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天文屋渡世

 以前読んだ、岡山天体物理観測所での天文学者たちの日々を綴った「天文台日記」の著者・石田五郎先生のエッセイです。昔読んだのだが、久しぶりにまた読みたくなった。

・以前の記事:天文台日記

天文屋渡世
石田五郎/みすず書房
(↑こちらは再販されたもの。もともとの単行本は筑摩書房・1988)

 石田先生が様々な雑誌や新聞などで書いたエッセイ・コラムを集めたエッセイ集です。出典は様々なのに、ひとつの本としてまとめられるのが凄い。
 「天文台日記」でも書いたとおり、現在の国立天文台・岡山天体物理観測所の副所長として24年勤務した石田先生。天文学や星空・星座、天体観測・天体現象のエッセイがメイン。古いエッセイですが、文章の落ち着きや静けさとあたたかさが、年月を越えて天文の魅力を語ってくれる。しかし、それだけではない。それらには日本や海外の古典文学などの文学・芸術作品に出てくる天文・星の話題を絡めている。星座物語として知られるギリシア神話の数々や、「星はすばる」で始まる清少納言「枕草子」だけではない。人は古くから、星に何かを思い、星に何かを託して、星空を見上げてきたのだなと思う。

 天文の話よりも、天文のことを絡めた日常や過去のことを書いたエッセイが多いこの本。石田先生の個人的な思い出、”天文学者(てん・ぶんがくしゃ)”野尻抱影とのこと、聴いた音楽や観た舞台のことも。「みる・きくの楽しみ」では、私も大好きな声楽家・ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウのことも書かれていて嬉しくなった。読んで、思わず私もディースカウのシューベルトを聴いてしまった。石田先生の芸術全体への造詣の深さには驚くばかりです。

 この本を読んで思ったのだが、宇宙を”舞台”に例えることは出来ないだろうか。舞台と言っても、クラシック音楽のコンサート・リサイタル(オーケストラから室内楽、器楽ソロまで)、ジャズ、ポップス・ロック、吹奏楽、雅楽などの音楽から、オペラ、演劇、ミュージカル、落語、歌舞伎や能などの古典芸能…様々、たくさんある。宇宙にも、様々な天体があり、天文学者は個々の研究に合わせて天体を選ぶ。流星、太陽系内の惑星や小惑星、彗星、太陽、様々な恒星、星団、星雲、銀河、ブラックホールやダークマター、ダークエネルギーなどの謎が多い天体や宇宙にある物質。それらを”観て”、探究しているのが天文学者なのかな、と。観測方法も可視光望遠鏡だけではなく、赤外線、X線、電波。観測ではなく計算や理論を追求するやり方もある。勿論、天文学者だけが宇宙という”舞台”を”観る”ことができるわけではない。アマチュア天文家や、私のような素人も”観る”ことが、”観て”楽しむことは出来る。ただ、天文学者はプロとしての見方を持っている(昨日放送されたBSプレミアム「コズミックフロント」超新星の回で取り上げられた”超新星ハンター”アマチュア天文家の板垣公一さんのように、アマチュアでもプロ級の腕・見方を持っている人も勿論います)。

 宇宙という”舞台”を、今日も見つめる人がいる。その人は、どんな思いで見つめているのだろうか。読んだ後、私も星空をもっと観たい、宇宙天文を多方面から楽しみたいと思いました。あと、石田先生の著書ももっと読みたい。図書館を探してみよう。
by halca-kaukana057 | 2011-11-09 22:53 | 本・読書

ペンキや

 秋になって、心が静寂に向かうような本が読みたいと思うようになりました。ワクワクする本、面白くてどんどん読んでしまう本もいいけど、心も頭の中も鎮まり、落ち着く本が読みたい。図書館をうろうろしていたら、梨木香歩さんの絵本を発見。これまで、梨木香歩さんの著書は小説やエッセイは読んできましたが、絵本は読んだことが無かった。梨木さんの作品は、心が静寂へ向かうような、落ち着く文体・内容のものが多い。では、読んでみよう。

ペンキや
梨木香歩:作/出久根 育:絵/理論社/2002

 塗装店でペンキや見習いとして働くしんや。お客さんの依頼を聞いて、色を作り、ペンキを塗る。簡単そうで、結構難しい。色の名前を聞いてその色を作って塗っても、仕事を頼んだお客さんがイメージしていた色と微妙に異なることが多い。そんな繊細な仕事に就いたのは、同じくペンキやだった父の影響もあるかもしれない。しんやの父は、しんやの母のお腹の中にしんやがいることを知らないまま仕事でフランスへ行き、フランスでしんや会わないまま死んでしまった。しんやは、ペンキ塗りの仕事で悩むうちに父の墓を訪ねたいと思い、フランスへ向かった。その船の中で、しんやは様々な色、そして不思議な女の人と出会う。


