリーズ、好きです。この第3弾となる「めがねと旅する美術展」は最終章とのこと。楽しみにして行きました。

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青森県立美術館の白い建築がお出迎えです。
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フライヤーにもなっているこのデザインのイラストが好きです。このイラストの中にあるものは、展示されているものでもあります。

 現在、シャガールの「アレコ」背景画は、4幕全部揃っています。しかも、写真撮影OKとのこと。フラッシュは禁止。個人的な利用のみ可能。画像を撮ろうとしたら、携帯を落としてしまい動作が不安定に…撮影できず(その後、電源入れなおして直りました)。撮影のことは考えず、展覧会に集中します。

 人類、文明の発展と技術進化の歴史は、見ることも広げてきました。はじめは、自分の目で見るしかなかった人間。自分の目の前にあるものしか見られません。それが、空から見たらどう見えるんだろう…高いところへ登ってみたり、高い塔を作ってみたり。遠くのものを見ようと双眼鏡や望遠鏡を作ったり。人工衛星や探査機を打ち上げて、宇宙から地球を見たり、他の星を見たり。人は見ることの出来る範囲を広げてきました。

 映像、VR(ヴァーチャルリアリティ)も、人間の見ることの可能性を広げてきました。その場その時で見られなくても、映像で撮っておけば後で観られる。VRで、行ったこともない場所に行った気分になれる。人間の「見る」ことへの情熱の強さを感じました。

 一方で、人間の眼(脳)は、だまされやすい。VRもひとつの錯覚。錯覚を起こす絵画でだまされる。アニメーションも、絵を連続して見せると動いて見える。見ることは、人間を知ることでもある。

 また、「見たい」という欲望は、どこまでもある。人々の生活、他者のこと、まだ見ぬ未来、現実にはないもの…そんな欲望を形にしたモノや、記録も。

 こんな多角的な面を、様々な美術品や現代作品、ポップカルチャーで紐解いていきます。見るものが細々していて、ちょっと疲れますが面白いです。これまでの他の展覧会で展示されていた作品もありました。観点を変えると、違う解釈や説明にもなる。興味深かったです。


 「美少女の美術史展」では、太宰治「女生徒」をアニメ化して上映していました。今回は江戸川乱歩「押絵ト旅スル男」。押絵とは、立体絵本のような紙芝居みたいなものです。ストーリーがダーク。見ること、現実と虚構の間、狂気の願望…世界観が好きです。10分ほどの短いアニメですが、印象が強い。作中で流れる歌も印象的です。

 展示には、JAXAの「かぐや」や、人工衛星「だいち」(初代です)が撮影した映像があったり、アニメーションでは、「名探偵ホームズ」(犬ホームズ)が出てきたり、好きなものがちょこちょこ出てきて嬉しかったです。 
 展覧会は、今後、島根県立石見美術館、静岡県立美術館でも開催します。
めがねと旅する美術展

【過去関連記事】
”人間”を投影する、機械以上の存在 「ロボットと美術」展
少女という文化と変遷を紐解いたら 「美少女の美術史」展に行ってきた
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by halca-kaukana057 | 2018-09-04 22:11 | 興味を持ったものいろいろ
 先日読んだ本「羊と鋼の森」(宮下奈都)で思ったこと。感想記事にも少し書きました。この本を読んで思うことは色々あった。ピアノのこと、ピアノを弾いていた時のこと。そして、音楽のこと。
・その感想記事:羊と鋼の森
 上記記事から引用します。

 以前、今もまだ続いているが、聴いた音楽の感想が出てこなくなった時期があった。感想を出すのが怖いのだ。外村が調律がうまくならなかったらどうしよう、怖いと思ったように。この演奏は、「いい演奏」か「悪い演奏」か、叩き切るように判断できなければならないと思って、それがわからず、感想を言うのが怖くなった。感想が他の人…ズバッと感想を出している、しかも説得力のある感想を出している人と違えば、自分は間違っていると思えてしまう。その作品を初めて聴く、聴いたことがなくて、判断できないこともある。いい曲だとは思ったけど、感想は…?「いい」「よかった」、でいいの?それだけだと足りない、弱いのではないか。判断基準が自分ではなく、他の人になってしまい、音楽は聴いても、その感想を出すことはなかった。そもそも自分に判断する権利はあるのか。音楽経験も少なく、叩き切るような感想を出せるような説得力も知識も読解力もない。音楽を聴くのが辛かった時期を思い出した。

 過去にも、こういうこと、似たことについて、思うことがあって、ブログに書いたことがありました。
「優劣」はどこから来る?(2014.3.16)
読解大会、もしくは読解合戦(2015.3.5)
表現することが「わからない」(2016.1.5)

 かなり前から定期的に?思っていることですね。まだ、解決できていない、答えを出せていない、トンネルを抜けきれてない。

 これらを読み返して、「羊と鋼の森」も読み返して、考える。「羊と鋼の森」でこんな箇所がある。主人公の外村は駆け出しのピアノ調律師。高校生の時、偶然ピアノの調律に立ち会って、初めてピアノの調律に触れて、調律師になりたいと思った。山奥で生まれ育ったため、それまでピアノについて何も知らなかった。ひたすら勤務している楽器店のピアノを片っ端から調律し、先輩調律師について調律の現場で学び、夜はピアノ曲のCDを聴いてピアノ漬けの日々を送っている。そんな外村が生まれ育った環境ゆえ町の子どもたちなら当然のように触れられるものを、「あきらめる」「素通りする」ことが多かったと回想するシーン。
 
 あきらめようと思えるまでに時間がかかったものが、ひとつだけあった。絵だ。僕には絵がわからなかった。(中略)きれいだな、おもしろいな、と思うことはあっても、そこまでしかたどり着けなかった。きれい以外の絵のよさがほんとうにはわからない。先生からは好きな絵を一枚見つけるよう言われたけど、それも違うんじゃないかと思った。色がやさしいとか、なんとなく雰囲気が好きだとか、そういうことで絵を観ては間違うような気がした。
 もしかしたら、それでよかったのかもしれない。この絵が好きだと思えればそれでいい。いい気分になれればそれでいい。絵がわからないとか、そんな観方じゃいけないとか、自分で自分を窮屈にすることなどなかったのだろう。でも、僕はあきらめたのだ。絵は、わからない。わかったようなふりをしてもつまらない。
(95ページ)
 (中略)
 好きだとか気持ちがいいだとか、自分の中だけのちっぽけな基準はいつしか変わっていくだろう。あのとき、高校の体育館で板鳥さんのピアノの調律を目にして、欲しかったのはこれだと一瞬にしてわかった。わかりたいけれど無理だろう、などと悠長に考えるようなものはどうでもよかった。それは望みですらない。わからないものに理屈をつけて自分を納得させることがばかばかしくなった。
(96ページ)