 絵本=こども(幼児~小学校低学年)むけ=平易な物語と絵による本、というイメージを”絵本”に持っていたら、この本は異色に感じるでしょう。実際、かつてこどもたちに読み聞かせをしていた立場から言うと、”読み聞かせには向かない本”です。でも、文字ばっかりの本はハードルが高いけど、いわゆる”一般的な絵本”とは違う絵本を読みたい子にはおすすめしたい本です。読み聞かせではなく、自分ひとりでじっくり読んでほしい。物語そのものもですが、絵もじっくりと味わってほしい。梨木さんが通常の本ではなく、絵本としてこの作品を書いたことの意味が、絵にあると感じました。違う言い方をするなら…絵本という、芸術を味わうのがこの作品なのかな。

 序盤、しんやはお客の依頼・イメージどおりの色を作れず、苦しみます。その時の親方の言葉が、いいな、わかるなぁと感じました。
「たとえばブルーグレイと
ひとことでいったって
そう呼べる色合いは数限りなくある
お客様が本当に好きな色を感じとるのさ
感じとったらそれをペンキで表すんだ」

 子どもの頃も、今も、絵を描く時色を作るのが好きでした。絵の具を混ぜて、絵の具チューブにはない色を作る。また、「はだいろ」がチューブにはなく、赤と黄色と白を混ぜれば「はだいろ」になると教わったのですが、調合の加減でいろいろな「はだいろ」ができる。赤と黄色と白だけでなく、茶色や黄土色も混ぜてみたり。何かを描き色を塗る時、目の前にあるものの色が全て絵の具チューブにあるわけではない。あるわけがない。目の前にあるものがどんな色をしているのか、絵の具を混ぜながらその色を作り、塗っていくのが楽しくて(あと、ささやかなものですが描いた絵が賞をいただいたこともあって)、絵を描くのが好きになり、今に至ります。今は色鉛筆ですが、やはり欲しい色は色鉛筆のセットには無い。混ぜて、塗り重ねて、欲しい色、表現したい色を出すのが好きです。

 しかし、しんやはペンキ塗りを仕事とするプロ。お客の依頼にこたえなければならない。その難しさと同時に、母が見た父の仕事について語られます。そして、父の足跡を追ってフランスに向かったしんや。船で出会った謎の女の人が依頼した「ユトリロの白」という色。フランスで父のことを知る人が話してくれた父のこと、父の仕事のこと、そして、「ユトリロの白」の手がかり。帰国後、しんやのペンキ塗りの仕事は一変します。

 自然の色であれ、人の手によって作られた色であれ、色は不思議なものだと思う。人を落ち着かせたり、幸せにさせたり、不快にさせたり。ものや人に会うと、特定の色をイメージすることもある。色と言っても、グラデーションだったり、所々ムラのようになっているものもある。その微妙な色合いを表現し始めたしんや。色合いの表現が繊細になればなるほど、人間は深みを増していくのだろう。

 そして、たどり着いた「ユトリロの白」。作品の中で謎の女の人が「ユトリロの白」について語っていますが、その表現が凄く好きだなと感じました。”何色”とはっきり言い切れない。色々混じって、塗り重ねられて、変化してゆく。生きること・生きてゆくことをそのまま表現したかのような色。色は、それをも表現できたんだ。

 言葉だけでは表現できないものを、絵本=絵もある物語なら表現できる。絵本の表現の幅も、作家さんによって変えることができる。そう実感した本でした。

 ちなみに、モーリス・ユトリロは、近代フランスの画家。「白の時代」と呼ばれる時期の作品が、ユトリロの絶頂期と言われているそうです。検索して作品の画像を観たのですが、「白の時代」の作品は、まさに「ユトリロの白」そのものだなと感じました。
wikipedia:モーリス・ユトリロ
by halca-kaukana057 | 2011-10-25 22:45 | 本・読書
 よく読んでいる絵本・児童文学関連雑誌「MOE」。今月号が素敵過ぎます。


MOE(モエ) 2010年12月号
白泉社

 特集が「スイミー」や「あおくんときいろちゃん」などでお馴染みのレオ・レオニ。今年生誕100年を迎えました。生誕100年ということで、「MOE」で特集してくれないかなと待っていたのですよ!ありがとうMOE編集部さん!

 レオ・レオニの作品に出会ったのは、小学校の教科書で。「スイミー」や「アレクサンダとぜんまいねずみ」を読んで、面白いなと思った。が、それだけで終わってしまった。

 しかし、大人になって、読み聞かせに興味を持ち読み聞かせをしているサークルへ入った。そこで、様々な絵本と出会ったが、レオ・レオニの作品は印象に強く残り、何度も読み聞かせ作品に選んだ。教科書で読んだ時とは違う思いで読んだ「スイミー」と「アレクサンダとぜんまいねずみ」。ユーモラスな「フレデリック」、「コーネリアス」もお気に入りの作品。他にも、まだ読んでいない作品も紹介されていて、ますますレオ・レオニ作品に興味を持ちました。

 特集では、孫のアニーさんへのインタビューも。レオ・レオニが家庭ではどのような人間だったのか、仕事をしている時はどうだったのか。貴重なお話。今でも、絵本作りに使った画材やゴム版スタンプは大事に保管されている。レオニ作品は物語も面白いが、温かみがあってカラフルな絵も魅力。スタンプだけでなく、紙をちぎったり。その紙もちゃんと保存されている。レオニ自身、絵本の仕事をとても大切に思っていたそうで、物語や絵を楽しみながら、作っていたのかなぁと感じました。アニーさんの話によると、アニーさんから見た祖父・レオはとても楽しい人で、家族を驚かせたり楽しませるのがとても好きだった、と。絵本にも、そんなレオニの人柄が表れていたのだな。

 私はずっとレオ・レオニは「絵本作家」だと思っていたのですが、絵本の仕事だけでなく、デザイン全般、アーティストとしても活躍していた。絵本とは異なる作品、更にはクーパー・ユニオン大学での講演内容も。「ものをつくる」ということはどういうことなのか、作品に対して何を感じていたのか。つくられたものは歴史の一部として残り、子ども達のためのものとなる…。という内容に、レオニの絵本は楽しい、でも、強いメッセージがその絵とお話に柔らかく包まれている。絵本でも、デザインやアートでも、レオニは様々なイメージやメッセージを持って、それを表現していたのだと感じました。

 ただ楽しいだけではないレオニ作品。でも、やっぱり楽しいレオニ作品。まだ読んでいない作品も合わせて、レオニ作品を読み返そうと思います。

MOE web
by halca-kaukana057 | 2010-11-12 22:42 | 本・読書
 少し前の話で、賞味期限切れな気もするのですが、色々と強く感じたことがあるので、やっぱり書いておきます。青森県立美術館で開催されていた「ロボットと美術」展に行ってきました。ロボットというと、人それぞれ色々なイメージを持ちますが、美術館でロボットの展示?ロボットと美術の関係?面白そうなので、行ってきました。

青森県立美術館:ロボットと美術 機械×身体のビジュアルイメージ

ロボットと美術 機械×身体のビジュアルイメージ 公式サイト


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いつもの真っ白な建物が見えてきました。青空に映えます。
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青森県立美術館のこの建築が好き過ぎる!!もう外から観ているだけでたまらない!
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エントランスのあたりの曲線も魅力です。

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入り口→
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入ると、こんなロボットくんが。可愛い。(ここまでは撮影可でした)


 「ロボット」は、ご存知の通りカレル・チャペックの戯曲「R.U.R」でその言葉と概念が生まれました。しかし、それ以前からも動く”ひとがた”、ロボットのようなモチーフはギリシアやローマなどの神話や伝承などに数多く登場していました。展示にはなかったのですが、フィンランドの民族叙事詩「カレワラ」にもそんな部分があります。鍛治屋のイルマリネンのがポホヨラの娘と結婚したが、妻はその後事故で死んでしまう。(実際、この事故は、奴隷としてイルマリネンの家に送り込まれたクッレルヴォに意地悪をしたため、クッレルヴォが怒って狼とクマを牛に変え、その世話をしようとした妻が襲われて死んだ…という込み入ったお話です)。その妻が死んで嘆き悲しむイルマリネンは金と銀でで妻を作るが、勿論動かず。抱いて寝ても冷たい…というかなしいお話があります。というのを、展示を見ながら思い出しました。日本でも、かなり古くからロボットのようなモチーフがあったことに驚きました。江戸時代のからくり人形はその代表例ですね。

 ロボットの概念が日本にやってきたのは、1920~30年代。科学だけでなく、文学、美術、演劇にも影響を及ぼしました。簡略化された人を描いた絵も、ロボットの影響を受けているというのに驚き。機械の一部をテキスタイルとした「ロシア・アヴァンギャルド期のデザイン画」にも興味を持ちました。ロボット=モダンで先進的なイメージがあった。それを文化の面でも受け入れていたことが、日本人がロボットに親しみを持つようになったひとつの理由なのかもしれないと感じました。

 そして、戦後、日本ではロボットは独自の文化の中で大きく発展します。「鉄腕アトム」「鉄人28号」に始まるロボットアニメ。…私、ロボットアニメにはあまり詳しくありません。「ガンダム」も「マクロス」も「エヴァンゲリオン」もほとんど観ていません。でも、ロボットが日本のサブカルチャーにとって欠かせないものであることは強く伝わってきました。ボーカロイド「初音ミク」も。ミクの歌は、ニコニコ動画などで親しんでいるので、こちらは親しみを持って観ることができました。また、会場では3分程度のオリジナルアニメも上映されていました。近未来、少女とバイク型ロボットの物語。台詞はほとんどなく、アニメと音楽のみ。なのに、各シーンでの想いや言葉が伝わってくる、いいアニメでした。

 最近の例で言うと、小惑星探査機「はやぶさ」も人型ではありませんが自律航行ができるのでロボットと言えます(実際そのように説明されています)。会場で観たロボットたちも、「はやぶさ」もただの機械でしかないのに、それ以上のもの…言葉や感情を込めてしまう。私たちにとって、ロボットは「機械」以上の存在であることには間違いない。まだ「アトム」や「ドラえもん」のようなロボットが開発されるのは先の話ではありますが、確実にその日は近づいてきている。実際開発され、上映されていたアニメのようにロボットと人間が心を交わすようになったら、私たちの生活や機械に対する意識は一変するだろう。技術そのものも。