 外村の絵の観方は間違いではないと思う。自分で自分を窮屈にしていると思う(大ブーメラン、自分もです)。でも、外村には「わからなかった」。「わかったようなふりをしてもつまらない」。自分の観方は間違っている。そんな考えから抜け出せなかった。この外村が悪いわけじゃない。どんなに間違ってない、それでいいと認められたとしても、自分で納得がいかなければ本気になれない。自分に無理強いしても辛いだけだ。
 でも、外村にとって、ピアノは違った。わかるとかわからないとかという基準のものではない。わかりたい、あきらめたくない。自分にとって要るものはこれ、ピアノだ。

 私も、音楽にしろ絵にしろ本にしろ、感想が出てこなかったのは「わかったふり」をするのが怖かったのだと思う。そんな観方、聴き方、読み方じゃいけないと、自分を追い詰めていたんだと思う。何がきっかけで…他者の優れた(これも私の主観としか言いようがない)感想に比べて自分はここまでしか読み込めないのか、と落胆したこと。感想を出すなら、もっと立派で説得力のある、独創性のある、誰が読んでも面白いものを…。これは、理想ではあるけれども、「自分の中だけのちっぱけな基準」じゃないかとも思う。感想を書いて、何をしたいのか。かつてはツイッターをしていて、共有を意識していたけれど、それはもう終わった。このブログでは、コメント欄も閉じている。誰かと感想を交わしあいたい…自分の感想もままらないのに、誰かの感想を受け止める心の余裕は今の私にはない。まだ、ここのコメント欄は閉じていたい(他にも理由はありますが)。自己顕示欲…少しはあると認める。ないわけじゃない。でも有名になりたいとかは思わない。ただ自分が何を考えているか、「何処」にいるのかを記したい。その際、ブログで公開する必要はあるのか、自分だけのノートに書くだけでもいいんじゃないのか、と思うようにもなってきてはいる。読み返す時、過去ログを探しやすい、公開することを意識するから、文章や、思考のまとまりに気を遣うなどの利点はある。コメント欄は閉じているけど、何かのきっかけで立ち寄った誰かが、同じ本を読んだり、音楽を聴いたりして、この人はそう思ったんだな、と読んでくれれば嬉しい。同じことを思った、それは思いつかなかったなどと思ったらもっと嬉。

 好きなものをとにかく語りたくて、始めたブログ。今もその気持ちは変わらない。ものすごく好きなものに出会えたら、それについて語りたい。共有とか共感とか関係ない。「自分の中だけのちっぽけな基準」「自分で自分を窮屈にする」ということは考えなかった。純粋な気持ちが前に出ていたけれど、書けば書く程、内容にも凝るようになる。それは、文章や読解の面の成長のあらわれだと思う。前よりも沢山読んだ、聴いたのだから、成長していって当然だと。過去の感想を読んで、今のものと比べて、劣化したと思うことがある。記事数、更新頻度が減って、衰えたと思ってしまう(辛い)。

 そんな状態ではあるけれど、本は読み続けているし、音楽も聴き続けている。面白い、いいなと思うものは次々出てくる。あきらめたくない。わかりたい。無理強いではない。好きだから。接して、やっぱり好きだと思うから。

 感想が出てこない、書けない。どうしたらいいか。
 ひとつ。今はもう他の人の感想を前もって読むことはなくなったのだが、まずは自由でいいと思う。恐れずに。自分の思ったことを、まず言葉にしてみたらいいと思う。
 ふたつ。私が劣等感を抱いているのは、読む本にしろ、聴く音楽にしろ、接したことのないものがとにかく多い。有名作品でも知らない、接したことがない、接したことはあるけど1回程度…経験値が足りない。とにかく沢山のものに接したい。クラシック音楽は大人になってから聴き始めた。ピアノは子どものころ習っていたけど、熱心ではなかったから、加点にならない。本も知らない作家ばかりだ。私はスタートが他の人に比べて遅いと思っている。だから、まず量を増やす。
 みっつ。言葉の語彙を増やす。多彩な表現ができるように、でもあるし、自分の中にある微妙な感情を、ぴったり当てはまる言葉を多く持っていたい。
 よっつ。「感想を書くため」と意識しない。意識すると出てこない。
 いつつ。関係ない、とバッサリ切り捨てない。どんなものも、どこかで何かしらに繋がっている。その繋がりがわかれば、読み解きも広がり深まり面白くなる。自分の接するものは、全て何かに繋がっている。
 まだありそうだけど、今はこの5つ。

 基準は自分がつくればいい。「こう思った」のなら、それが基準だ。基準はどんどん変化していくと信じて。言葉も、それにつれて変化、成長していく。鍛錬、修行だ。つらいこともあるけど、つらいことだけじゃない。楽しくて、好きだからやっている。つらい気持ちしか出てこなくなったらやめる。もし、そうなったら、このブログもやめる可能性があります。でも、今はそれは考えずに。自分で自分を窮屈にしない、難しくしない、つらくしない。

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by halca-kaukana057 | 2018-05-13 23:00 | 日常/考えたこと
 記事に書くのは約1年ぶりの、青森県立美術館です。その後も行っていたのですが、記事は書かず…。ものすごく遅くなったけど、後で書こうかな…。

 今回行ってきたのは、「シャガール 三次元の世界」展。青森県立美術館の目玉展示と言えば、シャガールの「アレコ」背景画。普段は1,2,4幕ですが、2021年までは3幕もあり、全4幕揃っています。圧巻です。そのシャガールのことを、実はあまりよく知らない。ということで、行ってきました。