 ロボットという存在が、「人間」がどんな存在であるか、「人間」・「感情」そのものを投影し、何なのかを教えてくれているように感じた展覧会でした。でも、そのロボットを作り出したのは人間。不思議なものだなぁ。



 展示を観た後、アレコホールでシャガールの舞台背景画「アレコ」を観る…落ち着きます。ホールの中央にはソファが置いてあるのですが、そのソファに座ってボーっと「アレコ」を眺めるのが好きです。また、ミュージアムショップでは物欲をそそられる素敵なものがいっぱい。さらに、学芸員さんのユニフォームが、皆川明さんデザインのブランド「ミナ・ペルホネン」だったことに今回気が付きました(2009年1月から。気づくの遅い!w)。もうこの美術館、好き過ぎる…!

 「ロボットと美術」展は、今日から静岡県立美術館、11月20日からは島根県立石見美術館でも開催。お近くの方は是非どうぞ!
 twitterもあります。最新情報などをツイートしているので、こちらもどうぞ:twitter:ロボットと美術展
by halca-kaukana057 | 2010-09-18 22:07 | 興味を持ったものいろいろ
 先日、またしても青森県立美術館へ行ってきました。お目当ては現在開催中の特別展「古代ローマ帝国の遺産 -栄光の都ローマと悲劇の街ポンペイ」。古代ローマ帝国を創建した皇帝アウグストゥスの時代を中心に、彫刻や壁画、工芸品などから当時の政治や文化に触れようという企画展です。

青森県立美術館:古代ローマ帝国の遺産 -栄光の都ローマと悲劇の街ポンペイ

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美術館の看板。

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この独特の白い建物…いつ見ても素敵です。惹かれます。

 古代ローマについては、高校の時世界史で学んだ程度の知識しかありません。その高校の時に使った世界史の資料集はちゃんと本棚にあるのですが、特に予習(復習?)もせず、行きました。それでも、圧巻でした。

 まず、彫刻。皇帝アウグストゥスの胸像と座像がありますが、その様式はそれまでのローマ(共和政)の伝統的なものではなく、ギリシアの様式も取り入れたものだったそう。それまでの共和政とは違う国・政治を創ろうとしたアウグストゥス。その想いを、自身の像の様式にも反映させていたのです。ひとつの国を作ろうとする強い意志を感じます。座像がとにかくかっこよかったです。また、中学高校と美術部だったのですが、胸像を観て「デッサンやったな~」と当時を思い出していましたw実際、スケッチブックと鉛筆があればスケッチしていたかもしれませんw(下手ですがwwwそれ以前に何十分も像の前に立ってスケッチするのは邪魔ですね…)

 次に観たのが、西暦79年、ヴェスヴィオ火山の噴火で火山灰に埋もれてしまったポンペイの街から出土した遺産の数々。なんといっても見どころは、ポンペイの邸宅のひとつである通称「黄金の腕輪の家」の、モザイク壁画。噴水のある食堂の、青いガラスと貝殻で装飾された美しいモザイク。近づいて見ると、本当に貝殻が何個も使われているのです。このモザイクに使うために、浜辺で貝殻を拾ってきたのかなと思うと、ちょっと微笑ましいです。また、その隣にある「庭園の風景」フレスコ画。庭の緑と鳥たちが活き活きと描かれています。実際、ローマ・ポンペイの街にはこんな美しい緑の草木が生い茂り、鳥たちが飛んでいたのだろう。それを、邸宅の壁画にしてしまった。自然を愛していたのだろうなと思います。

 そして、それ以上に、この壁画・モザイクが一般家庭の邸宅の壁画であることに驚きました。身分の高い家なのかもしれませんが、個人の家。個人の家に、こんな美しい壁画が描かれていたなんて!帝政ローマの文化の高さと豊かさ、人々が豊かな文化を楽しみ、愛していた様が伺えます。いかに帝政ローマが豊かで、文化を大切にしていた国家であったかも伺えます。凄いです。そして、火山の噴火という自然災害が、逆に豊かな文化遺産を現代にまで遺してくれていたことも驚きです。その時、尊い沢山の命が奪われてしまったことも事実ですが…。美しさ、鮮やかさの奥に、災害の哀しさ、容赦ない残酷さも含まれている。複雑な想いです。

 古代ローマといえば、神話も有名です。神話をモチーフにしたフレスコ画も多いです。ローマ神話とギリシア神話は、その名前は違えど神々は同じものをさしていることが多いです。例えば、大神ユーピテル(ジュピター)は、ギリシアではゼウス。愛と美の女神ウェヌス(ビーナス)は、ギリシアではアプロディーテー。しかし、同じ神をさしていても、その意味合いが違うのだそうです。また、古代ローマ独自の神々も存在し、その神々の加護を得ようとお守りを身に付ける習慣もあったのだそう。場所も時代も異なるので、意味合いも違う。なるほど勉強になりました。