青森県立美術館:「シャガール - 三次元の世界」展 Marc Chagall: The Third Dimension

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いつもの真っ白な建物がお出迎え。

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 シャガールの絵は、とても不思議だ。人物がふわふわ浮いていて、その人物の描き方もふんわりとしている。今回の展覧会は、「三次元の世界」。絵画だけでなく、彫刻や陶器などの立体作品も数多く展示しています。シャガールって、立体作品も多く手がけていたんだ。

 この立体作品が面白かった。陶器は、ユーモラスで可愛らしい。色をつけていないものもあるし、色をつけているものは、とてもカラフル。陶器の後ろの側にも絵が描かれていて、それがまた可愛い。彫刻は、聖書をモチーフにしたものが多い。ユダヤ人の家に生まれ、第一次大戦後の反ユダヤの流れに巻き込まれてゆくシャガール。迫害をおそれ、アメリカに亡命。その背景が、聖書に通じるのだろうか。美術も、音楽も、西洋文化を理解するのは聖書は基礎なんだなと実感しました。なかなか馴染めないところもあり、すんなりと受け入れられず…と言っていられないのだな、と。その彫刻は、大理石や石灰岩だけでなく、特定の場所から採れた石を使っているものも多いです。その質感が、古代ギリシアやローマの遺跡のように見えます。しかも、聖書がモチーフだから尚更。シャガールの、これまでとは違った一面を観ました。

 そんな立体作品を観ると、不思議な絵画も、わかる、と感じました。立体を、二次元で表現しようとしたんだ。シャガールにとっては、二次元でも三次元、もしくは四次元だったんだ、と。そのイマジネーションに驚きました。一体どうすれば、こんなイメージを思いつくのだろう。次から次へと表現したいイメージがあって、それを形にできる。思い浮かんだイメージを、ないものとするのではなく、形にして、現実に見せることができる。これってすごいなと思いました。

 シャガールの作品には、鶏やロバ、魚など、動物もよく出てきます。陶器の後ろや、絵画の横のほうに描いてある。それが可愛い。「アレコ」背景画でも、動物が描かれていますね。

 展覧会の期間中、一日に4回、「アレコ」背景画の特別鑑賞プログラムがありました。照明、音楽、ナレーションで、バレエ「アレコ」のあらすじをたどり、背景画の見どころを紹介します。照明の当て方ひとつで、いつも観ているはずの「アレコ」背景画が違って見える。どこに注目すればいいかがわかる。バレエ「アレコ」で使われた、チャイコフスキー:ピアノ三重奏曲 イ短調 op.50「偉大なる芸術家の思い出に」が流れる。どんなバレエだったのかな…と思います。

 バレエについては、展覧会で、初演の際の映像を上映しています。モノクロの映像ですが、いきいきとした物語は感じられました。上演されないかなぁ、観てみたいです。

 今回は、常設展も観てきました。常設展でも、一体どうしたらこんなイメージが思いつくのだろう、そのイメージを形に出来るのだろう…と考えていました。成田亨の「ウルトラマン」の怪獣たちや、棟方志功の作品など。不思議です。

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 奈良美智「あおもり犬」。この日も大人気でした。

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 青森は桜の季節でした。美術館の周りに桜が植えてあります。花と白い建物。合います。

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by halca-kaukana057 | 2018-04-30 23:00 | 旅・お出かけ
 あちこち出かけているのですが、その記事を書かず…。印象に残ったことを記録しようと思います。

 先日、行ってきたのは、青森県立美術館。このブログでも時々登場する、お気に入りの美術館です。現在開催中の特別展「遥かなるルネサンス展」に行ってきました。

青森県立美術館:遥かなるルネサンス展

 時は信長や秀吉の時代。各地のキリシタン大名のもとで暮らしていた4人のキリシタンの少年たち。1582年、宣教師ヴァリニャーノは、日本人自身の中から、ヨーロッパ文明の語り部となる人物を育成する必要があると考え、その4人の少年たちをイタリアに送り出しました。「天正遣欧少年使節」です。ようやく着いたイタリアで、少年たちが出会った人々、見たであろう風景を、絵画や様々な美術品で辿ります。


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ああこの建築たまりませんねぇ。
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目玉の「ビア・デ・メディチの肖像」と「伊東マンショの肖像」がでかでかと。「ビア~」は日本初公開、「伊東マンショ~」は長らく行方不明でしたが、2014年に発見された作品。今回もすごいのが来ましたね。

 今、現代、旅行に行って、旅の記録はデジカメや携帯のカメラで簡単に撮影できます。しかし、この時代は絵を描くしかない。日本の芸術とは全く異なる西洋の芸術。南蛮文化は少しは入ってきただろうけど、実際に西洋に行って、その風景や文化、現地の人々に会い話をするのは想像以上のものだったろう。本場の西洋文化、キリスト教のことを学んで、日本に帰ったらそれを伝えるという使命を持ちつつも、初めて触れる西洋文化に、4人の少年たちは何を思っただろう。現代でも、テレビや本、ネットなどで、簡単に海外情報を手に入れることはできるけど、実際に行って観るのとでは違う(海外に行ったことないですが(涙)。それが、この時代だったらどうだろうか…。そんなことを思いながら展覧会を観ました。

 美術品の他に、手紙も展示されています。少年たちが書き残した日本語と、外国語(ラテン語かな?)の手紙も。外国語だって、今でも学ぶのは大変なのに、辞書も少なかっただろうし、勉強は大変だったろう。それでも、手紙はとても達筆で…そんなところからも、この旅路の厳しさを思い知ります。

 当時、イタリアでは、メディチ家が勢力を振るっていました。「ビア~」に描かれている少女・ビアもメディチ家の人。小さいうちに亡くなってしまったそう…。このあたりは、世界史を思い出しながら、でも思い出せずに何だったっけ…と思いながら観ていました。勉強になります。キリスト教に関係するものだけではなく、ギリシア・ローマ神話に関係するものも。このあたりは、星座の神話でもお馴染みなので、興味深く観ました。

 異文化に触れ、異文化を理解するということ。その意味の深さを考えました。
 8年もの長旅の後、少年たちは旅で見たものを、日本の人々に伝えます。そして、キリスト教をさらに学ぶのですが…キリシタン弾圧が強まり、殉教した者、教会から離れその後の足取りがわからなくなった者も。この最後に、旅の厳しさと、この時代の厳しさを感じました。

 久々の大型の展覧会でしたが、いい展覧会でした。

 お土産で、これが気に入りました。
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少年たちが訪れたフィレンツェの、トスカーナ大公の工房で作られた、テーブルの天板。とても豪華なモザイクです。それをマスキングテープにしました。ノートに貼ってみましたが、雰囲気が変わります。

青森県立美術館:シャガール「アレコ」全4作品完全展示
 青森県立美術館と言えば、シャガール「アレコ」背景画。4幕のうち、1,2,4幕は青森にあります。3幕を保管しているアメリカのフィラデルフィア美術館が長期の改修工事に入ったため、残りの3幕も借用中。2021年までと、まだまだ観られます。「アレコ」背景画は、青森県立美術館が開館した際、全4幕を揃えて展示していました。その迫力に圧倒されたのですが、再び、全4幕を観られて、やっぱり圧倒されました。「アレコ」のドラマティックで悲劇のラストの物語を思いながら、全4幕をひとつずつ追って観られるのは素晴らしいです。まだ観たことのない方は是非とも。

 青森県立美術館は、少し前に「ぼのぼの」展をやっていて、それも観に行きました。普通の特別展とは違う形です。「ぼのぼの」の漫画やアニメは大好きなので、観ていてとても楽しかったです。いがらしみきお先生の「ぼのぼの」を描くメイキング動画もよかった。
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by halca-kaukana057 | 2017-09-03 23:01 | 旅・お出かけ

音楽の旅・絵の旅

 涼しくなってきたので、読書にも集中できるようになってきました。読むのにかなりの時間がかかった本です。


音楽の旅・絵の旅 吉田秀和コレクション
吉田秀和/筑摩書房・ちくま文庫/2010

 音楽評論家の吉田秀和さんが、1976年にバイロイト音楽祭を聴きにドイツをはじめヨーロッパ各地を旅行した日記と、「音楽の光と翳」という短いエッセイ集の2部に分かれている本です。

 前半のバイロイト音楽祭。ワーグナー「ニーベルングの指輪」四部作の完全上演100年にあたる1976年。演出はシェロー、指揮はブーレーズ。このバイロイトでの演奏会の記録・日記は、私にとっては読むのは大変なことでした。ワーグナーのオペラ(楽劇)はあまり馴染みがない。序曲やアリアの抜粋ならいくつかは聴いているけれども、オペラを通して聴いたことはなく(長い、物語が難しそう、壮大過ぎる、という先入観で…すみませんワーグナーファンの皆様…)、バイロイト音楽祭も馴染みがない。NHKFMで年末に放送されていますが、聴いたことがない。
 それでも、吉田さんがどれだけワーグナーのオペラに惹かれていて、魅力的な部分をスコアつきで語るのは、半分よくわからないけど、ひきつけられるものがありました。吉田さんはプロの音楽評論家。スコア(ワーグナーのオペラはポケットスコアでも分厚いのでピアノ版のスコア)を確認しながら聴いている。音楽理論・楽典の裏づけから、あるシーンの曲の魅力を語っているのを読んでいると凄いな、と思う。そんな吉田さんですら、こんなことを書いているので驚いた。
だが、そうしてみると、今度は私の和声学の知識が不十分であり、穴があることに気づく。若い時、もっと勉強しておくのだった。だが、そういってもいられない。手もとにある武器や弾薬が不足とわかっていても、私はまだまだ、前進したい。たとえ一歩でも半歩でも。
 こう書いたら、いつか新聞でよんだ貴ノ花の言葉というのを思い出した。「もっと立合いを鋭くして、一歩踏みこまなければいけない」という解説者の註文をきいた時、この軽量の大関は「そんなことをいっても、相撲では一歩はおろか、半歩前に進むんだって、本当に大変なんだ。相手だって前に出てくるんだから」といったというのである。私の相手は音楽。それがだんだんやさしくなるどころか、これまでそう思わなかったことまで、むずかしくなるのだ。
(109ページより)

 今、私はバイロイト音楽祭ではなく、ロンドンの夏の風物詩、プロムスの各公演を手当たり次第ネットのオンデマンドで聴いている。様々な作品がある。現代作品も多い。初めて聴く作品も、今まで全く知らなかった作品、苦手だと思っている作品もある。好きな作品もあるが、指揮者やオーケストラも様々。聴いていてそれまで気がつかなかったことに気づいたり、疑問も出てきたり、余計わからなくなることもある。プロムスに限らず、普段聴く音楽でもそうだ。なので、吉田さんの仰っていることがよくわかるとも思う。それでも、音楽にもっと近づきたい。プロムスを聴き、この本を読んで、もっと音楽を楽しく聴くにはどうしたらいいのだろう?と思うようになった。知識や聴く作品を増やせばいいのだろうか。それもひとつのやり方だ。でもそれだけじゃ足りない、全てではない気がする。私の音楽の旅も、まだまだこれからだ。

 バイロイト音楽祭だけではなく、カラヤン指揮ベルリンフィルの演奏会や、黛敏郎のオペラ「金閣寺」、ポリーニのシューマン、若き日のサー・エリオット・ガーディナーの合唱つき作品の演奏会も出てくる。現代作品も出てくる。現代作品に対しての視点が興味深い。音楽だけではない。タイトルの「絵の旅」とあるとおり、美術館で絵画作品を分析しながら鑑賞している。その分析方法が本格的で、吉田秀和さんは絵画にも造詣が深かったのか!と驚かされた。音楽は総合芸術。他の分野とも繋がりが深い。美術にも通じるものがあるのだろう。

 旅はイギリス経由で、ロンドンでも美術館などをめぐる。そこでこう書かれている。
いかにイギリスという国が、イギリス人のものであると同時に、世界中の人たちの前に開放されたものであるかということが、もう一度、頭に浮かぶ。この美術館だって、いつかかよった大英博物館だって、世界中の人に無料で解放されているのだ。どんなに貧乏しようと、金をとろうとしない。それもイギリス人に対してだけでなく、世界中のどんな人に対しても同じなのだ。こういうのを見ていると、将来、もしイギリスの没落という事態が起こったとすれば、それはイギリス人にとってというだけでなく、世界中にとっての損失を意味するだろうという気がしてくる。
(197ページ)