 特に眼を引くのが、「アレッツォのミネルウァ」像。ローマ神話では技芸の女神ですが、ギリシア神話のアテナと結びついて戦いの女神ともなりました。そのため、このミネルウァ像は鎧を着て、兜をかぶっています。胸には、怪物メデューサの顔がバッヂのように付いている。メデューサを倒した…と解説には書いてあったが、メデューサを倒したのは勇者ペルセウスでは?(「ペルセウス座」の神話から)。ペルセウスはアテナの助けを得てメデューサを倒したからか。星座の神話を復習しつつ見れました。ちなみに、ミネルウァ(ミネルヴァ)と言えば、もうすぐ帰還の小惑星探査機「はやぶさ」で、小惑星イトカワ表面を探査するために搭載された小型ローバーと連想するのは私だけではないはずです。

 装飾品のゾーンも、ヨーロッパ各地の鉱山から採取された金などで作られた装飾品や金貨が展示してありました。金貨の発掘場所が居酒屋と書いてあって、当時の生活ぶりを想像せずにはいられませんでした。今も昔も、酒場で飲みつつ、人々が色々な話をしているのには変わりは無いようです。2000年も昔から変わっていない酒場文化…滑稽ですwさらに、帝政ローマは水道技術に長けていましたが、水道の弁も展示されていました。「黄金の腕輪の家」の食堂にも噴水がありましたし、街には公衆浴場も多くあったそう。帝政ローマの人々の豊かさは、治水のおかげもあったのだと感じました。

 2000年も前に、こんな豊かな、活き活きとした文化、人々の暮らしがあったなんて。本当に驚きでいっぱいでした。
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お土産に絵葉書を。「庭園の風景」に描かれている、鳥たちが好きです。気に入りました。
by halca-kaukana057 | 2010-06-11 23:43 | 興味を持ったものいろいろ
 今日は皇太子さまのお誕生日でもありますが、ヘンデルの325回目の誕生日だとtwitter経由で知りました。ヘンデルの作品は「メサイア」の「ハレルヤ」コーラスなど、なんとなく聴いたことはあるがちゃんと聴いたことはない。これはいかん。誕生日記念にちゃんと聴いてみることにした。

 家のCDから探して、選んだのが「王宮の花火の音楽」HWV351.
Wikipediaによりますと、この作品は「1748年にオーストリア継承戦争終結のために開かれたアーヘンの和議を祝う祝典のための曲」らしい。そんなお祝いのための曲とあって、とても華やか。「序曲」と「歓喜」の部分では、打ち上げ花火をイメージしたような、大太鼓の「ドン!ドン!」という音も印象的。その一方で、「ブレー」と「メヌエットⅠ」の短調での優雅なメロディーも印象的。「序曲」と「歓喜」がドンドン鳴らして大騒ぎなら、「ブレー」と「メヌエットⅠ」は控えめにお祝いするといったところだろうか。最後の「メヌエットⅡ」は優雅かつ重厚。金管で、曲全体をびしっと引き締めている。こんないい曲だったんだ。

 先日、NHK教育「日曜美術館」で、バロック美術について特集していた。ルネサンス美術と比較し、宗教観や社会、歴史、科学の発達の面からも分析していた。私はこれまで、バロック美術はかっちりと型にはまった、形式を重んじるものだと思ってきた。音楽に関しても同じく。しかし、ルネサンスの作品と比べると全く違う。ルネサンスでは調和の美、清らかな信仰を黄金比などを用いて表現していたのに対して、バロックでは人間らしさが出てきた。大航海時代と重なり、新たな世界が広がったことで、人々の考え方も多様化した。その後のロマン派や近・現代と比べると型にはまっているなと感じるけど、バロックもルネサンスからの時代の変化の過程なのだと実感する。実際、昨年行った「ウィーン美術史美術館展」でも、活き活きとした民衆や、退廃を意味するモチーフを描いた作品が集められていた。バロック以前、ルネサンスの音楽をあまり聴いたことがなかったので、こんな誤解をしていた。ひとつの時代だけを見ずに、時代の流れを大きく見渡すのも必要なんだな。

 このヘンデルの「王宮の花火の音楽」からも、そんなことを感じた。活き活きとしていて、人間が奏でている音楽だと感じる。教会音楽を多く作曲したJ.S.バッハ。一方、ヘンデルはオペラやオラトリオなど、劇場用の作品を多く残した。人が演じるために作曲された作品たち。活き活きしていないわけがない。

 私はバロックについて、もっと勉強するべきだと感じました。あと、ルネサンスにも触れておいた方がいいなと。芸術、音楽の世界って、どんだけ広いのだろう…。

 ちなみに、聴いたのはクリストファー・ホグウッド指揮、エンシェント室内管弦楽団。

【関連過去記事】
バロック期ヨーロッパのはかなさと躍動感 「静物画の秘密展」
by halca-kaukana057 | 2010-02-23 22:54 | 音楽
 先日のコンサートを聴きながら、あと、日曜日に放送された「日曜美術館」を観ながら、思ったことがある。

NHK 日曜美術館:2010年1月24日放送(アンコール) 劇的?やりすぎ?バロックって何だ?!