 ここを読んで、イギリスのEU離脱への顛末を思い浮かべずにいられなかった。EUから離脱したからといって、大英博物館などが有料になるわけではないだろうが、イギリスという国の大きさを思い知る。やはり世界の「大英帝国」なんだなぁ、と。吉田さんが想像した没落、損失がないことを祈るばかりである。

 後半のエッセイ集、「音楽の光と翳」は短く、吉田さんの身近なところにある音楽から思ったことが書かれていて、読みやすかった。前半が難しいなと思ったら後半から入るのも手かも知れない。どちらにしても、吉田さんの優しく、音楽への愛情の深い文章は素敵だ。私の知らない音楽の世界を、この本で垣間見れた。音楽の世界は広いなぁ。
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by halca-kaukana057 | 2016-09-02 23:32 | 本・読書
 今週も切手と特印いきます。

日本郵便:特殊切手「童画のノスタルジーシリーズ 第2集」の発行

 第1集は確かパスした記憶が…。
日本郵便:特殊切手「童画のノスタルジーシリーズ 第1集」の発行
 絵は酒井駒子さん。

 第2集いわさきちひろさん。子どもの頃、教科書や本の挿絵でよく見ました。淡く、やわらかく、やさしい水彩の絵。とても好きです。こどもたちの日常風景から幻想的な絵まで、どれも素敵です。四季それぞれの絵を採用しているんですね。

 特印はこちら。
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 切手は「こげ茶色の帽子の少女」を使いました。大人っぽい雰囲気の女の子が素敵です。
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by halca-kaukana057 | 2016-01-29 22:20 | 興味を持ったものいろいろ
 昨年書いたこの記事のこと…答えを書こうと思ったのですが、一度書いたものを消してしまいました。消えたのではなく、消した。自分の心の中にあるものを、言葉にするのを躊躇ってしまいます。
2015 よいお年を、また明日
人前では辛くても隠そう、明るく振る舞おうとしていました。それが出来ない場合は、自分の殻に引きこもる。ネットでは、いつどこにどんな「地雷」があるかわからない、どこからどんなものが飛んでくるかわからない…。それらをひとつひとつ真正面から受け止めてしまって、ひとりで傷ついて…。テレビもネットも携帯もシャットアウトしていることも少なくなかった(中略)
 ブログに書くことも減りました。観たもの聴いたもの読んだもの、思ったこと感じたこと考えたこと。それらをアウトプットするよりも、自分の中だけで完結していいや、別に公にしなくてもいいや、と書かないことも多くありました。ここに書くという意味。


 過去記事を読み返して、似たような思いのものがあったので再掲します。
読解大会、もしくは読解合戦
「優劣」はどこから来る?

 また、音楽を聴いても、感想がうまく出てきません。大好きな作品、例えばシベリウスの交響曲でも、「やっぱり好きだな~」で終わってしまう。そして、芸術作品の「優劣」とは何だろう…わからない。どちらも言葉に出来ずに終わってしまっています。

 以前、こんなことがありました。とある演奏が酷評されていました。「ダメ」「下手」「解釈が違う」「残念だった」…海外でのレビューで、翻訳ソフトなどを使って読んでみた。酷評しこき下ろす、というよりも、こんなもんじゃないだろう?もっとやれるだろう?期待してるから残念だった!という叱咤激励のように読めました…私の外国語読解力が合っていれば。もしかしたら酷評しこき下ろす内容だったかもしれません…。

 しかし、その演奏を私はどう受け止めていいかわかりませんでした。その演奏された作品をあまり聴いたことがないから。どんな演奏が、どんな解釈が「標準」なのか。そのレビューにあるとおり「そうかもしれない…」と思ったが、それはそのレビューを読んだから。読んでいなかったら、または、自分がその作品に関する知識や他の演奏をたくさん聴いていたら、私自身がその演奏にどう思ったか、変わってくると思います。それが出来なくて悔しい。とても悔しいです。

 自分自身の演奏、声楽、歌に関しても、冷静に、客観的に、何が足りないか、どこを直していったらいいか、わからずにいます。発表会の演奏は、動画撮影に失敗してしまった…。毎回のレッスンでの先生の指摘・アドバイスも、その言う通りに歌えているのか、わからない時があります。音楽を言葉で表現するのは本当に難しい…。一対一のレッスンでも難しいのだから、文章にするのはもっと難しい。

 それでも、思ったことを言葉にしよう。どうせ素人なんだし、開き直ってしまえ。いや、素人と自分をいつまでも「甘やかす」ようなことはしてはいけない。自分なりに、わからないことは調べるなり何なり勉強して、表現や語彙も増やして、思ったことを書きたい。そのための力をつけていこう。霧の中にいるような状況ですが、それしかないのかな、と思います。

 何も書かなくなったらどうなるだろう。そんなことも考えることがあります。このブログをやめたら?ツイッターも。表現することをやめたら?ただ、本を読んで、音楽を聴いて、声楽・歌を歌って。ブログを書く時間を他の時間に回せる。更新頻度とか、そんなことを考えなくてもいい。時には、それでもいいかもしれません。

 年始から、こんな記事になってしまいました。
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by halca-kaukana057 | 2016-01-05 22:11 | 日常/考えたこと
 先日、「成田亨」展に続き再び青森県立美術館へ行ってきました。今度は「ミッフィー」展。今年は「ミッフィー(うさこちゃん)」生誕60年。その企画展が全国巡回しています。

青森県立美術館:誕生60周年記念 ミッフィー展
誕生60周年記念 ミッフィー展

 この日の青森は快晴。青く青く広がる空が気持ちいい。
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 いつもの白い建物がお出迎え。青い空に映えます。…あれ、いつもと何かが違う。

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 何かある…!
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 青森県美の白い壁に、うさこちゃんの顔が!!!青森県美が真っ白な建物だったから実現できた…ということか?

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 エントランスにもうさこちゃんがいっぱい。日本とオランダで開催されている「ミッフィー・アートパレード」の一環のよう。

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 展示室に下りるエレベーターも、いつもは白いのに、ブルーナの絵本カラーに!

 ミッフィーというと、絵本やテレビのクレイアニメで少し観る程度。そんなに思い入れはない…実は。でも、シンプルな線で描かれるうさこちゃんをはじめとするキャラクタは親しみやすく、愛らしい。そんなミッフィーシリーズがどのように生まれたのか。展示を観ていたら、ミッフィーに愛着が沸いてきました。

 本国オランダでは、「Nijntje(ナインチェ)」と呼ばれているうさこちゃん。「ミッフィー」は英訳した際の愛称。1955年、ブルーナさんが息子さんに描いた小さなうさぎの絵本が、うさこちゃん・ミッフィーシリーズの始まりでした。その、1955年初版の原画は世界初公開とのこと。1963年の第2版からの現在のうさこちゃんも可愛いですが、初版「ファースト・ミッフィー」の方が愛着が沸きました。姿も丸く、素朴な、まさに手描きのイラスト。どんな絵本でも、原画を観るのは楽しいです。
 
 その後のミッフィーシリーズの原画も数多く展示されていて、ブルーナさんはこんな風に絵を描いているのだなと伺えます。そして会場には、机の上に絵本が並び、ゆっくりと読めるようになっています。原画を観て、絵本を読んで…制作途中と完成品を一緒に観られるのも楽しい。
 ブルーナさんがうさこちゃんを描いている映像を観られる展示もあるのですが、これが面白い。真っ白なうさこちゃん像がスクリーンの隣にあって、ブルーナさんが線を引くと、そのうさこちゃん像に反映される。一筆一筆、ゆっくりと描いていっています。目を描けば、うさこちゃん像にも目が描かれる。プロジェクションマッピングです。最後は、様々な模様の服を着て、うさこちゃんプロジェクションマッピングショー。NHKの人形劇「シャーロックホームズ」のオープニング映像の、ホームズ像のプロジェクションマッピング、と言えば「あれか!」とわかる方もいるかと思います。

 「ミッフィー・アートパレード」のコーナーでは、日本のアーティスト、デザイナーたちが60年のお祝いと感謝を込めて、自由なうさこちゃんを創り上げています。この展覧会は、一部は撮影可。「アートパレード」も撮影可で、気に入った作品の画像を撮ってました。

 他には、ブルーナさんの油彩や水彩画、奥様のために毎日のことなどを描いた「朝食メモ」も。「朝食メモ」…絵日記のようなものと言えばいいだろうか。これは楽しい。私も毎日じゃなくてもやってみたら楽しそうだなと感じました。

 うさこちゃんの物語は、日常のヒトコマを切り取ったものが多い。だからこそ親しみやすい。その親しみやすい物語を、親しみやすいシンプルな絵で表現している。だからこそ、子どもも大人も愛着をもてるのかもしれない。日常のヒトコマも愛おしいもの…ブルーナさんの「朝食メモ」でも、ミッフィーシリーズでもそう思える。それを伝えるには、シンプルな絵が一番ストレートな方法になるのかもしれない。展示そのものの数は多くないので、ゆっくりと絵本を読みながらそんなことを考えました。

 青森県美の特別展展示室のうちの2部屋は、物販コーナーになっていました。こんなの初めて見た。いつもならグッズはミュージアムショップにある。ミュージアムショップだと狭いからなぁ。とにかくグッズが多くて、展示でうさこちゃんに親しみを持ってしまった私には大変危険な空間でしたw物欲がw手にしていたのは、やはり初版のうさこちゃんグッズが多めでした。初版、「ファースト・ミッフィー」可愛いよ。

 今回は常設展はパス。常設展は9月までやってるので、またゆっくりと来ます。物販コーナーで一気に疲れてしまいました…。
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by halca-kaukana057 | 2015-07-12 17:26 | 興味を持ったものいろいろ
 もう常連の青森県立美術館。今年度の展示を見てきました。現在、開催されている特別展は「成田亨 美術/特撮/怪獣」展。青森にゆかりがあり、「ウルトラマン」シリーズの怪獣などのデザインを手がけた成田亨(なりた・とおる)。青森市内には、青森県立美術館への案内看板にウルトラマンシリーズのウルトラマンや怪獣が描かれています(開館の際、著作権の関係で色々あって、少しの間ビニルシートを被せられ公開されなかったことがありました…)。常設展でも、成田亨の怪獣スケッチの展示があり、常設展を観る度に目にしてきました。
 とは言え、私はウルトラマンシリーズはほとんど観たことがない。リアルタイム世代でもない、いわゆる「懐かしのテレビ番組特集」みたいなものでウルトラマンが怪獣と戦うシーンぐらいしか観たことがない。怪獣はバルタン星人やカネゴンぐらいは知っている…。あと、常設展で観てきたスケッチ程度。その程度ですが、この「成田亨」展の青森県美さんの宣伝がかなり力が入っていて、よくわからないけど面白そうだな、と思い前売りを買っていたのでした…。

青森県立美術館:成田亨 美術/特撮/怪獣

 普通、チラシ(フライヤー)は1種類、あっても2種類程度ぐらいだと思うのですが、
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 6種類も出している。ここがまず普通じゃない。さらに、
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 前売りで買うとシークレットフライヤーとステッカーがもらえる。さらに、会場内限定のフライヤーもある。前8種。尋常じゃない。ちなみに、ミュージアムショップにはこのフライヤーのデザインのポスターも売ってました。力の入れようがこのフライヤーを見てもわかります。

 ということで、行ってきました。
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 いつものこの白い建物。桜は満開を過ぎ散っていたのですが、新緑が爽やかな青森の春です。
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 エントランスのこの曲線もやっぱりいいなぁ…おや、何かある。
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 「ウルトラセブン」に出てくるポインター。かっこいい!