 私は、わかっているようでわかっていないものが多いと感じている。「日曜美術館」ではルネサンスとバロックの芸術の違いについて取り上げていたが、それを理解するには芸術だけでなく、歴史や当時の社会、宗教、科学など、あらゆる知識が必要となってくる。知識だけでなく、何故だろう?と疑問に思い答えを出す考える力も必要になる。私に足りないものが一気に見えて、愕然とした。

 コンサートでも、演奏している作品の構造が実際どんなものだったのか、楽譜を見て確かめたいと思った。作品の構造はなんとなく掴めてはきたが、「理解」は出来ていない。はっきりとソナタ形式、ロンド形式…と答えられない。さらに、コンサートの感想でも書いたとおり、モーツァルトは弦楽四重奏での第2ヴァイオリンをどう位置づけていたのか。シューマンももっと知りたいことがある。わからないことがどんどん出てきた。

 でも、知らないと気づくこと。これは重要なんだなと思った。知らないなら学べばいい。理解できないなら、何度でもトライすればいい。最初から知っている、理解できているものなんて少ない。知らない・理解できていないと自覚して、知りたいと思うようになる。知っているフリをしないこと、理解できていると思い込まないこと。この姿勢で、さらに先に進めると思う。

 幸いなことに、学ぶためのもの・環境は揃っている。コンサートの演奏はその時しか聴けないけれど、同じ作品のCDで何度でも聴くことができる。本などで調べることも出来る。楽譜も、ネットで無料で見られるところがある。そのうち、だんだんと親しめて、何かつかめるだろう。

 芸術に触れることは、日常生活とかけ離れている気がする。なかなか身近に…とは行かないけれど、出来る限り身近に、そして何度でも触れること。芸術に触れることを「いい演奏だった」「いい曲だった」「素敵な絵だった」などと一時的な満足で終わらせず、それをきっかけにさらに親しめたらいいなと思っている。

 芸術だけではなく、他のものに対してもこんな姿勢でありたいと思う。
by halca-kaukana057 | 2010-01-26 22:31 | 日常/考えたこと

日本の美を求めて

 久々に東山魁夷のエッセイです。これまで、東山魁夷のエッセイは北欧ものを中心に読んできましたが、今回は日本がメインです。

日本の美を求めて
東山 魁夷/講談社・講談社学術文庫/1976

 東山画伯の少年時代から唐招提寺の障壁画を描くまで、日本の風景を見て感じたこと、その特色と美しさについて語るエッセイと講演が収録されています。少年時代からどう日本の風景を見つめてきたのか。そして、作品で何を表現しようとしたのか。読んでいるとその風景が目に浮かぶようです。

 唐招提寺の障壁画は、東山画伯の代表的作品。だが、私はこれまでその障壁画がどんな作品なのか良く知らずにいた。なので新潮文庫から出ている「東山魁夷小画集 唐招提寺全障壁画」で観てみた。森の緑の柔らかな質感から、森の空気を感じるような「山雲」。波の白と海の緑がかった青に惹かれる「濤声」。まさに日本の風景だと感じた。鑑真が晩年をすごしたこのお寺。鑑真が命がけで唐から日本へやって来た時、鑑真は失明していたという。その鑑真が見たかったであろう日本の風景を、この障壁画に描いたのだそうだ。

 東山魁夷の描く風景は、珍しい風景でもない、どこにでもありそうな風景に感じる。代表作の「道」も、北欧やドイツの風景も、その国のどこかにありそうな風景が描かれている。でも、東山画伯によって"風景画"として切り取られると、その風景・自然の美しさが際立つと思う。唐招提寺の障壁画も、日本のどこかにありそうな身近に思える風景なのだけれども、清々しく美しい。色の使い方だろうか、構図のとり方のためだろうか。ひとつ言えることは、東山画伯がその風景をじっくり観て、その風景を愛しているからなんじゃないか。それをこの本を読んでいて感じた。

 この本の後半で、日本の美について語った講演が2篇収録されている。日本の文化はこれまで、海外文化と出会い融合して、新しい文化を作り上げてきた。中国や欧米の文化が次々とやってきても、それを積極的に取り入れて、新しい日本文化を作り上げてきた。日本の文化には柔軟性とたくましさ・力強さがある、と。そのたくましく、やさしくおおらかな日本文化の根元には、変化に富んだ美しい自然がある。その自然があるから、日本文化はどんな外の文化と出会ってもうまく融合していっているのではないかと感じた。この本を読んで、日本の自然と文化を大事にしたくなる気持ちがいっそう強くなった。


 少し前に読んだ「木のいのち 木のこころ 天・地・人」とあわせて、京都奈良にますます行きたくなった。日本の美と文化の原点へ。でも、今のところ旅行の予定はたっていないので、その内だな。
 それにしても、東山魁夷の作品に触れると、心が洗われる気持ちになります。
by halca-kaukana057 | 2009-06-19 21:16 | 本・読書
 現在青森県立美術館で開催中の「ウィーン美術史美術館所蔵 静物画の秘密展」を観に行ってきました。青森県立美術館はこれまで何度か行って、お気に入りの美術館なのですが記事に書くのは初めてです(タイミングなどを逃して書けずにいたのです)。