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 写真撮影可能なエントランス部分。青森県美のオリジナルフォントが、近未来的な雰囲気に合ってます。

 展示を観て…まずそのスケールと展示の多さに圧倒されました。スケッチや絵画が多く、どれも濃い。最初の展示室は成田亨初期の作品。彫刻「八咫」とそのスケッチの力強さ、勢いのある線にまず惹かれました。その次に、「ウルトラ」シリーズや特撮の仕事をしながら進めていた「モンスター大図鑑」「ナリタ・モンストロ・ヒストリカ」。古今東西の神話や伝承に出てくる神・化け物・妖怪・妖精…モンスターを描き、雑誌に掲載されたもの。成田亨自身のコメントも付いていて、絵にも、コメントもじっくり観ていました。「モンストロ・ヒストリカ」には、メソポタミア文明の神々や、古代エジプトの神々(ホルス神、アヌビス神、バステト神ほか)も。古代エジプトの絵は他の絵よりもじっくり魅入ってしまっていました。古代エジプト好きです。成田亨がホルス神を描くとこうなる、コメントからこんなことも考えていたのか…と。そして、それ以上に惹かれたのが、様々な鬼の絵や彫刻。日本のモンスターということで鬼の作品も数多く描き、彫刻にしていた。その鬼の描写が、やはり力強く、躍動感があり、肉体は美しくたくましい。でも、かなしさやさみしさ、暗さや強さで隠した弱さも感じられる。人間が持つ暗の部分が鬼に投影されていたと思うのですが、成田作品から、うめき声のような、心の叫びのようなものが感じられました。もしかしたら、これが怪獣へと繋がっていくのかな、と。怪獣もただ地球を襲いに来た悪役ではないから…。

 展示の途中のところどころに、著書やインタビューからの成田亨の言葉も掲げられていたのですが、それを読むと、仕事としてデザインしつつも、芸術とは何かと追究しようとしていたこと、様々な想いも込められていることが感じられました。

 それらを経て、「ウルトラ」シリーズや他のヒーローシリーズのデザイン画の展示へ。未発表の怪獣のスケッチ、企画案だけで終わってしまったもの、視聴率が振るわず録画も存在しない(家庭用録画機も無い時代だったが…テレビ局に何故残ってない!?)作品も。でも、有名な「ウルトラ」シリーズであろうと、そのような企画案だけで終わったもの・視聴率が振るわなかったものだろうと、成田亨の怪獣やヒーロー、メカニックの造形・デザインは「芸術」なのだなと感じました。ウルトラマンのカラータイマーには否定的だったこと、テレビ番組のためだけど商業だけを考えているわけではなかったこと…。「ウルトラ」シリーズの展示室の外に、ウルトラマンの墓と「鎮魂歌」があり、それを読んで葛藤しながらの制作だったのかな、と考えてしまいました。

 最後の展示室。90年代以降、晩年の作品です。画家になりたいと美術を志し、後に彫刻の方向へ。それが特撮美術の仕事に結びつき、数多くの怪獣やヒーローを生み出してきた。が、それらの仕事から解放され、彫刻とは何か、芸術・美術とは何か、と葛藤し始める。芸術はただの自己満足なのか。デザイナーと芸術家は違う。でも、テレビ番組のためのデザインの仕事もしてきた。そんな中、成田亨は町ですれ違った子どもが「ウルトラ」シリーズの怪獣の人形を大事そうに持っているのを見て、グッと来たのだそう。それから、それまで生み出してきた怪獣やヒーローたち、メカニックを題材にした油彩や彫刻を制作し始める。ヒーローと怪獣は、テレビ番組のように戦うことはない。ただ、そのヒーローや怪獣、メカニックそのものを描きたいように、表現したいように表現している。それらの作品を観て、葛藤はしていただろうけれども、成田亨にとって怪獣やヒーローたちは、成田亨の芸術だったのだなと感じました。精巧なメカニック。想像力の賜物である怪獣の造形、個性。ヒーローたちの肉体美、たくましさ、強さ、躍動感。それらの作品を観ていて、絵が描きたくて仕方なかった。私の描く絵はしょぼいですが…。身体の各部分の骨格や筋肉のつき方、動き。メカニックや細々した建物・風景を描くのは苦手だが、こんな風に精巧に描けたらな、と。凄い作品に圧倒され、いつしか憧れていました。

 ただかっこいいだけでも、怖いだけでもない。上述の通り、「ウルトラ」シリーズも、その他の作品もほとんど知らなかった私が、展示を観終わった時にはすっかり魅了されていました。気がついたら、ミュージアムショップで、怪獣やヒーローのポストカードを買いこんでいました…。

 開館時間直後に入ったのですが、特別展を観終わったのは2時間半ぐらい後。その後、常設展へ。常設展でも、成田亨関連の展示や、青森県美らしい個性的な芸術家達の作品を取り上げていました。絵本「11ぴきのねこ」シリーズで知られる馬場のぼるの展示も。青森出身です。以前、馬場のぼる特別展もあり、行きました(感想記事書いてなかった)。「11ぴきのねこ」シリーズは、以前読み聞かせをしていた頃、お世話になりました。大好きな絵本です。今回は展示は少なかったですが、絵本原画とその物語、漫画が展示されていました。展示を観ながら、物語を心の中で読み聞かせしていました。漫画はねことその飼い主の奥さんの四コマ漫画なのですが、馬場のぼるらしいユーモアたっぷりで、ねこが可愛い漫画。展示室に私一人でよかった。きっとニヤニヤしながら観ていたと思いますw棟方志功は鷹の絵。成田亨とタイプは違うけれども、躍動感あふれる力強い線に共通するようなものを感じました。

 この常設展を観終わって、トータル3時間半。もうお昼でした。これから行く方は、時間に十分余裕を持ってお出かけください。

 青森県美の展示は、作品との距離が近い。成田亨作品の息遣いが感じられる距離で、じっくりと観ることができて本当に楽しかった。完全に魅了されました。本当に凄い展覧会。青森県美のスタッフの方々に猛烈にお礼が言いたいです。本当にありがとうございます。凄いものを観られました。あの躍動感が、眼に、心に焼き付いています。