青森県立美術館:ウィーン美術史美術館所蔵 静物画の秘密展
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 青森県立美術館はその建築が印象的な美術館です。以前行った同じ青森県の十和田市現代美術館もそうだった。
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真っ白な外壁の建物。この美術館を設計した青木淳さんのコメントによると、隣の三内丸山遺跡の発掘現場から発想したのだそう。三内丸山遺跡までは遊歩道があって歩いて行けます。
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建物の下に位置する、不思議な通路。この建築のお気に入りの場所のひとつです。

 さて、ウィーン美術史美術館は、ハプスブルク家のコレクションを集めた美術館。17世紀…音楽で言ったらバッハと同じ時代。バロック期の画家、ルーベンスやヤン・ブリューゲル(父)、ベラスケスなどの作品が展示されています。目玉はチラシやポスターにも印刷されているディエゴ・ベラスケスの「薔薇色の衣装のマルガリータ王女」。日本初公開です。

 全体的に面白く鑑賞したのですが、特に興味を持った点が2つ。まず、「ヴァニタス(虚栄)」の静物画。「ヴァニタス」とは、ラテン語で「虚栄、むなしさ」という意味。展示されている作品を描いた画家の多くが住んでいた17世紀のオランダは、バブル絶頂期で儲かりまくっていた。沢山の珍しい花や果物が出回り(ただし貴族の間だけ)、東洋からも様々なものが輸入された。その繁栄の一方で、繁栄も長くは続かないという考えもあった。英華もしょせんむなしい…。そのはかなさ、むなしさの象徴としてどくろやろうそく、時計や倒れたグラスなどが描かれる。西欧にもはかなさ、むなしさという概念があったのか。意外だ。西欧文化というと、死後も神の御前で永遠を求めるものだと思っていた。日本のわび・さびに繋がるものがあるのかもしれない。いや、はかなさ・むなしさを感じたあと、その後どう感じるかが東西の違いなのかも。西洋はそのむなしさを越えた存在を求める。一方東洋は諦観して、物事は常に変わるものと捉える。とても興味深かったです。

 そのヴァニタスを象徴する絵で特に気に入ったのがアントニオ・デ・ペレダの「静物:虚栄(ヴァニタス)」。繁栄の裏にあるむなしさ・はかなさを象徴する静物が多く描かれています。どんな作品かは、昨年国立新美術館で開催された東京展での東京新聞の特集に詳しく書かれていますので以下をどうぞ。
東京新聞:ウィーン美術史美術館所蔵 静物画の秘密展:この一点<3>


 もうひとつ興味を持った点は、絵に躍動感があり、とても活き活きしているという点。静物画というと置物や花など動かないものをそのまま描いたものだと思っていた。しかし、そんなモノたちも鮮やかに、その場に実際にあるかのように描かれている。繊細なタッチで、色彩も豊か。ヤン・ブリューゲル(父)の「青い花瓶の花束」も花々が鮮やかに、活き活きと描かれていました。
東京新聞:ウィーン美術史美術館所蔵 静物画の秘密展:この一点<8>

 また、ヴァイオリンやリュートなどの楽器を描いた作品も多かった。楽器、つまり音楽もはかなさの象徴として描かれていたようです。気に入ったのがイタリアの画家・エヴァリスト・バスケニスの「静物:楽器、地球儀、天球儀」。裏返しになったリュートにホコリが付いている様も描かれているのですが、実際に絵にホコリがかぶっているのかと思ってしまった。リアルです。
東京新聞:ウィーン美術史美術館所蔵 静物画の秘密展:この一点<6>

 バロック期って、思っていたよりも活き活きしていたのだなと思う。貴族も民衆も。市場や酒場の民衆を描いた絵もあったのだが、どれも躍動感に溢れていた。その当時の生活の様子が、息づかいと共に伝わってくるようだった。特に気に入ったのが、ドイツの画家マルティーン・ディヒトルの「台所道具を磨く女」という作品。なべを磨く女性が、とても活き活きしているんです。日常のありふれたひとコマなのだけれども、そのひとコマを印象的に切り取って描いている。これらの作品を観て思ったのは、絵画だけでなく、バロック音楽ももっと活き活きしているものなのかもしれないということ。バロック音楽というとフーガの形式だとか対位法だとか、そういう"型"に目(耳?)がいってしまい、堅苦しいという見方も生んでしまう。でも、主に現代の演奏家による現代楽器での演奏だけれども、その演奏をじっくり聴いてみると旋律ひとつ取っても躍動感に溢れている。以前、ペツォールトのメヌエット(バッハのメヌエットと呼ばれている、BWV Anh.114,115のメヌエット)を演奏した時、指が踊っているように感じた。そんな躍動感が、バロック期の絵画にも音楽にもある。絵画を観に行ったはずなのに、バロック期の芸術文化全体について考えが深まった。

 最後に目玉の「マルガリータ王女」。とても美しい。ピンク色の頬と、柔らかで温かな色合いのピンクのドレスがとても可愛らしい。しばらくの間見入ってしまいました。


 静物画展を観た後は常設展へ。青森県立美術館の目玉と言えば、シャガール「アレコ」背景画。いつ観ても迫力があります。静物画の秘密展を鑑賞して、ちょっと疲れたので「アレコ」を観ながらソファに座って一休み(アレコホールにはソファが置いてあるんです)。何とも満ち足りた気分です。それと、奈良美智の「あおもり犬」。少し前からそばに近づいて、写真撮影もOKになったんです。近くで観ると、結構大きい。写真撮影OKと言うことで、バシバシ撮りました。

 「静物画の秘密展」に関して詳しくは、前述の東京新聞のページと、兵庫県立美術館のページが充実しているので、参考にリンクを貼っておきます。
東京新聞:ウィーン美術史美術館所蔵 静物画の秘密展
兵庫県立美術館「芸術の森」:ウィーン美術史美術館所蔵 静物画の秘密展
by halca-kaukana057 | 2009-06-07 22:31 | 興味を持ったものいろいろ

泉に聴く

泉に聴く (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)
東山 魁夷/講談社/1990

  画家・東山魁夷のエッセイ集。これまで読んだ「風景との対話」「白夜の旅」に収められているエッセイも収録しています。「白夜の旅」のように絶版でもない(なぜ「白夜の旅」は絶版なんだろうなぁ…。理解できない)。文庫本なので手軽です。
 このエッセイ集の表題となった「泉に聴く」。魁夷の自身への考え方がよく表れていると思う。




 誰の心の中にも泉があるが、日常の煩忙の中にその音は消し去られている。もし、夜半、ふと眼覚めた時に、深いところから、かすかな音が響いてくれば、それは泉のささやく音にちがいない。
 今迄、経て来た道を振り返っても、私は曠野に道を見失う時が多かった。そんな時、心の泉の音に耳を澄ますと、それが道しるべになった場合が少なくない。
 泉はいつも、
「おまえは、人にも、おまえ自身にも誠実であったか」と、問いかけてくる。私は答に窮し、心に痛みを感じ、だまって頭を下げる。
 私にとって絵を描くということは、誠実に生きたいと願う心の祈りであろう。謙虚であれ。素朴であれ。独善と偏執を棄てよ、と泉はいう。
 自己を無にして、はじめて、真実は見えると、私は泉から教わった。
(「泉に聴く」13~14ページ)


 「白夜の旅」でも、北欧に出かけようというきっかけになったのが、忙しい日常に慣れてしまった自己を日常から切り離して、大自然の中に身を置くべきだという魁夷自身の心の声だった。自分自身が今どのような状況に置かれているか。それを冷静に、客観的に、ごまかしたり無視したりせずに見つめ、批判する。魁夷はこういうことがしっかりとできる人間であったのだろう。だからこそ、自然をじっくりと見つめ、人の心を捉える作品を描き続けることが出来たのではないか。芸術に向かう姿勢、自然に向かう姿勢が作品に表れる。それは魁夷自身の全体像ではないけれども、部分であってもそのまっすぐさ、美しさにハッとさせられる。

 魁夷の絵は美しい。だが、文章も美しい。以前も似たようなことを書いた気がするが、魁夷の文章を読むたび、魁夷は文章もきれいだなぁと思ってしまう。魁夷が若き日に留学したドイツの風景や美術修行、出会った人々や文化に関する文章を読んでいて、絵を見ているわけではないのに絵が見えるように思えた。北欧や京都でも同じ。言葉を色のように選び、塗り重ねて、文章でも風景を描くことが出来る。この本の「人と作品」の中に、画家は文章を書くものではないという画家の世界のタブーについての話が合った。画家は絵だけで表現するべき、という理由によるものらしい。でも、魁夷のエッセイを読んでいると、関係ないと思う。絵で、文章で、自己と自然を見つめ、考えをめぐらせる。魁夷にとって、絵と文章はつながっていたように私は思う。絵も、文章も、どちらからも魁夷の作品の落ち着きとすがすがしさが感じられるから。

 仲のよかった川端康成との思い出をつづった「星離れ行き」、美術学校の学生だった頃の日記の「木曽路」「山国」、秋田へ写生に行った時に見た「かまくら」などの思い出話も面白い。戦争の頃の、苦しい生活や肉親との別れにも心打たれる。絵からは見えてこないこのような話が読めて、ますます魁夷の作品が好きになった。

 魁夷の画集が欲しいと思う今日この頃です。

・これまでの東山魁夷関係の記事
スオミの風景を追い求めて
 「風景との対話」に関して
東山魁夷の青い北欧
 NHK教育「新日曜美術館」を観て。
白夜の旅
by halca-kaukana057 | 2008-09-17 22:27 | 本・読書

好奇心のまま「面白い!」と思ったことに突っ込むブログ。興味の対象が無駄に広いのは仕様です。


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