 最後に、ミュージアムショップには缶バッヂガシャポンもあります。オリジナルグッズもたくさんです。
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 ヒューマン1号・2号が出ました。
 あと、成田亨のサインは「Tohl NARITA」の表記なんですね。絵のサインを観て、いちいちカッコイイサインだー!と思っていました。
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by halca-kaukana057 | 2015-04-28 23:09 | 興味を持ったものいろいろ
 少し前から、音楽(クラシック音楽。他のジャンルは気楽に聴けている)を聴いても聴いたものの感想が出てきません。聴いてはいるのですが、聴いているだけ。「いい曲だった」「よかった」このぐらいなら出てくるのですが、「この演奏は~」「この曲は~」という感想が出てこない。初めて聴く曲、馴染みのあまりない曲、それほど好きではない曲は特に。好きな曲、大好きな曲でも、これまで聴いた様々な演奏を聴き比べて「この演奏は~」などと細かく語れない。大好きなはずの曲も、いざ言葉にしようとするとわからなくなる。ちゃんとした専門的な音楽の知識を持っているわけでもない(私にあるのは、ほんのかじった程度)。オーケストラの楽器はやったことがない。オーケストラスコアなんて読めない。難しいことを噛み砕いてわかりやすく、魅力を引き出して語りたい…理想に現実がついていかない。

 以前から、よく思うことがありました。何かを観た、聴いた、読んだ。そのデータ・記録は書いてあっても、感想が書いて無い。そんなブログなどを見ては、「感想は?私はあなたの感想がききたい、読みたいのに」と思ってきました。たとえ、「つまらない」「面白くない」「あまり好みじゃない」「下手」「ここが足りない」…そんなネガティヴな感想だったとしても。それがその人の感想なら、そうなんだな、と受け止める。

 そんなことを思っていた自分が、感想が出てこなくなるなんて…。ただ聴いているだけじゃ駄目ですか?感想が無ければ駄目ですか?そこまで思い詰めてしまいました。
 この時は、体調があまりよくなかった、疲れていた、そのせいもあるだろうと思って、マイペースにのんびりいこう。そのうち感想も出てくるようになる。と、思っていました。でも、そのもやもやの中心が、ようやく見えてきました。

 ここからは、音楽に限らず、本・小説・漫画、ドラマや映画、アニメなども含みます(大風呂敷を広げないように注意しなければ…←自戒)

 感想にも色々ある。「よかった」「好き」「面白かった」「つまらなかった」「好きじゃない」という一言の簡単なものから、細かく詳しく複雑なものまで。感想と言うよりも、「読解」。
 感想が出てこない、というのは、この細かく詳しく複雑な「読解」を出せないからじゃないか、と。上述した音楽を聴いているだけで感想が出てこない話も、「この演奏は~」「この曲は~」という細かく語れない…「読解」にあたる。この「読解」が厄介だと感じている。

 細かく、詳しく、的確な「読解」。気のきいた言葉で、巧みで、わかりやすく、でも深いところまで読んでいる。そんな「読解」は、ツイッターで簡単に探せる。映画やドラマなどテレビ番組の「ハッシュタグ」で、感想がずらっと並ぶ。本なら、ネット通販サイトのレビューがある。私は使ったことが無いが、本の感想を共有するSNSもある。

 うまい、なるほどと思う感想・「読解」を読んで、素直に受け入れられる時はいい。こういう読み方もあるんだな、そこには注目しなかったな、何度も「なるほど」と思う。
 その一方で、自分で感想・「読解」を投稿した後、思いもしなかったうまい感想・「読解」に出くわすと、悔しくなる時がある。自分と大きく見方や意見が異なるもの。言葉の使い方が巧みで、表現のうまいもの。言いたかったけど、うまく表現できなかったことを、さらりとシンプルに表現しているもの。
 自分が悔しいなと思っているだけならそれでいい。が、ツイッターにはリツイート機能、お気に入り機能がある。レビューでも投票のようなものがある。
 数で表される。どのくらい支持されているのか。人気があるのか。同感、共感されているのか。
 その数の多さで、競い合っているように思えてしまった。

 「主人公の気持ちを答えよ」
 「要点を140字以内でまとめよ」
 「この作品のテーマについて答えよ」
 そんな、試験問題を思い出す。国語でよくある問題だが、音楽でも出来ると思う。著者がその問題を読んで、「そんなことは考えてない」と反論することがよくある。試験の外では、主人公の気持ちも、要点も、テーマも正解がひとつとは限らないのは当然のこと。どんな読み方をしたって構わない、自由だ。でも、多く支持された感想・「読解」が正解、のような雰囲気はあると思う。

 また、もし多く支持された感想・「読解」がネガティヴなもの…「下手」「面白くない」「つまらない」「駄作」「プロの作品とは思えない」…などのようなものだと、作品そのものにそんな烙印も押されてしまうように思える。「私は面白いと思っているんだけどな…」そんな感想・「読解」を出しにくくなる。

 SNSに溢れる感想・「読解」を見て、読んで、こんなことを思いました。自分の言葉で語ればいい。リツイートもお気に入りも投票もされなくてもいい。そう思う。でも、今の私は気にしてしまっています。

 正直うんざりしています。異なる「読解」に対して違うと言い合ったり、自分こそ深く読み込めていると言わんばかりに主張し競い合ったり。本当、嫌になってきます。

 なので、ツイッターではなく、ブログに書いています。140字じゃまとめられないというのもある。しばらくの間は
・ハッシュタグには寄り付かない、距離を置く。
・NGワードを設定しておく。極力目に入れないようにする。
・感想はツイッターではなくブログに書く。(あまり人のいないジャンルならツイートするかも)
・難しいことは考え過ぎず、気を楽に。
・気にしない。
・誰がどう思っても、自分はこう思っているんだから仕方ないと割り切る。
・ネガティヴになりそうな時、ナーバスな時はPC・携帯から離れる。目の付かないところに置く。

 という方向で行こうと思います。

 (この間まで、感想書きをがんばり過ぎたせいかなぁ…いや、楽しいからやってましたよ。「面白い」を表現するのは楽しいですし。私の何よりの楽しいと思うことです。
 あと、音楽に関しては、聴いているだけでも別にいいじゃない、とも。音楽作品は、言葉ではない、音楽という表現方法を選んだのだから、何も無理に言葉にする必要もない。音楽に身をゆだねて、「いい音楽だね」それだけでいいような気もする。演奏者はもっと詳しい感想・「読解」が欲しいかも知れないけど…)
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by halca-kaukana057 | 2015-03-05 21:57 | 日常/考えたこと

好奇心のまま「面白い!」と思ったことに突っ込むブログ。興味の対象が無駄に広いのは仕様です。


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